第6章 星々への旅

 無重力と云うのは厄介な物だ。時に明たちのよーな、地球にしか住んだ事のない者には、
慣れるのにどうしても時間がかかるらしい。
 が、そう文句を言いつつもこのメンバー達、一日も経たない内に、この状態に慣れてし
まった様だ。……慣れねばいけなかった。この状況に慣れる事なくして、宇宙での旅を安
全快適に、などとはとても云えないのだ。
 これからずーっと数十日、この大きな鉄の箱の中で暮らす事になるのだから。
 ちなみにこの、長期旅行の宇宙船、完璧な無重力ではない。『消費者は地球人』の原則
に従って、この船も、重力に慣れた地球人のために多少の人工重力を使った重力調整を行
っているのだ。
 船の回転運転を知っているだろうか。
 遠心力を生じさせて、人工重力を船の下部方向にかける運転の仕方。船が船外の一点を
廻ってらせん状に進む。船は船外に引かれた一本の軌道の回りを回りつつらせん状に進む。
 遠心力の働きで外側に向かって力はかかる。一応、弱くても重力の働きはこなす。代用
品と云うところだろうか。
 宇宙船内はと見ると、さすがに長期旅行用の豪華客船。一寸法師の船倉の中とは落差が
ある。俊男は少し乗って中を見て、これなら明たちでも壊し切れまい、と安心したと云う。
ただ残念なのは俊男がそのまま乗って来れなかった事で……。結局○○製菓からは代わり
の添乗員は遂に来なかった。金星支社に任せましたとの仰せ。
「まるでただ乗りに対する扱いのよーだな」
「ほとんど密航者だぜ」
 武と誠一はブーブー文句を言っていた。
(彼らはほとんどただ乗りに近いではないか。……俊男)
 ただし、船室の質で見てみるならば、一等から四等までサービス(と値段)によって分
けられた船室の中で五人は隣り合って二等客。
 悪くはない。
 船内は図書室やゲームセンター、食堂やレストラン、喫茶に売店に映画まで揃っていて、
さならが一つの小さな独立国の様だ。警備員はアフリカ宇宙航空の会社で雇っているが、
その直接の上司は国際連邦の連邦警察であり、ここは内政自治を保証された『外国』であ
る。
 ブーブー文句の納まらぬ武も誠一も、評判に違わぬレストランの食事を口にした瞬間か
ら突如、舌の向きが変わった。
「いやあ、昔っから宇宙旅行をするのが俺達の夢だったんだあ。なあ、武ぃ」
「素晴らしい、ワンダフル、デリシャス、ブラボー、グレイト」
「彼らの節操のなさと来たら、人間のあさましさを見る思いだよ」
 後で苦笑しながら和男はそう語っている。
 とにかく五人は五人とも、宇宙においてガラスの大展望台から深淵の宇宙を体中に感じ
れる様な、吸い込まれそうな感じを体験して、何かしら感動してた。地球から初めての宇
宙旅ではたいてい、この大展望台に来るのがお決まりのパターンなのだそうだ。
 宇宙の星々は、相変わらず同じ所で瞬いている。いくら高速で宇宙を航行しているとは
いっても、星々の位置と距離は膨大で、変わろう筈もない。もっとも、窓の向きによって
は小さくなりつつある地球が見えるのだが。
 早速春美の部屋に遊びに行こうと思案する五人だったから、春美の方から彼等を訪れて
きたのは『飛んで火に入る……』じゃなくて、『渡りに船』とゆー奴だ。
 船室の整理もすぐ終わり、彼らは春美を真ん中に船内の各所へ遊びに行った。何せ遊び
