第13章 終わりは始まり

 ようやく金星に着いた明たち。みんな走っても走っても果てのない広さの大地に改めて
大感激で、騒ぐやら踊るやら転がるやら。
 そこらの酔っ払いよりもたちが悪い。
 ま、しかたないか。
 宇宙にいてその果てしない広さを実感する事はあるが、『体を伸ばせる広さ』とそうで
ない『見えるだけの広さ』ではやはり違う。
 珠美玲子姉妹やイスラム三人組、大木教授やその他多くの知り合いともこれで別れ別れ
だが、珍しい事に別れを惜しむ言葉は一切聞かれなかった。
 多くの宇宙旅行では数十日命の危険を共にした『仲間』なのだから、下船の時は今生の
別れとばかり大いに別れを惜しむのだが、彼らにはそういった感じはない。
(大の男が号泣して抱き合い、別れを悲しむと同時に生きている間に必ず再会を果たすと
の固い誓いをすると言う、多くの劇的な場面は誇張でも何でもない事実なのだ。それほど
宇宙とは心底恐ろしい所なのだと、明たちはまだ実感していないが)
 今回その様な名場面が余り見られないのは、他の船旅に比べて今回の乗客達のつき合い
が浅いのではなく、その多くがもうすぐ行われる春美と博之の結婚式に出席してまた顔を
合わせる事が分かっているからである。
 別れにしても、アフリカ号内で就寝時間に、『またあした』という程度の物でしかない。
 手続きを済ませてロビーに踊り出す明たち一行。彼らを待ち構えていた人物が動き出し
たのは正にその時だった。
「ハロ−、○○製菓御招待、御一行デスネ」
 金星の空港で彼らを待っていたのは、彼らの目線より低い小柄な黒人の女性。外人とは
日本人よりも長身であるという伝統的な思い込みに反した身長の低さと、小さい割にバラ
ンスのとれたプロポーションに彼らはちょっとの驚きと優越感と感じつつ目を合わせて、
「アイ・アムア・ペン!
 マイネームイズ・ハウアーユー」
などと意味も全く通じない英語もどきを喋べくってしまう。このばか共には任せておけぬ
と和男と徹夫が代わりに前に出ようしたそのとき、黒人の彼女は誠一と明とのそのばかば
かしい対応ににっこり微笑んで、
「ワタシハ、○○製菓金星第二支社北営業所、総務サービス営業課、サキ・グリーンデス。
 高卒デ日本語モ、第二段階マデシカ喋レマセンガ、ミナサマノ、随行員ヲ勤メサセテ頂
キ、イタダ、イタダキ……マズ。ヨロシク」
 流暢だとは言えないが意志疎通が不可能でない程度に日本語を話せるサキ・グリーンは、
日系金星人二世とアメリカ系黒人の間に生まれた『金星人』。仕事に対するひたむきさと、
性格からにじみ出る愛想の良さがうまく重なり合って、五人の金星人にはことのほか気に
入られた様だ。年の頃は十八歳で、彼らより年下。公平に見てもかわいい女の子だ。
「うん……八十点、合格!」
 誠一はまた訳の分からない事を言い出す。
 恋に破れて傷心の明には、同じ境遇の誠一が何を考えている物か分かる積もりだったが、
全く分からなくなってきた。
 右手には三角の旗が『歓迎・○○製菓懸賞旅行御一行様!』とたなびき、左手には五つ
のジュースの缶。
「長旅御苦労さまでした」
 そこの部分はかなり練習したものか、相当うまい日本語の発音だ。
「世界一難しい言葉だからね、日本語は」
「今日は景勝観光になさいマスか、それとも長旅の疲れを取る為にホテルに直行して温泉
で汗をお流しになりマスか?」
「そうだね……宇宙船内で、閉ざされた空間に散々くたびれたから、今日は温泉ホテルと
行こうか」
 見物は明日でもいいだろう。誠一の言葉に誰も異議はない。特に何をすると言う予定も
ない彼らは、予約してくれていたビーナス・グランドホテルに泊まる事になる。
 ビーナス・グランドホテルは、金星の空港周辺にできた中心街の外れにあって、三十階
建ての近代的な高層ビルだった。上空から見るなら『エンピツ型』六角形ののっぽビルで、
中心街とは反対側を向いた窓からは金星一大きな湖とその周辺の緑の公園が見えていて、
いい景色。夜になったら中心街の高層ビル群がライトアップされて輝いて見えるし、寒さ
と無縁の気候だから夜でもみんな活動的だ。
 一日目は体を休めると温泉につかって一息着いて、退屈なので誠一は明の部屋に来たが、
その時に誠一の云い出した事というのが……。
「なあ、彼女意外と可愛いと思わないか?」
「か、かのじょぉ?」
 突然の事に明は話しが全く分からない。
「ミス・グリーンだよ。気だてのいい娘じゃないか」
 は……? ま、まさか?
