第8章 火事親父!

 アフリカ宇宙航空株式会社所属、金星行き宇宙船アフリカ号の突然の停電で明たち乗客
がパニックに陥った、その少し前に話は戻る。
 ここはアフリカ号の先端にある中枢指令室。船長、航海士、通信士、その他船の操縦の
頭脳とも言うべきメンバーが揃っている。他に機関室やここのすぐ下にあるコンピュータ
ー管理室なども主要区画であるが、あくまでもブレインはここ。
 中央に座っているケンタッキーのおじさんの如き見事な白ひげの老紳士は、今年で五十
才を迎えるジョージ船長。ベテラン中のベテランで今度の航海を最後に宇宙勤務を退職し、
金星で第二の人生を歩む事になる。アメリカ黒人の血を四分の一含む、穏やかな性格の船
長である。
 その斜め右に座っている中年男の日本人が副船長の古井だが、どうやら居眠りしている
らしい。支給品の帽子を頭に載せて、ダラリと椅子にもたれかかったその姿は不まじめの
典型。なぜアフリカ資本で経営基盤も弱い新会社の船に勤務するようになったのだろう。
宇宙船乗組員は宇宙への大量植民が始まって以来半世紀にわたって、常に売り手市場で会
社の方が頭を下げて、来て欲しいと言うのに。ま、それなりに職人気質で、一癖ありそう
な面構えをしているけれど。
 少し離れた所で一人で軌道計算をしている若者は、二等航海士のローリー(二十八才)。
人材不足から高給取りの多い宇宙船勤務は、多くの計算をコンピューター任せにできるの
だから割と楽ではないかと言われるが、実際は微誤差の調整等にヒイヒイ言わされる毎日
なのだ。勤務時間は船に乗務している間全てだから寝てもたっても仕事だし、数字との睨
めっこは果てしなく、0から9までの数字を追って行く内に、
『この広い大宇宙でこんなこせこせした計算に追い回される俺って、何なんだろ』
とむなしくなる事もしばしば。
「特に、窓から見える広大な深淵を眺めていると、空しさはひとしおだねえ」
 デンマーク国籍のローリーに話しかけている左側の若者が、三等航海士のターナー。年
の数はローリーと同じだが、不まじめさと幾らかの能力の差から、三等航海士に留まって
いる。やや生意気っぽい口を叩く事があって、堅い性格の上層部からは気に入られないの
で出世が遅いのだと言う声もあるが、本人は全くめげない性格でいつもにこにこ。彼を知
る者は憎む事はないだろうね、多分。フランス系のカナダ人。
「三等航海士と言っても、給料が安いだけで、(二等航海士と)仕事の質も量も変わらな
いのが悲しい」
と彼は語っている。
 ローリーの右隣の一等航海士の席は空席になっている。そしてその更に右には通信班長
の秋野京子が座っている。年は二十代後半と言う事で秘密。未婚であります。完璧な日本
人ではなく、ロシアと満州人の血が混じっているが、黒髪は変わらない。
 秋野の右隣に座る通信班の副班長のアルベルト・村沢は南米ペルーの出身で二十七才。
 二十世紀末期にペルーで、日系人ながら大統領になったアルベルト・フジモリ氏にあや
かって、だろうか。ある時期の日系人男性の七割がアルベルトであったと言われ、右を向
いてもアルベルト、左を向いてもアルベルトだったらしい。ま、その名残。
 ジョージ船長はターナーに話しかける。ターナーが、船体過熱を防ぐための太陽熱反射
版の装着率を確認し終ったのを見て、
「一等航海士は、まだ戻ってこない様だな」
「あいつですか。トイレじゃないっすか……。宴会場の隣の」
 ターナーはニッと笑う。
 今はここにいない一等航海士の田沢博之は、もうすぐ三十の声を聞こうと言う、
『心ばかりは青年(ターナー談)』
な若い日本人男性だ。背は百八十センチ、体重が八十キロでやや太り気味だが、なかなか
まとも……じゃなくって真面目な男だ。
 ぼーっとした所があって、何を考えてるか分からない所はあるが、人は見かけにはよら
ないとは良く言った物で、彼、婚約者がいる。
 三年前の火星行き全日空の宇宙船大日本丸の航行中、テロリストたちが船を乗っ取った。
