第1話 乳飲み子の入浴
前回迄の経緯
お父さんお母さんを喪って、羽藤柚明となったわたしが羽様に移り住んでからほぼ3年。
お父さんお母さんやそのお腹にいた妹を殺めた鬼が訪れ、白花ちゃん桂ちゃんを脅かし。
真弓さんに教わった護身の技で、わたしが死力を尽くして時間を稼ぎ。真弓さんの刃で鬼
が倒されて、生命拾いできたと言う事よりも。たいせつな幼子の無事に、涙の溢れ出た初
夏。
同じクラスの詩織さんが、病の治療の為に夏休みにも遠くへ引っ越す事になり。夏休み
前の最後の運動会に、学校ではみんなの公認を貰い、ぴったり寄り添って心通わせたけど。
羽様のお屋敷では、詩織さんに掛りきりな事で、幼子に不安や淋しさを抱かせていて…。
参照 柚明前章・第二章「哀しみの欠片踏みしめて」
柚明前章・番外編第1話「最後の運動会」
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一体どこから始った事の流れだっただろう。
小学校最後の運動会を来週末に控えた金曜日の昼休み、遊び最中に朦朧となった詩織さ
んを支えて保健室に運び込んだのが、始りか。みんなから離れ、静かに保健室に身を横た
えた詩織さんは、間近な羽様からの引っ越しの先に視えた病室での日々に、苦痛に、孤独
に怯え。閉ざされ行く未来に震える詩織さんを、わたしは置き去りには出来ず。5時間目
の授業を諦め詩織さんに寄り添って、抱き留めて。
和泉さんや鴨川さんが掃除当番を代るよと、わたしと詩織さんに早い帰宅を促してくれ
た。体調崩したのは詩織さん1人だけど。わたしが残ると言えば、詩織さんは無理しても
残る。
みんなの好意に深謝して、わたしは詩織さんと早い時間のバスに一緒に乗り込んだけど。
彼女が乗り物酔いする質で、バスに弱いとは知らなかった。顔色青く成り行く詩織さんを
前に先に降りる訳には行かず、わたしも羽様を通り過ぎ、詩織さんの家迄一緒に付き添い。
降車直後のバスの黒煙にむせた詩織さんを支えて、その吐瀉物を正面に受け。わたしの
不快に怯える余り、無理に残りを気管に抑えようとする彼女の唇を奪って吸い出し。家に
上げて頂いて、お風呂を借りて衣服を借りて。
高揚気味でも本当は疲れ切った詩織さんを置いて帰れはしなかった。隣村に働きに出て
いるご両親の帰りは遅い。わたしの温もりを求め、握ったこの手を放さないでと頼まれて。
最終バスを逃したわたしはお泊りする事に…。
詩織さんもその兄の秀彦さんも、母の詩織さんも父の雅彦さんも、望んでくれたし。わ
たしも家族の中の詩織さんを見たかった。わたしも詩織さんの家族に見知って欲しかった。
日が落ちて人気のない夜道を帰る選択は狭く。
「そう言う訳で、今晩は平田さんの家に…」
羽様で電話口に出たのは正樹さんだった。
事情を説明し、電話連絡も遅くなった事を謝って、泊る事と心配が不要な旨を伝えると、
正樹さんはほっと一息ついて受話器を放して、真弓さんと笑子おばあさんにその旨を伝え
る。連絡が遅れたので、結構心配させていた様だ。
『柚明ちゃんは、恋人の家に外泊だそうだ』
んぐっ、と呑み込んではいけない物を呑み込む様な、奇妙な悲鳴が届いてきた。けほっ、
と咳き込んで、飲み物をすする音が続く。正樹さんは、補足する感じでその音の主に向け、
『前に話にも出ていた、平田さんだよ』
『あなた、日本語は間違ってないけど』
先に平田さんと言ってからにして下さいな。
音の主は真弓さんだった様だ。苦しそうに、
『年頃の女の子の外泊先は、男の処か女の処かで、随分違うんですから』『ああ、ご免』
笑子おばあさんの音が聞えないのは落ち着いている故か。その時電話の向うで別の声が、
『ゆーねぇ、かえって来ないの?』
更にもう一つの大きな声が響き、
『やだーゆめいおねえちゃん、帰ってきて』
おふろ入れて、絵本よんで、一緒にねて。
白花ちゃんが立った侭右手の人差し指を咥えつつ問う姿や、桂ちゃんが床に転がって両
手両足をばたばたさせる様が、瞼の裏に浮ぶ。
折角のたいせつな人の求めに、残念だけど今日は応えられない。羽藤の家にも車は一応
あるけど、この夜遅くに迎えを頼むのも悪い。泊りを決めた今から帰るのは、平田家に悪
い。
「白花ちゃん、桂ちゃん、ごめんなさいね」
今日は誰にも彼にも謝り通しの様な気が。
『うぅっ、やだやだやだー、帰ってきてぇ』
『桂はこっちで、巧くあやしておくから…』
受話器の向うは、結構な騒ぎの様だけど、
『柚明ちゃんも、彼女との夜はほどほどに』
「は、はい。済みません……お休みなさい」
翌日帰った後で双子の歓待責めに逢う事は、この時決まっていたのかも知れない。否、
何もない普段の日々でも、学校帰りに愛しい2人は、玄関先へ駆け出して迎えてくれたけ
ど。
わたしが学校に行く前に目覚めた朝は、小さな掌でこの身を捉え『行かないで』と放し
てくれず。わたしにその手を振り払う事は出来ず、いつも正樹さん達に助けて貰っていた。
愛しい2人の求めに応えなかった以上、この夜は全力で詩織さんに向き合う。桂ちゃん
と白花ちゃんには、帰った後で目一杯償おう。そうして迎えた翌日夕刻だったから。詩織
さんと一緒に簡単なお昼を作って、秀彦さんに食べて貰いわたし達も食し、お話ししたり
お昼寝したり。最終バスに間に合わせて着いた、夏の夕日も落ちて薄暗くなってきたお屋
敷で。
「……ただいま、戻りました……」
「「おかえりなさぁああぁい!」」
声の大きさを競い合い、駆け寄る早さを競い合い。あと二ヶ月少しで2歳児になる双子
のいとこが元気溌剌、お屋敷の奥から現れる。
靴を脱ぐ間もなく、ぽふっと軽い衝撃が届いた。丁度屈んだわたしの服を、柔らかで温
