第15話 戦い奪いもの、戦い守るもの(後)


「鬼切りの技の流出は許されぬ。我らの手の内を晒し、鬼に余計な力をも与えかねない」

「盗まれたにせよ教えたにせよ、漏出は遮断せねばな。抗うならその生命を絶ってでも」

「盗んだなら盗人を速やかに処断せねばならぬし、教えたなら教えた者の処断も要る…」

「貴様が切られていれば問題もなかった物を。鬼切部が倒される異常事態は、捨て置け
ぬ」

 最後の青龍さんの声が本音か。鬼切部に狙われたら切られるべきで。それを退ける者は、
余程強い鬼か鬼切部の技の流出で、処断が必須で。どちらにせよ生き残る途はないと…?

 前方の藪から反応はない。マキや朱雀さんや他の作務衣の男女の、声や物音が漏れてこ
ない以上に、気配も感じず。既にもっと遠ざかったのか、気配を隠して尚潜んでいるのか。

「わたしの技は護身の技です。たいせつな人を守る為に叔母さんに鍛えて頂いた技だけど、
鬼切りの業ではありません。わたしの望みは倒す事ではなく守る事。鬼を倒す鬼切りの業
と、愛しい人を守り救いたいわたしの望みは、目指す方向が違います。鬼切部も市井で一
般の武道を教える事迄、禁じられていない筈」

 わたしが悪鬼でない事は認めて貰えたけど。
 今後鬼になれば討つという裏の意味を潜め。

 勿論わたしも再び鬼になる積りはないけど。
 それを除いて尚鬼切部を退けた事が問題に。

「ふむ。鬼切りの業ではない技で、鬼切部を退けたか。となると、一層話しは厄介だな」

「相馬党が一般人に敗れ等、あってはならぬ。鬼切りの業が流出していたなら大問題だ
が」

「今は貴様が懸念の的だ。鬼切部を破る技が市井にある事が、貴様の存在が放置できぬ」

 青龍さんの戦を前にした昂ぶりを、黄麟さんは『まあ待て』と一度抑えて。言葉を続け。

「本来なら有無を言わさず処断する処だが。
 鬼でない者には我らも多少情けを掛ける。

 昨年我が配下が敗れた背景には、油断の可能性もある。己を過信し敵を侮れば、一瞬の
隙を突かれ後れを取る事も。真に相馬の業に脅威となるか否かは、直に見て判断せねば」

 わたしの技を見ると言う事は、戦うと言う事だ。処断を避けても戦いは避けられぬのか。

「精強なる相馬党の皆様に、披露できる様な技ではございません。所詮は女子の細腕…」

 鬼や鬼に与する人をも切る鬼切部の覚悟は、わたしの覚悟と質が違う。わたしは悪鬼で
も、その生命を断つ事を望まない。鬼や鬼切部の戦いはわたしの手に余る。それは真弓さ
んに修練を願い出た、拾歳の時から変らぬ実感で。

「その女子の細腕に敗れた鬼切部相馬党が。
 再戦を望んで現れたのだ。受けなくば…」

 瞬間、心臓を握り潰された錯覚に囚われた。

 黄麟さんは手に持つ太刀の刃を桂ちゃんの。
 首筋に当て、わたしの受諾をもぎ取ろうと。

 滾る血を必死に抑え冷静さを保つわたしに。

「家を介し他流試合を申し込む事も考えたが、羽藤の大人は拒絶しそうでな。お前個人を
招く事も考えたが、争いを嫌うと聞いた。なら、そう言う娘を試合の場に引きずり出すに
は」

 これが効果的だった。大人と切り離してこの状況を招けば、わたしは試合を受けざるを
得ず。彼らの策は正解で、わたしが甘かった。行きすぎた平和志向は相手の暴発を誘うの
か。

「わたしがあなた達と戦い……敗れて見せる事をお望みですか? 打ち倒される姿が…」

 わたしの問に、青龍さんは怒気を露わに。

「鬼切部を、相馬党を……剣士を舐めるな!

 我らは貴様に八百長を呑ませに来たのではない。貴様が試合に応じさえすれば、相馬の
鬼切りの業が本気を出すのだ、勝敗は見える。幾ら足掻いても貴様に勝ち目のある筈がな
い。

 それを分って試合に応じろと言うだけよ」

 断るなら、分っているだろう? と青龍さんは夢現な桂ちゃんの首筋に、短刀を当てて。
その度に激昂の血流がこの身を巡る。鬼になった時より熱い奔流を、抑え込むのに懸命に。

「鬼切部相馬党の剣士が揃いも揃って、女子高生1人を倒す為に、幼子も含む無辜の民を
人質に取る様は、武士道や鬼切部の理念からも外れている気がしますけど……後で若杉や
羽藤に全てを知られても、良いのですね?」

 答に動揺があるか否かも、見極めたくて。
 この声には冷たい怒りが宿っていたかも。
 黄麟さんの答は相馬党の公式見解になる。

「我らの求めは鬼の討伐でもなく、鬼切部の技の流出の処断でもない。その必要が生じれ
ば中途からそれを為す事もあるが。我らが今欲する物は、お前の技を見極める他流試合よ。
若杉の指示や羽藤との講和の破棄にはならぬ。抗議があるのなら諸々の手段で申し立て
よ」

