翌日……とはいっても、月の一日は地球時間の約一か月に相当するし、日常生活は地下
なのでそんなサイクルに意味はない。そこで月面上での時間も地球時間を使う事にする。
では改めて、翌日。
俊男は一晩中ルナ・シティ郊外の総支社と協議の末、朝方に帰ってきた。何でもルナ・
シティは国家的事業で開発された土地なので、その多くは官有地、少ない民有地は日本の
不動産屋の地上げの対象なので、支社を郊外に置かざるをえなかったのだが、それがこん
な時に吉と出たらしい。
総支社の建物は、結構ボロがきていたものの一応会社の形は残していて、緊急時という
事で今ある菓子の在庫をどっと放出しているとか。
「転んでもただでは起きぬって訳か……」
武のよーだな、誠一がそう言うと武は首を横に振って、
「いや、俺ならそうはしないよ。……市当局に売ればいいじゃないか。
後は市の方で公平に分配してくれる。大体、こんな時に菓子を買いに来れるのはごく近
くの者だけだ。ルナ・シティだけを見ても広いのに、来れない者は買うな、じゃ慈善とゆ
ーより偽善だよ。交通網も寸断されている。
それに市民の食糧確保が第一の市当局なら、言い値で買ってくれる……」
俊男はそれを聞き終らない内に、血相を変えて外へ飛び出していた。
「ふえ〜っ」
何といっていいか分からないまま感心したため息をついて見せる明に、武は頭を指して、
「ここと何とかは使いようって言うだろう」
俊男が持ってきたまま放り出していった紙の束が、部屋の隅に申し訳なさそうに座って
いる。活字には教科書の時代から不倶戴天の仇敵の間柄の明と誠一は、見向きもしない。
「俊男のやつ、新聞を置いていきやがった」
和男が新聞を拾い上げる。彼にとって活字とは前世から愛の契りを交わした夫婦の仲だ。
「ナニナニ、フムフム……」
ルナ・シティ大地震の被害状況(朝現在)
一昨日起こったルナ・シティ大地震の被害は一時災害である地盤沈下、落盤、地割れと
それらに伴う酸素流出、急激な気圧変化等に伴う災害の概要がつかめないままに二時災害
の火災の危険や酸素欠乏の危険を依然として残したままで、通路の閉鎖に伴う救援物資の
配給の遅れから人々は不安と恐れの入り交じる中、二日目に入った。
月面各州及びスペースコロニーの各行政機関は皆、一斉に人道的立場から援助を申し出
ているが、軍民問わず全ての宇宙空港が使用不能に陥っている上に、月の地下交通網もそ
の大多数が落盤や爆発の衝撃波などで閉鎖されて物資人員の輸送に使えず、最も困窮なる
人々には救助の手は伸びず、復旧作業も遅々として進まない。
多くの市民達は連絡こそついたものの、今なお落盤の岩と岩の透き間に挟まれた状態で、
各所では不安定な地盤に動く事もままならず、分断されたままでただひたすらレスキュー
隊の救助を待つ他はない状態だ……。
「ふ〜ん、ひどいんだあ」
明も思わず唸ってしまった。いつもは脳天気な明でも、この町の近くがこの大惨事の現
場だと聞かされれば、さすがに飄々としてもいられない。しかし何ができるかと言われて
月の都市において最重要な物さえ定かに分からぬ彼らでは何も助けになりえない。それに、
既に多くの宇宙国家から救援専門のレスキュー部隊が投入されていると言うではないか。
「おい、それよりも、俺たちの船の方はどうなんだ?」
他人の心配をするより先に、自分の心配をした方が良い。他人は彼等が助けてやれるが、
彼らを他人が助けてくれるかどうかは分からないのだ(ちょっと身勝手かな……誠一)。
「(俺たちが)金星にも行けず、地球にも帰れない間にまた地震に襲われでもしたら、そ
れこそ生きて行けないぞ」
徹夫の言う事ももっともだ。
「それは困る」
そういう誠一の後を引き継いで武が、
「まだ金星に旅行してないのに……せめて今持っている金星旅行の権利を有効に使い果た
してから死にたいよ」
そういう場合じゃないだろ……。
「どれどれ」
活字人間の和男はこういう物を見つけるのが早い。『活字が俺を呼んでいる』等と本人
はほざいているが、さて……。
船舶被害
四日市観光所属『大川丸』
ソ連国営旅行会社所属『ノバヤゼムリャ』
アメリカ総合輸送会社『マサチュセッツ』
○○航空株式会社『一寸法師』
「ああ、あのおわん船も、パーか」
