第9話 女の子の夜



前回迄の経緯

 羽藤柚明は中学2年の学校祭準備の真っ最中です。手芸部の聡美先輩に弄んで貰えたり、
南さんや知花さん達後輩に好かれたり。学校行事には、身近に過ごす人との仲を深める効
用もあって。それは同じクラスの女の子とも。

 中学1年から同じクラスで、仲良くしてくれた歌織さん早苗さんと、深く心繋げたのも。
一緒に為した学校祭準備に伴う諸々のお陰…。

 お化け屋敷の参考に為した廃デパートの肝試しで。わたしが近しく関った事が、歌織さ
んを想う早苗さんを悩ませ、早苗さんを想う歌織さんを苦しめていたと。わたしは2人の
想いが溢れ出て漸く悟り。愛しい2人に応える為に、わたしはその夜、己を尽くす事を…。

参照 柚明前章・番外編第7話「最も見通し難い物」


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 晩秋の日没は早く、午後6時を過ぎれば経観塚銀座通商店街も殆どのお店がシャッター
を閉め、暗がりの中で家々の灯りと外灯が瞬くのみになる。学校祭で行うお化け屋敷の参
考と言う名目で、廃ビルで為した肝試しの終了は、予定よりややずれ込んで夜9時を過ぎ。
元々羽様行きの最終バスには間に合わないと、歌織さんの家に泊めて頂く予定だったけど
…。

「歌織ちゃん、今宵はわたくしも泊めて下さいませ。柚明さんと歌織ちゃんと3人で、夜
を語り明かしたいの、一緒に」「早苗…?」

 2人は小学校の頃から頻繁に泊り合う仲で。当日の申し出もお願いできて受容できる関
係だった。歌織さんの部屋は余り広くないけど、中学生の女の子3人なら少し肩を寄せ合
えば。

「羽様に住む柚明さんが経観塚で夜を過ごす事は中々ありません。わたくしもこの後でお
願いしようと想っていたのです。この際柚明さんと歌織ちゃんに、わたくし抜きに2人で
進めていた裏側を洗いざらい白状頂きます」

「うっ、まず」「それは……」

 広田君が早苗さんを誘い、わたしと歌織さんも参加した今宵の肝試しが。彼が早苗さん
に告白する様に、わたし達で促した結果だと悟られた今。その設定が実質失敗に終った今。
わたし達は、早苗さんに抗う術を持たなくて。

「お2人とも、宜しいですね」「「はい」」

 ミディアムな黒髪や静かな物腰に隠されているけど。早苗さんは芯が強い。決める迄は
慎重でも、決心すれば中々引かず揺らがない。その点では、黒髪ショートに切り揃え仕草
も男の子っぽい歌織さんの方が、実は女の子で。

 一見早苗さんが姫君で、歌織さんが王子様だけど。広田君が早苗さんに手出ししてきた
最近は、歌織さんが庇う展開が多かったけど。良く見れば早苗さんの方が肝は据わってい
て、歌織さんの方が早苗さんを頼りにしていて…。

【私は幾ら髪を短く切って男言葉使って歩幅大きくして装っても、男の様な女でしかない。
早苗に守ろうと決意しても、周囲の噂話や視線を気にして、肝心な時に怖じ気づく。あん
たは柔らかく静かで大人しいけど、その芯は強くて硬く、揺らがない。女の優しさに男の
凛々しさを秘めて。むしろ早苗に近いんだ】

【……それで行くと、早苗さんも、女男?】

 歌織さんが、一つの場面への応対でわたしを過大評価しがちなのは脇に置いて、問うと、

【心霊の苦手と体調不良を除けば、早苗は鉄の女だよ。柔らかく静かで大人しそうな外見
の真相に、驚かされたのが馴れ初めだから】

 確かに早苗さんは人の噂に踊らされず。人の噂を気にして、言動が揺らぐ事もない人だ
った。わたしが女子多数に敵視された去年初夏、わたしと親しくある障りを承知で関って
くれて。今年に入っても女子同士の恋仲を噂された羽藤柚明に、変らぬ絆を求めてくれて。

 歌織さんも、わたしを好いてはくれたけど。歌織さんは早苗さんを誰より大事に想うか
ら、わたしと近しい事を案じ。早苗さんはそんな歌織さんを導く様に、わたしとの関りを
深め。

【羽藤柚明は、わたくしの綺麗な人です…】

 過去1人にしか為した事ないその表明を。
 先生方の誤解も招いた、不徳なわたしに。

【歌織ちゃん以外の全てよりあなたが大切】

 わたしを最愛の人に準ずる程想ってくれて。
 一番にも二番にも想う事の叶わぬわたしに。
 有り余る程の友愛を親愛を、注いでくれて。
 返しきれない想いを承けた、わたしだから。

 その幸せに役立ちたくて。時に人目を憚り、時に人目を憚る余裕もなく、色々関ってき
た。早苗さんにちょっかい出していた広田君への応対や。早苗さんの視える体質への対処
や…。

「……うん、ちょっと遅くなっちゃって……。それでさ、柚明に加えて早苗も泊りたいっ
て。柚明がこっちで夜を過ごすのは、珍しいから。急きょだけど、夕ご飯1人分増量でお
願い」

 夜は無人な商店街の電話ボックスで、歌織さんはこれから帰る自宅に、予定より遅くな
った事と、早苗さんの泊りの追加をお願いし。歌織さんの家は拾五分位歩いた住宅街の端
だ。

 通話の終りを待って早苗さんが、自宅に歌織さん宅への泊りをお願いし。互いに相方の
両親の承認を得たと言って了承を貰っていた。話しは前後しても結果が同じなら問題なし
か。

 肝試しに参加した他の人達も、帰途につき。既に目の届く範囲に人気はなく。日中は多
少生活感もあるけど、日没から暫く経てば無人の静寂と月明りが寂しく。外灯と、家々か
ら漏れる電灯の輝きが頼りない。晩秋の夜風は、中学校の夏用セーラー服には、かなり涼
しい。

「早く帰ってご飯食べて、お風呂入ろうよ」
「そうですね。体が冷えてしまいますわね」
「お世話になります。宜しくお願いします」

 肩を並べた3人、手を繋ぐ事になったのは。
 寒さの故と言うより、強い想いの故なのか。

 わたしの右手と歌織さんの左手が握り合い。
 わたしの左手と早苗さんの右手が握り合い。

 銀座通では時折、女の子や幼児をつけ回す不審者もいると漏れ聞いているので。感応と
関知で周囲に潜む気配の有無を、確かめつつ。どうやら心配が必要な悪意の気配はなさそ
う。わたしが真ん中で良いのか少し躊躇ったけど。

「今宵の主賓は柚明さんです」「早苗とは日頃良く手を繋いでいるから、今回は柚明と」

 早苗さんも歌織さんも言葉の答と並行して、この掌を強く握って仕草でも答をくれるの
で。わたしも頷き想いを込めて両の掌を握り返し。2人の想いが体を胸を心を強く暖めて
くれた。


