白花の咲く頃に〔丁〕(後)



 凄絶な覚悟だった。僕達を深く愛する故に、ゆーねぇも羽藤の家族と時を重ねたい想い
は強く深い。その想いを分るから。それを抛って桂や僕の未来の為に、自身の未来を封じ
の要に捧げる。ゆーねぇに全く咎はなく、あるのは僕と桂なのだ。僕が己の為した事の責
任を取る為にご神木に宿るのと訳が違う。拾年かけて状況を呑み込んで来た僕とは訳が違
う。

 なのにその決をゆーねぇは、瞬時で下し終えて微笑んで。その柔らかな笑みが心に痛い。

【だから、全てを捧げ尽くし、干涸らび朽ち果てても、あの2人がそれを苗床に元気に巣
立って行っても、悔いはないの。幸せなの】

『桂ちゃん、白花ちゃん。わたしは、いつでも、ここにいるわ……いつ迄も、いつ迄も』

【わたしに真に大切なのは、わたしが生きる値であるあの双子の微笑みで、わたしが生き
る目的であるあの双子の守り。その為ならわたしは何度でも命を捧げられる。その為なら
わたしは悠久の封印も耐えられる。わたしは本当に血の一滴に至る迄、その最後の一滴に
至る迄、生贄の一族の思考発想の持ち主だ】

 桂ちゃんと白花ちゃんがこの世で1番たいせつなひと。わたしの全てを捧げ尽くすひと。

 ゆーねぇは僕達への愛に殉じて人生を抛ち。
 希望を未来を僕達のそれと差し替えて守り。

『……叔父さん、叔母さん、お願いします』

 でも主の蘇りはゆーねぇの予測よりも早く。
 ゆーねぇは母さん父さんに、最後の願いを。
 ここからが本当に取り返しの効かぬ僕の咎。

『最後のお願い……。わたしを、斬って!』

 この侭じゃ時間が掛りすぎる。主が、主が出てこようとしているの。主が出てきてしま
った後で封じを立て直しても、意味がないわ。

『わたしの生命力を低下させて、同化を急かすの。それしか間に合わせる術はない。その
破妖の太刀で、わたしを斬りつけて!』

 どちらにせよ槐と同化して失うこの身体。
 これからは同化して一つになるこの生命。

『わたしの一番の幸せは、わたしの大切な人がみんな、涙を零さず笑みを絶やさず、日々
を暮らして行く事だから。桂ちゃんと白花ちゃんが陽光の下で微笑んで過ごす事だから』

 でも母さんにゆーねぇを切る事は出来ず。
 ゆーねぇは代りに父さんを促し切らせて。

 あぁ幼い僕もその事情を分っていたなら。
 よりによって幼い僕はこの瞬間に目覚め。

『お父さんが、ゆーねぇを、斬った。
 お父さんが、大好きなゆーねぇを』

『ゆーねぇを、叱らないでって言ったのに。
 ゆーねぇ悪くないのに。悪くないのにっ』

『はくかは、いくらでも謝ったのに。
 はくかはいくらでも叱られたのに。

 どうして、ぼくのたいせつな人を!
 嫌いだ。お父さん、大っ嫌いだぁ』

 憤怒と憎悪が幼い僕を染め抜いて、鬼の心に共鳴した。主は、全て出る事は叶わなかっ
たけど、外界に引っかけた『手』に当たる部分が漏れ出でて。他の部分と切り離されても、
それは主の分霊として宿る依代を捜す。幼い僕は怒りに囚われて、それを受容してしまい。

 赤く輝く視線が空腹を満たそうと周囲を見れば、贄の血が同じ位濃い小さな獲物が1人。

「止められなかったのは、わたしの落ち度」

 この時のゆーねぇに落ち度等ある筈がない。
 ゆーねぇはご神木に同化途上で全く動けず。

 主の分霊を引き寄せ宿らせたのはこの僕だ。
 この夜の落ち度も罪も全てはこの僕にある。

『声も出せない。感応も届かせられない…!
 ゆーねぇを、助ける為の手が伸ばせない』

 分霊の意の侭に、僕の右腕が凶器となって妹に伸びる。幼子の腕でもそれは鬼の強化で
熊程の威力を持ち。桂は無防備で全く動けず。

 その前に立ちはだかった父さんの右脇腹に。
 僕の右腕は抉る様に食い込んで鮮血を噴く。

 桂は鬼の気に当てられてその場で気を失い。
 母さんが駆け寄って来ると主は一旦退いて。

 幼子の体では母さんに勝てないと考えたか。
 僕の意図に構わずこの体を操って逃げ走り。

『おかあさん、おとうさん、助けて、痛いよ。
 ゆーねぇ、鬼が、鬼がぼくの中にいるの』

 僕は己が無知無力ではダメだと知らされた。
 自身の意思を表して貫ける強さがなければ。

『そんな事はしたくなかったよ。父さんごめんなさい、生き返って。頭が痛い、痛い…』

 あの夜僕が主の分霊に逆らえなかったから。
 僕は何人たいせつな人を手に掛け傷つけて。

『体が勝手に動くの、僕じゃない。助けて。
 いたいよ、いたいよ。苦しいよ、助けて。

 とって。はくかの頭の中の、鬼を取って』

 僕は羽藤の家に戻れず。父さんは僕の与えた深手でまもなく息絶え。桂は赤い痛みに記
憶を鎖し。母さんは過去を思い出すと心壊れる桂の為に、羽様を離れ。賑やかだった羽藤
の家は無尽の廃屋に。そして、一番たいせつな人は。僕が最も想い憧れた美しい女の子は。

 山奥のご神木に独り取り残され、無情に過ぎ去る日々を鬼神のみを伴に過ごし。人とし
ての幸せや自由や未来と引替にして。最早守るべき羽藤の家が、取り戻せないと分っても。
目の前で瓦解して行く様を見て、尚心崩れず。終りも見えぬ封じの要を、粛々と引き受け
て。

 その拾年やこの夏の経緯も、ゆーねぇは刑事に大部分を見せ。ご神木の視点には、事件
現場を何度も訪れた刑事の姿もあって。ゆーねぇには、2人は初見の人物ではなかった…。

「封じの要はこの夏から白花ちゃんが継いでいます。わたしの力不足と不甲斐なさの故に、
本来はわたしが為さねばならないお役目を」

 いつの間にか男達の頬も涙で濡れていた。


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


 過去を開き終えたゆーねぇの前で、刑事達は我に返り。ゆーねぇのこの拾年の在り方や、
彼らが槐を訪れた姿迄見せられ。それは人の世の諍いや禍を見てきた、彼らの想定を凌ぎ。

 ゆーねぇは沈痛な面持ちで声を紡ぎ続け。

「拾年前に叔父さんを殺めた腕は、白花ちゃんの腕でした。でも、彼に罪はありません」

 少年法を云々する以前に、心神喪失を云々する以前に。彼の体は、彼の物ではなかった。
多重人格などではありません。彼に全くその意図がなくても、体を奪われ逆らえなかった。

「鬼の禍は人の法では裁けない。ご神木に手錠を掛ける事も、法廷に呼び出す事も、牢に
入れる事も出来ない様に。この罪に裁きや罰や償いを求めるなら、その相手は彼の体を生
命を力に変えて託された、このわたしです」

 でも、わたしは桂ちゃんを支え守る事を彼に託されました。彼には叶わない妹の守りに、
愛しい彼の願いに、わたしは己を尽くしたい。桂ちゃんは、拾年来の心の深傷を癒す途上
にあります。拾年寄り添ってあげられなかった、涙止めてあげられなかった、たいせつな
人…。

「我々に、捜査から手を引けと?」「はい」

 ゆーねぇは刑事に深々と頭を下げて。この真相を公に明かさず、迷宮入りにしてと願い。
無謀に過ぎる程の正面突破だったけど。でも。

 沈黙は彼らの迷いを示していた。彼らもゆーねぇに視せられた像に、少なからず動揺し。

「あんた、何で俺達にそこ迄真相を話す?」

 それらは話しちゃ拙い以上に、話しても信じて貰えない中身だろう。頭の硬い警察から、
罪を逃れようとしているとか、精神的におかしいとか、負の印象しか持たれない様な事を。

 若い刑事の問い返しは、ゆーねぇの真意をもっと聞きたい以上に。拒絶の答を返そうと
しても、心を整理しきれない彼の時間稼ぎだ。

「お2人が、羽藤の家を真剣に悼んでくれたからです。……職務への責任以上に、拾年前
以前の羽藤の家の温もりに心を寄せてくれて、あの夜の結果に心傷め、心底憤ってくれ
た」

 色々な事情があって捜査態勢が縮小されて。
 時間を掛けても、新たな動きも証拠もなく。

 時が経つにつれ、事件は風化し忘れ去られ。
 新たに解決せねばならない事案も生じる中。

「お2人は迷宮入りにさせまいと粘り強く捜査を続けて下さいました。桂ちゃんや白花ち
ゃん、真弓さんや正樹さん、そしてわたしに起きた真相を解明して。喪われた生命や踏み
躙られた想いに、無念に何とか応えたいと」

 夜も昼も、何度もご神木を訪ねて下さって。
 わたしは応えに顕れる事叶わなかったけど。

 強い怒りの底に宿した優しさが嬉しかった。
 絶対真相に辿り着き解決しようとの意志が。

『ゆーねぇは刑事の想いに応えたかった?』

 今宵の追及も、真相の究明が死者や生者の救いに繋るとのお考えであるなら。それを受
けて諾否を返すのが礼儀と思い、伺いました。そしてわたしは、わたしの知る限りの真実
を。

「わたしはお2人の拾年の労苦を、無にする事を願っています。法の趣旨を外れるかも知
れない事を望んでいます。お2人が羽藤を想って為してくれた行いに、仇で報いる事を」

 わたしにはお2人に何も返せる物がない。
 たいせつな人に寄せて貰えた気持に対し。

 この到らぬ身に為してくれた労苦に対し。
 せめて気持の上ででも何か返さなければ。

 刑事2人限定で、ゆーねぇが真相を明かしたのは。隠すかごまかそうかと想えば。ゆー
ねぇには幾つか術はある。『力』を使って幻覚を見せたり脅す迄しなくても、意識の底を
少し操り、事件究明の意欲を失わせれば良い。自ら手を下さなくても、鬼切部が動けば刑
事は真相に辿り着けない。動かなくても、常の人である彼らは拾年真相に辿り着けなかっ
た。

 それを承知で、ゆーねぇは彼らの喪われた拾年の月日に報いたく。その想いに応えたく。
今後の月日を、実りある物にして欲しいから。これ以上この件に振り回されて欲しくない
と。敢て彼らに、納得ずくで手を引いて欲しいと。真相を報せた上で秘匿を願う。なんて
甘々な。

「お願い申し上げます。拾年前の夜に羽藤家に起きた悲劇の真相は、お2人の心の内にし
まい込み、これ以上の捜査をお止め下さい」

 彼らが拾年前の夜の殺人事件の、迷宮入りを了承し。ゆーねぇと連れだって、山を下り
ていったのは。それから拾数分後の事だった。


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


 ご神木は月明りに照らされて息づいている。

 結局あの刑事達は、迷宮入りしかけていた拾年前の一件を。羽藤の家の温かさを知って、
捨て置けないとの義憤に駆られて捜査を続け。彼らを止めるには、脅しや騙しや失職より
も。幻覚やその他で心を操るよりも。真相を伝え心情を訴え、事情を全て分って貰って。
彼らの意志で引いて貰うべきと。ゆーねぇらしい。それで落着に持って行けてしまう処迄
含めて。

 ノゾミが隠れてここ迄着いてきていたのは。
 刑事に存在を悟られない為が主眼ではなく。
 先行きを案じゆーねぇを心配していたから。

 だからノゾミは、刑事がゆーねぇと一緒に引き上げて、人目を気にしなくて良くなった
開放感よりも。ゆーねぇが囚われたり、取り調べに拘留される怖れがなくなった開放感で。
敢て刑事と共に帰途につくゆーねぇは追わず。

 ご神木間近に浮いて月明りを浴びながら。
 ご神木上空で舞い続ける光の蝶を眺めて。

 ゆーねぇは朝迄ずっと『力』を注ぎ続け。
 過保護に近い位の甘さ優しさはまさしく。

「羽藤の甘さ愚かしさは底が知れないわね。
 自分を疑って捕まえに来た者にゆめいは」

 あなたもそう想っているのではなくって?