 この動きは若杉も関知してないと言う事か。
 なら若杉に相馬を抑えて貰う事も叶うかも。
 でもその目論見は、次の瞬間打ち砕かれる。

「今ここで、連絡が付くならの話しだがな。
 今ここを離れればどうなるか、分るな?」

 青龍さんはもう動く必要もなかった。白花ちゃんや桂ちゃん、気を失った和泉さんや強
ばった侭の聡美先輩にも、この手は届かない。

「生きて残れたら幾らでも抗議せよ、訴えよ。だが今は貴様は我らに向き合え、我らにの
み。貴様が己のたいせつな人を取り返したいなら、今すぐここで我らと立ち合え、羽藤柚
明!」

 受けて立つ他に、途は残されてなかった。

 羽藤の大人や若杉が止めに入ってくれる迄、時を稼ぐのは無理だ。今は彼らの望みに応
える他に、たいせつな人を取り返す途は視えず。

「殺し合いではないと再度確約して下さい」

 殺し合いでなければ和解の途は残る。己の生命が惜しい以上に。これを契機に真弓さん
サクヤさんが、鬼切部と全面戦争に入る悪夢は防ぐ。報復に無辜の民を人質に攫う彼らと、
尚和解すべきか否かの判断は、羽藤の大人に委ね。わたしは全てを決する立場には居ない。
芽を残す事・環境を整える事がわたしの領分。

「羽藤と相馬の和解は今も生きている。その上で殺し合いではない技比べの試合を為す」

 そうであるなら受けて良いですと伝えると。
 黄麟さんは短く『良かろう』と声を返して。

 この展開でどれ程その言明に重みが宿るか。
 それは立ち合いの勝者か多数者次第となる。

 漸く受けて立つ気になったかと青龍さんは。

「早く始めろ。始めて敗れろ。貴様を打ち倒す相馬の強者は、ずっと待っているのだ!」

 言葉と共に前方の藪に突如闘志が立ち上り。
 気配を隠す術で存在を隠していた様だけど。

 存在は既に悟れていた。気配を隠す為の術の行使、『力』の流れやその影響を見極めれ
ば、どこにどの程度の術が掛っているか分る。マキと朱雀さんを囲う作務衣の拾数人に加
え。

「こうして又相見えてしまったが百年目よ。
 相馬党・奥州拾七万騎が七席、相馬顕胤」

「お前に再び拳を叩き込む瞬間が楽しみだ。
 相馬党・奥州拾七万騎が八席、南郷宗正」

 わたしに遺恨を抱く2人の再登場に加え。

「相馬党・奥州拾七万騎拾弐席、相馬恒胤」
「相馬党・奥州拾七万騎拾参席、立花由香」

 身長二メートルを超える力士の様な巨漢は、黒髪短く両手に巨大な斧を構え。長い長い
日本刀を下げた三十歳過ぎの女性剣士も、身長1メートル90センチを超え。波打つ金髪艶
やかで、その容姿は多少厳つく大柄で筋肉質で。

「他に誰も動く必要はない、俺が踏み潰す」
「あたしの番がなさそうでつまんないねぇ」

 最初の相手は、恒胤(つねたね)さんか。

 周囲には、人質を傍に置いた上位4人以外の強者が既に来て。わたしと立ち合う番を待
ちかねてではなく、わたしの逃走を防ぐ為に。

「逃げるなよ、逃げても逃がさぬが」「抗えるだけ抗うが良い、無意味な抗いを」
「ここに踏み込んだ己の愚かしさを悔いるのだな」

 彼らには最早殺意もなく。殺す迄せずとも打ち倒せると見下して。結果、意図せず殺し
合いではない試合になり。でも彼らの想定が覆りその余裕が喪われれば……なら今の内に。

「一つお願いがあるの……マキ、麒麟さん」

 丘の上の黄麟さんと、藪の向うに姿は見えずとも鎮座するマキに向け。たいせつな人の
無事な解放が、わたしが立ち合う理由だから。

「わたしが鬼切部の強者に、勝利を望むのは至難です。人質の無事な解放の条件を、勝利
ではなく『試合に全力で臨むこと』にして」

 戦いは常に敗北の危険を孕む博打だから。
 勝つ事ではなく戦う事自体を解放条件に。

 もう彼らの望みは叶った。わたしは求められた立ち合いに応じた。人質をこれ以上持ち
続ける必要は薄い。わたしは逃げ出さないという以上に、逃げ出し難い罠の深奥にいる…。

「わたしは全力で試合に臨む。そうせねば僅少な勝ちの可能性も拾えないから当然だけど。
だからわたしは全力を尽くすから。勝敗に関らず人質を全員無事に解き放つと約束して」

「殊勝な申し出だな」「負けは既に覚悟か」
「無理もない、我ら相手では勝ちは望めぬ」

 間近では、恒胤さんと由香さんが哄笑を。

「では、殺さぬ程度に手加減してやるかの」
「その後はあたしに任せて。可愛がるから」

 顕胤さんと宗正さんは微妙に訝って黙し。
 2人は昨年一度わたしと対しているから。

「由香は娘を嬲り愛するのが得意だからな」
「あんたに本気でヤラせたら肉塊になるし」

 藪の向うでマキの気配は悟れても答はなく。
 朱雀さんも作務衣の男女拾人の気配も黙し。

 黄麟さんの答はやはり短く『良かろう』で。
 この状況でどれ程その言明を信用できるか。

「但し解放はお前の勝敗の後だ。お前が全員に勝つか、敗れる迄全力で戦い終えたならば、
その末を見届け我らも動く。そう承知せよ」

 それは立ち合いの勝者か多数者次第となる。

 勝たねば確実な解放を見届ける事は叶わず。
 負ければ彼らの約束履行を信じる他になく。

 それでも立ち合えば解放との約定は結べた。

「分りました。約定、確かに遵守願います」

 丘の上で気を失っている和泉さんや幼子を。
 恐怖に声も出せず強ばる聡美先輩を見つめ。

 絶対諦めない。知恵と力の限りを尽くして。
 必ずたいせつな人の笑顔を全て、取り戻す。

「わたし如きが鬼切部相馬党の、強者と試合を為すのは、身の程知らずと承知の上で…」

 今はこの手に叶う限りを。この手に余る事迄は望まない。唯自身に為せる事は全て為す。
視えたのは勝利ではなく己が倒れる像だけど。その末に何があるかは辿り着かねば分らな
い。