「誠一お前……、まさかあ……」
 春美との恋に破れたばかりだってのに…?
「それはそれ、これはこれ。敗れた恋に潔いのが日本男児(何が男児だか)」
「絶好のチャンスだよ!もう頁数も残り少ない事だし、これがラスト・チャンスだ!」
「行け行け誠一! 行け行け誠一!」
 彼は自分で自分を励まして、
「(宇宙ステーションBUでの)夢を正夢にして見せるぞおっ!(こだわってる)」
 誠一は全身でうなって見せる。犬みたいだ。
 全く、脳天気なやつ程羨ましいものはない。
 しかし翌日、ミス・グリーンが
「ハイ? 結婚デスカ?
 三か月前ニ、幼なじみの、ジョージと結婚、してマス。え、何か?」
 彼女が既婚である事が分かり、さしもの誠一もがっくりと……。
「ああ、無情!」
 武と明の果てしない高笑いが、金星の青い空に吸い込まれて行った。
「いい天気だねえ、この晴れやかな青い空は、一体誰の心を映して輝いているんだろう
ね」
「ふ〜んだ、うるさいやい!」
「いやあ、全くきれいな空だ。粉塵まみれの東京では、久しく見られた事のないきれいな
青空だ」
 金星滞在二日目の朝、二度目の失恋で意気消沈する暇もなく朝食にかぶりついて、恋の
恨みを食事に果たす事を覚えた(俗にやけ食いと言う)誠一たちに、一通の電文が……。

『明さん、和男さん、誠一さん、武さん、徹夫さん。今日は、大江春美です。
 皆さんお元気ですか? 初めての金星観光いかがでしょうか? 私は金星に住んでいる
様な物なので、慣れっこになっていますが、本当に暑い所です。年中海水浴もできる環境
ですものね。
 さて、私と博之さんの結婚式をビーナスグランドホテル別館、一階の大広間で行う事に
なりました。明さん、和男さん、誠一さん、武さん、徹夫さん。ぜひ、皆さんでいらして
下さいね。
         今日限りの大江春美より』
 今更名前の順番等にこだわる訳ではないが、五十音順のために一番最初になれた明は嬉
しそうだったし、そうでない四人も単なる五十音順さ、と不承不承納得した次第。
「そうか……」
「やはり、金では買えぬ高値の花だったか」
 武のつぶやきに、
「それを云うなら高嶺の花!」
 やはり徹夫と和男は同時に修正をかける。
「ま、いいじゃない。三人等しく痛み分け、この中から誰かが彼女と結ばれるなんて、か
えって不公平じゃあないかい?」
 誠一のさっぱりした口調に、明も頷いて、
「結婚式は目一杯お祝いしてあげようよ」
「そうそう」
 五人は早速ルナ・シティの中山俊男に電報を打つ。光の早さでも数分かかる距離ではあ
るが、明日までに間に合えば良い。
 俊男のばかが居眠りでもしてない限り、返事は間に合うだろう。
 事情説明に少々手間どって、長々と文を書き連ねる事になってしまう明たちだが、和男
の作った文章にそれぞれめいめい勝手な修正をつけ加えた挙げ句、最後にこの一文をつけ
加えるまで優に二時間近くかかってしまった。
『我らの春の女神が、空飛ぶ船の操縦士と結ばれる事と相成りました。願わくば、祝電の
一報を送られたし。明、武、誠一の涙は大地を覆い尽くすノアの洪水であります。
 貴君も愛の涙を多量流されます事を祈って。
      チョコレートに因縁のある一行』
 翌日。
 明たちにとっては、一つの恋の葬送行進曲とも言うべきウエディングマーチの響く中、
一階大広間で大江春美と田沢博之の愛の芽が花開く儀式が行われた。小さな地震があって
エレベーターが作動しなくなったものの、大きな被害もなく結婚式は予定通り執り行われ
たのだ。
 とんでもない事件に巻き込まれた物の無事最後の航海を終えて金星で年金生活に入る、
アフリカ号船長ジョージ夫妻もいる。夫人は金星の家で待っていたらしく、これからは快
適な老後がある事だろう。
 肩に受けた傷は完全ではない物の、ふてぶてしく美女を追いかけている独り者の古井副
船長。次のアフリカ号の船長は彼でほぼ決まりで、女性職員は警戒を怠るべきではない。
 独り者と言えばローリーとターナー。彼らもしばらくは『独身組』の泥沼からはい上が
れそうにはない。宇宙船勤務は長期になり過ぎるので、職場結婚以外では多くの恋は時間