 ノゾミにその様に話しかけられる夜が来ようとは。そして何より、その様に話しかけら
れて不快に思わない夜が、僕に訪れようとは。

 僕が答を返せる状態にない事は、ノゾミも知っている。でもノゾミは、自身の想いを僕
に聞かせる事なら叶うと。これ迄の様々な経緯があるから、仲良くなる迄は望まないけど。

「私はあの愚かな程の甘さ優しさに惚れたの。

 為した事の償いには届かなくても、この手の及ぶ限り、けいとゆめいを愛し守るから」

 不思議とノゾミが可愛く思えた。その勝ち気な瞳も薄い唇も、細い体も滑らかな手足も。
何度も桂の生命を脅かし、ゆーねぇを傷つけた仇なのに。味方になったと言っても、僕が
心を許せる仲ではない筈なのに。桂やゆーねぇを大事に想い、一喜一憂する様が愛らしい。
千数百歳ではなく外見通り年下の妹に見えて。桂が『ちゃん』付けで呼んだ気持が分る気
が。

 もう少しここに留まり続ける気配を見せていたノゾミが、訝しげな顔色を見せたのは…。

『なに……、この、主さまに似た気配は?』

 僕も突然感じ取れた。ご神木の間近側面で。
 至近から立ち上がる、禍々しいこの感触は。

『良月の欠片に残っていたミカゲの想い?』

 ご神木の傍でも、外にあるミカゲの残滓は、鬼神の封じを左右はできない。夜でも現身
も取れぬ程の存在だ。夜に現身を取れてさえノゾミ達は、ご神木間近の結界に入れなかっ
た。

 でも今宵の感触は、昨夜の比ではない禍々しさで。否、そうであるならゆーねぇも僕も
もっと早く気付いていた。この残滓はゆーねぇが去ってから、急に自己主張を始めたのだ。

「どういう事? 尚意志を残せているの?
 ゆめいのいる間は猫でも被っていたと?」

 明日の夜は満月で、それに向け鬼の力は段々強くなるけど。この変化はそれでは説明つ
かない。気配を潜ませ、気配を顕す位の違い。平時と戦時位の……そこには意志が伴う筈
だ。

 青珠に宿ったミカゲは、『力』を使い尽くした末に討ち果たされた。怨念も使い尽くさ
れた筈だった。良月に幾らか執着が残っても、最早夜に薄い現身を取る『力』もなく。血
は力で、心も力で、力が心である以上。纏まった思考も意志も持てず、消え行く欠片の筈
だ。

「ゆめいは未だけいじ達と、下山の途中ね」

 ノゾミは好奇心に念の為の下調べも兼ねて。
 ご神木の側面に現身で浮いて回り込もうと。

『待て、ノゾミ……きっと君の動きは読まれている……敵は君を知り尽くした相手だ…』

 瞬間、僕はミカゲの残滓の思惑を悟れて。
 ノゾミを止めようとするけど、既に遅く。

 僕の側からノゾミに訴えかける術がない。
 ご神木の輝きを強くする以外何も表せず。

『良月の破片に宿る想いや、ミカゲは君と千年一緒だったもの。非常に馴染み易いもの』

 何とかミカゲを妨げようと、ノゾミを止めようと『力』を念じるけど、どうにもできぬ。

 ノゾミは現身でご神木の側面に回り込み。
 ミカゲの残滓を視て、魅入られてしまい。

【待っていました……満月には一晩早いけど、千載一遇の機会を。姉様が近付くこの時
を】

『ノゾミ……躱せ。防ぐんだ、一旦逃げろ』

 一歩下がるだけで良い。一瞬脇見するだけで良い。ノゾミがミカゲに視線を合わされた
状態さえ解ければ。ミカゲの邪視は視線を外せば躱せる物だ。せめて敵意を・抗う意志を
抱いて、呑み込まれなければ。ああ、でも!

 人である身を喪うとはこういう事だった。

 助けたい時に助けたい人を助けられない。
 ゆーねぇにはそれができた筈なのに僕は。

 ノゾミの心に声を届かせる事さえできず。

「ふふふふふふふ」

 その笑みはノゾミの口から発されるけど。
 その哄笑はノゾミの物ではなくミカゲの。

 浮いた現身の澄んだ朱が、毒々しい朱の靄に包まれて。月明りの清明さを掻き消す様に。
ノゾミの現身は、姿が見通せなくなっていき。

「ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ
ふふふふふふふふふふふふふふふふふふ…」

 哄笑の終りと共にその場から全てが消えた。
 ノゾミも、彼女を包んでいた毒々しい靄も。
 ミカゲの怨念も何もかもが目の前から消え。

 ご神木側面間近の根元を見ると、良月の破片を埋めた場所に蟠り続けていた鬼の執着は、
ほぼ抜け殻と言って良い状態に、なっていた。


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


『ゆーねぇに、事情を報せないと。でも…』

 今の僕には外界に声を届かせる術がない。

 ゆーねぇが関知や感応の『力』で僕の想いを視てくれない限り、僕からは為す術がない。
僕はオハシラ様としても余りに未熟に過ぎた。

 ゆーねぇは昨夜も今宵も、日没から日の出迄ずっとご神木の傍に、光の蝶を滞空させて。
封じの要たる僕に『力』を注いでくれていたけど。月明りも蝶を使って、より広範囲から
沢山照り返し、収束し注いでくれていたけど。

 蝶はゆーねぇの想いを届ける為で、僕の想いを読み取る指示は受けてない。ご神木の外
に何かを響かせれば、気付いて貰えるのかも。

 ダメだった。全く外界に影響が届かない。
 僕は見守る以外に為せる事のない存在で。

『ミカゲは、ノゾミが独りで近付いてきた今夜を好機と見て、総力で不意打ちを仕掛けた
のか……烏月さんやゆーねぇの妨げもないと。独力で現身を取れぬミカゲは、何かに取り
憑く他に術がない。千年を共にした姉のノゾミなら、相性も良く馴染み易い。霊が霊に憑
くなんて余り聞かないけど、人に憑く時も結局は人の魂に憑く訳だし。そしてその目的
は』

 鬼神を解き放つ為の強い『力』の入手か。

 今のノゾミの力量では、時折桂の血を少し呑むだけで、人も襲わない彼女では、満月の
夜でも鬼神の封じを破れない。ノゾミに憑いたミカゲの力量は、良月の残滓でそれ以下だ。
今鬼神の封じを解けるのは、ゆーねぇのみで。

『否、桂かゆーねぇの血を呑めば、ノゾミやミカゲでも、鬼神の封じを解ける【力】は』

 手に入れられる。ノゾミが危ういだけじゃない。むしろ危ないのは桂やゆーねぇか…!

『ゆーねぇは、羽様の屋敷を通り過ぎ、刑事と一緒に車道に降りて。見送り、している』

 ノゾミはどこに消えたのか。あの一瞬の動きで考えられるのは、依代の青珠に戻ったか。
守りの青珠は携帯と一緒に桂の手元に、羽藤の屋敷にある。でも屋敷には烏月さんもいた。
千羽党の鬼切り役が添う限り滅多な事はない。

 車道へ降りたゆーねぇは、刑事が去った後も『力』の輝きを、見せつける様に纏わせて
佇み続け。中々屋敷に帰らないのは、もしや。

『ゆーねぇは、刑事を監視する若杉を牽制する為に、敢て【力】を視える様に放散して』

 若杉と羽藤の先行きも気に掛る処だけど。
 今は目先の不安要素の払拭を優先すべき。
 でも僕が今自力で為せる事は殆どなくて。

 ゆーねぇにこっちに意識を向けて貰わねば、僕の心を視て貰わねば。それも朝日が昇る
迄でなければ。ゆーねぇも外に『力』を及ぼせなくなって、心を視て貰う事も出来なくな
る。でも今の僕では声を届かせる事さえ叶わずに。

 背後でふて寝していた主が、身を起こす感触を伝えてきたのは。僕が苛立ち始めた頃で。

『邪魔する気かい? ミカゲはお前の解放を諦めてないし。お前としては、僕が奴の企み
をゆーねぇに報せると、都合が悪いしね…』

 振り向かない侭主に向けて言葉を発すると。
 主はやる気のなさそうな脱力した答を返し。

『わたしが邪魔する事で効果があるなら、そうしても良い処だが……無意味だろう。妨げ
るも何も、貴様はそもそも何も出来てないし、出来もしないのだから。妨げようがない
…』

 何も出来ず、ばたばたする様子が煩いと。
 それだけ告げて、主は再びふて寝に戻り。
 今の僕には、敵に妨げられる値すらない。

【だが姫よ、人の形を為して現れるなど、そうそうできることではないぞ。封じの柱に出
来るのは、唯見守ることのみと思って良い】

 見守り続ける他に何も出来ない悔しさ虚しさを、今になって実感した。僕は今も禍の子
で肝心な時に役に立ててない。朝方から降り始めた雨は、ご神木も僕の心も濡らして行く。


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


 桂達は3日目も午前中と夜の2回、ご神木に来る予定だったけど。朝からの雨で地面も
濡れているので……来ない判断は正解だった。

 僕はゆーねぇに伝えたい中身があったけど。初日の夜に桂に『ご神木に直に触れない
で』と頼んだゆーねぇは、恐らく自らご神木に触れる事はあるまい。となれば日中より夜
の来訪に賭けるべき。それも雨が止んで夕刻迄に地面が乾いたらの話しだけど……烏月さ
んやゆーねぇは兎も角、桂は普通の女の子だから。

 桂が来れないなら、ゆーねぇ達は来ない。
 懸念はノゾミがどうなっているかだけど。

 本当にミカゲに憑かれたのか、それとも。
 日中は青珠の中の様子迄は僕にも視えず。

『今の処大きな破綻は生じてない様だけど。
 何かが起こるとすればやはり鬼の刻限か』

 主は結局の処、僕の蠢きに一度煩いと言ってきただけで。ふて寝したままずっと動かず。
ゆーねぇが宿るより前から主は、外から来客がある時は封じの要に手出しをしてない様で。
主も退屈に飽いているから、情報を持ってきてくれる来訪者は、敵方でも望ましいのかも。

 雨は昼前に上がって秋晴れとなり。山も森も陽に照されてかなり乾き。桂達はご神木を
訪れる前提で夕食を済ませ、翌日の帰宅に備えて荷を整理し。日の暮れた頃合に家を出て。

 羽様の夜は、街灯も民家の灯りもないけど。満月の輝きに照されるし、ゆーねぇが光の
蝶で足下や先行きも示す。桂の懐中電灯も役に立ち。ノゾミを除く3人は宵の早い内に着
き。

 桂が僕と2人きりで話したいと申し出た処、ノゾミがへそを曲げて1人涼みに出たらし
い。桂から離れた事を嫌疑が晴れたと見るべきか、ゆーねぇや烏月さんの目を嫌ったと疑
うべきか。ノゾミの気配に異常は感じなかったけど、何もない振りを装っているのか。ゆ
ーねぇや烏月さんは勘付いているのだろうか。良月の欠片の気配の抜け殻は、桂も分った
様だけど。

 ゆーねぇは僕が現身を取る方法を、烏月さんに託した模様で。ゆーねぇは戦闘用ではな
い各種の『力』の操りにも優れるから。現身を取れたならまず、昨夜ノゾミに生じた事を、
伝えてみんなの注意を促さなければ。なのに。

「桂ちゃんのこと、お願いします」
「任されました」

 僕の前に着いてから、ゆーねぇは烏月さんに後を託し頭を下げて、元来た闇に歩み去り。

 2人は暫く、その後ろ姿を見守り続けて。
 烏月さんが維斗を抜いて、桂と向き合い。

「桂さん、力を抜いて」「うん」

 満月の輝きを帯びて息づくご神木の間近で。
 蒼光を照り返した刃が右手薬指を軽く切り。

 滴る贄の血を、蒼いガラス玉に塗りつけて。
 その間近さにドキドキする鼓動を抑え込み。

 烏月さんがガラス玉でご神木の幹に触ると。
 幹に吸い付いた様にガラス玉は落ちてこず。

『これは……そう言う事か……ゆーねぇは既にノゾミの異変に気付いている。対処はする
から、僕は桂に全力で向き合う様にって…』

 ゆーねぇは直接触れぬ代りに、ガラス玉を呪物に変えて想いを込めて僕に話しを。つい
でに強い助けの『力』とそれ以上に、現身の作り方のコツのイメージも流入し。僕が外界
の事柄に向き合う必要はないから、桂に向き合って話しを聞いてと。桂の願いに応えてと。

 ご神木の輝きが『力』と共に更に増して。
 幹の内側の虚像世界を外と隔てる境界に。

 僕の意識が馴染み行く。そうか、これが。
 殴り蹴って強引に突き抜けるのではなく。

 逆に境目に己を強く馴染ませ一体となり。
 己が境になれば外に触る事も伸ばす事も。

 僕はご神木に宿る者からご神木その物に。
 幹の息遣いが更に生々しく躍動を始めて。

「私はぎりぎり声の届かない範囲にいるから、話しが終ったら大声で呼んで欲しい。でき
るだけ兄妹水入らずの話しに、分け入る事はしない積りだけど。余り長くなる様だった
ら」

 様子を窺いに、来てしまうかも知れない。

「うん……ありがとう」「では、少し後に」

 烏月さんの後ろ姿が見えなくなった頃に。
 僕は漸く人の現身で桂の前に顕れられた。


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


「……やぁ。余り期待に添えなかったかな」

 ゆーねぇの助けを得て何とか作れた現身は、心霊番組の再現ドラマに良くある半透明に
透けた姿で。体を覆う衣もないけど、妹にこの歳で裸を見られる羞恥がやや少ないのは、
色彩も存在感も余りに薄くて現実感がない為で。

 桂はきっと、ゆーねぇのオハシラ様の姿と比較しているから。やや拍子抜けした感じで。

「未だご神木に憑いて二月だから。ゆーねぇは拾年ご神木に依り続け、しっかり根付いて、
ご神木の『力』を横取りして現身を取れたけど。僕は新米過ぎてとてもそこ迄は、ね…」

 ゆーねぇのオハシラ様の衣は、実は主から贈られた物で。ゆーねぇも当初は力に欠乏し、
服を作る余力もなく。見かねた主が、己の敵に相応しい装いを求めて、お仕着せしたとか。
今のゆーねぇは夜になれば、自在にあの衣を作れる様だけど。あの衣が鬼神の趣味と思う
と複雑で。良く似合っていただけに。ゆーねぇ自身好んでいる様だから。少しだけ悔しく。

「うん……でも、出てきてくれて良かった」

 霊の存在を前に怯えもしないのが桂らしい。元々羽藤の家は霊的な物を厭わない家風だ
し、オハシラ様は怨霊や死霊や悪霊とも違うけど。近親の霊も怯え嫌う人が世には結構多
いから。普通に受け答えしてくれる事は、嬉しかった。

 でも残念な事に僕には余り多くの時はない。
 みるみる力が減少して行くのが感じ取れる。

 膨大な『力』を注いで、叶えた現身だけど。
 僕の技量ではあと拾分も、保たせられない。

 これでご神木を離れて戦いを為したなんて。
 ゆーねぇは一体どれ程の無謀を為したのか。

「わたし、お兄ちゃんにお願いがあるの…」

 桂も時間が少ない事は感じ取れている様で。
 迷いや躊躇いを振り切る為か、声音を強く。

「もう出来るだけ、羽様にお姉ちゃんを来させない様にして……お姉ちゃんを過去に縛り
付けない様に。ご神木に呼び招かないで!」

 桂の微かな強ばりは、僕の怒りへの怖れか、自身の罪悪感への怯えか。本当はこんなこ
と告げたくないと顔色で分る。僕も大事に想ってくれている桂が、そこ迄自らを追い詰め
て。

