第7回 柚明本章・第一章「廻り出す世界」について(乙)



9.物語冒頭、真弓の訃報

サクヤ「では、改めて解説を始めるかね…」

ノゾミ「観月の娘がゆめいにけいの母の訃報を告げる処……これ迄の積み重ねがあるから、
冒頭は中々進まないけど……仕方ないわね」

葛「冒頭は桂おねーさんのおかーさんの訃報ですし、解説も丁寧に進めるのが良いです」

桂「サクヤさんが……お母さんの死を悲しんでくれている事が、読んでしみじみ分ります。
柚明お姉ちゃんも。2人がお母さんを大事に想ってくれていたんだなって、そしてそれに
哀しむお互いを、慰め励まし合っている姿が。今更だけど、こうして心から傷んでくれる
人が居るって事は、お母さんの娘として嬉しい。でも、その想いが伝わりきらないもどか
しさ。

 血を呑んで絆は繋っているけど。サクヤさんの感応の力が低くて、ご神木に触れてもお
姉ちゃんの意志は、曖昧な印象しか届かない。サクヤさんもお姉ちゃんも相手の答を分り
きれずに、問わず語りの様になってしまって」

柚明「そうね。わたしの方は、サクヤさんの声も肌触りも表情も瞳の色も、分るのだけど。
サクヤさんに、わたしの想いを確かに伝えられなかった事が申し訳なく。励ましにも伝達
にも労りにも届かない、己の無力が悔しくて。

 わたしの心を伝える術が。身振り手振りも使えず言葉も届かせられず。植物に意志を現
す必要はないから、そんな機能は付いてない。

 この拾年でわたしもそれは百も承知だけど。
 分っていても尚不甲斐なさは止められない。

 それが溢れ出すのがお話しの後半、千客万来の夜の後の、桂ちゃんが烏月さんを追いか
けて行った後の、サクヤさんとの語らいに」

サクヤ「そ、そこはその時に話す事にしてっ。

 ここではあたしと柚明が一緒に真弓を悼み、桂の先行きを案じているって、示す処だ
よ」

葛「そーですね。そしてサクヤさんが、桂おねーさんと柚明おねーさんを案じるのと同様、
柚明おねーさんは、サクヤさんと桂おねーさんを案じています。柚明本章に記された通り、
桂おねーさんもサクヤさんも、未だ独りぼっちではないけど。逆に言えば、もうお互いし
か残ってない。孤独の断崖に近付いていたと。

 桂おねーさんは拾年前に、おとーさんも柚明おねーさんも喪って、白花さんの存在は忘
れており、今おかーさんも喪って天涯孤独に。親戚も、母方を後日譚第2.5話で、漸く
知ったけど。父方は忘れ去った柚明おねーさんだけ。柚明おねーさんの父方親族は遠い上
に、その存在を忘れていては辿りよーがなく…」

柚明「実は烏月さんが、少し遠いけど桂ちゃんの親戚です。この時点では未登場なので触
れられず、その後も余り触れられないですが、叔母さんが千羽の出身なので基本設定で
す」

ノゾミ「そうだったわね。けいが余りに甘々で太平楽で、鬼切り役と落差が大きいから一
致点を見いだし難かったけど。けいも鬼切りの千羽の血を、半分引いているのだものね」

サクヤ「拾年前以前の羽藤の家族を知る者は、あたしだけになったから。桂が喪ったたい
せつな人への想いを、桂をたいせつに想う人の想いを、必ずあたしが繋ぐって。桂の事・
俗世の事は全て任せておくれって、あたしから柚明へ約束を告げて、ご神木を去る訳さ
ね」

桂「実はお姉ちゃんは、わたしに迫る危難の影を関知の力で感じ取っていて、サクヤさん
に即時対応が必要だって、危機感を伝えていたのだけど。伝達が曖昧で、サクヤさんは天
涯孤独になったわたしの将来への不安と思い。そこは任せてって感じで引き上げちゃった
と、作者さんのメモが……印象や感触でしか伝わらないと、こういう影響が出てくるんだ
ね」

ノゾミ「大抵の陰陽師や霊能者は、そう言う曖昧な印象や感触を何とか感じ取り、そこか
ら真相を読み解く為に、全力を注ぐのよ…」

サクヤ「ここは、あたしが抱いた一般的な心配や不安を、柚明も抱くだろうって重ね見て。
生命に関る危機だなんてね。失敗だったよ」

葛「観月は肉体派で、関知や感応に弱いです。察し取れなかった事は責められないでしょ
ー。でもこれでは、ご神木を出られず対応の術がない柚明おねーさんは、心労と焦りが募
る状態に。そーいう心理や心の隙間を、神や鬼や魔という者は、狡猾に突いてくるのです
…」

桂「その流れは、サクヤさんが帰った後の主との対峙や、ノゾミちゃんミカゲちゃんの夜
の来訪に繋り描かれますって、作者メモです。

 お姉ちゃん、最初から孤立無援だよ。折角久しぶりにサクヤさんが来てても。そこでも
大事なことを伝えられず、孤立無援に戻って。希望を抱く分だけ、この展開の方が辛いか
も。もしやお姉ちゃんずっとこんな感じで、サクヤさんやお母さんの来訪を迎えていた
の?」

柚明「サクヤさんや叔母さんが、わたしを案じて想ってくれて、この山奥まで来てくれた。
それはとても嬉しく有り難い事よ。的確に全てを伝えられない事は残念だけど、己の力不
足は悔しいけど。その想いの深さは嬉しいわ。

 後は与えられた条件の中で出来る事を為す。ご神木に宿る者の定めは知ったから。己の
心が乱れては、平常出来る事もしくじってしまう。それで悔いを残したくはないから。心
は常に柔らかに、何がより大切かを見極めて」

サクヤ「柚明……」桂「柚明お姉ちゃん…」

柚明「ここでわたしが、読者みなさんに感じて欲しいのは、サクヤさんの語りで示される、
叔母さんがわたしに寄せてくれた想い……わたしは自身がそうすべきで、そうしたいと願
って、ご神木に身を捧げたのに。叔母さんはあの夜の決着に、拾年自責の念を抱き続けて。
わたしにわたしに成果を返したい返さねばと。一生懸命桂ちゃんの日々を保ち、白花ちゃ
んの行方を捜し、その守りの為に鬼切りに励み。

 叔父さんを喪い、羽様のお屋敷に居られなくなり、様々な変転の中で、生命を削って頑
張り続け。アカイイト本編では開始前に亡くなっていて、サクヤさんや桂ちゃんの語りや
想い出にしか、登場出来ない叔母さんだけど。拾年前に亡くなった叔父さんも。強く賢く
心優しい、たいせつな人でした。2人にはもうそれを表現する術がないので、敢て口を差
し挟みました。心から冥福をお祈りします…」

桂「柚明お姉ちゃん……」サクヤ「柚明…」

(一同、真弓と正樹に暫く、黙祷を捧げる)


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10.ご神木の内側、柚明と主とA

柚明「失礼しました。解説を続けましょう」

葛「はいです。生者は、亡くなった者を心に刻みつつ前に進まなければ、ならないです」

ノゾミ「観月の娘が、けいの母の訃報を槐のゆめいに告げて去った後、槐の中で柚明と主
さまの対話に移るの……これは対話というよりも、対峙と言うべきかも知れないけど…」

桂「主は、サクヤさんとお姉ちゃんの会話に、挟まって来ないんだね。感応の力の低いサ
クヤさんには主の声も届かないし、話す積りもない感じだけど。妨げたりも、しないん
だ」

葛「妨げても情報が来なくなるだけですしね。柚明おねーさんに有益な情報が入るのを妨
げる為に、全てを遮断する選択はありますけど。それで特に変りはないです。主の圧倒的
な優位と、柚明おねーさんの絶望的な劣勢には」

ノゾミ「良月に千年封じられた私には、主さまの気持が分るわ。例え敵を力づける様な情
報でも、何も入って来ないよりはマシ。訪れる者もなく、傍に添う者もなく唯あり続けね
ばならない、死ぬ事さえ選べないのは地獄よ。暇潰しでも敵でも外から何か届いて来るな
ら。

 羽藤が千年続けてきた祀りは、竹林の姫の為だったのでしょうけど、主さまの暇を束の
間でも気晴らしさせて、拭ってくれたのよ」

サクヤ「邪魔しなかった事は評価してやるよ。それ以外は許す気にもなれない奴だけど
っ」

葛「ご神木の中の虚像世界については、柚明間章の解説で触れていますので、省略します。
唯拾年経っても柚明おねーさんは、ご神木への同化の途上で。槐の中で何か創り出す・保
つ等の行いは主の影響下にあり。美化や見栄に気を配る主ではないので殺風景な侭です」

柚明「わたしが影響を及ぼせるのは、自身の身に纏う衣位で。ちゃぶ台や急須なども拾年
の間に作ってみたけど、わたしの集中が少し途切れると、形や存在を保てず崩れてしまい。

 霊体は食も入浴も排泄も要らないから、炊事も掃除も洗濯も茶碗洗いも不要で、人の世
の所作や道具が殆ど要らなくなるから。必要を感じない物を作って保つのは難しいの…」

ノゾミ「分るわ。同じ霊体の鬼として。私もこの衣は、自身の意志と力で保っているけど。
他は千年の間に幾つか作りだしたけど、長く保てなかった。一時的に何か作って保っても、
忘れて意識が他に向いた時に崩れているの」

葛「更に言えば主もこの虚像世界で、何も作っていません。必要がなかっただけかも知れ
ませんが。竹林の姫はどうだったか分りませんが。生きるのに必須な物でなければ、意志
を長く余分に保つのは、難しいのでしょー」

サクヤ「それより気懸りなのは、主の柚明への揺さぶりだよ。主も真弓の死や桂や白花が
経観塚に来る事迄察知して。同じ情報を持っていると言う事では、立場は互角の筈だけど、
あいつミカゲ並みに人の心を揺さぶって…」

ノゾミ「ミカゲが主さまの分霊だから。宿る器や存在の大きさは変るけど、元々の気質や
性質は変らない。状況に応じて動きや応対は変るけど、男でも女でも主さまは主さまらし
い思考発想と考え方・在り方を取る。ミカゲに出来る事なら主さまも出来るし、必要に応
じて躊躇なく為すわ。だから怖ろしいのよ」

柚明「この時は、桂ちゃんと白花ちゃんが気懸りで。特に白花ちゃんは、訪れるのが白花
ちゃんなのか主の分霊なのか、見通せなくて。一つの体に共存している以上当然だけど。
彼が主の分霊に乗っ取られていたなら、わたしや封じはともかく、桂ちゃんが危ういか
ら」

