第5話 己の全てでこの愛しさを



前回迄の経緯

 羽藤柚明は、中学1年生の冬を迎えました。

 初夏には、桜井さんや美子さん達女の子多数や賢也君から、わたしと真沙美さんが敵対
関係だと誤解され。志保さんや2級上の塩原先輩達拾数人も、巻き込む騒ぎになったけど。

 真弓さんの助けを受け、和泉さんや真沙美さんと強く心を繋いだお陰で、誰にも酷い傷
を残さず終り。歌織さん早苗さんとも仲良くなれて、美子さん達多数の誤解も解け。志保
さんをより深く知る事が出来たのも収穫です。

 和泉さんの家で真沙美さんと3人褥を共にする予定の金曜日、学校帰り。商店街の路地
裏に知った人の諍いの気配を感じたわたしは、たいせつな女の子を、捨て置けず首を挟め
…。

参照 柚明前章・番外編第3話「日々に確かに向き合って」

    柚明前章・番外編第4話「変らない想いを抱き」


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 低くたれ込めた曇り空の下、経観塚銀座通商店街を吹く寒風は、既に雪が混じっている。
冬服とは言え中学校制服のセーラー服の上に、何も羽織らず出歩くのは、そろそろきつい
季節かも。でも今は心がポカポカに暖かくて…。

 左手にカバンを提げ、右手でさっき買ったクレープを時折口に運びつつ。和泉さんと真
沙美さんと肩を並べて歩む金曜日の学校帰り。食べ歩きをはしたないと注意されそうだけ
ど。口に広がる甘みも、それを間近に歩むたいせつな人と共有できる時間も、そのたいせ
つな人がわたしに返してくれる微笑みも嬉しくて。

「ちょっとバニラ味食べさせて」「うん…」

 わたしの返事よりも早く、和泉さんが首を伸ばしてわたしの食べかけのクレープを、わ
ざわざ囓った処から一口もって行く。数秒後、

「バニラも中々いけるね。……うん、うん」

 和泉さんのチョコクレープが、わたしの目の前に突き出されて。問も答も、不要だった。

 彼女の囓った処から一口チョコ味を頂いて、

「……思ったよりしつこくない」「でしょ」

 和泉さんはその侭クレープを真沙美さんに。
 真沙美さんもわたしの囓った箇所から一口。

「うん、これなら私もいけるわ」「ねっ!」

 甘味を得意としない真沙美さんも味わえる。

「地味に人気爆発って売り文句は、日本語間違えていると思うけど、味は都会のクレープ
屋さんにも負けてないと思うの」「確かに」

 真沙美さんのバナナクレープも既にわたしと和泉さんの歯形が付いています。3人とも、
最初だけ間接キスになると少し頬染めたけど、既に気にする事の不要な状態だと思い返し
て。わたし達、3人の場ではもうその位とっくに。

 田舎の商店街でまばらな通行人や店員さんが時折視線を向けるのは、わたし達3人の近
しさへの驚きではなく、わたしと真沙美さんの近しさへの驚きだ。大人の世界では鴨川と
羽藤は対立関係とされている。和泉さんも含むわたし達には、及ぼしたくない話しだけど。

 中学校の校則では、登下校時の買い食いは禁止されていない。遠隔地から通う生徒も想
定し、間食の余地を敢て残した様で。郡部から通うわたし達の為に残された様な選択肢だ
から、この行動は正解だと和泉さんは言って。

 焦げ茶の艶やかなショートヘアを揺らせての、また食べに来ようよとの誘いに頷きつつ、

「でも今度来る時は外も寒いから、食べ歩きは難しそう。お店の中でゆっくり、かしら」

 今日はこの後にも予定が控えているので。
 お店の中でゆっくりは出来なかったけど。

「そうだね。私が学校とその行き帰り以外で柚明と一緒に過ごす時間は中々取れないし」

 鴨川が先代から羽藤と断絶した侭なので。
 わたしは真沙美さんのお家に行けないし。
 真沙美さんは羽様のお屋敷には来れない。

「行き帰りで少し道草する位あって良いさ」

 和泉さんはどっちにも行けるのだけれど。
 背中まで届く少し癖のある黒髪を揺らせ。

「私は和泉と今夜の為の買い物をするから」

 大伴酒店の前だった。真沙美さんは甘味は不得意で乾物や珍味など塩味を好む。サクヤ
さんと気が合うかも。今宵褥を共にする2人は夜のおやつの購入に店へ入り。わたしは…。

「じゃそう言う事で」「ゆめいさんまたね」

 うん。2人を笑顔で見送って、少し直進。
 羽様行きのバスが出る時刻迄は少しある。

 大伴酒店の駐車場には、2人の迎えに真沙美さんのお父さんがマイカーで既に来ていた。
運転席のお父さんにお辞儀すると、小さく頷いてくれたけど。やはり表情は少し硬かった。
わたしが真沙美さんの傍に居続けるのは拙い。

 書店で少し時間を潰そうかと思っていると、路地裏に微かに気の乱れを感じた。荒事の
様な感情の昂ぶりや身体の押し合いを察し取れたけど。トラブルに巻き込まれる兆しも感
じ取れたけど。知った人の感触があったので…。

 わたしは路地裏に足を踏み込ませていた。


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「ゆめいさんっ……」「羽藤さん、あなた」

 商店街の小路を右に折れて少し行った先で。わたしはクラスメートの海老名志保さんを
正面に抱き留めつつ、同じ学年の桜井弘子さん達女の子6人に囲まれて、向かい合ってい
た。

 人通りの多くない田舎の商店街の、路地裏は人気も更に少なくて。大声を出せば近所の
人が気付く可能性は残しつつ、散歩等で通り掛る人がいない限り、人目の届かない一角だ。

 弘子さん達は志保さんを求めて書店付近を探し、見つけた彼女を路地裏に連れ込んだ処
らしい。逃げ出せない様に前後を塞ぎ、問い詰め始めた頃合でわたしが身を挟めた模様で。

 なので弘子さん達にはわたしは邪魔者で。
 志保さんは藁に縋る気持だったのだろう。

 ひしとこの背に二本の繊手を回して、肌を合わせ身を重ね。わたしもそれを拒まず受け
容れて、その背にこの両腕を回し頬を合わせ。愛し合う恋人同士の様に正面から心を合わ
せ。

 身と心の震えを感じたので、撥ね付ける気になれなかった。そもそも女の子の肌は滑ら
かに柔らかなので、撥ね付ける気も起きないのだけど。弘子さん達もこの変転に、この抱
擁に戸惑って、暫く唖然と立ちつくしていた。

 志保さんと生身に触れ合えた事で、弘子さん達の想いの渦の真ん中に入った事で、今迄
の経緯や背景は大凡分った。そしてこの件には羽藤柚明、わたしも多少関っているみたい。