(要人の乗る宇宙客船は良くテロに狙われる。しかも警察の追跡も数千万キロ彼方の宇宙
では及びもしない)
 当時二等航海士だった彼田沢博之は、身を投げ出して大木教授やその秘書とか、政界の
大物など乗客たちの命を守ったのだ。……その時、彼が知りあった(守った)女性との仲
が、今遂に結ばれそうなのだ。この航海が終わった後で金星で貰える長期休暇を利用して、
いくつか年下の美しい婚約者とめでたく……。
「いいねえ、一家の主になるというのはさぁ。
 この旅行が新婚旅行代わりって言う、とんでもない発想。そして金星で挙式、祝福……。
いいねえ、バカンスには絶好の気候だし」
「今回の航海が、仕事でありながら仕事になってないって言うのがみそだね」
 ローリーもそう言って、
「あいつ本当に何する為にこの船に乗ってるのか覚えてるんだろうな」
 一等航海士という役目を忘れて、結婚前の男にのみ専念されたらこっちが参る。
「こーやって抱き合ってさ、
『春美さん……』『博之さん……』(声を作って)なんてさ」
 ターナーは一人でチュ、の顔をして見せる。
 ローリーも、
「また一人、“独身組”からの脱落者か……。情けないね、独身貴族を貫こうという気迫
が、最近の男にはなさ過ぎる。
 しっかし、女どもも目がないね。こんなにイイ男がここにいるってのに…(そうか)」
「人生バラ色ってのは、ああいうのを言うのかねえ……」
「何がバラ色だって?」
 噂をすれば影、とはまさにこの事か。ターナーの声に答えた様に田沢が帰ってきた。
「何か言ってたかあ?」
 田沢が尋ねようとした時、
「十二分十秒三」
 今まで居眠りをしていた筈の古井副船長がムクッと起き上がった。
「アラ、早かったのね」
 紅一点、秋野の意外そうな声。田沢が何か言いかけようとするのを船長は、
「よろしい。早く任務に戻りたまえ」
「はい……」
 田沢はきまり悪そうに座席に腰を下ろした。
「おい、田沢航海士」
「春美の話ならノーコメントだぜ」
 ターナーに視線を向ける事なく彼は答える。軌道計算の確認は、何度やってもすぐズレ
てくる物なのだ。にっくき数字の群れに目を向けつつも、
「何だ?」
「さっき、ローリーが見たって言うんだけど……。乗客の中にあの、マーク・ジョンソン
がいるらしいってさ……」
 ナニ?田沢より早く船長が答える。
「マーク・ジョンソンだとお?あの、三年前の事件のマークか?」
 船長の、いつになく動揺した鋭い声に、再び眠りかけた古井副船長がモゾモゾする。
「あちゃ……(失敗した)」
 ターナーは舌打ちした。
「マークって、あのマーク?」
 秋野も真顔になっている。船内はさっきまでの和やかな感じを拭い去っていた。異様な
緊張感が、船内に重い水の様に漂っている。
 マーク・ジョンソン。
 彼の名は内は金星から外は土星まで響き渡り、その名を知らぬ物はないとまで言われる
宇宙海賊テロリスト。冷酷無比、残虐非道とは良く言うが、そんな物は彼に比べれば可愛
い物だ。とにかくやたらと血や破壊、殺りくと死、二十一世紀最悪の恐怖の男との別名を
賜る、宇宙の脅威。変装が実に巧妙で、古傷、指紋、声、靴の跡、筆跡なども全て証拠に
ならず、その実態すらつかむ事もできないとか。
 一味とされた物の数は分かっていないが、生きて捕まった者の数は実に少なく(捕まり
そうな者は秘密保持の為に口封じするのだそうだ)、一緒に乗っ取りに参加してみて初め
て首謀者がマークだったと知るテロリストもいると云う。その顔を知る者は今もって一人
もいないと云うのだ。警察や情報部にもその実態はつかめず、まさに謎の男。
 まさか、あの最悪の男が、こんな所にいる(らしい)とは……。
「どこで聞いたのよ!」
 通信の仕事は村沢に任せっきりで、秋野はターナーに聞く。
「実はね……ちょっと行ってきたんだよ……、昨日さ」
 無論、船内の事だが。それで、とローリーは問うが、秋野は分からない。
「ちょっと、どこいって来たのよ……分かんないじゃないの」
 古井副船長は分かっている。田沢は知らないだろう。船長は?