葛「元オハシラ様が『封じはともかく……』は失言なのですけど。まぁ仕方ない処です」

サクヤ「あんたには桂も白花も両方『一番たいせつな人』だから。その片割れが相方に牙
を剥く悪夢も、現実になりそうだったしね」

葛「白花さんが経観塚に来た時点で最悪です。明良さんが健在な限り、白花さんの経観塚
行きを了解しない。白花さんは既に明良さんや鬼切部の保護を外れている。主の分霊に乗
っ取られたか、そうでなくても柚明おねーさんをご神木から引き離す為に、明良さんの意
志を踏み躙って、勝手に経観塚へ向かった訳で。鬼切部を敵に回したと見られて至当な処
で」

ノゾミ「けいの兄の経観塚への接近は、私やミカゲも関知していた。ミカゲも同じ読み解
きをしていたわね。同じ主さまだったから」

桂「千羽に顔見知りがいて、非公式でも繋りのあったお母さんが死んで。千羽の多くの人
に告げず、お兄ちゃんを密かに匿ってくれた明良さんが死んで。白花ちゃんは千羽と関係
が切れた以上に、その仇になっちゃった…」

サクヤ「あたしも白花は探していたんだけど……あいつも鬼切部に追われているから一つ
処に留まれないし、見つかり易い処に姿を出せない。経観塚という狭い処に来て、漸く絞
り込めて逢う事が出来たって、作者メモが」

ノゾミ「この状況で主さまの揺さぶりに耐えるのは相当難しいわ。あり得る全ての分岐が
悪い方向へ伸びていて、それを修正する術が、手足がゆめいにはない。けいの兄への信頼
だけで、主さまの封じは己に叶うと言うだけで、この酷い状況を尚保とうと……ゆめいあ
なた、この時本当に凌ぎきれると思っていたの?」

葛「しかも主は拾年、柚明おねーさんをご神木の中で……その想いを魂をすり減らそうと、
虐げ続け。虐げるその課程を楽しんでいます。

 柚明おねーさんが壊れても、堪え忍んでも、どちらでも良く。柚明おねーさんの魂の疲
弊、気力の衰微を数十年単位で見届ける構えで……どー見ても勝算のない続ける程地獄の
途を。この拾年味わい続けてきて尚、この先も?」

柚明「拾年、続けてこられていたから……。

 力では敵わないけど、自身が意志を保ち続ければ、傷ついても霊体は自動的に修復され、
消滅の怖れはない。少しの苦痛を凌げばわたしの様な凡人が、鬼神と千日手を続けられる。

 桂ちゃん白花ちゃんを守りに出られない事、役立てない事は残念で悔しくて、焦りも抱
くけど。少し辛い時もあるけど。常にその時点でたいせつな人の為に、己が為せる最善を
考え見通し。自身が自身に課した役割をこなす。

 全体の勝敗に関与・影響できない時は、自身の役割をしっかり果たして、味方や仲間や、
信じた人の働きを信じる他にないと思うの」

葛「何て言うか、悲壮感がないですね。見ているこちら側が身震いする様な状況なのに」

ノゾミ「それも、けいを心配させない為とかじゃなく。それも勿論あるとは思うけど…」

柚明「未だ事が終ってないから。未だ努められるから。為すべき事があるのに感情に左右
された侭では、叶う事も失敗する……これはさっき言ったかしら? 思いは内に秘め、日
々の事は淡々とこなす。その日々にも小さな喜びや成果があって、平常心で受け止めて」

桂「柚明お姉ちゃん……何か静かで強い……時折儚くて揺れて消えてしまいそうな感じも
するのに。事に臨む時のお姉ちゃんは、意志を定め覚悟を決めたお姉ちゃんは。本当に戦
に挑む様な凜とした気配が、静かで穏やかで。アカイイト本編葛ちゃんルート終盤の、完
全なオハシラ様になる時を思い出しました…」

サクヤ「柚明の強さは、烏月や真弓達の強さと質が違うんだ。あたしも巧く言えないけど、
暴風にもしなって折れない葦の様な。打ち勝つ強さ、瞬発力や突破力・攻撃力で柚明を凌
ぐ者は幾らでもいるけど。破れない強さ、持続力や立ち直り・へこたれなさで、柚明に勝
る者を、あたしは神にも鬼にも見た事がない。

 封じの要を担うに柚明以上の人材はいなかったって、作者の言葉も一理はある。そして
柚明の修練や成長が、封じの要に必要な資質を備える方向に進んだのも。柚明の元からの
性分の故なのかね。振り返ってみれば拾年前の夜を迎える為に、修練を重ねたかの様に…。

 柚明前章であたしや幼い桂が感じていた柚明の危うさ・儚さは、柚明の元からの性分に
感じた物なのかもね。平静に全てを受け止める柚明の強さは、平静に全てを受け止めてし
まうその危うさと、表裏一体の物だから…」

桂「それにしても、その強さを持っていても、お姉ちゃんの置かれた状況が、凄惨で過酷
なことに、違いはないんだけどね。本当に…」

葛「その強さの故に、柚明おねーさんの凄惨で過酷な日々は、拾年終りを迎える事がなく。
心壊れ意志が潰えて終っていれば、痛み苦しみも終っていたのでしょーけど。逆に拾年終
らなかったから、今を迎える事が出来た訳で。本当に禍福はあざなえる縄のごとしです
…」

ノゾミ「それを本当に全て受け止めて微笑む事の出来るゆめいが、私は時々怖ろしいわ」


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11.ノゾミとミカゲの蘇生と挑発@

サクヤ「主と柚明の絡みは、その辺で良いだろ? 次へ進むよ。あんたの番だよノゾミ」

桂「ノゾミちゃんがミカゲちゃんと共々、夜のご神木へご挨拶……って言うよりお姉ちゃ
んへの挑発と嘲りに、訪れるシーンだね?」

葛「拾年前に切られたノゾミさん達が、この夏に復活出来た理由を、アカイイト本編は示
していませんでしたね。サクヤさんルートで、間接的に『昔より鬼切部の力量が落ちた
(故に甦れた)』と、ノゾミさんが語っていましたが。仮にも相手は当代最強です。依代
があれば何度でも復活できるにせよ。霊体を鬼切りの霊刀で切られて尚、甦れるのです
か?」

ノゾミ「切られてないもの、と言っては誤解を招くから言い直すわ。致命傷ではなかった
から。霊体も人の形を取れば、手足や衣は痛手が小さく、脳や心臓はやはり致命傷に近い。

 柚明の章の追加設定を、私がこの時に得意げに語っているけど。拾年前の夜に、柚明前
章第4章『たいせつなひと…』終盤において、ミカゲはゆめいと、私はけいの母と対戦し
た。

 この辺りは作者も、柚明本章の換骨奪胎を睨み。アカイイト本編でけいの母が私を切っ
た情景だけ、明記のある事に着目して。ゆめいにミカゲの対戦相手を、割り振ったみたい。

 私達は幼いけい達を邪視で操り、槐の封じを解く為に、鬼が踏み込めない槐間近の結界
の奥へ行かせたけど。操られた動きは従順でも鈍く、結界の解除には多少の時間が掛るわ。
奥に踏み込めない私達は急かす事も出来ない。追手は迫っていた。幼子は簡単に止められ
る。私達は時間稼ぎというよりも、追手を葬り去る積りで、2人で迎え撃ちに出たのだけ
ど」

サクヤ「返り討ちに遭ったんだろ。柚明はともかく真弓に勝てる鬼なんて、まず居ないし。
良月に宿る鬼だと気付かれなかったから、再度の封印は免れたけど。大打撃を受けて、拾
年現身を作るどころか、郷土資料館で陳列されても、誰にも邪視を及ぼす力もなくなった
……主の封じは、破られちまったけどね…」

柚明「桂ちゃん白花ちゃんが主の封じを解いた瞬間の、開放に伴う膨大な霊圧が突風とな
って、全方向に吹き付けて。強大なその波は、霊体を吹き散らす。肉の体のないノゾミち
ゃんやミカゲには、害となる物だったけど…」

ノゾミ「偶然というか天運というか。その突風で、ゆめいの攻勢とミカゲの劣勢は吹き散
らされて。ミカゲは何とか無事に撤収できた。

 私はもっと危なくて、けいの母の止めの一撃を喰らう処だったけど。現身を解いて逃げ
る動作も間に合わない、刃の冴えだったけど。霊圧の突風で身が押され。額から真っ二つ
になる処を、肩から袈裟切り位の痛手で済んだ。

 本当に危なかったわ。それでも大痛手だったけど、拾年外に声を届かせる事も出来ない
程にされたけど……辛うじて生命を繋げた」

桂「実際ノゾミちゃんミカゲちゃんは、烏月さんルートやサクヤさんルートで、打ち倒さ
れているものね。お姉ちゃんルートと違って、依代が残っているから完全消滅ではないけ
ど、外に出た霊体の大部分をああやって喪えば」

ノゾミ「依代に根の部分が残っても『力』は僅か。私としての存在を保てたかどうか……
ゆめいるーと終盤で槐が健在でも、ゆめいが分霊の主さまと相打ちになって消失した様に。

 周囲の詛いや想いを受ければ、少しずつ依代に『力』は溜まるけど。自ら詛いや想いを
溜め直す事は殆ど叶わない。蘇りの芽は残せても、想いの殆どを喪った後で仮に甦れたと
しても、その私は元の私と同じ存在かしら?

