この時代、地球の周辺には、幾つもの宇宙ステーションが、地球と宇宙の中継基地とし
て打ち上げられて活躍していた。静止衛星軌道上にあって、地球からの打ち上げロケット
と宇宙空間専用の船の中継基地は非常に重要であり、多くの過激派やマフィア達さえもが、
この宇宙基地においては中立地帯として紛争を避けている。
板子一枚で地獄と背中合わせ、とはどこかの漁師の言葉だが、この宇宙空間はまさしく
鋼鉄の板一枚で真空と背中合わせの危険の嵐。未だ地球の生産力や資源に依存するところ
の大きい宇宙植民たちの、決して犯してはならない絶対のタブーなのだ。
現在打ち上げられている六基の宇宙ステーションは、A型とB型に分けられている。
A型は初期に打ち上げられた小型のもので、現在は四基が稼働中。しかし、徐々に老朽
化してきている上に、小型なので特大クラスの最近の宇宙船は停泊しにくい。その上設備
も古いものばかりだし、製造したメーカーや国の思惑でネジ一つにも互換性がなく、修理
も面倒くさい上に費用も高くつく。そこで製造中止が決定されて、新規に作られなくなっ
た。
B型はA型の欠点を補って新設された大型のもので、現在は二基であるがこれから順次
A型に取って代わっていく事だろう。時代が新しいので国のエゴや利害、メーカーの思惑
に変化が生じ、統一規格で作られたのも利点なら、巨大船が泊まれる様になった事も利点。
またハチの巣に見習った六角柱の形は将来、必要に応じて同型のステーションを次々に
連ねて、一大宇宙ステーションにできると云う利点を持つ。
中には職員の家や家族の通う売店や、その子供たちの学校や市役所から病院までも設置
され、数百人もの人々が住んでいて、これから建築されるであろう巨大宇宙都市の模型の
様だ。
明たちの行くのは最新中の最新、宇宙ステーションBU。そこから月の向かう定期便に
乗って、月に向かう事になる。
「うわぁ、噂に聞いてたよりずっと大きい」
接近する宇宙ステーションBUに、誠一は素直に感嘆の声をあげる。明は圧倒されてた
だ頷くのみ。
正直言って数時間前に見えた宇宙ステーションは、小さく見えてがっかりしていたのだ。
比べるものがない宇宙空間では、それがどの位の大きさになるものか見当がつかないのだ。
なに小さい小さい……、おっ、おっ……えっ、あっ……げえっ!である。
「そりゃあそうですよ」
全長は三キロメートルを越えます。宇宙に作られた純粋な人工建造物ではおそらく、こ
れを凌ぐ物はない。
ウンウンと頷いて偉そーに徹夫が口を開く。
「人類の英知の結晶。科学の粋を凝らした、先端技術の全て。これを見ていると、人類っ
て偉大な存在だなあ、やればできるんだなあって事を、つくづく感じるよねえ……」
いや、スバラシイ!まるで自分の事の様に満足げに云う。
「そうかなあ」
和男はボソッと呟いた。ドアの開く音がして、乗客たちはみな、思い思いの声を上げな
がら宇宙の島に降り立って行く。
「こんなバカでっかいもの作るから、地球の汚染とか荒廃とか、重力の減少とかが起きる
んじゃないのかな。資源だって、相当使い込んでるし……。孫の代を考えて見ろよ。
人類がどんない愚かしい存在か、つくづく僕は感じるんだが……」
いるんだよな。そうやって、開発を破壊と取り違える自然主義者って。
徹夫はそんな答を待ちかねていたらしい。
「孫の代になっても百億を越えるこの人口を、この地球の中に封じ込めて、キレイな環境
を果たして我々は保てるかなあ。我々のような自然から遊離した自然の破壊分子は、早く
宇宙に出て消え去って、地球を自然に帰した方がいい。
そうは思わないか?いくら節約して少しずつ使っても、いつかはなくなってしまう資源
を守って生きるなんて後ろ向きだ。
今ある力を全てたたきつけて少しでも先へ、少しでも未来へと、新しい道を切り拓く方
がずっといいと思うんだけど」
だけどね、和男もそこで引き下がる程やわな自然主義者ではない。
「人間は元々自然から生まれたんだぜ。少しくらい科学を持って自然から離れたから言っ