誠一はがっかりしない声で尋ねた。
「修理不能」
戻って来た俊男は少々息切れしていた。
「年間売上高の半分以上の利益を、棒に振るところだったよ……ありがと」
タケシ様様、俊男は拝んで見せる。
「セールスマンと商売人の違いだね」
武は満足そうだった。
「で、どうすんだ?」
和男が聞くと、俊男よりも先に武が、
「旅費を返すとか、ほかの方法で行くとか、するんだろ」
フミ倒したらただではすまさんぞ、言外に匂わせるのが武らしい。
「まあ、そういったとこで、変わりの処置として……」
「代わりの宇宙船で行く!」
明が勝手に話を引き継いだが、俊男は、
「それはダメ。開いてる宇宙船がないんだよ。大地震直後に地球行きなんて船は多くない。
もっとも、千葉行きの室蘭号ならあるけど」
「冗談顔だけにしろよ!」
誠一の叫びに答えるように、
「そこで、これからの事だ。みんなには一寸遠くなるけど、ニュー・ニューヨークに行っ
てもらう……ほぼ裏側になるけどね。もちろん費用はこちら持ちだよ。
みんなも知っての通りニュー・ニューヨークはルナ・シティと並ぶ大空港を持ってるし、
向こう側では唯一の国際宇宙空港だからね。設備も整っているし、反対側だから地震の影
響も一番少ない。
アフリカ号を知ってるだろう。ほら、あの豪華客船だよ。別名アフリカの星。その定期
便が、あさってなんだ……金星航路のね。
まだ空席が幾つか残っているらしい。それに割り込もうって寸法さ。幾つあるかはキャ
ンセル待ちだからはっきりしないけど、何とかなるさ、大丈夫大丈夫(だからあ、こいつ
にサービス部を任せたのはあ……)」
俊男の話によると、まあそんなところだ。
「ほっ……!」
誠一も明も、地震が全てを狂わせて旅行を『通行禁止』にするのではないかと心配して
いたので、その喜びようといったら……。
重力の少ないのも忘れて明と誠一とは力一杯飛び上がって、頭をぶつけててんやわんや。
それでもめげないのが彼らの良い所(?)で彼らは被害を拡大しつつも飛び上がるのを止
めようとはしない。
武は武で損失のない事をメモ帳に書き込み、ほっと一息。手に持った財産の一つ一つが、
彼にとって命の次に大切な物なのだ。
徹夫は徹夫で朝からの出来事を全て電子手帳に打ち込む。自分の動きを記録に納めてお
いて、自分の精神状態を観察するのだそうな。事故の精神や健康をきちんと管理できるの
も未来のエリートの条件か?
反対に全く普段と変わらぬ生活を続けるのが和男で、もう出発間近いとゆーのに、まだ
『月怪談全集』を読みあさっている。
まったく……。
「本日は、月低空航空のスペース・バスをご利用頂きまして、まことに、あありがとうご
ざいます……」
いかにも日系企業と思われる、仰々しい程に客に敬意を払ったあいさつを聞きながら向
かう明達は、もうかなり目的地に近い。
「間もなく、ニュー・ニューヨークに到着致します。お忘れ物のない様に……」
アナウンスの声は親切に、しかし事務的に注意を繰り返す。真空の月面を進むスペース
・バスは前世紀のバスから車輪を取り除いただけで外見上はそう違わない。気密構造で宙
に浮いて、小出力のジェットエンジンで静かに月の表面をなめる様に進む。真空なので空
気抵抗も少ない中を、轟音も小さくバスは進む。バスの内側からは大気圏脱出用のシャト
ルとにていて、内側からガラス越しに外を見る事もできる。……死の砂漠を。
「つ〜きのぉ、さばぁくを〜。
は〜るぅ〜、ば〜るぅとぉ……」
武の歌うのは一世紀も昔の歌だが、まさしく状況はその歌のとおりである。
「た〜びの〜、バス〜が〜」
バスでの月面行の前半は、月の長い『昼間』でぎらぎらした太陽があって目障りこの上
なかった。地球から見る太陽と同じ物とは信じられない程毒々しく、見ているだけで目が
乾き上がってしまいそうだ。光線が強すぎるのでブラインドが掛かっていて、バスから直
接日光を仰ぐ事はできないが、それでも強い日光は、船内放送で船体表面温度が百二十度
に達した事を伝えて彼らをげんなりさせた。
「しっかし、今も昔も観光地ってのは、変わらないねえ」
誠一が左隅の席で言うと、和男は読んでいた本を置いて頷く。明が、
「グレンまんじゅうにグレンせんべえ、グレンドリンク……あと、何があったっけ?