「もう柚明お姉ちゃんに傷み哀しみは負わせたくない。悩みや不安や、負担や疲労は負わ
せたくない。お姉ちゃんには平穏な人の世で、伸びやかに生きて笑って欲しい。その為
に」

 白花お兄ちゃんが、人に気易く助けを求める様な、弱い人じゃないことは分っているよ。
でも、お姉ちゃんは白花ちゃんをいつも気に掛けている。わたしと並んで一番たいせつに
想っている。生命を絞ってご神木に『力』を注ごうとする。望んで好んで自身を削ろうと。

 お姉ちゃんはもしかしたら、もう一度オハシラ様を代ろうと思っているのかも知れない。

 桂の推察は正鵠に近い処を射ているから。
 その表情は怯えより強い意志に彩られて。

「出来るだけお姉ちゃんの助けは受けないで。
 お姉ちゃんが触れようとしたら弾き返して。

 お姉ちゃんに近付かず早く帰る様に促して。
 余り頻繁に経観塚には来ない様に伝えて」

『お姉ちゃんをもう一度喪うのは絶対イヤ』

「わたしがお姉ちゃんと一緒に暮らしたいからじゃないよ。結果そうなるし、わたしもそ
れを望んでない訳じゃないけど。お姉ちゃんにのどかに平穏な日々を過ごしてもらうには、
鬼神の封じとの繋りを絶って、遠ざける必要があるの。そうしないとお姉ちゃんは必ず」

 ゆーねぇは拾年前の夜以前も、僕が物心ついた頃から常に。僕や桂を生命を注いで愛し
守り庇ってくれた。僕達は類い希な贄の血の濃さの故か、経観塚に居ても妙に鬼や鬼切部
の関る災難に遭い。ゆーねぇは時に血を流し、痛み哀しみに歯を食いしばりつつ。それで
も僕達に不安を与えたくないと、微笑み続けて。それは僕達だけじゃなく他の人に対して
迄も。

 拾年前の夜が、全ての始りではなかった。
 あれは行き着いた結果に過ぎず、始りは。

 実は僕達が生れた事その物にあるのかも。

「お姉ちゃんは、災いの元に関ってはいけない人なの。関れば関る程深入りしてしまう」

 優しさが危難の中心にお姉ちゃんを導く。
 阻むには防ぐには、そうさせない為には。
 近づけず繋らせず触れさせず交わらせず。

『今羽藤が抱える最も大きな災難の要素は』

「鬼神が宿るこのご神木、と言う訳だね?」

 桂はしっかりと僕を見つめ返して頷いた。
 意志の強さと覚悟の定め方は母さん似か。
 ゆーねぇを想う心の一途さが見えて分る。

「お姉ちゃんの『力』以外にも、ご神木やお兄ちゃんを助ける方法はきっとある。葛ちゃ
んや烏月さんに尋ねれば、答は出ると想う」

 柚明お姉ちゃんが心の支えのお兄ちゃんには、申し訳ない話しだけど。酷い話しだけど。

「これ以上お姉ちゃんに、辛い想いをさせたくない。傷み哀しみや悩み苦しみに触れさせ
たくない。あの人は辛い想いをしている人を捨てておけないから。踏み込んでしまうから。
無理をさせない為には遠ざけるしか方法が」

 わたしも血の『力』の扱いを習って、お兄ちゃんやご神木を助けられる様になる。強く
なるよ。そうなる迄の間でも、わたしの贄の血をいっぱい注ぐから。そしてゆくゆくは…。

「わたしがオハシラ様を継いでも良いから」

 わたしの愛しい人にはもう二度と、厳しい定めが巡り来ない様に。切り離したいのっ!

「お願い! わたしの我が侭を聞き届けて」

 覚悟を定めた声音で、深々と頭を下げて。
 心優しい桂が、ここ迄言わねばならない。
 そこ迄追い詰めたのは、僕の至らなさだ。

 でも。自分に罪を背負い込む事を承知して、自らの責任で考え選び判断して、その意志
を相手に伝えられる。桂はゆーねぇへの想いを竿にして、どんどん心の強さを掴みつつあ
る。

「愛の盲目には、叶わないね」

 了承の答は短くあっさりと。桂が自責や罪悪感に強ばっているから、僕はそれをほぐす
為に軽やかに受けて応える。実際僕の真意は桂と同じ方向を向いていて。渋々受容する感
じでさえない。それが妹の願いにもなるなら。

「まず、桂に余計な気遣いをさせてごめん。

 僕は元々桂に言われなくても、そうしようと想っていたし、そう努めていた積りなんだ
けど。力不足でゆーねぇの心配を招く今になってしまった。それで桂も心配させて。でも。

 大丈夫、封じの要はこなせつつあるから」

 僕もゆーねぇの心配や負担を招きたくない想いは同じで。出来るだけご神木にも来て欲
しくなく。主にも近づけさせたくない。来てくれる事は嬉しいけど、心の力にもなるけど。
それでゆーねぇが僕を助けようと支えようと、無理をしたり身を削る姿は見たくない。で
も。

「ゆーねぇも強情な羽藤の血筋だから……僕の求めや促しは、中々聞いて貰えないんだ」

 おっと。ゆーねぇと僕だけの話しを見たり聞いたりすると、桂は今も昔も羨みの視線を。

「ちょっと羨ましい」「ははは、ごめん…」

 それでも桂は僕とゆーねぇの仲が良い事を。
 基本的に喜び望んでくれていると分るから。

「僕は桂の願いがなくても、ゆーねぇに平穏な人の世で、幸せに暮らして欲しい。僕が未
だに力不足で、ゆーねぇの心配を招いているけど、馴れていけば何とかなる。僕の事なん
か忘れて幸せを手に入れて欲しい……桂も」

 辛い願いを口にさせてごめん。もう少し早く僕がもっと強くなっていれば、桂に辛い哀
しみを負わせることはなかったのに。母さんにも無理させず、ゆーねぇを取り返せたのに

 そこで現身が一度揺らいで声が途絶え掛り。
 もう限界が近い。未だ望月は天に高いのに。

 雲に隠れる様子もなく蒼光は眩い程なのに。
 己の存在感が、どんどん薄れ行くのが分る。

 僕はもう一度、想いを強く抱いて立て直し。
 せめて話すべき事をしっかり語り伝えねば。

「だから、僕は僕の想いで、ゆーねぇにご神木への助力は止めて欲しいし、触れても欲し
くない。近付いても欲しくなく、経観塚にも来て貰いたくないと。何度か告げたし、これ
からも。だから桂は自分を責める必要はない。これは、僕が既にやっている事なんだか
ら」

 唯、そこに桂の想いを重ね合わせ。もっと強くゆーねぇに向けて。この意志を表すよ…。

 僕達は同じ事を考えていた。双方にとって一番の人・ゆーねぇの、微笑みを願う一点を。

「唯、桂の願いを受ける以上、僕も桂に願いを出して良いかな。交換条件と言うことで…。

 ゆーねぇの心を支えてあげて。それはご神木に宿り続ける僕には、叶わない事だから」

 僕の一番たいせつな人。幼い頃から慕い続けた最愛のひと。恋し愛し憧れた綺麗な従姉。

『僕にはもう手の届かない、届くべきではない懐かしい想い出……一番たいせつな女性』

「ゆーねぇはとてつもなく心強いけど、絶対折れない人だけど。折れないからこそ折れる
人より、深く傷を負う事も疲れ果てる事もある。心壊れてしまえば、泣き喚いてしまえば、
楽になれる処を。誰かを守り庇う為に心を抉られても退かず、敵意や悪意に対し続けて」

 ゆーねぇの心の太陽は僕と君だって。君と僕が生きて微笑むことが、ゆーねぇの生きる
意味だって。だから僕は己自身を鬼に渡せなかった。体を主に奪われた侭、己も失ってい
れば、痛みも哀しみもなくなったけど。ゆーねぇはそれを望まない、僕が僕であることを
願っていると、明良さんが教えてくれたから。

「僕は目的の半分は果たせたよ。ゆーねぇをオハシラ様から解き放ち、その禍の元を絶つ。
禍の元とは未だ付き合うから、僕は桂やゆーねぇと、人の生を謳歌する事は出来ないけど。

 だから桂に頼みたい。人の世間でゆーねぇの傍で、長閑に楽しく笑って過ごして、僕の
最愛の人の心を照して欲しい。僕たちは、ゆーねぇと違って血が濃い以上に、2人なんだ。
片手間に鬼神を抑え、もう片方で愛しい人の心を支えられる。賢い役割分担だろう…?」

「役割分担ってお兄ちゃん、辛いと楽の分担だよ。天国と地獄の分担だよ。わたししばら
くお兄ちゃんに、何の助けも出来ないのに」

「桂。僕は桂の助けを受ける積りもないよ」

『これ以上女の子に辛い役は任せられない』

 僕は僕でこっちをしっかり受け持つから。
 桂は桂でゆーねぇに全身全霊向き合って。

「ゆーねぇは、僕の助けの片手間に相手できる様な女の子じゃない。それは桂こそが、そ
の肌身でよく分っている筈だと、想うけど」

 桂の頬が朱に染まるのは何を思い返して?
 ゆーねぇは桂には何でも許していたから。

「確かに、柚明お姉ちゃんの愛に包まれると、わたしも体当たりでないと負けちゃう様
な」

「こっちは男同士で話しを付けるから。桂は桂で、思い残しのない様に、幸せな日々を」

 もう少し語らいたかったけど。夜通し語り合っても時間は足りない位だけど。懐かしさ
と愛しさは胸を締め付けたけど。この現身は満月の元で、桂の類い希な程濃い贄の血とゆ
ーねぇの『力』を受けても尚、現状を保ち続けるのは限界に近く。その形が崩れ薄れて…。

「ゆーねぇを、頼むよ。僕のたいせつな桂。
 そして、桂も長閑に元気で幸せな人生を」

 主は外界に影響を及ぼす僕の所作も、現身を取っての接触も、最後迄妨げをしなかった。


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


 わたしを呼ぶ声……。

 わたしを呼ぶ声が聞える。

 それはどこから聞える誰の声?

 わたしは今、わたしを呼ぶ声に導かれ、入っちゃいけないと言われた蔵に、2人で来て
いる……幼い兄弟、白花お兄ちゃんと一緒に。

【これは、桂の夢の中で……拾年前の夜?】

 双子のテレパシーなのか。オハシラ様になっても、感応の未熟な今の僕は。桂の夢見に
語りかける事も出来ないけど。見るなら叶い。桂の夢だから僕の視点は桂に時折引きずら
れ。

「本当に入るの?」かつての僕の躊躇う声に。

「入るよ。おくらの中には、きっと宝物がいっぱいあるんだよ」桂の瞳は興味津々に輝き。

『わたしの内側の何かが引っ張られている』

 ノゾミやミカゲに手を引かれた夜以前から。
 化外の物の独特の雰囲気に桂は心惹かれて。

【好奇心を抑えるな。化外の物に興味抱け】

 禁じられずとも人の寄り付かぬ蔵や山奥へ。
 禁じられても幼い桂は夜に進み出して僕も。

『ここ、子供が来たら駄目だって。勝手に入ったらバチ当たるって……でも気になって』

 こっそり鍵を持ち出して、顔を真っ赤にしながら2人で重い扉を開き、蔵の中に入った。

 蔵の中には箱があった。

 箱の中には何かが入っていた。

 見えているのはほんの一部分だったけど。
 それが宝物だと言うことは一目で分った。

【歩み出せ。近付いて良く覗き、手で触れ】

「こんなの剥がしちゃおう」

「いいのかな……」

 ダメだ桂、それを剥がしては。最早変えられない末を分っても、つい声を発してしまう。
たいせつな物を喪うと、やってはいけないと、止めたい僕の声が届かないのは。この夜幼
い僕の声が、桂に届かなかったのと同じ。幼い僕は桂の好奇心を抑えられず、己も心誘わ
れ。

【興味の侭に、好奇の侭に。己を抑えるな】

「大丈夫。いいから剥がしちゃおう」

 後でちゃんと戻しておける様に、綺麗に剥がそうとしたけど、びりっと破いてしまった。

「あーあ、知らないよ」

 もういいや。気にせず桂はびりびりと破る。

「あいたっ」

 桂が指先に痛みを感じた様だ。棘が刺さってしまったか、紙の端で切ってしまったのか。

「バチが当たったんだよ」

 でも桂は構わず紙を剥がしていった。さっきより乱暴に、びりびりびりびり破いていく。

「わ、きれい……」

 出てきたのは、ピカピカ光る金属製の円盤だった。桂も僕も、それが何だか知っていた。

【化外の物は面白いぞ。深く関るが良い…】

 この声は、一体どこから聞える誰の声だ?
 拾年前こんな声を、僕は聞いてない筈だ。

「これは、ずっと昔の鏡だよ」

 鏡を覗き込むと、ぼんやり僕達の顔が映る。
 ぼやけてちゃんと映らないのは古鏡の故か。

「あ、そうだ」汚れているだけかも知れないと考えてか、桂は服の裾でごしごしとこする。

「はぁ……」冬に窓ガラスを曇らせて遊ぶ様に、更に息を吹きかけながらこすっていると。

「ふふふふふふ……」

 知らない女の子の声がした。きょろきょろとあたりを見回しても、女の子なんていない。

「だ、だあれ?」「わたしは、ノゾミ……」

 僕達とノゾミやミカゲの、拾年前の夜の出逢い。でもあの日は母さんが体調を崩して倒
れて。ゆーねぇが肌身を添わせて癒しを注ぎ。夕刻漸く死地を脱したけど……危うい状態
は幼心にも分った筈で。夢を見ている今の桂は、疑念を抱き。否、その様に誘導されてい
る?

『そもそもどうして、わたしは拾年前の夜』

 お母さんが倒れて間もない時に蔵に行く。
 普通の子供はそんな行動を取るだろうか?