かな幼児の手がひしと握り。左右から四本の腕で両の肩を掴まれ、両胸に顔を寄せられる。
身体のサイズが近しい為か、歳が一番近いと肌で分るのか、2人のいとこはわたしをお
気に入りで、通常の学校帰りでも中々身柄を放してくれない。2人とも可愛い盛りなので、
不満の出る筈もないけど毎日が嬉しい悲鳴だ。特に今回は突然のお泊りだったし。幼子に
とって1日は結構長い。千秋の想いだったかも。
寄せられる侭に柔らかな頬を肌身に受けて、その親愛を温もりと一緒に感じつつ、わた
しは愛しい二つの双眸を間近に左右に眺め見て、
「ただいま。白花ちゃん、桂ちゃん」
一日空けてしまってごめんなさい。
双子は見分けがつかないと聞くけど、やはり他人の故だろう。幾ら良く似て可愛くても、
いつでも即座に見分けられる。真弓さんは出生届の際に2人の名前を入れ違えた様だけど、
それは見分けがつく・つかないとは別の話だ。
「おねいちゃん、おかえりっ」
「ゆーねぇ、おかえりなさい」
名前を取り違えた為か、現時点での発育は、元気でおてんば予備軍の桂ちゃんと、やや
引っ込み思案で大人しい白花ちゃんで、顔形は似ていても現れ方は結構違う。思春期迄は
女子の成長が先んじるとも聞いた。少し前迄は桂ちゃんは良く泣いて、わたしが傍に行く
と特に泣き出して止まなくて、困り果てたけど。
おろおろして真弓さんや笑子おばあさんに助けを求めても、微笑んで見守るだけで。泣
き疲れて眠る迄、ずっと胸に抱き続けていた。最近は廊下や中庭を走り回っておろおろさ
せられているけど。走り疲れた桂ちゃんは最後に白花ちゃんと共々、わたしの胸の内で眠
り。
漸く膨らみ始めた程度だけど。サクヤさんに敵わないのは勿論、真弓さんや笑子おばあ
さんにも遙かに及ばない存在感だけど。小さな双子はむしろ小さな胸が、お好みなのかな。
今も2人はきゃっきゃと歓声を上げながら、わたしの膝によじ登り、この両胸に頬を寄
せ。2人ともわたしへの密着を競う感じで身を寄せて、ぷにぷにした肉感はつきたてのお
餅だ。
暫く身動き取れないけど、この侭抱きつかれている感触も幸せの極みなので、放せない
と言うより放したくない。本当にどうしてわたしはここ迄幸せなのだろうと浸っていると、
「お帰り、柚明ちゃん」
正樹さんが奥からゆっくり歩み出してくる。笑子おばあさんと真弓さんは夕食の準備中
か。そう想った時、わたしも中途からでも参加しなければと、気がついて。屈んで抱きつ
かれ、愛らしい双子の背に両腕を回した侭の体勢で、
「ただいま戻りました。……ご心配を掛けて、ごめんなさい」「ああ、それは良いんだ
よ」
昨夜は夕刻遅く迄連絡を入れられなかったし突然外泊しちゃったし。結構無茶しました。
双子に張り付かれた侭なので、まず謝罪の気持だけ伝えるわたしに、正樹さんは穏やかに、
「今度は予め報せてくれるか、早めに連絡を貰えると心配しなくて済むけどね」「はい」
護身術の修練も贄の血の力やお料理修練もさぼってしまった。規則正しく着実な毎日を
目指す羽藤柚明として、余り良くない傾向だ。正樹さんの叱責が強くないのは、わたしの
自発的な反省を信じてなのか。ならわたしはその信頼に、余る位の成果を返して見せない
と。
「まあ、詳しいお話しは夕食を食べながら」
母さんも真弓も丁度準備が出来た頃だし。
桂も白花も居間に来なさい、お夕飯だよ。
「「はあぁい!」」
その声でわたしは漸く解き放たれたけど。
結局夕ご飯の準備も全部させてしまった。
走り去る2つの背中を見つめつつ、謝る案件を指折り数えて、わたしはお屋敷に上がる。
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お話のメインはやはり昨日のわたしの事で。これ迄もお話しはしていたけど、詩織さん
が乗り物酔いに弱いとか、お兄さんの秀彦さんとのお話しや、平田家の家族模様を追加し
て。
連絡の遅れや勝手な外泊に深く謝ったけど、笑子おばあさんも真弓さんも強い叱責はな
く。取り返せる事だと、今後は気をつけなさいと。日頃わたしが詩織さんについてお話し
していた事が、状況理解の早道になった様で。興味深そうにお話しに耳を傾けていた正樹
さんが、
「……じゃあ、柚明ちゃんはお兄さんやご両親にも公認された訳だ。これは恋人と言うよ
りもう、フィアンセじゃないかな」「え…」
桂ちゃんの口に離乳食のお粥を運ぶスプーンがぴくと止まる。それ迄も一緒にシャワー
浴びた事や、眠る詩織さんの手を握り続けた事や、強く望まれた事をお話しするのにやや
頬は熱かったけど。それをごまかす為にも双子のお口に交互にお粥を運んでいたのだけど。
「十数年前に柚明ちゃんのお父さんが、姉さんを下さいと一緒に羽様を訪ねてきて、母さ
んと僕とサクヤさんと、夕食を一緒した時を思い出すね。女の子の実家を訪れる彼氏とい
うのは、そうやって受容されていくのかな」
あの、その例えで行くとやっぱりわたしは、お婿さん? と言うか、お話かなり飛躍し
て。
わたしの硬直が、気付かれなかったのは、
「早すぎますっ! 柚明ちゃんは未だ、お婿にもお嫁にも、出しません。あなたは全く」
真弓さんの憤りが挟まった所為で。確かにわたしは女の子としてまだまだ未熟に過ぎる
から、他家に出せる状態でない事は分るけど。
「嫁姑の関係は一度や二度気に入って貰えた位で、円滑に進む物ではないの。毎日生活を
共にする以上、必ず摩擦は生じる。柚明ちゃんが幾ら賢く綺麗で優しく強く従順で静かで
人の悪口言わない良い子でも、相手のお母さんが良い人でも、それで巧く行く保証はない。
もっと柚明ちゃんの先々も、考えないと…」
真弓さんの熱弁と紅潮はわたしを案じて?