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 篠原歌織さんと結城早苗さんは、銀座通中に入った昨年出会って仲良くなったお友達だ。

 癖のあるショートの黒髪に、小柄で華奢で活動的な応対がはきはきしている歌織さんと。
ミディアムの黒髪艶やかで、細身で少し背が高く静かで物腰柔らかな印象のある早苗さん。

 2人は小学校から親しい仲で。去年の初夏、真沙美さんを慕う桜井さんや美子さん達女
子大多数に誤解され、敵視もされた羽藤柚明を、その事情を承知で尚友情を繋ぎ続けてく
れて。

 歌織さんも早苗さんも、桜井さんや野村美子さんと同じ銀座通小出身で。故に彼女達と
は浅からぬ因縁があった様で。むしろ彼女達の敵視が、わたしと2人の繋りのきっかけに
なった様な。和泉さんは2人を『火中の栗を、焼き栗だと拾って食する』と評していたけ
ど。

【美子や(桜井)弘子迄デートに誘うなんて、悪意があるならあんたかなりのやり手だよ
…。

 彼女達を怒声で黙らせたり理屈で詰まらせた事はあるけど、にこにこ友好的に凍り付か
せるなんて初見な以上に考え付かなかった】

【余り面白がる処では、ないでしょうに…】

 早苗さんは、仕草も語調も静かに柔らかで。
 でも歌織さんの言葉をにこやかに否定せず。

 柔軟に淑やかで尚ぶれない芯を確かに持ち。
 羽藤柚明の境遇を心配し声を掛けてくれて。

【わたしは本当に野村さんとも桜井さんとも、仲良くなりたい。鴨川さんとの関係の様
に】

 わたしは桜井さんや美子さんを嫌ってない。彼女達が慕う真沙美さんは、わたしも好い
た愛しい人だ。彼女達がわたしを厭い拒むのが誤解の故なら、解ければ良いお友達になれ
る。

【ふーん、本当に? あそこ迄言われても?
 あれだけ根拠ない噂流され、不快な事を言われ、友達との仲離されそうになっても?】

 瞳を覗き込んで問う歌織さんにわたしは、

【生命を取りに、来ている訳ではないもの】

 所詮子供の世界の可愛いやり取りだ。二度も鬼に襲われ生命危うくされた事に較べれば。

【誤解や行き違いをなくせば、野村さん達も心を開いてくれると想う。不快さはあるけど、
押しつけあうより共に解消した方が良く眠れる。和泉さんがわたしを、確かに大切に想っ
てくれていると分ったのも、彼女達のお陰】

【普通中学生は生命を取りに来ないけどね】

 歌織さんがやや唖然とした感じで突っ込みを入れ。早苗さんが目を見開き少し黙した後、

【自分の怒りに任せて敵意を返すのではなく、相手と己がどうなりたいか考えて誠意を返
す。桜井さんや野村さん達では及べない訳です】

【ま、何かあったら相談は受けるからさ…】
【和泉さんも柚明さんも大切なお友達です】

 虐められるなら、助けに割って入る積りだった。そうならなかった展開が意外で、様子
見の内に機を逃した感じで。力になるよと強い親愛を。数の威圧にも怯まず、己を貫く歌
織さんや早苗さんの在り方は爽快で好ましい。

【有り難う、その時は宜しくお願いします。
 そうでない時もたいせつなお友達として】

 和泉さんとの下校途上、塩原先輩達男の子拾数人に囲まれて。人目に付かぬ台地に連れ
込まれ、女の子の窮地を力づくで切り抜けたその翌朝に。登校直後のわたしに志保さんが、

【ゆめいさん、あなた和泉さんと昨日放課後、塩原先輩達拾数人に、集団レイプされたっ
て聞いたけど、学校に出てきて大丈夫なの?】

【大丈夫だよ。されてないから】

 一応否定の即答は返せたけど。

 己以上に和泉さんを穢す噂に、羞恥より怒りに心が振れた。強い憤怒を抑えられたのは、

【志保、あんた少し物言いに気をつけなよ】

 鋭く指摘してくれた歌織さん達のお陰で。

 わたしが翌朝登校して教室にいる事実が。
 既に悪い噂を否定する物だと早苗さんも。

 羽藤柚明を強く案じて共々に援護射撃を。

【まあ、酷い事がなかったと分って私も安心したけど。何種類もの酷い噂が飛び交って】

【真偽の程も見当が付きませんでしたから……余り酷い噂はこの場で否定して下さると】

【私達も惑わされずに済むし、惑わされるなと他の連中にも言ってあげられるんだけど】

【……有り難う、早苗さん、歌織さん……】

 わたしは早苗さんと歌織さんの手を握り、

【わたしも和泉さんも、鴨川さんも賢也君も、昨日は怪我一つなかった。わたしと和泉さ
んが塩原先輩達とお話しをしたのは確かだけど、噂で心配される様な事にはなってないか
ら】

 注視しているみんなに聞える様に。真沙美さんを案じる美子さん達の不安も鎮める声を、
わたしの真の想いを。強く届かせられる場を、2人が導いてくれた。その事が一番有り難
く。

 事が解決し誤解が解けて、美子さん達と和解した後も。歌織さんや早苗さんとの親密は
変る事なく。志保さんや利香さん夕維さんや、部活の先輩後輩と深く関り、同性愛や霊能
等の良くない噂も纏わせた羽藤柚明を。2人は半歩離れて、でも強い信頼と親愛で見守っ
てくれて。人の噂に揺らがず、関る事で自身が人の噂になる事も怖れず。絆を望んでくれ
て。

【柚明はそう言う奴だって分っていたけど】
【相変らず剛胆ですのね。柚明さんは……】

 だからこそわたしは2人の日々を支え守りたく。その日々に幸せと笑顔が多くなる様に。
少しでも、貰えた暖かな想いに確かな形を返したい。彼女達に役立てる事がわたしの願い。

 だからわたしは今年初夏、宿泊交流の旅先で、宿に居着いていた良くないモノを視て感
じ、顔色蒼く生気をなくした早苗さんに添い。

【顔色が良くないよ。熱があるのかも…?】

 両手を握り額を合わせ、熱を測る仕草で贄の力を注ぎ込み。心を賦活させ、それらのモ
ノ達が寄り付けぬ様に。逃げ散る程に生気に溢れ、結果早苗さんが何も視えなくなる様に。
歌織さんも早苗さんも驚きに瞳を見開く前で、

【熱はない様ね。少し休めば元気になるわ】
【あ、有り難う。その、心配してくれて…】

 早苗さんの頬が薔薇色に染まるのは、力が巡って血行が良くなっただけではない。喜び
も感謝も恥じらいも、真っ直ぐわたしに伝播して分る。わたしの頬迄が朱に、染められる。

