かくして、明達の金星滞在は無事二週間の日程を終え、彼らは再びアフリカ号に乗り込
んだ。これから帰りの旅も、再び宇宙の旅で七十日だ。彼らと帰りの旅を共にする船客の
顔ぶれもかなり変わっていた。
ビバリー・ヒルズは、金星で公務員の試験を受ける為に、ここにしばらく残るのでアフ
リカ号の帰りの便には乗らないという。金星では、若者の地球への流出が問題になってて、
公務員給与の引き上げなどもかなり積極的に行われているらしく、彼もそこに目をつけて
の帰郷だったらしい。
ロジャー・ペンローズも金星に残る。金星で警察官になると云うのは本気らしい。試験
で受かればという条件付きだが、金星の若手の働き手不足は相当なものなので、体が丈夫
だったらご安心。ちなみに彼、空手三段。
メキシコの青年実業家、ウイリアム・リードも残る事になった。
金星には、バカンスを兼ねてきた(本音が出た!)筈だったのだが、予想以上に商社の
業績が悪く、活を入れる為に長期滞在となったらしい。明には特別の感慨があった。
中川博士と大木教授は金星に残って研究を続ける事になる。彼らにとっては金星は自分
の庭であるから、『帰って来た』という方が正しい様だ。
当然の事ながら春美は残る。彼女のあの暖かい笑顔は、もうアフリカ号の中では見られ
ないのだ。断腸の思い!
さて、田沢航海士はと言えば、彼は金星に残らない。彼はアフリカ号の帰りの便で地球
に帰ってしまうのだ。一等航海士だから船を安全に導くのは当然とは言え、まだ新婚早々
なのに……。職務にというより、乗客の安全に対する義務感が違うのだ。うん!
エレン・ペレズフォードは、金星に勤務中の彼氏と会えてご満悦。一年後に彼氏が退役
して地球に戻ってくるまで、しばしのお別れという事になる。と言う事で彼女はアフリカ
号帰りの便にも残った。しかし五千万キロ以上も離れた惑星間の溝を越える恋愛だなんて、
究極のラブロマンスじゃあありませんか。
ラーメン屋の王さんは、地球に戻るそうだ。孫に会えた事だし、もう思い残す事はない
としみじみ話していた。地球にもチェーン店を二十店ばかり持っているので金星に永住す
る訳にも行かないらしいのだ。
「いっその事、金星に行くんじゃあなくって、お孫さんを呼んだらいかがですか?」
そう明が言った時、彼はびっくりして目を瞬かせた。そう、その手があったか! 全く
その事には思い至らずに、孫には終生会えない物だと思いこんで、寂しそうにしていた王
さんは、突如生きる希望が倍増した様だった。
明くん賢い!
後十年もたてば、孫も成長して宇宙旅行に来れる様になるだろう。それ迄のお楽しみだ。
「まったく、長生きはするもんじゃなあ」
珠美と玲子の姉妹も彼等と一緒に帰る事になった。やはり大学の出席日数が危ういのだ
そうだ。宇宙船の中で散々遊び暮して、とは思う物の、その間も通信教育を行っていて、
きちんと授業の内容はこなしていると云うのだから、才媛だ。
彼女たちは相変わらずエレンと共に、井戸端会議に参集していて、恋人たる和男は影の
存在と化している。
ラル・シンは金星の高官や財界人たちとの交際に疲れたと言って船室に引きこもりがち
だったが、武のざっくばらんな対応に沈んだ心を励まされて元気になった様だ。アフリカ
号から降りる時彼は武に、
『何かあったら相談してくれ、百万ドルでも、二百万ドルでも無利子で融資するよ。君の
様な友を得られたのはこの航海で最大の収穫だ。君の後ろには僕がいる。君は生涯の友
だ!』
そこまで買われるなんて……武がぁ?