桂ちゃんがあーんと口を開けた侭の脇で。
「平田家よりも羽藤家の親族の公認が取れていないみたいだね、柚明」「は、はい……」
笑子おばあさんは正樹さんの見解も真弓さんやわたしの反応も愉しむ様に、にこにこと。
「ウチには柚明ちゃんの間近に最強の嫁婿候補が2人もいるんですから。仮に退けても小
姑になって拾年単位でつきまとう位強力な」
そこで笑子おばあさんも正樹さんもわたしの左右に座った幼い双子をまじまじと見つめ。
「はい、あーんして」「あーん……、もぐ」
複数の視線で漸く硬直を自覚したわたしは、やりかけの作業を再開する。桂ちゃんの口
にお粥を運び、右側の白花ちゃんに向き直って、
「はい、あーんして」「あーん……、もぐ」
なぜか恥じらいが混ざったので、動きが少しぎこちなかったかも。3人の大人が見守る
前で、桂ちゃんは白花ちゃんにお粥を食べさせるのを待たずに大きく口を開け、手で服を、
「あーん、あーん」「はい、桂ちゃん……」
でも桂ちゃんにお粥を食べさせ終える前に、今度は白花ちゃんが右側から服を引っ張っ
て、
「あーん、あーん」「はい、白花ちゃん…」
左を向けば右から、右を向けば左からと、
「あーん、あーん」「はい、桂ちゃん……」
「あーん、あーん」「はい、白花ちゃん…」
息つく暇もなく、自身の食事の暇もなく。
嬉しさ一杯だけど、2人が競う様にわたしを求めるから、応じきるのも大変で。白花ち
ゃんにお粥を運ぶ時は桂ちゃんの、桂ちゃんにお粥を運ぶ時は白花ちゃんの、服の引っ張
りがどんどん強くなって来る。最後にはずっと服を放さず引っ張り続けた侭で。ヒナに餌
を与える親鳥の大変さと喜びが分る気がした。
その様を、まじまじと見つめて大人達は、
「……ね?」「ある意味、最強の小姑かも」
「平田さんでも誰でも、柚明を嫁か婿に貰うには、桂も白花もセットになりかねないね」
ご飯を終えたらお皿洗いを一手に任せて頂けた。一日家事を放り出したわたしとしては、
せめてこの位させて貰わねば。羽様の大人達もそれを分るから、任せてくれたのだと想う。
お皿洗いに台所に行くにも、一日以上一緒してなかった白花ちゃんと桂ちゃんは、わた
しを求めて腕を伸ばしくっついてきてくれて。例の如く自力では引き離せず、一緒に台所
へ。
2人とも台所に立つわたしの左右の太腿に腕を回して拘束し。スカートの下の足でもぞ
もぞ動く柔らかで小さな感触は、その息吹や声音と一緒にわたしを一層幸せにしてくれた。
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「お疲れ様。お風呂、入る?」「はい……」
ちゃぶ台に座ると同時に、真弓さんの声に応えるより早く、左右から両の腕を掴まれた。
2人とも、この時を待ちかまえていたみたい。
羽様のお屋敷には3人の大人とわたしが1人いる。幼子は桂ちゃんと白花ちゃんが2人。
わたしは4日の内2日、幼子どちらかの入浴を交互に任されていた。羽様のお屋敷の五右
衛門風呂はやや狭いし、元気溢れる2歳児2人を相手するのに、大人が多数いるなら分け
て受け持とうと。わたしにとっては分けて受け持たせて欲しい願いを叶えて貰った感じで。
昨日はわたしが白花ちゃんとお風呂に入る日だった。詩織さんとお風呂した為にそれが
叶わなかったから、白花ちゃんと改めて一緒に入るのが相応な処だけど、桂ちゃんもわた
しの左腕をむぎゅっと握って放してくれない。
「帰って来てから両手に華ね、柚明ちゃん」
真弓さんは、窘めるでもなく平静だけど。
笑子おばあさんはお風呂から上がる頃か。
正樹さんは風呂釜に薪をくべる為に外で。
そして幼い愛しい子達は、わたしに張り付かない時も、常にわたしを視界に収めてない
と不安で堪らないという様に。数歩歩けば届く範囲に居続けて、何かあるとすぐに駆け寄
り張り付いてくれる。いざ鎌倉という勢いで。
わたしがどこかに行ってしまうと思っているのだろうか。前から学校行事や親戚宅に遠
出する時は、嫌がりぐずって引き留めてくれたけど。今回は特にくっつきが強く粘り腰で。
嬉しいけど、何か別に気掛りでもあるのかな。
「もう簡単には、お泊りに行けないかも…」
「白花と桂を差し置いて、他の恋人に走った為かしら。反省や償いを求めているのかもね。
多情は必ずしも悪ではないけど、白花と桂にはすっぽかされた一日の、浮気の代償は想っ
たより重いみたい。罪作りね、柚明ちゃん」
「浮気だなんて。そんな、わたしはっ……」
頬が赤く染まるのは幼子に慕われた事にか、詩織さんとの交わりを浮気と言われた事に
か。真弓さん、羽様のお屋敷に越してきた当時はもっと真面目で硬い人だったのに、打ち
解ける以上にどんどん性格が柔らかく砕けてきて。
「そうねぇ。あなたは浮気じゃなく、誰に対しても本気になっちゃうから、危ないのね」
桂も白花も、それに嫉妬しているのかも。
真弓さんは面白がる様にそう言ってから、
「今日はあなたが、2人をお風呂に入れて」
昨日今日のお料理修練の欠はさっきの皿洗いで帳消し。護身術と贄の血の力の修練の欠
についてはこれから。あなたは賢いからお勉強や宿題も、今日明日で取り戻せるでしょう。
「でも、それだけじゃ足りないの。白花と桂があなたと過ごしたかった、昨日からの丸1
日分を、あなたが埋め合わせてあげないと」
桂も白花もあなたをずっと待っていたのよ。
もう来ないと電話で報されても諦めきれず。
テレビ見てもお風呂場でも布団に入っても。
お姉ちゃん来ないかな、来ないかな、って。
少しだけ、真弓さんの言葉にも刺を感じた。
それは幼い双子が整理出来なかったやるせなさ、残念さ、寂しさを、伝えたいとの想い。
愛する子供の求めを袖にしたわたしへの含み。微かに遊び歩いた嫁を責める姑の様な鋭さ
が。
「あなたがお友達をたいせつに想う気持は分るから、あなたの行いは責めないけど……」
桂と白花の想いを受け止めてあげて頂戴。
「わたしには、ご褒美になってしまいます」
良いのかな? 失策の償いがわたしの喜びに繋っても。罰ではなく報償になってしまう。
わたしの問に間近で美しく涼やかな人は、
「あなたがどう受け取るかは別の話よ。白花と桂は、あなたの埋め合わせを求めているの。
あなたはきちんと反省できているみたいだし。後は母親として損失を取り返したい子供達
の想いを後押しするだけよ。桂と白花をお風呂に入れて、きちんと向き合ってお話を聞い
て、お話しをして、2人の想いに応えてあげて」
わたしの受け止め方ではなく、愛する双子の受け止め方が問題だ。わたしが嬉しくても
哀しくても痛くても。白花ちゃんと桂ちゃんの埋め合わせになれるなら。それが肝心なら。
わたしも愛しい双子の喜びに己を尽くしたい。
「……はい。この身と心で、償います……」
それが真弓さん達の求めへの答にもなる。
今はこの幸せを全身全霊、受け止めよう。
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脱衣所に一緒に行って己の衣服を脱ぎつつ、桂ちゃんと白花ちゃんの脱衣を見守る。わ