「あそこだよ、あそこ……。ね、船長」
 突然話を向けられて、船長はごほごほとせき込んだ。
「映画館の深夜劇場だよ。ポルノやってる」
 答えたのは古井副船長。独身を長らくやっているだけあって、あっさりと言い切る。ま
だ若いターナーは赤くなってるよ、おい。
「あの辺は一種の無法地帯でね……。ま、息抜きの場がないと、人間やっていけないから
さ……」
 なぜか後ろめたそうにターナーが言う。
「あの辺で、彼らが密談してるのを聞いちゃったんだよ……。特にあの問題の白人男が、
良く言うんだよ!
『俺はマーク・ジョンソンだ。オレは完璧な犯罪者だ。ものども、行くぞ!』ってね。
 うるさいくらい名前を出すんだよ。普通は、自分の正体をバラす様なばかな真似はしな
いと思うんだけどさ、やつは名前が名前だから、それを出す事で仲間を増やせるしね…
…」
 ふうむ、船長は考え込んだ。
 今は彼らにとって一種のチャンスだろう。事実船客たちはこの前の騒ぎと宴会の連続で
疲れて来ているし、船員たちもその影響でだらけて来ている。航海も半ばを迎えて、みな
中だるみの時分。
 まずいな……。
 船長はそう感じていた。乗っ取りがあるとするならば、丁度金星と地球の中間にあって、
警察も一番手の出しにくいここに限る。
『あるならば、ここだ』
 ここ二、三日を乗り切れば、大丈夫だ。
 何としても事態が始まってしまう前に押さえてこんでしまわねばならぬ。起こってしま
えば鎮圧するにしても事は面倒だ。
『しかし、強制捜索は失敗の危険がおおい』
 どうする、ジョージ。彼は自問自答する。
「明日、避難訓練をする」
 船長は断を下した。
 明日にでも避難訓練をして乗務員や乗客の心を引き締める、と同時にからっぽになる筈
の白人の部屋を秘密捜索もしてしまおう。
 ターナーもローリーも、田沢も古井も、その他この部屋にいた多くのものがその意味を
悟っていた。……しかし、今となってみれば、経験よりも直感と頼りのない噂を優先する
べきだった。甘かったと云うべきなのだろうか。
 明日では遅かったのだ。なぜならばそれは、今日起こる事だったから。
 船長は、明日の避難訓練の決定でひとまず肩の荷が下りたと判断したらしい。疲れ切っ
た様子で椅子にもたれかかり、
「後は自動操縦に任せておこう。ターナー、今日は君が計器の見張り役だったな。頼むよ。
 後はプライヴェート・タイムだ」
 今日の勤務ご苦労。船長は深呼吸した。
 若いローリーや秋野は、待ってましたとばかり出口へ向う。重力が弱いので動きが緩慢
に見えるが、彼らは皆『五時から男(女)』の心境なのだ。自動ドアといっても重力が弱
いとなかなか足が地に着かないので、この船では扉にスイッチがついている自動ドアを採
用している。
 船長が、今にも眠りついてしまいそうな体にムチ打って体を浮かす。心ばかりは若い独
身の副船長が、秋野やローリーを抜いて自動ドアの前に立った時……。
「……っ!」
 言葉にならない古井の叫び。
 古井の肩を光の束が貫通した。驚きや痛みよりも早く、彼の体はその勢いで後方に吹っ
飛ばされる。古井の体は、ドアと反対側の大スクリーンにぶつかって、ゆっくり落ちる。
「?」
 立ちすくむ人々。中央指令室に居合わせる彼らの頭を駆け巡った暗い予感はただ一つ。
 重苦しい沈黙の中、宙を泳いで秋野が古井に駆け寄った。
「動くなア!」
 彼らを再び沈黙が支配する。あって欲しくないという期待が消えて、このまま時が停止
してくれればいいという、沈黙。
『こんな事をする奴は……、こんな事をする奴は……!』
「あ、あ、あの声……」