物が多い。この船は本当に豪華客船らしく、スロットマシーンからパチンコ映画、ボーリ
ング場からカラオケボックスまでありとあらゆる遊び物が用意してある。日本の遊び物の
水準はかなり高い物らしく、百円ゲーム機にしても人の列が絶える事がない程人気は高い。
「日本人は、遊びのセンスでは世界に冠たる物があるんじゃないのかな」
 全くその通り。明は頷いた。
 図書室というのがあるのに、和男は少々不満そうだった。実際の本は少なくて、和男の
読書歴からすれば、既に読み尽くした物しかないのだ。日本の出版社は世界に進出してる
らしく、日本語の本はかなりの比重を占めているが、みんな現実から逃げ出した今はやり
のファンタジー本ばかりと和男は嘆いている。
 徹夫は、百科事典が三年位前の古い知識だと言って図書館の管理の人にいちいち注釈を
つけさせる始末。明たちが期待した漫画の方はと言えば、多くの名作ギャグ漫画もあるが、
静けさは思ったとおりだった。
「図書館に置かれっちゃ、漫画も素直に笑えないね」
 何となく静かな所では爆笑もしにくいし。
「本屋に行ったほうがいいかもよ」
 何とここでは図書館の他に本屋(漫画屋)もあるらしいのだ。
「図書館には置きにくい低俗な週刊誌とかが、あるんだよ。見に行かないか?」
「ばっ、ばか、よせ!」
 思わず和男に引っ張られそうになった明はここに春美がいる事に気付き、真っ赤になる。
「喫茶店とかもあるんだろ」
 誠一がうまく話をずらしてくれたので、
「そうそう、こっちがレストランでその向こうに……」
 中華料理屋やらインド料理やら、結構怪しい料理屋もないではなかったが、それもまた
一興。飽きないようにとサービスの限りが尽くされてはいるが、それがなかなかこしゃく
な物で、『一等客船用』『二等客様以上』と行った表示がなされている地区があって、そ
の中に入らなければ受けられないサービスも結構あるのだ。四等客などは一回一回金を払
って入らなければならない。
 船内は二十四時間サイクルで動き、電気の点灯もそれらしくその明るさを変えて行く。
寝坊な明はこんな宇宙にまで来て時間に束縛されるとは思っていなかったらしく、大層憤
慨していた。
 そんなこんなで宇宙船内を散々遊び回って、もう『夜』と言う事で彼らはそれぞれの船
室に戻る時、春美は突然思い出したように、
「そうそう、忘れていたわ。
 明日、船内の大広間で乗客たちの親交パーティーが開かれるの。何でも、中川博士も来
られるんですって……出席されます?」
「あの中川さんが……?」
「春美さんが出席されるのなら」
 なかなかにして誠一も口がうまい物だ。
「たとえ地の中水の中!」
 受け継いだ武のその言葉に、
「たとえ火の中水の中!」
 和男と徹夫は同時に訂正した。

 中川文正。その名を知らぬ者はいないとまで言われた、日本の世界に誇る生物学者。
 金星の大気に含まれる毒素を取り除く微生物を開発して人工的に飼育、金星全土にばら
まいてたったの二十年余りで金星に人間など動物の居住可能な地域を作り上げる事に成功
した、『人口爆発からの救世主』。更に金星の環境改善に取り組む間に、この金星にも元
からの生命がいる事も確認、世界にショックを与えた。
 確かつい最近地球に来て、地球の環境改善計画に参画した後、金星に帰る予定とか言っ
ていた。……けど、まさか同じ船とは思わなかった!