【どういたしまして。余り役に立てないけど、早苗さんはわたしのたいせつな人だから
…】

【柚明は誰とも仲睦まじくて、羨ましいよ】

 早苗さんの復調を見た歌織さんは、この左手を両手で握り、感謝の想いを伝えてくれた。
早苗さんは歌織さんの特別にたいせつな人…。

 少年少女や若者が心霊を視易いのは、心も体も不安定で波長が合ってしまうから。眠っ
た資質が揺り起こされるから。大抵その覚醒も一時的で、じきに収まり視えなくなるけど。
時折視える状態を引きずってしまう事もある。

【どうして怖がったり遠ざかる必要がありますの? こんなに優しく強く綺麗な人を…】

 翌週わたしは歌織さんも含めお話しを。鬼の話しは秘したけど、羽藤の血筋が唯視える
以上に、人を癒し霊と語らい時に祓い、人の視える資質を伸ばし眠らす力を宿すと。それ
は遙か昔から連綿と繋る羽藤の古い言い伝え。

 異能を忌み嫌われる事は覚悟した。利香さんとの様な細い絆も保てず、拒まれる末も覚
悟した。早苗さんの端正な顔が俯き沈む様を見ておれず、助けたい想いの侭お節介をした。

 でも早苗さんはわたしに怯えも不安もなく、

【柚明さんが悪意のない、強く優しく賢く綺麗な存在である事に疑いの余地はありません。
わたくし程度の者にも真偽の程は見抜けます。お付き合いさせて頂くのはわたくしの望
み】

 人に知られたくないその技能を人目に晒す怖れを承知で、わたくしを気遣い助けて頂き。

【有り難うございました。わたくしが柚明さんに返せる物は、殆どないのが申し訳ないで
すけど。今後も柚明さんに望んで頂けるなら、特に大切なお友達としての想いを抱きま
す】

 いつも早苗さんを寄り添って守り、話しをリードする歌織さんが、置いて行かれそうに。
早苗さんは元々わたしを心に留めていた様で。むしろこのきっかけを待っていた様な感じ
も。

【私はそっちの方面は全然実感湧かないけど、早苗が良いと言うなら私は良いよ。柚明も
早苗の為を考えて、関ってくれた事は分るし】

 歌織さんは視える資質に乏しく。早苗さんを信じるから、霊の存在を頭では理解しても。
わたしを善意な存在と感じても。全幅の信を置く事にやや躊躇い。それはわたしへの疑念
と言うより、性急さへの懸念なのか。或いは今尚燻るわたしの同性愛の噂を気に掛けて?

 篠原歌織は、羽藤柚明を好いてくれたけど。それは仕草に言葉に気配にも感じ取れたけ
ど。歌織さんは早苗さんを誰より大事に想うから。早苗さんに悪い噂がまとわりついては
困ると。大事な人を守りたい想いはわたしも分るから。早苗さんを支え守りたい想いは同
じ。歌織さんの望み願いを叶えたい想いもわたしは同じ。

 以降も時折、わたしは不調時の早苗さんに、緊密に触れて癒しを注ぎ。教室でも傍に添
い、手を握り額を合わせ、時に軽く抱き頬合わせ。癒しつつ、霊の祓いと、視える状態の
抑制を。それは早苗さんの力や状態を操るというより、心身に触れて強ばりをほぐし常態
に戻す感じ。

 早苗さんを思い遣る歌織さんも、歌織さんを気遣う早苗さんも、双方わたしの大事な人。
己が纏う種々の噂も異能の力も全て承知で尚、絆を保ってくれた特別たいせつな人。だか
ら。

 広田君が早苗さんに手出しをしてきた時に。
 わたしも歌織さん共々首を挟む事になって。

 学校祭で行うお化け屋敷の参考に、彼が家から借りた干し首は、確かに偽物だったけど。
呪物の紛い物は例え偽物でも、誤認して依り憑くモノがいて、本当の呪力を持ちかねない。

 既にその干し首も幾つかモノが依り憑いて。
 視える人には視える濃さを持ち始めていた。

 心霊を信じず視えもしない広田君は、遊び半分面白半分で。早苗さんの予想外に大きな
反応に悪ノリし、干し首を間近に突きつけ続けていたけど。早苗さんの怯えは本物だった。
単なる怯えという以上に心が恐慌状態だった。

 干し首を取り上げて、暫く彼の行いを妨げ。憑いた良くないモノは密かに贄の力で祓っ
て。教室の隅に座り込んだ早苗さんを抱き起こし。頬合わせ早苗さんの容態を診つつ癒し
を注ぎ。

 付きまとう男の子から、女の子が女の子を守り庇う事は大変だ。歌織さんの手に余る状
況なのは分るから、矢面に立つのはわたしが。それで多少の誤解や噂を、招く事になって
も。

【なんだってぇ! 広田が早苗に手を出すのは、あいつが早苗を好きだからだってぇ?】

 実の処広田君が早苗さんに関るのは、憎み嫌う故ではなくその逆で。秘めた想いを言い
出せず、転校という時間切れが迫って焦って、関って来た。恋心を告げられず、伝える術
を見いだせず、幼子の様にとにかく反応を求め。

 わたしは歌織さんと2人で早苗さんと広田君に話しして。両者の誤解を解いて仲直りを
促し、素直に言葉交わせる状態迄導き。彼が早苗さんを誘った肝試しに、早苗さんの願い
を受けて、わたし達もついさっき迄一緒して。

 早苗さんの答は『ごめんなさい』で、彼の恋は実らなかった。そして早苗さんの渾身の
答を受けて、急遽一緒に泊りたいとの願いを受けて、わたし達は3人女の子の夜を迎える。


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「ただいま、遅くなっちゃった」「お邪魔します、お世話になります」「お邪魔致します。
急なお泊りの申し込みでごめんなさいませ」

 歌織さんはお父様の泰久さんとお母様の稔さんと3人家族。娘とその友人の遅い帰りを、
夕飯抜きで待っていて。挨拶も早々に食卓へ招かれた。前回は夕刻前に訪れて夕飯作りを
手伝った。歌織さん宅と早苗さん宅は夏に一度ずつ泊っていて、歌織さん宅は今回二度目。

「いらっしゃい、早苗ちゃん。羽藤さんも」
「流石に腹ぺこだろう。まずは夕ご飯を…」

 早苗さんは幾度も泊り合っていて馴染みの間柄で。招かれる侭に5人でテーブルを囲み。
わたしと早苗さんが2人並んで、右手に歌織さん、左手に稔さん、向いに泰久さんが座し。

 食卓で話題になったのは、やはり先月に行われた利香さんのお母様・絹枝さんの葬儀の
一件で。あの場には、銀座通小出身の歌織さんと早苗さんも、そのご両親と参列していた。

 視える悩みの相談を受け、その後この異能を怖れられ。やや離れて見守る間柄を約した
利香さんの、お母様の入院を知った時。関知の力は良くない像を視せ。わたしは秋口から、
歌織さんや早苗さん達も心配気味に見守る中、お節介を為し。結果絹枝さんの葬儀の場で
…。

【ゆめいさんの嘘つきっ! どの面下げて】

【あなた、お母さん必ず治ると言ったよね】

 もうすぐ元気に退院するって言ったよね。
 それ迄の間わたしをお母さんに頼まれて。

 どうするの。元気に退院どころか二度と。
 あなた一生、わたしの面倒看てくれるの?

