第7章 油断大敵…

 カレーの皿は彼らにとっての宣戦布告だが、誠一にとっては背広の一張羅を台無しにし
てしまった悪魔の使いだ。誠一の、カレーを食らった無様な姿に嘲笑と怒りが向けられて、
「やっちまえ!」
「黄色なんか、やっちまえ!」
「殺せえっ!」
 英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語…。
 黄色い婦人の声から男のどら声から若者のわめき声まで、このけんかに、スープや肉や
野菜の皿が飛びかう……。と、反対側から、
「てやんでい!」
「ばかやろー!」
「返り討ちだあっ!」
 明の上空を通り過ぎたスープや肉の被害は、後方にいた黒人・黄色人種が受けたらしい。
そしてこっちもまた戦闘的で、決して黙ってはいなかった。
「わ、わ、わ……」
 頭の上を縦横無尽に飛び回る食物の群れ。地上では、白人男に味方する側と誠一に味方
する明・誠一・和男・武・徹夫ほか有色人種軍団が大乱戦。
 まったく『彼らある所必ず乱あり』だ。
 人類全体の人口比で見れば、白人種などは全くの少数派なのだが、宇宙船に乗れるほど
裕福な者となると十八世紀以来の富の蓄積のある白人がかなり多い。アフリカ号はアフリ
カ系資本なので黒人も他に比べて多い為、両者の頭数はそれほど違わず、殴り合いは泥沼
の様相を呈してきた。
「あ〜りゃりゃりゃりゃっ!」
「あちょー、あちょー!」
「フック、フック!」
「アッパー、アッパー!」
「ゴーゴー!」
「ドリャー、でえいやっ!」
「こんにゃろっ!」
「Fuck You!」
 アヘン戦争だのパールハーバーだの、歴史用語が飛びかうのがまた面白い。実際に戦っ
てる方はそれどころではないのだが。
「この……ベトコン野郎っ!」
「植民地の恨み、思い知れっ!」
「イスラムの怒りを見るがいい」
「テロリストどもがっ!」
 もうパーティーどころではない。
 ちょっとした事から起こってしまったこの騒動、大喧嘩になってしまった。この騒ぎの
直接の原因は、明達とその白人とのやり合いにある事は言うまでもない。しかし真の原因
……人々の心の中にあった物……はそうではない。
「ここで起こらなかっただけで、今回のパーティーの間に必ず起こる事だった」
「運命だよ。明と誠一は、その導火線を果たしただけなのさ」
 和男と徹夫の言葉は、事の真理の一面を言い当てている。彼らはたまたま餌に食いつい
た不幸な魚に過ぎず、彼らが食いつかなければ、遠からず別の誰かがあの男とやり合って
やはりパーティーは混乱していただろう。
 明と誠一にしてみれば、
「冗談じゃない!」
「何もここで起こってくれなくっても……」
という感じになるのだが。
「だけど、正常な人間だったら、確かにあの喧嘩は買っていたよ。あいつは、無理やりに
でも誰かに喧嘩を売りたそうだった」
 この時武は、真実のごく近くを言い当てているのに気づいていない。
 彼らは喧嘩をしようとしていたのでなく、騒ぎを引き起こそうとしていただけなのだ。
明たちはそれに引っかかった単純バカという事になるのだろうが。
 徹夫が話を続けて、
「二十一世紀後半に入ってもない収まる事ない『精神的人種差別』に対する有色人種……
特に黒人たちのいらだちが背景にある事も、忘れてはいけないだろう」
「そーいえば、あの喧嘩の時の黒人組の燃えようと言ったら、俺達を凌いでいたもんな」
 明の顔には、二つばかりのあざがある。
 それに、顔中包帯だらけでミイラ男と化した誠一がうんうんと頷いて、
「そうそう、後半になったら喧嘩の当事者である俺たちを差し置いて、乱戦に飛び込んで
いたもんな」
「自分たちの城なんだよ、アフリカ号は」
 和男は目を閉じて、
「宇宙においてものさばる白人資本に対して、今回の舞台となった船は、アフリカ資本の
星と唄われたアフリカ号。彼等の希望の星だ。希望の牙城だ。そこでまで白人どもに大き
な顔をされてはたまらない、そういう思いがあったんじゃないかな」
 和男の意見は少々ロマンチックがかっていたが、彼らの真実だったのではなかろうか。