「羽藤さんっ……!」「ちょっと貴女ねぇ」
「直接関係ないのに」「割り込まないでよ」

 弘子さんの両脇で沢口さんや星野さんが困惑顔で不満を漏らす。6人は二組の女の子で、
志保さんはわたしと同じ一組だけど、7人共銀座通小の出身だ。身内同士の諍いに羽様小
出身の部外者が首を挟んだ様に感じたのかも。

 中学校に入って間もなく出来た、真沙美さんを慕う女子の大グループで。弘子さんは二
組の女子の半数以上を、野村美子さんが一組の女子の半数程を纏めあげていた。わたしや
志保さんはそのグループには入ってないけど。

 小学校の頃から秀才との噂が経観塚迄響いていた真沙美さんと、競り合う成績を得たわ
たしは、夏迄はテストの不正疑惑等もあって、弘子さんや美子さん達と多少軋轢あったけ
ど。誤解が解けて以降は蟠りもないので。6人に囲まれても特に怖れや不安は感じていま
せん。志保さんは彼女達にやや怯えていた様だけど。

「こんにちは。桜井さん、星野さん、沢口さん……志保さんが、ご迷惑かけましたか?」

 抱き留めた志保さんにピクと緊張が走る。

 わたしは一方的に志保さんを庇う積りはないので、語調は出来るだけ柔らかに。志保さ
んは大切なクラスメートだけど、弘子さん達も同じ学校に通う大切なお友達だ。今回は彼
女達の憤りにも訳がある。唯の苛めではない。

 弘子さんは6人中一番背が高く、わたしより5センチは高い。撫で肩な細身に癖のある
ショートな黒髪と大人っぽい容貌で。星野さんがセミロングの他は、全員倣った様にショ
ートヘア。志保さんはまっすぐに長い黒髪だ。

 わたしに取り縋る志保さんだけど、背と肩幅はわたしよりもある。胸の大きさもこの8
人の中では弘子さんに次ぐ物を持ち。この点に関してはわたしは同年代では『中の下』か。

「落ち着いて。志保さんも、桜井さんも…」

 関係ない……なんて事はないと思います。

 わたしは志保さんの大きな胸に大きくない胸を潰されつつ、柔らかな肉感を味わいつつ、

「海老名志保は、桜井弘子は、沢口貴美子は、星野亜美は、八田真央は、瀬戸裕理は、久
保敏江は、みんな羽藤柚明のたいせつなお友達。志保さんが傷つけられそうな時に、みん
なが志保さんに傷つけられた時に、わたしが知って知らない振りで通り過ぎる選択はない
の」

 袖触れ合うも多生の縁だ。知った人が困っているなら手助けしたい。この後に予定は控
えていても。たいせつな人との逢瀬が待っていても。目前にある涙や苦味は捨て置けない。

「まず志保さんから取り上げたその雑誌を返してあげて。伝えたい怒りがある事は分るけ
ど、それと他人の物を取り上げる事は別問題。
 相手に謝って償って貰う事と、憤りの余りその人の物を取り上げる事は、お話しが違う。
互いに余計な誤解を生じさせる。まず返してあげて。それからじっくり話しましょう…」

 弘子さん達の表情に微かに困惑と苛立ちが浮んだ。わたしの求めは志保さん寄りで、彼
女達の想いを汲み取りきれない、その実感にそぐわない、教科書っぽい正論に聞えたかも。

 だからわたしは、唯双方に冷静なお話しを勧めるのみならず。己もその奥迄分け入ると
示す。志保さんを助けるだけでなく、双方の言い分を良く聞くと。己に泥を被る覚悟がな
ければ、揉め事に首を突っ込むべきではない。

「何があったのか、わたしにもお話しして」

 今日の予定は少しずれ込むかも知れない。


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「こんばんは……遅くなって、すみません」

「いらっしゃい、大丈夫そうで安心したよ」
「寒くなかった? 外はもう真っ暗だから」

 金田家の食卓に迎えられたわたしは、清治さんと澪さんにご挨拶を。わたしの到着を待
ちかねていた和泉さんと真沙美さんは、出迎えてくれた玄関からずっと付き添ってくれて。
結局羽様行きのバスに乗り遅れ、歩いて来た。冬の初めの日は短く、既に周囲は暗くて寒
い。

「柚明だから大丈夫だとは思っていたけど」
「夕ご飯はもう作り終えちゃったからねっ」

「ごめんなさい、ご心配を掛けて。それにお夕飯の支度も、碌にお手伝いできなくて…」

 この場の4人に頭を下げる。和泉さんの宅で真沙美さんと3人で夜を過ごすのは、これ
で3度目だ。期末テストも近いので、和泉さんと一緒にお勉強と、3人集まったのだけど。

 わたしは真沙美さんのお家に行けないし。
 真沙美さんは羽様のお屋敷には来れない。
 だから和泉さんの家で3人褥を共にする。

 わたしは羽様のみんなに了解を頂いたけど。桂ちゃんと白花ちゃんの説得は難航し、抱
き留めて頬を合わせて、漸く納得を貰えたけど。真沙美さんはお家に事情を伝えてないみ
たい。言えばほぼ確実に羽藤との関りを嫌われるし、和泉さんの家に迄その余波が及びか
ねないと。

 商店街での別れは一時的な別行動で、真沙美さんのお父さんの送りで2人は先に和泉さ
ん宅に着き、わたしはバスで来る予定だった。真沙美さんは和泉さんの宅に泊る事実だけ
を告げたみたい。わたしと一緒と言う事は伏せ。

 澪さんと清治さんは、わたしと和泉さんの仲を許してくれたけど。でも2人きりにする
のはやや心配なのか。真沙美さんが、同じ歳の女の子が挟まる事を、むしろ好んでくれた。
親身に過ぎるわたしと和泉さんに寄り添う真沙美さんも又、親身に過ぎる仲なのだと或い
は澪さんも清治さんも、勘づいているのかな。

 澪さんも清治さんも、真沙美さんが家族には伝えない侭にわたし達と逢瀬を重ねる事に、

『ウチに泊るのは構わないが。君達が一緒に泊っていると言いふらす気もないが。問われ
た時は事実を答える。それは心に留めてくれ。それで鴨川のご両親がどう判断するかは鴨
川の問題だ。それ迄は知らぬ振りと言う事で』

『どうも有り難うございます……』
『ご迷惑かけて申し訳ありません』

 和泉さんも含めて3人で、ご両親の受容にお礼を述べ。澪さんも、子供づきあいに大人
の事情を絡める方がおかしいと言ってくれて。金田家は清治さん達が脱サラして農業を始
めた組で、地域の因習に余り囚われてない様で。

 そんな訳で、夏にご両親不在の金田家で3人過ごした夜を最初と数えて、今回で3回目。
真沙美さんとは学校以外で一緒に過ごす事が殆どないので、本当に愉しみなひとときです。
気分は人目を避けた、恋人3人の忍び逢いだ。

「まあ、詳しい話しは後にしよう」「お話しして問題ない事なら、お夕飯を食べながら」

 清治さんと澪さんに促され、和泉さんと真沙美さんの間の食卓の席に案内され、みんな
で少し遅い夕食を頂く。食卓での話しの多くはやはりなぜわたしが遅れたのか、何に関っ
ていたのかと言う事で。澪さんと和泉さんと真沙美さんの手作りコロッケを口に運びつつ。