【信じたのにっ……。信じていたのにっ!】

【お母さん、帰って来なかったじゃないの】

【わたしゆめいさんの言う通りにした。お母さんに向き合って、寄り添って。確かに手を
握って早く治ってねと、励まして力づけた】

 寄り添って励ましたら治るってあなたが。
 元気になって退院するって保証したのに。
 わたしもお母さんも騙し裏切る積りなの?

【謝らないで。謝らないで良いから、約束通りお母さんを返して。元気に退院させて頂戴。
それだけで良いの。それ以上求めないから】

【ごめんなさい。わたし、力になれずに…】

 最早誰にもどうにも出来ないのだと、誰かがどこかで納得させねばならなかった。その
役を担うべき者がわたしであるなら。この謝罪が利香さんに絹枝さんの死を呑み込ませる。
最初に彼女に不安の暗雲を招いたのはわたし。故に彼女には全ての禍はわたしが導いた物
で。

【あなた、こうなる事が視えていたのね?】

 お母さんがもうすぐ死んでしまうと予め。
 知ってわたしに、声をかけたんでしょう。

 あなた、お父さんやお医者様より酷い。最初から、廊下で押しかけてきたあの時から全
部分っていたのね。胃潰瘍じゃなく胃ガンだって知ってないと、あんな事は言えないもの。
お母さん死んじゃうって知らないとあんな事。

【死霊や悪霊が視える様に、あなたお母さんの病も苦しみも死の様も、視えていたの? 
それでわたしに知らぬ顔で関ってきたの? 知ってお母さんを何食わぬ顔でお見舞に?】

 ここが級友や大人達の前と言う事も忘れ、

【あなた他人の不幸や死相が視えているの? それともあなたが人の痛みや苦しみを招い
ているの? あなたの一言で今回の禍は始ったのよ。この哀しみも、お母さんの病も死も。
あなたさえ関って来なければ……死神っ!】

 激昂する利香さんを後ろから抑えたのは、

【落ち着きなさい。ご近所や親戚の前だよ】

 父である均さんだった。今は唯一の家族となった娘の激発が、彼女自身に害となる前に、

【母さんの病は羽藤さんの所為じゃない。胃ガンは彼女が詛っても祈っても生じはしない。
誰が悪い訳でもない。彼女が悪い訳でもない。羽藤さんは、利香の不安を一生懸命鎮めて
くれたじゃないか。利香を肌身に抱き留めて】

 納得迄は求めず、振り返って縋る利香さんを正面に受け止めつつ、均さんは沈痛な声で、

【羽藤さん、申し訳ないが。今日はこれでお引き取り頂けないだろうか】【お父様……】

【……だが今は、君が近いと利香が心乱されるんだ。君が悪くない事は分っている。今の
やり取りでは利香に非がある事も……だが母を亡くしたばかりの利香に、理屈は通じない。
利香の暴言については私に謝らせて欲しい】

 何も悪くないのに。均さんも利香さんも何も悪くない。わたしが何も怒ってない以上に、
利香さんの心を乱したのはわたしなのだから。

【お心を乱して、申し訳ありませんでした】

 振り返って、帰途を歩み出そうとした背に。

【羽藤さん……最後に一つ、教えて欲しい】

 未だみんな硬直している中、均さんの声が、

【私は呪いとか予知とかは信じてない方でね。聞いても今迄まともに受け止めて来なかっ
た。特段害もなかったので口出しも。だが、今回の事には少し引っ掛る。応えて貰えるか
な】

 絹枝の病を胃ガンだと、君はいつの時点でどうして分ったんだい? 利香の話しでは最
初に耳に挟んだ瞬間、切迫した表情で絹枝にしっかり寄り添う様に、強く求めたと聞いた。
最後迄隠し続けようと、利香にも絹枝にも明かさなかった、医師の他に私のみが知る事を。

【……胃ガンの確証は、ありませんでした。
 唯、耳にした病名が、気になったんです】

 わたしは多くの視線を感じつつ振り返り、

【胃ガンを告知出来ない人に、入院手術の表向きの病名を、胃潰瘍だと告げる例があると。
病の真相を伝えて生きる気力を奪わない為に、お医者様と相談して軽い病の如く装うと
…】

 ……その可能性を感じたので……利香さんにしっかり寄り添って、貴重な時を一緒に過
ごしてと促しました。本当は唯の酷い胃潰瘍かも知れない。一月で治って退院出来るかも
知れない。でも、例えそうであっても入院する程に酷いなら、肌触れ合わせ励ますべきと。

【確かな事は分りませんでした。だからそれ以上利香さんの不安を煽る事は言えず、お父
様やお医者様の判断を壊すかも知れない事も言えず。理屈抜きで、わたしの想いを利香さ
んに押しつけてしまいました。利香さんには煩わしく、申し訳なかったと想っています】

 わたしは小学3年の時に父も母も亡くしています。少女連続傷害犯に襲われたわたしを、
身体を生命を抛って、守ってくれたその末に。

【わたしはその最期に立ち会う事も出来ませんでした。死なないでとも、帰ってきてとも、
わたしの為に生命失わせてごめんなさいとも、守ってくれて有り難うとも、伝えられず
に】

【せめて利香さんには、心残りが少ない様に。失った後でその尊さに気付くのではなく、
その前に気付いて欲しい。答を返せない墓石や位牌に謝るより、生きて聞ける内に直に耳
に届けて欲しい。失う哀しみはなくせないけど、失う前に何かできたという悔いは避けら
れる。出来る事を為さず永遠にその機会を逃す悔しさは、誰にも味わって欲しくない。だ
から】

 余計な事と知って。出過ぎた真似と承知して。家族の領域迄踏み込んで、利香さんを傷
つけ哀しませました。本当に、ごめんなさい。

【そして、有り難うございます。お父様…】

「……賢明な応対だった。ウチの歌織と同じ歳の女の子が、あの緊迫した状況で、己を見
失わず相手を傷つけず、最善の答を探し出せるとは。常の大人にも難しい対応だった…」

 泰久さんの言葉に稔さんも頷きで応えて。
 でも少しの不安も仕草や声音に滲ませて。

「色々な噂は耳にしたけど、あなたの応対を直に見て言葉交わして、歌織だけじゃなく早
苗ちゃんも確かに信を寄せた女の子だから」

 わたしとの関りが、歌織さんに禍や噂を呼ぶ事を、稔さんは怖れた様だけど。泰久さん
と早苗さんの反応を見て、歌織さんの様子を見て、最後は羽藤柚明を見定めて受容を決し。

『朝松(均)さんの最後の問を、詰問として捉えず、丁寧に応えて感謝できる処は凄い』

【そして、有り難うございます。お父様…】

 均さんがあの場でわたしに問うたのは、問い詰めたかった故ではない。問う事でわたし
に弁明の場を、誤解を解く場を与えてくれた。

 憤激の余り利香さんは、わたしの異能を大人多数の前で明かした。離れて関るとの約束
を破ったわたしに対し、彼女はわたしの同性愛の事実を漏らしたけど。それは未だ影に隠
れた子供の世界の事だ。この時はそれも大きく超えて。わたしより羽藤の家に迷惑が掛る。
愛しい双子を育む場が好奇の視線に晒される。