『ノゾミちゃんがわたしを呼べた筈はない』

 良月はあの時も尚封じの札に巻かれていて。
 わたしの贄の血が付いてやっと声を出せた。
 わたしは誰に何に呼ばれて蔵に行ったのか。

『森で遊んでいた幼いわたしも、道に迷い』

 あの夜より前にも僕と桂はご神木を訪れて。
 それは実は偶然の様に見えて偶然ではなく。

【桂ちゃん、白花ちゃん。近付いてはダメ】

 幼い桂はゆーねぇの発した化外の『力』に心惹かれ、目前のご神木の不思議な気配との
間で迷って、少しの間躊躇して助けを待てた。それは、ゆーねぇの指示に従ったのではな
く。

 夢の情景は脈絡もなく、一瞬で赤く変貌し。

 しみが広がっている。
 しみが広がっていく。

 赤く歪んだ世界の中で、雫の滴る音に誘われ、しみがどんどん広がっていく。幼い桂の
両の頬を伝った雫が、顎で交わり滴り落ちた。

 ゆがむゆがむ、世界が歪む。
 泣いているから、歪むのか。

 しみが広がる。まるで水溜まりの様に。
 夜空に浮ぶ月を映して……紅く映して。

 赤い、赤い……。赤い風景が、視える……。
 十年前……失われた記憶……途切れた糸…。

 糸が繋る。記憶が繋る。これは前にも見た夢だ。けど前より鮮明な夢。取り戻せた記憶。

 思わず目を背けたくなるあの夜の僕の過ち。

 父さんの掌が幼い桂の両肩を包む。父さんのお腹から噴き出す血飛沫が、僕をも濡らし。

 父さんのお腹には大きな穴が開いている。
 父さんのお腹には僕の穿った大きな穴が。

 お父さんの体は、もう持たない。
 この傷が原因で、死んでしまう。

『わたし、ダメって言われた蔵に入ったことを怒られたくなくて、ノゾミちゃんにそれを
願って。そうしたら本当に、お父さんは怒る事がなくなった……笑う事も。わたしが!』

 真相を、全て思い出せてしまった桂には。
 真実が、この世で最も凄惨で辛いのかも。

『お父さんを殺めたのは、わたしじゃない。
 お父さんを殺めたのは、お兄ちゃんだよ』

 でも……でもそもそもわたしが、あの夜に。
 蔵へお兄ちゃんを連れて行かなかったなら。

 白花ちゃんに主の分霊が取り憑く事はなく。
 誰1人欠ける事なくみんな今も幸せだった。

 どうしてわたしはあの夜、蔵に行ったのか。
 わたしを呼ぶ者なんていなかった筈なのに。

『入るよ。おくらの中には、きっと宝物がいっぱいあるんだよ』【わたしは何かいいもの
があるに違いないと、脈絡もなく信じ込んで。ご神木の時もそう、烏月さんの刀の時も
…】

 幼い僕と桂はあの夜に、ゆーねぇの癒しで漸く起き上がれた母さんと夕ご飯を一緒して。
その後テレビで『附子』を見て、隠された処に宝があると2人で思い。母さんの体を治す
魔法の薬を求めて蔵に足を。後から考えれば、そんな物があれば大人が先に使っていた筈
で。

 否、それも後付けの理由だ。幼い桂は不思議な気配漂う羽藤の蔵に、行きたがっていた。
大人の注意の薄れを僕達は好機に感じ取って。でもそれは、母さんの心配を脇にのける事
に。

 桂の身震いに応えて悪夢は桂を取り囲み。

「そうだよ、桂。君が蔵に入った為に全てが。
 君が良月の封じの札を剥がした為に全てが。

 僕の人生を奪ったのも、たいせつな人の人生を終らせ狂わせた原因も、全て君なんだ」

 違う。それは僕の声じゃない。僕の真意は。

「そうだ、桂。お前がきっかけを作ったんだ。
 お前の好奇心が父さんを殺すきっかけを」

「そう、桂がやったの。あなたの興味本位が。

 おかげでわたしは家族みんなの仇を、拾年も育てなくちゃいけなくなったの。独りで」

 その声も違う。絶対父さん母さんじゃない。
 そして誰より桂に近しく愛しい声を装って。

「わたしがオハシラ様を継ぐ羽目になった原因が、あなたの気紛れにあっただなんて…」

「君の好奇心に引っ張られ、僕は人生を棒に振ったんだ。鬼を内に宿した苦しく辛い人生
を……君のせいだ、間違いなく桂の所為だ」

 違う……その声は、全部ニセ物だ。桂っ!

「桂の興味本位で……あの夜わたしは旦那様を喪い、羽様の幸せな日々を絶たれたの?」

「鬼の禍なら仕方ないが、そもそも禍は桂の行いじゃないか。僕の生命が絶たれたのも」

 惑わされては、耳を傾けてはいけないっ。

「大好きな叔父さん叔母さん、愛した白花ちゃん。全てを喪い、わたしがオハシラ様を強
いられた真因は、あなたの気紛れだったの」

「酷い……桂、僕の人生を返してよ、桂!」

「桂、何か応えなさい。この拾年のわたしの砂を噛む様な人生と、過労の末の早死にに」

「愛に仇を返し、好奇心で禁じられた物を覗き見て、お前は一体何を得たんだね、桂?」

 桂の心が暗闇の繭に鎖されて行く。声を掛けても手を伸ばしても届かない。人の身を喪
うとは、霊の存在になるとは、正にこういう事だった。見届ける以外に何も為せない…!

 必要な時に助けに行けぬ焦りと無力感こそ。
 ゆーねぇが拾年噛み締め続けた懊悩だった。
 軽く触れれば暗闇の繭を、打ち払えるのに。

 せめてオハシラ様として、もっとしっかりご神木に根付いていれば。現身位取れたのに。
今の僕はさっきの反動でむしろ力に不足して。

「父を殺して」「母の生命を縮めて」「姉を鬼神に捧げて」「兄も鬼神に喰らわせて…」

「やってしまったのね」「やってしまったんだ」「まさか気紛れで家族を滅ぼすなんて」

 桂が心を鎖して行く。己の奥に籠もり行く。
 そこには最早誰の悪意も作用も不要だった。

 一押しすれば崖から岩が転がり落ちる様に。

 己の好奇心が、気紛れが興味本位が、羽藤のみんなの幸せを壊した原因だと己を責めて。
優しさと心の傷を併せ持つ桂は、拾年前の夜を蒸し返せば、暗闇の繭へ落ち込んでしまう。

 誰の声も聞きたくないと、誰とも関りたくないと。それこそが暗闇の繭の狙いなのに…。

 誰も来られない夢の奥へ。
 誰も声届かない己の奥へ。

 桂は上も下もない暗闇を独りたゆたい続け。
 桂を責める声もないけど、生かす声もない。

 何もない処で。光も音もない空っぽな処で。
 妹は硬くきつく心を鎖して、独り闇に溺れ。

 その闇に、外界へ繋る蒼い光が射し込んだ。
 闇に慣れていた桂はその眩しさに顔を背け。

「桂ちゃん……」僕にも愛しく近しい声音は。

『わたしの名前を呼ぶ声は……。
 きっと、わたしを責める声だ』

 でも桂の心を更に深く鎖して沈めてしまい。
 桂から見れば、ゆーねぇさえ桂の被害者だ。

 その優しさに触れれば触れる程、桂は己を。
 過去を強く責め、罪悪感に囚われてしまう。

「桂ちゃん、わたしの手をつかんで」

「……いやっ」

 桂は再び心を鎖す。鎖す方向に導かれ行く。

「……いや。わたしはいや。何も見たくないし何も聞きたくないし、何もしたくないの」

「桂ちゃん……」光の蝶は尚追いかけるけど。

 桂はゆーねぇにこそ最も顔向け出来ないと。
 どんどん硬く強く心を鎖し、深くに潜って。

 誰の声も届かない、見通せない深い闇へと。
 これが……僕の辿り着いた結末なのかっ!


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


 桂は独りで、暗闇の繭をたゆたっている。
 上も下も右左もない、何もない闇の中を。

 最早何も要らないと。最早何も望めないと。
 願う資格も持たぬ己には、闇が相応しいと。

 僕は何も届かせられない。声も『力』も。
 僕はこの時に至っても尚役立たずだった。

『わたしは絶対許されない。わたしは絶対責め苛まれる。最早わたしが愛される筈はない。
だってあんな酷い結末を、拾年前に招いたその真因が、わたしの気紛れや好奇心だなんて。

 なのにわたしは拾年の間、のうのうと幸せに生きて。元気に学校行って、日々お友達と
遊んで愉しんで。独りだけ愛されて人の暮らしを続けていた。全部の原因だったわたしが。

 みんなに守られ庇われて、傷み哀しみを何一つ知らず。ずっと忘れ去っていた。こんな
に近しくたいせつな人を、その人を不幸に陥れて守られて来た事実を、この夏迄ずっと』

 わたしは人でなし。鬼畜以下の存在だった。
 あの惨劇の真因が好奇心や興味本位なんて。

 償う術も見いだせず心は凍えて闇を彷徨い。
 己が己を許せない。わたしは絶対地獄行き。

「地獄墜ち……わたし、地獄に堕ちるの?」

 あぁ、ダメなのか。ゆーねぇを、自身の起こした禍の被害者だと分っている今の桂には。
その優しさと悔恨の故に、ゆーねぇに向き合う事が出来ず。その助けに縋る事ができなく。

 経観塚の夏の夜でも。自身が拾年前の惨劇の因だと悟った桂は、救いを願う事さえ憚り。
暗闇の繭に籠もる桂に声を届かせられたのは、忘れられていた僕だけだった。僕がゆーね
ぇの夢に入る『力』の助けを得て、桂の心の奥底迄行けたから。でも、今はそれも叶わな
い。

 僕はオハシラ様として余りに未熟で。ゆーねぇの助けを全く出来ず。その上で今の桂は
過去の全てを、僕を思い出している。桂の暗闇の繭に入り込む隙はない。最早これ迄か…。

 そんな桂の心の暗闇に蒼い光が射し込んだ。
 月の光の様なそれはひらひらと瞬いている。

 それは自ら輝く蝶だった。
 なぜか涙が溢れ出てくる。

 美しい以上に、そのはためきは全身全霊で。
 答があることを最期の最期迄信じて止まず。

 溢れ出る涙は桂だけの物ではなくこの僕の。
 この心からも、湧き出して止まぬ愛おしさ。

 ゆーねぇは諦めてない。桂の答を信じ続け。
 どんなに希望の見えぬ局面でも僕の従姉は。

『桂ちゃんは、必死に助けを求めているわ』

『問題は、その助けを求める心に繋る術…』

 拒んでも逃げ続けても、尚心のどこかで桂ちゃんは許しを願っている。自身やその罪を
受容し謝罪を受けてくれる人や場所を探している。誰もいないと想いつつ誰かいないかと。
拒絶や断罪に怯えても、己に閉じこもっても、全てを遮断してはいない。必ず接点はある
わ。

『わたし達がそれを探せてないだけ。わたし達でそれを見つけて、辿り着いて、本当の桂
ちゃんに向き直って貰って、語りかけるの』

 拒んでいるのは一面に過ぎない……桂ちゃんの拒みの裏には、欲しい助けを求められな
い涙と苦悩が隠れている。それを探すのだと。

 僕の心に微かに諦めが兆したあの夏の夜も。

『桂が全く絶望して、誰の救いも助けも求めてないかも知れないとは、想わないの…?』

『桂は本当に助けを望んでいるの? 僕は桂に助けを望んで欲しいけど、何とかして助け
たいけど、桂の真の想いはどうなの? 桂がこれを贖罪や償いと捉え、絶望し誰の救いも
求めてないかも知れないと、想わないの?』

 鬼神の封じに拾年自身を捧げたこの女人は。

『想わないわ』力強く迷いのない即答で応え。

『オハシラ様の千年の蓄積になくても、羽藤柚明の蓄積にはあるの。わたしの闇が、桂ち
ゃんの闇を拭い去る術を、分らせてくれた』

 オハシラ様に救えなくてもわたしが救う。

『桂ちゃんは助けを求めているわ。確かに』

 ゆーねぇは、桂と繋がれたその手を示し。

【手だけ……握ってても良い?】

【それで、桂ちゃんが怖くなくなるのなら】

『わたしが握っているだけじゃない。わたしの手を桂ちゃんは確かに握り返している。握
り返して放さない。力を抜かない。解かない。

 言葉では言えなくても、夢の中で拒んでも、桂ちゃんはその奥底で助けを望んでいる。
わたしを握って救いを求めている。助けてって言えないけど、言えない位大変な状態だけ
ど、確かに助けを求めている。望んでいる。待っている。その希望を断ち切ってはいけな
い』

 絶対わたし達の側から諦めてはいけないと。

 止まらない震えは、怖れでも怯えでもなく。
 桂の心の奥底から何かが噴き出そうとして。

 暗闇の繭が、こじ開けられようとしていた。

「許される筈がない」「愛される筈もない」
「悪鬼以下の鬼畜だよ、桂」「地獄墜ちね」

 地獄墜ち。蠢く声達にそう弾劾されても。
 否、愛しい人は絶対そんな弾劾はしない。

「ニセ物……この声は、全部ニセ物だよ!」

 桂は己の罪悪感や自己嫌悪を独力で破り。
 それでも生きるのだと、生き抜くのだと。

 心の叫びは暗黒の中に光の途を切り拓き。

「わたしのたいせつな人は、そんなことは絶対言わない。わたしの愛しい人は、そうして
人を責めることは絶対しない。わたしの柚明お姉ちゃんは、いつもわたしの幸せを望んで
愛を注いでくれた。守り庇ってくれた。導き諭し、わたしが生きる事を望んでくれた…」

 どんなに重く取り返しの付かない過ちでも。
 その真因が気紛れや好奇心や興味本位でも。

 柚明お姉ちゃんはわたしの絶望は願わない。暗闇の繭に籠もる人生を求めない。絶対迎
え入れてくれる。それがお姉ちゃん自身を傷つけても。何度も踏み躙ってしまったわたし
が分る。わたしの美しい従姉は、報いがなくても恩に仇返されても、羽藤桂を愛してくれ
た。

「だからこの声は柚明お姉ちゃんじゃない!