「この立ち合いを受けました。拙い技ではありますが、たいせつな人を取り戻す為に…」

 青龍さんがわたしの受諾の終りを待ちかね。
 言葉の終了直後に試合の始めを告げようと。

 振り下ろす為に右の手を上げたその瞬間に。
 恒胤さんの斧2つが猛然と襲い掛って来た。


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


 青龍さんの動きはともかく、恒胤さんの所作は確信犯だ。わたしの態勢が整わない内に
先制して勝利をもぎ取る。ルールある試合を望みつつ、相手がそれに添わない事態も想定
はしていたけど……実戦にフライング等ない。

「喰らえ相馬金剛流双戦斧(そうせんぷ)」

 一抱えもある巨大な刃の付いた斧を、恒胤さんは自在に振るい。右から左に振るわれる
刃を、わたしは左斜め後ろに躱し。左から右に振るわれる追撃を、更に右斜め後ろに躱し。
髪や制服が通り抜ける刃の風に煽られて戦ぐ。

「恒胤っ」「勝手な」「柚明!」「っ……」

 丘の上では配下の暴走に青龍さんや黄麟さんが舌打ちし。聡美先輩の悲鳴は幼子や和泉
さんの意識を揺り戻し。先輩には斧が当たって見えた様だ。動き続ける事で回避できたと、
目を開く拾秒後には分って貰えるだろうけど。

「オラオラ、そんな回避では躱し切れんぞ」
「少し待って。一旦動きを止めて下さい…」

 斧はわたしの髪を服を掠めて三度四度通り過ぎるけど。その動きや伸びは掴めているけ
ど。わたしは唯彼に対すれば良い訳ではなく。周囲の藪には作務衣の男女が左右に拾人、
殺気を放ちつつ潜み。近くでは奥州拾七万騎の強者が闘志を秘めて。いつ割り込んで来る
か分らず。試合の条件や勝敗も決めてないのに。

「もう止まらん。もう誰にも止められん。真っ二つにする迄は。この斧の錆に染みになれ。
どんな運と偶然で一度でもマグレ勝ちしたか知らぬが、お前等我ら相馬党の敵ではない」

 話しが通じない。始めたら殺す迄終らない。
 彼にはこれは、試合ではなくて死合なのか。

「今ここで終らせてくれる。止めたかったら止めてみろ。お前に止められる物ならな!」

「では止めます」もう言葉の答に効果はない。

 わたしは、彼の左手が真横に薙ぎ払う斧の。
 胸の高さに迫る刃を、真上に飛んで躱して。

 刃の上に降りたって、一瞬彼と目を合わせ。
 彼が居る前方へ向け、飛びながら縦回転し。

「ぬっ、がぁあ」左肩胛骨に右足の踵落しを。

 一瞬遅れで右肩胛骨に左の踵落しを当てて。
 頭蓋を狙えば生命も奪う威力はあるけど…。

 わたしは殺し合いでないので止めは刺さず。
 気絶した巨体が倒れ伏す脇に静かに着地し。

「戦いは一対一で宜しかったでしょうか?」

 武器や防具は、『力』の行使や時間制限は。
 勝敗条件や試合順、始めと終りについて等。

 鬼切りの業も護身の技も剣道ではないので。
 他流試合は約束事を詰めねばならないのに。

「恒胤がやられた」「相馬の強者がまさか」

 周囲で作務衣の男女や剣士達がざわめく中。
 彼の意識の途絶を確かめる為佇むわたしに。

 背後から長い長い日本刀が振り下ろされて。
 由香さんは決めてない事を逆に好機と捉え。

「取ったぁ!」「立花さん、少し待って!」

 右上から左下に振り下ろす刃の動きを察し。
 右に体を捻りつつ紙一重で刃を回って躱し。

 逆にわたしが彼女の懐に飛び込んだ状態に。
 でもわたしは至近の彼女を敢て打ち倒さず。

「お願い、落ち着いて……わたしの話しを」

 逆にそれを好機と由香さんは刀を薙ぎ払い。
 そのタイミングや速さは読めて躱せるけど。

 彼女はわたしの回避を、運と信じて疑わず。
 わたしが見送った打撃にも、全く気付かず。

「生命拾いしたねぇ、小娘」
「立花さん……未だ試合は始っていない。決めるべき事が」

 刃を用いても峰打ちなら殺し合いではない。
 でも2人とも殺意に満ちて刃を当てに来た。

 技量では昨年対戦した3人に至らないけど。
 武器持ちに殺意なく無手で対し続けるのは。

「決めるのはあたしの勝ちとお前の負けさ」

 由香さんは太く鍛えた右腕で刀を振り上げ、注意を惹きつつ。左手で何かをわたしへ抛
り。当たれば弾ける煙玉に目潰しの粉を混ぜ込み。

 わたしは敢て回避せず煙玉を防いで弾かせ。
 目は閉じた侭音と気配で彼女の動きを察し。

 振り下ろされる長い長い日本刀に踏み込み。
 刀の柄を掴むその手を交差した両腕で抑え。

「バカだねお前、あたしに腕力で勝つ気かい。目潰しに慌てふためき、一か八か突進して
振り下ろしを止める。その成功は褒めてやるけどお嬢ちゃん、後の事を考えてないよ。そ
んな華奢な体、あたしに掛れば木っ端微塵…」