 ドアの鉄扉に穴が開き、煙が一筋。
 まだ開いてはいない壁の向こうを見つめて、ターナーは叫ぶ。
「マーク・ジョンソン!」
 そのとおりよ。低く猛々しい勝利の声が、その主とともに乗り込んでくる。
「良く知ってたなあ、坊や。俺がマークだ。
 よっく覚えときな。これから数十日は顔を突き合わせんだからよ。これは褒美だ……」
 ダダダダダダダ。威嚇のつもりか、天井にむけて銃を乱射する。
「わわっ……!」
「きゃっ……!」
 二、三の悲鳴と驚きの声。それに満足してか、マークは更に銃を乱射する。
『クレイジーな野郎が銃を乱射しやがって…』とは口にしない。命が惜しいから。
 マークに続いて、その仲間たちも室内に入ってくる。人数はおよそ十五人。バラバラと
入ってきた連中の中で、本当に恐ろしそうなのは五人位であとは、こういう『大仕事』の
経験はなさそうなチンピラが多い。
「オイ、船をブッ壊しちまって良いのかよ、マーク」
 自分に恐怖する船員の反応に陶酔して、スクリーンや計器にたっぷりと弾丸の洗礼を暮
れてやったマークに、大柄な白人が心配そうに言った。
「ケッ、バーロー!」
 それはターナーの声。
「てめえら、宇宙船を何だと思ってんだよ。
 ノアの箱舟をブッ壊して、空飛ぶ棺桶にしてえのかよ。この船が爆発すりゃあ、てめえ
らだって巻き添えを食らうんだからな!
 原子炉を制御する大切な計器をブッ壊して、原子炉の報復ってのはナ、手厳しいものな
んだぞ。
“クリス”は怖えんだからな……」
 原子力船はたいてい、船名の他にそのエンジンたる原子炉にも名前がつけられている。
 勿論正式名は味も素っ気も無い記号と数字だが、あだ名という奴は世界のどこにもある
物で、宇宙においても例外ではない。
 女性名が多いのは、常に危険で敏感で目を外せない女性心理の気まぐれが、いくら気を
使っても安心できない原子炉にあるゆえかも知れなかった。台風に女の子の名前をつける
のが流行ったのと似ている。
 クリスと言うのは、アフリカ号の原子炉の名前だ。
「ま、尽くすだけ尽くす。わがままは聞くかなだめるか。決して荒々しくひっぱたく事も
できない、惚れた女のよーな所もあるわさ」
 ターナーはそうぼやいていた。ついでに言わせれば、
「尽くすだけ尽くし、気を使いまくって奉仕して、航海が終わったら用済みよとお役御免
なんてのは、振られた男の心境だね、全く」
「俺たちの銃口の方が、もっと怖いんだよ。
 兄ちゃん」
 ロシア人らしい長身の男が銃を構える。
 ターナーはさすがに口答えしなかった。
 十五人余りの乗っ取り犯は、およそ規律という物に欠けたゴロツキばかり。めいめい勝
手に暴れては、大切な操縦機器をぶっ壊していく。
 てめーら、乗っ取った船くらい大切にしやがれ!と言う罵声を喉で押さえてローリーは、
「おっさん達、ここだけ占領すりゃあいいと思ってんじゃないだろうね。……コンピュー
ター管制室も、機関室もある。警備の詰め所だって押さえない事には、宇宙船乗っ取りだ
なんて……」
 ドドーン!爆発はその時だった。室内の照明が一斉に消灯し、けたたましいサイレンと
非常用ランプの明滅。
「騒ぐんじゃねえ」
 マークの怒声。ロシア人が見せしめの為に、銃口でターナーをぶん殴った。弱い重力故
にターナーの体は派手に吹っ飛ばされて田沢にぶつかった。
「しっかりしろ」
 田沢が揺さぶるとターナーは、
「死んじゃいねえよ」
 黙りやがれ!マークは再び怒鳴った。
「分かったかい、これで船内の主要電源はイチコロだぜ。ケッ、ざまあみろってんだ」
 俺たちをただの乗っ取り犯とは思うなよ!