 そもそも甦れたならの話しだけど。依代がある限り滅びない設定が絶対なら、ゆめいる
ーとでもゆめいが滅びる事はなかった筈よ」

桂「そう言えばそうです。サクヤさんルートと違って、お姉ちゃんルートでご神木は残っ
たけど。それでもお姉ちゃんが消失する結末はありました。柚明本章でそれを回避できた
のは、ノゾミちゃんが助けてくれたお陰で」

サクヤ「それじゃ、ノゾミルート回想での主の言葉『依る呪物が壊れぬ限り滅びぬ』の基
本設定に、穴が空く事になっちまうけど?」

葛「元々アカイイト本編にも、アカイイト本編とファンブックや絆の記憶の間にも、相違
や矛盾がありましたからー。作者の言う通り、ここは一番整合性のある解釈を採用するべ
きでしょー。桂おねーさんが体に傷一つなくても、暗闇の繭に囚われて死ぬバッドエンド
を迎える事がある様に。依代に傷一つなくても、霊体が致命傷を受ければ、消失する事も
ある。拾年前の先代オハシラ様の消失がそーでした。そーでなければミカゲさんは今も存
命です」

桂「そうだよね。ミカゲちゃんも柚明本章では、ノゾミちゃんと一緒に青珠に憑いてから、
お姉ちゃんに退治されたんだものね。青珠を叩き壊さない限り、死なない事になるよね」

ノゾミ「アカイイト本編の私ルートでも、良月からの力の供給をミカゲに断たれただけで、
私は消失の危機を迎えたわね。そう言えば」

サクヤ「結局拾年前の真弓は、ノゾミに消失寸前の痛手を与えていて。蘇りが叶ったのは、
主の封じが解けたという突発事態で、止めを刺されなかった僥倖のお陰って事で良いんだ
ね? ノゾミとミカゲは生き残っていたと」

柚明「久遠長文は『昔より今の鬼切部の力量が落ちた』というノゾミちゃんの言葉を、今
の鬼切部と相対した状況が喋らせた、己への鼓舞・相手への威嚇や挑発と読解した様ね」

葛「昔の鬼切部が敵対した神や鬼が伝説の大物だったので、相対した昔の鬼切部の評価が、
やや引き上げられている側面は、ありますね。作者の感覚では、現代と過去の鬼切部の間
に決定的な優劣はないと見ているよーです…」

桂「ところでさっきのサクヤさん来訪が昼で、ノゾミちゃん達の来訪が夜だけど、これは
同じ日なの? それとも何日か経ったあと?」

ノゾミ「明記はないわね。その日の夜とも読めるし、数日後とも読める。作者は、設定を
詰めすぎると矛盾を呼ぶと、『翌日』や『何日後』の明記を嫌う様ね。時系列は記載順で。
回想で戻る事はあるけど、別視点に飛んで時間軸が戻る事は余りない。その一直線過ぎる
処が、読者を飽きさせかねないと……主人公視点に徹したこの手法の弱点なのかもね…」

サクヤ「真弓の死から何日掛って、再度現身を取れたかは分らないけど。真弓の死であん
た達に掛っていた拾年前の斬劇の負荷が消え。微かでも『力』使える様になったあんた達
は、郷土資料館を訪れた小学校教諭・鹿野川智林(かのがわさともり)に良月を盗み出さ
せた。

 直前に白花が郷土資料館を訪れて、良月に邪気を感じたんだね。白花は拾年前ミカゲに
魅入られ一度繋ったから、千羽で『力』の扱いも修行したから、鬼の気配を察したらしい。

 白花は人目に付かない様に、一時的に郷土資料館を離れ。それを好機とあんた達は、傍
にいた鹿野川を強引に邪視で魅惑し。あんた達も綱渡りだった訳だ。鹿野川の血を呑んで、
現身を取れる様になってご神木へ赴いて…」

桂「切られてから拾年経っているけど、首都圏と経観塚の隔りはあるけど。お母さんの一
撃はノゾミちゃんに、効き続けていたの?」

葛「鬼切りの刃は鬼を打ち払う霊力を宿して、掠めただけで鬼を虚空に還す効果を見せま
す。ノゾミさんが滅んでいれば、その効果も消えたでしょうけど。生きていればこそ、そ
の霊体に刻まれた効果も、中々終らないのです」

ノゾミ「心理的に霊的に、与えられた打撃は、見えない軛となって残り続ける。その効果
はその場を逃れても依代に戻れても、簡単には終らない。『とらうま』という言葉を陽子
から習ったけど、もっと鮮烈ね。中々消えない。

 その効果は本人と連動している。ゆめいの蝶や私の蛇が、出した後でも私やゆめいに何
かが生じれば、揺らぐ事があるのと同じよ」

葛「鬼に限らず、軛を失えば揺れ動くという事例は、世に多いですよ? 始皇帝の存命中
は堅固に統治されていた秦帝国が、彼の死後、巨大な軍勢や統治機構が健在でも、反乱が
次々噴出し、瞬く間に滅亡に向って行った様に。

 我が国でも神話時代、天照大神が弟の所業に怒って岩戸へ引き籠もると、神々はその侭
悪神と化して、狼狽え騒ぎ禍を為して、大混乱に陥ったと……主神を失えば、健在だった
筈の神々も好き勝手に暴れる鬼や魔と同じ」

ノゾミ「鬼と神に違いなんてない。虫を人の都合で害虫と益虫に分けているのと同じよ…。

 存命し存在するだけで掣肘となる。逝去し存在を失った瞬間に、軛が外れる。そんな事
は人の世を、大小様々探せば幾らでもあるわ。

 けいの母は生命ある限り私達を制し続けた。その死でけいもけいの兄も私達も動き出し
た。作者の読みは、間違いではないわ。けいの母は生命を注いでけいを守り、けいの兄を
守り、ゆめいを守り続けていた……私達悪鬼から」


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12.ノゾミとミカゲの蘇生と挑発A

柚明「叔母さんもわたし達も拾年前、ノゾミちゃん達が、良月に宿る鬼だと知りませんで
した。良月が羽藤に預けられた時の口伝も途絶えていて。それはアカイイト本編でも同じ。

 わたし達に見抜く『力』があるのと同様に、ノゾミちゃん達にも見抜かれたくない意志
がある。想いは『力』がアカイイトの基本なの。だから、正体を知られたくないと望む者
の見極めは至難を極めるわ。力や技量に大きな隔りがあれば、相手の意志を凌ぐ事も叶う
けど、

 アカイイト本編の葛ちゃんルートとわたしルートでのみ、ノゾミちゃん達が良月に宿る
悪鬼だと分って、根本の処置を行えますが」

桂「サクヤさんルートや烏月さんルートでも、倒せているけど根本の処置には至ってない
ね。導入部ルートである烏月さんルートでは、倒せた気になっていたけど。サクヤさんル
ートでのノゾミちゃんの遺言というか捨て台詞で、本当には倒せてなかったって知りまし
た…」

葛「どーでしょーかね? あの時の烏月さんの鬼切りは、見た感じかなり良い線迄行って
いたと思いますけど……実際受けてみて、どーだったですか、ノゾミさんとしては…?」

桂「この講座の基本設定で、アカイイト本編や柚明の章で起きた事や為した事は、みんな
全部知っている筈だけど。そこ訊いちゃう? 自身が切られた感触を、切られた本人に」

ノゾミ「そんな事に応える義理はなくてよ」
サクヤ「痛い処を突かれてしまったかね?」
桂「致命傷でもそうでなくても刃は痛いよ」

葛「あの時の烏月さんは桂おねーさんと深く心重ね合わせ、最高に盛り上がっていました。
当代最強の一撃程じゃなくても、かなり良い線迄行っていたよーに、見えたのですけど」

ノゾミ「口が裂けても言うものですかっ!」

柚明「大丈夫。今ならノゾミちゃんが、烏月さんの鬼切りに切られても、わたしが復して
あげられる。わたしの癒しで、わたしの想いを流し込む事で。あなたは更にわたしに近し
く、桂ちゃんをたいせつに想う様になるわ」

ノゾミ「何か安心してはいけない様な気が……切られる事より、その先の展開の方に寒気
を感じるわ。それも悪くなく想った己にも」

桂「ノゾミちゃん少し羨ましい」尾花「…」

葛「解説を進めましょーか。ノゾミさんがミカゲさんと共に訪れた夜のご神木。外にいる
味方の存在を告げて主を励まし、柚明おねーさんの気力に打撃を与える。なので2人とも
ご神木間近の狭い結界の境界線をうろつき」

柚明「この時はわたしの未熟が浮き彫りにされてしまったわ。封じの要は在り続ける事が
目的で、嘲弄する者への応対は目的じゃない。顕れたり答えたりしてはいけなかったの
に」

サクヤ「桂と白花の話題を振られて、柚明が黙っていられる訳がない。そこは仕方ないさ。
分って仕掛けてくる主が悪質で狡猾なんだ……ミカゲもその中身は、主なんだからね…」

葛「主は戦上手です。普通に挑発しても応じない柚明おねーさんを、専用の餌で巧く引き
ずり出して。相手の要所を突いてくる、黙過できない状態に誘い招く。戦いの基本です」

桂「ノゾミちゃんとお姉ちゃんの問答が凄いです。お互いに戦意に満ちて。ご神木間近の
悪鬼を寄せ付けない結界と、双方力不足という状況がなければ、凄まじい戦いになってい
たって分る険悪さ、敵対ぶりです。ここから今の仲良しな状況は、想像つかないです…」

サクヤ「自由こそ求め願う幸せとして渇仰し、大切な主の解き放ちに注ぐノゾミ・ミカゲ
と。己の自由より大切な人の幸せを求め願い、己も己の自由も捧げて主の自由を封じ奪う
柚明。この時はお互い1ミリも譲れない状態かね」

葛「ノゾミさんもミカゲさんも、主を解き放つには力不足で、ご神木間近の結界に踏み入
る事も出来ず。解き放ちたい主を目前にしてどーにも出来ない、苛立ちの極みにあって…。

 柚明おねーさんも、ノゾミさん達を打ち払うには力不足で、ご神木の外へと出る事も出
来ず。拾年前の禍を起こした仇を目前にしてどーにも出来ない、苛立ちの極みにあって…。

 双方力量不足な故の、千日手状態ですね」

ノゾミ「この時は私以上にミカゲがゆめいに執心で。換骨奪胎の余波だけど、ミカゲは拾
年前の夜、ゆめいに後れを取った事に、恨みと憤怒を抱き続け。普段は私の後ろを固める
役なのに、珍しく前面に出て。私抜きでゆめいの敵を担う、この後の展開の布石なのね」

サクヤ「ノゾミが口論の勢いで、『桂の血を呑んで力を増して封じを解く』と言った事に、
柚明が憤激し。ご神木から封じの力を吸い上げて、ノゾミ達に一撃を放つ。姫様もかつて、
蝶の形で分身(わけみ)を外界に現に飛ばした事はあったけど……攻撃に使ったのは柚明
が、この時が千年で初めてだって、作者が」

葛「作者曰く『段階を踏んで柚明をご神木の外へ顕現させていく』。かつて誰かが行って
いた事を踏襲しつつ、徐々に大きく確かにし。最後は誰も踏み越えた事のない未踏の領域
へ。柚明おねーさんの危機感や憤激を触媒にして。

 まともな状態では、オハシラ様は顕れてもいけないとご存じなので、感情的にさせねば
なりませんが。心柔らかで忍耐力強く思慮深い人なので。何でその心を揺らすかと言えば、
一番たいせつな人への危害・危難しかないと。