 由香さんは当初余裕で喋りかけて来たけど。
 何故押し切れないか分らないと声音が変り。

 大柄で強靱でもわたしは対応できる以上に。
 彼女を打ち破ると言うよりお話ししたくて。

「……ぐっ、く、バカな。あたしが全力で」
「どうか聞いて下さい、相馬の強者として」

 由香さんが押し切れず、刃を引いて間合を取り直し、振り下ろそうとするのをわたしは。
引く瞬間に踏み出して離さず逃がさず、決着させず話しを望むけど。彼女は左足でわたし
を蹴って。身を引き離す為の蹴りに威力はないけど間合は開き。彼女は再び刃を振り上げ。

「あたしが勝った後に話しを聞いてやるよ。
 その時にお前が話せる状態でいたならね」

 どうしても話す積りはない様で。彼女1人なら術もあるけど、今のわたしに余裕はない。

 振り下ろす直前静止した、長い長い日本刀の把を、掴む両手ごと左足で蹴り飛ばして体
勢を崩し。間近から大柄な彼女の頭上を、縦回転で飛び越えつつこの身を左に半回転捻り。
金の髪に触れつつ両手でその両頬を軽く抑え。

『本当は、縦回転で頭上を飛び越えつつ相手の首を左右から掴んで、捻りを加えて捻じ折
る技だけど……生命を奪う積りはないから』

 由香さんの背後間近に着地し。腹部の裏に両手で掌打を放つと、彼女は『ぷぎゃっ』と
短く叫んで崩れ落ち。でもそれを確かめる暇もなく、背後から鋼鉄の棒の突きが迫り来て。

「勲功はこの伊達朝宗(ともむね)が貰う」

 誰かを倒した瞬間は、多くが技の終了で硬直もあり、油断もあり得る。間断なく攻めて、
休ませなければ相手の息も上がる。何より彼らは、わたしの求めた技比べの試合に不満で。
合意がない侭なし崩しに戦いを始め、終らせぬ為に次々挑み。わたしも無抵抗で倒される
訳に行かず、試合とも言えぬ立ち合いは続き。

 鋼鉄の棒の重い突きを躱しつつ右手で弾く。

 背後でも躱すだけなら出来たけどそれでは。
 倒れきってない由香さんに当たってしまう。

 でも棒は更にわたしを狙って薙ぎ払われて。
 長さ3メートルもの太い棒は重い鋼鉄製で。

 躱しきるのが至難な上に当たれば骨も砕く。

「オラオラオラオラ、逃げられねぇぞぉ…」

 始めの声もなく終れば次の者が戦いに入る。
 これではいつ迄経ってもお話しが出来ない。

 相手の望むルールのない戦いが続けられる。
 一度流れを止めるには、相手を止めるには。

「脳味噌ぶちかまして死ね鬼娘」「はぁっ」

 振り回す棒を躱し朝宗さんの懐へ入り込む。
 彼が棒を短く持ち替える瞬間に隙が見えた。

「生命は奪わない、安心して」「うぼあっ」

 防戦にと横に構えた棒に右掌を当てて乗り。

 身を右に倒して側転しつつ、棒を飛び越え。
 右回し蹴り、続けて左回し蹴りを彼の額に。

 でも着地を待たず、大きな鎖付きの分銅が。

「だがそこ迄だ。この安東義季がお前をっ」

 わたしは身を捻り左二の腕で受け止めつつ。
 骨を砕く衝撃も堪えて跳躍力に変えて飛び。

「今は……立ち向かうべき時っ」「ぬなっ」

 義季(よしすえ)さんは近間では鎌を扱い。
 遠距離では分銅を抛る鎖鎌の使い手だった。

 正面から飛来する分銅を左に躱して接近し。
 彼は分銅の回避も推測済で鎌を振るうけど。

 わたしも義季さんの鎌による迎撃は予測済。
 鎌や分銅に繋る鎖で絡め取る動きを弾いて。

「こ、小娘が、力業だと?」「僅かに遅い」

 予測を超える事で相手の対応に隙が生じる。
 瞬時止めた鎌を持つ彼の左腕に飛び乗って。

 眉間に左膝を当て、更に左の蹴りを喉元に。
 彼を倒した動きで後ろ回転で着地する処へ。

 第九席の斯波義守さんが何かを突き出して。
 途中迄の動きは棒術だったけどこれは違う。

「味わえよ我が奥義、相馬金剛流三節棍!」

 突きや薙ぎ払いに見えて異なる動きもする。

 使い手の意図で、その中途から棍が折れて。
 棍の両端はかぎ爪があり掠めても肉を抉る。

 使いこなせば不規則な動きが難敵だけど…。

「やられる訳には行かない」「何いぃぃ?」

 折れた棍の一撃をかぎ爪を避けて押し返し。
 棍の作りで折れる箇所と曲がる方角は分る。

 体重や手足の筋の太さや量でやや劣っても。
 わたしは鬼を想定して、修練を重ねてきた。

 腹に掌打を当てると彼はその場に崩れ落ち。
 この瞬間、わたしが相馬の動きに隙を見た。


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


 わたしは彼らが次の何かの動きに出る前に。
 全方向へ闘志を放って、その動きを牽制し。

 倒した直後の不意を狙って攻められるのは。

 別に構わないし休ませないのも戦術だけど。
 そこを逆に返り討ちにするのも戦術なら…。

 返り討ちの示唆で牽制し躊躇させるのも又。

 和泉さんや聡美先輩に技量を知られるけど。白花ちゃん桂ちゃんに戦う様を見られるけ
ど。怯えを抱かせるけど、心配させてしまうけど。今は全てを呑み込んで、事の打開を最
優先に。