フィリピンからはるばるやって来たと言うトムは、金星の進んだ農業を国に逆輸入して
フィリピンから飢餓をなくするのだと言っている。誠一は盛んに励まし、激励していた。
「世の中なんでも男意気よ!」
「気合だ、気合で作物も伸びが違うんだ」
「台風などけ飛ばしてやれば逃げ出すのさ」
おい、余りうそばっか教えるなよ。誰一人信じはしないと思うけど。
その他にも新しく金星から地球に『行く』人々もいる。新しく会った顔、どこかで見た
顔、様々いる。金星から地球に向かうのは、多くが地球に仕事や学校を求めての事であり、
観光旅行等と余裕のある者はそう多くはない。何と言っても金星は開拓始まって以来まだ
半世紀の新興の大地で、経済的余裕はないのだ。
農業国を目指して開拓が始まった金星だが、違う星への農業の移植は困難の連続でいま
だ採算に乗るでもなく、その収入の多くは地球からの観光収入と連邦政府からの援助に頼
りがちな現状である。景気は表面上良さそうに見えて、実は不景気と言うのが実態だ。
観光旅行等と言うぜいたくは、雲の上の世界の話と言うのが実感で(明も同じ)、惑星
間旅行による観光等、どこの世界の話だろう。
「ドウモ、ゴ苦労様デシタ。
良イ、オ旅ヲ。ソシテ、コレカラモ、○○製菓ヲヨロシク、オネガイシマス」
ミス・グリーンは結局金星に残り、帰りの旅も五人旅となってしまった。彼らの旅は、
行きも帰りも添乗員なし、特に行きなんて偽マーク一味の宇宙船乗っ取りに合うなど、さ
んざんな目にあっている。
「本当に大丈夫なんだろうな」
宇宙船が発進してから誠一がそういうと、徹夫が横から、
「お前よりは大丈夫だと、おれは思うがね」
「よけいなお世話だい」
「またテロやら宇宙船ジャックやらに遭うんじゃないだろうな。もう面倒はごめんだぜ」
明の言葉は多分本音だろう。
「救い出す美人もいないのに、か」
和男の言葉は明の胸をえぐるナイフの様だ。
「ふんだ!」
両手を口に入れて思いっきりイーッとして見せて明は、
「どうせ俺たちゃ女に縁のない役柄なのさ」
「おうおう、諦めが良いね」
武は携帯電話をアフリカ号の電話回線と連結して二十四時間、株の動きを指示しながら、
「でも、俺はまだ諦めちゃいない。
人生最大の富み、それは生涯を通じて信じれる伴侶と友だ。それを開拓するために、俺
は今日このいっときをも逃さずに、経営戦略に没入するのさ」
「はあ、さいですか」
明は顔に縦線が入るのも構わずにげんなりと答えてから徹夫に、
「そういえば今回はあんた一人だけ浮ついた話がなくって、話に絡んでこなかったね。
影も薄かったし」
(十分活躍してると思うのだけど。和男)
「はははは、そうだっけ」
恋愛なんて非合理的な物は興味ないとでも答えると思った? 徹夫は逆に問い返して、
「これ、見る?」
「……なに、これ?」
明はたまげた声を出した。彼の貯金通帳がアフリカ号の中にいる間に、ぐんぐん残高を
減らしている。
「榎本玲子につき合って、船内のカジノに入り浸ったんだ」
はあ、バクチね。明は納得するが、
「それで六百万もすっちゃった訳?」
「確率的には、こうなる可能性は一千万分の一以下の筈なんだけど」
「カジノ屋にその法則、持ち込まない方が良いよ」
あそこは全ての法則の源が『運』でできている世界だからさ。徹夫の事だから、ルーレ
ットやらスロットやらに確実性を求めてかけまくって、確実にすっていったのに違いない。
「まさか玲子に……」
全て貢いだというのではないだけましだが、彼女に木端微塵に撃墜されてしまったのだ。
ほとんど全財産を彼女とのつき合いのかけにつぎ込んで、それで得た物が『お友達』とは。
「彼女、男と女ってのを全く意識していないらしいんだ」
それにとてつもなく賭けが強いんだよ。
大抵バクチをやってれば、どんなに金持ちだって財力が持つ筈がない。ましてや玲子の
場合自分ではなく、友人を負けても負けても金をやって励ましてはカジノで遊ばせるのだ。