「そして白人側にすれば、優越感を抱きながらも経済的に東洋人やアフリカ・南米に押さ
れ気味な劣等感を持つ苛立ちもあり」
「この問題は、これからも人類の抱える大きな問題になるんだろうな。人間が一人一人違
う存在である以上、差別という物がこの世から消え去る事はないからだ」
 これを乗り越える事ができなければ、未知の生命体と遭遇しても、理解し合う事は出来
ないだろう。徹夫はそうまとめたが、彼の頬にもパンチのあざがあった。
 何事も実行が第一、空虚な理論ばかりでは、(つまり徹夫や和男の顔面に、殴られた跡
がなかったならば)誰も彼らの意見に納得はしなかっただろう。

 明たちの引き起こした騒動は警備員・船員総出で押さえこみ、鎮圧して終わりを告げた。
『この一件、どうも裏側に騒動を煽った奴がいた様だ……』
 推理小説に凝っている誠一はそう呟いたが、まんざらない事でもないと武は言ってくれ
た。
(別に武に言われたって……誠一)
 一線に出てパーティー会場の皿肉飛びかう中でゲリラ戦を繰り広げたメンバーたちが、
いざテーブルについてみると……いい奴なんだ、こいつらが。
 どうしてこんなに話の分かる奴等と、喧嘩せにゃならんのか。公式の場で船長の厳しい
訓示を受けて互いに謝罪しあうと、それまでの事はきれいさっぱり忘れてしまい、その日
から彼らは宇宙の果てでも親友同士。
 昨日の敵は今日の友、互いにめでたしめでたし。あの白人男だけは船内のどこかに隠れ
ていなくなってしまい、この場に出てこなかったがもう、昨日の敵たちもあの男のことは
忘れ去っている。なぜって、
「口火だけ切っておいて、大騒ぎになったら真っ先に逃げ出したのはあいつらなんだ」
「自分の邪魔になるものは白人でも老人婦人でも殴り倒して去ってった。紳士じゃない」
 自分の行いに責任を持てない人間は、信用されないって事か。明は彼らの言い分にいち
いち頷ける。
 しかも誠一が、彼らに喧嘩の理由を問い質してみると、
「アフリカ号はアフリカ人の船だから、ホワイト(白人)は宇宙へ放り投げろって騒ぐ黒
人がいるから、退治しようって奴がいて…」
「一人の白人紳士を、何人かで暴行している卑怯者どもがいるから懲らしめてやれって」
 全てが誤解ではないか!和男は愕然とした。
「そのけしかけた奴って言うのはどこにいる。ここのメンバーの中に居るか?」
 徹夫の問いに彼らは互いを見まわして(結構彼らも初対面同士なのだ)、
「お前、言ってなかったか?」
「お前、言ってただろ」
「おれは聞いただけだから……」
 いない様だな。徹夫はシャーロック・ホームズの様にパイプを口にくわえ自身ありげに、
「この事件はしくまれた喧嘩だ。俺たちも君たちも愚かだっただけで何も悪い所などない。
 問題は誰が何の為にしくんだかだが、今の所はいいだろう(誰かはもう分っている)」
「おーいてて」
 明は痛そうに頬をさすって、
「一体何の為に殴り合い蹴り合いをしたんだろ、オレ達って」
 この喧嘩で得た物など、なんにもないのに。
 そう明が言った時、
「ちょっと違うぞ、明!」
 武が異議(意義?)を挟み込んだ。
「俺たちは、この喧嘩のお陰で一気に友達が増えたじゃないか。目には見えない財産だが、
友情は時にどれ程の金も上回る価値を持つ」
 決して、無駄ではなかったのさ。
 珍しく、武らしからぬ良い事を言ってくれるではないか(余計なお世話!)。
 いや、人生に無駄なんて物は究極的にはないのかも知れない。全てが経験、生涯が学習、
そして何もかもが地となり肉となり。
「しっかし、お〜いてて」
 誠一も傷口をさする。明もそれを見ていると自分の傷口が痛くなってきた。武は武で、
「こうゆーのを、怪我の巧妙って言うんだよネ……違う?」
「怪我の功名!」
 和男と徹夫は同時に訂正した。

 タンコブとあざの面々が第四会議室に集まって、互いに謝罪しあった結果、どうやらこ
の騒ぎに参戦した大部分の者たちは互いに、かえって仲良くなってしまった様だ。
 世の中こんなに旨く戦後処理が行くならば、復讐戦なんて物もない筈なんだけどね。こ