 しかしこういう偶然はけっこうある物だ。何と言っても惑星間連絡船はまだ数が少ない。
たまたま乗る船が同じだったと言う事は結構多いのだ。
「よくよく見ると、結構いろんな人達が乗ってるもんだね」
 五人の船室は一列に繋がっていて、通路を挟んで向かい合った五室の内の二室には榎本
姉妹がいた。姉妹共に美人揃い。
 姉の玲子は二十二才。花盛りの女性だが派手好みが玉に傷。自分に関して金を使うのは
それ程多くもないのだが、金のない友人たちをカジノに連れ出して、負けても負けても金
をやり励まして遊ばせるので湯水以上に金を使い込んでいると言って良いだろう。友人の
借金なども平気で肩代わりして返せとも言わず、人がよすぎるという声もある。頼られる
タイプと言うのかも知れない。面倒見がいいのだ。金持ちでなければとっくに破産しても
おかしくない。
 妹の珠美は二十才。どこかに少女っぽい所を残したまま成人した感じがある。姉とは対
照的に人付き合いが少なく、生活は質素そのもので半分世捨人に近いのではないか。ただ
つき合ってみるととても知的で美しい女性で、良妻賢母プラス知性の典型である。彼女は
身体が少し弱い所があって、余り活発とは言えないが、明や誠一の美的判断では『上の
中』との評価を受けている。
 この二人が並んで歩くのは、互いが互いを引き立てあって非常に美しく、人目を引く存
在だった。彼女たちは金星の政府高官の娘で、地球留学中。この度は休みを利用して金星
に帰るのだそうだ。一か月近くもかかる旅をしてまで金星に帰ると言うのは引っかかるか
も知れないが、それでも落第の心配がないと言うのだから、彼女も相当成績がいい物らし
い。日本名だが、半分はフランス人の血も混じっている。珠美は良く、和男のところに遊
びに来ていた様だ。とても仲が良かったらしい。
 たぶん、読書家なのだろう……。
 その隣に並んだ三室にはイスラム教徒の三人組が居た。皆アラブ人で、マホメットの聖
なる教えを金星の開拓者に教えに行くのだそうだ。
 月を出発して二日目の夜、この三人が明たち五人を訪れた。アラブ語で何かを一所懸命
喋っているのだが、誠一にも明にもさっぱり分からない。幸いなことに和男がアラブ語を
知っていたので助かった。
 何かと思うと、
「我々はみな毎日五回、聖地メッカに向かって礼拝する事をアラーの民として義務づけら
れている。ところが宇宙に出てみるとメッカがどこだか分からない。
 三等室や四等室の仲間たちも困っている。我々も困る。誰かメッカの場所知らないか」
「……」
 五人は思わず顔を見合わせた。
 イスラム教の事は、明でも社会科で習って知っている。彼らは一日五回、イスラム教の
聖地であるメッカに向かって礼拝し『アラーの他に神はなし』と唱えたり、ラマダーンと
呼ばれる断食の月には日中は一切の食べ物を口にしないと言う(ただし夜になると、その
反動で食えるだけ食うので却って肥満が増えていると言う報告もある)。
 この場合、どーすれば良いのだろうか。
 結局五人にも分からず、点になりかけてゆく、表か裏かわからない地球に向かって礼拝
するしかなかった様だ。
 三等船室にも行ってみた。
 ここで、さっき話した春美の雇い主である大木教授と顔見知りになる。見れば見るほど
春美と不釣り合いな風采の上がらない若年寄。『燃える闘魂』だった誠一も、その闘志が
雲散霧消してどこに行ったものやら分からず、捕まえるのに偉く苦労した様だ。
 金のない庶民が宇宙旅行を思い立つならば、まず三等席というのが常識で、親子旅行だ
とか退職記念旅行だとか、そう言ったごくごく庶民的な顔ぶれが多かったが日本人の数は
三割に及ばないくらいいた様だ。明たちが一番悔しかったのは三等客の癖にカップル連れ
の者がいる事で、特に新婚旅行で等と言われた日には悔しさと空しさでちょっと寂しかっ
た。
「おのれ、三等客のくせにぃぃぃぃぃぃ!」
 誠一が、見るからに悔しそうに天井を見つめて言うと、武も、
「どうせ旅行後に借金のローン地獄に陥るさ。