「これは相馬の鬼切りの業とわたしの護身の技の他流試合です。どんな武器を幾つ隠し持
ちどう使っても、誰かを倒した直後の不意を狙っても、一対一でなくても良い。男女や年
齢別や体格差に伴うハンディも不要。鬼との実戦で敵味方の頭数を揃えはしない。武器の
規格や数を相談しない。夜昼も夏冬も天候も選べないし、女の子への手加減もない。流儀
は違ってもわたし達の想定は同じ。唯勝敗条件は定めなければ……殺し合いではないので。

 相手に負けを認めさせるか、戦闘不能にした者を勝者とする。殺し合いではない技較べ。
それで良ければこの後も、試合を受けます」

 なし崩しの戦いが続くと相手側が思いこんだ不意を狙って、己の声を挟み込む。不意を
打つのは相手の専売特許ではない。なし崩しに流される風を装って、こちらも逆襲を挟め。

 これに異議あれば、彼らが話しかけて来なければならず。今迄の様に斬り掛って来れば、
わたしの言葉の受諾となる。それでも彼らが殺し合いを、押し通してくる選択はあるけど。

 そこで答が返って来たのは前方の藪から。
 聞き慣れた幼い女声は苛立ちを隠せずに。

「相馬党も剣士の集い、対戦は一対一じゃ。
 黄麟も言った通り今は鬼との戦ではない」

 それと、相馬の剣士は矜持を持て。幾ら相手が格上でも、得物も持たぬ娘の不意を狙い、
背後を取って次々敗れるのは、見るに堪えぬ。

 その苛立ちは相馬の強者が敗れた事よりも。
 戦いの始め方や進め方が剣士らしくないと。

「戦う際は正々堂々名乗ってから娘に挑め」

 更には総大将なのに指揮権を縛られ、中々声も挟めぬ事への苛立ちが。マキは愛らしい
外見とは裏腹に、鬼切りの覚悟や責任感・誇りを抱き。なし崩しな無法の戦いには不満で。

『マキが指揮権を縛られているのは、幼子の故ではない……朱雀さんを庇った取引の結果。
わたしの討伐に失敗し敗れた朱雀さんへの処罰を留保し、汚名挽回の機会・わたしとの再
戦の機会を与える代り。総大将として出陣しつつ、指揮権は黄麟さんに委ねる事を認め』

 マキは敵であってもわたしを好んでくれた。

 朱雀さんを破った仇で打倒すべき者だけど。
 だからこそ朱雀さんの手で正当に倒したく。

 不意打ち等の手段で引きずり倒す事を厭い。

「但し、殺し合いになるか否かは貴様次第だ、羽藤柚明。殺し合いとは双方殺意を抱く事
よ。相馬の剣士が幾ら殺意を抱いて斬り掛っても、貴様が殺意を抱かぬ限り殺し合いでは
ない」

 青龍さんはこれ迄の流れを実質変えないと。マキはわたしの求めに応じる答を返してく
れたけど。彼の声でその効果も半ば雲散霧消し。マキはそれ以上の介入を憚り続く言葉は
なく。朱雀さんが自身の為の無理を諫めたのだろう。なので流れは再び黄麟さんや青龍さ
んの望む。

「お前の戦い方の特徴は掴めた。今迄は初見の故に格下共が不覚を取ったが……覚悟しろ。
奥州拾七万騎第六席畠山政長がお前を討つ」

 顕胤さんも宗正さんも脇に控えて動かない。
 彼らも敗者の故に出陣の命令を待つ状態か。

「足技中心、跳び技中心。身が軽く威力に劣るから派手な技に走る。格下はそれで何とか
目先を奪えて倒せたが、もう通じはすまい」

 第五席の伊達晴宗さんが第四席の藤原義道さんに語りかけ、義道さんも頷き。政長さん
も同じ見解か。顕胤さんや宗正さんが首を傾げるのは、昨年わたしと対戦したから。対戦
経験のある者を敗者故に軽んじるのは、相馬の体質に根差す失敗だ。故にわたしの布石も
生きてくる。今迄敢てその様に戦った理由が。

「喰らえ小娘。相馬金剛流、悪路赤頭殺!」

 政長さんは長い刀を構えて歩み寄って来て。
 わたしも応じてややゆっくりと間合を詰め。

 今迄の剣士とは強さの格が更に一段異なる。
 宗正さんや顕胤さん朱雀さんに等しいかも。

 わたしの方が技量はやや上でも……殺意と武器の有無を考れば、予断を許さない。でも。

「ぶ、バカな!」「技名は、ありません…」

 彼の想定より早く踏み込み、彼の振り下ろしより早く己の掌打を頬に当てる。立派な体
格を持つ成人男性に、手足の長さも劣るわたしは、一層速さとタイミングの妙が要るけど。

