第19話 女の子の集合離散
前回迄の経緯
羽藤柚明は多少の波乱を含みつつ、元気に高校生をこなしています。春からお友達にな
れた胡桃さんや若菜さん、中学校からお友達の睦美さんや美智子さん、小学校以来の和泉
さんなど。たいせつな人達の輪は広がり続け。
成り行きでわたしは女の子の間で、一時的に人気沸騰し、みんなに好まれ。わたしを慕
う人の間で諍いも生じ。密かに困っていた処。
悪い噂が流れ出し。波が引く様に女の子の多くはわたしから離れ。それも己の行いの結
果だから自業自得で、不徳と未熟の致す処だけど。わたしは良くも悪くも羽藤柚明だから。
羽藤柚明の全身全霊を尽くす他に術もなく。
参照 柚明前章・番外編第11話「せめてその時が来る迄は」
柚明前章・番外編第13話「断絶を繋ぎ直して」
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わたしの応対は、女子高生にしては、或いは女子高生に向けた応対にしては、刺激的に
過ぎただろうか。高校1年生の初夏、始業前の教室で衆目の中、クラスメートの若菜さん
を右腕に、胡桃さんを左腕に抱いて頬合わせ。
『わたしは……構わないよ。恋人でも、親友でも姉妹でも。わたしを望んでくれるなら』
きっかけは、若菜さんに為された一部男子の苛めを、わたしが妨げ関った事で。小柄で
セミロングの黒髪まっすぐな進堂若菜さんは。入学後暫く経ってもどの仲良しグループに
も入れず。わたしは声を交わし合っていたけど。
同じF組の小柄で黒髪ショートな日高胡桃さんが、若菜さんを強く嫌い。若菜さんは胡
桃さんを憚って、その鋭い声や視線が向く度、話しの腰を折られて巧く行かず、独りの侭
で。
胡桃さんは春先、積極的に声を掛けてくれたので、早く仲良くなれて。海老名志保さん
や塙美智代さん、川中睦美さん、隣村で汽車通学の富岡京子さん達と、仲良しグループが
形成され。胡桃さんの強い意向と、彼女の拒絶を憚る若菜さんの遠慮で、若菜さんはその
周縁にいた。2人共経観塚中央中出身なのに。
若菜さんが孤立し助けもないと映ったのか。
男の子達は半ば公然と暴言や手出しを始め。
それを見た他の子が距離を置く様になって。
わたしは彼らの視線や促しにも揺らされず。
若菜さんと平静に良好に関り続けていたし。
暴言は窘め、暴力は身を挟めて防いだけど。
【女の手を握ったり抱き合ったり頬合わせ】
【羽藤お前やっぱり女の癖に、女好きか?】
男の子達の苛立ちは直接わたしにも向いて。
【まさか羽藤も進堂の様な根暗人間を、好みはしないよなぁ】
【誤解させると可哀相だし。はっきり言ってやれよ】
【じゃないと羽藤が女好きの変態だと、噂流れるかも】
【折角の優等生イメージがボロボロになっちまうぜ】
衆目を意識した問には衆目を意識した答を。
【進堂若菜は、羽藤柚明のたいせつな人…】
【志保さんや胡桃さんを、美智代さんや睦美さんを好きなのと同じ。縁あって同じ学校に
通い同じ時を共に過ごすお友達。こうして間近に触れてお話しして心通わせられる事は】
わたしが嬉しいの。身に余る程の幸せよ。
女の子はみんな柔らかく可愛く好ましい。
【たいせつな人が不安や怯えに竦んでいる時に、わたしが見て見ぬふりする選択はないわ。
……お願い。これ以上若菜さんに手出ししないで。若菜さんはあなた達に何も酷い事して
ないでしょう。どうして困らせ泣かせるの】
苛められっ子は心に余裕がないので、正面から抗議できない。故に多くの苛めっ子は問
答に不慣れで。『なぜ』『悪い』『酷い』と言われると結構怯む。ノリや惰性でやってい
るだけで、覚悟があって為す訳ではないので。
苛めっ子は特別邪悪な者ではない。感覚が麻痺し、やっても良い状況に見えて、魔が差
しただけだ。だから我に返れば、彼ら自身の意思で収められる。未だ若菜さんは本当に酷
い目に遭わされてない。彼女の傷が浅い内に、彼らの過ちが小さい内に。苛めに向う流れ
を、苛めを促すその場のノリや惰性を、突き崩す。
【これは若菜さんの問題じゃない。わたしやあなた達の問題なの。お互いに縁があって同
じ高校に通うクラスメート、大事なお友達よ。そのあなた達が、咎もない女の子を苛める
人であって欲しくない。抗う術のない弱者を虐げて、鬱憤を晴らす人であって欲しくな
い】
小堀守は、谷津英彦は、緑川恭二は、広沢良樹は、板倉司は、みんなわたしの大切な人。
先生には一度報せたけど、若菜さんが仕返しを怖れた為に、その後は敢て伝えず。でも。
【羽藤も痛い思いをしたくないだろう。今進堂を放り出せば、羽藤は見逃してやるから】
邪魔を排除し、若菜さんを孤立させようと、彼らがわたしに関ってくれた事は幸いだっ
た。若菜さんを守るだけでは解決にならない。わたしの居ない処で苛めが再開されても困
るし。守らねば防げない状況は解決と言わない。関りを断って害を防ぐのではなく、良好
な仲に繋ぎ直す。わたしが不在でも再発しない様に。その為にも、彼らとの関りはわたし
が欲して。
【今の問題は進堂じゃない、羽藤なんだよ】
【余り生意気言っていると、お前も犯るぞ】
【抱きつける奴はいないぜ。さあどうする】
【俺達にでも抱きついてみるか、女好きが】
緑川君が嘲りを意図して一歩前に出た瞬間。
わたしも一歩前に出て彼の身体を抱き包み。
【緑川恭二はわたしの大事なクラスメート】
わたしは男の子を嫌っている訳ではない。
女の子が柔らかく滑らかで心地良い様に。
男の子は硬く強く逞しく頼りがいがある。
わたしの感覚は人と少しずれているかな。
【大事な人なら、いつでもこの位の事は出来るよ。わたしは女の子だから、男の子を守り
庇うのは中々難しいけど。困った時にわたしで役に立てる事があったら相談して。いつで
も気軽に頼って貰える仲になれたら嬉しい】
【小堀君も谷津君も広沢君も板倉君もみんな。若菜さんと同じく羽藤柚明のたいせつな
人】
背に回す両の腕にやや力を入れ、総身でぎゅっと抱き締めて。すり、と頬を擦り合わせ。
【先生に今日の事を話してないのは、みんなと仲直りして、その事も纏めてお話ししたか
ったから。誤解や仲違いはあったけど、無事仲直り出来ましたと、報告したかったから】
そうすればあなた達も強くは叱られない。
若菜さんを傷つけかけた事は、事実だから先生に言うけど。思い止まってくれた事や仲
直り出来た事も、事実は伝える。先生の指導や叱責を待たず、お互いの意思で和解したい。
傷を浅く留めたからこそ仲直りもできる。
【あなた達は、弱い者苛めを好む人じゃない。女の子を傷つける人じゃない。過ちは誰に
も起こり得るけど、互いの気持を通じ合わせる事で、それは酷くなる前に回避できたか
ら】
わたしが若菜さんを守り庇ったんじゃない。
あなた達がその意思で踏み止まってくれた。
わたしはきっかけ。そこに居合わせただけ。
あなた達は強く賢く優しい立派な男の子…。
高校進学に伴うストレスは誰にもある様で。人とつるんで他人を苛めるのも、板倉君達
本来の姿ではなく。彼らもそうして友を仲間を作りたかった。誰かを一緒に弾き、のけ者
にする事で、絆を確かめ合うのは間違いだけど。原因が心細さや不安であるなら。適切な
解決策を示せれば、敢て醜い方向に人は進まない。