まともな財力で生きて行ける筈がないし、金に詰まる様だったら性格はもっと変わって
いる筈だ。誠一は大いにそれに同感だった。
春美にふられてから三週間と立っていないのに、今度は誠一の貯金通帳の残高が急降下
爆撃を行っているのだ。なぜかは、わかろう。
「確率で行けば今度こそ勝てる、今度こそ勝てるって……」
哀れな、和男は肩をすくめた。
「それでほとんど勝てなかった?」
「二万六千二十一回賭けあって、全敗」
ひえええ、やるねえ。
その回数と、一度も勝てなかったという内容の両方に敬意を表して明はいきを飲む。
「ちなみに」
明はコインをひとつ取り出して手のひらに隠して示し、
「表裏どっちだ」
表。そう答えた徹夫の目の前に見えたのは、コインの裏。
「もう一度だ、明!」
はいはい、明はコインをつかみ直し、
「表裏どっちだ」「表」「残念、裏でした」
「表裏どっちだ」「裏」「残念、表でした」
「表裏……」「表」「こりゃ裏」
「表裏……」「裏」「こりゃ表」
「表!」「裏」「裏!」「表」「表!」「裏」「はあ、はあ……」
百回近くやってみたが、驚くべき事に徹夫の奴は二分の一の確率の筈のその賭けの全て
を間違えた。一回として当たらないのだ。
ははあ……、明はこれで納得と言う感じで、
「確率の法則にケンカ売ってるのは、あんたの方じゃないのかい」
「ちくしょおおお、なぜなんんだあああ!」
「こりゃ運の問題だわな、確率じゃねえわ」
帰りの旅は古井新船長の元、宇宙船乗っ取りなどにもあわずアフリカ号は順調に航行し、
だ円軌道を描きつつほぼ定刻通りに月ニュー・ニューヨークに到着する。
この間、いったん墜落寸前まで落ちた誠一の貯金通帳の額が復活したのは、確率の法則
による誠一の勝利の結果でなく、誠一の見栄もプライドも捨て去った『勝ち馬相乗り戦
略』で、かける対象のことごとくを玲子と同じ選択にした結果である。その結果、彼は競馬でルーレットで全てにおいて完璧な程勝利して、見事にその財産を持ち直したのだ。
「おい、徹夫の完璧な負けっぷりもそうだけど、玲子の勝ちっぷりも尋常じゃないぜ」
思わず武が呟いてしまう。すごいのだ。
玲子はどんな賭けでもことごとく勝つ。
スロット、パチンコ、麻雀、競馬にルーレット。全て彼女のやる事に勝利がつきまくっ
ているのだ。これはまた何とも派手な勝ち方。
「アフリカ号の乗っ取りが失敗したのも、私がいたから、かも知れませんね」
そういい切る自信、それを裏打ちする実績。
「どれどれ」
明も少しやってみたのだが、玲子と対戦する形になるトランプや麻雀では、明はただの
一戦も彼女に勝つ事ができなかった。
「ひい、冗談じゃない!」
明の少ない貯金通帳は三日もたたない内に破産寸前になり、誠一方式で復活させないと
彼、地球に帰ったその日から路頭に迷う事になっただろう。
「おれ、パス!」
投資家でもあり勝負勘には最も冴えてる筈の武が、勝負をせずに逃げだしたのだ。いや、
彼女の一見人の良さそうな外見に惑わされずにその『つき』の恐ろしさを見抜けた事で、
武は十分強いのだろう。自然界でも動物たちは勝ち目のない戦いを挑みはしない。
「和男さん、ひと勝負やりませんか」
あなたは珠美の彼氏だし、手加減してあげるから。その猫なで声にもかかわらず和男は
さっさと図書室に引きこもってしまう。
彼の運の悪さは徹夫並みなのだ。
「んん、もう。あ、ヘレンだ。ヘレン……」
玲子はまたもや犠牲者を捜して船内を徘徊する。しかもこれだけカジノを賑やかにして
おきながら、肝心のカジノは余り儲けていないのだ。玲子一人でカジノの儲けの何分の一
かに当たる額を吸い上げているらしい。
これで彼女が新客を連れてこない人間だったら、絶対お断りされていただろう。
カジノで夜昼分からぬ時間を過ごす間に、数十日はまたたく間に過ぎ去って、見えてき
ました青い星、やって来ました我らが月よ。
ニュー・ニューヨーク!