 大人達もその告発を、額面通りには受け止めないだろうけど。奇妙な力を持つと非難さ
れた娘の印象は残る。暫く噂を囁かれる。それは視えていたけど、傷心の利香さんに今理
屈で反論は出来なくて。その事を均さんは分って察し気遣って、弁明の場を与えてくれた。

 羽藤柚明の応対は、利香さんの罵声と共に暫く噂になっており。2人の心にも留まって。

 ご両親の相談は推察できる。意識して力を発動し、読む覗く迄しなくても、身近にいれ
ば自然に悟れる。話題がわたしの事なら特に。

『霊能や同性愛の噂は私も好まないが……あの応対は凄い。徹頭徹尾朝松さんの娘を案じ、
罵詈雑言を浴びても静かに柔らかで。友を傷つけない為に、思い遣る故に敢て反論をせず、
泥を被り。あの優しさ強さは尋常じゃない』

 羽藤さんは是非友達に迎えたい人だと想う。
 泰久さんの印象に稔さんはやや惑う感じで。

『……確かに唯綺麗で芯が強いだけじゃなく、優しく賢く柔らかで、好ましい女の子だけ
ど。良くない噂以上に、歌織が親密過ぎるのが心配で。まるで彼女に憧れ恋しているみた
い』

『それは、結城さんとの間でも心配していた事だろうに。親しい仲ならあり得るさ。彼女
とだけ親密な歌織を案じていたのは稔なのに。3人なら恋仲と誤認もされなくなるし、本
人の意識も変る。……子供の関係に親が介入するには、余程の事がなければならない。今
はそれ程に差し迫った状況ではないと思うが』

『そうね、3人ですものね……わたしも羽藤さんは逢ってみて、良い女の子だと思うし』

 2人きりではない事と、早苗さんが羽藤柚明に好意的な事が、稔さんの受容も後押しし。
前回歌織さんも誘って夕ご飯作りを手伝って、打ち解けて貰えた事もポイント高かった様
で。

「霊能や同性愛等の良くない噂を幾つ纏わせても、君が悪意な存在でない事は逢えば分る。
君が大事に想った人に禍や害を及ぼす人間ではない事も。……唯、親としてはどうしても
心配過剰でね。信じていても尋ねてしまう」

『噂の幾つかは真実かも知れない。稔の懸念は或いは当たっているのかも。でも例え噂が
本当だとしても。親が切り離してしまうには彼女は余りに惜しい。結城さんにしか心を開
かなかった歌織が、漸く見つけた貴重な友だ。

 情愛の深さ、視野の広さ、先々を見通せる賢明さ、冷静で優しく柔軟に強い心の在り方。
同年代にこれ程の人物は望めまい。傍で親しく触れ合えば、歌織の成長に寄与できる…』

 泰久さんは一抹の不安を抱きつつ、羽藤柚明を深く信じ。稔さんの不安をも鎮めようと。

『彼女は歌織を心底大事に想ってくれている。見て逢って、言葉を交わした彼女の在り方
は、信頼に足る。これはむしろ稔とわたしが安心したいが為の、安心させて欲しいとの求
め』

「不束者だが……ウチの歌織を宜しく頼む」
「歌織を涙させる様な事は、しないで頂戴」

 まるで歌織さんを娶る事を許す様な感じ。
 歌織さんも早苗さんも目を見開いたけど。
 でもご両親の想いはわたしこそ良く分る。

「歌織さんは、羽藤柚明のたいせつな人…」

 強く優しく友達想いな特別にたいせつな人。
 こんなわたしに心を開き友に迎えてくれた。
 身と心を尽くして守り支えたい、大事な人。

「唯一のとは言えないし、一番とも二番とも、言う事できないわたしだけど。泰久さんも
稔さんも、早苗さんも羽藤柚明のたいせつな人。歌織さんのたいせつな人は、歌織さんを
たいせつに想うわたしにとってもたいせつな人…。

 皆さんの望みや願いや幸せを、叶える力の1つになりたい。この身で役に立てるなら」

 ご両親に不安を抱かせた己の今が情けない。
 良くない噂を纏わせた身の不徳が口惜しい。

 なのにこんなわたしを泰久さんも稔さんも。
 早苗さん迄もが強く信じ求め望んでくれて。

「有り難うございます。わたしは至らない身ですけど、頂いた信頼に応える為に誠心誠意
尽くします。そして、不安や心配を与えてごめんなさい。今後は叶う限り、誤解や噂を呼
ぶ行いは控えます。皆さんに害が及ばない様に務めます。歌織さんを涙させる様な行いは
致しません。わたしの願いはたいせつな人の幸せ。わたしがそれを脅かすと思えた時は」

 いつでも告げて下さい。わたしは皆さんの最善を選びます。わたしが歌織さんの害や禍
となるなら、絆を断たれる事も。わたしは子供で視野が狭く考えが浅い。大人の思慮には
及びません。歌織さんを想うお父様とお母様の言葉なら、どんな答にも従います。そして。

「例え絆を断たれても、歌織さんも泰久さんも稔さんも羽藤柚明のたいせつな人。一度た
いせつに想った人は、いつ迄もわたしのたいせつな人。その幸せを守り支えたい愛しい人。
 わたしこそ未熟者ですが、己の限りを尽くします。尽くさせて下さい。お願いします」

 深く下げたこの頭に降り注いで来た声は、

「勿論だよ、柚明は私のたいせつな人だっ」

「こちらこそ、長い付き合いを宜しく頼む」
「歌織のこと、宜しくお願いね。羽藤さん」

「柚明さんはわたくしのたいせつな人です」

 家族の団欒に包まれて、晩秋の夜は更ける。


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


 篠原家は夫唱婦随で、羽藤柚明を受容してくれたけど。結城家は逆に、婦唱夫随だった。
早苗さんのお父様・正朝さんは、娘と同じ位視える人で。その事情は知った上で、人の噂
を嫌い、視える事実を固く秘する方針でいて。

 以前は歌織さんにも事を隠そうとしており。更なる部外者の介在を厭い。わたしが異能
の力で早苗さんを助けた話しを聞いても困惑を。

【私は君と早苗を余り関らせたくはなかったのだが……早苗が断固として譲らなくてね】

 早苗さんもその母・美穂さんも歌織さんも。
 揃って黙し、言葉を挟めない夕飯後の席で。

【君は他の視える人全てにも、早苗に為した様に、助けて関ろうと考えているのかね?】

 いいえ。わたしはかぶりを振って否定して。

【全ての人を助ける事が不可能である以上に。
 わたしが修練途上の未熟者だという以上に。
 この力が衆目に晒される事を望まないので。

 わたしには、守りたい一番たいせつな人がいます。桂ちゃんと白花ちゃん、わたしより
濃い血を引いた幼い双子。2人を育む場の静謐を、好奇の目線で掻き乱される事は望みま
せん。面白半分な人に踏み込まれる事も…】