たしが脱がせる方が早いけど、それでは2人が為される事のみ憶えて自ら為す事を憶えな
い。たどたどしくても挑戦し自らの手で為す事で、苦戦や失敗の中で手先の器用さも鍛え
られる。
「……はい。ぬぎぬぎ、しましょうね……」
冬場なら脱衣所も寒くて早く湯に浸かりたい処だけど、夏なので涼やかで素肌でいても
気にならない。じっと幼子の動きを見つめる。
白花ちゃんが、ズボンを下ろしてから座り込んで、右の足から抜きに掛る。その脇で桂
ちゃんは、Tシャツから首を抜こうとするけど、中途で腕が引っ掛って抜けず。首を振っ
て腕を振って、腰から上半身を振って脱ごうとするけど、布地がくっついて中々取れない。
「んむむむぅっ……むむぅぅっ……!」
呻き声を上げつつも、自力で脱ごうとする間は、可愛らしい手を助けたい気持を抑えて、
見守って。でもそれが巧く行かず、バランスを失って床にぺたんと座り込んだ時。わたし
も我慢しきれず、思わず両手を伸ばしていた。どうして幼子とはこんなに愛らしいのだろ
う。困る様も必死な様も抱きしめたい程に可愛い。
「はい……脱げたわよ」「ぷはぁー!」
一息ついた桂ちゃんが笑いかけてくるのに微笑み返し、両脇を持って抱き上げて立たせ、
ズボンを下ろしてあげる。ぺたんと床に腰を下ろし右足から抜きに掛る桂ちゃんを見守る
けど、今日の相手はいつもと違い2人だった。
「んぐんぐぅ……」「……白花ちゃん」
背後で下を脱ぎ終えたけど、やはりTシャツが首と肩に引っ掛った白花ちゃんが、座り
込んだ侭の姿勢で身動き取れず、上半身を左右に振って。わたしもスカート脱ぎかけだっ
たけど、その侭見つめ続けていたい程可愛かったけど、とりあえず今は2人の脱衣を先に。
背後を向いて膝立ちで白花ちゃんに正対し、引っ掛った布地を引っ張って脱がせて。息
苦しさから解放されて、白花ちゃんも『ぷはぁー!』と一息ついた次の瞬間だった。背後
で、
「おねえちゃんも、ぬぎぬぎ」「え……?」
柔らかな二つの手がわたしの脱ぎかけのスカートを、左右から掴んで一気に引き下ろす。
桂ちゃんはお礼の積りで、わたしのスカートを脱がせる手助けの善意でいたみたいだけど。
「ひゃ……! ……け、けいちゃん……っ」
思わず身が硬直し、抑えても悲鳴が漏れ。
全く虚を突かれた。心の準備もなかった。
自分で脱ぐのではなく、人に脱がされるというだけで、ここ迄羞恥が違うのか。下着の
白を見られるのは羽様のお風呂では常なのに、人手に脱がされただけで気分は晒し者に近
く。
いつもは一対一だった。1人だけに正対して脱がせ、自分もさっさと脱いでお風呂へ入
っていた。双方を気遣うのも、誰かが背後にいるのも想定外で。心が動揺しまくってます。
幼子の柔らかな手の感触が妙に生暖かかった。
「……おねえ、ちゃん?」「……良いのよ」
普段は殆ど叱声も出さないわたしの悲鳴に、桂ちゃんは少しびっくりした様で、わたし
の反応を窺いつつやや不安げで。ああ、桂ちゃんは善意でわたしの脱衣を助けてくれたの
に。
動揺している場合ではない。目前の事態に向き合って桂ちゃんの竦みを受け止めないと。
お風呂に入る以上、服を脱ぐのは当たり前だ。
下着姿を晒された処で、これから裸になる訳だし。それで一緒にお風呂にも入る訳だし。
今迄日常その様に接してきた訳だし。幼子2人に脱がされた程度、見られた程度で恥じら
っても意味は薄い。意味が薄いと分りつつ妙に意識してしまうけど。それは胸の内に収め。
自分ではなく、常にたいせつな人を優先する。
不安に揺れる双眸に瞳を近づけ微笑んで、
「脱がせてくれて有り難う、桂ちゃん……」
両腕で肩を抱き留めて左の頬に頬を当て。
確かに受容と感謝を伝える。わたしが為した事を桂ちゃんも返してくれただけ。善意に
善意を返すのは悪くない。むしろ望ましい事。少し驚かされたけど、それはわたしの心構
えの欠落の所為で、桂ちゃんの落ち度ではない。
「……えへ」「さ、ぬぎぬぎ続けましょう」
桂ちゃんに兆した不安は拭えた様で、わたしに微笑み返してくれて。背後でわたしと桂
ちゃんのやりとりをじっと見ていた白花ちゃんも再度動き出し、順調にシャツを脱ぎ始め。
桂ちゃんがシャツを脱ぐ様子を見守るけど、また肩が引っ掛った様で、手を貸して脱が
せてあげる。ぷはっと一息ついて微笑んでから、桂ちゃんは間近のわたしの被服に手を掛
けて。
「脱がせて、くれるの?」「ぬぎぬぎ……」
今度は驚きも少なく。桂ちゃんの人に役立ちたい想い、手伝いたい善意に応える。小さ
く温かな掌に服を掴まれて。脱げ易い様に引っ張り易い様に、跪き前に伏せて姿勢を低く。
元々わたしは幼い2人に為される事に逆らい難い。こうなればこの身は2人の思うに任せ。
小学6年生になって服を脱がせて貰えるとは想わなかった。何だか少し嬉しい。柔らか
な手に掴まれて引っ張られると、脱がされる感触で幸せになってくる。わたし、少し変?
「んむううぅぅ!」「桂ちゃん、大丈夫?」
今の桂ちゃんでは、わたしの服を脱がすのは難しいみたい。桂ちゃんは両手で左右を一
緒に引っ張るので、わたしも大人しく従う以上に手助けの術がない。後は巧く脱がされる
のを待つばかり。脱ぎ終えれば何と言う事もないと想うのだけど。こんな図を真弓さんや
正樹さんに見られたらと想うと、頬が染まる。
別に女の子同士だし、相手は拾歳も年下の、二歳になる迄に未だ二ヶ月もある幼子なの
に。何を意識して頬熱くしているのかと想いつつ。
「ふうっ、ふぃっ、いはぁ」「脱げた……」
これでわたしも下着姿に。桂ちゃんは既に上は素肌で、下を脱がせるだけになっている。
背後の白花ちゃんは丁度全部脱ぎ終えた様だ。
ここ迄来れば充分か。わたしは『有り難う、脱がせてくれて』と語りかけつつ、絵柄付
きのパンツを小さな腰から下ろす。桂ちゃんは『ぬぎぬぎ』と言いつつ、ぺたんと床にお
尻を下ろし、両手を伸ばしてそれを脱ぎ捨て…。
それを見守りつつ、わたしも己の胸に手を掛けて脱ぎ終える構えに。この侭脱がずに待
っていれば、桂ちゃんがわたしの下着も手伝い脱がせてくれる流れが視えたけど。流石に
そこ迄させるのも。わたしは幼子ではないし。
思惑が外れたのは、今日の入浴相手が1人ではなかった為で。桂ちゃんとのやりとりを
終始傍で見ていた幼子の存在を失念したのは。わたしが未だ恥じらいに動揺していた為か
も。桂ちゃんがパンツを脱ぎ終える様を一応視界で抑えつつ、上半身から全て外そうとし
た時。
背後から腰の左右に、しっかり掴む柔らかな指の感触が。天真爛漫な善意の侭に、その
腕は防護のがら空きな下半身の下着を一気に。
「ぬぎぬぎ。はくかも、おてつだい」
「ひゃあっ……は、はくかちゃん?」
男の子に下着を脱がされたのは、素肌を晒されたのはこの時が初めてです。十歳年下の、
二歳になる迄に未だ二ヶ月もある幼子だけど。桂ちゃんとのやりとりを見て、わたしがそ
れを嫌わずに受け容れて喜びお礼言う様を見て、何とか関って役立ちたかった気持は分る
けど。
膝立ちの背後で、幼子には手を伸ばすのに丁度良い高さだったかも。桂ちゃんに意識の