3年生の少女剣士・美咋先輩の助けも受け。
男の子達の苛めは応急的に抑えられたけど。
若菜さんに関ってわたしが危険に踏み込んで見えた事が、胡桃さんの憤激を招き。わた
しも見かけは女の子だから、男の子に対峙して若菜さんを庇った事が、危うく映った様で。
『進堂さん、あなた、好い加減にして…!』
始業前の教室でこの右腕に縋り付く若菜さんを。睨みつつ胡桃さんはこの左腕に腕絡め。
『貴女の所為で羽藤さんが迷惑しているのが、見て分らないの? それとも分って迷惑掛
けているの? 昨日も羽藤さんを危ない目に巻き込んで、5時間目迄一緒にすっぽかし
て』
『もう羽藤さんに付き纏わないで。巻き込まないで。貴女の問題は貴女1人で解決して』
悲劇なのか喜劇なのか。可愛い女の子に左右から取り縋られて、わたしは争奪の対象に。
暫くはその争奪に身を任せ、一息ついた頃を見計らい。左右の腕で双方を強く抱き寄せて。
『日高胡桃と進堂若菜は、2人ともわたしのたいせつな人。幾らでも迷惑を掛けて欲しい、
役に立ちたいわたしの可愛いクラスメート』
男の子や女の子多数の視線はあると承知で。
『胡桃さん、わたしを心配してくれて有り難う。わたしが好んで人の揉め事に分け入って、
己の所為で招いた禍を。真剣に気遣ってくれて嬉しい。……心配させてごめんなさいね』
わたしは両手を離さず2人と肌身を添わせ。
『わたしが若菜さんに関ったのは、わたしの願いだから。若菜さんが困って哀しむ様を見
過ごせなかったから。わたしの我が侭なの』
『胡桃さんを粗略にはしない。胡桃さんがわたしの大事な人なのは変らない。この通り』
抱き留める腕に少し力を入れて身を重ね。
想いを受け、想いを届け、想いを交わす。
『羽藤さん優しすぎ。甘過ぎっ。この人は』
胡桃さんはわたしの想いを受け容れつつ。
裏切り者。若菜さんへの弾劾は低く響き。
『小学校で友達だったのに、中学校で松岡さん達に苛められた時、手下になって……ノー
ト汚したり、のけ者にしたり、上靴隠して』
苛められた事を明かすのは、子供心に恥だ。だから胡桃さんは微かに震え。若菜さんへ
の憤りと、わたしに分って欲しい想いを込めて。そして苛めた側の若菜さんも、身を強ば
らせ。
『あたし、どれだけ心細かったか。友達に裏切られて、どれだけ悔しかったか。頼れる友
達なくして、1人泣き寝入りした。なのに』
高校入って松岡さん達とクラス別になって、頼れる人がいなくなったから仲良くした
い? あたしが漸く羽藤さんと仲良くなれたその脇に、そ知らぬ顔で座ろうとして。許せ
ない。
『貴女だけは、絶対に許さないからっ…!』
『だって、だって仕方なかったの。だって』
わたしも苛められそうだったの。従わないと、2人で苛められるだけだった。2人じゃ
多数には敵わない。それに松岡さんは、わたしが従わないなら、ルミを引き入れるって…。
『だから見捨てたって言うの! あたしを裏切って1人助かったと言うの。貴女酷い…』
『松岡さんに従って、ルミに嫌がらせしていた時、ずっと心痛んでいた。悔やんでいた』
『嫌々やっていたから許してとでも言うの』
『謝りたかった。ずっと仲直りしたかった』
松岡さん達と別のクラスになれて、ほっとした。もう従わなくて良いと気が楽になった。
でも逆に、松岡さんの仲間でなくなった途端、その守りもなくなって、男の子達に絡まれ
て。
『怖い思いしたくない。孤立するのはイヤ。
わたしに羽藤さんとのお付き合い許して』
『やられた側の孤独を貴女も味わえばいい』
さっさと羽藤さんから離れて。あたしのお友達に禍を持ち込まないで。貴女が苛められ
る側になったからって、人に縋るのは止めて。
『どうせ自分に都合が悪くなれば、羽藤さんも見捨てて逃げ出すんでしょう。貴女なら』
『そんな事しないっ。羽藤さんは恩人よ…』
『小学校からの幼馴染みを裏切った人が?』
胡桃さんの言葉は容赦なく若菜さんを抉る。声や肌の震えは若菜さんの罪悪感で、その
過去を知ったわたしが心離れる事への怖れでも。
『親友裏切る人が裏切らない相手って言うと、もう後は恋人位しかないでしょう。無理
ね』
止めが刺さったかに思えた時が、冒頭の。
『わたしは……構わないよ。恋人でも、親友でも姉妹でも。わたしを望んでくれるなら』
『日高胡桃と進堂若菜は、2人ともわたしのたいせつな人。幾らでも迷惑を掛けて欲しい、
役に立ちたいわたしの可愛いクラスメート』
胡桃さんは、悲しい想いを経ていたのね。
わたしは、あなたを決して裏切らないわ。
『若菜さんの危難を見過ごせなかった様に、わたしは胡桃さんが危うくなった時も、決し
て見放す事はしない。力の限り守るから…』
誰が遠ざかっても、羽藤柚明はあなたから心離れない。いつ迄もわたしのたいせつな人。
『若菜さんに近しく接して見えるのは、若菜さんが今危ういから。胡桃さんから離れて若
菜さんを選ぶ訳じゃない。不安を与えた事は、ごめんなさい。それはわたしの配慮不足
…』
熱い想いを寄せてくれて有り難う。嬉しい。
『そして胡桃さんにお願い。わたしが若菜さんを大事に想う事を許して。わたしにはどっ
ちもたいせつな人。片方を取って片方を切るなんて事は出来ない。双方守りたい人なの』
胡桃さんに負担は掛けない。心配させない様に努める。男の子達とも仲直りの最中なの。
もうすぐ収まる。折角同じクラスになれたお友達。男の子達も含めみんな仲良くなりたい。
『胡桃さんと若菜さんの過去は、昨日すっぽかした5時間目に、若菜さんから聞いたの』
若菜さんは、自身の過去を悔いていたわ。
目先の孤立から逃れようと友達を裏切った。その事に悔いを抱き、謝りたく仲直りした
く。でも自分が苛められる怖れの中で何も出来ず、酷い事を続け。それは若菜さんの弱さ
で失敗だけど。謝れず償えず拭い去れない罪悪感を、抱き続け。それを晴らせるのは胡桃
さんなの。あなたの許しには、大きな力が宿っているわ。
『でも、でもこの人は、カナはあたしをっ』
許したくない。今迄の経緯を振り返れば。
それはいけない事なの? と問う涙声に、
『今許してとは求めない。今の胡桃さんが許したくない気持は当然よ。わたしは若菜さん
に関りたいけど、胡桃さんとの仲は変らないし、仲直りを無理強いもしない。例え仲良く
なれなくても、2人ともわたしの大事な人』
その上で。わたしは慎重に言葉を選んで、
『もし許してあげられる心の準備が出来たら。若菜さんの心からの謝罪を受けて仲直りし
て、彼女をもう一度お友達に迎え入れて欲しいの。これは若菜さんではなく、わたしのお
願い』
幼馴染みが不幸な経緯で引き裂かれ、心痛め合う姿は、見るに堪えない。憎み続ける事
も罪悪感を抱き続ける事も、双方が辛いだけ。
『今からやり直せる事はある。これから取り返せる物はある。どうにも出来ない物も世に
はあるけど、何とか出来る物も世にはある』
胡桃さんの気持が整ったらで良い。その心が整わない内に無理にとは求めない。唯わた
しが若菜さんと接し続ける事を許して欲しい。
『この人は裏切りの前科持ちよ。今羽藤さんに庇って守って貰えても、都合が悪くなれば
逃げ出したり、害する側に寝返る様な人よ』
そんな人を信用できるの? 友達にする?