 わたしは今迄も、異能の力の所持も行使も、隠してきました。この力を頼られた時も人
目を避けて処置して、互いに秘密を約してきました。早苗さんには自ら関ってしまったけ
ど。今後も人前でこの力を晒す積りはありません。

『早苗さんを助けたのは、たいせつな友達でも自ら異能を見せたのは、愚行かも知れない。
慎重に人を見定めた積りだけど。不用意に人に関って力を晒し、衆目を集める怖れを顧み
ない愚か者と、見られても無理ないのかも』

 助けた相手が秘密を保ってくれるとは限らない。中学生の子供が完全に秘密を守り通せ
るとも限らない。利香さんの時の様に。解決された結果を辿るだけで、察しの良い人なら
それらを鎮めた異能の所在や為した者を悟る。

 正朝さんの怖れは、力を持つわたしと関った結果、わたしを通じて早苗さんの事情が晒
される事だ。わたしの異能が人目に明かされた末、芋蔓式に早苗さんに禍や害が及ぶ事だ。

 視える人だけに、娘が世間の視えない大多数から隔絶される事を強く怖れ。仲間が出来
ると言うより、力の発現が目立つ事で、娘が世間で生きる基盤を壊されかねないと危惧し。

 利香さんも普通である事を強く望み、人と異なる事を厭い嫌い。わたしの力に頼りつつ、
視える資質を鎮めも潜在化もできる羽藤柚明を最後は怖れ。視える・力があるからと言っ
て、友になれる・親しくなれるとは限らない。

【わたしの力が今の世間に受け容れられ難い事は分っています。そしてわたしは一番たい
せつな人の育つ場の静謐を、守らなければならない。わたしが人の為に尽くせるのは、幼
い双子の未来を危うくしない範囲でのこと】

 誰彼見境なく助ける訳ではない。力を示して評価を得たい訳でもないし、助けて感謝さ
れたい訳でもない。助けた結果があれば良い。むしろ誰が何をしたか悟られぬ方がわたし
は。

 わたしはむしろこの異能を秘匿したい側で。
 妄りに力を使って目立つ事は厭い嫌う立場。

【早苗さんに力を及ぼした事は、わたしの浅はかさでした。たいせつな人だから。強く優
しく柔らかな、支え守りたい綺麗な人だから。不調に苦しむ早苗さんを見て、力になりた
い、役立ちたい、助けたい。その想いを巧く届かせられなかったのは、わたしの至らなさ
です。幾重にもご心配を招き、申し訳ありません】

 想いはあっても、知恵がなければ手段を誤って届かせられない。想いはあっても、力が
なければ手段が正しくても尚届かせられない。

 わたしは結局早苗さんも歌織さんも、一番に想う事は叶わない。幾ら清く暖かな想いを
受けても、2人を最優先には想えない。そんなわたしが傍に添う事が、早苗さんの禍や害
になるとお考えなら。早苗さんの幸せには役立てないと。お父様お母様が判断するなら…。

【絆を断たれる事も望みます。早苗さんから頂けた強い想いに、何も返せない内に絆が終
る事は残念だけど。早苗さんの為に出来る最良が断絶なら、いつでも今でも告げて下さい。
男にも女にも二言はありません。従います】

 わたしは絆を断たれても、早苗さんも正朝さんも美穂さんも、たいせつに想い続けます。
一度たいせつに想った人はいつ迄もわたしのたいせつな人。幸せを守り支えたい愛しい人。

 その上で何か困難生じれば、わたしで役に立てるなら。いつでも助けさせて、力になら
せて。これはわたしの願いで望み。わたしの側の絆は繋っています。安心して断ち切って。

 わたしは心を返して欲しいから想いを抱く訳ではない。想いを返される前提で人を愛す
訳ではない。相手の幸せを守り支えたいだけ。返しがなくても断ち切られても、わたしの
想いは途切れない。利香さんも聡美先輩も絆は切れてもたいせつな人。一度たいせつに想
った人は、羽藤柚明にはいつ迄もたいせつな人。

【……あなた、もう良いでしょう】【美穂】

 静寂の中でこうべを垂れ、答を待つ姿勢になって拾数分。脇に控え、夫に話しを委ねて
いた美穂さんが、やや砕けた語調で声を挟み。結城家では美穂さんは唯一視えない人だっ
た。早苗さんの資質は正朝さんから継いだらしい。

【早苗と同じ歳の女の子を、大人が本気で問い詰めるなんて。早苗を嫁に下さいって言う
男の子を、問うて試している様な厳しさよ】

【今後にも響く早苗の世間との関りの問題だ。歌織さんの時の様に、秘密をお願いして終
る話しでもなかろう】【それは分りますけど】

 正朝さんの旗色が悪い印象がある。声の感触は軽妙だけど、話しは美穂さんが主導して。

【で、如何です? 羽藤さんは早苗を任せられる人だと納得できました?】【う、うむ】

 促されて面を上げたわたしに泰久さんは、

【世の中には取り返しの付かない失敗もある。過去はやり直しが利かない。早苗より私よ
り力の強い君だが、その故に危うさが潜む…】

 今更過去の失策をなかった事には出来ぬ。
 人は今迄の積み重ねの上を歩み行く者だ。
 だから。正朝さんは尚も渋い表情と声で。

【今迄の失策を出来る限り挽回し、今後同じ失策を繰り返さぬ様務める他に術はなかろう。
今更君と早苗を無関係に戻す事も出来ぬなら、君達が関っている今を起点に考えるべき
だ】

 娘を、早苗を助け支えてくれて有り難う。
 彼は美穂さんと共々わたしに頭を下げて。

【君の器量を試す様な問を発して申し訳ない。視える早苗の近くに、視える者がいて互い
に刺激を受け合ったり、それが当たり前の様な錯覚で、事情が外に漏れ出る事が怖くて
ね】

 君が力を顕示したがる人間か、不用意に人助けに出て事情を暴かれるタイプではないか。

【君にその怖れが少ない事は分った。君が不用意に早苗を助けて関ったのは、親バカな表
現ながら『それ程娘が可愛くて、苦しむ様を放っておけなかった』と言う事なのだろう】

 そこはその通りなので頷くと、正朝さんは美穂さんと視線を合わせて、少し緊張を抜き

【早苗を助けてくれた礼を後回しして申し訳ない。だが君はその非礼に憤らず、娘を案じ
る親の想いに応えてくれた。助けた事を恩にも着せず、私の不安や怖れに真摯に応え…】

 彼の心配は利香さんの罵声で現実になったけど。正朝さんも美穂さんもわたしの応対を、
最善だと了承してくれた。早苗さんの視える資質を知るのは、今も歌織さんとわたしだけ。