たって、人間も生き物なんだ、機械じゃない。自然を離れては住めないよ……生きても行
けない。
宇宙に出たからと言ったって、真空で呼吸できる肺を作った訳じゃない、無重力で成長
できる筋肉を作った訳じゃない、結局は自然のまがい物だ。地球人類が無駄を省いて生活
姿勢を改めさえすれば、この星でもまだ二百億(人)は住める。このハチの巣型だって、
自然から学んだものだしね……そうそう簡単には捨てられた物じゃないヨ……」
二人の話は広く深く、そして長く続いて行って、えんえんと終わる様子もない。聞いた
話によると、席に座ったまま次の定期便で地球のカルカッタ(インド)に戻って、また上
ってきて乗務員に注意されて漸く気付いたというが、本当だかどうだか。
本人達はほんの二、三分だと言って譲らないのだが。
「行こうぜ」
厄介な事になったと顔に表して武が言った。
「この二人の話を聞いていたらきりがない」
その声に促されて明と誠一は船を下りる。
重力が0に等しいので体がふわふわ浮いて頼りない。漸く手すりに捕まると、レールに
沿って動く手すりに引っ張られて三人は進む。
「ただいま、当船は宇宙ステーションB2の、第四発着口に到着致しました。
ただいま、当船は宇宙ステーションB2の、第四発着口に到着致しました。
お忘れ物のない様に……」
合成された女声には、三人とも気にとめぬ。明たち一行は税関を抜けて(いっぱしの外
国扱いなのだ)宇宙ステーションB2の、居住ブロックに降り立った。
宇宙ステーションの居住区の内側は、できるだけ大きく見せようと青空のプラネタリウ
ムが映し出されている。和男の言うところの、『自然のまがい物』だ。雲が形を変えなが
ら動くので、まるで地球にいる様だ。
けど、職員の子供たちは良くボールをぶっつけて傷を作るとか。宇宙慣れしてない観光
客などは壁にぶつかってけがをすると言うが、漫画の世界ではあるまいし……。
そう言いながら明はまず、手近な壁にぶつかってこぶを作ってしまった。
「愚か者めが、たわけ者めが……ぶっ!」
そう笑った誠一が間もなく壁にぶつかった。
「いちばん本物らしいところは避けるんだ」
そう言って武は歩き回っていたが、やはり巧くは行かない様だった。
ま、とにかく少し買い物をして、和男たちの追いついてくるのを待って、町を歩き回る。
みやげ物屋だけではない、小さな地区に密集して店舗が集められているので、喫茶店や
食堂、スーパーマーケット、居酒屋からスナックまで。小さい限られた地区なので、通り
一本それると『いかがわしい店』『健全な青少年の発育を妨げる店』などもあるが、それ
にも、また独特の感じ。
しばらくして討論屋とも言える二人の論客が到着したのだが、
「いやー、ほんの二、三分だって、何度も言ったのに……」
「インド語を聞いた様な気もするんだけど、やっぱ錯覚だよなあ」
こ、こら。おい!
明たちはまったく自覚のない二人に真実を説明するのに手間取って時間を食ってしまう。
地球時間にして午後六時。ハラの減る頃だ。どこか食堂でも……?と言ったそのとき!
黒いサングラスをかけた男が歩いてきたのだ……。
「○○製菓招待のご一行ですね?」
低く、鋭く尋ねる声。黒い服、黒いズボン、そして黒い帽子。話す言葉は日本語だ。
「そうだけど、何か……?」
明が答えるが、声が不安げだ。どこかのヤクザさんか、スパイかと思えてきて、急に恐
ろしくなってきた。無情にもほかの四人は明の後ろに回っていて、『安全圏』だ。
後で聞くところによると、このときほかの四人はいざとなったら、
『明を投げ出して生け贄にして逃げる……』
かまたは、
『明を投げ出してみんなで飛びかかる……』
考えだったと言うから、とんでもねえ奴らだ。
男は懐に手を入れて何かを取り出す。
『けん銃?旅行者ねらいの犯罪ってのは、悪人の常套手段だし、日系人ってのは金持ちだ
って、最近狙われているからなあ……』
まったく冗談ではない。彼らの様な貧乏人までが、地上げや株式で儲けている金持ち達
と一緒にされて危険な目に遭うなんて!
貧乏人に許された唯一の特権が、『安心』だったのではないか?