比重が傾いていたかも。白花ちゃんも悪意で為した訳ではない。わたしのお手伝いをした
くて、わたしからのお手伝いにお礼したくて。
声を出してしまった後で、羞恥に頬を赤くした後で、漸くそこ迄考えが回り。元々一緒
にお風呂に入るのだから、お互い裸は当たり前で、いつもの事だ。何をわたしは意識して。
慌てて振り向き、びっくりして視線も表情も止まった侭の白花ちゃんに、微笑みかけて、
「ごめんなさいね。びっくりさせちゃって」
脱がせてくれて、有り難う。白花ちゃん。
桂ちゃんにもした様に。小さな両肩を両手で包み、左の頬に頬を当て。確かな受容を肌
身に伝え。償いはこの身と心の全てで。幸い驚きは一瞬で、白花ちゃんも笑みを取り戻し。
そしてそれ以上に2人とも、わたしの抱擁というか、身が肌が触れる度に心が安んじて、
不安の根が取り去られていく様な。2人とも、わたしが一晩外しただけでそんなに心細く
…。
全部脱ぎ終えて準備万端整った双子を前に、わたしも2人がつけてない種類の最後の下
着を1人外し、素肌で2人の素肌を左右に抱き。左胸に桂ちゃんの胸板が当たり、右胸に
白花ちゃんの胸板が当たる。二つの頬に頬を挟め。
この様に3人で入浴する日は暫く来ないと気付いたから。わたしは桂ちゃんと白花ちゃ
んの、両方に向けて語っていると見せたくて。
「桂ちゃんも白花ちゃんも、わたしのたいせつな人。特別にたいせつな人。闇に閉ざされ
たわたしの日々に光を当てて導いてくれた人。確かな幸せを掴んで欲しいわたしの心の太
陽。
今日はわたしの服を脱ぐのを助けてくれて、有り難う。人を助けようと想い、実行に移
せる優しい心を抱いて育ってくれて、有り難う。白花ちゃんも桂ちゃんも強く賢く優しい
子」
全ての理解は求めない。唯わたしが白花ちゃんと桂ちゃんの両方を心底たいせつに想い、
優しさを抱いて成長してくれている事を心から喜んでいると感じて欲しい。わたしもお父
さんとお母さんから、何度も語りかけられた。
幼いわたしにはよく分らない事も、分らなくて良いから、憶えられる限り感じてくれれ
ば良いと。全ては反芻できずとも、この親愛を日々肌身に伝え続ければ、きっと心の無意
識に根付いてくれると。今はそれをわたしが。
想いは次に繋げられる。受けて継いで次の世代に伝えゆける。それを肌身に感じたから
わたしも希望を掴み取れた。残された生命と想いを注ぐ相手を見つけ出せた瞬間、わたし
の生かされた意味に答が出た。わたしの全ては白花ちゃんと桂ちゃんの幸せと守りの為に。
「桂ちゃん、白花ちゃん。いつ迄も大好き」
− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −
羽様のお屋敷の五右衛門風呂は、わたしも幼い頃から浸ってきた。お母さんは臨月を迎
えてこのお屋敷に帰り、笑子おばあさん達の助けを得てわたしを産んでいる。羽藤柚明の
最初の数ヶ月は、このお屋敷での日々だった。
恐らくお風呂もこれを使っていたのだろう。流石にその頃の記憶はないけど、その後も
守りの青珠に力を注げないお母さんは年に三回、幼いわたしを連れて、羽様のお屋敷を訪
れて。銭湯も温泉もない山奥なので滞在中は勿論…。
「はい。ゆっくりお湯に浸かりましょうね」
お母さんやお父さんに、この様に抱き留めて入れて貰った。背中を流して貰い髪を洗っ
て貰い、湯に浸かった侭百を数えさせられた。笑子おばあさんや正樹さんにも。サクヤさ
んには何度となく髪をくしゃっと掻き回された。
両親を失ってこのお屋敷に越して来た頃は、わたしを心配してくれて、おばあさんかサ
クヤさんか正樹さんがお風呂を一緒してくれて。サクヤさんの大きな胸を前にした時は、
なぜかわたしが恥ずかしくて。小学6年生になった今は、流石に正樹さんと入る事もない
けど。
双子に逢えて立ち直れたわたしは大丈夫と、大人と一緒のお風呂も添い寝もなくなって
二年近く。護身術の修練を願い出た頃に、真弓さんと裸のおつきあいをしたのが最後かな
…。
幼子達は、久々の一緒のお風呂に愉しそう。両腕で抱き支えると膝の上で、正面から左
右の胸にぴったり添って、頬を当てて微笑んで。2人がピタと肌を添わせてくれる今が嬉
しい。信頼されて、信頼に応えて、確かに今に向き合えている。それが自身の何よりも嬉
しくて。
「お湯加減はどうだい?」「丁度良いです」
外からの正樹さんの問に答えつつ、2人をお湯の外に出す。ぱちぱち薪の爆ぜる音がお
湯の下から聞えてくる。釜が燃えて躍動している為に、板一枚隔てただけで、開けた窓の
外にいる正樹さんもこっちも、声を大きくしないと届かない。でも音で逐一動きが悟られ
ない事は、女の子の入浴には都合が良いかも。
「さぁ桂ちゃん、髪の毛を洗いましょうね」
白花ちゃんは少し、大人しくしていてね。
明るいブラウンの髪を濡らし、シャンプーをつけて泡立てる。桂ちゃんの背後に座るわ
たしの左脇腹に右手を付いて、白花ちゃんはわたしの作業を眺め見て。こうして裸で接す
る様を、誰かに見つめられるのも妙な気分だ。
艶やかな髪から泡をお湯で洗い落すと、桂ちゃんは気持良さにぶるるっと身を震わせて。
濡れタオルで頭と顔を抱き包み、水気を拭き取って1人終り。終りの合図に軽く抱き留め、
左頬に左頬を合わせ頭をぽんぽんと軽く叩く。
いつもならこの後己の身体を洗う処だけど。わたしは待っていた白花ちゃんの頭を濡ら
し、シャンプーをつけて泡立て。今度は桂ちゃんが間近でその様を見守る。自身がそうさ
れていた様を、外から眺める事に興味津々でいて。
「白花ちゃん、少し我慢して目を瞑ってね」
艶やかな髪にシャンプーを浸透させて洗い、お湯で泡を流し去る。タオルで包んで顔と
頭とを拭き取って、終りの合図に軽く抱き留め、左頬に左頬を合わせ頭をぽんぽんと軽く
叩く。
「はい。良い子だったわ」「いーこいーこ」
桂ちゃんが真似をして白花ちゃんの頭に手を伸ばす。でも白花ちゃんは同じ歳の桂ちゃ
んの撫で撫では好まない様で、わたしの右側に逃れて。2人はわたしの間近を巡る感じに。
わたしの背に隠れた白花ちゃんを追う桂ちゃんは、勢い余ってこの右太腿に倒れ込んで。
風呂場で走っては危ないので、抱き起こして間近に見つめ。わたしは2人を叱れないので、
両脇を抱えて微笑んで、わたしを視界に収めて貰う事で、走り回っていた事を忘れさせる。
白花ちゃんがわたしの左側から、様子伺いに顔を覗かせる。桂ちゃんは逃げる相方を追
い始めた時点で、その頭を撫でる目的を忘れている。今はもう白花ちゃんを追いかける事
もどうでも良く。それは白花ちゃんも同様で、桂ちゃんの撫で撫でを嫌った事も過去の話
で。
「白花ちゃんも、いらっしゃい」
桂ちゃんを右に、白花ちゃんを左に、わたしは幼子の肌を抱き寄せて。2人の髪を洗っ
た時間が経過して、2人の肌も暖かみが少し失せている。一度湯につけて温め直すべきか。
でも少しこの温もりと肌触りに浸っていたい。
そう言えば、先週金曜日。両親の生命を奪った鬼が羽様を訪れ、真弓さんに切られたあ