【想定を遙かに超えた答をくれた。君になら娘を委ねられて、預けられる。こんな言葉は、
結婚を申し出てきた男にでも言う台詞だが】

 改めてこれから私達の娘を宜しく頼みたい。
 正朝さんと一緒に美穂さんも再度頭を下げ。

 顔を上げて下さいと。わたしはその様な者ではありませんと。慌てて促すと美穂さんが、

【ごめんなさいね、うちの人は決してあなたもその視える力も嫌っている訳ではないの】

 早苗を大事に想うから、つい女の子相手に本気で追及し。でも、あなたは切り抜けてく
れた。ここ迄情愛深い答が返るのは、予想外だったけど。ありがとう。あなたは早苗だけ
じゃなく、わたしや夫迄大事に想ってくれて。

 静かだけど揺らがぬ意志が早苗さんに似て。
 傍の歌織さんも早苗さんも驚きに目が点で。

【娘を大事に想う以上に、うちの人は視えない人達・世間を怖れ疑う処があってね。もう
少し個々の人の善意や親愛を信じて良いと想うの。心を強く繋げば、人によっては信じて
も良い。わたしがこうして添い遂げた様に】

 それを例に出してはわたしは早苗さんと…。

【いずれにせよ、夫もわたしもあなたを早苗の大事な人として、迎え入れました。歌織さ
ん同様、柚明さんも今からわたし達の家族】

 宜しくお願いしますと、手を取って頼まれ。
 わたしも手に手を取って、お礼を述べて…。

 わたしは双方のご両親に受け容れて頂けた。
 諸々を承知でわたしの在り方を信頼された。

 だからわたしは歌織さんと早苗さんの幸せに己を尽くす。2人の日々の笑顔が途切れぬ
様に。2人の望みや願いが少しでも叶う様に。2人を涙させ哀しませる様な事は絶対しな
い。


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


 篠原家のお風呂に、中学生の女の子3人が入ると結構狭く。密着感は好ましかったけど。
その故に互いの胸の成長度合が、余さず情報開示され。わたしが一番子供だと知らされた。

 早苗さんの胸も、わたしのよりやや大きく。夕維さんと同じ位はある。わたしも『つる
ぺったん』『大平原』ではないけど。暫くは和泉さんが慰めの友か。見られるのが恥ずか
しいのではなくて、恥ずかしくて見せられない。この近接した間合では否応無しだったけ
ど…。

「柚明さんのも可愛くてわたくしは好きです。歌織ちゃんの様に大きいのも好ましいけ
ど」

 歌織さんの大きさには、傍で見て改めて圧倒された。サクヤさん程はないけど、真沙美
さん位はある。早苗さんも思わず覗き込むと、

「ちょ……恥ずかしいよ」歌織さんは困惑し。
「余り、嬉しくないの?」わたしが尋ねると。

「女っぽい装いは苦手だから、胸は強調したくないのに。何かこう、慣れない感触はむず
痒いよ。早苗に寄り添うにも『女同士』より『男っぽい』方が、見た目に自然だろ…?」

 俯く歌織さんを前に早苗さんも目を伏せる。

 静かで淑やかな早苗さんの傍に立つには。
 凛々しく守る姿勢を保たねばならないと。

 柔らかに育ち行く肢体を後ろめたく感じ。
 悩む事も困る事も己を蔑む事もないのに。

 早苗さんも歌織さんに男の子は求めてない。

「余り拘らなくて良いと想う。男の子っぽくても女の子同士でも、歌織さんが早苗さんを
好いた気持は同じでしょう? 早苗さんも歌織さんも、女の子が惚れ込む程に綺麗だもの。
好いた人の傍に添って心通わす事は悪くない。形に余り囚われず、己の心に素直になっ
て」

 男の子でなければ早苗さんを守れぬ訳ではない。男の子でなければ傍に添えない訳でも。
女の子にも為せる事はある。好いた人の力になり守り庇う術はある。むしろ豊かな資質を
鎖す姿勢や自己卑下は、歌織さんの強さ美しさを奪い去る。彼女自身の望み願いも見失わ
せる。それは歌織さんにも早苗さんにも不幸。

「無理に女の子する必要はないと思う。無理に男の子する必要がないのと同じ様に。篠原
歌織はその侭で優しく綺麗で心強い素晴らしい女の子。人目は多少考えるべきだけど…」

 時には、己が何者かより何をするかが大事。
 わたしの言葉に、早苗さんも頷いてくれて。

「柚明さんの言う通りだと、わたくしも想います。そんな印象を抱きつつ、今迄確かに言
えなかったのはわたくしの咎です」「早苗」

「今迄庇い守ってくれる歌織ちゃんに、わたくしが甘えていたのかも。男の子っぽくしな
くて良いと告げて、今の関係が壊れると怖れ。その次の関係を作る事も考える事も怠っ
て」

 豊かな女の子になって行く歌織ちゃんを。
 わたくしが無理に男の子っぽく引き留め。

「ごめんなさい。わたくし、自身の一番綺麗な人に、己の怠惰で無理や負担を強いて…」

「謝らなくて良いよ。私は好きでやってきたんだから。それが本当に早苗の望みかどうか、
突き詰めて考えなかったのは私の落ち度だ」

 歌織さんは、沈み掛けた空気を払拭する元気な声で。わたしに視線を話しを振ってきて、

「私も柚明を傍で見て色々考えさせられたよ。女の子の柔らかさの侭で、女子にも男子に
も優しく賢く粘り強く、時に凛々しく力強く」

 誰にどんな噂を流されても、時に助けた当人に裏切られ罵られても、大事に想い続ける。
強さは男っぽさを装う事とは全く別物だって。柔らかく優しく静かな侭で賢く強い。柚明
は、

「私達2人の愛しい人だ」「全く同意です」

 近しすぎると却って視えなくなる物もある。
 大事に想うから伝えづらい想いを抱く時も。

 愛しい2人が更に深く強く想いを繋ぐのに。
 少しでも役に立てるなら、わたしの幸せ…。

 湯浴みの後は3人で、女の子の夜を迎える。


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


【今回の事は全てわたしが責めを負います】

 広田君の早苗さんへの告白の失敗を前に。
 わたしは床に膝と両手を付いて頭を下げ。

【早苗さんにも、歌織さんにも、広田君にも、ごめんなさい。みんなの間に、怒りや疑念
や行き違いを招いた原因は、わたしにあります。わたしがみんなに償います。許して下さ
い…。
 広田君の受けた心の傷を、元通りには出来ないと想うけど、出来る限りの事はします】

 早苗さんも歌織さんも悪くない。そう了承して頂いた上で、許して頂けるならわたしが。

【柚明、あんた!】【柚明さんっ……】

【いいのかよ。俺は男で、お前は女なんだぞ。そんな事気軽に言って、本当に俺が求めた
時、お前応えられるのか? もし俺が結城に望んだ事を、代りに受けろと言ったら、お前
…】