その問にこそ、わたしは微笑み、頷いて。
『わたしを心配してくれて、本当に嬉しいわ。胡桃さん。熱い気持を、有り難う。でも
ね』
一度たいせつに想った人は、羽藤柚明にはいつ迄もたいせつな人。力の限り守りたい人。
『わたしは何度裏切られても、大丈夫だよ』
『そうせざるを得ない時は、裏切っても良い。わたしは、受け容れて嫌わない。その上
で』
わたしは誰かを守れる人になりたい。誰かの役に立てる人になりたい。たいせつな誰か
が哀しみ嘆く様は見たくない。だからわたしは例え何度裏切られても、助けを求められた
ら必ず応えたい。その幸せに身を尽くしたい。
『わたしがたいせつに想った人に、己を尽くす事を許して欲しいの。誰かが目の前で困り
痛み苦しむ様を捨てておけないの。お願い』
いつの間にか胡桃さんも若菜さんも、その瞳から涙が溢れ。周りの女の子達迄貰い涙を。
泣かせる積りはなかったのに。嬉し涙は哀しみの涙と違うから、一概に嫌いはしないけど。
『甘すぎる……優しすぎる。羽藤さんはっ』
『嬉しい……わたし、何とか生きていける』
《《このまま、好きになっちゃいそう…》》
始業ベルは鳴り終えていた。この情景は奥寺先生にもしっかり見られ。涙ぐむ女の子を
左右に抱き留め頬合わせた絵図を。結果、今迄の経緯も全て明かす事になり、叱責と納得
を頂いて。周囲の状況は多少の変化を見せ…。
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「ゆめいさん格好良い」「凛々しかったよ」
以降わたしは女の子多数に囲まれ喜ばれ。
前後左右から腕を取られ肩や背に縋られ。
なぜかみんなお祭りの様に盛り上がって。
「柔らかく静かだけど」「その甘々がイイ」
好いて貰える事は嬉しくも有り難いけど。
特別凄い事を為した憶えもないわたしは。
やや戸惑いつつ人の輪の中に身を置いて。
志保さんによると、羽藤柚明は実は入学当初の春4月から、男子女子の大多数や、先生
方からもその動向を、注視されていたらしく。わたしを窺う気配の多い事は感じていたけ
ど。
中学校入学時と違って、複数の運動部から勧誘された時は驚いた。県立経観塚高校は銀
座通中を含む町内3中学校に、近隣町村からの通学者も含め生徒は一学年二百人を越える。
その中で己が注目に値するとは思ってなく……結局わたしは、真弓さんとの修練や、桂ち
ゃん白花ちゃんと共に過ごせる時間を優先し。拘束時間の長い運動部には入らなかったけ
ど。
「ゆめいさん、元々一目置かれていたから。
潜在的な好感度に火が付いちゃったのよ」
職員室から出た処で志保さんと行き合った。
「銀座通中で鴨川真沙美を凌いだってだけで、前評判は充分以上。鴨川さんが都市圏に出
た以上、あなたが1人注目を浴びるのは宿命ね。男にも女にも甘々で、近しすぎる触れ合
いも、わたしが今更噂する迄もない位に見せつけて。
家柄あり、成績優秀、容姿端麗、スポーツ万能。苛めを放置しない以上に、苛めた側や
対立した相手も思いやり。男女問わず肌身に抱き留めて、囁き諭す。噂話のネタ満載よ」
脇が甘いと言うより、甘ったるさの塊ね。
「桜井さん達がレズとか淫乱とか、マイナスな噂を囁くから。プラスの評判と相殺されて、
多数派は様子見だったけど。見て聞いて分ったって感じ? 誤解や曲解や、マイナスの噂
を囁かれる処迄含めて、ゆめいさんだって」
「それは果たして喜んで良いのかどうか…」
苦笑いを込めるわたしに志保さんは頷き。
「確かに。女の子多数に近しく触れ合うのは、ゆめいさんも嬉しいだろうけど。ここ迄人
気沸騰すると、応対する数も多いから忙しいし、女の子の人間模様は慕う場合も複雑だか
ら」
わたしも勘付いてはいた。若菜さんも胡桃さんも、わたしがクラスの女の子の多数に好
かれ、更にクラス横断的に声掛けられる様になった事を。喜んでくれつつ同時に嫉妬や焦
りを抱き。わたしと触れ合う比率を下げたくなく、他の人からわたしを隔て囲い込もうと。
「志保さんも何か、思い当たる事がある?」
昼休み、職員室からの教室への帰り途中に。
志保さんと、取り留めもない話しをしつつ。
「わたしは特に。あの同時抱擁より前からゆめいさんの傍にいた人は、引き離せないと2
人も分っているみたい。逆にゆめいさんの失望や怒りを呼びそうだし。問題はその後あな
たに声掛けてきた、吉村さんや赤田さん、それに他クラスの女子ね。後発の競争者は認め
ないって感じで、露骨に隔てているみたい」
角を曲がると、F組教室が見える辺りで。
「通さないし会わせない」「C組に帰って」
胡桃さんと若菜さんが、黒髪お下げに眼鏡を掛けたC組の菅原幸恵さんを。F組前の廊
下で進路を阻んで、門前払いし追い返そうと。
「わたしは、文芸部の連絡を先生から言い付かって、柚明さんに伝えに来ただけなのに」
「伝言があるなら、聞いておくわ。言って」
わたしの不在を告げれば、彼女は引き返す。でも2人は今後菅原さんがF組に来ない様
に、通さない事を呑ませようとし。志保さんが脇で肩を竦めた。同時抱擁以降2人のわた
しの呼び方は『羽藤』から『柚明』に変っている。
「あなた達に関係ないでしょう。文芸部よ」
「今は部活の時間じゃない。他クラスの余分な女子に、柚明さんの尊い時間を潰されると
迷惑。それでなくても柚明さん忙しいのに」
最近多いの。柚明さんの甘さ優しさに付け込んで、近付きたがる人が。柚明さんは人が
好いから誰彼構わずだし。柚明さんの時間は有限よ。あなた達に分け与える余分はないわ。
「終業のHRホームルームが終る迄、柚明さんの時間はあたし達F組女子の為にあるの」
少し前迄、苛められっ子だった若菜さんが。
わたしには見せた事のない、傲岸な姿勢を。
胡桃さんも数ヶ月前迄苛められる側だった。
数を得ると気持が大きくなるのは人の性か。
「残念だけど、部活の時間には手を出せないから、あなた達は部室で好きにすればいい」
お友達で最後発との焦りの故か、その不利を拭いたい故か。若菜さんは積極的に『余人
を羽藤柚明から隔てよう』として。同じ焦りを抱く胡桃さんを、むしろリードする感じで。