 だからこの声は、白花お兄ちゃんでもお父さんでもお母さんでもない。全部ニセ物っ」

 周囲の闇を見つめ返す。自身の罪を直視した上で、過去を直視した上で、それを言い募
る者も見つめ返す。桂を責める為にたいせつな人を偽る声達を。罪悪感を装う鬼の囁きを。

 それは桂とゆーねぇの魂の繋りの強さで。
 桂がゆーねぇに抱く情愛の深さ膨大さで。

「柚明お姉ちゃんは、そんなこと言わない」

 幾度この心を抉られ削られ、砕かれても。
 わたしは己の地獄行きを厭い嫌う以上に。

『わたしが許すわ。この世の何がどうなろうとも、わたしは最後迄あなたを愛するから』

【そこ迄愛されて尚、暗闇の繭に沈んでは】

『この世の誰1人桂ちゃんを許さなくても。
 桂ちゃん自身許されたくないと願っても』

 わたしが必ずあなたを許す。例えあなたが悪鬼でも、鬼畜でも、わたしの仇でも。あな
たこそがわたしの一番の人。絶対見捨てない。あなたを愛させて欲しいのは、わたしの願
い。何度でも望んで喜んで全て捧げて悔いもない。

【わたしの愛しい人を、哀しませてしまう】

『桂ちゃんが地獄に墜ちるなら共に墜ちる。
 そして必ずあなただけは救い上げるから』

【わたしの地獄墜ちはお姉ちゃんを伴うの】

『あなたが幾度過ちを犯しても。あなたが幾ら罪に塗れても。必ずわたしはあなたを愛す。

 鬼でも人でも構わない。咎があっても罪があっても。わたしはいつでもいつ迄も、望ん
であなたを受け容れ許す。そしてもし桂ちゃんに、他の人に犯した重い罪があるのなら…
…わたしが人生を注いで一緒に償うから…』

 償えるかどうかは最早問題じゃなかった。
 償いきれなくても、購う術などなくても。

 わたしは闇に沈んではいけない。絶対生きて微笑み返さないと。わたしの生命を魂を繋
いでくれたこの人の想いに、生きて応えねば。

 羽藤桂は……生きなければ、ならないの!

 例えどれ程の悔恨を抱え罪を背負っても。
 悪鬼でも鬼畜でも地獄行きでもあの愛に。
 応えなければ、その愛を無にしてしまう。

 それだけは、それだけは自身に許さない!

『大切なだけじゃなく特別な人。
 特別なだけじゃなく一番の人。
 この世に唯1人と、思える人』

 わたしにとって、それはあなた達2人よ。
 西日の差す教室でわたしは強く抱かれた。

『桂ちゃん、白花ちゃん。あなた達が一番』
『憂いのない満面の笑みが、わたしの願い』

 僕に人として生きて終える事を願った様に。
 その愛がこの命を心を生かしてくれた様に。

 僕の最愛の人の絶対途切れぬ深く強い愛は。
 今は僕のたいせつな妹の生きる強さを育み。

 想いに応える為に想いが限界を突き抜けて。
 桂は己の想い『力』で鬼の詛いを打ち破り。

「やっと……やっと繋った……桂ちゃん…」

 ゆーねぇに桂を託したのが正解だった様に。
 桂にゆーねぇを託した判断も、正解だった。


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


 羽様の屋敷の一室には、烏月さんもノゾミも居た。桂を案じていたのはゆーねぇだけじ
ゃない。みんな桂を心から大事に想い心配し。

「柚明お姉ちゃん。わたし、また……」

 何か言いかけるけど、声が続かない桂に。
 ゆーねぇは魂の奥迄見通す程深い双眸で。
 今にも再び唇を繋げそうな程の間近から。

「良かった……帰ってきてくれて……。
 必ず心甦ってくれると、信じていた」

「ごめんなさい。わたし、又みんなに迷惑」

「違うわ……桂ちゃん」

 瞳で瞳を覗き込みつつ、かぶりを振って。

「桂ちゃんは、白花ちゃんの助けがなくても、わたしの願いに応えてくれた。自身の力で
目覚められた。己に勝って暗闇の繭を振り払い。

 賢く強く優しい子。わたしの最愛のひと」

 烏月さんに左から半身抱き支えられた桂に。
 ゆーねぇは、ノゾミ達の前で再度頬合わせ。

 それだけじゃないの。桂は尚も声を発しようと。告げねばと。どこ迄も己を信じ愛して
くれた彼女達に、拾年前の禍を招いた真因を。その禍が明良さんも喪わせたと分る今の桂
は。償えなくても取り返せなくても、嫌われ憎まれようと、せめて真実を明かして謝らね
ばと。

 でもそんな桂をゆーねぇは穏やかに抑えて。

「桂ちゃんも、今ならもう、思い出せる筈よ。

 拾年前の夜の真因を。入ってはいけないと言われた蔵に、幼い桂ちゃんが白花ちゃんを
伴って、入り込んだ本当の原因を。あなたを蔵に呼び招いた声の存在を。ノゾミちゃんで
もミカゲでもない、あなたの内なる声を…」

 あなたは導かれていた。誘い招かれていた。
 それは心の奥に植え付けられた、強い暗示。

「拾年前の夜の数ヶ月前。銀座通の幼稚園に通っていた桂ちゃん白花ちゃんが、卒園間近
だった早春の日。わたしが原因で生じた禍に、あなた達をわたしが巻き込んでしまった
の」

 一緒に思い出しましょうとの柔らかな声に。
 僕も桂も、既に思い出せていると気付けて。

「おにきりべそうまと……鬼切部、相馬党」

 桂の口から台詞は、声になって実感を伴い。
 そうだった、十年と数ヶ月前に幼い僕達は。

 ゆーねぇに遺恨を抱く者達の人質に囚われ。
 半日経たずに僕達は無事救い出されたけど。

 ゆーねぇが生命を削って助けてくれたけど。
 その時僕達は彼らに何かをされた。それは。

 言霊による暗示で、人の行動を縛り操る…。

【好奇心を抑えるな。化外の物に興味抱け】
【歩み出せ。近付いて良く覗き、手で触れ】
【興味の侭に、好奇の侭に。己を抑えるな】
【化外の物は面白いぞ。深く関るが良い…】

 幼い記憶は全て緻密には憶えてない。でも。
 思い出せた桂は初めて、全てに得心が行き。

 禁じられずとも人寄り付かぬ蔵やご神木に。
 母さんが倒れて意識混濁に陥った夜に迄も。

 母さんの心配もせず蔵に入り込んだ真因は。
 唯の好奇心や気紛れや興味本位等ではなく。

 幼い桂が既に術中に陥れられていたのだと。
 そして相馬党の呪詛は桂のみならず僕にも。

【憤りを抑えるな。恨みの相手に憎悪抱け】
【縋り付け。食いつき報いの牙と爪を立て】
【憤怒の侭に、恨みの侭に。己を抑えるな】
【復讐は爽快ぞ。思う侭に振る舞うが良い】

 僕が初めて父さんに抱いた憎悪に我を失ったのは。憤怒を恨みを抑えられなかったのは。
宿る依代もなく、朝迄放置すれば陽に照され消える主の分霊を、呼び寄せ宿した真因とは。

『父さんを殺めたのも、桂の記憶を鎖させたのも。明良さんを僕の定めに巻き込んで死な
せたのも、烏月さんの兄を奪った結末も全て。この手が殺めた千羽の人の生命も、奪い去
った多くの無辜の人の生命も。その源には…』

 僕の罪が消えてなくなるとは思わないけど。
 僕が多くの人を殺めた事実は変らないけど。
 拾年の間抱き続けた疑念が解けた気がする。

 彼らも鬼神の封じを解く為に掛けた訳では、ないだろうけど。直接望んだ結果に繋らな
かっただけに。恐らく呪の発動に失敗した故に。逆にその存在をゆーねぇにも誰にも悟ら
れず。

 僕の場合、その呪は巨大な主の陰に隠され。
 桂の場合、その呪は記憶と共々に鎖されて。

 掛けられた僕達さえ気付けぬ侭に今に至り。
 ゆーねぇは桂を間近に見つめ語りかけつつ。

「羽藤の家は、贄の血や化外の『力』を持ち。叔母さんは破妖の太刀を扱う鬼切部の強者
で。『力』や呪物は身近にあった。青珠もご神木もわたしの『力』も。良月は封じられて
いても、羽藤の遺物を収蔵する蔵が結界の作りで、化外の物で。桂ちゃんがそれらを日常
に受け容れてくれている事に、わたし達も不審を抱かなかったけど……だからこそ、化外
の物や『力』への興味を抑えられないと言う暗示は、ずっと心の奥に潜み続け気付かれる
事なく」

 多くの病が発作や症状のない時に、見極めるのが至難な様に。後催眠や術の暗示も発動
している時でなくば、存在自体に気付き難い。見極めは至難を極めるのと、ゆーねぇは関
知や感応で僕に視せて聞かせつつ、語りを紡ぎ。

 なぜノゾミのみならず、烏月さん迄が俯き加減なのか今悟れた。この麗人は、千羽党で
はなくても鬼切部として負い目を感じ。十年前の他党の事なら彼女の責任の範囲外なのに。

「改めて言うわ。桂ちゃんは何一つ悪くない。拾年前の夜も、蔵に入り込んで良月の封じ
を解いて招いた悲劇も、幼いあなたにはどうする事も出来なかった。防ぐのも気付くのも
大人の役目、大人の責務。桂ちゃんは唯わたしの禍の余波を受けて、逆らえぬ侭禍に導か
れ、その中で必死に生き抜こうと頑張っただけ」

 不思議な物に興味を抱くのは幼子の当然で。
 それが日常に散見されれば受け容れて当然。

 当然でなかったのは時折、大事な時にでも桂は好奇心や興味本位に、僕は憎悪や憤怒に、
共に抑えを効かせられなかった事で。でもそれは羽藤桂や羽藤白花に起因する禍ではなく。
『力』や術でその様に他者に操られたのだと。

「拾年、気付けなかった。あなたに暗示が掛けられた侭だった事に……ごめんなさい…」

 真相に辿り着いた美しい双眸は溢れそうで。
 そこにどれ程の悔恨が込められているのか。

 だから僕はこの終生を鬼神の封じに抛って。
 最愛の従姉や大事な妹の幸せを支え守ろう。


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


 それはオハシラ様の人の夢に繋る力の故に。
 手は届かなくとも、ゆーねぇの夢が視えて。

 夢の中で2人はご神木に凭れて座っている。
 オハシラ様の衣姿のゆーねぇとミカゲとが。

 ご神木の周囲は他に木や丈の長い草もなく。
 少し開けた空間には満月の輝きが降り注ぎ。

「どうして、ゆめいとミカゲがこんな処で」

 左隣で、ノゾミが驚きに言葉を失っている。ここはゆーねぇの夢の中だけど、ミカゲと
ノゾミは夢の登場人物ではないと、感じ取れた。ゆーねぇとミカゲは、九十度位に角度を
違え、肩合わせつつご神木に背を預け。その全景を眺められるやや遠い暗闇に、僕達は2
人佇み。

『僕はオハシラ様の感応の【力】で、ゆーねぇの夢見に入り込めた。僕から【力】や声を
届かせるのは至難だけど、見聞きするだけなら夜なら叶う。ノゾミが、ゆーねぇの夢見に
入り込む様子が悟れたから。気になって…』

 今更ノゾミを敵視や警戒はしていないけど。
 ノゾミの中のミカゲも消去されていたけど。

 ミカゲの怨念がノゾミに憑いて、霊体を乗っ取ろうとしていた事は。桂との話しの後で、
ご神木上空を遊弋して『力』を注いでくれた光の蝶を通じて、ゆーねぇから教えて貰った。
ゆーねぇは日中から、異変を察していた様で。

 僕が桂と話していた間、ゆーねぇはノゾミを操るミカゲが桂の血を欲すると読み。桂へ
の進路を妨げれば、ミカゲはゆーねぇを倒してその血を奪いに掛る。今は家族のノゾミが
牙を剥けばゆーねぇも怯む。ミカゲの介在を疑っていても、ノゾミと一体なら打ち祓う事
を躊躇う。その隙を突いてゆーねぇを倒すと。

 だからゆーねぇは敢て自らに噛み付かせて。
 ミカゲの動きも『力』も抑え込み、唇繋げ。

 贄の癒しを瞬時に大量にノゾミに流し込み。
 ノゾミは保ちつつミカゲだけを灼き尽くす。

 噛み付かれて呑まれた贄の血も、ゆーねぇの『力』と心を宿し。容易にミカゲの意志に
は屈せず、逆にミカゲの足かせとなり。乗っ取られ組み敷かれていた、ノゾミの心を支え。

「ええ、その通りよ。私は今宵ゆめいの血を呑んだから、一時的に繋りが強くなっていて。
この奥深く迄ゆめいの夢に入り込めた。それが貴方を女の子の夢に招く事になったけど」

 本意ではないけど、ゆーねぇを想う者なら邪魔ではないと、ノゾミは僕の存在を厭わず。

「桂と烏月さんは?」「全く気付いてないわ。けいは年来の障りが解けて安眠中で、鬼切
り役もけいに添って眠っている。現のゆめいはどう見ても、普通に眠りについていて、異
常の欠片も見られない。見せてないというべきかしら。それとも異常を、報せられな
い?」

 ノゾミは謝罪や礼を述べたくて、ミカゲに憑かれていた疲弊を残しつつ、無理して夢に
入り込んだ様だ。そこで予想外の光景を視て。ノゾミに入り込んだミカゲは、ノゾミと唇
を重ねたゆーねぇに滅ぼされた筈だった。でも今僕達が見ているのは、ゆーねぇの記憶に
いるミカゲではなく。夢の外に実在する脅威だ。