 逆に言えばノゾミさん達の挑発は、柚明おねーさんに段階を踏ませ、徐々に外界へと導
いていた。狡猾な様で失敗なのか。柚明おねーさんをご神木の外へ引きずり出す事自体が、
主の封じを不安定化させる成果と考えたのか。この辺りはノゾミさんというより、ミカゲ
さんと柚明おねーさんの駆け引きでもあり…」

作者メモ「いきなりさかき旅館で悪鬼に襲われる桂を視て、その時点から現身を取って馳
せ参じ戦い守るのは、簡単ではないと言う以上にハードルが高すぎる。準備が不足すぎる。

 作品の先で、柚明がさかき旅館に現れ桂を戦い守る展開がある以上、そこに円滑に繋ぐ
には、ここでその中間・前段を描いておくと。

 この時点では、儚い薄い現身をご神木間近の結界内で作り。ミカゲやノゾミを攻撃でき
る可能性を示しておけば、充分と考え……」

ノゾミ「ミカゲも私も、ゆめいが封じの力を転用して、攻撃してくるとは思ってなかった。
手の届かない外から責め苛んで、ゆめいの苛立ちや焦りを呼んで、主さまの封じが少しで
も揺らげばって……ゆめいが外に顕れるとか攻撃してくるとかは、想定してなかったわ…。

 今は千日手でも、槐に縛られこれ以上力を増す術のないゆめいより、外で自由に人を襲
って血を呑んで力を増せる私達が優位だから、ここで決着しようなんて思ってなかったし
……ゆめいはここで決着したかったのかもね」

葛「流石にそんな簡単に、決着できるとは思ってなかったでしょーけど。この後彼女達は
迂闊にご神木に近づけなくなった。元々ご神木間近の結界には入り込めませんでしたけど、
その周縁にも顕れなくなって。敵や禍と言う物は、叶う限り遠ざけるべき。サッカーでも、
ゴール前にボールが在れば、常に失点の怖れがあると聞きます……ノゾミさんミカゲさん
はこの時確かに怯んでいました。柚明おねーさんの狙いは、むしろ威嚇にあったのでは?

 正直それ以上は戦力的に無理というよりも、百戦錬磨の悪鬼相手にあの戦力で威嚇でき
た事が、出来過ぎな成果だと思いますけどね」

サクヤ「一念の強さは戦理や法則を超える事もあるんだよ。不利も劣勢も、跳ね返せれば
形勢が変る。主の分霊であるミカゲも、理屈を超えた激情にはたじろいだって処かねえ」


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


13.無茶の代償と窮乏からの希望

葛「ノゾミさん達が引き上げた後、現身を取り攻撃に力を費やした代償が、柚明おねーさ
んを襲います。鬼の姉妹に気付かれなくて幸いだった、引き上げてくれて助かったと…」

ノゾミ「余り違いはないわ。ゆめいが悶え苦しむのは槐の中の事で。結界は揺らいでない。
悶え苦しむゆめいを嘲る位は出来たでしょうけど、結局そこに私達は付け込めないもの」

桂「力の転用に伴うお姉ちゃんへのご神木の代償が酷いよ。ミカゲちゃん達はご神木の封
じを壊しに来たのに、それを退ける行いなのに……横取りされた『力』を取り戻す為でも、
ご神木を守ったお姉ちゃんから力を吸い上げて、苦しめ弱らせ、存在を危うくさせて…」

柚明「桂ちゃん、わたしは大丈夫だから安心して……ご神木に心や考える機能はないから、
この様に反応してしまうのはやむを得ないの。

 わたしが先に封じの力を勝手に使い込んだ。それは返さなければならない。わたしに差
し出す力があればいいのだけど、攻撃に使った分は取り戻せないし、肉の体を喪ったわた
しに自身の生命力はなくて。あるのは想いの力だけ。だから心を吸い上げられたのだけど
…。

 でも大丈夫よ。白花ちゃんはわたしの様な酷い目には遭わないわ。彼がわたしの様な無
理をしなくて済む様に、葛ちゃんに頼んで周囲の状況を整えて貰ったし。この時の苦痛は、
今ここにわたしがいる事で分る様に、何とか乗り切れた。この後も何度か自分の選択で痛
み苦しみは負ったけど、それは全て納得づくで為した事だから。ご神木の所為ではないの。
そしてご神木が生きる力を欲するのは当然よ。再度わたしがオハシラ様になる事でも生じ
ない限り、あなたを心配させる事はないから」

葛「柚明おねーさんの否定が微妙な表現なのは、白花さんに代ってオハシラ様に戻る選択
が、この先にもあるとの……もが、もがが」

サクヤ「しっ。余計な事をお言いでないよ」

ノゾミ「その懸念は、万が一にもけいに聞かれぬ様、心の内だけの呟きに止めなさいな」

サクヤ「例え柚明に抱き留められ、柔らかな語感や肌触りに流されて、取っ掛りを掴みに
くい状態だとしても……桂は時々聡いんだ」

ノゾミ「ゆめいがけいの兄に抱く想いも尋常ではないから。そこに分け入ったら、講座の
中断どころの騒ぎではなくてよ。分って?」

葛「わか、わかりまひ……く、苦しい…!」

(桂は柚明に溺れて葛達の動きに気付かず)

桂「体中の気力を吸い取られ、肉の体がないから、想いだけの存在が想いを吸い取られる
事は、消滅に繋っていて。この時は攻撃に使った力が少しだったから、代償も小さくて済
んだけど……魂が、想いまでが消えかけ…」

柚明「心配させてごめんなさい、桂ちゃん」

葛「大丈夫です桂おねーさん。柚明おねーさんが無理するのは、たいせつな人を守る時で。
そうでなければ柚明おねーさんは好んで禍に近寄る愚者ではありません。お2人の無事は
若杉が請け負いますから、心配無用です…」

ノゾミ「無駄よ、鬼切りの頭。けいはゆめいに縋って、肌身で今の無事を納得したいだけ。
理屈で今後の無事を分りたい訳ではないもの。理屈ならゆめいが既に語った通り。けいが
今欲しいのは、ゆめいの答と肌身なのだから」

サクヤ「葛は分って妨げているんだよノゾミ、羨ましさを進行の促しに紛らせて。抛って
おくと、桂と柚明は四六時中くっついているから……って、桂と柚明がくっついてない時
は、あんたが桂か柚明にくっついているんだっけ……どうやら桂と柚明の睦み合いをスル
ーする能力が、同居してから付加され始めたね」

ノゾミ「けいとゆめいは年中どこでも、隙さえあればいちゃいちゃを始めるから。そうね、
最初は即座に妨げに入っていたけど……最近は自然と暫く見過ごす様になってきたわね」

葛「誰にどの様に馴らされ感化されているのか分らないですが、悪い方向ではない気がし
ます。いー方向かと問われると微妙ですが」

柚明「桂ちゃんが落ち着いたので、続きを始めましょう……心配させてごめんなさい。柚
明本章のわたしは、緊急事態の連続で何度も無理を為したから、代償や反動も多くきつか
ったけど。先代はわたしと違って賢明な方だったので、無謀な力の流用は殆どしてなくて。

『柚明の章で描かれた様な状態には、なっていません』と、作者メモが届いています…」

サクヤ「済まないね、一番きつい体験を経たあんたに、気遣い迄させて。でも、有り難う。
その心遣いが嬉しいよ……姫様が余り苦しんでなかったと分って、心が少し、軽くなった。

 それと柚明はもう、無理をしないでおくれ。あたしには、千年の間姫様も殆ど為さなか
った無茶を、平然と踏み破るあんたが危なっかしく見えて堪らない……終った事はともか
く、今後はもう。あたしや烏月や、ノゾミも居る。あんた独りが危難を被る必要はないん
だ…」

柚明「……サクヤさん、嬉しい。わたし…」

桂「それでは、解説を再開します。葛ちゃんノゾミちゃん柚明お姉ちゃん、尾花ちゃんに
サクヤさん……随分道草しちゃいましたっ」

柚明「はい。始めます」サクヤ「了解了解」

ノゾミ「けいは、意図してなのかしら……? 観月の娘とゆめいの濃い恋い空気を察し」

葛「意図なくこのタイミングは通常ないですけど、空気を読まず断ち切る事もある人です
から、何とも言えませんね桂おねーさんは」

サクヤ「柚明は全くの孤独にいる訳じゃない……でもこの時は、むしろ独りの方が良かっ
たのかね。敵である主と同居って状況設定は、こう言う時に更にきつく厳しい状況を招
く」

桂「お姉ちゃんの苦しい時に困った時に主が、わざわざ虐げて来て。酷いよ。仲良しを望
めないのは分るけど、それでも拾年で初めての、ご神木に想いを力を生命を吸い取られる
この緊急事態の最中に、仕掛けてくるなんて!」

柚明「桂ちゃん落ち着いて。相手の弱点や隙に付け込むのは戦いの基本なの。主とわたし
はこの拾年間、敵対関係だった。常に戦い続けていた訳ではなく、時に語らう事や不干渉
な時期もあったけど、約束や保証は何もない。何れかが戦いを望めば、ご神木の中に逃げ
場はないから、再開されてしまうのは理の必然。

 みなさんにも心配をさせて、ごめんなさい。この時はわたしも考えもなしに行ってしま
ったので……今後は良く考えて無茶をします」

葛「良く考えて為す無茶って凄いですけど」

ノゾミ「けいの為なら無茶をするのは、ゆめいの前提なのね……確かにこの後のゆめいは、
考え抜いた末に無茶を幾度も為しているわ」

サクヤ「ああ、そうだよ。結局柚明は桂と白花の為になら、無茶を踏み越えちまうんだ…。

 あたし達に出来るのは、柚明が無茶しなくて良い様に、桂の守りを万全にする位かねえ。
実際この後も柚明の無茶のお陰で、桂は紙一重で守られる訳だから、あたし達では手が及
ばなかった訳だから、責めようがないのさ」

柚明「それに、主は必ずしもわたしへの憎悪や敵意だけで、この所作を為した訳じゃない。
主はこの拾年間、わたしを踏み躙り砕き挽き潰し続けて、最後迄そうだったけど。その所
作に込める想いは徐々に変容している。実際に為されたわたしも後で、分ったのだけど」

桂「そこはわたし……ちょっと触れるのが」

ノゾミ「主さまは性交と戦いと虐待を、拾年分けずにゆめいに為していたけど。この時は
それ以上に、ゆめいに力を叩き込む事でゆめいの不足した力を補おうと、賦活しようと」