と共に覚めてしまって結婚には至らないのだ。
 その職場結婚と言うのが秋野と村沢で、かれらは間もなく結婚すると言う話だ。二人で
顔を出して祝いに来てる。
 ローリーとターナーに云わせれば、結婚した連中こそが甘い匂いに騙されて、食虫植物
に捕らえられた哀れな犠牲者、結婚の泥沼にはまってしまった悲しき者たち、という事に
なるのだろうが、それも負け犬の遠吠えだ。
 イスラム三人組も来ている様だった。彼らはメッカに礼拝できなくなった時から、『決
して捨てないと』誓ったイスラム教を捨て去って、それぞれ独自の道を歩み出したという。
生まれた時からの宗教を捨てて歩む三人がそれぞれどう変わるのかは分からないが、健闘
を祈っておこう。
 ビバリー・ヒルズ、ロジャー・ペンローズ、エレン・ペレズフォードは軍人の彼氏を連
れてきていた……。みんな満面の笑顔。他人の喜びは自分の喜び、何ていい発想だろう。
 ラーメン屋の王さんが孫を連れてきている。三才くらいだろうか、かわいい。息子夫婦
なる若だんなたちもいる。総勢二十人、王ファミリーだ。
 ウイリアム・リード、ラル・シン、中川博士と言った『大物』たちも来て一緒に祝って
いる。『宇宙の友は終生の友』なのだそうだ。
「おめでとう」
「おめでとう」
「おめでとう」
 五百人もの人々に囲まれて、新郎も新婦も身動きできない様だ。それこそ嬉しい悲鳴。
「こんなに多くの人に祝福されるのだから、きっとしあわせになれますよ」
 徹夫にそう語っている若者は、誰かと思えば名を大江文彦(二十二才)。春美の弟だ。
「どーも、ページ数残り少ない状況で新しく出てきましてすみません」
「誰にあやまっとんだ、誰に」
 文彦は春美に似てやや長身な、均整の取れた明るい表情のスポーツマン。大学の野球部
ではピッチャーで五番を打つと云う、女子大生の憧れの的だと云う話だ。
「なに、ミーハーな女性に百人もてたって、博之さんの様に本当に自分を愛し信じてくれ
るたった一人の女性を見つけ出し、結ばれる、あの幸せに比べたら……ですよ」
 彼は肩をすくめて笑って見せる。
「新郎、ちょっとつき合ってくれないか?」
 誠一が田沢をトイレに連れていくのを、明は発見した。これは危ない、誠一を止めなけ
ればと、明もトイレに入ろうと扉に手をかけた時……。
「俺たちは別に、あんたに恨みを持ってる訳じゃあ、ないんだ……」
 勝手に自分一人の思いに武と明を加えてしまった誠一の声が聞こえる。
 明は、誠一の声が怒っていないので様子を見る事にした。
「ただ、あんたの幸せの陰に三人余りの恋の犠牲者がいたって事を、覚えておいて欲しい。
 そして俺たちの思いを無駄にしない為にも、春美を幸せにしてやってくれ。
 俺は口下手だからあんまりうまくは言えないが、その……何だ。春美を悲しませる様な
事をしたら、我ら『三銃士』がただでは済ませないと、そう言う事だ」
 どこかのテレビドラマの様だな、明はそう思いつつ、黙って聞いている。
「分かった」
 田沢の答は明確だった。
「俺は春美の為に二回ばかり命を捨てた。
 この先何回捨てても同じことさ」
 そう言い切れる男意気に、誠一は感動したと言っていた。
『つい数十日前に燃え上がった恋の端っきれの様な思いと、三年も前から燃え続けてきた
本物の愛じゃあ、やっぱ格が違うのかな』
 明は心の中でそう呟いた。
「俺は春美を世界一仕合わせな花嫁にする。
 約束しよう」
『三銃士』の為にもね、博之はそう言った。
 二人が用をたしてトイレを出ようとするので、立ち聞きしていた明は慌てて飛びのいた。
 明が聞きえたのは、トイレを出ようとする田沢の肩を押さえて誠一が、
「あ、このことは彼女に言わないでくれよ。
 いらない心配させたくないから」
と云う所まで。
 この様にしてめでたしめでたし、と行く筈だったのだが果たして、そう簡単にこの恋愛
騒ぎは終わったのだろうか。
 実は春美の弟文彦は後で、明に意外な事実を教えてくれたのだ。
「姉は、航海の半ばから君たち三人の事は、知っていたんだよ」
 これは結婚式からしばらくたってからきかされたのだが、
「ただネ、君たちの思いをむげに振り払う事もできないと思った姉は、何も知らない振り