の日以降、わたしは幼子とお風呂を一緒してない。前半は深手で幼子を看る余裕がなくて、
後半は尚残る傷痕を見せて怯えさせない為に。漸く傷痕も消せた昨夜は、わたしが突然の
お泊りで。2人とも心待ちにしていた筈なのに。
「……ゆーねぇ、もう、いなくならない?」
躊躇いがちな白花ちゃんの問に、わたしが固まった。桂ちゃんも白花ちゃんも、わたし
の一晩の不在にではなく、先週の危機の様に永遠に失う事を怖れ、行かないで帰ってきて
と、熱く求めてくれたのか。真弓さんの修練を受けて2年経つけど、この身は未だに非力
で脆く、たいせつな人を守る強さには程遠い。
それを承知で尚、桂ちゃんと白花ちゃんを脅かす者には、満身創痍でも玉砕覚悟でも片
道切符でも、立ち向わない訳に行かないから。その限界を、先週間近に見せてしまった為
に。2人共わたしを視界に置き続け、常に間近で、思いついた様に駆け寄って肌身を合わ
せるのは。何度抱き留めても尚身を寄せてくるのは。
「おねいちゃん、いなくならないよねっ…」
わたしを心配してくれて、案じてくれて。
その瞳は幼子の純真さを宿して輝くけど。
その真剣さは駄々ではなく不安の所為で。
わたしが双子に怖れを怯えを抱かせていた。
己の非力が2人に拭い難い不安を抱かせて。
わたしはそれを唯の親愛だと軽く捉えて…。
「……白花ちゃん、桂ちゃん……わたし…」
本当にわたしは愚か者だ。目に見えて分るべき事を、わたしは今この時迄悟る事出来ず。
目の前でここ迄気遣い案じてくれても。寄り添って触れて繋ぎ止めてくれても。見える物
を見ず、聞える物を聞かず。わたしは本当に。
「ええ。わたしはずっと、羽様に居続ける」
抱き寄せる力を少し強くする。幼子の柔らかな肌の肉感を強めつつ、わたしの肉感を感
じて貰える様に。確かにここにいると肌身に感じさせる様に。微かに贄の血の力を紡いで、
心にも体にも暖かみを与え、安心を及ぼして。
「心配させてごめんなさいね。桂ちゃん、白花ちゃん。わたし、もっと強くなるから…」
2人を心配させない程に強く、2人の危険に割って入って退けても危なげない程に強く。
贄の血の陰陽に生れた2人に振り掛る様々な定めを分けて受け持てる程に強く。たいせつ
な人を不安からも怖れからも守れる程に強く。
この温もりをくれる双子の頬を涙で濡らさない様に。この柔らかな肌触りを怯えに凍え
させない様に。わたしは2人の心も守りたい。己の非力は重々承知して尚、守らせて欲し
い。
「心配してくれてどうも有り難う。桂ちゃん、白花ちゃん。2人とも、強く賢く優しい
子」
お湯の暖かみは引けてきても、わたし達の紡ぐ想いの熱さは引く事もなく。白花ちゃん
と桂ちゃんの幸せと守りを叶える為なら、本当にいつ迄でも羽藤柚明は羽様に居続けます。
この幸せを長久に、守り続けられます様に。
− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −
柔らかな肌を抱き留め続け、どの位時間が経っただろう。贄の血の力で湯冷めはまだま
だ防げるけど、年長者は適量を考慮しないと。
「一度お湯に浸かりましょうか……えっ?」
抱き上げる前段に緩めた腕の内で、肌身に抱き寄せられていた桂ちゃんは、頬に当たる
その感触を好みつつ、首を伸ばして口を開き、
「ぱくっ……」「い、ひぅ……桂ちゃん!」
わたしの右の乳房に幼い口で吸い付いて。
流石にわたしもこれは予測できなかった。
悲鳴が大きくならなかったのは、喉も胸も詰まって出せなかっただけ。外の正樹さんに
聞かれずに済んだのは、一応幸いだったのか。今迄もお風呂を一緒した時に、この胸に柔
らかな頬を当ててくれた事は、良くあったけど。白花ちゃんも桂ちゃんも幼子だから、わ
たしの大好きな人だから、好んで抱き寄せて肌身を合わせていたけど。でも咥えられるな
んて。
反射的に身体が震えて、幼子の唇を外していた。押しのける迄はしなかったけど、抱き
留めた腕の中で桂ちゃんの吸い付きを振って外し。白花ちゃんは何があったか分ってない。
桂ちゃんの次の反応は当然あり得る物だったかも。好んで望んで身を任せた近しい『お
ねえちゃん』に振って身を外されたとなれば、嫌われ拒まれたと想うのも道理で。驚きに
目が見開かれた次の瞬間、失意に曇った表情が、
「ううわ……あああぁんっ!」「桂ちゃん」
泣き叫ぶ瞬間、わたしは抱擁を強めていた。拒んでない嫌ってない、わたしはあなたを
愛していると肌身に伝えないと。理屈や言葉は幼子に分り難い。届いても心の奥に響かな
い。行いで招いた誤解は行いで解きほぐさないと。
ああ、桂ちゃんと白花ちゃんの為の一緒の入浴だったのに。2人への償いと埋め合わせ
の為の今なのに。わたしは重ね重ねに失策を。
ひしと抱いて想いを伝える。口を塞ぐのではなく、心を満たして怯えを止める。わたし
はあなたを拒んでないと、確かに伝えないと。さっきより緊密な抱擁の中、桂ちゃんは密
着できたわたしの胸に頬を合わせて笑みを戻し。
ほっと一息ついて、力が抜けたその瞬間。
二度目はさっき程の驚きはなかったけど。
「ぱくっ……」「ひゃぃ、……桂ちゃん…」
桂ちゃんは、許容されたと想ったのかも。
少なくとも拒絶を撤回した感じになった。
寄せていた頬を動かし桂ちゃんは、再びわたしの右乳房の先を咥え込む。小さな両手で
わたしの胸が、逃げてしまわぬ様に抑えつけ。
「ちょっと、桂ちゃん?」「ん……んちゅ」
お風呂場で胸に触られたのは、真弓さんにされて以来2年ぶり。それ以前にはサクヤさ
んに何度か『早く大きくおなり』と撫でられた事があった位で。殆ど未経験です。しかも
柔らかな手で掴まれて、咥えられるなんて…。
吸い上げようとする動きがくすぐったい。
桂ちゃん、真弓さんの胸に吸い付く様に。
わたしの胸にそれを求めてもダメなのに。
振り外すと、桂ちゃんが拒絶や嫌悪を誤解して泣かせてしまう。今度は間違わない様に、
まず2人を抱いた腕を解き、白花ちゃんを脇に立たせて、それから両手で右乳房に吸い付
く桂ちゃんを、驚かせない様にゆっくり離す。吸い付いた口は、わたしの胸を引っ張りつ
つ、限界を超えてすぽんと外れ、お互いを揺らせ。
離された事に不満そうな幼子の瞳を覗き、
「桂ちゃん。わたしは真弓叔母さんと違って、お乳は出せないの。折角吸い付いてくれて
も、桂ちゃんの欲しいおっぱいは出せないのよ」
桂ちゃん、お腹すいているのかな? お夕飯は一緒して、分量はいつも通りだったけど。
早く上がって軽いお夜食食べさせるべきかも。
でもその反応は、わたしの思惑を超えて、
「ううわ……あああぁんっ!」「桂ちゃん」
久しぶりにわたしはおろおろさせられた。
間近に瞳を合わせお話ししても、分って貰えない事もあったけど。手を握っても頬を合
わせても、駄々をこねられる事もあったけど。わたしは吸い付かれた事に不快なのではな
く、その求めに応えられぬ事に申し訳ない想いを、分って貰いたかったのだけど。出産も
初体験も未だのわたしに、桂ちゃんの望みは叶えられない。これは幾ら頑張ってもどうに
も出来ない。それにわたし、誰と何を頑張ると…?