葛「原初は全てが未分化と言いますが……逆に言えば全てを重ね合わせる事も叶う訳で」

サクヤ「ここにいたなら、例え助けになったとしても、例えそれが柚明を救ったとしてさ
えも、一発ならずぶん殴ってやる処だけど」

葛「愛する事が破壊となり、虐げる事が一面で賦活になる。鬼神の……神と鬼の両面は分
かち難く結びついていて、人知では図り難い。こういう主だから、例え愛するに至っても
解き放つ訳に行かないと、竹林の姫も柚明おねーさんも結論づけた。そして柚明おねーさ
んの意志を踏み躙って為されるから、その益になったとしても、味方したとはならないと
…。

 拾年の間に話しが通じ、為人が分り始めて、主はもう単純な敵ではなくなっていた。こ
の辺の描写も、後々の展開を見据えてなのでしょー。更に言えば、鬼神と柚明おねーさん
が心通わせる展開は、桂おねーさんとノゾミさんが心通わせる展開の、布石でもありま
す」

ノゾミ「主さまは、敵であり自身を封じるゆめいに慈悲を掛けた。主さまもゆめいの無謀
に少なからず驚いたのね。自らの無茶の代償に、息も絶え絶えな姿を間近で見て……つい
手を差し伸べてしまった、と言う処かしら」

葛「千年以上前、ノゾミさんを拾って鬼の生命を与えたのも、主の気紛れと慈悲でしたね。
決して悪なだけの存在ではない。でも人の世にいては禍となってしまう巨大な存在……そ
れがこの時は偶々柚明おねーさんの助けに」

桂「お姉ちゃんが生き延びる為に、この今に繋る為に必要な課程だって……分っていても。
お姉ちゃんの霊体を挽き潰したり、手足もぎ取り食いちぎったり、血塗れになって肉や骨
が飛ぶ様は、凄惨で見ていられないよぉ…」

柚明「ごめんなさい、桂ちゃん。ここはちょっと過酷さが直接的すぎるから、早めに読み
進みましょう……事実だからと言って全てを克明に見つめる必要はないの。わたしも、た
いせつな人がこういう目に遭う様子を視ると、きっと心平静ではいられないと思うから
…」

サクヤ「いや、ここ迄読み進めた以上、この段は最後迄行った方が良い。主との交わりが
終った後、柚明は主の前で成就の笑みを浮べるんだ。それは、内に閉じ籠もるべきオハシ
ラ様が、外界に何かを及ぼす事が出来るとの。たいせつなひとを守りたい思いが、激情に
近い迄に堪れば、ご神木の外へ出て行けるとの。桂を守りに行ける感触を掴めた満足の笑
み…。

 凄絶だけど、憤激から嵌った失敗を苗床に成果を掴み取れる、希望を見いだせる柚明の
底知れぬ心の強さ、柔軟さ賢さに、あたしも身震いしたよ。主がたじろぐ気持も分るね」

葛「確かに。自身の消失の危機を窮乏を・悶え苦しみを、それを経れば突き抜ければ代償
を払えば、欲した成果に届く掴めると捉える事の出来る、柚明おねーさんはとんでもない。

 悔いと希望、危難と成果は表裏一体……得れば喪うと見るのではなく、何かと引替に掴
める物があると。この在り方や発想は、むしろ鬼や神のそれに近いかも知れませんね…」

ノゾミ「主さまは、柚明のそう言う突き抜けた処を、好んでおられたのかも知れないわね。
敵味方を超えて、己の在り方生き方を貫き通す姿勢は、視る者の背筋をゾクゾクさせる」

桂「そこ迄してわたしを守ろうとしてくれた。わたしが何も知らず忘れ去った拾年の後に
……でも、その『そこ迄しなくて良いと思える程の強い想い』が。逆に柚明お姉ちゃんの
正気を繋ぎ止め、心壊れる事を防ぎ食い止めたのなら、この今に繋ったのなら……わたし
は、もう読み進むしかないです。『もう諦めて楽になって』とも『もう少しだから頑張っ
て』とも言えません。今は唯、全ての経緯のその果てに、こうしてここに居てくれる事に
感謝して、肌身添わせる他に何も出来ないです」


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14.柚明の章は奇跡を好みません

サクヤ「実際あたしも、そう想ったりしたよ。桂を守り通せた上で肉の体を取り戻し、人
の世にこうして戻って来た今だから言えるけど。終り良ければ全てよしで済ませられる程
甘い過去じゃないからね、柚明のこの拾年余りは。

 桂が柚明に抱いた印象は、柚明間章で真弓が白花について語った状況に似ている。あの
時真弓は現在進行形だったけど、今の桂は過去の事として語れる、その違いが救いな位で。

『もう全て諦めて楽になって良いんだよ』と、何度喉から出かけたか。でも、あたしが真
弓が誰が何を言おうとも、桂と白花を想うあんたが、オハシラ様の使命を投げだす事はな
い。当の桂や白花が『もう止めて』と言ってもね。返される想いを求めないのが柚明の愛
だから。愛される当事者の願いも、時に受け付けない。

 そしてその末にこの今を掴み取った。あんただけの力ではなかったけど、あんたが居な
ければ絶対掴み取れなかったこの今を。こうなってみれば、諦めずあの過酷な辛苦に耐え
抜いた事が、良かったと言えなくもないけど。

 こうなると分っていても、必ず道が開けると視えていてさえも。あの時点で『頑張れ』
とも『楽になれ』とも言いようがないよ…」

葛「だからなのかも知れませんねー。桂おねーさんが、何かあれば、いえ、何もなくても
柚明おねーさんに、肌身を添わせたがるのは。おかーさんを喪ったばかりの人肌寂しさよ
り。むしろこの今が本当なのか、毎分毎秒肌身で確認していないと、不安で堪らないので
は?

 この経緯を振り返れば、何度生命を落していてもおかしくない。この今は正に奇跡…」

柚明「久遠長文は根拠のない奇跡を厭います。敵でも味方でも、登場人物の努力や想いや
全ての所作を、奇跡の一言で掌返しする展開は、理不尽に過ぎる上に、説得力を付けがた
いと。原作者の麓川さんも、アカイイト本編でも事情や背景のない奇跡の濫用は、してい
ません。

 故に奇跡の様な絶妙な展開にも、久遠長文は相応の背景や理由や経緯を求めたがります。
わたしがそれを満たせたかどうかに自信はないけど……むしろ桂ちゃんやサクヤさん達に、
助けられた展開が多かった気もするけど……。作者は『人知を越えた奇跡』ではなく、
『人事を尽くした到達点』が、何かの作用で望ましい結末になれれば、と考えている様で
す」

葛「柚明の章の作者は主人公にも遠慮ないですから……この辺はもう少し、アカイイトの
原作者・麓川氏に倣って欲しかったですね」

ノゾミ「私は余り相違がない気もするけど?

 アカイイト本編でも、操の危機こそなかったけど、けいもゆめいも他のひろいんも、か
なり酷い目・バッドエンドに遭わされていた。

 ……逆に久遠長文は、凄惨な状況を描きつつ、妙な日常感覚や一縷の希望も描いている。
悲嘆の底に落ちてしまえば、もうそれ以上の悲嘆を描けない『書き手側の事情』かも知れ
ないけど。落ちて終りじゃない。魂が死なない以上はその先がある。その奇妙な現実感覚
がゆめいの甘さ鈍さと相まって、全く希望の欠片もない絶望の先を、淡々と描き続け…」

柚明「様々色々あったけど、結局主と拾年過ごせたから。ご神木の封じの中という特殊状
況のお陰だけど、その歳月の多くは、全く希望のない闇、という訳でもなかったと思うの。

 人は生きる上で、何らかの縛りや不自由を泳ぎ進む者よ。制約のない人生はあり得ない。
特にわたしは譲れない想いを届かせた代償だもの。願いは既に叶えられている。欲を言い
出せばきりがない。でもこの時は、その欲が出てしまって。愛しい人を守る為に望んで受
けたオハシラ様の使命を軽んじる愚行を……結局、わたしも諦めのつかない凡夫の1人」

サクヤ「その妄執や未練が桂の生命を繋ぐ今に導いたのなら、あたしはそれに感謝するよ。
人間は時折、どうやっても叶わない夢想を現実にしてしまえる事がある。願いは何でも叶
えれば良いって訳じゃないけど、この願いだけは叶えて幸いだったと、あたしは想うね」

桂「わたしもそう思います。アカイイト本編のサクヤさんルート終盤で、わたしも主に刃
を向けて逆らったし……ほとんど戦力になれなかったけど……諦めのなさは一面で、人の
強さや進歩の原動力でもあると聞きました」

ノゾミ「それを貫ける者が、本当に希少な事も事実だけど……それを貫けて尚願いに届い
た者は更に僅少で。ゆめいは元々の願い以上の成果を得ているのだから、神話級の希少さ
だけど……まぁいいわ。続けて頂戴、ゆめい。実は、後ろがつっかえているのでしょ
う?」

柚明「ええ……当初は作者もこの解説を、柚明前章の解説の倍位の分量と、想定していた
様だけど、既にここ迄来て、未だ冒頭なので。3倍に修正した様ね。拾年前と違って、桂
ちゃんの経験や印象が生々しい事と、解説する話しの分量が長い事。ゲストさんが複数来
てくれて、掛け合いの幅が色々広がった事で……これは久遠長文にも想定外だった様で
す」

葛「解説はまだ柚明本章第一章の冒頭、五分の壱に達したかどーかですからね。話しが本
格的に動き出す前の、前振りみたいな処です。敵味方の顔合わせも終ってない……敵方は
終っていますが、烏月さんとわたしが未登場で。特に烏月さんがノゾミさん達と顔合わせ
した処迄行ってないですから。この先解説がどこ迄伸びてしまうのか、少しだけ気懸りで
す」

サクヤ「そんなの、いつもの事じゃないかい。描きたい事が多すぎるのか、適切に纏める
表現力が不足なのか。……幸い、この解説は柚明本章の第一章、最初だから。柚明本章の
解説はこの分量ですって、決め直しが効き易い。最後迄付き合ってやるから、あたし達の
今もしっかりを描きつつ解説を進めておくれよ」