をしていたんだ。
 言わない様にって言われていたけど、誰かがこういう裏話は知っていなきゃあね」
 彼はそう言ってその話を切り上げた。が、
『春美は、全て知っていたのか……』
「全てを知ってるのは俺だと思ってたけど」
 明は、釈尊の手のひらの上で踊る孫悟空にでもなった様な感じで、しばらくは声も出な
かった。

 地震の揺り返しの危険は杞憂に終わり、明たちは無事結婚式を終えた。全てがめでたく
終わった後は新婚旅行というのが地球での結婚式のパターンで、最近は宇宙旅行が流行っ
ているのだが、この場合は金星旅行ですでに、その役目を果たしているので、博之と春美
の新婚生活は、今日この日から始まる。
 しかし地震で停止したエレベーターの為に、明たちの地獄の時間は正にその時から始ま
るのだった。五人の部屋は全て二十六階にあり、今回の地震によるエレベーターの停止に
よって彼らは、そこまで自分の足で歩いて行かなければならない羽目に陥ったのだ。
 絶体絶命の明たち。しかも彼らは、何をしようにも大切な財布をその二十六階の部屋に、
置いてきてしまったのだ!
「いったい今何階だ?」
「七階」
「あと十九階もお」
「ひえ〜っ!」
 階段を上り切った所で(正に悪夢だった)、息を切らしつつそこから一番近い明の部屋
になだれ込んで彼らは、一階の自販機より二十円も高いジュースに口をつけ、
「ひえ〜、ひどかったなあ」
「まったくだよ」
「ルナ・シティでもここでも、地震からは離れられないなあ」
 例によって例のとおり、武はジュースは買わないで、コップに水と云う抵抗ぶりだ。
 聞いた話によると金星は地震が多いそうだが、エレベーターが止まるのはよほど大きな
地震か近くの地震かで、ここ三年ばかりはそんな事はなかったらしい。徹夫いわく、
「俺たちって、やっぱり確率の法則にけんかを売っているんだなぁ」
「しかし何だねえ、ずいぶん暑いよこりゃ」
 誠一がぱたぱたとうちわをあおぐ。
「熱帯性気候。気圧が少し高い為だろうけど、こんなに暑いとはねえ」
 まったく常夏の国だ。和男もフウフウ言っている。みんな、額を流れる汗なんて、高校
時代のマラソン大会以降見た事がない。
「暖かい空気は上昇気流になるから、どうしても上のほうが暖かいんだよ」
 徹夫の言う事は分かる。しかし分かったからと言ったって一体何になると言うのだ!
「クーラーを入れよう」
「健康的じゃないぞ」
 武は一番参っていそうなのに、健康と言う財産のために頑張っている。
「我慢しすぎる却ってて良くないぞ」
「精神的安定も健康の一つだ、入れようぜ」
 徹夫はそう言いながらクーラーのスイッチにてをかけた。
「上のほうが暖かいんだよね」
 明が繰り返し『常識』を口にする。誠一は、「?」
「だから、富士山のてっぺんやアルプスなんかも、最近は暖かくって参っているんだよね。
 エベレストなんか年中真夏日だって言う話だよ……」
「え?ホントかよ、それ。あれ……?」
 何かおかしい様な……。
「ねえ、それほんと?」
「常識でしょう。上昇気流は、あったかい空気が上に上るからできるんだもの」
「そう……だよね。あれ?」
 誠一は一日中頭を抱えて考え込んでいた。

 大体宇宙船の切符と言うのは値が張るので、往復割引で同じ船で行き帰りするのが普通
である。往復しない場合でも往復切符を買い、帰りの分の切符を八割程度の値段でチケッ
ト交換屋に売りつける方が効率がいい。
 懸賞旅行と言う、会社にとってできるだけ省きたい費用の場合などはそれも結構露骨で、
彼等に与えられたのはアフリカ号の往復切符。
 まあ、ただで旅行するような物なのだから、それで良いのかも知れないが。
 金星旅行と言っても特筆するべき事もなく、二週間余りは瞬く間に過ぎ去ってしまう。
 何と言っても人間の居住区と言うのが、南極と北極に分けられて、金星の大部分から隔
離された環境なのだ。それほど大きい訳でもないし、歴史的遺跡がある訳でもない。
『金星開拓第一歩ここに記す』と云う足跡や、『金星初代総督の庁舎』などを見て歩いた
ら、三時間余りで終わってしまった。
 金星開拓始まって以来いまだ半世紀に至らないのに、史跡探訪などを望むのは無理かも