「無茶苦茶な……柚明さんはそれを知っているの?」「その『柚明さん』って言い方!」
胡桃さんは『理非を問われれば負ける』という認識以前に。菅原さんがわたしを名前で
呼んだ事に憤慨し。確かに菅原さんとは、高校生になってから、文芸部に入ってからの関
係で、お互いに呼び合う時は未だ名字だけど。
「あたし達が涙零して肌身に抱かれて、ようやく柚明さんって呼ぶ仲になったのに。何の
経過も経てない人に、その輪の中へズカズカ割り込んで来られると、迷惑な以上に不愉快。
気楽に柚明さんを名前で呼ばないでっ!」
これ以上胡桃さんの激昂を放置しては彼女自身に良くない。菅原さんは大事なお友達だ。
「わたしは構わないよ。柚明でも羽藤でも」
F組教室に戻る途上だったわたしは、菅原さんの背後から首筋に、両腕を回し肌身合わ
せ囁きつつ。胡桃さん若菜さんに視線を向け。
「菅原幸恵は羽藤柚明のたいせつな人。羽藤と呼んでくれても柚明と語りかけてくれても、
どちらでも全く構わない。時間を問わず絆を深め合いたく願う、可愛い文芸部の仲間よ」
「羽藤さん」わたしの前で菅原さんは、何故か頬染めつつ呼び方は『羽藤』に戻り。胡桃
さんと若菜さんは、拙い処を見られたと硬直し。好んだ人を独占しようと他者を隔てる行
いが、美しくない以上にわたしが好まないと、賢い2人は分っている。わたしは菅原さん
に。
「伝言に来てくれたのに、不快な思いをさせてごめんなさい。胡桃さんも若菜さんも悪意
で為した訳じゃないの。勿論善意の暴走でも、人に迷惑掛けちゃいけないのは当然だけ
ど」
この一件で菅原さんに非は全くない。胡桃さん若菜さんが非礼を為した。不快にさせた。
その因がわたしにあるなら、責任もわたしが。本来は胡桃さんも若菜さんも謝るべきだけ
ど。今の2人にそこ迄は求め難いので。今後生じさせない事を約して、菅原さんに納得を
貰い。2人にはこの後で叱ると言うより丁寧に諭す。
「胡桃さん若菜さんを粗略にはしない。2人がわたしの大事な人である事は変らないわ」
わたしを好いてくれる故の過ちなら、叱るよりその気持を受け止めて、顕し方伝え方の
改善を促す。これは想いの伝え方顕し方が未発達な、羽様の幼子に接した経験が役立った
かも。大人になっても人は奥底に幼心を宿す。
だから肌身に触れ合い囁き語りかける事が、効果を現す事もある。時と場合にもよるけ
ど。今は菅原さんの右頬に背後から左頬を合わせ。嫌うならいつでも解ける緩やかな抱擁
を続け。
「菅原幸恵も日高胡桃も進堂若菜も、羽藤柚明のたいせつな人。誰かを取って誰かを切る
なんて出来ない。みんな守りたい可愛い子」
伝達事項は、本日の部活の場所変更だった。菅原さんはわたしと近しく声交わし合いた
く、伝令役を和泉さんから奪って来た様で。その結果不快な思いの末に、大きな成果を得
たと瞳輝かせ。脇の志保さんの苦笑と、菅原さんの向うの胡桃さん若菜さんの不満が対照
的だ。
「教えてくれて有り難う」「こちらこそ、守ってくれて有り難う。ゆめ……羽藤さん…」
菅原さんを帰した後は、胡桃さん若菜さんに向き合うけど。2人は後ろめたさの故かわ
たしに向き合い難い様で。まず2人の両手を軽く握らせて貰う処から、語りかけから入り。
わたしは何も怒ってないと。たいせつな人だよと。唯他者への応対に、少し改善が必要と。
菅原さんや他の人にも不快を与えない為に。続ければ反感を買うだろう彼女達自身の為
に。余人を隔てなくても、わたしはあなた達の求めを満たすと。話を聞いて貰う為に丁寧
に想いを通わせ。最後は2人を左右に抱き留めて。
中学校で周囲多数から祭り上げられ取り巻かれた真沙美さんの困惑が、実感できてきた。
− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −
「あの2人、ゆめいさんを他の人と隔てようとして、他にも諍い起こしているよ。A組の
篠原(歌織)さん結城(早苗)さんが、ゆめいさん不在時に来て。門前払いしようとして、
言い負かされ逆に教室踏み込まれたり。B組の白川(夕維)さんを追い返した時は、飛鷹
(翔)君が抗議に来て、2人怒鳴られたり」
『……好いて貰える事は嬉しいのだけど…』
志保さんやそれ以外からも情報は入るけど。
わたしに心持つ他の人を操る事は出来ない。
その『力』を持っていても行使してはダメ。
丁寧に想いを繋げ、わたしとの仲は薄れてない、嫉妬も排除も要らないと、感じて貰う
他に妙案はない。2人がわたしの想いに不足なら、時間と状況の許す限り、肌身に抱いて。
放課後やや遅れて部室の図書室に行くと。
「ゆ……羽藤さん、今日はどうもありがと」
菅原さんは今迄より近しく肌身寄せてきて。彼女は機会を待っていた。今迄様子見で息
を潜めていたけど。彼女は『百合』『レズ』の噂を纏うわたしを求めて文芸部入りし。3
年生0名2年生4名1年生18名(全員女子)の文芸部で、1年の多くはわたしの噂をプラ
スもマイナスも知って入部したけど。中でも彼女は百合に恋し、わたしと女の子同士愛し
合う目的で。わたしも頭から拒む気はないけど。
「今日の事はお礼を言われる事ではないわ。
むしろ非礼を謝らなければならない側で」
だから謝れない胡桃さん若菜さんに代って。
わたしが懇切に丁寧に謝らなければならず。
言葉を交わし想いを繋ぐ事は喜ばしいけど。
『柚明さんが……百合の噂濃厚な柚明さんが、わたしを【たいせつな人】と言ってくれ
た』
『綺麗な柚明さんが、わたしを想ってくれて。わたしを可愛いと……愛してくれてい
る?』
菅原さんが間近で強く念じるので、読み取ろうとしなくても、想いが透けて感じ取れる。
「守ってくれてとても心強かった。それに優しく触れてくれた時は、暖かく心地良くて」
「……わたしの事は幸恵って呼んで好いから、柚明さんって……呼んでも好い?」「え
え」
本人は表にしてない積りでも、顔色や挙動や声音や言葉の繋ぎや、様々な箇所で悟れて。
『どこ迄許すのかな。どこ迄踏み込んでも大丈夫なのかな。女の子とも全部やるのかな』