葛「この後はいよいよ桂おねーさんも登場しますし、アカイイト本編の読者みなさんもご
存じな情景が描かれます。本当の始動です」


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15.ノゾミミカゲとユメイの神経戦

ノゾミ「作者はアカイイト本編の場面を、使える処は表現ごと抜き出して使っているわね。
こぴぺとも言えるけど、けい視点も使う以上、アカイイト本編と違う表記は違和感がある
し。ゆめい視点で表記する手もあったけど、アカイイト本編の読者が馴染んだ表現を、敢
て残したいとの意向だったと、聞いているわ…」

桂「わたしの感覚や気持が、ずっと晒されている訳で、ちょっと恥ずかしい感じもします。
これはアカイイト本編からそうなんだけど」

サクヤ「まぁ良いじゃないか。ここではみんな、互いのルートで見せた本心や背景事情を、
全て承知し合っている前提だから。恥部や醜態を晒し合っているのはお互い様って事で」

柚明「だからこそみなさんの強さ優しさ賢さ愛おしさが、強く深く感じられます。己の未
熟には今後も恥じらいを拭えないですけど」

サクヤ「二次創作を、作中人物達に更に解説させようなんて試みだからね。色々あるさ…。

 結局、柚明は奇跡への切符を手にしたというより、その時刻表を手にした程度の感じで、
前振りはお終い。現身を作って桂を助けに行ける可能性が見えた位で、未だ現身を作った
訳でもない辺りで、いよいよ話しが動き出す。経観塚へ向かう列車で微睡んだ桂が、夕刻
夢の中で記憶を手繰ろうとする情景に移り…」

葛「アカイイト本編ではプロローグでしたね。何がどう後に繋るのか、何度も見つめ返し
た頃を思い出します。麓川氏は読者を誤誘導する事にかけては、鬼の様な才覚をお持ち
で」

ノゾミ「全てを知った今から見直してもあざといわ。読者共々、けいが誤った思い込みを
抱かされた背景が分る……詐欺に近いわよ」

桂「ここからだね。わたしの夢、というより、わたしがノゾミちゃん達に視せられた夢…
…忘れ去ったあの夜を辿りつつ、『夢の先に行ってはいけない』『思い出そうとしない
で』って拒む声が聞えて……それはわたし自身の赤い痛みを避けたい内なる声であると同
時に、柚明お姉ちゃんのわたしを想う故に拒む声」

柚明「わたしの声が届けば、例え忘れ去っていても、かつてわたしを好んでくれた桂ちゃ
んは、無意識にわたしを求めるかも知れない。拒み隔てる所作が、逆に誘い招く事になり
かねない。それが悪夢や痛みを蘇らせる事にも。

 その怖れを分りつつも、この夢は唯の記憶の残滓ではないから。鬼が桂ちゃんの反応を
誘う為に、過去の桂ちゃんとの関りから選び、その前に広げた餌で罠だから。放置すれば
必ず桂ちゃんは反応して、見つかってしまう」

サクヤ「ノゾミ達より先に桂の反応が微かな段階で、桂を特定し語りかけ、反応を返さな
い様に導かなければならなかった訳だ。陽の弱まる夕刻に夢の無意識への力の行使だから、
無理はやや少ないけど。術の精緻さ繊細さ以上に、桂との関りが深くて良く馴染んだ柚明
だから可能な、離れ業だったって設定だよ」

葛「柚明おねーさんの感応が届く範囲に、桂おねーさんが近付いて来ていたので。柚明お
ねーさんは桂おねーさんの感覚や気持を分る。だから、桂おねーさんの経験も、柚明おね
ーさん視点を貫きつつ記述出来る、でしたね」

ノゾミ「アカイイト本編の設定では血に心が宿るから、血を呑まれる事でけいは血を呑ん
だ相手と心が繋って、相手の夢と繋り相手の過去を知る事が叶っている。私や観月の娘も。

 鬼切り役るーとでは、深傷を負ったけいの魂が傍にいた兄の体へ避難して、兄の視点で
兄から鬼切り役への奥義伝授に、立ち会った。

 拾年前以前からゆめいは感応や関知など諸々の力を持っていた。経観塚にも着いてない
この距離で、それが届いたのは驚きだけど」

サクヤ「あんた達の広げた悪夢が、桂に届いていた事と較べ合わせれば、無理ではないさ。
アカイイト本編のユメイルートでも、日没前にあんた達が現身で羽様の森に顕れて、桂を
襲っていたしね。この時はあんた達の夢も柚明の所作も、夕刻という以上に、桂が眠りの
底に居て無防備だったから届いた訳だけど」

柚明「作者の設定を述べておきますと。ご神木に宿るわたしは、オハシラ様の能力・性質
として、ご神木を取り巻く広い結界内の気配の動きを、概ね察する事が叶います。これは
アカイイト本編に準拠した作者追加設定です。

 この結界は、ご神木を中心に半径数十キロ、経観塚を少しはみ出した辺り迄広がってい
て、その中では桂ちゃん程濃い贄の血の持ち主も、その存在を鬼に知られる怖れはなくな
ります。

 また人払いの効用もあって、意志の弱い人や日頃羽様・ご神木を訪れてない人は、別の
用を思い出す等無意識に、通り過ぎたり引き返したり、行き着けない確率が高まります」

サクヤ「アカイイト本編で見せる柚明の力は、他のSS書き手によるとご神木の力で。オ
ハシラ様を辞めた柚明は、アカイイト本編の用語辞典『羽藤柚明』に明記された贄の血の
匂いを隠す能力しかない、との設定が多いけど。

 柚明の章の柚明は、肉の体を戻した後も治癒の力や、アカイイト本編に明記のない関知
や感応の力を、ほぼその侭使えている様だね。

 久遠長文は、オハシラ様の能力は宿った姫様の能力で。贄の血を引く笑子さんも柚明も、
桂も白花もその素養を宿し。柚明は羽様で育った年月で、力の扱いを修練していたと…」

ノゾミ「鬼切部の許諾を得て、私を素人のけいの傍で青珠に宿して生かすのよ……ゆめい
に私を掣肘する技量がなければ、許される筈がない。流石に鬼切部もそこ迄甘くないわ」

葛「そーですね……夏の経観塚で、烏月さんやわたしに贄の民の事情を知られた柚明の章
の展開では、例え桂おねーさんがわたし達に隠してノゾミさんを連れ帰っても、隠し通せ
はしない。見つかって切られるか、封じられるか。悪くすれば桂おねーさんが危うかった。

 アカイイト本編のノゾミさんルート末尾は、桂おねーさんと日々を過ごすノゾミさんが
描かれてますけど……鬼切部の許諾もなく、ノゾミさんを掣肘する者がいないあの状態は
長く続かず、鬼切部の介入で断ち切られるというのが作者の予測で、わたしも同意見で
す」

桂「危なかったんだね。ノゾミちゃん……」

サクヤ「元々敵方だったんだ。羽藤から見て仇と言って好い、非道を繰り返した悪鬼だっ
たんだ。僅かな仏心と勢いで桂を守り庇って、桂が絆されて今に至ったけど。後日譚の懸
念の一つは、ノゾミを封じもせず青珠に宿らせ、人の世で桂と共に暮らす事にあったんだ
よ」

柚明「話しの焦点が逸れてきたので、本筋に戻します。オハシラ様だったわたしの能力や
性質を語っていた筈が。拾年前以前や人の身を戻した後との、比較になってしまって…」

桂「そうでした。作者さんは、霊体で顕れたアカイイト本編のお姉ちゃんだけじゃなくて、
拾年前以前から描くから。アカイイト本編のみを見て設定する人とは、少し違う様です」

サクヤ「加えて真弓やあたしが傍にいた以上、羽様で育つ間に剣術体術も一通り修めてい
て自然だと。両親を鬼に殺められた事や、桂程じゃなくても贄の血は濃い。護身以上に桂
や白花を守れる技量を望むのは当然で。むしろ正樹を全くの素人で通す方に設定が要る
と」

ノゾミ「生育環境を考えれば、妥当な処ね」

桂「作者さんはこの柚明お姉ちゃんの性能を、『ちょっと優秀すぎかな』と感じつつ。田
舎で隣家が十キロ以上離れていて、子供時代にお友達との行き来が少なかった事情を考慮
し、修練の時間・伝授の状況は充分あったとして。良い師匠が傍にいれば、才覚は凡庸で
も時間と意志があれば、達人迄は修練が届きますと。

 中学校に入る頃から、関知や感応の深化で、コツの掴み方や物事の肝要を悟れる様にな
り、習得の効率が上がったと。関知や感応の力は作者さんの追加設定だけど、アカイイト
本編で描かれた夢に入り込める力の延長です…」

葛「遠くで起きた事や過去に起きた事・未来に起きそうな事など、関連する事柄を見通す
事の出来る関知の力。相手が何を感じ思っているか、物に込められた想い、場に残留した
想いなどを悟る事の出来る感応の力。視角に限らず聴覚や匂い・肌触りや味も分ると聞き
ますけど……それらも行使する際には、集中力や想いの力・体力を使うのですか……?」

柚明「視たり聞いたり受ける方は、こちらから届かせる所作に較べて、比較的負担が少な
いの。それでも根を詰めれば負担は増すけど。ご神木に宿って以降のわたしは、それら
『受ける能力』に磨きが掛って……大地から養分を吸収し、陽光や雨水を受ける樹木の性
質が、受ける能力の洗練・深化に影響したと思うの。

 視る事聞く事はご神木に居ても為せるけど。遠くなれば雑音が混じるから、集中し感度
を上げても、分りにくくなるわ。唯ご神木の中で為すから、消滅に繋る程大きな力の消費
はないの。でも、外に力を及ぼす事は難しくて。

 陽光も弱まる夕刻は、外へ力を及ぼす事も多少叶うけど。羽様から森伝いに伸びた影か
ら影へ、結界の端迄なら、力を届かせられる。その極限に挑んだ感じね。それでも人の無
意識に多少響く位で、物を動かす程の力はなく。

 人は起きている間、呼吸の様に自然に自身を自身と認識し、他者との間に心の壁を作る。
その僅かな壁を破る力が、日没前はわたしにもノゾミちゃん達にもなくて。認識もされず。
術者や霊能者は、その壁に当たる微弱な感触を察して、霊的な物の存在を感じ取るの…」

ノゾミ「私達は反応を確かめれば良かったの。血の匂いを辿れない経観塚だから、私達と
けい達が共有する拾年前の記憶を餌に。けいやその兄の過去で私達が知っているのは、あ
の夜しかないから、他に選べる餌はなかったの。