 ミカゲは拾年前そうだった様に、この夏滅ぼされる時迄そうだった様に。白く透き通っ
た肌に、赤い鼻緒の草履履きで。太股が見える程着物の裾が短く、袴は膝に届く程に長く。
非対称の振り袖は、右が薄紅で左が鳩羽鼠に花の染め抜き。色の薄い、毛先が少し外向き
に撥ねたかぶろ髪で。俯き加減に上目遣いで。

 仇敵の筈の鬼とゆーねぇは、年来の友の如く静かに肩を合わせ、月を眺めて時を過ごし。

「退屈で無意味に感じられたかしら? わたしの心の深奥に、付き合わせてしまって…」

「いえ。私も貴方を識る事は、無意味ではないと思うので。私に時間は無限にありますし
……ここは、貴方の願望の一つですか? 観月の娘とこの様に、悠久を過ごしたいとの」

 ミカゲの抑揚を全く欠いた問い返しの声に。
 ゆーねぇも自然に穏やかな声で頷き応えて。

「ええ……人の身を喪うと言う事は、人の寿命を喪うと言う事。年を経て豊かに熟成する
課程を喪う代りに、悠久の時を得たわたしは。2番に愛しい人の体を、呑んで貰えた己の
血が永く巡る様に……永遠を共に出来ると喜び。いつ迄も過ぎ行く時を共に過ごし、いつ
迄も変らない愛しい人を眺め続けていたいと…」

 ご神木の幹で肩を寄せ合って2人月を眺め。
 百年でも、千年でも、万年でも、2人夜を。

 何でもない事を話し、何でもない時を過す。
 否、何も話さなくても良い。唯共にあれば。

 貴女ともこうして肩寄せ合って今居る様に。
 一番たいせつな人の行く末を見守りながら。

「主ともこの様に、悠久を過ごせればと…」
「主さまを封じて、還そうとした貴女が?」

 主を還すと言う事は彼を殺めると言う事だ。
 敢てそれを問うたミカゲにゆーねぇは頷き。

 主を滅びに追い込みつつ主との悠久を願う。
 ゆーねぇはオハシラ様失格の答とも承知で。

 名月を見上げる瞳には迷いも躊躇いもなく。
 封じの中では啀み合ってもなかったのよと。

「主が他者を傷つけなくなれば、或いはわたしに主を掣肘出来るなら。人の世間で一緒に
生きて行ける様になれば。主を解き放つ選択もあると想っていた。それは今も」「……」

 主も一番ではないけど大切な人だったから。敵だけど、絶対解き放てない鬼神だけど、
それでもわたしにはとても哀しい存在で、真っ直ぐな心の持ち主で、不器用で憎めなかっ
た。

 今更ゆーねぇの主への愛に、驚きはしないけど。元々甘さ優しさに果てのない人だけど。
贄の血筋は桂もゆーねぇも、時に愛してはいけない者迄愛してしまう。己の敵や仇迄をも。

「何度も戦い傷つけ、滅ぼしてしまったけど。わたしはあなたも、封じたり殺めたりはし
たくなかった。それは今も」「本気ですか?」

 ええ。ゆーねぇは間近なミカゲに頷き返し。
 ミカゲは驚きも感じさせず、平静さを保ち。
 僕とノゾミは緊迫した侭拳を握り耳を欹て。

「ノゾミちゃんは、主への思慕もあなたへの情愛も、捨てていない。あなたが主の封じを
解く事を諦め、人を殺めなくなってくれれば。桂ちゃんの生命脅かす事を止めてくれれ
ば」

 わたし達と共に生きる選択もあると思うの。
 わたしがあなたの依巫(よりまし)になる。

 この世で最もあり得ない筈の選択と展開に。
 ノゾミも僕も声が詰まり身が固まったけど。

 それは桂がノゾミを受け容れたより剛胆で。
 桂にもゆーねぇにも危険極まりない選択で。

 拾年前の夜の悲劇を招いた、仇のミカゲを。
 ノゾミの受容で鬼切部の寛容は限界なのに。

「あなたが言霊で約定してくれれば、わたしがあなたを守り支える。あなたが人の世で生
きていける様にわたしが導く。あなたが生き存えてくれればノゾミちゃんもきっと喜ぶ」

 依代のないミカゲには最良の提案だろうに。
 唯一滅ぼされずに済む、最大最後の命綱を。

 ミカゲは声音も乱さず表情も変えず冷徹に。
 ゆーねぇの心からの提案を、即答で拒んで。

「情けは要りません。人の情けや助力等…」

 ミカゲはノゾミとは違う。何度人の血を啜ってその心が流入しても、ミカゲは全く変る
事なく。今後も主の解放を欲し求め。人を餌と見なし操り貪り。桂やゆーねぇに仇を為す。

 故にそれを否定する言霊は絶対口にしない。
 それは今後も永遠に相容れぬ敵という事で。

「私のたいせつな方は主さまだけで、その解き放ちこそが我が望み。人は鬼たる私の餌で、
主さまを解き放つ『力』の源。その為に何百何千の生命を生贄にしようとも、痛痒はない。

 貴女との語らいは無意味ではなかったけど。貴女の在り方は興味深く、識る事で私は大
いに利用出来そうですけど……決裂の頃合です。貴女こそいつ迄も心の深奥で、時を費や
しては拙い立場でしょう。私はいつ迄も貴女に心の深奥で、時を費やして貰う積りですけ
ど」

 その言葉は忠告ではなく宣戦布告で、充分時間を稼ぎ終えたと言う意味だ。ミカゲは老
獪で百戦錬磨だ。時間稼ぎが要ると思えばゆーねぇの話しに応じ、不要と思えばさっと離
れてまず不意打ちを避け。戦う体勢を整える。

 ゆーねぇの応対がやや鈍い様に思えるのは。
 ミカゲの思い通りに事が進んで見えるのは。

 ゆーねぇはまさか彼女がノゾミの妹だから。
 戦う決心に躊躇い後手を踏まされている?

 でも事ここに至っては、最早他に途もなく。
 一度意を決すれば怯みを知らない人だけど。

「そうね……残念だけど。今後も鬼神の解き放ちを諦めず、人を餌と見なし、わたしのた
いせつな人を脅かすなら、戦わざるを得ない。わたしがあなたの思う侭には、させない
わ」

 ゆーねぇが言葉柔らかな侭決然と立つと。
 ミカゲがそれに応じて赤い紐を紡ぎ始め。

 望月が照す夢の奥で人知れぬ戦いが始る。


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


「戦いとは始った時に勝敗が決しています」

 弐拾メートル程の距離を置いて対したミカゲは。瞳の裏を灼く朱を身に纏いつつ、自ら
攻めに出る様子はなく。ゆーねぇの出方を窺うと言うより、カウンター狙いや罠を張って
待ち構えると言うより。最早攻めに出る必要なく、時の経過が己の味方と言う強い自信を。

 ゆーねぇは左腕を前方に伸ばした構えから。
 光の蝶を創り出し次々ミカゲへ差し向ける。

 でもそれは赤い紐の分厚い防御に阻まれて。
 相殺してもミカゲには殆ど痛手はない様で。

 赤い紐は修復されつつ更に膨大な数へ増え。
 ゆーねぇもどんどん光の蝶の数を増すけど。

「余計に護る者が多ければ結局全て取り零す。
 全てを守り通すなど鬼神にも叶わぬ絵空事。

 貴女は姉様に千年馴染んで根付き易い私を、姉様の中から駆逐する為に、己の守りを疎
かにして姉様に宿った私を灼き尽くし。代償として貴女の中に私を、根付かせてしまっ
た」

 貴女に噛み付いたのは、貴女の贄の血を得る以上に、貴女を打ち倒す以上に。貴女の肉
と霊の双方に傷を穿ち、私の分霊を住まわせる為です。貴女程使える人はそう多く居ない。
主さまの分霊が桂の兄に取り憑き操った様に。私は貴女に取り憑き操って主さまを解き放
つ。

『何て狡猾な……ミカゲがノゾミに取り憑いても消滅を免れるだけで。ノゾミの力量では、
桂やゆーねぇの血を呑まないと、鬼神の封じは破れないけど。ゆーねぇに取り憑き操れば、
ゆーねぇの【力】なら鬼神の封じも解ける』

「姉様に宿る私は貴女に灼き尽くされたから、戦績は一勝一敗ですが。姉様に宿る私が滅
びても、依代がある限り私は終らない。むしろ姉様よりも貴女の方が『力』も大きく、敵
を排除するにも主さまを解き放つにも好都合」

 貴女は私に一度取り憑かれれば終りです。
 人の心で鬼の強靱な意志には抗い得ない。

 せめてその場で即座に弾き拒んでいれば。
 姉様を考えず私共々灼き尽くしていれば。

 余計な情けや話しで時を浪費しましたね。
 今宵一晩で私は貴方の奥深く迄浸透した。

「槐に宿る霊の存在だった頃とは違う。貴女は体を捨てて外には逃げられない。既に半ば
体の主導権を奪われ、身動き取れなくても」

 最早ここ迄浸透すれば貴女に為す術はない。
 その甘さ優しさが貴女の隙であり弱点です。

「確かに、ミカゲの意識がゆーねぇの心や体に深く浸透している。主の分霊が取り憑いて、
僕を乗っ取り操っていたこの拾年の様に…」

「私はミカゲに浸透されたから分る……昨夜の記憶を封じられ、今宵ミカゲが裏返る瞬間
迄私は。己にミカゲが憑いた事も思い返せず、ミカゲの都合良く心を導かれ。ミカゲが体
を心を操りに掛った時は、全く抗えなかった」

 ミカゲの意志は鬼神の意志。『力』の量は憑いた器の上限迄だけど、心の内で向き合え
ば意志の強さが全てを制す。ゆめいは蚕食されつつある心の内で、鬼神に向き合っている。

「主さまの強さは『力』や技の強さだけじゃない。鬼の強さとは、欲求や執着を叶える為
なら困難や障害にも怯まず、誰をも何をも踏み躙り、痛みも怖れも突き抜ける心の強さ」

 形勢は一見双方に決定打がなく互角だけど。
 この戦いは長引く程憑いた側に有利に傾く。

「簡単には夢の奥に引っ込んでくれませんね。

 でも時間の問題です。私は貴女の内に根付き終えた。今の私の力量は貴女と同等。鬼の
心の強さは人を凌ぐ。貴女に私は滅ぼせない。鬼の心を持つ私は、いつ迄も戦い続けられ
る。貴女が消耗し疲弊し、勝利の展望もなく希望を失い諦める迄、一体何日保たせられる
か」

「させないわ……あなたの望みは叶わない」

 ゆーねぇは尚も光の蝶を続々呼び出すけど。
 ミカゲの禍々しく赤い紐も更に数を増やし。

「ゆめいは拾年槐で鬼神その物を封じたの。
 ミカゲにだって簡単に敗れる筈がないわ」

 違う。ノゾミは憑かれた経験が少ないから。憑かれた相手と己の内で戦う不利を知らな
い。鬼の執念や想いの強さも凄まじいけど。それ以上に取り憑かれ『力』を吸い上げられ
てゆーねぇ自身が疲弊する。それは僕の寿命も使い果たした。ご神木の中で無限に『力』
を補充され、存在を保たれるオハシラ様とは違う。

「限界が見えた様ですね、鬼と人の違いが」

 ミカゲの赤い紐の増加に較べ、相殺後の補修の早さに較べ。ゆーねぇの蝶の出す早さが、
数が追いつかなくなり始め。ミカゲは守りに徹し続けているけど。攻めに出る必要等ない。
ミカゲはゆーねぇの『力』を吸い上げている。その赤い紐や蛇の源は、ゆーねぇの『力』
だ。

 ミカゲは紐や蛇を呼び出すだけで、ゆーねぇの首を真綿で締めている。蝶を防御相殺す
るだけで、ゆーねぇを更に削っている。でもミカゲのこれ以上の浸透を防ぐには、ゆーね
ぇは己を削ると承知で、ミカゲを倒さねば…。

「どうして……ゆめいの身や心が疲弊すれば、出せる『力』は弱まるわ。でもそれはゆめ
いだけじゃなくミカゲも同じ。同じ身と心に依っている筈なのだから。でも、ミカゲが吸
い出せている『力』はむしろ、増えて視える」

「身や心が疲弊し、消耗してきているからだ。

 ゆーねぇは卓越した術者で心も強靱だから、浸透されても多くの部分が、ミカゲの
『力』の吸い上げを拒んでいる。浸透を阻んでいる。鬼に簡単に『力』を明け渡さない、
それは本当に凄い事だけど。でも己の内での戦いを続けて、戦場にされて身も心も傷み始
めると」

 ゆーねぇの意志が及ばない箇所が出始める。
 ミカゲはその様に傷めた箇所から『力』を。
 吸い上げて己の物にして更に優位に戦いを。

「戦えば戦う程、ミカゲに有利に傾くの?」

 僕が応えないのは、ノゾミの問に頷いたその先に、どうすれば良いかの策がないからだ。

「外から助けの『力』を注げれば、或いは」

 あんたは……ゆーねぇを助けられないのか。
 僕がそう願い求めねばならぬ事が情けない。

「僕は、視るだけで声も『力』も届かせられない。どうやっても外に影響を及ぼせない」

 現身を作れない。満月の夜でも、今の僕の力量では、ご神木との繋りでは、蝶も作れず。
外から祓い清め、或いは癒しの力を及ぼせば。転がり落ちる形勢を食い止め逆転出来るか
も。

「出来ないわ……ゆめいとミカゲの双方の意志で、外からの介入が拒まれている。敵を増
やしたくないミカゲは兎も角、ゆめいは…」

 ノゾミも漸く視る事が出来た状態で。深奥に『力』を及ぼそうと手を伸ばしても、目の
前で透明な膜に遮られ。繋りを拒まれている。今のノゾミにゆーねぇの本気は突き破れな
い。

「姉様に再度私を憑かせたくない、ですか。
 姉様を本当に大事に想っているのですね。

 貴女の幸せを拾年前の夜に壊した姉様を。
 本当に、愚かしい程に甘く優しく弱い女」

 ミカゲの一言で僕も漸くゆーねぇの真意を悟れ。ノゾミが夢に入り込めば、再びミカゲ
に取り憑かれるかも知れない。それを嫌ってゆーねぇは、夢を鎖しミカゲを隔て。でも!