それほど広くもない発着場に待ってるあの顔は、あれこそミスター・フライパン、中山
俊男その人である。
月の大地震についてはその再建もおおかた済んだらしく、俊男もようやく元の仕事に復
帰した、その第一号が彼らご一行の出迎えである。と云っても公私混同気味だが。
「よう、生きてたか」
マーク一味に襲いかかって、宇宙のチリになったって聞いてたが。
御客様に向かってとんでもない事を言うのも全く彼らしい。春美の事に話が及ぶと、
「人間、諦めが肝心さ」
いや、あっさりしていて男らしいねえ。
誠一が自分でそういうのに明は、
「諦めが良すぎるのもどうかと思うけど」
「古い実らぬ恋を新しい未来の恋に切り替える。その変わり身の早さこそ未来人の秘訣だ
よ、君ぃ」
「はいはい」
もうまともに反論する元気もない。誠一は全く、他人の生命力を吸い取る様に元気だ。
まあ、いつまでも失恋にねちねちしてたって、良い事はないけどさ。明も八割がた気分
転換を終えている。
「ま、ちっともショックは受けてない様だし。こいつらはごきぶり並の生命力だから、何
があっても心配してやる必要なんかないんだ」
武にそれを言われたくはない。
「明るく生きようよ。人間希望を失っちゃあおしまいさ。明日は明日の風が吹く。
ノストスラダム的な終末論なんて御免だね。
明るく、明るく」
「だから和男、ノスダラトムスだって」
「そうそう、ムスラダノトス!」
好むと好まざるとに係らず、自分に未来が開けているのは事実だ。いやがおうでも、そ
れを生きなければいけないのは、世に命を受けた者の義務だ。それを放り投げるなんて事
は人間にはできはしない。人間は、死ぬまで生きなければならないのだ。
ならばせめて、楽しく生きよう。明るく生きよう。笑って生きよう。悔いなく生きよう。
明たちは楽しそうにホテルに駆け出した。
彼らはこれで、長かった金星旅行もこれで終わりと観念してか、今夜はみんなで徹底的
に騒ぎまくろうと深く決意。
その日は、明たち六人プラス一緒にニュー・ニューヨークに降り立ったエレンや珠美と
玲子の姉妹やトムやラル・シンなども含めてどんちゃん騒ぎを決行する事となる。
今や国際語になった『カラオケ』で彼らは喉がかれるまで歌いあう事になった。日本や
アメリカはもちろんの事、アフリカ、インド、ヨーロッパ、様々な国の歌を取り揃えてあ
る。
中でも和男の歌はなかなかうまい物で、
「顔さえよければ立派な歌手なのに」
と誠一はお世辞とも冷やかしともつかぬ事を言い出す始末。
しかし武はド音痴だった。防音壁の外から苦情が来た程なのだから、そのすさまじさが
分かろう。戦車砲の発砲の音でも百%吸収と言う防音壁を前にして何とも信じ難い話だが、