 マークは高らかに勝利の叫びを上げて、
「俺たちは綿密かつ周到な計画のもと、この乗っ取りを実行したのだ。
 中央コンピューター管制室、機関室、そしてこの中枢指令室は我々がもらった。と言う
事は……分るかい?この船は俺の物なんだ!
 今から、この船は俺の物。船も、荷物も、乗客も、お前たち乗員も、男も女もみんな、
俺の自由な手のひらにあるって訳だ」
 ハッハハッッハハ〜!マークの哄笑。
「俺はマーク、マーク・ジョンソンだ!」
「一体、何を考えて……」
 最後の航海になってのこの大事件に、無念がそのまま人間の形をとったジョージ船長の
渋い顔が、
「お前たちを待っているのは、牢獄と地獄だけだと言うのに……。なぜ、無駄な事をする。
これからの人生をお前たちは考えた事があるのか!この……この……」
『このわしを待っているのは退職金と年金生活だけだと言うのに……なぜ今になって…』
 ま、本音ね。田沢はそのへんを察するのに敏感だった。
「うるせえ!」
 これからの余生もそんなに長くない老いぼれなんぞにそんな事を言われる覚えはねえ!
 またマークは怒鳴った。かんしゃく持ちらしい。子供に教え諭す様な船長の言葉は、か
えって火に油を注ぐ結果になったらしく、
「黄色が金を出し、黒んぼうが建てた会社なんて、ぶっ潰してやる。てめーらも白人なら
少しは自分を誇れい!この、ナマクラ共!」
 この世でもっとも優秀なのは、白人だ!
 何かおかしいな、アルベルト村沢は呟いた。
 確かマーク・ジョンソンってのは、知的で冷酷無比な若者で、こんな中年の汚らしい奴
ではない。変装の名人だからと納得すれば良いのかも知れないが、田沢から聞き及んでる
マークとは似ても似つかぬ。
 大体マークが白人至上主義者だったなんて、聞いた事もない。マークは一時、黒人か東
洋人かと思われた程白人の船を襲ったのだ。
「てめえらアフリカ会社や東洋資本のせいで、欧米社会はひでえ不況だ。これとゆーのも、
てめえらアフリカ連中のせいだ。おとなしく植民地でいりゃあ、白人様もお恵みのひとつ
も暮れたろうに……」
 中央指令室には、本当のアフリカ人は一人もいない。いや、むしろマーク一味の方に黒
人の血の混じった物は多い筈だ。
「てめえら汚ねえ黒豚の配下どもはな、全部奴隷以下だ!この俺様が掃除してくれる。
 俺を誰だと思ってる?マーク・ジョンソンだぜ。世界が恐れる、宇宙最強最悪の大盗賊
だ。命なんて惜しくもねえ!