『日高さんや進堂さんより、わたしを選んでくれた。首筋や胸に触れて愛しんでくれて』
部活では徹底的にわたしの間近を占め続け。
わたしが他の誰かに応えるとその子を睨み。
それはわたしも今迄見た事のない幸恵さん。
『わたしと柚明さんの前に出て来ないで!』
『わたし達の運命の絆に首を挟まないで!』
凄まじい気迫に思わず他の子が怯むけど。
指摘しようとするわたしの機先を制して。
わたしの腕に縋って肌身を寄せて囁いて。
「昼休み怖かった」「とっても心細かった」
「柚明さんいないとわたし生きていけない」
微かな懸念を感じるのは、幸恵さんがわたしの間近を占め続けようと。同じ1年部員で、
親しく話しかけてくれた菊川愛子さんや松本ゆかりさん達を、隔てようとしている事で…。
「菊川愛子は、松本ゆかりは、羽藤柚明のたいせつな人。幸恵さんと同じく、縁あって同
じ学校に通い、同じ部活を一緒する大事な人。……あなたが直面した理不尽や不快を、他
の子に味わわせるのは、良くないわ」「っ…」
この件を契機に仲を深める事は幸いだけど。
わたしを好いてくれる事は嬉しいけどでも。
幸恵さんもそれを既得権にして他の人達を。
わたしの間近から遠ざけ押しのけようと…。
「それ正解」帰り道、和泉さんは深く頷いて。
経観塚行きバス待合所迄歩む夕刻の街角で。
「日高さん進堂さんと違うのは、他の人を恋仇として隔てる訳じゃなく。ゆめいさんの間
近で、ゆめいさんを慕う他の人を、部下みたいに仕切り従えたいって処かな。部活で部員
同士は隔てられないし。違う形の独占欲?」
羽様中出身の(松本)ゆかりんを、ゆめいさんに群がる新参扱いして。圧を掛けようと
して撥ね付けられていたけど。ゆめいさんに独自に繋るきっかけが、日高さん進堂さんの
お陰で、都合良く出来ちゃったからね。迷惑。
「胡桃さん若菜さんも、幸恵さんも、悪意な訳ではないの。わたしを好いてくれて、寄り
添いたく思ってくれる為で……わたしがそれを満たし切れてない、応え切れてないから」
「欠乏感は幾ら埋めても満たす事が難しいよ。
真に飢えている訳じゃない。溢れる程愛を受けても、気付けずに飢えた気分でいるだけ。
幾ら注がれてもザルの様に流して。誰かを弾けばあなたの一番を掴めるとか、安直すぎ」
和泉さんは、わたしが夕維さんや利香さん、歌織さんや早苗さん、麗香さんや聡美先輩
と想い交わす様を見ても。わたしを愛し続けてくれて。わたしには勿体ない程素晴らしい
人。
「まぁ文芸部では、あたしがいるからユッキーの好きにさせないよ。ゆめいさんとの付き
合いでは現在、金田和泉が一番の古株だし」
ゆめいさんはクラスの方に集中して好いよ。
そっちにはあたしが力を貸すのも難しいし。
和泉さんは無償の善意を申し出る人だけど。
「和泉さんの想いは嬉しく有り難いけど……幸恵さんの想いはわたしへの想い。わたしが
しっかり受けて返さないと。断るのであっても、否断るならばこそ、人任せに出来ないわ。
一番にも二番にも出来ないけど、そんなわたしを好いてくれたなら。わたしは許される
範囲で全力の想いを返したい。為せる限りを。菅原幸恵は羽藤柚明のたいせつな人だか
ら」
「柚明は関る人の全てがたいせつだものね」
言われると否定できずに苦笑いを返すけど。
足を止め、共に止まる彼女を至近で見つめ。
「でも和泉さんは、特別にたいせつなひと。
一番にも二番にも出来ないけど、その許される範囲で尽くせる限りの想いを届かせたい。
わたしを深く分ってくれて、わたしの奥に踏み込んでくれて、わたしを強く想ってくれた。
わたしが生涯守り支えたく想う愛しい人」
人気の少ない夕刻の通学路には、聞き耳を立てている人も特に居ないけど。わたしは敢
て声音を潜めず、平静な声音で確かに告げて。和泉さんは少しの間双眸を見開いて、その
後。
「少し恥ずかしいけど……凄く嬉しいよ…」
口づけもなかったけど、頬の赤さも互いの熱も、夕日の効果だけではない。わたし達は
今肌身繋げなくても、確かに強く繋っている。
状況が変化したのは夏休みの少し前だった。
− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −
事の原因は美咋先輩を助けたく。先輩が穢された事実を伏せた侭、先輩を虐げる剣道部
顧問・大野教諭を失職させる為に。彼の欲情がわたしに向いた事を逆用し、己を襲わせて
彼を撃退した事にあり。自業自得なのだけど。
人の口に上った噂では。わたしが教諭に襲われ処女奪われたとか、恋に破れ捨てられた
とか。逆にわたしが彼を色香で惑わせたとか。
公式には事実は伏せられ、大野教諭は休職扱いで。不祥事隠しではなく、女の子の重大
事案は、被害者の為に安易に公表出来ないと。教諭は罪の重さの故に、拙速な処分も出来
ず。
羽様の家族と大野教諭や美咋先輩達以外に、真相を知る者は。県庁市にある教育委員会
の人と、経観塚高校の先生方のごく一部。その間で知られて伏せられている『事実』では
…。
わたしを辱めようとした大野教諭を、わたしが独力で撃退したと。置き放しのビデオカ
メラは視点固定で。彼がわたしを嬲る絵は撮れても、わたしが彼を倒す絵は残せず。音声
は美咋先輩の名誉に掛るので、残さなかった。
わたしの無事に先生方は、安堵しつつ首を捻っていた。剣道も習ってない女の子が剣道
達人の成人男性を倒せた結果は、納得し難く。恥を隠しているとの疑念も燻り、病院で検
査受けさせられ。逆に操の証を立てられたけど。
華奢な身で幾ら強さを示しても、信用され難いと分るわたしは。詳細は語らず結果を示
すのみに留め。勝因は『偶々運良く』『当たり所の関係』で彼が悶絶した為とされ。噂も
そこを突いて広まった。唯で済む筈がないと。
「おはよー」「おはよっ」「おは」「おす」
夏休み明け、朝の教室へわたしが脚を踏み入れると。一瞬会話が止まって、緊張が走り。
男の子も女の子も多くがわたしの反応を気遣い窺い。目を逸らし、掛ける言葉に惑う様で。
わたしは、心を柔らかく平静に保つけど。
やや隔てを感じてしまうのは、仕方ない。
「お、おはよ柚明」「おは柚明」「お早う」