「唯の掌打です」「「「「なに!?」」」」

 参席の清原元嗣さん次席の南部晴直さんも。
 政長さんを一撃で倒した絵図に眼を見開き。

 わたしが近寄る最後の3歩で見せた速さや。
 鍛練を積んだ鬼切りを一撃で倒す威力にも。

「奥州拾七万騎第五席・伊達晴宗、参る!」

 技量を探ろうと遠目に刀を薙ぐけど。わたしの回避を見ようとする彼に、わたしは後退
しての回避ではなく、踏み込んで腹へ掌打を。

「剣に惑いが視えました」「くろおぉっ!」

 晴宗さんが倒れ伏すのを待たず義道さんは。
 背後から技名も言わず斬り掛ってくるけど。
 振り下ろす刃を振り向き様に額の前で止め。

「相馬にも、真剣白刃取りはありますか?」

 これは振り下ろす刃を掴むタイミングより。
 渾身の振り下ろしを止めるパワーが肝要だ。
 力で刃を右に引き倒しその右腹に左掌打を。

「ぬがああぁぁ!」「義道!」「そんなっ」

 義道さんが倒れきるのを待たずにわたしは。
 己の背後を取ろうとした元嗣さんに対応し。
 わたしに斬り掛って来る前に逆に踏み込み。

「背後に回り込んだ筈が」「読めています」

 踏み込まれて攻めを守りに切り替えるけど。
 追いつかせず、刀の側面を右の掌打で弾き。
 左の掌打を、その心臓に当てて気絶させ…。

「何て小娘だ……マキ様が心に留める訳か」

 次席の晴直さんは今迄の布石を今分ったと。
 倒れ伏す元嗣さんを前に日本刀を構え直し。

「倒した後に僅かな隙を見せたのも、我らが付け込む事を誘い招いて、確実に倒す為か」

「背後を取ったり不意を打つ事は、卑怯でも何でもありません。煙玉に目潰しを混ぜたり
隠し武器を使う事も。実戦とはその様なもの。但しそれを為す以上は反撃も承知頂かね
ば」

「寒気がするぞ、その気迫。正に鬼の戦い」

 わたしが倒した剣士は作務衣の男女が看ているけど、未だ起きた者はなく。わたしも当
分目覚めぬ様に、急所は外しつつ力を込めた。晴直さんは苦笑を浮べつつ、改めて刀を構
え。理非を越えて、戦わねばならない時があると。

「あなたを倒さねば人質は返してくれないのですね?」
「俺にも戦う他に選択肢はない」

 彼も相馬の剣士の1人で、命に従わざるを得ぬ立場にあり。この様な出逢いでなければ、
心通わせる事も出来たのに。無辜の人を守る鬼切部の使命に邁進する頼れる人だったのに。

「奥州拾七万騎次席・南部晴直、行くぞ!」

 彼は殺意ない侭長い腕と刀に、早い振りで迎え撃つけど。わたしはそこに敢て踏み込み、
左掌で刀の側面を打って弾き。立て直し振り下ろす刃を、更に踏み込み右掌で打って弾き。

 峰打ちは鬼切部の剣では余り用いられない。
 僅かな感覚の違いが彼の剣筋を鈍らせたか。

 わたしは最速で迫って左掌打を心臓に当て。
 晴直さんはむしろ敗北を望んでいたのかも。

 次は誰と立ち合う事になるのかとわたしが。
 丘の上にいる彼らを見上げたその時だった。

 背後間近に現れた由香さんの太い両腕に…。
 この身は両腕ごと胸もがっちり拘束された。


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


 わたしは女の子や女性に必要以上に甘いと。
 和泉さんや真弓さんにも言われた事はあり。

 手を抜いた積りはないけど。当分目覚めぬ程の痛手は与えた積りだけど。女性は男性に
較べ筋肉を付け難い分、打たれ強さに劣る事が多く。男性剣士にした程の力は込めてなく。

「良くもやって……くれたじゃないかい!」

 躱さず反撃もせずに囚われたのは。青龍さんが桂ちゃんの首筋に、刃を突きつけたから。
由香さんの動きに、青龍さんが連動していた。

「柚明!」「ゆめいさん!」「ゆーねぇ…」

 丘の上からたいせつな人達の声は届くけど。

 桂ちゃんは喉を抑えられた故か怖れの故か。
 声は出ず見開いた瞳で見つめて来るのみで。

 わたしは身を捉えられ抱き留めにも行けず。

「でも、その身を捉えちまったからぁ。もうお終いだよ小娘。この侭手籠めにしてやる」

 振り解いたり抗えばどうなるか分るだろう。
 そう囁かれては力づくで退ける事も出来ず。

 青龍さんは、相馬の強者の敗北を前にして。
 立ち合いではない形ででもわたしを辱めて。

 実質の勝ちを掴む由香さんの動きを許容し。
 黄麟さんも敢て人質を脅かす動きを止めず。

「立花さん……一体何を望んで」「はぁ?」

 由香さんはその左手でわたしの右胸を抑え。
 その右手でわたしの左胸を抑えて強く揉み。

 強く握り潰されると体は相応の反応を返す。
 隠し通せぬ反応もそれに抱く羞恥の意識も。

 由香さんは分って太腿も股間も擦り付けて。
 首筋に唇で吸い付き更に歯を立て食い破り。

「可愛いねぇ。相馬の強者を退ける腕を持ちながら、こんなに滑らかで柔らかな肌も持つ。
しかもお前、調べでは男でも女でもイケるって? あたしも男でも女でもイケる口でね…。

 あんた感応の『力』も持っているんだろ?
 ならこれ程密着して分らない筈もないね」

 あたしは腕力や剣技で、お前の様な小娘を踏み躙るのも好きだけど。こうして肌身を繋
げ絡み合い、お前の様な小娘を嬲り虐げるのはもっと好き。痛い目に遭わされた相手には、
百倍痛い目を見せてあげないと気が済まない。綺麗に整ったお顔を蕩かし泣き叫ばせてや
る。