桂ちゃんにはわたしがそれを拒んで見えて。
桂ちゃんにはわたしが嫌って離して見えて。
目の前にあるのに、どうしてダメなのと…。
2人共真弓さんのお乳が恋しい年頃だけど。
いつもは1人だから、桂ちゃんも白花ちゃんも谷間に抱き留めていた。1人相手の作業
は早く、幼子の手が空く時はわたしが自身を洗う時なので、張り付く余裕はそれ程なくて。
長泣きさせては外の正樹さんを心配させる。正樹さんは幼子の泣き笑いは常の事だと、
未だ気にしていない様だけど。羽様の双子は騒いで泣いて笑ってを拾分間隔で繰り返すか
ら。
言葉や理屈が届かなければ、肌身に伝える他に方法はない。でもそれで伝わるのは大ま
かな感触だけだ。抱き留めて泣き止ませる事は出来たけど、幼子の心は安んじられたけど。
「はむっ、ふむっほむ……」「桂ちゃん…」
受容されたと桂ちゃんは、三度わたしに吸い付いて。振り解いても慎重に引き離しても、
結果は同じだ。桂ちゃんはわたしの胸を求めている。わたしの答は、受容か拒絶しかない。
そして愛しい双子に返せるわたしの答は常に。
最早張り付く幼子を離す事も外す事もせず、
「幾ら吸い付いてくれても、おっぱいは出せないの。ごめんなさい。分って、桂ちゃん」
応えきれない己の未成熟を心から謝るけど。
でも桂ちゃんは、何も出ないわたしの小さな胸を無心に吸い上げ続け。心から満たされ
た様に、瞳を細め頬を緩め。肌身に伝わる揺れは未経験の物だけど、くすぐったさに耐え。
「良いの? 本当に、何も出なくても…?」
「……んん……ちゅぅっ、ちゅぅぅっ……」
答は言葉ではなく黙々たる行いで。柔らかな口は、わたしの胸に乳歯を立てて吸い続け。
人にはとても見せられない絵図だけど、無心に慕って添ってくれる事は、正直嬉しかった。
何も出ないと失望する様を見るより、満たされて無心に啜る様子を見守る方が遙かに良い。
そうされて漸くわたしも実感し始めて来た。
桂ちゃんは唯わたしに添いたい訳ではない。
『桂ちゃんは、間近でわたしが死に追い詰められる様を見てしまっている。流血の様を』
抱き留め抑えて歯を立てて肉感を掴まねば。
桂ちゃんは心の底から安心できないのかも。
わたしの真の償いは幼子の心の傷を埋める事だ。肌身に添って優しい心の綻びを縫い止
める事だ。わたしの存在は愛しい幼子の為に。わたしの流血や致命傷が桂ちゃんを怯えさ
せたなら、わたしの身と心で埋め合わせるべき。何も出ない小さな胸が幼子の心を満たす
なら。
一心に縋ってくれる感触は柔らかく温かで。
愛しさに際限がない。嬉しさに制限がない。
本当に幼子の母になった様な錯覚を憶える。
もうこの肌を引き離す気にはなれなかった。
むしろわたしはその柔肌を、抱き留め続け。
その侭目を閉じて幸せに浸りたいと想った時、わたしはもう一つ忘れてはいけない物を。
「……白花、……ちゃん……?」「あ……」
間近で右手人差し指を咥えて立ちつくすもう1人の幼子の視線は、わたしを向いていた。
桂ちゃんが想う事は白花ちゃんも想う事だ。
桂ちゃんが望む事は白花ちゃんも望む事だ。
胸に惑いもよぎらず行動に移す桂ちゃんと、少し考え後に続く白花ちゃんでは、顕れ方
は違うけど。わたしの瀕死を間近に見て、心に不安を抱かせた点では同じ。償わなければ
ならない点では同じ。肌身に不安を感じさせた。それは肌身で拭い取らないと。男の子だ
けど拾歳も年下で、二歳の誕生日迄未だ二ヶ月余りも残す幼子だ。一緒にお風呂に浸かっ
て不思議もない家族なら、肌を許してしまっても。
「白花ちゃん、いらっしゃい」「……ん…」
わたしが2回桂ちゃんの身を離した様を見た白花ちゃんは、本当にわたしがそれを好み
望むのか気掛りな様だ。幼心にわたしの気持を慮って。自身の望みより相手の想いを察し
ようとする。強く賢く優しい子。でもその桜色の頬に宿す想いは年長のわたしが見通せる。
「さあいらっしゃい、白花ちゃん」「あ…」
真弓さんにも正樹さんにも、笑子おばあさんにも、見せられないけど。明かせないけど。
間近で逃げない白花ちゃんに軽く左手を伸ばし、その気持を引き寄せる。わたしは拒み
はしないと微笑みかける。わたしに吸い付く桂ちゃんの様子を静かに見下ろし、白花ちゃ
んの視線も引っ張って、大丈夫だよと伝えて。
小さな腕が伸びてきて、わたしに触れた。
「……はむっ。……うんむっ……」「ん…」
わたしに胸が2つあるのは、双子の望みに応える為だったのかも。未だ全然足りない膨
らみだけど、これが幼子に兆す不安を拭うなら。一日すっぽかした償いになるなら。2人
の親愛を感じ、わたしの心を伝えられるなら。
身が冷えてしまわぬ様に贄の癒しを紡いで、暖かみとして素肌から双子に流す。これで
風邪を引く心配もない。わたしより濃い血の双子に肌身を添わせている為か、わたしの力
が普段よりも強く紡ぎ出されている様な気が…。
2人は無心にわたしに身を添わせ、小さく滑らかな手で左右の胸を抑え、望みの侭に口
をつけ乳歯を立てて、何も出ないわたしの乳房を心地良さげに吸い続け。ちゅっちゅっと
音がする度に、わたしの体がくすぐったさも兼ねて震えるけど。今は恥じらいもその他も
棚に上げ、愛しい双子の望みに応え己を捧げ。
「わたしは、あなた達2人の物よ。桂ちゃん、白花ちゃん。羽藤柚明は、あなた達の為
に」
桂ちゃんと白花ちゃんは、普段より長いお風呂に心地良く疲れ、上がるとその侭寝室へ。
でも最後迄、わたしが解き放たれる事はなく、真弓さん達の寝室に敷いた布団の一つに引
っ張られ。双子の招きにわたしに否の答はなく。