「柚明、あんた海老名さんと未だ関って…」

 志保さんと取り囲んだ弘子さん達の間に割り込んだお話しをすると、澪さんや清治さん
より先に真沙美さんが心配そうに眉を寄せた。志保さんも弘子さん達も初夏の件でわたし
達に関りがあった事は、場の全員が知っている。

 志保さんは、弘子さんや美子さんと違ってわたしに敵意を向けた訳ではないけど、塩原
先輩達の様に害を為して来た訳ではないけど。噂が好きで、噂を広める事やその反応を見
るのが好きで。賢也君の語る噂を、信じる信じないに関らず校内に広める放送局を自ら担
い。

 失言癖なだけではない。彼女のそれは他人から聞いた噂を軽々に語り、自身で追加し膨
らませ行く性分が、一部漏れ出した物だった。

 悪意はないからわたしに好意的な噂も流し、わたしに関る噂を教えてくれもした。それ
でわたしの反応を窺ってもいた様だけど。悪意がないから、わたしに敵意を隠さない人達
と違い、中立の立場で噂を流せた。聞く方も本当かもと受け容れる。それが厄介だったけ
ど。

 わたしのカンニングの噂も、発祥は賢也君だけど広めたのは志保さんだ。塩原先輩達に
襲われた翌朝に、性的暴行の噂を流せたのは、賢也君から情報を貰えた為で。彼はその場
に真沙美さんがいた事を紛らわす為に、わたし達の噂を流そうとして策に溺れた。志保さ
んは噂の顔ぶれに、独自に真沙美さん迄加えた。

 真沙美さんをたいせつに想うわたしは、彼女の不在中に流れる噂を否定し、美子さん達
の不安を鎮め逆に心繋いだけど。わたしが真沙美さんに抱く真の想いを分って貰えたけど。

 事が終熄し賢也君が全てを明かすと、その行いも浮き彫りに。性的暴行の被害者に真沙
美さん迄加えた志保さんに、真沙美さんを慕う美子さん達の、非難の視線が集中し。わた
しに近しい歌織さんや早苗さん迄ほぼ全員が。

 耐えきれず昼休みに泣き崩れた志保さんを、土下座を続ける志保さんを、わたしはみん
なが遠巻きに見守る中、頬を平手打ちした後で抱き留めて。みんなにも許してとお願いし
て。

 夏のオハシラ様のお祭りでは、夜店をバスケ部の小野君と菊池先輩と4人で歩いたけど。
今度は志保さんは、わたしと菊池先輩の仲の進展から破局迄を、真偽まぜこぜで噂に流し。
その後でわたしが小野君と恋仲との噂を流し。まぁ志保さんの焦点がそちらに向いてくれ
たお陰で、わたしと和泉さんや真沙美さんの近しすぎる仲は余り衆目を浴びてないのだけ
ど。

 そう言う馴れ初めと経緯があった上で尚、

「志保さんも弘子さん達も羽藤柚明のお友達。縁あって同じ中学校で同じ時を過ごす事に
なった大切な人達。巧く行ってない状況を、見て見ぬふりして通り過ぎる事は出来ない
わ」

 わたしは志保さんだけを庇い助けた訳ではない。志保さんが大事なお友達であると同時
に。弘子さん達に、真沙美さんを想い慕う人達に、一時の憤りで過ちを犯して欲しくなく。

 憤懣の余り志保さんの買ったばかりの本を奪ったり、体を抑えたり小突いたり汚したり。
習慣化して本物の苛めになりかねない。それは彼女達が想い慕う真沙美さんにも影を落す。

 怒りに任せて志保さんを傷つけ痛める事は、弘子さん達の為にならない。志保さんの所
行への正当な憤懣は、正当な方法で伝えるべき。事情があればこそ想いを整理して欲しか
った。

「出しゃばり、だったかも知れませんけど。
 見ていられずに身を挟めてしまいました」

 最善の行動だったかどうかは自信がない。
 そんなわたしの、少し小さくすぼむ声に、

「君らしいよ、本当に」「苛められる側だけじゃなく、苛める側迄案じて首を挟ませる」

 やや呆れた声で、でも清治さんと澪さんは受容の苦笑いを。それは、わたしが護身の技
を使えて尚、想いを繋ぐ事を重視して、極力力づくを好まないと、分ってくれている故か。

「でも危ないよ。女の子とはいえ相手は数多いし。鴨ちゃんと仲良い人の悪口になるから
控えていたけど、桜井さん達は銀座通小の頃、気に入らない女の子を、汚したり抑え付け
たり苛めていたって聞いたよ。志保ちゃんへの怒りのとばっちりが、ゆめいさんに来た
ら」

 和泉さんの瞳はやや真剣な心配を宿して。

「ゆめいさんの強さは知ったけど。本当に桜井さん達が集団で襲い掛ってきたら。女の子
相手だと手加減したり、傷つける事を嫌って、敢て傷つけられる方を選びそう。危うい
よ」

 和泉さんの洞察には時々舌を巻かされます。
 清治さんと澪さんに先んじて真沙美さんが、

「柚明ならやりかねないね。気性は本当に争いに向かないのに、誰かの為となると自ら諍
いに首を突っ込んでしまう。結果、柚明こそが誰よりも被害を被り易い」「あ、はは…」

 わたしは適切な答を探せず苦笑いで俯く。
 心の準備は出来てますとは言えないので。

 力づくを避けると言う事は、万一揉め事になった際も手出ししないと言う事で。特に女
の子相手だと痛い目に遭わせるのも可哀相だ。逃げるとか助けを呼ぶとかの選択がない場
合、巧く躱せない場合、己を捧ぐ覚悟は出来て…。

 贄の癒しがあるから多少傷ついても、わたしは大丈夫だし。澪さん達には言えないけど。

「私も桜井さん達の話しは別ルートで聞いているよ。でも過去の事で今の仲を絶つのは好
まないから。そう言う事をする人は好きじゃないと伝えてはある。特に柚明については」

 初夏の件が解決した翌日、登校直後の玄関でわたしは、四拾人以上の男女が見守る前で、
真沙美さんの強い抱擁に身も心も捉えられて、

『羽藤柚明は、鴨川真沙美のたいせつな人』

 私が惚れた強く賢く、綺麗で心優しい人。

 今迄の事は問わない。今後柚明に失礼や非礼をする人は、私が許さない。そう承知して。

 真沙美さんは美子さんや弘子さん達を通じて真沙美さんを慕う人達を全員集め、それ以
外の人もいた衆目の前で敢てそれを見せつけ。それ迄の誤解の絡んだ関係を一気に清算し
て。真沙美さんの最も近しい人だと告げてくれて。