そうそう、グレン中佐のキーホルダー」
「まったく、日系人ってどこまであさましくあくどい金儲けが好きなものか……」
どこの出身の人間の経営かという事には、敢えて触れはしない。ただ、彼らと一緒くた
にされて軽蔑されるのが悲しいだけだ。
「第一、グレンせんべえを売る金髪の兄ちゃんなんて、絵にもなんない」
美学に反するよ、和男が言うと武も(この二人が意見が合うなんて珍しいのだ、本当)、
「もう少し考えてほしかったねえ……。
みやげ物屋は日系企業がほとんどだったよ。商売の下手なくせに職人ぶっちゃってさ…
…。
見たかい?あの『月に万年眠る水』とかって言うミネラルウオーター」
「ああ、あの普通の四倍もする高価な水?」
「ああ、そうだとも。あの大嘘つきめ。
びんの裏側を見た?
『MADE IN KOREA』だってさ。
冗談じゃないっ!あんなまがい物……」
商売人の恥だと叫ぶ武の憤りは、多分正当
だろう。
「グレン通りにグレン町、挙げ句の果てには月の石まで売っている。
何も金まで出さなくても、外に出て拾えばいいのに……。それでも買ってくるんだろう
な、やっぱ」
「オット、もう到着だ」
彼らがざわめく間にも、バスは居住区に入っていく……。ニュー・ニューヨーク。そこ
は余り華やかでもなければ美しくもないが、物を造り出す活気に満ちあふれる宇宙の工場
だった。彼らは少し寄り道をしたものの、今金星へ向かおうとしている。
そして翌日。
六人は、ニュー・ニューヨークの国際宇宙空港に向かった。……アフリカ号に乗る為に。
イタリア、ドイツ、アメリカ、中国、朝鮮、インド、ロシア、トルコ、メキシコ、アラ
ブ、ブラジル……。世界各国の、さまざまな肌の色の人々がいる。
今度乗るアフリカ号は、今までとは違って、長期航行用の宇宙船なのでまさに豪華客船
の構造をしていると言っていい。
宇宙船アフリカ号は、本社をダルエスサラーム(タンザニア)にもつアフリカ宇宙航空
株式会社で手に入れた最新式の、そして最初の長期航海用宇宙船であったが為にこう命名
された。いよいよアフリカの資本が宇宙に出てきた、その第一歩。さぞや良い旅になる事
だろう……。その空港についてすぐ、
「……何だ?」
何か落ちてるぞ。明が何者かを拾い上げた。ブランド品に良く似たにせ物のハンドバッ
グ。誰のものだろう、と裏側を見てみると、『H・O』のイニシャル。
「まさか、ね……」
まさかまさか、そのまさか。
彼らはお互いの顔を見合わせる。
「はは、はははははは……」
ここ、確かあの、ニュー・ニューヨークだっけ……。
宇宙ステーションBUで出会った事が思い出される……。
「運命とは奇怪な物だなあ」
「事実とはまさに小説よりも奇なり」
彼らが異口同音に言ったのも無理はない。何と言う偶然の巡り合わせだろう。いやこれ
はむしろ、宿命と言うべき物ではあるまいか。このひろ〜い宇宙にあって、一度別れて再
び会えるなんて!
「驚いたね」
明は俊男に先回りして春美に話しかけた。
「こんな所でえ!」
春美も結構驚いていた。当然か。
「こんな所でまた会えるなんて、夢のようね。これも何かの縁(えにし)と言うのかし
ら」
春美は彼らの特徴的な人格の一つ一つを良く覚えていた。残念な事に春美はどうも、彼
らを『おもしろい人達』と思っているらしい。
恋人になるんだ○○するんだと喚いて止まぬ誠一などには、入りやすくて出にくい門の
様な状況だ。
「六人揃って月の裏側で会えるなんて、何て偶然かしら。その上このまま一緒に金星まで
行ってしまうなんて」
「一緒に、金星まで?」
春美さん、まさか金星に行くの?