「それは私には有り難く好都合……しかし」

 貴女を組み敷いて自由に操れれば、貴女の『力』を使えば姉様などいつでも従えられる。
貴女の癒しの様に私の分霊を注ぎ込めば良い。貴女を操れば姉様の魂もすぐ塗り替えられ
る。口移しで私の分霊を、喉に流し込みましょう。

 間近でノゾミがびくっと震える様が悟れた。

「姉様の介入など今更無意味でしょうけど、貴女が拒みたいなら拒んだ侭で滅べば良い」

 どっちにしても結果は同じと酷薄に嗤い。

「取り憑かれ根付かれ寄生された今の貴女に、私を滅ぼす力量はない。私はいつ迄も戦え
る。戦えば戦う程に、私の優位が固まって行く」

 もうすぐ私が貴女を貴女の内に封じます。
 封じの要を私が封じ、主さまを解き放ち。

 桂の血を一滴残らず啜り取って生命奪う。
 貴女もその内側で、最期の時迄責め苛む。

「あなたにそれは叶わない。あなたの願いは届かない。わたしは決して先には倒れない」

 ゆーねぇの戦意は尚も静かに強く保たれて。
 でも優位にあるミカゲはそれを軽く一瞥し。

「蛇や紐はまだ作れます……貴女の『力』が貴女や貴女のたいせつな物を滅ぼす末路に涙
なさい。諦めて心砕かれ、泣き崩れなさい」

 今度こそ貴女に挫折を思い知らせる。貴女の体で貴女のたいせつな物を穢し奪い、傷つ
け哀しませ生命を絶つ。貴女の衣も全部剥いで肌を裂いて、全身に赤い紐を穴だらけに突
き刺し注ぎ。悲鳴にのたうち回る姿が見たい。主さまも姉さまも私から奪った、八つ裂き
にしても飽きたらぬ程に憎い貴女の絶望を…!

「どこ迄保つか。あなたの抵抗、あなたの想い、あなたの生命。全て消し潰す。全て朱で
掻き消して、呑み込んで、何一つ残さない」

 見ていられなくなったノゾミが声を挟む。
 透明な境界に『力』を込めた拳をぶつけ。

「ゆめい、私を夢に入れなさい! 私の助けを受けて。私の想いの『力』を使って形勢を
立て直しなさい。あなたはその位出来る筈」

 でもゆーねぇはノゾミの助けを受け付けず。
 ノゾミの助けは気休め程度でしかないけど。
 今は少しでも外界の助けと繋るべきなのに。

「ダメだ。この侭では、ゆーねぇが敗れる」

 僕の様に鬼に体を乗っ取られ、桂も危うい。
 何より僕が微笑んで欲しかった一番の人が。
 僕の力量不足の為に、こんな処で喪われる。

「ゆーねぇは、絶対に僕の前で死なせない」

 無理でも何でも助けの『力』を届かせねば。
 どんな形ででもミカゲの所作を妨げないと。
 さっきの感触を思い出してもう一度現身を。

「いつ迄戦い続けても無意味です。貴女に私は倒せない。分霊を移す瞬間が分水嶺でした。
望月だから私も危うい賭けを為せましたけど。後はもう転がり落ちるだけ……望月の輝き
は貴女の身や心に、つまりその身や心に宿る私と貴女に同等の『力』を与える。互いの形
勢に決定的な変化は与えられない。幾ら抗戦しても、貴女の敗北が少し先に伸びるだけ
…」

 私を怨念の欠片だった時に始末しておけば。
 この様な逆転劇は起こり得なかったものを。

「己の甘さ優しさを悔いて終りなさい…!」

 ミカゲが勝利を確信した笑みを浮べた瞬間。
 視界全てを凄まじい光の乱舞が埋め尽くし。
 起こり得ない筈の逆転劇が目の前で生じた。


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


 それは突如空から降り注いだ膨大な輝きで。
 夜が払い除けられて昼になった様な目映さ。

 でもそれは無慈悲にギラつく陽光ではなく。
 照しつつも涼やかに清らかな満月の蒼光で。

 百倍千倍に増幅されてもその性質は変らず。
 強烈な輝きの放散が一段落し目を開けた時。

「一体、何をしたのです……貴女これは…」

 元の通り夜のご神木の下に佇むゆーねぇは。
 桁違いの燐光を纏ってミカゲに対していて。

 ミカゲの声音は珍しく動揺や不安を隠せず。
 その身を包む赤い紐や蛇も半分近く消失し。

 そのとてつもない効果を前にノゾミも僕も。
 何があったのかを考え案じる前に驚き呆れ。

「あなたの想いも『力』も、この身に心に刻んだわ。確かに最後のミカゲを受け止めた」

 ゆーねぇはこの時に至っても言葉静かに。
 やや沈痛な、憂いや悲哀を秘めた表情で。

「ご神木の根元の良月の破片は、最早唯の抜け殻で、人に影響を及ぼせない。ノゾミちゃ
んに取り憑いたあなたの分霊は、わたしが滅ぼした。今やあなたはわたしに宿るだけ…」

 あなたを滅ぼせば、正真正銘最期になる。
 あなたの望みを永遠に断ち切る事になる。

 そこ迄言うと、ミカゲの顔色が変じ始め。

 己の命脈ではなく、願いが絶たれる事は。
 ミカゲも流石に深刻な事態であるらしい。

「ノゾミちゃんのたいせつな妹で、わたしが愛した主の分霊だから、叶う限りその生命を
繋ぎたかったけど。一緒に生きたかったけど。わたしは敵対した侭のあなたを生かせな
い」

 ミカゲは尚ゆーねぇから『力』を吸い上げ。
 周囲の赤い紐や蛇を増強して修復するけど。

 ゆーねぇの意志が発動すると、周囲は再び。
 膨大な月明りが天空から滝の如く降り注ぎ。

「この光、眩しすぎ」「夢に入っていたら」

 ノゾミも僕も巻き添えを食ったかも知れぬ。
 僕達が危ういからゆーねぇは介入を拒んだ。

 闇も大地も夢の全てを照射する如き輝きは。
 二度目で赤い紐や蛇をほぼ全て消失させて。

「継ぎ手……あなた、まさか光の蝶を現に」

 ほぼ戦意喪失したミカゲの呟きで、僕達も。
 漸くゆーねぇが何を為したのか推察が及び。

 その凄まじい用意周到さに再度、驚き呆れ。
 ノゾミや僕の助けなど最初から不要だった。

「ゆーねぇは眠りにつく前から、ミカゲの侵食を受ける前から、現に蝶を数多く飛ばせて
いて。満月の輝きを羽根に受け、照り返し集約して、即座に注ぎ込む準備を終えていた」

「満月の光は、唯でも化外の物に『力』を与えるけど。ゆめいはそれを、外に飛ばせた蝶
を遣って更に増幅し集約し、自身に直接注ぐ準備をして。ミカゲの挑戦を受けたのね…」

 ゆーねぇの身に外から注がれる大きな助け。
 それは一撃で戦いの形勢をひっくり返して。

「ミカゲが満月の夜に、最も化外の力の強まる時に動くと読んで。ゆめいは満月の力をそ
れ以上に、大きく利用し……決まったわね」

 今からミカゲが躍起になって、ゆーねぇを倒そうとしても、消耗疲弊させようとしても。
拳銃を撃つ間に、致命の大砲が撃ち込まれる。

 勝敗は決した。否、最初から決していた。

 ミカゲは最初から、あり得ない勝利に向かって、徒労な戦いを挑んでいただけに過ぎぬ。

「戦いとは始った時に勝敗が決している…」

 そう言う事ですか。膝をついたミカゲは。
 その傍へ歩み寄る、ゆーねぇに語りかけ。

「私をその身や心の内に封じて生かす選択は、ありませんか? 貴女の力量なら私を飼え
る。私に抱く想いがあるのなら、姉様の悲哀に想いを馳せ、私を残す選択はありません
か?」

 最期のミカゲを、滅ぼしてしまうのですか。
 姉様が情を残し、貴女が愛した主の分霊を。

 貴女の願いやノゾミを絶つ事になりますよ。

「貴女は多くの者を、生かして定めを変えてきた。もし貴女の願いが殺戮ではないのなら。
生かし続ける事で遙かな未来に、敵対の定めを変えられる芽を、残せるかも知れません」

 僕が声を出す前にノゾミの叫びが響き渡る。
 入り込めない境の透明な膜を拳で叩きつつ。

「ゆめいダメっ、滅ぼして。ミカゲは絶対人に心を開かない。それは私も分っている。一
緒に生きる事なんて望めない。それよりこれ以上けいやあなたに、禍の芽を残さないで」

 ノゾミは滴が溢れ零れそうな双眸を見開き。

「私の事は良いから。仇である私の内心をこれ以上汲み取らなくても、察しなくても良い
から。あなたはあなたの一番の人の為に最善を為さい。最期のミカゲの息の根を止めて禍
の芽を絶ちなさい。それが私の一番の人の為の最善で、私の真の願いにノゾミに繋るの」

 その叫びは果たして届いたのか。間近に歩み寄ったゆーねぇは、俯き加減なミカゲの右
肩に軽く触れ、了承の頷きを。一度は膝をついたミカゲにその手を伸ばし、再度立たせて。

「あなたがわたし達と共に生きてくれるなら。桂ちゃんの生命を奪わないと、桂ちゃんを
守ると、桂ちゃんや桂ちゃんのたいせつな人や自身を守る以外、人に害を与えないと。言
霊で約定出来るなら。わたしの想いは今も尚」

 ゆーねぇはどこ迄行ってもゆーねぇであり。
 ミカゲも又最後の最後に至ってもミカゲで。

「出来ません。それは私の生き方ではない」

 消して下さい。私は人と共には生きられない。桂や桂をたいせつに想う姉様とも。主さ
まと、主さまだけをたいせつに想う姉様から生じた存在たる私は。姉さまの主さまとの幸
せは喜べても、桂や貴女との幸せは喜べない。

「鬼神の心を変えられるとお思いですか?」

 皮肉の極みだった。解放を願う主の分霊で、自由を望むノゾミの妹のミカゲこそが、不
自由な存在だった。主の一部で姉の影に過ぎないミカゲは、飽くなき自由を求む2人の傍
で、最も不自由な定めに千年縛られ尽くし続けて。

「残念だけど、それではわたしの答は一つ」
「私を憑かせて飼う選択もないのですか?」

 上目遣いにゆーねぇの表情を窺う少女に。
 細身に取り縋り暫時の生を望むミカゲに。

 一瞬ゆーねぇは本心からの憤怒を見せた。

 美貌の奥に垣間見えたその圧は主に近く。
 ミカゲよりも僕の隣のノゾミを竦ませて。

「憎しみや恨みを凌ぐ愛を胸に抱けない限り、わたしがあなたを生かして置けないという
以上に。わたしの一番たいせつな人に禍を招く者を、何の事情もなく残す訳には行かな
い」

 まっすぐな答と視線がミカゲの心を挫く。
 気迫ではなく生かされぬとの答の中身に。
 想いだけの存在が心挫かれると言う事は。

「愛さなければ生かして残さぬ……その発想には、私や主さまに近しい印象を感じます」

「そうね……いっときでも、鬼神の後妻を務めたし、オハシラ様も鬼を封じる鬼だから」

 応対は急速に緊迫感を失って。それは最早先行きが見通せたから。末路が確定したから。
軽く触れて、ミカゲの体を支えている様にも見えるゆーねぇの繊手は、ミカゲを滅ぼし終
える時迄、締まりはしても放される事はない。

「夫の分霊を討ちますか。正に鬼ですね…」

「ええ。わたしはたいせつな人を守り支える為なら、悪鬼にも修羅にも鬼畜にもなるわ」

 静かに狂気と紙一重の位置にある答を返す。
 最初から最後迄ゆーねぇはゆーねぇだった。

「人にではなく、鬼や羅刹に破れるのなら。
 もう充分です。後はあなたの想いの侭に」

 姉様、とミカゲの口が動いて見えた。ゆーねぇの夢の境界のすぐ外側に、張り付いてい
る僕達に向けて。いついつ迄も共に過ごしたかったと、声には出さず。でも真情を込めて。

 その華奢な身を、ゆーねぇの繊手が左右から強く抱き。ミカゲは最早抗わない。黙して
ゆーねぇが身に纏う淡い輝きを細身に受けて。従順にゆーねぇの胸元に頬を押しつけられ
て。それはまるで慈しむ様な、愛おしむ様な抱擁。

 灼き尽くす『力』の発動だけど。ミカゲを終りに導いているけど。唯討ち祓って消し去
るのではなく。打ち破りつつも、ミカゲの想いを自身の内に取り込んで。この絵図に温も
りを感じるのは、錯覚ではなくゆーねぇが…。

「ミカゲ。わたしのたいせつなノゾミちゃんの千年の妹で、わたしの愛しい主の分霊。最
期迄主を慕い想い続けてくれたあなただから……わたしの想いで包んで消してあげる…」

 あなたをわたしの中に受け容れて、一緒になってあげる。わたしが主を慕う想いに、混
ぜ合わせてあげる。愛される保証はないけど、愛するだけなら悠久に叶う。わたしの最期
迄。

 ゆーねぇは主を想っているから。主を慕う想いでは一途なミカゲを、仇と承知で尚愛さ
ずには居られなく。ノゾミを深く愛しているから。ノゾミが情を断ち切れず、歪んでいて
もノゾミへの情を断ち切れぬミカゲを、禍と承知で尚想わずにはいられなく。桂を一番愛
しく想うから、所作に躊躇や惑いはないけど。その現れは清冽に美しく苛烈で尚、情を残
し。

「貴女は不必要な迄に甘く優しいのですね。
 私を憎みつつも愛し、主さま迄をも愛し。

 主さまに、宜しくと……お伝え下さい…」

 ミカゲのミカゲたる中核が、喪われ行く。
 それは離れた僕にもひしひしと感じられ。

「ミカゲっ!」

 もう間に合わないと承知で、ノゾミが己の限界を突き抜け、ゆーねぇの透明な膜の拒み
を突き抜け。ゆーねぇの夢見に突入したのは。ゆーねぇの腕の中でミカゲが消えた時だっ
た。