 釣り上げに成功すれば、感触を確かめれば、位置の把握は大雑把で良い。夜にその辺に
赴いて虱潰しに探すだけ。けいと兄の到来は私達、と言うよりミカゲが関知していた。日
没前に罠を張ってみようと言い出したのもミカゲよ。ミカゲの狙いは兄の方だったみたい
…。

 けいの兄が多少でも力を修練しているなら、術者や霊能者の様に、私達の力を感じ取れ
る。感じ取って敵意や拒絶、動揺や驚きを返してくれれば。修行しているなら、心を鎖し
て無反応が正解の応対だけど……逆に警戒すべき夜を迎える直前なら、油断している可能
性も。

 眠ってでもいない限り、届いても気付かれない微弱な力よ。素人の小娘が、居眠りで夢
の中で反応しかけていたなんて、想定外で」

桂「何か褒められてない気がするのですが」


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


16.桂の感触・覚悟定め@

サクヤ「修練された者の、夜を前にした一瞬の油断を突く狙いだったのに。まさか夕刻既
に居眠りに入って、危うく引っ掛りそうだった娘がいたなんて、そりゃ鬼にも想定外だよ。

 白花は油断なく心を鎖していたから無反応で。だから逆に柚明もその所在を掴めないで。
桂は釣り針に食い付く前の、つんつん突ついて反応を伺う段階で、柚明が先に特定できて。
しかも鬼の姉妹に気付かれぬ侭に。その上陽子の電話が桂を起こしたから、罠は空振り」

ノゾミ「本当に何が幸いするかは、分らない。けいが列車の中でヨダレを垂らして居眠り
する娘だと知っていれば。もう一度罠を巡らせ、十分後にはけいを釣り上げていたものを
……尤もこの夜旅館に泊って眠りについたけいを、私達は釣り上げに成功しているのだけ
どっ」

桂「ヨダレなんか垂らしてないょぉ! あれは陽子ちゃんがわたしに仕掛けた冤罪で…」

ノゾミ「陽子に言われただけで、疑念も抱かず慌てて口元を拭う辺り、常日頃からヨダレ
を垂らして居眠りしている証左ではなくて?

 ゆめい、拾年前のけいはどうだったか、この場で晒して頂けると真実も分るのだけど」

桂「それ反則ぅ。拾年前のわたしって幼いし……柚明お姉ちゃんそこ答えちゃダメぇ!」

葛「ヨダレを垂らして居眠りする桂おねーさんも、嫌いではないです。今でも拾年前でも
無防備な信頼感は、庇護欲を掻き立てます」

柚明「桂ちゃんは、いつでも可愛いから…」
サクヤ「どっちでも良いけど、先へ進むよ」

葛「結局この時のやり取りでは、柚明おねーさんはノゾミさん達に気付かれず、桂おねー
さんの所在を特定できて。ノゾミさん達が桂おねーさんの所在を特定する前に、陽子さん
の電話で桂おねーさんは目覚めてしまい。ノゾミさん達の悪夢の罠は空振りに終ったと」

ノゾミ「ゆめいは余程巧くやったのね。ゆめいが私達の罠に便乗し、けいを先に特定し反
応しない様に導く怖れは、私達も感じていた。でも、私もミカゲもこの夕刻時点では、ゆ
めいの介入を感じ取れなかった。私達にも悟られずに力を行使するのは、並大抵ではない
わ。ゆめいは私達の力の行使を察しているでしょ。してやられた訳だけど……力の扱いの
繊細さ精緻さでは、ゆめいはミカゲより上かしらね。

 私達はゆめいの介入があれば、けいやその兄を釣り上げる要素が増すと、逆に待ち構え
る姿勢だったけど……だから私達の力の行使は秘匿も厳重ではなかったけど。ゆめいはけ
いの探索もその夢を導く事も、私達に悟られぬ様に為さねばならない。かなりの難事よ」

柚明「わたしは桂ちゃんと一緒に暮らしていたから。馴染んでいれば微かな感触にも気付
き易いわ。でも、この時は何とか凌げたけど、桂ちゃんがさかき旅館に泊ったこの日の夜
に、ノゾミちゃん達に所在を知られてしまって」

サクヤ「それは無理ゲーって奴だよ。桂が経観塚を通り過ぎる最中とか、遠ざかる際とか
の一時凌ぎならともかく。桂の目的地は羽様の屋敷で、しかも過去を思い返そうと訪れた。
ノゾミミカゲが夢を広げれば、幾ら柚明の技が優れて桂と関りが密でも、防ぎようがない。
桂は危険を知らないし、思い出したく願っている。好奇心は猫以外をも殺しちまうのさ」

柚明「この時もわたしは桂ちゃんを特定できただけ、声を届かせただけで何も出来てない。
桂ちゃんを救ったのは陽子ちゃんの電話よ」

葛「陽子さんが良いポイントで登場してます。

 作者によると陽子さんは、アカイイトにおける『桂おねーさんの平穏な日常の象徴』だ
そーです。登場も主に電話の音声で、鬼の脅威に面しない以上に、臨場度合が薄いですね。

 ご本人が直に登場するのは、多くが帰宅ルートと呼ばれる『桂おねーさんが中途で町に
帰ってしまう』エンドの、町に帰り着いた後、鬼や霊の話しと無縁な現代日本の都会、桂
おねーさんが17年育ったアパートのある町です。

 作者は陽子さんと東郷さんを、桂おねーさんを日常に繋ぐ存在と、メインヒロイン5人
を伝奇に繋ぐ存在と、視ている様です。それを悟る柚明おねーさんは、後日譚でも桂おね
ーさんの平穏な日々を保つ為に、陽子さんとの関りを、細心の注意で繋げているとか…」

サクヤ「陽子は桂を伝奇から遠ざける存在で。この時ノゾミや柚明の所作を断って桂を起
こしたのも、何かの作為だったって事かい?」

葛「いえ、これは偶然でしょー。作者もそこに神や鬼や何かの作為を、入れる事は出来な
いと見ている様です。唯、タイミングの絶妙な偶然に、意図や作為のない展開だからこそ。
星回りや運命・宿命を感じてしまいますね…。

 陽子さんの天命は、桂おねーさんを平穏な人の世に引き留め、鬼や鬼切部側から引き離
す事なのではと……これは葛の邪推ですが」

ノゾミ「ゆめいも後日譚でそんな事を語っていたわね。けいには鬼や鬼切部に関らない人
生の方が望ましいと、思っているのかしら」

桂「作者さんは、単純に陽子ちゃんとお姉ちゃんの絡みを見たかった様だけど……日常の
象徴の陽子ちゃんとオハシラ様を経て人に戻った柚明お姉ちゃんは、好対照だからって」

柚明「陽子ちゃんはアカイイト本編で、独特の存在感を放っているから。桂ちゃんをよく
見て励まし慰めてくれているし。わたしが手を届かせる事の出来なかったこの拾年、桂ち
ゃんを支えてくれた、感謝すべき女の子…」

サクヤ「真弓は、記憶を鎖した桂は人の世で安穏に生かすしかないと、考えていた様だね。
今の桂は過去の全てを思い出した上、ノゾミや烏月、鬼や鬼切部と深く心を繋げているし。

 柚明は真弓の遺志に添うと言うより、桂が自由意志で選べる選択肢を、より多く豊かに
残したいという感じじゃないかい? 別にノゾミや烏月や葛を、隔てている訳じゃないし
……観月のあたしに同居を望む位だからさ」

葛「全ては桂おねーさんの心次第、ですか」

ノゾミ「それが正解かも知れないわね。けいの意志を汲んで、駐。の仇の私を生かして迎
え入れたのだし……一見放任に近く、ゆめいの意志がない様に映るけど違う。けいが選ぶ
全てがゆめいの願いで、けいの選択の幅や基盤の整備がゆめいの望み。己が物にするのみ
が愛ではないとの感覚は、正直理解しきれないけど……嘘偽りでないと言う事は分るわ」

桂「アカイイト本編で、ヒロインじゃない扱いの陽子ちゃんの考察に、結構な分量を割く
って事は、作者さんも陽子ちゃんがお好みなのかな……でも、いつ迄も脇道に逸れている
訳にも行かないし、解説を前に進めなきゃ」

サクヤ「時折桂は思い切り良く、サクッと物事を前に進めちまうね。そう言う割り切りが
必要な事も分るけど……真弓の血かね…?」

葛「過去に惹かれつつ、過剰に過去を引きずらない。そのバランス感覚が長所なのです」

ノゾミ「まぁいいわ。どうせ陽子の話題だし。

 適当に切って次に行くわよ。私達の放った罠の網を、けいはひとまず回避した……だか
ら私達はこの時点では、けいが経観塚に着いたかどうかも、確かに分ってないのだけど」

葛「柚明おねーさんの迷いが窺えます。夢にもっと強く働きかけ、脅したり怯えさせたり
で桂おねーさんを、追い返そうかと考えつつ。追い返せる保証がないです。桂おねーさん
は、自身のルーツを辿りに来ました。それに、今も昔も人は霊的な怪異に左右される事を、
幼さや惰弱と考えて嫌がります。それらの所作が空振りに終った末に、ノゾミさん達に桂
おねーさんの所在を、悟られる怖れが高い…」

桂「動く事が失策になる状態だったんだ…」

柚明「ミカゲ達に桂ちゃんの所在を悟られた状態で夜を迎えるのは、最悪よ。桂ちゃんが
下りた列車は最終便で、その日はもう出発する列車も深夜バスもなく、マイカーもない桂
ちゃんは翌朝迄、経観塚を離れられないの」

ノゾミ「私達は自在に動き回れる。槐に縛られたゆめいは、わたし達の動きや所作を正確
には掴めない……関知や感応で探ってきても、私達も同種の力で紛らせ己の所在を隠せる
わ。

 私達はけいにより近い処で、様々な動きを為せる。ゆめいの遠方から及ぶ力は脅威じゃ
ない。ゆめい自身の出陣なら多少邪魔だけど、封じを空っぽにする愚行だし。仮に出来た
としても私達の方が遙かに優位。ゆめいは先に出て待ち構える事も、陣を張る事も難し
い」

サクヤ「主の封じを空けては拙い事情や、鬼と戦う霊体を作るには力不足な背景もあるし。
未だこの時点では、外に力を及ぼしただけで。先回りして桂を守ろうにも、霊体で顕れて
居続けるだけで力を消費して弱って行く柚明は、後出しで対応せざるを得なかったんだよ
…」