睦美さんと美智代さんの声に挨拶を返し。
「お早う、板倉君、小堀君」「お、おぅっ」
若菜さんを苛めた彼ら5人に、割って入って止めてとお願いして以降。一時的に女の子
の間で人気沸騰したわたしは、男の子に避けられ。谷津君も緑川君も広沢君も応対が硬い。
夏休みは銀座通に行く所用も余りないので。
わたしの姿が見えぬ事を根拠に噂は再燃し。
『大丈夫なの、あの人』『しっ、聞えるよ』
感応使いのわたしは、みんなの印象も悟れるけど。己の無事を訴えるのも不自然なので。
公式見解は『わたしに何もなかった』のだ。
大野教諭の休職と羽藤柚明に関連はないと。
幾ら無傷を言い募っても、病院の検査で女の子の無事を証しても。剣道達人の成人男性
を女の子が撃退したと納得させるのは難しい。全て伏せれば誤解もない。先生方や羽様の
大人も了承した決着を、己が壊す訳には行かず。それが噂の形で漏れ出たのは、想定外だ
った。
『羽藤さん……』『どうやって声掛ければ』
酷い噂だから。胡桃さん若菜さんが近寄れないのも無理はない。穢れを厭うのみならず。
わたしを見る度に、この身を襲った禍を瞼に浮べ、肌身震え心竦み。女の子を怯えさせた
己の未熟や不徳が申し訳なく。抱き留めて心慰め癒したいけど、今の己にその資格はなく。
噂が出る迄は、わたしの傍に寄る事を喜び、肌身に触れる度に嬌声を上げていた女の子
の多くは。近寄れずわたしから少し距離を置き。
そんな空気も読まずに踏み込んで来たのは。
わたしより少し背が高く少し胸が大きくて。
黒髪長く艶やかな噂話の達人・志保さんで。
「ゆめいさん。あなた大野先生に休日格技場で犯されて、子供孕んで病院で堕胎させられ、
対人恐怖症になって経観塚から逃げ出していたって聞いたけど。学校出て来て大丈夫?」
「大丈夫だよ。されてないから」
応えた後で、中身の凄まじさに耳迄熱が回ったけど。彼女の問は、周囲に噂の否定を2
人で強く響かせる事になり。志保さんは何よりわたしの真偽が気に掛ると、正面から問を。
「本当? みんなその事を噂して凄いよ…」
噂は既に広まっていた。本人だけ知らないより。向き合える様に報せてくれる人は貴重
だ。志保さんはわたしの反応も込みで、噂を語る気だけど。彼女は震源でも発祥でもない。
「心配してくれて有り難う。でも、わたしは大丈夫。大野先生の剣道部への勧誘は熱心だ
ったけど、わたしに武道は似合わないし…」
一度や二度否定しても、噂の払拭は難しい。
既に何かがあった事は、否定し難い状況だ。
でも諦める訳には行かない。真相は明かさない様に大人の間で定められ、語れないけど。
わたしを尚愛し信じてくれる人の想いに応える為に。噂を流した者の意図に屈する訳には。
真相を語れぬ今のわたしは。折れず萎れず腐らずに。己のありの侭を見せ、根拠のない
噂を、言葉以上に日々の挙動で否定して、羽藤柚明を信じ納得して貰える様に努めるのみ。
気遣う視線、好奇の視線、嫌悪の視線……。
信頼も心配も同情も、疑念も嫌悪も蔑みも。
人の内心は感応等で視ずとも、仕草や声音で概ね見えるけど。だからわたしは怯まず脅
えず落ち込まず、常に心柔らかく。己を見失わなければ、周囲の状況の方が変る事もある。
− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −
翌日の昼休み、遠巻きにわたしを窺う姿勢から踏み込んできたのは、川中睦美さんだっ
た。塙美智代さんや吉村佳代さん、赤田茜さんを伴い。睦美さんは若菜さん胡桃さんにも、
「ルミとカナは良いのかい? 柚明の事で」
と声を掛けたけど。若菜さんは鬼の形相で。
「関係ない……わたしを巻き込まないで!」
睦美さんを睨み、わたしとは瞳合わせず。
「行くよルミ」「カナ……でも、柚明さん」
胡桃さんの迷いを、若菜さんは叱咤して。
「あなたもあの人と一緒に、穢い噂を纏って生きる積り? 田舎の世間は狭いの。一度噂
の泥に汚れればお終い。二度と元に戻れない。噂が広まった時点で、あの人の人生は終っ
た。傍にいるとこっちも同類扱いで酷い目見る」
若菜さんは胡桃さんの不安を沸き立たせ。
他の女の子や男の子もいる教室で昂然と。
「人は落ち目になると誰も関ってくれない。
彼女、その内学校にも顔出せなくなるわ」
いなくなる者に情けを掛けても意味がない。
残る自分を守る為に禍を遠ざけるのは当然。
「元友達なんて思っちゃダメ。巻き込まれる、酷い噂される、苛められる。あの女は最初
から友達なんかじゃなかったの」「う、うん」
最早佳代さん達も掛ける言葉を持たぬ中で。
2人が教室を外すのを見届けた志保さんは。
「暫く前の自らの予言当てちゃうとはねー」
睦美さん達の輪の外側から脱力した呟きを。
いつの間にか富岡京子さんも姿が見えない。
「ゆめいさん、こうなる事も概ね読めていたでしょ? 波瀾万丈で諸葛孔明な人だから」
わたしはそれに否定も肯定も返す事はせず。
暫く前若菜さん胡桃さんに囁いた言の葉を。
「わたしは何度裏切られても、大丈夫だよ」
そうせざるを得ない時は、裏切っても良い。
わたしは受け容れて嫌わない。その上で…。
「わたしは誰かを守れる人になりたい。誰かに役立てる人になりたい。たいせつな誰かが
哀しみ嘆く様は見たくない。だからわたしは例え何度裏切られても、助けを求められたら
必ず応えたい。その幸せに身を尽くしたい」
それは今でも微塵も変らない。言い切ると。
「その甘さ……人によっては毒にもなるよ」
志保さんは肩を竦め数歩下がって場を譲り。
茜さん達が漸く体勢を立て直し本題に入る。
「私達はあなたの口から事実を聞きたいの」
彼女達は噂に揺らされつつ、わたしの話しを聞いて判断したいと告げてくれた。事の真
偽以前に多くがわたしを忌み嫌う中で。わたしが心配だと、事実を明かしてと。共に事に
向き合いたいと。わたしは友に恵まれていた。
「美智代さん、睦美さん、茜さん、佳代さん。心配頂いて有り難う。そしてわたしの纏う
噂の為にみんなに心配を掛けて、不安を与えて、ごめんなさい。でもわたしは無傷で大丈
夫」