 セーラー服の上から、虐げる事を愛する感じで、由香さんは大きな手足でわたしを包み。

「わたしは、あなたを愛してはいません…」

 男性にも女性にも恋し愛する志向はわたしも抱く。己個人の器量はともかく、若い肌身
が欲情の対象になる事は分る。でもわたしは由香さんに恋も愛も抱いてないから、心も体
も開かないし、その性愛に応える積りもなく。

「あたしが勝手に弄ぶんだ。合意とか求めちゃいないよ。お前は唯喘ぎ叫べば良いんだ」

 ホラ、お前達。何やってるんだい。早くこっちに来て娘の手足を抑えるのを手伝うんだ。

 強者は多くが気絶した侭なので。彼女は周囲の藪に潜む作務衣の男女に声を掛け。現れ
たのは、三十歳から五十歳位の男性8人女性2人。その半数がこの身に触れて手足を抑え。
抗えばこの拘束も、外せない事はないけど…。

 丘の上の青龍さんは、桂ちゃんの首筋から刃を放さず、下界の様を睥睨し。本来人質は
取った側も失うと困るけど、複数持つ彼らは1人位失っても良い感じでいる。逆らえない。

「立ち合いを、続けなければ……勝敗に関らずわたしが全力で立ち合いに挑む事が、たい
せつな人を無事に解き放つ、条件だから…」

「ハァ? ナニ寝言を言ってんだか。お前はもう何も出来ゃしないんだ。あたしの悦楽地
獄に囚われたからにはねぇ……全部諦めな」

 由香さんは、背中に張り付いて体重を掛け。暫く堪えるけど、肌を揉まれて力が抜ける
以上に、作務衣の男性が足を掬うので堪え得ず。

「ヒャハッ寝技入りィ。小娘を仕留めたぁ」

 彼女はセーラー服の腹から中へ、太い腕を入れてまさぐり抓り強く揉み。悪意の指先に
思わず身を捩るけど抗い通せない。更に彼女の両足が内股に入り、この足を無理に開かせ。
長い腕は下着の上から大事な処も撫でさすり。

「何をしておる? 立ち合いはどうなった」

 宗正さん顕胤さんが目を見開く奥の藪から。
 マキの苛立ちより怒りを含む声が届くけど。
 青龍さんの声はむしろ彼らの動きを許容し。

「未だ立ち合いは始っておりませぬ。これは立ち合いに先立つ身体検査。娘が卑怯な隠し
武器等を持っていない事を、確かめる為の」

 でもマキは見え透いた言辞に却って憤り。

「巫山戯た事を。立ち合いは既に始っておったではないか。卑怯な行いも隠し武器も相馬
の所作で、柚明は非難もせず許容して退けた。隠し武器を許容したその柚明を身体検査
等」

「彼女は我らに提案しました。我らはそれに今答を返したのです。その間に格下の剣士が
彼女に斬り掛ったは彼らの勝手。相馬が羽藤に挑んだ立ち合いではない……彼女が身体検
査を拒むなら、青龍の言う通りその後の立ち合いも拒んだ・約定を破ったと見なします」

 黄麟さんの声にマキが詰まる様を感じた。

 指揮権を持たないマキは抗議をできても。
 最終決定は青龍さんを許容した彼の方に。

 その流れを受けて由香さんは喜び勇んで。

「じっくり身体検査を受けて貰うよ。どこにどんな武器を隠しているか分らないからねぇ。
全身まさぐって隅々の肉まで確かめないと」

 感応使いのわたしは、傍にいるだけで声を交わすだけで、手紙や物を介するだけで、他
者の思いを悟れるので。時に心を鎖す様に努めているけど。嬉しそうな顔を見れば、哀し
げな声を聞けば、手紙の文字の並びや大小や筆圧でその人の内心が、概ね読めて分るけど。
肌身を繋げればその効果は一層強く流入して。読むとか視るというより視せられ読まされ
る。

 善意や好意を寄せられる事が、素肌を優しく撫でられる嬉しさを招くのと反対で、悪意
や害意を及ぼされると、全身を舐め回される不快を呼ぶ。特に身に触られると感応使いの
わたしには効果も激甚で。欲情や憎悪が強かったり、人数が多いと己の心が押し流される。

「胸も大きくないのに、ブラジャーなんて不要だよ生意気な。多分これは隠し武器の一種、
引っ剥がす!」
「ひゃっ、ちょっと待っ…」

 止める間もなく彼女の指はわたしの胸を。
 弄び踏み躙り引き剥がし抓り揉みし抱き。

「わたしは、武器に出来る様な物なんてっ」

 ヘアピンや絹糸と言ったごく一般的な小物しか持ってない。使いようで効果を持つけど。
故に脅威と言われればそうかも知れないけど。

「しっかり武装解除しないとね。術者が纏う衣は常日頃『力』を受け、呪物になっている
から厄介だ。剥ぎ取って素っ裸にしてやる」

「我らが身体検査を充分と認めねば終らぬ。
 早く立ち合いに入りたいなら従う事だな」

 青龍さんの言葉は由香さんの所作の肯定だ。
 作務衣の男女はわたしの靴と靴下を脱がし。

「全部脱がされて終りたいか、拒んで人質見捨てたいか、そのお口でしっかり返事をし」

 問われれば、わたしの答は一つしかない。
 常に優先は己よりたいせつな人の無事で。

「身体検査も武装解除も、相馬のみなさんの為すが侭に従います。どうかお願いします」

『わたしの技は元々殆ど無手の技。一糸纏わぬ姿にされても、羞恥を堪え戦う心の修練も
重ねてきた。検分が終れば立ち合いが出来て、勝っても負けても愛しい人は解き放たれ
る』