の様にして、新しく友人となった国際色豊かな面々を紹介しよう。
 カリフォルニア出身で今年二十四才になるロジャー・ペンローズは警察官志望。幼い時
見たテレビ番組の『ベスト・コップ』に感動して以来警察官が好きでたまらず、とうとう
こうなってしまった。二浪してはいるものの、三度目の正直を目指して勉強中。金星に行
くのは金星の警察官が不足しているという情報を得たからで、この際どこでも良いからと
にかく警察官になってしまえ、なってしまえばこっちの物だという『極めて合理的な(本
人いわく)』考えらしい。
 実際、火星や金星の様な辺地の警察官志望は非常に少なく、警察官の不足は慢性化して
いると言うが……。
 彼は日本のことわざにも非常に通じていて(日本語は警察官の必修語の一つだそうだ)、
「三度目の正直」とか「七転び八起き」とか言うことわざを口にして、不屈の闘志で通信
学習に挑むのだが、そこは武と知り合いになってしまったのが運のつき、
「二度ある事は三度ある」「泣きっ面に蜂」
「七転八倒」「仏の顔も三度まで」
 しよーもないことわざばかり教えこむ。
 そりゃ試験にはいくらか役には立つけどさ。
 地球での大学生活を終えて金星に帰郷すると言うビバリー・ヒルズ(通称ビリー)はド
イツ人の血を四分の三だけ受けるアメリカ人の金星移民。父母共に今でも勉強水準の高い
地球の大学に行く事を望んだ為らしいが……。某企業の通訳に就職が決まっているが、母
国語を間違うから余り期待できないと誠一が言っていた。それはともかく、性格的にはと
ってもいい奴で……何と言うのだろう。近くにいるだけで落ち着いてくる様な、見るから
に温厚そうな感じなのだ。実際性格はおっとり型らしいが、それでいて頭の回転は結構速
く、トランプでは明も何度か苦杯をなめさせられた。恋人はなく二十三歳。
 全米のミスコンテストでも上位入賞したと言うヘレン・ペレズフォードは二十三歳の、
とってもグラマーな女性だった。金髪、青い瞳、鼻筋の良さ……。
 体型からして日本人離れしていて(当たり前か)、どこかのデパートのマネキン人形で
も見ている様な気分になる。彼女の恋人が金星に勤務している軍人さんで、結婚までには
地球勤務に呼び戻される事になってはいるが、それを待ち切れないで会いに行くのだそう
だ。まあ、この平和なご時世ならば日程さえ決まっていれば兵隊さんでも有給休暇だって
取りえる時代だから…。
 熱愛の世界だ。明たちのはいる隙間もない。
 春美とヘレンは気が合うらしく、若い娘達の井戸端会議は、彼女たち二人を中心にして
果てしなく続くのであった……。
 あと、黒人でメキシコ出身の実業家の息子、ウィリアム・リード君、二十一才。
 彼は大富豪の息子のくせに(と言っては失礼か)、とても気さくないい奴で、明を担い
で医務室まで運んでくれたという(明は彼を担いで運んでいったと言ってた)。このウィ
リアム、大富豪の坊ちゃんとは見えないのは仕方ない。とゆーのも、彼の家は『メキシコ
の奇跡』と言われる好景気な時代に、彼の父が血と汗で築き上げた富豪で、いわゆる成金。
お上品ではあるが庶民とは程遠く、父祖の遺産を食い潰しているだけの『貴族富豪』とは
違うのだ。彼自身は、今度金星に事業拡張を目指す会社の総支配人と言う立場で、バカン
スなどではないと強調していた(熱くて湿っぽい気候の金星は地球の熱帯に近く、年中泳
いでいても風邪をひかない暖かさ)。
 このよーにして、翌々日には和解パーティーが急きょ開催される事と相成ったが、和気
あいあいだった事は言うまでもない。感情的なしこりも少なく、また重傷になる様なけが
人も出なかったのも幸いし、彼らは皆笑顔だ。
 かえってこの事件で、彼らの間にあった心の壁が一気に取り払われた感じもあって、武
いわく、
「雨降って血かたまる…」
「雨降って地かたまる!」
 和男と徹夫は同時に訂正した。
「宇宙せんべえに宇宙まんじゅう、宇宙イヤリングに宇宙キーホルダー……」
 どこの会社の製品かすぐ分かってしまうのが……情けない。明の嘆きに、