わたしは間近の四対の黒目を順番に見つめ。
声音は輪の外の室内にいる他の人にも向け。
「嬉しかった。わたしに直接尋ねてくれて。
わたしに事実を明かす場を与えてくれて」
昨日の志保さんも、夕維さんも歌織さんや早苗さんも、今朝の(野村)美子さんもそう。
わたしは尚多くの人に愛され支えられている。その為にもわたしは心折られる訳に行かな
い。
「みんなの抱く幾つかの疑問には、今は答えられないの。状況が許せば答えたいけど、心
配や気遣いに応えきれなくてごめんなさい」
口止めされた事実を示唆してしまうけど。
ごまかしも無視も多くの人には通じない。
有利な事実も不利な事実も、開示できる事は全て明かす事で、この言葉への信頼を望む。
大人との約束で、言えない事は言えないけど。
「でも言える事も幾つかあるわ。羽藤柚明は今も無事で大丈夫。女の子の大事な処も破ら
れてないし子種を宿した事もない。傷んでも萎れても怯えても居ない。今もわたしは睦美
さん達をたいせつに想い、その力になれる」
赤田茜は、吉村佳代は、塙美智代は、川中睦美は、羽藤柚明のたいせつな人。縁あって
同じ学校に通い、想いを交えた可愛い子。それは若菜さんも胡桃さんも同じ。わたしは彼
女達を、あなた達を裏切る事は決してしない。
一度たいせつに想った人は、羽藤柚明にはいつ迄もたいせつな人。力の限り守りたい人。
「事の真偽はその目と耳で見て聞いて考えて。
耳にした噂が本当かわたしの言葉が本当か。
わたしはわたしの真実を応えるだけです」
誠を尽くせば必ず想いが届くというのは幻想だけど、時に届く事はあるのかも知れない。
− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −
「あなた知ってる? あの女がルミカナに捨てられたって。金魚の糞も機を見るには敏ね。
尤もあの女の守りが消えて、再び2人男子に絡まれている様で、いい気味だけど。今なら
あなたもあの女に、部活以外でも近づける」
早めに部室に来たわたしは、幸恵さんの声を耳にした。隠す積りもない様で、姿は書棚
の向うでも声は透り。『あの女』がわたしを指し、ルミカナが胡桃さん若菜さんを指す事
は悟れたけど。声にはわたしへの嘲りを感じ。
「あなたはどうなの? 進堂さん日高さんに拒否られて、放課後以外は羽藤に近づけない
でいたあなたこそ、チャンスではなくて?」
松本ゆかりさんの答が宿す不快は、わたしへのではなく、幸恵さんへの。声を発しよう
として思い留まったのは。書棚のこちら側で潜む和泉さんを見つけたから。声を出すと和
泉さんの立ち聞きも同時に晒す。最後迄黙する訳に行かないけど、不意打ちは心臓に悪い。
声は歩み寄り、わたしの所在を悟らせてから。
幸恵さんはゆかりさんの反問に冷笑を返し。
「冗談止めてよ。あんな中古品」「中古?」
そうよ。男にお股開いて、挿れられたのよ。
もう清い乙女じゃない。お古で唯の淫売よ。
「しかも誰かの食べ残し。穢くて気持悪い」
幸恵さんはわたしへの蔑みを人にも隠さず。
値を喪った者への執着は失せたと明言して。
「わたしはごめんだわ。欲しければどうぞ」
和泉さんの周囲の気温が熱を含んで視えた。
割り込んで平手打ちする像がちらつくのは。
彼女が憤怒でそれをしてしまいそうだから。
「顔形が綺麗だから好いてあげたのに。誰彼見境なく愛を振りまいた末、男にレイプされ。
処女同士だから、百合は清くて許されるのに。あんな穢いの、もうわたしは見るのも嫌。
取り巻き共に見捨てられ。その内淫行で退学か、居たたまれず自主的に辞める。哀れね。
男なんかに穢され、わたしの期待を裏切った罰よ。
聞いた噂だと彼女、羽様中で男と付き合ってたんだって? 何が『百合』で『レズ』よ。
男を恋愛対象に見る時点で、人間失格だわ」
最近幸恵さんがわたしに寄り付かなくなったのは、噂の影響だけど。彼女にとって羽藤
柚明の最大の値は『処女』だった様で。幸恵さんはわたしが男の子に見向きもせず、女の
子のみ狙って言い寄る像を、脳内で描き上げ。
わたしが大野教諭に貫かれたとの噂で幻想を砕かれた瞬間。わたしが男の子ともお付き
合いしていた過去が、今迄聞いてもスルーしていた情報が頭に入り始め。わたしを男に気
易く股開く女と捉え直し、蔑み嘲る様になり。わたしと深めた仲を煩わしく感じ、今迄隔
てようとしたゆかりさんや(菊川)愛子さんに、わたしの傍を押しつけようと。ゆかりさ
んはその真意を訝り、部活前に2人の話しを望み。
「そう言う訳で、わたしはもうあの女には何の興味も執着もないの。好きにしていいわ」
「元々あんたに言われなくてもその気だよ」
去ろうとする幸恵さんに、ゆかりさんは更に冷やかな不快を返し、一度その足を止めて。
「あんたが目障りに羽藤の前をうろついていた頃から、私はあんたに遠慮などなかったし、
今後もあんたの指示に従う積りはない。私は羽藤が好きだから傍にいるんであって、それ
は噂の前でも後でも特に変らない。羽様中でも本当多くの噂を纏っていたしね、羽藤は」
今更あんたに分った口を利かれたくない。
間近の和泉さんの憤りがやや収まり行く。
「教えておくよ。ルミカナや富岡京子は逃げ去ったけど、睦美も美智子も赤田さんも吉村
さんも、羽藤の傍に留まっている。文芸部でも愛子や和泉を始め、多数は羽藤から心離れ
てない。あんたの様に体の傷や経歴の傷一つで応対を掌返しする奴は、羽藤の傍に留まり
難いんだ。己の所業の醜さが羽藤の清さに対照されるから。あんたは羽藤に不似合いだ」
私はあんたより図太いから。己の所業が醜い事を承知で、羽藤の傍に居たく願うけどね。
そこでわたしが和泉さんに軽く触れると。
思わず出掛る叫び声を寸前で抑え込んで。
「私も前に、真沙美さんや美子さんを取り巻いて、羽藤を嘲り詰り敵視したけど。彼女は
どれ程棘を刺しても柔らかに受けて誠を返し、友を庇う時だけ真剣に苦言を返してきた。
そして和泉と羽藤と真沙美さんが、集団強姦された噂が流れ、羽藤だけ登校してきた朝
…」
真沙美さん不在の侭酷い噂が流れ、頼る核を失って震える私達を、力づけたのは羽藤だ