 わたしもその告白に衆目の前で答を返し。
 唇が触れる程傍でその美貌を見つめ返し。

『鴨川真沙美は、羽藤柚明のたいせつな人』

 強くて綺麗で賢くて、心優しい愛する人。

『唯一のとは言えないし、一番とも二番とも、言う事できないわたしだけど。有り難く嬉
しいその想いに、等しい想いを返せないのが心底申し訳ないけど……。叶う限りの想いを
返します。ふしだらなわたしでごめんなさい』

『真沙美さんの想いを送るのにわたしが相応しくないと感じたら、いつでも捨てて良いよ。
一番の想いも返せないわたしに気遣いは要らない。縛る積りは微塵もない。それで尚寄せ
てくれる美しい想いには、叶う限り返させて。
 ふつつか者ですが、宜しくお願いします』

「桜井さん達がわたしの割り込みに苦い表情を見せても、簡単に手出し出来なかったのは、
真沙美さんの一言が効いていた為だと想う」

 本当に有り難う。頭を下げるわたしにみんなはほっと胸を撫で下ろし。制服の少しの乱
れも直したので、一見しても強く触れ合った様には見えない事もあって。みんなやや安心
出来た表情で、夕食後のデザートに移ります。


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 今回弘子さん達を怒らせた原因も、志保さんが流した噂による。わたしの時も根拠の薄
い脚色が主成分の噂に、結構困らされたけど。

 小野君を通じてオハシラ様のお祭りに誘ってくれた菊池先輩は、正直言って外れだった。
容姿や体格や趣味ではなく。彼の動機が『性的暴行された女の子』の心の傷を慰めてやる
事で『優しい先輩の俺』に酔いたかった故で。羽藤柚明を求めてくれた訳ではなかったか
ら。

 紳士的な人だった。菊池先輩は、初回でも2回目でもキスを断ったわたしに、最後迄無
理強いをしなかったし、言葉も荒げなかった。唯、わたしの性的暴行の噂を丸呑みし、否
定しても自分に隠し事は不要だと前提を変えず。

 わたしを気遣う様で、受け容れている様で、わたしを見てなかった。傷を引きずり隠し
ていると思いこんだ地点から、彼は遂に動かず。その想いは羽藤柚明にではなく、優しい
先輩、全て受け容れる寛大な俺と、自身にのみ向き。

 彼に応え続ける事が、真沙美さんや和泉さんの性的暴行の噂も引きずりかねない。秋を
待たずわたしは先輩に、関係終了を申し出た。恋仲未満のお友達の段階で挫けた感じだっ
た。

 僕に君は救えなかったんだねと呟き、先輩もそれを了承してくれた。遂に分って貰えな
かったという点でわたしも残念な結末だった。

 その後に続く小野君との関係も、噂された様な恋仲ではない。バスケ部一年のエースで、
陽気で容姿も爽やかな小野君は女子にもてる。慕う女の子は他にも多数いた。小野君とわ
たしとの仲は、部活の関りで先輩の頼みを断れず、わたしに引き合わせた彼の責任感の故
で。

 わたしに引きずられる必要はないと。わたしは何も傷ついてないから。小野君は好きな
人がいれば自由に付き合って良いのよと促し。未だ小野君は心の整理が付いてない様だけ
ど。

 問題はそんな中で最近耳にした新しい噂話。

 聞いたよ。真沙美さんがゼリーを食しつつ、

「弘子さんが小野を好いていて、小野と恋仲の柚明に対し嫉妬の炎を燃やしているって」

「ゆめいさんも、桜井さんが小野君を奪いに来るのを怖れて、嫌がらせをしているって」

 和泉さんの声が脱力するのは、嫌がらせという行いがわたしに不相応と感じてくれてい
る故で。噂の上に噂を重ね、推論の上に推論を重ね。逆に噂を流す者の趣向が透けて見え。

「あんたと小野の仲が噂した割に動きがないから、目に見えた動きが欲しかったのかね」

「噂好きな子の間では盛り上がっていたよ。男を巡る女の対決は目に見えて分り易いし」

 清治さんはご近所の世間話をやや苦手とする様で。子供の世界でもそれに類する話しが
あるのかと、ややげんなりした顔を見せつつ、

「根も葉もない噂だから、桜井さん達は怒って仲間を集め、海老名さんを懲らしめに?」

 いえ。わたしはそれには首を左右に振り、

「今回は噂話が真実だから、困った事に…」

『?』を顔に表す清治さんに対し、澪さんが気付いた顔を見せるのは、やはり女性の故か。

「桜井さんは本当に小野君に恋しているのね。だから、秘めた大事な恋心を無遠慮に噂に
流した海老名さんに対して、憤っていると…」

「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる?」「そう」

 弘子さんの真意を知る真沙美さんは、和泉さんの問に頷いて。根も葉もない噂が人を傷
つける事は多いけど、真実その侭が噂になって人を傷つける事もある。憶測を重ねて作り
あげた噂話は、皮肉にも今回正鵠を射ていた。

 にも関らず、と言うよりその正確さの故に、今回は噂の源に反応が返ってきた。弘子さ
ん達は噂を丹念に探ってその源を辿り。やはり志保さんと確証を得て、今日の行いに至っ
た。


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「わ、わたし。知らないわよ。そんな噂っ」

 久保さんや八田さんの話しで状況が見えた処で、わたしは志保さんに真偽を問うたけど。
志保さんの雑誌は瀬戸さんから返して貰えた。感応と関知で経緯は掴めたけど、彼女達の
憤りは言葉にさせる。桂ちゃん白花ちゃんもそうだったけど、耳を傾けてみせる事が大事
だ。

「志保さん……」「知らない、知らないよ」

 抱擁は解いても、囲まれた状況の侭なので、志保さんは味方を求め、この右肩に取り縋
る。でも今の否認で周囲の空気は尚険悪に。それを感じた志保さんは一層わたしに身を寄
せて、

「わたし何にも知らない。知らないよっ…」

「志保あんたねぇ!」「亜美、少し待って」

 尚首を横に振る志保さんに、星野さんが堪りかねて声を挟むけど。弘子さんはそれを制
止し、わたしの応対を見守ろうと。わたしが志保さんから真実を引き出せるか見守ろうと。

「今回の噂は確かに羽藤さんも関っているわ。私達と同じ被害者の立場で。羽藤さんも志
保の被害は累積している。志保が羽藤さんの優しい促しに、本当を白状できるのかどう
か」

 わたしに取り縋る柔い肌が微かに震えた。
 お手並み拝見という女の子達の輪の中で、

「志保さん」「知らない、知らないってば」
「わたしの目を見てそう言える?」「……」

 志保さんの双眸の瞬きに躊躇いを感じた。

 志保さんはわたしと弘子さんを対立させて、泥試合を招こうとした。嫉妬や敵意をぶつ
け合い、醜態を見せて双方が小野君の好意を失う事を望み。弘子さんがその意図を喝破し
て、噂を流した志保さんに敵意を向けた事は彼女の想定外だった。その上ここで今事実を
認めては、庇ったわたしに見放される。6人の女子の敵意の海に再度放り出されるのは嫌
だと。