武の歌声はこれ以降『ジャイアンの歌声』として、長く彼らの記憶にとどまる事になった。
こういう受かれた所に来ると印象が薄いように思われる徹夫だったが、今日は違った。
彼はこの日、歌いまくった。心に積もる物のある人間は、歌でうっぷんを晴らした方が
精神衛生情よろしいのだそうだ。明も良く覚えてはいないが、徹夫は一人で、十曲以上は
歌っている。
何でも金星にいる時からこうなる事を予期していて、予定に『カラオケの歌を捜しと
く』と書いてあったと言うが、本当かどうかは定かではない。
この後はボーリングに行って(明はみんなの中で最低点だった)、ゲームセンターに行
って(誠一のシューティングの巧さは筋金入りだ)、派手に会食会を行って……『朝まで
ナマ宴会』に突入する。
一番飲んだのは和男で、一番悪酔いしたのも和男だったと思う。明の覚えている間では
和男が一番声が大きかった様だが……。
「ねね、この二日酔いの薬がさ……」
武が何か言い出すのにすかさず徹夫が、
「アマゾンの宝石って奴か?」
徹夫の声に武も酔っている為か大声で、
「そりゃ宇宙酔いの薬でしょう!」
「そうだったっけ」
明は確かタンザニアのたんぱくで肌荒れ防止のクリームだと思ったのだが……。
翌日、宇宙酔いにもならなかった明たちが二日酔いに悩まされた事は、言うまでもない。
「おい、今日は宇宙ステーションAWに行かなきゃならないんだぞ、起きろ!」
ぐわぁん、ぐわぁん。
鍋をぶっ叩いて彼らを起こした俊男がミスター・ナベと呼ばれる様になったのはその日
からの事である。
「ね、ね、よってこうよ。ね」
明の声にみんなも仕方ないと行った感じで、宇宙ステーションBUに向かう事になる。
「ここ、ここだよ」
ここでぼくらは春美さんと始めてあったんだよ。見かけたって、云った方が良いのかな。
ステーション内は毎日掃除されているので跡形もないが、確かにここで数カ月前、明達
は一人の女性を救い出したのだ。
「ここ、この辺りから」
明は少し離れた柱の辺りまで駆けて行って、
「のっしのっしって、六人の勇者が現れたんだよ。ねえ」
明はのっしのっしと立って歩いてくる。
当時を再現する様なその動きだが、先頭に立たされたのは確か俊男の筈で、それもそん
なにカッコの良い現れ方はしなかった筈だ。
うんうん。頷く武にも、さすがに感慨深い物がある。
「ここで彼女、助けを求めたんだよね」
「『きゃああ、たすけてえ!』って」
誠一さあああん!
誠一は春美のマネをしてるらしいが、あの時の春美とは似ても似つかぬ、彼の妄想の中
の春美の様だった。だいたい初対面の誠一の名前をどうしてその時の春美が知っている?