「日本のみやげもの業界もここまで来たか」
 和男の呟きはもう、諦めの境地だ。
「ほらほら、隕石印のワッペン」
 武は何を考えたものか(どこで気が狂ったものか、だろ……徹夫)服につけたそのワッ
ペンをみんなに見せる。
「かっぱらったんじゃあないだろうな」
 無駄金は、殺されても使わない武の性格を知り尽くしている者達は、一様にそういって、
いぶかったのだが、
「盗む訳ないだろーが!」
 こんな物盗んだくらいで信用度を落とすなんて愚の骨頂だ。一生暮らせるだけの富を盗
むのなら別だろうけど。
 確かに武のポリシーとは合わないが……。
「貰ったんだよ……ラル・シンにね」
 大木教授と中川博士が何か話をしている。遠いので何を話しているのかは分からないが、
とても楽しそうだった。大抵こういう学者達って言うのは、難しい話を難しい顔で、堅苦
しそうに話すので明は好めなかったが、彼らは例外だったらしい。
『難しい話を難しそうに話すのは二流学者。難しい話を簡潔明瞭に話してこそ一流学者』
 徹夫はそういっていたが、全くその通り。
 楽しそうに話す事こそ、彼らの非凡な才能を物語っている。その回りには数人の学者達
が集まって、輪を作っている。
 玲子と珠美とエレンと春美の四人が井戸端会議を行っているのはすぐ分かった。彼女達
はただでも目立つくらい綺麗なのに、みんな集まって賑やかに話し込んでいるとあっては、
目立たない方が不思議という物だ。
 ちょっと遠いな……、もうちょっと近づいてみよ。
 あの白人はどこに消えてしまったのだろう。今回はすねを曲げて、出てきてないらしい
…。元はといえば全てあいつの性だから(謝りもしないし)、会いたくもないが。そう言
えば、あの時白人サイドで初めに誠一にカレーの皿を投げたメンバーも見当たらなかった。
一体、何だったんだろう?
「今回の事は、どーも仕組まれた喧嘩の様な気がする」
 誠一は相変わらずそう言っていたが、彼も積極的にその裏側を解明しようとは思わなか
った。そうしていたら、宇宙船アフリカ号の運命ももう少し変わっていたかも知れない。
「ま、いっか」
 全て丸く収まったんだし。余り気にする事もない。杞憂だって、言われそうだ。
『どうも、引っかかるんだけどな……』
 こう、いいムードが浸透してしまっては、
ちょっと言いにくいし……。でも、
「ちょっと、引っかかる」

「今日はとっても楽しかったわ……。少し疲れたかしら……じゃ、また明日ね」
 春美が引き上げたのは、話し相手が入れ替わり立ち替わりして、かなり経ってからの事
だった。五人とももう遊びすぎる程遊んだと感じている。
 徹夫のやつは『規則正しい生活を』と言って船室へ帰っていくし、和男も『花』がいな
くなって帰りたそうだ。武は株価が気になると言って早めに引き上げる。まだ騒ぐ連中は
居ないではないが長い船旅、余り急いで精力を使い切っても仕方がない。
「そろそろ、潮時だね」
 明の声に誠一も頷いて、彼らは退却する事とした。まだ騒いでいるロジャーたちに帰る
事を告げて、彼らは船室に引き揚げた。
 五人はそれぞれ隣り合った五つの個室に寝泊まりしているが、中央の誠一の部屋が五人
のたまり場になっている。
 明と誠一はその部屋に寝っころがって、小窓から漆黒の宇宙を眺める。
「ふう……」
 今は太陽と反対側を向いているその小窓は、しばらく見ていなかった漆黒の宇宙を彼等
に見せてくれた。
 この前見た時と変わらない。いや、ずっと前から……何千年も何百年も昔から、ずっと
変わる事なく、それらは輝き続けてきたのだろう。久遠に渡る時間と、広大無辺な広さを
持って、彼らの回りを宇宙が満たしている。
 ああ、ひろいな……。
『疲れたみたいだ……』
 明は目を閉じる。春美の笑顔が見えてくるのはなぜだろう。
 憧れ……。明はそれほど豊富でもない語彙から、最も近いと思われる感情を抜き出して
呟いた。頭が重く感じられて、眠い。
「きれいな人だ……」
 誠一の言葉に明も黙って頷いた。誰がと言った訳でもないのに、明はきちんと答えてる。
 なぜ、だってえ?