「海老名志保は、羽藤柚明のたいせつな人」

 その怯えを拭わないと。例え事実を全て話しても、わたしは決してあなたを嫌わないし
見放さない。心繋げたお友達だと。そう伝える事で志保さんにありの侭を明かして欲しく。
 一生懸命瞳を潤ませ信じてと縋って来ても、首筋に頬寄せられても肌の下の本音が視え
る。

『言えばゆめいさんに嫌われる。見放されて、桜井さん達に引き渡される。絶対白状しな
い。認めなければ、言い掛りで苛められたと先生に言える。ゆめいさんも庇ってくれるか
も』

 でもその考えは通じない。通じないと志保さんには見えてない。弘子さん達がそれでは
納得しない。真実を認めない志保さんを完全には庇えない。一時凌ぎは出来ても、弘子さ
ん達が得心せずに、ずっと付き纏われる事に。

「わたしは志保さんの本当を聞きたいの…」

 例えあなたが酷い噂を流していても、あなたはわたしの大事な友達。見放す事はしない。
桜井さん達が抱く憤りは、受け止めなければならないけど。わたしもそれに付き合うから。

「事実を語って。瞳を合わせて答えて頂戴」

 わたしが問答で事実に迫れなければ、弘子さん達が実力行使で事実に迫る。どっちにせ
よ志保さんは事実を隠しきれない。今志保さんが言葉の促しで事実を認めれば、弘子さん
達も実力行使は躊躇うだろう。わたしが身を挟めてお願いすれば止められるかも。でも説
諭の失敗後に実力行使で事実が明かされれば。

 弘子さん達の志保さんへの懲罰も、実力行使になる。それを止める術は、わたしの実力
行使のみだ。わたしは女の子を傷つける事を好まない。わたしは身を挟めて志保さんを逃
がすけど、その為に場に残るわたしは多分…。

 己の痛みを嫌う以上に。それでは志保さんが罪を償えない。弘子さん達に過ちを犯させ
る事になる。それは最悪の展開の中の次善だ。今は志保さんに自発的に己の罪を明かして
と。

「本当に、噂を流してないの?」「……っ」

 知らないと、唇は動くけど声にならない。
 嘘を重ね行く事は、人の心に負荷となる。

 何度も問う事は、相手の答を信用してないに近い非礼だけど、わたしは敢てそれを重ね。

 志保さんは突如キッと貫く視線を返して、

「ゆめいさん、わたしの答を信じないの?」

 事実を知らないのに、自分を疑って掛るのかと。大切なお友達と言いつつ、クロ前提で
自白を迫るのかと。憤りを宿す問にわたしは、

「あなたは、信に足る答だと胸を張れる?」

 問い返しに彼女の絞り出した気力が散る。
 それで実質の問答は終えていたのだけど。

 逃げる瞳を追い掛けて、視線を引き寄せ。
 その撫で肩を、両手で軽く抑えて触れて、

「人は間違う事もあるわ。過ちを犯した時は、謝って償って、許して貰うのが最善の方法
よ。謝って願う仲直りには、素直さが大事なの」

 両腕を背に回し、その身を軽く抱き留めて、左頬に左頬を合わせ、その左耳に言葉を注
ぐ。

 自身の過ちを明かす事への怯えは分るので、親身に接ししっかり中身を伝え切る。理屈
ではなく、あなたを想っての忠告だから受け容れてと、気持に訴える。周囲の弘子さん達
は瞳を見開き頬を染め、口元を抑えていたけど。

 これは完遂する。しないと志保さんに分って貰えず、弘子さん達と仲直り出来ない。こ
こで志保さんの謝罪を貰えなければ、弘子さん達の怒りを防ぎ止めるのは至難の業になる。
双方の笑顔の為に、今この瞬間が大事だった。

 声音はむしろ周囲の6人にも聞える様に、

「心から謝ればみんなも鬼じゃない。許してくれるかも知れない。例え許して貰えなくて
もわたしはあなたを必ず許す。最後迄寄り添うわ。どんなあなたでも何をしても、海老名
志保はわたしのお友達よ。そして何よりも」

 志保さんが抱く罪悪感に整理が付けられる。この侭謝らず日々を過ごしても、志保さん
の心が晴れないと想うの。酷い目にはわたしが遭わせない。必要な償いや謝罪や誠意以上
は、弘子さん達も求めないし、求めさせないから。

「面と向って謝る貴重な機会を逃さないで」

 心を注いだ問いかけに、返ってきた答は、

「……ごめんなさいっ!」「志保さん…?」

 突然身を離し、わたしの背後にいた八田さんと瀬戸さんを突き飛ばし、志保さんは全速
力で疾走し。逃げられた。志保さんの選択は逃避だった。これは想定外です。問うた以上
肯定でも否定でも、返答があると思っていた。世の中には、設問者の想定を越える答もあ
る。

 止めようとしたけど、振り返るわたしの間近に突き飛ばされて倒れ掛る八田さんがいて。
抱き支える内に、志保さんは曲り角に消えて。なのでわたしは八田さんを支え。その後突
き転ばされた瀬戸さんを抱き起こして埃を払い。

「追い掛け……」「いや、良いよ」「…?」

 星野さん達が志保さんを追い掛けようとするのを、弘子さんが制止した。距離を空けら
れた今から追っても家に逃げ込まれるし、嫌でも来週月曜日に学校で逢えると。それより、

「もう少しお話しを聞きたい人が出来たの」

 彼女達の包囲の焦点はわたしに移っていた。


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


 瀬戸さんは、志保さんを庇いに割って入ったわたしの助けを嫌う様に払いのけ。そこで
わたしは弘子さん達に囲まれた現状に気付き。

「桜井さん……その、ごめんなさい。志保さんとのお話しを繋ぎたかったのだけど、わた
しの力不足で、結局こんな終り方になって」

 志保さんとの信頼関係が足りてなかった。
 頭を下げるわたしに弘子さんの声は低く、

「悪いと思っているんだ? 志保を庇いに入ったあなたなら、志保さえ逃がせば後は私達
なんて、どうでも良いかと思っていたけど」

「そんな事ないわ。桜井さん達はみんな羽藤柚明のたいせつな人。同じ学校のお友達…」

 わたしの言葉を弘子さんは全て言わせず、

「ふん、今更私達の好意を望む? 志保を庇いに割って入って、その志保に振り切られて、
先に逃げられ見捨てられ。志保と立場が入れ替わって、己が危うくなって初めて、私達に
まともに向き合ってくれたという事かしら」

 桜井さんは正面から歩み寄って、この左肩に右手を伸ばしてぎゅっと握り、爪を立てる。

「弘子さん拙いよ。羽藤さんは鴨川さんの」
「下手に手を出して鴨川さんに知られたら」

 沢口さんと星野さんが慌てて宥めるけど。

「こっちから仕掛けた訳じゃない。この女が自分から飛び込んできたんだ。しかも話し合
いとか言って結局志保を逃がして。志保の身代りになる覚悟位、見せて貰わないとねぇ」