知れないが、ただいつでも暖かい真夏の環境で水着姿でプールで泳ぐくらいしかないとは、
さすがに物足りない。
 金星観光の名所とか言ってみても、所詮は人間の作り出した環境だから『ものすごっく
大きな遊園地』の様な物で、明は妙にしらけてしまった。
「俺たち、何が目的で五千万キロ以上彼方の地球からやって来たんだっけ?」
「金星観光、だってさ」
「これで観光? 3Dの実体験立体画像を見てんのと、変わらないじゃん」
「そういうなって、ただなんだから」
 和男はそう言って笑うのみ。
「ただじゃ……」
 武の抗議は今更無意味だ。
「ただだからって言ったって」
 誠一は少し考え込んで、
「それほど俺たち、得をしてないのかも知れないぞ」
 考えてもみろよ、宇宙船の費用とかこっちの交通費とかは向こう持ちだけど、それ以外
の雑費はかなりかかってんだぜ。それにこの中には、春からの就職も定まってない者だっ
ているんだ。五か月以上もかけて旅行する値打ちがある程の旅行だったと思うかい?
「ん……」
 確かに、ルナ・シティの地震には足止めは食うわ、アフリカ号内では乱闘するわ、偽マ
ーク一味の宇宙船乗っ取りには引っかかるわ、命のスペアの二つ三つくらいは用意してお
くべきだったかも知れない。
 危険の重みに比べて得た物が観光だったら、大して得したと云う気分になれないと云う
のは、頷ける所だ。
 そう思う明だったが、不思議と損した気にならないのはなぜだろう。
「金星なんて、大した意味はなかったのかも知れないぞ」
 明の意見に武は考え考え、
「決して無駄じゃなかった筈だ、この五人が知りあえたと言うだけで。俺も顧客のリスト
が増える訳だし……」
「小説のネタもできたと言う訳だ(和男)」
「無重力を肌で体験できた上で、緊急事態に際しての対処の仕方まで学べたじゃないか。
(徹夫)」
「人生経験豊富になったって言いたい訳?」
「宇宙旅行だよ。金星での二週間の滞在なんかよりも、往復六か月近い宇宙空間の、鉄の
棺桶に揺られての旅の方が、俺たちにとってメインだったんじゃないかな」
「出会い、別れ、再び出会い……。
 果てしなく、人間の営みは果てしなく、人間の歴史は果てしなく、そして平凡な人間達
の、出会と別れも果てしなく繰り返されて」
 別れは別れにあらず、と言ったのは誰だったろう。そして、終わりは始まり。
『山、また山と会わず。
 人、また人と会う』
 アフリカ号に書いてあったアフリカの諺。
 また会える日を心待ちにしております、と
つけ加えてあった。必ず再会出来ると。
「別れが、新たな出会いまでの少しの隙間に過ぎないと思えるならば、別れが、新たな出
会いにつながると思えるならば……」
 良いとは、思わないか。
 和男が珍しくまともな事をいったその日は、雨だった。

 ミス・グリーンの案内で行く金星観光は、それ程目新しく興味あるものはなかった物の、
随行員の引き立ても会ってそこそこに楽しく、彼らも満足できた物だった。
 ただ、彼等が来た頃に小さな騒ぎがあって、新聞にはこのように報道されていたが……。
『観光地の珍事件。
 昨日午後四時頃四越デパート金星第三支店、第三別館で店員が、同店のトイレの男女標
示板を全て取り替えられているという珍事件を発見しました。
 これによって、男女あわせて十五名が間違えたトイレに入ってしまうと云う被害が発生。
 男性六人が軽傷を負うと云う事件になりました(女性にチカンと間違われてハイヒール
で殴られたケガであるとは、さすがに報道しなかった様だ)。
 調べによると……』
「この犯人は……」
 自らを称して『想像力あふれる今時珍しい天才青年』と呼んでいる二人の若者を、和男
たちは冷ややかな目で眺める。
「あ、あ、その目は!
『こんなガキみたいな奴とはつき合っていられるかっ!』て言う視線だな。
 いけないぞ、いけないぞ!」
『騒々しさ溢れる今時珍しい天才バカボン青年A・NとT・S』は白い視線に抗議して、
わめき出す。ああ、幸せなやつら。


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