「そこへ現れたるは正義の仮面、科学忍者隊スケバン刑事Z改め、三代目水戸黄門サリー
ちゃん!」
わざわざポーズまで取って見せる和男だが、彼のそんな動作は決してなかったと、彼ら
の誰にも断言できた。ちょっと通行人に目立つこの六人パーティー、確かに善行をなした
人間だったのだ。若干の下心はあったにしても。
「そして川村徹夫の冷静にして的確な指摘が、彼ら悪党の反抗心を奪い去ったのであっ
た」
「ないない」
「そして吉川武の豊かな金銭のなせる必殺技、投げ銭が彼らの手首を襲う!」
「襲わない襲わない」
「そしてそこへ現れるは愛と正義のサラリーマン、中山俊男見参」
「しないしない」
「したってば!」
そこは確かにあった様な気もする。
「要するにみんな、かなりいいかげんな記憶しかないって訳だ」
「ああ、今となっては良い思い出だぜ」
「不正確な記憶ばっかのどこが思い出になるんだか」
そういう一部の声は置いといて、
「確かに、一つの恋の始りの場だった訳だ」
「じゃ、ここで恋の終わりとしようか」
明、武、誠一の三人は、未練を振りきる様にして近くの喫茶に入る。男は、いつまでも
昔の事に拘泥していてはいられないのさ。
フッと寂しい笑いを残して喫茶に入る彼らだったが、和男と徹夫は同時に声を上げて、
「あっ、ここは春美さんに、あんみつとフルーツパフェをおごった店だああっ!」
どうやら、彼らの心の傷は、当分癒せそうにはない。
かくして約二か月ぶりに、五人は地球に戻ってきた。俊男も今度はついてきた。といっ
ても、三十分後の次の便で再び宇宙に戻って行ってしまうのだが。
往復で一億キロ近い距離を旅しての帰国である。春だった日本も秋になっている。
「やっぱり、帰ってきたって気分だね」
「そりゃ、地球だもの。他の星とは違うさ」
金星ではいろんな所を見てきたが、やはり地球が彼らには最も美しく、最も住み良く、
最も愛すべき星だった。
金星には海がない。大山脈で囲まれた両極の居住区域は、砦の中に立てこもる姿を連想
させる。宇宙にはこんなに広い大地はない。見渡すかぎり果てしなく広がる大地だなんて、
ない。土星の輪がどれだけ美しかろうと、所詮は岩と氷の塊だ。ルナ・シティが幾ら未来
都市だろうと、月を地球にはできぬのだ。
地球という生命を育んだ、この稀なる美しくも青い星は、ここに一つしかない!
例え冥王星の彼方まで探険隊が進もうと、地球はやはり彼らの生みの母にして父なのだ。
彼らの命の源は、幾ら科学が進んでも相変わらずこの碧い星の手のひらに握られている。
「地球に生まれて良かったね」
「おうとも、我らは地球人よ」
「地球万歳! 地球人万歳!」
宇宙旅行は楽しかった!
「また、行きたいね」
俺たちの収入じゃ当分行けそうにないけど。
明がそういった時、和男はふふんと笑って、
「そうでもないぞ……」
俺たちにゃ友達って財産があるじゃないか、ね。その声が武に向けられる。
「ひえ、お、おれが?」
「決まってんだろう。五人の宇宙旅行なんて、他に一体誰に用意できるって言うんだよ」
「そりゃま、そうだけどね……」
冗談じゃないぞ! そんな金のかかる事。
「そやって小さな視野にしかいないから、惑星間企業に展開できないんだよ、君は」
経営感覚ゼロの誠一にそれを言われたくはない。横から俊男が、
「いいじゃん、税金対策の所得隠しに、社員寮や福祉施設に金を寄付したと思えば」
「俺達の宇宙旅行費用を全て交際費で落としてさ、みんな課税対象から逃れられるって話。
俺も武の事業に協力できるって言うのなら、喜んで参加させてもらうよ……」
「じゃ、五年後の和男の新婚旅行に事よせて、みんなで行く事にこれで決定。宇宙船一隻
のチャーター、お願いしますね」
「宇宙船及び旅行に関する諸手続は任せろ」
歩く六法全書の徹夫がいる、怖い物はない。
バ、バ、バカヤロー!
「勝手にいく事を決めるんじゃねえ」
少しは俺の都合を考えんか!
「大丈夫、みんな武を助けてバイトするよ」
「大船に乗った気でいてくれよ。なあ、武」
明と誠一にそう言われるのが武には、一番不安なのだ。和男はすっかりその気で旅行先
を物色し始めるし、徹夫は大まじめで予定表に『再度宇宙旅行、武の主催』と書き込んで
いる。俊男はその乗員リストまで作り始めた。それは五年後に見事実現してしまうのであ
る。
「やめろお、俺を破産させる気かあ」
「大丈夫だよ、みんながいるから!」
「だから不安なんだって!」
彼らの五年後の旅がいったいどこを目指し、どのように展開して行くのだろうか。それ
はまた、次の機会に。
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