 てめえら、言うとおりにしねえと……」
 手前勝手なマークの演説の最中、ローリーはそろりそろりと非常防犯装置に近づいてい
った。ベルに触れさえすれば、乗組員以外の人間は全て、電気が走って動けなくなるのだ。
制服はそれに対応して絶縁体で作ってあるが、それ以外の全ての物は床のみならず壁も天
井も走り抜ける電流に抗する術はないだろう。
 もう少し、もう少し……。そろり、そろりと、マーク一味の目に触れない様に、ローリ
ーの体はずれていく。
 肩を打ち砕かれて顔をしかめた古井副船長が、秋野の応急手当を受けている。古井の傷
ついてない左手が、突如秋野の懐に滑り込む。普段ならば、チカン!と平手打ちをくれて
やっただろうが、今は今。古井が口をすぼめて、シイッ、とジェスチャー。二人はほぼロ
ーリーと対置してて、少し離れた所に村沢がいる。古井は彼女の懐の中で銃をつかんだ…
…。
 入ってくる者とていない一室は、緊張の重い空気がたちこめて息が詰まりそうだ。
 ローリーの動きに気付いた村沢は、何かを取り出した。
「何だ!」
 銃口を向けての詰問に彼は、
「コーラだよ、コカ・コーラ。のどが渇いてね……」
 本物だよ、爆弾なんかじゃないよ。
 危険のない事を示すのに頭上に掲げ、缶を降って見せる。
 ね、コーラでしょ……。そして、
「あんたも飲むかい!」
と言ってコーラの口をねじ開ける。振ったコーラは勢いよく飛び出してめくらましになる。
しかも重力が弱いので、泡の飛び方はやたらに派手だ。
「うわっ……!」
「くそっ……!」
 ローリーはその好きを見逃さなかった。
 ジリジリジリジリ……。
 防犯装置発動のベルが鳴る。
「ちっくしょうめっ……!」
 マーク一味の一人がローリー目がけて銃を構える。その一瞬の動きを予測した古井の、
秋野の上着の中からの狙い撃ち。
「ぎゃあっ……!」
 ターナーがさっきのロシア人に報復攻撃を加えた時には、すでに床も壁も天井も電気が
走っていて、乗っ取り犯たちも体がしびれて、ほとんど動けない有様。田沢は素早く老船
長を守りに動き、村沢はマーク一味が取り落とした拳銃を拾っていく。
「転ぶなよ……、手をついたらしびれるぞ」
 一応、船長は注意を忘れない。
「くそったれが!」
 マークは仲間たちを踏み台にして逃走する。踏みつけられた仲間がその足をつかむと蹴
っ飛ばす始末。なりふり構わず退散する姿は、なかなか壮絶な物だった。
 レーザー銃を持って逃走するマークとその残党数人を除く多くの者がその場で捕まる事
になる。中央指令室を占領してまず船の指令系統を乗っ取るという連中の構想は挫折した。
 この頃になって眠り薬やら何やらで色々と不覚を取った保安部の警備員たちが大慌てで
動き出す。彼らもまた、見事に彼らの罠にはまっていたのだ。
 通信班長たる秋野は既に、船の内外に向けて緊急放送を行っている。
「緊急放送、緊急放送。
 只今当船は、マーク・ジョンソンを名乗る宇宙船乗っ取りの一味の襲撃を受けたが、船
員乗客の一致協力した行動によってこれを撃退した。現在乗っ取り犯一味は、船の中枢指
令室の制圧に失敗し逃走中。
 繰り返す。乗っ取り犯は船の制圧に失敗し逃走中。船員乗客の一体となった協力行動は、
宇宙海賊を見事撃退し、勝利した。現在乗っ取り犯は、逃走中ではあるものの武器を持っ
ており、非常に危険である。
 全員速やかに非常体制を取られたし。乗務員、及び保安要員はただちに……」
「ま、これで助かった訳だ」
 古井は小さく呟いた。

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