 宇宙旅行なんて平均的年間収入の二倍じゃ利かない位かかるんだから。だいたい貧しい
くせに見栄を張ってだねえ……」
「結婚直後の体で宇宙に出るなんて体に良くないな。科学的に考えればだね、妊娠中の胎
児に与える影響が……」
「宇宙の旅は男のロマンさ、女性を連れていく者じゃあない」
 まったくそれぞれに勝手な事を言う連中だ。
「しっかし、俺たちにもああいう日は来るのかねえ……」
 どうも、当分は来ないような気がするんだけど。明は一人呟いた。

 五人はパーティーに出席する事にした。
 会場になった大広間には、大木教授や中川博士、春美やこの船の船長他主だった人々が
ずらりと居並ぶ中を様々な船客が二百人ほどうろついていて、広い広間も広く見えない。
 きらびやかな飾りは電気の力で輝いている。電力の無駄づかいになるのではないかと思
ったが、段々太陽に向かって近づいている今はエネルギーは船体表面に受ける太陽熱から
吸収する事で無尽蔵にあるとの事で、恐縮。
 船の乗客の親睦を深めるためのパーティーなので入場資格の制限はないに等しかったし、
結構賑やかだったので明はとても気にいった。
 船長の言葉を始めとする名士のセレモニー……明たちは余り大切とは思わなかった……
の後は、踊りと食事。これこそが彼らの狙っていた目的なのです。
 このオドリってのがちょっと問題でね。ランダムなんだよ、選曲が。米欧のワルツから
日本舞踊、首かり族の踊りからインドの音楽、何が出てくるか分からないコンピュータ任
せ。 踊っている人々はそれが初めてであろうと聴いた事もない曲だろうと、最低二曲は
踊らなくてはならない。年齢、性別、職業、身分、地位、名誉、誇り、全てがごちゃまぜ
になった、踊りの狂乱。
 明たち初めての人は少しギョッとして動けなかった。別に、踊る義務もない訳だけどさ。
童話の絵本に出てくる王様の開く舞踏会みたいなのを連想していたんだよな……多分。
 そして食べ物。こっちも揃っている。出される料理は注文した物ではないのだ。席に着
いたら運ばれて来る。最低二品以上口をつけなくては、こちらも立てないルールらしい。
 国籍・人種・地位・階層・性別・年齢を一切問わない料理たちは、まさに世界の珍味!
ミミズのコロッケ、蟻の唐揚、とかげの尻尾、猿の脳みそ……。たくさん知らない料理を
出されたけれど、まさかこれを本当に食う事になろうとは、さしもの明たちも思わなかっ
た。
 隣を見れば、アメリカ人たちがイカタコの刺身に青い顔をしながら無理して口に運んで
いる。クトゥルー神話でも分かる様に米欧の人達はああ言ううねうねしたナマモノは嫌い
なのだ。彼らの勇気に負けてはおれぬと、徹夫も和男もアボリジニ風の生料理を皿に取っ
たが、さすがに口はつけられぬ。皿に取る勇気と口に入れる勇気とは別物らしい。
「ゲテモノ食いだあ!」
 武が何物か分からない気味悪い料理を食べるのを見て、明は叫んだ。生まれてからつい
ぞ止んだ事のない腹の虫の泣き声は、消えてなくなってしまった物か、誠一はおとなしい。
「誠一でさえ、敢えて口に運ぶのをためらうこの食い物を、食ってしまうなんて!」
(おそらく彼ら『殺しても死なない奴』メンバーの間でも最強の生命力を持つ武は、ゴキ
ブリ並と言われた他の四人の生命力を凌ぐのではあるまいか。生物学史上、最強の生命体
かも知れない……徹夫)
「向こう(米欧)から見れば、イカタコ食う日本人こそゲテモノ食いだよ。それに日本人
だって十九世紀までは草食動物の時もあったじゃないか。その当時は肉食がゲテモノ食い
だよ……」
 インド出身でヒンズー教徒のラル・シン氏
が船員に文句を言っているのが聞こえてきた。大金持ちらしい男性だがまだ若く、西洋風
に見るならばなかなかのハンサムだった。
「私はヒンズー教徒だ。牛は食えんのだ! 別の皿にしてくれないか、戒律は破れない」
 別にアフリカ宇宙航空だって、宗教的理由などでどうしても食えない者にまで無理やり
食わせようと言う物ではない。船員は黙って、彼の文句を聞いてから皿を取り替える事に