った。羽藤は最初からずっと、暴言や嫌がらせをした私達に、優しく触れて情愛を注いで。
『あなたが鴨川さんを心配する気持は、感じ取れたわ。有り難う。わたしのたいせつな人
を心から案じてくれて。あなた達と絆を繋ぎたく想ったわたしの判断は、正解だったわ』
『でも、言える事も幾つかあるわ。昨日の件で鴨川さんは、傷一つ負ってない事。彼女は
何も悪くない・負うべき罪もない事。そして、わたしとあなたが鴨川真沙美を今もたいせ
つに想い案じている事。それは確かでしょ?』
「羽藤が言えない事は己の恥や穢れじゃない。
誰かを庇い守るから沈黙の不利にも耐える。
その蓄積を羽様中出身者は知ってるんだ」
『わたしにも鴨川さんは、たいせつな人なの。
あなた達もそれが同じなら。今も同じなら。
羽藤柚明は今迄も今後もあなたの友達です。
悪い噂に耳を傾けず、心揺らされないで』
『鴨川さんは綺麗で賢く強い人だけど、金甌無欠じゃない。根も葉もない噂に心痛まない
筈がない。野村さん達が寄り添う事で支えになる。わたしも一生懸命守るわ。身を尽くす。
たいせつな人に今こそ心を寄り添わせて』
「惚れさせられた……羽藤柚明の値は、処女かどうかとか百合かどうかとかじゃないんだ。
あんたは百合を幾ら沢山知ってても、羽藤柚明を識ってない。私のセリフじゃないけどね。
まぁ良い厄介払いが出来た。あんたがその意向なら至極結構。もう羽藤に寄り付かない
でおくれ。あんたの様な女でも、羽藤は一度大事に想った以上、ずっと守り支える対象だ。
その甘さ優しさで、羽藤は私の知る限りでも、何度か苦い目を見ている。あんたも蔑んだ
中古品の情けに縋る無様は晒したくないだろ」
ゆかりさんはそうなる可能性を感じている。
幸恵さんがわたしの助けを求む時の到来を。
− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −
「この学校の意識レベルもやはりこの程度」
幸恵さんは最後迄話しが噛み合わなかったとの印象で。これ以上話ししても無意味だと、
その場を去ろうとして、わたし達と鉢合わせ。
和泉さんと慌てて謝るけど。幸恵さんもゆかりさんも、立ち聞きを全く気に掛けてなく。
「中古は中古の世界で幸せを見つける事ね」
答を待たず歩み去る幸恵さんの手首を握り。
わたしも伝えておかなければならない事が。
「菅原幸恵は羽藤柚明のたいせつな人。わたしの方は絆を断った積りはない。困った事が
あったら、遠慮なく相談して……わたしはたいせつな人の助けになれる事が、願いなの」
無言で振り払い、歩み去り行く幸恵さんを。
和泉さんとゆかりさんと、3人で見送って。
「こうなりそうな気がしたんだ……ったく」
ゆかりさんがわたしに苦言を述べたのは。
立ち聞きへの不快ではなくこの末を見て。
「羽藤が甘く優しすぎるから、断ち切る為に敢て2人で話したのに」「ごめんなさい…」
ゆかりさんが和泉さんやわたしに相談せず。
独りで幸恵さんに向き合った理由はそこに。
わたしや、わたしの意を汲む和泉さんでは。
今後に幸恵さんとの関りを、残しそうだと。
ゆかりさんは幸恵さんを、関り続けても仲直りできても羽藤柚明に害及ぼす人物と考え。
これを契機にわたしとの仲も纏めて断とうと。最終通告に自身が羽藤柚明に惚れ込んだ経
緯を伝え、尚分り合えなければ断交を導く気で。
「ゆかりさん、わたしの為に辛い役を自ら」
思わずその手を取って胸元に持ち上げると。
ゆかりさんは照れ隠しに首を左右に振って。
「ここ迄話して分り合えないと却って爽快」
あんたこそ、誰かの為に辛い沈黙を保って。
それで尚、傍の誰かを助けたがる優しさを。
「私が見てられなかったんだ。余計だけど」
「有り難うゆかりさん。そしてごめんなさい。わたしが向き合わなければならない事を
…」
「これはあんたのコピーだ。私は羽藤を好きだからその役に立ちたかった。それだけさ」
強がりつつ、わたしが持ち上げた両の掌を外す気配はなく。握られる事を好んでくれて。
「ゆかりん、格好良かった。男前だったよ」
「男前はないだろー、女子高生を掴まえて」
空気が砕け始めた頃に駆け込んできたのは、文芸部員ではない富岡京子さんで。荒い息
で。
「羽藤、さんっ。助けて。広沢君達が、ルミとカナを校舎裏に、強引に連れ込んで…!」
和泉さんもゆかりさんも同時に『余計な禍を持ち込んで』と顔色に。でもその次に『わ
たしをこれ以上禍に近づけない為に、京子さんを追い返そう』かと迷うゆかりさんに対し。
「柚明に任せるよ。その代りあたしも行く」
和泉さんは、わたしの判断を瞬時に推察し。
自身も一緒に事に向き合う、覚悟を固めて。
本当に強く賢く無謀な迄に想いの熱く深い。
羽藤柚明が心底惚れた守り愛したい女の子。
「早く行かないとルミもカナも小堀君達に」
京子さんの切迫した声を落ち着かせる為に。
尚先行きに不安を抱くゆかりさんにも向け。
「大丈夫、そんなに酷い目には遭わないわ」
谷津君達は、胡桃さん若菜さんが例の噂で、羽藤柚明から心離れた事に不納得で、問い
糺す気なの。遊び半分に苛める積りじゃあない。わたしが間に挟まれば、必ず落着させら
れる。
「ルミカナに、羽藤がそこ迄する必要は…」
ゆかりさんが見てられないと声を挟むのに。
「進堂若菜も日高胡桃も、菅原幸恵も羽藤柚明のたいせつな人。縁あって同じ高校に通い、
一緒の時を過ごすお友達。例え己が裏切られても、わたしが彼女達を裏切る事は決してし
ない。その助けや守り支えに全身全霊で挑みたいのはわたしの願い、わたしの我が侭よ」
「柚明がそれを選ぶならあたしも付き合う」
走り出すわたしに何故か、和泉さんだけではなくゆかりさんも京子さんも追随し。その
面子は、何と称して良いか分らない集まりで。和泉さんは興味深そうな輝きを視線に宿ら
せ。
『柚明の居る処、女の子の集合離散は柚明を中心に。柚明が女の子の懸案に望んで首を突
っ込む以上当然だけど。そんな柚明にみんな徐々に心巻き取られ。あたしも心巻き取られ。
時が経るにつれ、ライバル=同志が次々増えて行くのが、好ましくも唯一の難点かな』