 逃がさないよ。肩の肉に硬い爪が食い込む。
 強い憤りや苛立ちが、肌身に直に流れ込む。

 それは感応の力を持つわたし故に、結構きついのだけど。痛みも害意も今は受けて堪え。
伝えさせる事で発散し解消できる想いもある。お話しを丹念に聞くのと同じで、受け止め
たと分って貰う事が大事な局面が、世にはある。

「お友達に捨てられた気分はどう? あなたがわざわざ危険を冒して助け庇ったお友達に、
ごめんなさいの一言で振り切られた気分は」

 この場に割って入った事が間違いと、認めさせたいその声に、でもわたしは別の回答を。

「志保さんは今もわたしの大事なお友達…」

 志保さんは、自身の為した事を明かしてしっかり謝り償うべきと、わたしは想う。お友
達としてわたしは彼女にそれを勧める。でも。

「桜井さんにもお願い。みんなが抱く憤りは分るけど。正当な償いや謝罪以上を志保さん
に強要しないで。金品を取り上げたり痛めつけたり、悪い噂を報復に流したりしないで」

 今回の事は明らかに志保さんが悪い。ここから逃げ去った事も良くないと思う。お友達
として志保さんを、謝りに行く様に促します。わたしが志保さんをそうさせると約束しま
す。

 その代り桜井さん達も、正当以上の何かを志保さんに追加しないで。仲良くなってと迄
は求めない。唯志保さんの心底の謝罪と償いを受けた時は、受け容れて仲直りして欲しい。

「捨てられても志保が大事かい。危険を冒して助けに入って、その志保に逃げられて尚大
切かい。あんたこそ志保の噂で最も害を被ったのに。弱味でも握られているのかい……」

 私はあんたの甘さも善人面も、前から気に喰わなかった。体格も胸も大きくはない癖に、
顔立ちと言葉だけは綺麗に整って。鴨川さんや小野君をたらし込み、時折行く手を遮って。

「一度黙らせたいと思っていた。その可愛い顔を泣き喚かせて、分を教えてやりたくて」

 爪が食い込んだ左肩は多分血が滲んでいる。体格の良さと細身な割の腕力と押しの強さ
で、弘子さんは今迄女の子達を主導してきたのか。でも肩を押し下げ跪かせようとする弘
子さんのその圧を、わたしは受けて潰れず頷き返し。

「志保さんはわたしの大切なお友達。それは今も変らない。悪い噂を弄ぶ処や、困難に向
き合えず逃げちゃう処は、直して欲しいけど。一度絆を繋いだ人は、いつ迄も羽藤柚明の
たいせつな人。痛み苦しみや哀しみに、涙流す様は見たくない。いつも笑っていて欲し
い」

 女の子達の瞳が一瞬、驚きに瞬いた様な。

「そして弘子さん達も羽藤柚明の大切な人達。縁あって同じ学校に通い、わたしのたいせ
つな真沙美さんを慕ってくれた大事なお友達」

 わたしが身を挟めて志保さんへの行いを防いだのは、志保さんを守りたかっただけじゃ
ない。あなた達に過ちを犯して欲しくなくて。ずっと一緒に、真沙美さんを想い合いたく
て。

「金品を取って、痛めつけ、汚して泣かせては、あなた達の正当な怒りが唯の苛めになる。
唯の脅迫や暴行に。先生やご両親に知れれば、あなた達が悪者になる。絶対分って貰えな
い。それはみんなが慕う真沙美さんに迄影を落す。負担になる。みんなもきっと、そこ迄
志保さんを追い詰めて傷つけた事に、悔いを残す」

 正当な怒りだからこそ、正当に伝えて謝罪と償いを受けて。傷つけ奪うのではなく誠意
を求めて。それ以上埋め合わせは求めないで。それは志保さんの為と言うより、あなた達
の為なの。わたしのたいせつな、桜井さん達の。

 わたしは左肩に食い込む弘子さんの右手に、己の両腕を軽く絡めてすっと外して頬に当
て、

「えっ……わ、私の爪を、簡単に外し……」
「桜井弘子は、羽藤柚明のたいせつな人…」

 すり、とその掌を頬に合わせ言葉を紡ぎ、

「志保さんが流したわたしの噂は殆ど嘘よ」

 小野君は、部活の関りで菊池先輩をわたしに紹介した責任感で気遣ってくれているけど、
その好意は恋とは違う。彼はわたしの大事なお友達だけど、恋仲ではありません。だから。

 ここからは周囲に聞えない様に声を低め、

「わたしへの気遣いは不要よ。あなたの言葉と意思とタイミングで彼に想いを届かせて」

 ぴしっ。頬に寄せた弘子さんの右の掌に力が通い、この左頬を打ち据えて戻って行った。


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


「羽藤さん、あなた!」「ごめんなさい…」

 弘子さんの憤りは、他の子に聞えない様に声を低めたけど、秘めた恋心を見抜いた事に。
でもわたしが小野君と恋仲との噂は広まっているから。真相を直に伝える事が必須だった。
わたしはあなたの恋のライバルではないよと。

「わたし、桜井さんを好きよ。応援するわ」

 振り返ればこの言葉こそ誤解を招きそう。
 でもこの時は彼女と心触れ合わせたくて。

「舐めたマネを。あんた、私を一体何だと」

 頬を叩いた弘子さんが一歩退き、叩かれたわたしが手を差し伸べ。敵意や害意は欠片も
なかったけど、端からは弘子さんが気圧されて見えたかも。他に誰も動きを見せない中で。

「その辺で止めときなよ、弘子さん」「?」

 同じクラスの野村美子さんが、姿を現して。
 物陰で様子を窺っていた気配は感じていた。

「志保が血相を変えて走り去ったから、弘子さんがやったのかと思って、見に来たけど」

 美子さんはまっすぐ長い黒髪が風にそよぎ。
 撫で肩でも背はやはりわたしよりやや高い。
 弘子さんより少し低く胸もやや小さいけど。
 それでもわたしよりは未だ大きく女っぽい。

 一組で真沙美さんを慕う女子のまとめ役は、美子さんだった。初夏の件では同じクラス
だったので、弘子さんよりも多く関り、その分誤解も蟠りも早く解けて、心通じ合えたけ
ど。彼女も銀座通小出身で弘子さんの幼馴染みだ。

 真沙美さんやわたしの性的暴行の噂が校内に流れた初夏、真沙美さんを慕う美子さん達
は、真沙美さんの不在と悪い噂に心揺らされ。

『教えて頂戴。昨日あなたと金田さんと、鴨川さんや塩原先輩達の間で、本当は何があっ
たの? それはこれからどうなる物なの?』

『あなたが鴨川さんを心配する気持は、感じ取れたわ。有り難う。わたしのたいせつな人
を心から案じてくれて。あなたとも絆を繋ぎたく想ったわたしの判断は、正解だったわ』