なるのだろうが。
「ヒンズー教では牛が聖なる生物だからね」
 ゲテモノ食いに文句を言っていた和男は、
いつの間にかワニに食いついている。
『牛は食えないか……牛の天国って奴だね』
「彼(ラル・シン)は、マハラジャ(大藩王)だね」
 ああ。和男の言葉に徹夫も頷いて、一緒にワニに食いつく。何世紀も昔から、インドの
各地に割拠し続けてきた半ば独立王国に近い大名の子孫は、今尚インドの経済の数分の一
を占め、小さな国に並ぶ程の富を持つと言う。その経済力は、日本のにわか金持ちとは格
が違うのだ。
「ああ、こっちこっち。牛肉は好きなんだ…。こっちのと取り替えよう」
 武は、その大藩王に気楽に声をかけた。熊の手を持った皿を差し出して、
「インドでは、熊は食べられますね」
「おお、結構……。さあ」
 明たちは、武が余りにも相手と気楽に話すのに驚きを禁じ得ない。だって、相手は王侯
貴族の大富豪なのに……ねえ。
 幾ら気張ってみても体が硬直するわ、言葉は震えて使った試しのない敬語に四苦八苦す
るわ、その上それが日本語で相手に通じないで慌てて言い直したらあらら、英語に敬語は
ないわでもう散々。
 武も結構失礼に近い馴れ馴れしい言い方を使っていて、誠一も冷や汗の出るのを止めら
れない。ラル・シン氏は上機嫌だったし武も楽しそうだったけど、明たちはそういう立場
の人達との初めての会見にびびってしまって、針のむしろ。
「下手な事言って怒られたりしたら、一体どうする積もりだったんだ」
 ラル・シン氏がテーブルを離れた後に誠一がそう言うと武は、
「あ〜言う人間はね、雲の上で、孤独に囲まれているんだよ。社交の相手なんて、みんな
着飾った仮面の人格だからね。こうした方が良い」
と平然と答える。人間関係の誠実さも商売には必要な物であり、武にとっても財産である。
 そう言えば和男も結構色々な人達に話しに行っているが、かちかちにはなってなかった
様だ。その方が相手も話しやすいのだろう。
 隣のテーブルには中国人の李振和さんがいて、ラーメンに食いついている。ラーメンの
本場の国から来た人間の反応を明たちは注視していたが、どうやら合格点だったらしい。
 この五十過ぎの好男子、実は香港出身で、金星にいる娘夫婦と孫の顔を見に行くのだそ
うだ。宇宙旅行はかなり長い時間、無重力にさらされるので、体に変調をきたす事も多い。
数十日にも渡る無重力に慣れてしまった体では、星についても体が対応し切れないのだ。
若ければ少々の事は大した事はないが、老いた体にかかる負担として危険なのは、言うま
でもない。年を取れば星を出られないし、出たなら二度と戻れなくなる。その限界は五十
才といわれている今、彼にとっての宇宙旅行はこれが最後だろう。
「ここのラーメンの味は本物。食べると良いね。絶対後悔しない」
 李さんが退席して間もなく、パーティー会場のどこにいたのか分からない程存在感の薄
かった徹夫が、どこからどの様にしてか春美を連れて席に戻ってきた。そして徹夫の言い
方が憎い。
「花を連れてきた」
 彼の言った通り、まったく男ばかりの彼らにとって、春美は花だったのだ。座は、一時
にして百万ボルトの電球の如く明るくなった。
 異様に目をぎらつかせたアメリカ人らしい白人男が明達の近くのテーブルに席を取った
のは、誠に不運だったとしか言いようがない。
 誰にとって、だって? みんなにとってさ。
 もっとも和男や徹夫達に言わせれば、
「ここで起こらなかっただけで、今回のパーティーの間に必ず起こる事だった」
「運命だよ。明と誠一は、その導火線を果たしただけなのさ」
と言うのだが、何もここで起こって欲しくはない。迷惑千万の騒動だ。
 初めは彼の、料理に文句を言う声が聞こえてくる。踊りの音楽を遮る大きな声で、
「こんな物食えるか!これは猿の食い物だ」
 皿を投げ飛ばしてテーブルを叩く。
 もったいないお化けの出現を恐れた訳ではないだろうが、船員が止めにかかる。何かを
諌めるのだが、
「こんな物、黒人か黄色の食いもんだ!