「ええ」
(彼女がうなずく瞬間明は、何て安直な設定をする作者なのかと情けなくなった)
「ニュー・ニューヨークから行った方が、少し旅費が高くつくけど安心できるから」
月の表面のルナ・シティが観光経済都市であるのに対して、月の裏側の中心都市ニュー
・ニューヨークは産業経済都市である。その経済の多くは外宇宙を向いていて各惑星の開
拓資本の生産加工基地として、工業都市としての色彩が強い。観光都市では旅行者ねらい
の犯罪も多いし、人の出入りが多すぎて監視し切れないのでどうしても治安はやや悪めだ。
女性の場合はやはり旅には安全を優先する。しかしそれにしても参ったねこりゃ、誠一
の野望はみんなの想い。さてさて……。
「遠い金星まではるばる一人旅なんて大変だあねえ。まったく、偉いもんだよ」
まるで子供が新幹線で一人旅の様な感覚で徹夫は語る。いや、徹夫だけではあるまい。
彼らは皆一つの先入観に縛られていたのだ。「一人旅、誰が?」
そう聞き返したのが春美だったので、明はびっくりして誠一の方を見つめてしまう。
「えっ……?」
「一人旅じゃないのォ?」
誠一はもう一度、信じられぬとばかり聞き返した。宇宙ステーションであった時は春美
がずうっと独りだったので、思わずそう思い込んだのだが……。
「ええ、連れがいるのよ」
その人と待ち合わせるのにニュー・ニューヨークに来たんだけれど。春美の言葉は誠一
の心に暗雲を投げかけた。
「連れの人って、男? それとも女?」
後半の方に重きを置いた和男の問いに、
「男の人よ。どうかして?」
春美の何気なさそうな答えと同時に明は、誠一の心の中でガラスの割れる音を聞いた。
「その人……恋人かなんか?」
徹夫は言葉がシンプルで良い。ただしこの男は振られる時も振る時も、シンプルかつ事
務的に振られるだろう。
「う〜ん、そうでもないわね」
少し逡巡した当たりに、少し込み入った物がありそうだとドラマの展開を参考にしつつ
和男は、
「お兄さんとか?」
悪質な作者の手によって、良くありがちな、そしていかにも誤解を受けそうな設定に持
ち込まれる事を警戒した和男の問いに、
「いいえ」
と春美は首を横に振って、
「大木教授よ。私はその秘書をしているの。
名前は聞いた事あるかしら?」
明にはちっともない。どこかの教科書の隅っこに出てきそうな名前だ。あっても記憶の
外なので忘れ去っているのだろうか。
「あるある」
弘前大学の生物学教授だろ。徹夫はそういう方面においてはなかなか詳しい。
「金星の気圧下においても育つ植物の研究で、少し有名だ」
それが大量生産されて実用化されるならば、有名になれて金も入ってくるんだろうけれ
ど。
「とってもおもしろい人よ」
春美の答えには屈託がない。
「若い人?」
ううん、三十八才、だったかしら。
「声は大きいけれど、好い人よ。若白髪がいっぱい生えているから、すぐに分かるわ。
メガネをかけていて、いっつも白衣を着て歩くの。たばこ好きで、だらしがなくって、
奥さんも貰っていないのに、学部内随一の秀才なのよ……」
「三十八かあ……ま、俺たちの若さの敵じゃないな」
春美が去った後の事だが、誠一は自信ありげに呟いていた。心の中で砕け散ったガラス
もどうやら数秒でくっつけた物らしい。
武は武で、
「人間頭じゃない。努力と財力だ!」
とこれまた訳の分からん敵愾心を燃やす。
和男の反応もこれまた一寸変わっていて、
「芸術的じゃないね。彼女は頭脳明晰、機敏活発。自分で大学教授になれる人物だよ」
それをわざわざ白髪頭の秘書になるなんて、分からないね世の中は。彼はそう言ってか
ぶりを振った。
「女性心理は分からないよ」
心理学なんてあんまり役に立ちゃしない。
徹夫はさじを投げた。
「ま、とにかく一歩近づいた訳だ」
「何に近づいたんだい?」
金星、それとも……。
「さあね」
「うらやましいな、全くうらやましいよ」
俊男はそう言ってから、自分は金星には行けないと言い出した。
「え〜っ!」
春美も含めて驚きの声が一座を支配した。
どうしてだよお、添乗員。
その武の声に若き主任は、
「席が足りないんだ。今は月に流れ込むマスコミ関係者や安全な場所を捜し求める避難民
で、月から出て行こうとする者の数が猛烈に増えている。どこもかしこも一種の難民船さ。
五つ見つかっただけでも、奇跡なんだよ……。
豪華客船の切符は高いんだ」
もっと本当の事を言うと、地震の後始末がひどいらしい。月にいた多くの社員の中で、
全く無事だったのは少なかった様で、周辺の宇宙ステーションや地球地区の社員達にまで
総動員がかかっているらしい。
その上こう言う時にこそ、力仕事も任せられてでくのぼうの如く、何事にも不動な男の
存在は重要なのだ。
(ただ、『殺しても死なないやつ』を狙ったとしか思えないのだが……徹夫談)
とにかく、中山俊男はここに残るので金星には行けない事になる。どこかのクイズ番組
ではないが、『見送り』の旗を持って振るのが彼の役目らしい。
俊男が行けないと聞くと、春美は少し残念そうだった(ほんの少しと訂正……誠一)。
彼女にとって、最も多く話し込んだ俊男の存在は六人の中心人物と映ったのか、いつも
『俊男さん達』と呼んでいた。彼がいなくなった時に彼女が彼らを指して何と呼ぶのかは、
なかなか興味のあるところだったが?