 震えるその両手をわたしの両手にとって。
 確かに肌触りを繋いで気持を落ち着かせ。

『先輩達とのお話の中身は、事が先生や保護者の話になっているから、今は言えないの』

『でも、言える事も幾つかあるわ。昨日の件で鴨川さんは、傷一つ負ってない事。彼女は
何も悪くない・負うべき罪もない事。そして、わたしとあなたが鴨川真沙美を今もたいせ
つに想い案じている事。それは確かでしょ?』

 わたしにも鴨川さんは、たいせつな人なの。
 あなた達もそれが同じなら。今も同じなら。
 羽藤柚明は今迄も今後もあなたの友達です。

『悪い噂に耳を傾けず、心揺らされないで』

 鴨川さんは綺麗で賢く強い人だけど、金甌無欠じゃない。根も葉もない噂に心痛まない
筈がない。野村さん達が寄り添う事で支えになる。わたしも一生懸命守るわ。身を尽くす。

『たいせつな人に今こそ心を寄り添わせて』

 以降美子さん達とは心通じた仲になれて。

 暫く見守っていたのは、わたしが自力で切り抜けられると分っているから。趨勢が見え
た辺りで、手早い収拾の補助に現れてくれた。

「柚明に手を出したら、真沙美さん本気で怒るよ。私が柚明に頼んで、仲直りできたって
事にして貰うから、手を引いた方が良い…」

 美子さんは羽藤柚明の気質を承知なので、

「ちょっとした手違い、で良いよね。柚明」
「うん。間違って手が頬に当たっただけで」

 桜井弘子は羽藤柚明のたいせつな人です。

 あの平手打ちは驚きの条件反射だ。秘めた恋心を読み解かれればこの位の反応は当然か。
むしろわたしが彼女に申し訳ない。恋心は例え察しても軽々に口に上らせるべきではない。

 弘子さんはやや苦い表情で、明言はない侭美子さんの促しに従い、無言でその場を去り。

 美子さんが現れる前から、瀬戸さん達女の子5人は動揺を見せていた。真沙美さんが惚
れたと明言した羽藤柚明への手出しは拙いと。なので彼女の登場は丁度良い幕引きに。今
更ながら、わたしは多くの想いに守られている。

「みんなわたしのたいせつなお友達。仲良くなりたい大事な人達。驚かせてごめんなさい。
これに懲りず、今後も仲良くしてくれると」

 わたしも嬉しい。よろしくお願いします。


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


「……という訳なので、余り桜井さんを責めないで欲しいの。お願い」「全く」「……」

 3人で入ったお風呂場で、1人湯船に浸かったわたしの願いに、見事な長い黒髪に付い
た泡を洗い流しつつ、話しを聞いていた真沙美さんは溜息を。和泉さんは濡らした焦げ茶
のショートヘアを、軽く揺らせて肩を竦めて。

 左肩に付いた爪痕は治し終えたけど。制服の裏に付いた僅かな血痕は隠せず。脱衣所で
目聡い2人に見つけられ。澪さんと清治さんに話さなかった、その全部を話す事になって。

「最後は穏便解決だったから良いでしょう」

「あんたは本当にっ」「まあまあ鴨ちゃん」

 家庭用の浴室に中学生が3人で入るとやや狭い。その密着感を愉しみつつ、わたしは体
を洗い終えた和泉さんと、交代して洗い場に。軽く防がれて身を重ね合うふざけ合いを経
て。

「それがゆめいさんだもの。あたしや鴨ちゃんを助けに、男の子拾数人の中に飛び込んで
踏み止まったり。塩原先輩やそのお母さん迄大事に思ったり。噂を流し放題の志保ちゃん
を庇ったり。桜井さんと心繋ごうとしたり」

 あたし達もそんなゆめいさんを好いた訳だし。和泉さんが安心して力の抜けた声なのに、

「何て危なっかしい。少しは自分が華奢に綺麗な女の子なんだって、弁えて貰わないと」

 真沙美さんはわたしを案じる厳しい声を。
 それは彼女が自身に責を感じている故で。
 暫くわたしの無謀を叱る様に睨んでから、

「私の友達が非礼をして、ごめんなさい…」
「それは、真沙美さんが謝る事ではないわ」

 彼女の謝罪はかぶりを振って受け付けず。
 俯く頬を胸元に受け容れて軽く肩を抑え。

「そもそも謝られる様な事はされてないし。
 お友達同士ちょっと強く触れ合っただけ」

 わたしは全然気にしてない。と言うより。
 これを桜井さんと絆を繋ぐ機縁にしたい。

「美子さんにも改めてお礼したいし、星野さんや沢口さん達とも昵懇にお話し出来れば」

 軽く背に腕を回し肌身を添わせ重ね合う。
 口元を抑え頬を染める和泉さんを間近に。
 でも今更隠し立てする間柄でもないので。
 今は抱き留めた人の柔らかな肉感を好み。

「あんたは何にでも、奇妙に前向きだねぇ」

「ゆめいさんって、細心なのか、剛胆なのか、お気楽なのか、今でも時々良く分らない
よ」

「その全部なのかもね。羽藤柚明の実際は」

 何もない時は静かに穏やかだけど。大事な人が危うくなれば、相手が誰でもどんな事情
でも自身が今何を抱えていても、必ず助ける。怖くて痛くて酷い目にあっても絶対逃げな
い。誰かの痛みを防ぐ為に代りに己を差し出せる。

 今迄の経緯や憤懣に囚われず、今何を為すべきか、己がどうありたいか、何を守りたい
かを見失わない。自身が損を負っても不利を蒙っても円満な解決を望み願い。あんたには、

「傍にいればいる程惚れ込んで行く。知れば知る程愛しさが増す。打算も思惑も不要に柚
明は、最善の途を悟って進み決してぶれない。和泉の言葉を借りるならね、羽藤柚明は
…」

 胸元から頬を離した真沙美さんは、今度はこの両肩を軽く抑えて真顔で正視し微笑んで、

「剛胆であり細心であり、お気楽でもある」

 様々な恥じらいに暫く詞を失っていると。
 うんうん。脇で和泉さんが同意の頷きを。

「あたしはお気楽なゆめいさんが最愛かな。
 緊迫したゆめいさんも引き締まって凛々しいけど、安心して柔らかに伸びた今の方が」

 ちょっと砕けすぎていました? わたし…。
 裸でも慌てて背筋を伸ばして座り直すけど。

「何もない時の砕けた柚明が一番可愛いよ」
「褒められている様なあやされている様な」

 呟いたこの台詞には、聞き覚えがあった。
 和泉さんも、それを分って相応した答を。

「悩まないで良いと想う。多分両方だから」

 身を重ね心を添わせて、夜は更けて行く。


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


 間近な女の子の素肌にのぼせつつ、お風呂を上がる。長話して2人を長湯させた。和泉
さんのお部屋に移り、3人一緒に本来目的のお勉強を。澪さんがコーヒーとおやつを持っ
てきてくれて、小休止を挟みつつ、今宵はここ迄とノートを閉じたのは日付も変る頃合で。