しかし今男は現実に彼らの前にいる。彼がいったい何を考え、何を欲しているのか。全
てはそれを知ってからだろう。
『命だけは、やだよ』
彼らの間に緊張が走った。……が、男の出した物はと言えば、一枚の名刺。
書かれている事と言えば、
○○製菓株式会社販売サービス部、主任
中山俊男
「いや〜、そうですかあ。ご苦労さんでス、おめでとうさんでス!」
サングラスを取ったその目は、意外にもタレ目。その声はしゃべればしゃべる程ぼろが
出ると言うのか何と言うのか、明るく軽く、まるで訪問販売のセールスマンの様。善良の
塊の様なこのお兄さんが、彼らの添乗員。
「あ、あ、あんたあ、誰?」
誠一はなりゆきについて行けなくて、明の肩ごしのまま首を出して尋ねる。
「このとおりの者ですよ」
五人は一枚の名刺を回し読みし、徹夫は丹念に声を出して読み上げる。
「○○製菓の月総支社の社員、主任だって」
「あったりぃ。では君たちを、金星旅行に招待しよう」
「もうされてるさ」
誠一が言うと彼はアハハハと陽気に笑って、
「では、改めて金星旅行のご案内役になってあげよう」
とゆー訳で、早くも明たちと意気投合してしまったこの、人付き合いの良い中山俊男二十
四才は、五人をホテルの部屋へと案内して行ってくれた。(この五人とつき合えるという
事自体が十分『殺しても死なないやつ』の条件を満たしていると作者は思った)
俊男の説明では、五人は彼につき添われてまず月のルナ・シティに行き、そこから金星
旅行に向かうのは二日後とか。月へは明日の定期便で行く事になっているので、今日は大
気圏脱出で疲れてるだろう体を休めておけ、と言う話だった。……五人部屋で。
「何か質問は?」
という問いは、中山俊男一生の不覚だったと言えよう。何よりも相手が悪かった。
さっそく誠一が、
「かわいい姉ちゃんが添乗員について来てくれるんじゃないのかよお!」
と訳の分からん事を聞く。
「あれはチョコレートの包み紙のモデルでしょ……これとは関係ない」
「旅の日数と距離について尋ねたいんだが…。
この加速度で船体質量がこの位だから、燃費の結果月までの長円軌道によって……」
徹夫の学術的な質問は、俊男がフネ(宇宙船)の専門家ではないとして、一蹴された。
「旅行費はどのくらいまで出るの?」
武は宴会やらホテルのサービスやら果ては食事のおかわりまで訊きたがる。これも一蹴。
「歌手は誰が好きですか?」
「マンガは何がおもしろいと思う?」
「趣味は何?」
「アイドルは誰が好き?」
「支持政党は?」
「給料いくら貰っている?」
「あんたの母ちゃんデベソ?」
「会社の社長どんな人?」
「……」
俊男はもう二度と、『他に質問は?』とは言わないだろう。
翌朝……。
プラネタリウムはきちんと二十四時間周期で明るく暗くなってくれる。だらしない明に
とっては意味がないどころか迷惑以外の何者でもない。ところが、こんな朝の明るい目覚
め程度の物ではない、とてつもない物音に明は目覚めさせられてしまう事になった……。
「あ〜さですよおお!」
ぐわぁん!ぐわぁん!
このガンガンする音!
「だ、だ、誰だ! この二十一世紀になって、フライパンなんて叩いてる奴は!」
誠一が叫んだ。布団から跳ね起きたのは良いが、寝ぼけているのか枕を抱いたまま走り
回る。和男は既に手もとにあった文芸誌を引っ張り出して開き、うんうんと頷いて、
「これがフライパンを叩いた様な音、か」
ような、じゃない。ような、じゃ。
武はもう起きていた。『早起きは三文の得』なのだそーだ。
徹夫は徹夫で、布団の中でモグラと化していたついさっきまでの自分を棚に上げて、
「早起きは健康にヨシ!」
などとほざいてラジオ体操を始めている。
「せっかく美人にもてる夢を見てたのに…」
と見るからに惜しそうな顔をしてぼやくのは誠一だ。
明はというと、『ペルシャ八千年の秘伝』のせいではないだろうが、今だ夢うつつで、
ボケーッとしている。いつもの事といってしまえばそれまでだが(うるさい……明)。
「それどころじゃあないんだよ」
五人を起こした張本人……ミスター・フライパンと早くも和男にあだ名をつけられた俊
男は、右手に持っていた新聞を見せた。
えっ!