【それで許して頂けるなら、自ら望みます】

 あなたを一番にも二番にも想う事の出来ないわたしだけど、あなたの為に尽くさせて…。

 緊張と沈黙の中、広田君の口が開いた瞬間。

【羽藤、俺はさ】【ダメですっ!】

 彼の声を遮ったのは、歌織さんの腕を抜け出し、正座のわたしに取り縋った早苗さんで。

【柚明さんが良いと言っても、わたくしが】

【……結城】【早苗さん】【早苗……】

【柚明さんは、歌織ちゃんと同じく結城早苗の一番綺麗な人です。お2人を想い返した時、
広田君に身を委ねる事が出来なくなりました。わたくしは歌織ちゃんと柚明さんに、お友
達以上の好意を抱いているのかも知れません】

 だからこそ、その清らかさが失われる様を、黙って見てはいられません。どんな事情や
理屈があっても、わたくしの綺麗な人が、目の前で汚されるのは嫌です。どうしても嫌で
す。

【お願い。柚明さんを奪ってしまわないで】

 わたしは今宵早苗さんにこの唇を守られて。
 今その唇を早苗さんに重ね合わされていた。

 わたしを中央に左に早苗さん、右に歌織さんが身を横たえた夜の一室で。右向きになっ
た早苗さんは、さっきの肝試しの話しを振り返り『償って下さいますか?』と尋ねてきて。

『みんなに償いますって約束だもの。男にも女にも二言はないわ。広田君は思い留まって
くれたけど、早苗さんと歌織さんには償えてない。早苗さんには守ってくれたお礼も…』

「ではお願いします」躙り寄ってきて一息に。
「早苗っ……?」歌織さんが驚きに絶句する。
 唇を閉ざされたわたしも驚きで答が出ない。

 早苗さんは綺麗で愛しい人だから、わたしも厭いはしないけど。確かな意志で為した所
作を、拒む積りもないけど。でも女の子同士という以上に、間近に歌織さんがいるのに…。

「早苗さん……?」「償って、頂きました」

 早苗さんは微笑みつつ、一瞬だけ歌織さんに瞳を向けてから、再度わたしに視線を落し、

「柚明さんの罪は今日昨日に始る事ではありません。わたくしはずっと貴女に心惹かれて
きました。歌織ちゃんしか知らず、迷いも躊躇いも知らなかったわたくしに、重大な罪を
教え。他の誰かに、恋い焦がれるなんて…」

 柔らかな両の手で、羽藤柚明を組み敷いて。
 抵抗を許さぬ姿勢は想いを届けたいが故の。

 今暫くは抗わず、その正視を正視で受けて。
 右脇の歌織さんも含め微かな緊張が走る中。

「柚明さんはわたくしの二番目に綺麗な人」

 貴女の罪は、わたくしに貴女への憧れを植え付けた事です。わたくしも歌織ちゃんも一
番に想う事がない羽藤柚明を、同じ歳の女の子を、わたくしは心底惚れて好いてしまった。

 優しく綺麗で賢く静かに柔らかく。情愛深く進んで誰かの盾となり、相手の事情をしっ
かり聞いて汲み取って、困難に悩みに怖れに手を携えて立ち向かってくれる、凛々しい人。

「整理を付けられないでいました。ずっと唯1人を想ってきたわたくしは、心決める事で
誰かを傷つけると怖れ、女の子同士を拒まれては己が傷つくと怖れ、決める事を先延ばし
して。それは歌織ちゃんにも柚明さんにも申し訳ない事でした。最も愛しい人なのに…」

 柚明さんがわたくしも歌織ちゃんも、一番にも二番にも出来ない事は知りました。その
上で身を投げ出す程の愛を注いでくれました。だからわたくしにも応えさせて。貴女の想
いにわたくしも、叶う限りの想いを返したいの。

「わたくしの一番綺麗な人は歌織ちゃんです。
 貴女を一番に想う事はわたくしも叶わない。

 でも貴女はわたくしに罪を教えた。一番でも二番でもない相手でも心から愛せるのだと。
三番以下のその他大勢の為でも。身を抛って助け庇い守り尽くす事は出来るのだと。これ
こそがわたくしの生涯で最高の衝撃でした」

 もう一度、早苗さんは組み敷いた姿勢から唇をわたしに向けて、ゆっくり下ろしてきて。

 歌織さんの前で、深く強く繋いでから離し。
 わたしの上に身を起こして歌織さんを向き。

「歌織ちゃんに最も聞いて欲しかった。わたくしは好いた人に酷い事をしています。一番
好きと言いつつ、その目の前で二番に好きな人への想いを遂げ。これが真の結城早苗です。
こんなわたくしは、ふしだらで許せないですか? 嫌いますか? 女の子同士である以上
に、一番ではない人に肌身許す女の子は…」

 触れた早苗さんの肌身が微かに震えていた。
 告白以上に答を貰う瞬間こそ最も緊迫する。

 瞳を向ける早苗さんに歌織さんは正面から。
 言葉なく近づいてきて立ち膝で向き合って。

「篠原歌織の一番綺麗な人は、結城早苗だ」

 歌織さんはわたしに触れたばかりの早苗さんの唇に、一気に触れて強く重ね。言葉と仕
草の全てで受容された早苗さんの瞳が揺れる。

「早苗を柚明に盗られる事に汲々としていた。柚明が早苗を一番に想わなくても、その深
い愛に早苗の心が奪われていくと怖れて。私の視線も時に柚明に引きずられるのが分るか
ら。私が柚明を深く好いていくのが分ったから」

 早苗が柚明を愛するなら、それも良いと思えていた。柚明は早苗が惚れ込む程、私が惚
れ込む程にいい女だ。心惹かれるのも当然だ。柚明が早苗も一番にしないのは癪だけど、
早苗が納得できるなら、それが早苗の幸せなら。一番じゃなくても心底綺麗に想える人は
いる。一番じゃなくても早苗の綺麗な人に容れて貰えればそれで良い。そう思っていたけ
どさ…。

「柚明の前で悪いけど。やっぱり嬉しいよ!
 一番好いた早苗に一番って言って貰えた。
 私も二番に愛した柚明の前で一番だって。

 唇合わせるのは初めてじゃないけど、今のが人生で最高に嬉しかった。ありがと早苗」

 嬉し涙を溢れさせていたけど、子供の様に嬉しがっていたけど、今の歌織さんが今迄で
一番凛々しく見えた。2人はわたしの体の上で抱き合って、暫くの間感極まって頬合わせ。
2人はわたしを二番目に想い、素肌を唇を重ねる事を互いに認め許し、その愛を喜び合い。

「羽藤柚明は篠原歌織の二番目に綺麗な人」

 今度は歌織さんの唇がわたしに向けて降りてきて。でもそれは、早苗さんとの間接キ…。

 拒みはしないけど。忌み嫌う筈もないけど。

「わたし、2人のお父様お母様に、あなた達を哀しませる様な事は、絶対しませんって」

「それなら答は簡単です。わたくし達の想いを受けて下さい。一番ではないけど心底憧れ
たわたくし達の親愛を。そうでなければ…」

「私達を哀しませる答はないよね、柚明?」

 女の子の夜に、否の答は出る筈もなかった。


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