「弘子さんには、私から言って置くけど…」

 2つの布団に3つの枕。わたしの右で和泉さん、左で真沙美さんと、手を繋いで眠る夜。

「ゆめいは未だ海老名さんに付き合うの?」

 それは嫉妬ではなく純粋に、わたしを危ぶんでくれて。噂話を作り流し、人の輪に波乱
を招き続ける志保さんに添う事で、わたしが悪影響に巻き込まれないかと、案じてくれて。

「根も葉もない噂を再三流して、柚明と弘子さんの敵意を煽って泥試合を導こうとして失
敗し。自業自得で招いた危難を柚明に助けられたのに、その柚明を見捨てて1人で逃げ」

 幾らあんたが甘々でも限度があるだろうに。
 和泉さんも隣でわたしの反応を窺っている。

「私は弘子さん達に、柚明の事は言って置くけど、海老名さんの事は特段言わない積り」

 人の想いや行いを縛るのは好まない。柚明は私のたいせつな人だから、弘子さん達にお
願いするけど。海老名さんは自業自得だよ…。

「私は柚明程甘くない。むしろ柚明の害になり続ける海老名さんは、柚明の願いがなけれ
ば私が弘子さん達を募って処置したい位さ」

 菊池先輩との関りは一度でも誘いを受けて、暫く関係を続けたから全くの嘘でもないけ
ど。小野との噂は全くの嘘っぱちだろう。柚明に許されて何とか一組で孤立せずに済んだ
のに、喉元過ぎれば熱さを忘れ、再び噂を流し放題。

「彼女はあんたの友に見合う女かい? あんたの誠意が通じて実る相手かい? そろそろ
見切りを考えた方が、良いんじゃなくて?」

「ゆめいさんは傷ついてないの? 心疲れてない? 志保ちゃんを庇い続ける日々に嫌気
差してない? あたしはそっちの方が心配…。
 余り無理しないで良いんだよ。鴨ちゃんもあたしもいるから。誠意を期待できない人や
想いを返さない人も、世間には時折いるの」

 真沙美さんも和泉さんも、わたしを心配して気遣ってくれて。確かに心を支えてくれて。
本当に賢く強く優しい人。心底愛しく想う人。

 左右からの答を求める瞳にわたしは頷き、

「そうかも知れない。……美子さんもそんな事を言っていた。弘子さん達が去った後で」

 美子さんもわたしを心配してくれて。何度諭しても、噂話を好んで流す志保さんからは、
いい加減遠ざかった方が良いのではないかと。

『志保は万引きの常習犯の様な物だよ。物が欲しくて盗むんじゃなく、万引き自体をした
くて堪らない感じ。噂を聞いて広める事自体を好むから、幾らダメと言い聞かせても性根
はきっと変えられない。付き合う程に今迄以上にあんたが噂の泥を被るだけだよ、柚明』

「美子さん、そこ迄言ったの? 柚明に…」
「美子さんも、ゆめいさんを本当に心配で」

 美子さんがわたしに寄せてくれた想いは3人共に嬉しくて。わたしはその見解にほぼ賛
同ですと、2人の同意に頷きつつ、その上で、

「そう言う志保さんでも、わたしのたいせつな人。大事なお友達。同じ学校に通い同じ時
を共に過ごす、かけがえのない人」「……」

 自分の思い通りにならないからと言って。
 繋いだ絆を断つ事や手放す事は選べない。
 世の中や人間は己に都合良くは回らない。

 わたしは今迄、見返りを望んで人に想いを寄せてきた訳ではない。好きだったから、守
りたかったから、役立ちたかったから、幸せを支えたかったから、関りを願い求めてきた。

 全力の想いは注ぐけど。わたしに返る答がどんな物であっても、例え返されなくても…。

「一度わたしがたいせつに想った人は、いつ迄もたいせつな人。幸せを守り支えたい人」

 左右の手で、愛した人の手を握る。この言葉は、志保さんだけに向けた物ではないよと。
いつ迄も、この想いは胸に抱き続けますよと。和泉さんも真沙美さんも、わたしの想いを
確かに分って、想いを込めて握り返してくれて。

「わたしは全然疲れてないし、落ち込んでもいない。あの場で志保さんに事実を語らせら
れなかった己の力不足、絆の不足は反省点だけど。致命的な失策ではない。誰も生命を落
していないし、住処や家族を失ってもいない。やり直しは利く。想いを繋げる機会は巡
る」

「あんたって人はっ」「心配無用だったね」

 呆れ気味な声音に宿る安心に、わたしは笑みを返す。寄り添う2人の瞳を見つめ返して。

「それに、今回志保さんは唯の噂好きでわたしと桜井さんの対立を煽った訳ではないの」

 美子さんにもお話ししたのだけど。真剣にわたしを心配して、志保さんに苦言しようと
してくれたので。読み解けた今回の志保さんの真意を分って欲しく、誤解を解いて欲しく。

 小野君に近しいわたしと、小野君に恋心を抱く弘子さんが、泥試合をして共倒れする事
が、志保さんの願いだった。それは唯噂を流して人の不幸や諍いを愉しみたい訳ではなく、

「志保さんも小野君に恋心を抱いているの」

 2人が驚きに息を呑む気配が闇でも分る。
 あぁなるほど。という感触が肌身に返る。

 女の子の秘めた想いは、読み解けても知らぬ振りするべきで、口外すべきでもないけど。
美子さんも真沙美さんも和泉さんも、わたしを真剣に案じ、志保さんに苦言しそうだから。
その前に見通せた今回の背景を分って欲しく。

 後で志保さんには、心から謝ります……。

「失敗すれば小手先の失策だけど、それに走ってしまう程、志保さんも想いは真剣なの」

 悪戯や遊びで噂を流した訳ではないから。
 問答無用に叱っても彼女の心に届かない。
 その切実さと真剣さを分って諭さないと。

「志保さんの噂好きが直っても直らなくても、わたしは彼女を大事に想う。その上で志保
さんが噂で他人を傷つけた事に気付いて欲しく、向き合って欲しいから、苦言も述べるけ
ど」

 その深奥に響かせる為にも、心は繋ぎ続けたい。心を鎖される様な叱り方はしたくない。
彼女の自責や悔恨に囁きかけて、自らの意思で己の罪に向き合って、立ち直って貰いたい。
海老名志保は羽藤柚明のたいせつな人だから。

「……あんた、頑固な上に甘々」「だねぇ」

 寄り添う左右の声音は、得心の苦笑いで。

「私は甘味は不得意だから、柚明の情の深さには付いて行き難い処もあるけど」「そんな
ゆめいさんを心底愛したからね、あたし達」

 和泉さんの唇が、右斜め上から降りてきた。
 繋げた唇で、わたしも確かに愛しさを返す。

 有り難う、嬉しい。そう言葉に出した瞬間。
 左斜め上から別の唇がわたしに降りて触れ。

「その頑固な甘さに、私達は魂を救われた」

 寄せられる想いを受けて、寄せられる肌身を受けて。己の全てでこの愛しさを感じつつ。
わたしも己の全てでこの愛しさを、伝えます。


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