「なぜって、俺たちは春美さんを好いているからさ」
 その科白を言ったのは明でも誠一でもない。ドアを開けて入ってきた武である。
 大胆に本音をぶちまけるのが武の良い所か。誠一は敢えて言われる事もないと言いたそ
うだったが、明は少し違って、
「そうか……」
 俺は、春美さんに憧れていただけじゃないんだ……。
 明は疲れのためか考えも鈍く、ただ自動的に体が動いている。自分のものに非ずと言う
のはこの事か。
「いったい、この世の中で一番大切な物って、何なんだろうな」
 武の呟き。誠一は何か言おうとしたが、何も語らなかった。
「大切なものか……」
 俺にとっては、何だったろう。明はこれと言った物が思い付けないので心に引っかかる。
「分かっている事がある」
 誠一は言葉に力を込めて、
「そいつにとって大切な物が、愛だろうが友だろうが、宝だろうが神だろうが、要は同じ。
そんなに大切な物ならば、さぞや素晴らしい物なんだろうよ……きっとね」
「素晴らしい物……」
 明は繰り返してみた。そんな物、あるのだろうか。
「さあね、わかんねえよ」
 誠一も寝転んでしまう。まあ、誠一の部屋なんだから。
「金は、空しいぞ。……持ってみた奴にしか分からないかも知れないが……」
 特に、人情とか愛とか友情とか、そういう物が膨大な金の力に押し流されて、消え去っ
ていく時、例えようもなく寂しくなると武はいう。
「一体、本当にすばらしい物、どんな膨大な富にも動かされない物なんて、あるのかね」
「あるともさ!」
 打てば響くような生気にあふれた返事に、明と誠一は互いを見つめあって『お前じゃな
いな』と、とろんとした目で確認しあう。
「愛だよ、人間同士の間に芽生える慈悲の心。本物の人の心ほど素晴らしい物はない!」
 和男は部屋に入ってくるなり言い切った。
 そうかなといいたそうな明の無感動な目に、
「お前、生気ないなあ……ガイ骨みたいだぞ。
 男がこの世に存在する理由はただひとつ。
男は、女性を愛する為に生まれてきたんだよ。単純じゃあないか、ね!」
「気楽に言ってくれるよ……」
 誠一の独り言が、ここまで聞こえてくる。
まったく、良く言える物だよ……。
 まさか、こいつも…。
 武に誠一に、そして和男まで?そりゃ春美さんは綺麗で知的で楽しくて、ぜひともガー
ルフレンドになってほしい女の人だけどさ。
『ライバルが多すぎる!』
 幾ら人並みの容貌と知性と、そして体力を持った明君でも、こいつはちょっと厳しい。
春美との金星でのデートを夢見ている明だったが、胸のカラータイマーが目の前で点滅し
てきた。あやうし明君!
 といって、ここで諦めては他のライバル達に楽をさせる以外の何者でもない。
『お〜おのれえええええええ!』
 久々に闘志が湧いてきた。目の前が真っ赤になり、真っ暗になり……真っ暗?
「おい、どうした!真っ暗だぞ!」
 誠一の叫び!どうなってんだ?武も立ち上がる。え、え、え?
『明一人だけじゃない?』
「誰だ、電灯を消しちまったのは……」
 船内のサイクルが二十四時間毎に夜を作るとは言え、個室のライトにまで干渉する事は
ない筈だ。冗談じゃない、天井のライトも机の灯火も、みんな消えて、真っ暗だ。
「非常事態か?」
 その和男の声に答えたかの様に、非常ベルが鳴り響く。すぐに非常ランプがつくのだが、
何とそれがすぐに消えてしまった!
 えっ、えっ、えっ! 明は反応が鈍かった分だけ、まだ静かだったと思う。
「な、な、な、何が何が何が?」
「何があったんだよ!」
「どうしたんだ?」
「落ち着けよ、落ち着け。落ち着けったら」
「落ち着いてないのはお前らだよ」
 電子ドアの外から徹夫が声をかける。停電なので自動的には開かないが、電子ロックさ
れる事もないので人力でも扉は開く(ちょっと重いけど……)。
 よっこらせっと。
「事故か?事件か?それとも何だ?」
「電気が少なすぎる。船内も凍るぞ!」
「いや、金星航路の船は蒸発するんだ」
 太陽熱を受けに行ってる様な物だから……。
「空気供給管は大丈夫か、だめなら俺たちは終わりだぞ!」
「湿度の低下に注意するんだ。水分をなくしたらおしまいだ!」
「やりたい事はあったのに……」
「死んでたまるか!俺はまだ、女神様に触れちゃいないんだぞ」
「爆破だ!補助電源も緊急電源もやられてるんだ!」
「落ち着け!落ち着け!落ち着けったら!」
「騒いでるのはお前だよ!」
 九分通り闇の中で、わずかな非常灯のあるのみでは話にもならなかった。誰が何を話し
ているのかさえも分からず(慌てた時の声は結構分からない物だ)、ましてや彼等を離れ
た何処かで何が起こったなどは、分かり様もない。武の声が、
「五里夢中だよ」
と言うと、こんな時でも和男と徹夫の声が、
「五里霧中!」
と同時に訂正した。


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