「あら、俊男さん行けないの……。残念ね」
「全くだよ」
武の一言にはなぜか俊男もビクッとする。
『添乗員代を返せとか言わねえだろうなあ』
天敵という物が人間の仲間にもあるならば、この誰に対しても不遜の一歩手前まで親し
く馴れ馴れしい添乗員にとって武を筆頭とするこの一行こそが天敵だったのではあるまい
か。
(武と一緒にせんといて……和男)
「こんな面白い人間はそうお目にかかれる物じゃない。添乗員というのは、常識人がなる
と決まっているのに(その言い方は何だその言い方は、俊男)。この後誰かが代わりにつ
いたとしても、これ以上意気投合できる奴には出会えそうにはないよ……」
金銭にはできない価値だ。
金銭の大きさで物事の重要性を表現する武の口から出るこの言葉は、俊男に対する最大
級の賛辞と言って良い。金銭の無限倍の価値、と彼は言い切ったのだ。しかし、
「でも、たまには人間の添乗員も良いかも知れないな」
とつけ加えて照れ隠しする事を忘れないのが、彼らしい。
「余計なお世話だ」
雑談は果てしなく続くが、彼等に与えられた時間は少ない。時間とは常に流れゆく物で
あり、彼らは、無限に連なる時間の流れから見たならば一点に過ぎない短い現世をいかに
有効に使えるか、使い得たかで、その命の価値が決まる。彼らは常に時間に縛られた中で、
彼らは常に空間に制約された中で、その生を生きねばならぬ。
そうこうする間にも出発の時間は迫り来る。
「間もなく、月ニュー・ニューヨーク州ニュー・ニューヨーク発、金星イシュタール州ラ
クシュミ高原行き、不定期便アフリカ号、出発致します……」
この放送を聞き逃したら大変だ。彼ら六人は良くて数日、運悪ければ半年近くも『待
ち』の椅子で次の便の切符を持ちつつ日々を過ごさなければいけないのだ。
明、和男、誠一、武、徹夫、そして春美を含めた百五十人余りの人間を乗せて、宇宙船
アフリカ号は発進する。ぎりぎりまで話し込んでいた七人は、大急ぎで別れのあいさつを
済ませて、乗り場に駆け込んだ。何も乗る訳でもないのに、俊男までが走っていく。
「宇宙酔いに気をつけてな〜っ!」
宇宙船に乗ってしまうと、窓から見ても手を振っている俊男は捜さないと分からない程
小さい。その彼らの乗った宇宙船アフリカ号の航海の無事を祈って、何百人もの見送りの
人々と共に、俊男も船に手を振った。
「みんな、いいやつだ」
少し寂しそうに呟いたのは、明たちには聞こえない。しかし彼は知っていた。彼らの心
の中にある思いは同じだと云う事を。
「発射五秒前、5、4、3、2、1、発射」
軽い揺れが来た。地球で鍛えられた明たちにはそれほどの衝撃でもない。
これから金星まで、ほとんど無着陸で数千万キロ、数億キロもの道のりを、飛んで、進
んでいくのだ。
どうやら、何とか発進できた様だ。発射してしまえばもうそこは、外国扱いの治外法権。
それに月で地震が起こっても、彼らはもう引き返すべきではない。宇宙においては、うろ
うろするのが一番危険なのだ。
「ようやく予定通りにいける」
予定外の収穫だった俊男は残念だったけど。
武はそこは言葉に出さずに、
「しかし良かったねえ……。地震のニュースを聞いた時にはもう、だめかと思ったけれど。
ま、人間万事塞翁が牛って云うし……」
「人間万事塞翁が馬!」
和男と徹夫が同時に訂正した。
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