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


 ゆーねぇの夢見に強引に突入したノゾミの前で。ミカゲの全てを還し終えたゆーねぇは、
宙を舞うその残滓とも言うべき光の粉を纏い。ノゾミが無理矢理夢に分け入った事を責め
ず。

「ごめんなさい……わたしの力が足りなかった為に、あなたの妹を、助けられなかった」

 至近でノゾミに正面から向き合ったゆーねぇは。一度深く頭を下げてから、面を上げて。
ノゾミは駆け寄ると言うより抱きつく感じで、ゆーねぇの両の繊手を、たった今ミカゲを
消し終えたばかりの滑らかな両の二の腕を掴み。

「……ゆめいっ……、……、……、っ…!」
「あなたのたいせつな人を奪ってしまった」

 桂ちゃんの為でも、あなたとわたしの一番たいせつな人の為でも。あなたの千年の友を、
あなたのたいせつな人を、わたしは再び三度滅ぼてしまった。経観塚の夏でもそうだった
けど、二重三重にわたしはあなたの妹の仇よ。

 ノゾミは声を出せない。どの想いもが強く激しすぎて、どれから声にして良いか分らず。
ゆーねぇの両腕を握って幼子の様に揺さぶり。だから言葉は暫くゆーねぇの口でのみ紡が
れ。

「因果の報いはいつか、わたしにも巡るわ」

 それが今夜なのか、拾年後なのか、千年後なのかは分らないけど。それを待てないなら、
間近にあなたがその手で報いを、くれて良い。

 溢れそうに潤んだノゾミの双眸を見つめて。

「わたしは今後も桂ちゃんと白花ちゃんに己を尽くしたいから、滅ぶ訳に行かないけど」

 あなたの哀しみも、怒りも、憎しみも、恨みも、この身で受け止めるから。打ち据えて
も、刺し貫いても良い。消滅は出来ないけど、その代り好きなだけあなたの想いを叩き付
けて良い。わたしは悠久に受け止められるから。

「……無事で良かった……っ……ゆめい!」

 ノゾミはゆーねぇの。独りでミカゲと対峙した無謀を叱ろうとも。その身に心に受けた
疲弊を心配しようとも。己の失陥が招いた結果や、妹が為した事を謝ろうとも。様々な想
いに揺らされて、何を為そうか、困惑の末に。最後は、たいせつな人の無事をまず喜ぶ事
に。

 抱きついてその胸に頬寄せて。強く両の腕を絡ませ。今度こそ涙を溢れさせ、零れさせ。

「嬉しい……けいやあなたと心通わせる事が出来た今が。あなたの無事を確かめた今が」

 あなたが最後迄ミカゲを生かす途を探してくれていた事は、私が分る。鬼切部に敵視さ
れる怖れを承知で。私の為に、ミカゲを生かして迎え入れる選択肢を整えて。その積りが
ないなら、怨念の欠片を滅ぼせば終っていた。

「私を通さず、最初からあなた自身がミカゲを受け容れる積りだったのね。根付かせてミ
カゲの本心と向き合って、その選択を問う」

 ミカゲが桂や今の私と、共に生きると応えたなら、あなたはその身の内に鬼を憑かせて
生かす積りだった。あなた自身の仇を、あなたの一番たいせつな人の仇を。鬼切部に討伐
される怖れも承知で。ミカゲが拒めば確実に打ち倒し、あなたの心の内へ想いを取り込む。
せめてその想いを受けて残して、生かそうと。敢てミカゲの攻めを受けて痛手を被ったの
も。

「必勝の策を整えて戦いを挑んだ訳じゃない。あなたは痛みも苦しみもなく、一蹴して終
らせられる敵を、無理に救おうとして甚大な痛み苦しみを、哀しみを自分自身に負っ
て!」

 ミカゲはミカゲの選択をした。今回のみならず夏の経観塚でも。判断を変えれば生命を
繋げたかも知れない局面でも、主さまへの想いを貫き。それはもう、私も諦めているから。

「私はあなたが心配なの! ミカゲではなく、主さまではなく。けいやあなたが痛み傷つ
き、苦しみ哀しむ様が見ていられない。あなた達は愚かな程に甘々だから。分って苦難の
道を選び取るから。人の為に己を削りたがるから。

 もう……私の過去の為に、傷つかないでっ。
 私は己の過去よりも、あなた達との未来が。

 けいやあなたと今過ごす日々が愛しい!」

 ミカゲは敵だったの。桂の生命を脅かして、あなたや私を滅ぼそうとし、その心を何度
も何度もかき乱した敵だったの。その敵を討ったあなたを私が恨む道理なんて、ある筈が
…。

 必死に言い募るノゾミの声を止めたのは。
 ゆーねぇの唇がその右頬に触れた感触で。

「敵であっても、よ」

 絶対に和解できない敵であっても。天地終る迄身を削り合う関係であっても。一番の人
を守る為に、共に天を戴かざる者であっても。最期の最期迄滅ぼし合う他に、術がなくて
も。その末に憎しみ合い恨み合う事になっても尚。

「たいせつな人は、たいせつな人。違う?」

 ノゾミが黙したのはそれが心の真だから。

 一番に出来なくても、その人をたいせつに想う事は出来る。決して譲れなくても、何一
つ力になる事も出来ず、苛み合う仲でしかなくても、たいせつに想う事は出来る。想う他
に何もできない哀しい繋りかも知れないけど。

「わたしに今の侭のミカゲを、敵対した侭の彼女を受け容れる力量はないわ。内に宿して
抑える事も、たいせつな人の安全を保つ事も叶わなかった。一番たいせつな人を守る為に、
それ以外は時に切り捨てなければならない」

 心を鬼に変えても、自身を誰かを踏み躙っても、心を剥がす痛みや哀しみを承知の上で、
為さなければならない時はある。一番ではなくても、愛した人と敵対し殺め合う事さえも。

 ゆーねぇの瞳は愛しみと悲哀を共に宿し。
 ノゾミの正視を受けて奥の奥迄語りかけ。

「例え覚悟は出来てもそれは辛く哀しい物よ。その痛み哀しみも、あなたの本当の心だか
ら。踏み越えた後で悔いや寂しさに肩を震わせるのも、確かにあなたの本当の想いだから
…」

 あなたは千年主を慕い続け、ミカゲを妹と信じ、確かにたいせつに想ってきた。たいせ
つな人の死を悼む事は間違いじゃない。その死を哀しむ事は過ちじゃない。そしてその死
を招いた者に抱く恨みも憎悪も、正答なの…。

 どんな理由があっても、どんな事情があっても、大切なひとを奪った者に憎悪や恨みが
生じない筈がない。わたしがそれを分るから。わたしがこの身で痛い程に、分っているか
ら。

「だからその哀しみも受け止められる。その涙も嗚咽も、叩き付けたい程の恨みをも…」

 ノゾミの頬を伝う涙は留まる事を知らず。

「……ならっ! 未来永劫に受け止めて貰うから。私の憤怒を、憎悪を恨みを、悠久にあ
なたに受け止めて貰う。滅びなんて許さない。

 あなたは私の仇なのだから。私の想いが晴れる迄、許す迄、未来永劫、私の繰り言に付
き合いなさい! 私をたいせつに想う順番はけいの後で、けいの兄の後で観月の娘の後で、
そのずっと後で構わないから。いつ迄も…」

 私のたいせつな人として生きて応えなさい。

 拒ませないとノゾミは一方的に言い切って。

「ミカゲの想いを取り込んだ以上、あなたは私の妹も兼ねるの。私の不出来な妹を。実際
あなたは千数百も年下なのだし。時には…」

 あなたの恨み憎しみも聞いてあげるから。

 今宵、僕の出番は最初からなかった様だ。



− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


「じゃあ……また来るね。白花お兄ちゃん」

 翌朝未だ朝日の眩しい刻限に。桂達は全員揃ってご神木を訪れ、お別れを。彼らには人
の世間での暮らしがあるから、町に帰らねば。経観塚から首都圏へほぼ一日を移動に費や
す。そんな苦痛のないオハシラ様は気が楽で良い。

 桂は前夜の痕を、感じさせない爽やかさで。ゆーねぇの見立てだと、今後も暫く暗闇の
繭は訪れるらしい。きっかけは夏のミカゲの所作でも、罪悪感などは桂に根差す想いだか
ら。でも桂はそれを自力で乗り越えた。ゆーねぇも桂を支え守るし、徐々に改善して行く
と…。

 相馬党の掛けていた呪も、正体が分れば。
 時を掛けずに難なく解呪できる物の様で。

 ゆーねぇは桂と唇重ねた時に終えていて。

 僕にはご神木上空を遊弋する光の蝶から。
 降り注がれる月光に『力』込めて同様に。

 でも、桂の好奇心や心霊への馴染み易さは。元々の桂の資質や、拾年前以前の羽藤の家
風、その後母さんと暮らした日々の影響もあって。今後も残り続ける様で。今から覆せる
物ではなく、覆すべき物でもないと。夏の経観塚でも桂はその素養のお陰で、ノゾミや烏
月さんと絆を結び、ゆーねぇを取り戻す展開に繋げられた。好奇心も、全否定すべき悪で
はない。

「桂さんと柚明さんは私が守るから……お前は心おきなくお前の定めに、励むと良い…」

 烏月さんは言葉少なで。それはゆーねぇに順番を譲り、時間を多く残したいとの心遣い。
敵意が解けると、誤解が解けると、どう応対して良いか分らない不器用さも少し感じられ。

 桂の携帯の青珠も存在感を示す様に瞬いて。
 少しは僕もノゾミと馴染めて来ただろうか。

「白花ちゃん……次に来る時迄、お元気で」

 ゆーねぇは今秋、最後迄ご神木に触れることなく。光の蝶や呪物を使った想いのやり取
りはあったけど、まともに話しはできなくて。それでも心は、確かに通じ合っているから
…。

「逢えない間も、愛しい人は心に抱けば胸を温めてくれる。想いを、紡ぎ続けましょう」

 想いを確かに抱くなら、心は常に温かい。
 手に届かない陽が身を温めてくれる様に。

 手の届かない人がわたしを温めてくれる。

 ゆーねぇはそうしてこの僕の心を温めて。

「わたしは人の力になる術を持つ今が幸せ。
 身を尽くしたい人がいてくれる今が幸せ」

 桂ちゃん、白花ちゃん。ゆーねぇは桂を軽く抱きつつ、僕に向けて暖かな笑みを浮べて。

「わたしの前に生れてきてくれて有り難う」

『こちらこそ、僕の前に生れていてくれて有り難う。僕達の従姉に生れなければ、これ程
過酷な人生を経る事もなかったと思うけど』

 僕はゆーねぇのお陰で人であり続けられた。
 強く賢く清く優しい、一番愛しい憧れの人。

 これからは桂と一緒に、豊かな人の幸せを。

 主はゆーねぇ達が経観塚を訪れてくれた間。
 結局何の蠢動も見せず、拍子抜けする程で。

 ゆーねぇの前で僕を虐げて、桂達を動揺させたりしてくるかと、身構えていたのだけど。

「何をどうした処で、贄の娘は槐の封じを解きはせぬ。あの女は何を為すべきで何を為し
てはいけないか、知悉して貫き通せる強さがある。その心を幾ら削れても、結局動いたわ
たしが、槐の中で削られるだけだ」「……」

 膨大な力を尚残す主が、幾ら削られても痛手など僅少だ。それに鬼という物は、欲求や
執着の為なら困難や障害にも怯まず、誰をも何をも踏み躙り、痛みも怖れも突き抜ける筈。

 ゆーねぇが目の前で哀しむ事を憚ったのか。
 他者の反応を気遣う鬼神でもない筈だけど。

「ミカゲの動きも全て贄の娘の掌の上だった。貴様が現身を取って外に行けば、空き家に
なった槐の封じを、破ろうかと思っていたが」

 紅い瞳を僕に向けて、その気があったと主は本気を示し。主は封じの解放を諦めてない。
ゆーねぇが継ぎ手を外れた以上、主は唯僕を打ち破れば良くなった。解き放たれた暁には、
ゆーねぇの再度の強奪を主は望むのだろうか。

「結局今回はわたしの動く時ではなかった。
 ミカゲは贄の娘に誘われ自滅しただけだ」

 貴様は贄の子と話した時以外に、現身を取れなかっただろう。どんなに外界へ介在した
く望んでも。貴様の槐との繋りが浅い以上に、贄の娘の所作だ。ミカゲに誘われて貴様が
槐を飛び出してしまわぬ様に、あの女は貴様に、現身を取れなくする効果を及ぼしていた
のだ。

「あ……!」「今頃気付いたか」

 ゆーねぇは、僕の支えに『力』を注いでくれていたけど、確かにそれはその通りだけど。
それ以上にゆーねぇは、現身を取ろうとする僕を案じて。無理できなくなる様にと配慮を。

「ゆーねぇの危難に、必死に現身を取ろうとしても、助けに行こうと試みても。全く根が
離れなかったのは……ゆーねぇの所作だと」

 やられたとぼやく僕に主は哄笑を見せて。

「狡猾さではミカゲも、つまりはわたしも簡単に優れぬ相手。だからこそ掴み甲斐がある。
あの強さ賢さ美しさは鬼神にこそ相応しい」

「お前はダメだ。終生ご神木で暮らすんだ」
「貴様如き……贄の娘に踊らされた分際で」

「お前もミカゲが見事に踊らされただろう。
 やられたという点では、お前とも同等だ」

 鬼神の紅く輝く威嚇の視線を、睨み返し。

「久々に戦うか」「又お前を削ってやるよ」

 今は唯、僕の手で為せる事に全力を注ぎ。
 ご神木の中で日々羽藤白花を咲かせよう。


白花の咲く頃に〔丁〕(前)へ戻る

「柚明の章・後日譚」へ戻る

「アカイイト・柚明の章」へ戻る

トップに戻る