一面にでかでかと、しかもとんでもない記事の見出しが載っかっている。
「ルナ・シティの大地震、ルナ・シティ!」
「そうなんだよ、ルナ・シティなんだ。
かぐや姫の生まれた月の都が……大地震なんだ!」
ルナ・シティの大地震
グリニッジ時で昨夜午前零時半ころ、月の都ルナ・シティ中心部で史上最大規模と見ら
れる大地震が発生した。マグニチュード十五、市中心部の最大震度八の激震はルナ・シテ
ィに壊滅的な打撃を与え、市一帯の広範な地域で空気供給管・水質浄化機とパイプ、電話
線、FAX、無線通信機その他すべての情報網は寸断され、市とその衛生各都市は皆孤立
した状態にある。
ガス管や石油管などが、この地震で相当破損したものと見られ、万が一引火して火事に
でもなろうものならば、密閉された地下都市での二時災害の可能性とその被害は、言語を
絶する物となろう。救助はおろか人々は宇宙の真空と災害のはさみ撃ちにあって、逃げ道
を失う事になるだろう。
警察も軍もその本部がルナ・シティにある為に双方壊滅状態。付近に展開していた戦艦
クラスノヤルスク、レーガンW、ブラジリアなどが急きょ演習を中止して月に向かいつつ
ある。
ルナ・シティの損害は甚大で、この先その再建が可能なのかどうかさえも判断できない。
死者負傷者・行方不明者はこれまでの宇宙における、あらゆる事件事故を越える膨大な数
に達し、これからの人類の宇宙進出に大きな影響を与える模様である。連邦政府の試算に
よると、今回の大地震による被害総額は文字通り天文学的数字に達し、我らの持つ言葉に
は訳し切れぬ桁に達するものと見られている。
「つ、月に行けなく……」
明が言いかけた時、俊男は少し下の記事を指さした。勿論どこもかしこもルナ・シティ
大地震の関連記事で埋まっているのだが、明たちが目を向けた『船舶被害』の項目には…。
『船舶被害
米国BBC社所有エンタープライズ号。
ギリシャ国営宇宙航空アテナ号。
ローマ商会ジュリアス・シーザーV世号。
……以上沈没。
中国国営航空所属、台湾号。
金星公共航空株式会社所属、マリーナ三号。
……○○製菓株式会社所有『一寸法師号』、以上大破』
「いっすんぼーしぃ?」
どーゆー意味じゃい、これ。明の尋ねるのに俊男は、社長の強い希望でと前置きして、
「宇宙を大きな川に例えれば、そして宇宙船をおわんの船に例えれば、乗員は一寸法師の
ように小さなものだ、とゆー事で……」
「一体どういう考えしてんだ?お前んとこの社長は」
センスって物を知らないな、お前んとこの社長はよ。全く、何考えてんだか。
部外者の誠一は言いたい放題。俊男は内心大喝采を上げながらも言葉には表せないで何
とも言い難い顔をしている。変な顔。
「月に地震なんてあるのかよ〜」
SFにしては余りにも非科学的じゃあないかい。火山活動もないのに。明が徹夫の口調
をまねして言うと、
「それがあるんだよ。それも人間が起こしたのかも知れない奴が」
「どういう事だい?」
誠一の問いに徹夫は余り言いたくなさそうだったが、
「核実験だ」
地球上においては、地震の原因の大部分は地球自らの作用による。火山活動とかね。
金星にも地震はある。あそこはまだ火山が生きているからね。火星にもあるよ、あそこ
にも残り火がある。火をつければ数千万年位はコアが燃え続けるはずだ。
大抵地震の原因ってのはそんな物で、その他には隕石の衝突程度の物なんだけど、それ
程たくさんある訳でもないし、そんなに大きい地震にもならないんだ。よほど大きくない
限りね。問題は人間が起こす物だ。
「そこからは俺ね」
和男は徹夫の解説口調を奪い取って、
「人間の活動が自信を起こす事もあるんだ。
洞窟の中に都市を作り過ぎて、落盤事故が起こったり、宇宙船の発着が頻繁過ぎて発射
の振動で地盤が緩んだり、そんなのも原因になる」
そこで徹夫は再び和男から言葉を奪い取り、
「問題は生産活動ではない。それは規制の仕様でいくらでも押え込める。科学的な調査と
理論で危険度を見るならば、合理的に避けうる事なのだ。
問題は国家権力が極秘裡に行う破壊行為、
新兵器の開発実験や核実験だ」
国家だから逮捕して刑務所に放り込む訳にも行かない。警察も国際的問題といわれれば
手の出しようがない。悪辣非道なのは……。
それも公表されず、軍事機密としてやったかどうかも確認の取りようがない。その上規