葛「アカイイト本編を知る読者さんは、桂おねーさんがさかき旅館に泊る事になる経緯を
ご存じなので、柚明の章では割愛しています。

 桂おねーさんが経観塚に着いたのは日没後ですし、柚明おねーさんは夕刻に桂おねーさ
んを特定しているので。桂おねーさんが烏月さんと出逢い、心惹かれていく課程も、その
気になれば筒抜けだと思いますが……柚明おねーさんは、耳を欹ててなかったですか?」

柚明「いいえ。桂ちゃんの無事は分ったから。最低限、桂ちゃんに変事が生じれば凝視す
る事にして、ご神木の中で意識を内向きにしていたの。この時は、ノゾミちゃんやミカゲ
の動向が気懸りだったし。最悪の状況を見据え、ご神木で想いの力を溜め始めてもいたか
ら」

ノゾミ「可能性を確かめただけで試しもせず、私達との戦という真剣勝負に、いきなり挑
む。つまらない覗き見に費やす力も時間もないわ。ゆめいは既に臨戦態勢だったって事な
のね」

サクヤ「桂の無事を知った時点で、柚明は覚悟を定めたんだ。自身の手の届く処で桂か白
花が、鬼に脅かされているのなら、放置できる訳がない。勝算が殆どなくても、否、勝算
が殆どないからこそ、他の者が介入を憚る様な局面なら尚のこと、柚明は総力を傾ける」


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


17.桂の感触・覚悟定めA

桂「ご神木の中でお姉ちゃんが、嬉し涙を流す情景が切ないよ。わたしの存在をそんなに
喜んでくれる人がいた……とてもありがたく、嬉しい。どんなきつい酷い目に遭っても、
ほとんど涙を見せない柚明お姉ちゃんが、嬉しさで涙を……それもわたしなんかの為に
…」

柚明「わたしの一番たいせつなひとだから……拾年逢えてなかったこともあるし、この時
は主の前だったけど、自身の感情に流されて。桂ちゃんが叔母さんやサクヤさんに見守ら
れ、健やかに育っている事は伝えられていたけど。この目で視るとその愛らしさは格別で、
溢れる想いを抑えきれなくて……困難が待つと分るからこそ、この時は束の間の喜びに浸
り」

葛「そこ迄愛しんでくれる身内がいると言うことだけで、桂おねーさんは羨ましーです」

ノゾミ「少なからず同感ね。私がけいに拘ったのも、羽藤の血筋との因縁以上に、身内に
深く愛されるけいが、羨ましかったのかも」

サクヤ「この時柚明が己の感情に溺れたのは、桂を助けに顕れて実際に逢った時に、自身
を抑え通す為だよ。ノゾミやミカゲは桂の到来を分っている。どこにいるかが分ってない
だけで、それもじきに知られるだろう。そうなれば自身が出向いて、桂を守り庇う事にな
る。

 その時に全てを忘れた桂の前で、初対面のオハシラ様として、不審の欠片も抱かせない
様に。桂はこう見えて意外と鋭く目聡いし」

柚明「何より自身が嬉しさや切なさで心揺れ、平静を喪ってしまうと、その浮動を鬼に付
け込まれる……自身の不首尾で一番重要な時に致命的なミスを犯し、本来出来る事が出来
なくて、たいせつな人を助けられなかったなら。そんな悔いは抱きたくない。完全な平静
は難しいけど、一度想いを放散しておけば、自身の思いの深さ強さを把握できて、抑えら
れる。

 でもその見苦しい様を、主に見られてしまった事は、自身の恥ずかしさ以上に、主に申
し訳なくて。まさしく己の未熟の証だから」

桂「そんな動きや想いが渦巻いていたなんて……わたし、全部を忘れて何も気付かず…」

サクヤ「あんたは憶えてないんだから仕方ないさ。柚明もノゾミミカゲも、日没後も尚潜
行した動きしか為してない。これで気付なんてのは、あたしにも無理だよ。それより情景
は夜に、と言うか桂の就寝後の夢に移るよ」

葛「ノゾミさんもミカゲさんも、桂おねーさんが寝付く頃を見計らって、再度夢の罠を放
ったのですね。それ迄は様子を見ていた?」

ノゾミ「桂の所在を特定できてないのだもの。しかも今の世の人間は、電気の力を借りて
夜も蠢き続け。起きている人の気配が煩わしくて……その気になれば、餌が好き放題に泳
ぐ寿司屋の水槽だけど、私にも好き嫌いはある。贄の血の濃い娘がいるのに、不味い物を
喰らう気にはなれない。鹿野川の血も吸ったけど、美味しくなかった以上に悪酔いしそう
で……私達が弱りすぎていて、吸った血の持ち主の思いに左右されるという事情もあった
様ね…。

 この時はけいとその兄の動向を探りたくて。一人で千人に値する血で、しかも主様の解
き放ちに関るのだもの……夢は放っていたけど、けいはこの時刻になる迄、鬼切り役に目
移りして眠気を感じてなかった様だし。私達は夢を放ちつつ、ゆめいがけいに接触してこ
ないかどうか、そこに注意を払っていたの。そっちに動きが見えれば、逆に私達が動く気
で」

葛「ゆめいおねーさんの様子見は、少なくともこの時点では、正解だった訳ですね……」

桂「わたしは普通にさかき旅館に泊って、烏月さんと知り合って、心奪われたり頬染めた
りして、移動の一日を終えて軽い疲れと共に眠りについたの。明日以降、本格的に羽様の
お屋敷を見に行く、位の気持でしかなくて」

柚明「ノゾミちゃん達が放った夢は、夕刻の物と同じ。眠りについて意識の防護がない人
の心に入り込めて、作用する程度の弱い力で。夜になって距離が近づいて、力の効果は増
したけど。この時点では、経観塚周辺の全方向・全ての人に夢を届けて反応を視るだけ
…」

サクヤ「作者メモが来ているよ。柚明本章第一章の本文から。ここは、アカイイト本編の
烏月・柚明・ノゾミルート第一夜に柚明視点を付加しているね。桂が夢に引きずられ始め、
反応し始め。ノゾミやミカゲに気付かれるのは時間の問題だけど。桂はこれを誰かの企み
や罠だとは思ってもなく、警戒の欠片もなく。鬼の技や力なんて知りもしない前提だか
ら」

作者メモ「桂とユメイのやり取りです。

桂『邪魔をしないで。何が駄目なの?』

ユメイ【駄目……】

 それを考えても駄目。反応しては駄目。

桂『そんな事を言われても……』

 どうして駄目なの?

ユメイ【ああ、それを問い始めてしまったら。人の『なぜ』は止め得ない】」

葛「防ごうとする意志が引きずり込む結果を導いてしまう。難しい辺りですね。それを見
込んでノゾミさん達は共有の夢を広げていた。巧妙です。これは防ぎ通せないですねぇ
…」

桂「わたし、だめ。考えたりしちゃいけないのに……でも事情を知らないから、夢の中で
は無防備に、誘いの声に釣られてしまって」

サクヤ「最後は柚明の力でノゾミ達の夢を吹き払う他に、術がなかった。柚明の介入は当
然ノゾミミカゲに、桂の所在を報せる事になるけど。一瞬でゲリラ的に終らせれば、全方
向の反応を待っているノゾミミカゲは、即座に正確な場所迄、把握できない可能性もある。

 その間に桂の心に守りの処置をして眠りにつかせれば、次にノゾミミカゲが夢を放って
きても、反応せずに朝を迎えられるかも…」

ノゾミ「それで凌ぎ通せるかどうかは怪しい処だけど……そうね。ゆめいはこの時、単に
夢を吹き払う以上の力を、けいだけではなく、周辺各所に投入して弾けさせた。囮よ。私
達も一瞬目眩ましされた。それでも力の弾けた箇所のどこかにけいが居る筈だから、私達
は夢を放ちながらその居所を虱潰しに特定に掛る。翌朝迄隠し通せるかは……どうかし
ら」

葛「不可能ではないけどかなり難しい。その可能性を手繰り寄せるのに必要なのは、細心
の緻密さですが。桂おねーさんは残念ながら、そう言う所作と相性が良くない上に、この
時は事情を承知しておらず、しかも夢の中という緻密さとは対極の状況にありますので
…」

桂「わたしこの時、お姉ちゃんの求めに逆らって。願いに応えず、結局鬼に見つかって」

柚明「作者メモです。柚明本章第一章の本文から、わたしと桂ちゃんのやり取りを……」

作者メモ「ユメイ『ねえ、約束して』

 名乗りはしない。今夜限りの出会いなら、この名を心に刻ませるべきではない。わたし
は忘れ去られた存在だ。何事もなく経観塚を離れれば、桂ちゃんはその侭わたしに関りの
ない人生を進む。躓きの元を残すべきでない。思い返すきっかけを作らず、誰かに話す取
っ掛りを与えず、時の風化に身を任せる為に…。

 わたしは、憶えていて欲しいとも望まない。
 わたしは想い出される日なんて夢想しない。

桂『約束?』

 桂ちゃんの問い返す声が愛おしい。
 桂ちゃんの見上げる顔が愛らしい。

 もう届かないと思っていた筈の桂ちゃんが間近にいる。夢に思い描いた桂ちゃんが、夢
の中だけど、確かにわたしの手の中にいる…。

 その愛着を全て噛み締めて。
 この想いを全て振り切って。
 己の未練を全て断ち切って。

 この胸を埋め尽くす想いも悟られない様に。

ユメイ『わたしの声も、姿も、あの景色も、夜の淵に沈めてしまうと。明日の朝日に溶か
してしまうと……』

桂『それって、忘れろってこと?』

 桂ちゃんの問い返しに、わたしは頷いて、

ユメイ『夢は、唯の夢だから』」

桂「全部忘れたわたしを守る為に多くの想いと力を使いながら、出逢っても初対面の装い
を通す柚明お姉ちゃんが切ないよ。こんな想いをしながら負担をしながら、話しかけてく
れたのに。わたし……その想いに応えられないで……『忘れたくない』っていう自分のわ
がままで、お姉ちゃんの求めを拒んで……」

柚明「桂ちゃんは何も悪くない。あなたは事情を知らなかったの。鬼の禍は大人でも対処
が難しい。周囲の大人が専門家を招く等して、事前に防いで置かなければならなかった
…」

サクヤ「周囲の大人の1人としては、素人の桂の対応はやむを得ないし。柚明も充分以上
にやってくれたと思うよ。桂も柚明に無意識に親しみを感じ、絆を切りたくなかったから
の応対だから。あたしの力不足は当然だけど、鬼の禍で人の側に咎を探すのは難しいさ
…」

ノゾミ「隠されっ子、みぃーつけた……よ」


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