 人間様の食い物はねえのか、人間の!」
 いくつかの白人黒人問わぬ白い視線の中で、若い白人船員が穏やかになだめるので、み
んなの注目はひとまず外れた。それでも男はのっぽの白人船員にぶつくさ文句を言ってい
る。若い船員は未経験の事態に困っている様だ。
「なんだ、あの踊りは!」
 また言ってる。
「朝鮮だかどこだかしらねえが、猿の踊りを真似しやがってえ……!」
 ここに覇気あふれる朝鮮人青年等がいれば、彼に掴みかかって話を進めてくれたかも知
れないが、彼らの怒りは不発に終わる。
 彼はテーブルの料理をつまんで、
「これはそこの猿どもに呉れてやるよ」
と肉片を明達のテーブルに投げたのだ。丁度スープの皿に入ってひどく跳ね飛び、誠一と
明は汚れてベトベトになる。それに向かって、
「はっはっはっ……、これはお似合い」
 元々不快なだけにこれは彼らに火をつけた。
「こらあ、きさまあ!」
 どなり込んだのは誠一だ。明も怒っている。
「サルめ、何か芸でも見せてくれるのか」
 白人男は謝ろうともしない。
「何……だとぉ、白い猿があ!」
 誠一は今にも殴りかからんばかりだ。
 おろおろする若い船員を見かねて入ってきた高級船員らしい男が体格のいい黒人だった
のが不運なのか。男は一層怒り出し、
「この船は動物園か、それとも檻の中か!
 こいつらをさっさとつまみ出せ……この、うす汚いジャップども!」
「ジャップで悪かったな!このヤンキー野郎が……」
 誠一は全てを言い終える事はできなかった。
 白人男は物凄い力で誠一を殴り飛ばしていたのだ。誠一は吹っ飛ばされて二、三のテー
ブルの上空を飛び越えた上で少し離れたテーブルに激突してそれをひっくり返す。
 白人男はこともあろうに春美に寄り添い、
「猿にしてはいい体をしてるな……十ドルで買ってやる」
と札束で春美の頬を叩いたのだ。
 屈辱を受けた春美の怒りの表現のしかたも、なかなか良かった。コップの水をぶっかけ
て、
「3K」
 きつい、汚い、給料安いと三拍子そろった誰にでも『嫌われる』仕事の事。そして白人
優位主義に凝り固まったKKK団にも重ね合わせている。
「このアマア!」
 白人男は公衆の面前で春美の腕をつかんで引きずり倒そうとする。
「コラ!てめ……」
 不愉快度百八十パーセントの明が、白人男の肩をつかんで何か言おうとするが、それも
全てを言い終える事はできなかった……。
 明もお空の星になって飛んでいったのだ。
 強引に春美に口づけをせんとする白人男に、彼らの怒りは沸騰した。和男と徹夫と武と
が、間合いを詰め、殴り飛ばされた明が猛然と反撃しようとした時、その反対側から……。
「くそったれ!」
 誠一の跳び蹴り。白人男は吹っ飛ばされた。
「ぶぶっ……!」
「金と女と食い物の恨みは恐ろしいぞ。……
覚えとけこのくそタコ!」
 誠一は鼻血を止めながらそう叫んだ。
 ペシャッ!その誠一に、カレーの入った皿が投げつけられた。白人席の方からだ。次々
と瀬戸物の皿が跳ぶ、何がマナーだ。
 パーティー会場は既に大混乱。船員たちの制止の声も聞こうとせずに、流れは西部劇の
けんかの世界へとなだれ込んだ……。
 さてさて、どうなる物やら。


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