制しようにも国際会議の場で拒否してくる。回数や規模が分かれば対応によっては被害を
最小限度にする事もできるのに。
「とんでもねえ野郎だなあ」
誠一はしみじみと実感を込めて、
「デンマークかイギリスあたりの大統領でも、ムショにぶち込むか?」
「デンマークもイギリスも大統領は居ない」
明が諭す。そこへ武(しばらく論議の渦の外にいた)が割り込んできて、
「船は、直せないのか? どうなんだ」
一寸法師なら打出の小槌とか持っていないのかよ。和夫は科学を無視したむちゃを云う。
大破じゃ、分からんだろう。
全くそのとおり。俊男はそこに深く頷いて、
「詳しい情報が分からないんだ。無線も何も混乱し切って、てんで連絡がつかないんだ。
一応ルナ・シティの近くのローカル空港、グレン・タウンにいって、そこの支社と善後
策を協議しろ、だってさ。とにかく、出発時刻に変わりはなし」
「……了解」
こうして彼らは月に向かう。何があっても月に行くんだと武がわめいていたのだが、ま
さかこうなってまで行く事になろうとはねえ。
「結局宇宙ステーションってのは中継所だからね、緊急の用事のある場合は『空ける』事
が最優先なんだ。そこでレスキュー隊や補給船などを受け入れて交通整理して向かわせる。
いつまでも民間人に占拠されていちゃこの際困るんだ」
徹夫はそういう事に詳しい。地球に帰らなかったのは一隻でも宇宙に船が欲しい時期で、
一旦地球に下りてしまうと再び宇宙に上がってくる事になり、膨大なエネルギーのリスク
になると、地球行きの船が九分九厘ストップされてしまった為らしいが。
月は他の惑星と地球とを結ぶ、重要不可欠な拠点である。その地理的重要性や、どこの
宇宙ステーションにも見られない巨大な生産力など、どれをとっても他には代え難いのだ。
月の大事。それはそのまま、宇宙の民の死命を制しかねない。
地球周辺の各所の宇宙移民たちが恐慌状態になったのも頷けるだろう。当然の事ながら、
地球では外国の記事の欄の半分位しか占める事のないこの記事が、宇宙ではすべての紙面
を埋め尽くして尚足りずに、滅多に出さない号外まで出しているのだ。(宇宙では資材の
制約は想像を超えて厳しく、号外などは数年に一度も出さないのだ)
そうそう、新聞の殆どは『大地震』で一杯だったけれど、スミッコの方には、こんな珍
しい記事もあった事を記しておこう。
商店街のオニ騒動。
昨夜五月二十二日、宇宙ステーションBUの売店デパート内で、若い東洋人と思われる
二人の男性が、アイスクリームの の部分をマネキン人形に逆さまにかぶせて、(オニ)
の様な格好にして逃げ去ると言う『珍事件』が起こった。
犯人の正体は不明だが、実害の少ない為からか商店主や警備員も苦笑するのみで、ウヤ
ムヤになりそうな雲行き……。
この犯人二人組は、自分達を称していわく、『創造力溢れる今時珍しい天才青年A・N
とS・T』と名乗っているそうだけど……誰でしょう。
こうして『騒々しさ溢れる今時珍しい天才青年』を含めた一行は今日の夕方、ほぼ予定
通りの日程で月に向かう。こんな大事件が起こっても、彼らの進路に変更は起きなかった。
月では、一体どの様な状況が彼らを待ち受けているのだろう?月のローカル空港で明達
を待ち受けるのは大地震の惨状か、それともみやげ物屋のばあちゃんか。月へ行く筈の宇
宙船は大破したというが、それはどうなるのだろう。俗に言うスクラップか、アロンアル
ファでくっつける事ができるのならば……。
でも、どっちにしても、明は思う。
「俺って、運がいいんだな」
例えここで引き返す事になろうとも、宇宙の深淵の中から美しい碧い星を見つめる事が
できるのならば、それは誰に叶えられる贅沢だろう。アインシュタインも叶わなかった、
ホーキングにも為し得なかった。何のとりえもない明が、その偉人達の夢にまで見ながら
見るを叶わぬその光景を見る事ができるのだ。
おそらく一生で一度だけだろう。
明は感じていた。貧乏人の明たちには、この後再びここに来れるだろうという見通しは
立たなかった。あのアパートで寝っころんでいたころが遠い昔の様だ。
「よおしっ、頑張るぞお!」
明はそう叫んで月に向かう。
その先には何があるのだろう。
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