真弓さんも正樹さんも、2人のわたしへの張り付きに苦笑を浮べつつ、添い寝もお願い
と。でもそれは、わたしが許しを求めてお願いする事です。お布団でも左右に寄り添う幼
子が寝付く迄、肌身を寄せて、絵本を読んで。
幸せな夜が、涼やかに更けてゆく。
− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −
寝付かせたら幼子を明け渡そうと想っている内に、自身も寝付いていた。そんな己に気
付けたのは、正樹さんと真弓さんが様子窺いに寝室に歩み来た為で。幼子の就寝後なので
やや声は小さ目だけど、内緒話ではなさそう。
「桂も白花も今夜は寝付いてくれた様だね」
「ええ。ここ一月位は2人とも、中々寝付いてくれなくて。特に昨夜は柚明ちゃんを気に
掛けて、一度寝てもすぐ目を覚ましたり…」
起き出そうと想ったけど、双子がぴったり身を寄せているのもあって、わたしも寝付い
た姿勢の侭で動かず。続けて正樹さんの声が、
「今日はそれに倍するサービスをして貰っていた様だから。心地良い疲れという奴かな」
「最近は夜泣きする以外にも夜に目を覚まして、中々寝付けなかったから。これで生活の
リズムを取り戻してくれると良いのだけど」
「やっぱり、あれかい? 柚明ちゃんの…」
あれって正樹さん、声や音で今宵の事を?
でも真弓さんが頷いた『あれ』は違って、
「まあ、それもないとは言えないわね。暫く柚明ちゃんも、痛みに顔しかめたり動きに不
自由あったり。生命が助かったとは言っても、白花も桂も彼女の流血を間近に見たから
…」
わたしの所為で双子が受けた心の傷の方で。
ほっとするよりも、申し訳なさが兆すけど。
「でも、2人の夜泣きはその前からだから」
そうなの? 他に原因があっての事なの?
身動きせず、お話しに耳を傾けていると。
「やっぱり乳離れは、幼子にはかなりのストレスみたい。おっぱい止めて一月位経つけど。
最近は柚明ちゃんの深手を始め色々重なって、白花も桂も大変そうだったけど。却って他
の諸々でそれどころでなくなったのが、2人には幸いだったのかしら。昨夜も柚明ちゃん
で頭がいっぱいで、今晩も柚明ちゃんにぴったり張り付いて。おっぱいの事も忘れ去っ
て」
え?
「どうしても白花と桂の情緒が安定しない様なら、もう少し乳離れを先延ばしして良いか
もと、僕も思っていたんだけど」「その心配はなさそうね。未だ少し様子は見るけど…」
満たされた顔。柚明ちゃんがいてくれれば、桂と白花にはわたしもおっぱいも不要みた
い。
「あっという間に大きくなって」「本当だ」
「この侭大きくなって、お嫁さんやお婿さんに行ってしまうのかしら?」「随分先の話を。
未だ誰に恋した訳でもないのに一足飛びに」
成長を心から喜びつつ少ししんみりした声の真弓さんに、正樹さんは笑みを含んだ声で、
「まあ、柚明ちゃんへのなつき具合を見ると、桂も白花も最初の恋する人はもう確定か
な」
あの、正樹さん。それは……もしかして?
穏やかに過激なその声に、応えも平静で、
「親バカとして白花と桂は誰にも渡しません、と言いたい処だけど、柚明ちゃんなら、
ね」
あの、真弓さん。それは、良いのですか?
「柚明ちゃんにとっては大変かも知れないけどね。1人でも手に余る元気印が2人だから。
当分は舅と姑の助けがいるかも知れないよ」
「それはもう容易い御用……って言うか貴方、それは今の状態その侭ではありませんか
…」
襖を閉めた為に声が少し遠くなっていく。
2人は居間に引き返して行くみたいです。
「ははは。そうだった。この屋敷では柚明ちゃんは真弓にとって小姑だけど、真弓が柚明
ちゃんの姑になった方が、しっくり来るよ」
「ええ、ええ。日々修練で痛めつけちゃっていますから。まさしく嫁虐めですわね。その
内、姑虐めをされない様に気をつけないと」
「真弓を虐められるのは母さん位の物さ…」
「どっちを褒めている積りですか、貴方?」
静寂が戻って、双子の寝息が耳に近しく。
でもわたしの心臓はばくばくと鳴り出して、頬は贄の血がいつもの3倍以上巡って染ま
り。
真弓さんと正樹さんがわたしの姑と舅に?
じゃなく、わたしが真弓さんに許される?
それより幼い双子がわたしに恋して良い?
ちょっと待って。違う違う。その前にっ。
真弓さん、白花ちゃんと桂ちゃんへのおっぱいを暫く止めていて、双子がストレス堪め
ていると言っていた。2人のわたしへの吸い付きって、まさかそれを補う意味も込めて?
2人が心地よさそうに満たされているから、真弓さん今後も乳離れは続けると。桂ちゃ
んと白花ちゃんは今後も真弓さんのおっぱいを貰えない。でも実は不要になった訳ではな
く、今宵わたしに補われただけだから。つまりは、
『お風呂に入る度に吸い付かれちゃうかも』
2人は今後も欲し続け、真弓さんがそれに応じないなら、白花ちゃんと桂ちゃんは今後
わたししか、求める相手がいないのも明白で。
頬というより全身が熱っぽくなってます。
考えが巧く頭を巡りません。わたし、今宵は白花ちゃんと桂ちゃんに、のぼせたみたい。
幸せに酔っています。身体を火照らせるこの熱は、贄の力の残余よりお風呂上がりより、
幼子の肌の温もりで。若干の恥じらいもあるかも。でも2人がわたしを強く慕ってくれた
事も、わたしが2人を満たせた事も嬉しくて。
間近な寝顔は意識が落ちても尚わたしの身にぴったりと張り付いて、心迄預けてくれて。
その全幅の信頼が、柔らかな感触が心地良く。
今緊急に決断せねば拙い事でもないのなら。
今暫くはこの幸せに己を浸し満たされたい。