 体から緊張を抜いて、恭順を示すわたしに。
 よく言った淫乱娘。由香さんは嘲り笑って。

 セーラー服もスカートも脱がして放り投げ。
 下の下着も躊躇いなく剥ぎ取って破り捨て。

 唇を重ねて口の中に舌を入れて暴れ回らせ。
 幼子や年頃の女の子にその様を見せつけて。

「お口の中に隠し武器がないかも、良く確かめないと。未だだよ、未だ確かめ足りない」

 一糸纏わぬ状態で複数の男女に手足を抑えられ。抗う事を禁じられ。由香さんの暴力的
な口づけを今は受けきる他に術がなく。その指先が胸を揉み乳首を抓んで弄っても。お尻
の穴や性愛を交わす処に伸びて撫でられても。

「おやおや、もうお悦びかい。武道の戦いは多少優れていても、コッチの方は全然未熟ね。
それともこの性感の速さは、今迄の動きの速さに通じるのかねぇ。もう汗塗れじゃないの。
助けなきゃいけない人質の事なんか忘れて」

『良くもあたしを打ち倒してくれた。意趣返しに無抵抗を徹底的にいたぶり犯してやる』

「わたしの目的はたいせつな人の無事な解放。
 その為に必要ならどんな事も受け容れます。

 この後に待つ立ち合いに臨むのに必要なら。
 立花さん、不束者ですがどうか宜しく…」

 己の欲は抑え付け。この身を嬲る由香さんに肌身を添わせ。その行いを拒まないと体で
伝え。由香さんはこの従順さに嗜虐欲を刺激された様で。憤怒憎悪に喜びや愛欲迄加わり。

 未だ誰も通してない未通の処に指を這わせ。
 わたしの肌身がふるふる返す反応を楽しみ。

「人は色々な処に物を隠せるんだ。特に女は男より一つ多く、隠し場所を持てるからァ」

 この指で存分に抉り終えた後、この兵達の。
 男を挿れて何もない事を全員で確かめたら。

 足腰立たない迄によがり狂わせて検査完了。
 ケツの青い小娘は戦意も失い動けもすまい。

『さっきと違って楽勝だよぉ。それであたしは拾七万騎の第弐席を破った敵を倒す功績を。
欲情満たして大功上げて、何度美味しいの』

「拒んだらその瞬間に人質の首が落ちるよ」

 わたしを蔑み侮り哀れむ目線の由香さんに。
 拒む選択のないわたしは迷いを吹っ切って。

「分っています。わたしは勝敗に関らず立ち合う処迄行き着ければいい。約束ですから…
…どうか心ゆく迄羽藤柚明をご検分下さい」


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


 でもそこで由香さんは、すぐ動く事をせず。

「顕胤さんに宗正さんもどう? あたしが楽しんだ後なら、この小生意気な娘をあげても
良い。あなた達もこの娘に苦杯を舐めさせられた。ここで思う存分にお返しするのも…」

「2人の参加を許すぞ。良いだろう、兄上」

 由香さんの提案に青龍さんは即答で了承し。

 本来その了承は黄麟さんが下す判断だけど。
 黄麟さんは弟の青龍さんに寛大で頷き返し。

 マキの潜む藪から強い憤りの気配を感じた。

 でも2人は戸惑いの色を見せ。顕胤さんが。

「だがその娘は、青龍様の嫁女なのでは?」
「オレ達が手を出しても本当に良いのか?」

『相馬党は、わたしを五柱神次席の青龍さんの嫁に強奪する為にこの戦いを企図した?』

【我らの求めは羽藤柚明、お前の身柄だ!】

 鬼切部を破る力量を秘めた者を、相馬党は捨て置けず。黄麟さんはわたしの力量見定め
や報復を名目に、動員を掛けたけど。その真意はわたしを弟・青龍さんの嫁にする略奪婚
にあり。女子の調達も鬼切部の存続に重要だ。閉鎖的な集団には外の血を入れる事も必要
で。

 成功すれば、野に鬼切部に匹敵する者がいる状態も解消される。縁戚になれば講和は破
れないので、若杉も文句を言わず。羽藤の大人の抗議も封じ得る。わたしを検分し不要と
思えば切り捨てる。それでも報復は成立する。

 黄麟さんも青龍さんも、昨年朱雀さんの敗北を聞いた時に、羽藤柚明の力量は朱雀さん
よりも上と見て。マキの願う朱雀さんの復讐戦は、わたしをほぼ倒し終えた後の止めだと。
不用意に先陣を切らせては、恒胤さん達の様に敗れて終ると。マキから託された指揮権で、
昨年の敗戦者3人に許諾ある迄の参戦を禁じ。

 だから女性の由香さんはともかく、作務衣の男性や自分達が、青龍さんの嫁に奪う予定
の娘に手出しして、大丈夫かと2人は訝って。それに対して由香さんは、ご相伴に与りな
と。

「黄麟様も青龍様も承知だよ。打ち倒した後でこの場にいる男女全員で犯し貫き、相馬へ
の服従を教え込むお積りさ。何たって外部の娘は物の見方考え方が違う。力で最初にどう
従うべきか叩き込まなきゃ、後々が面倒だ」

「おっとい嫁女かよ」宗正さんは九州出身で、略奪婚を奥羽ではそうは呼ばないけど。婚
姻に同意しない女の子に婚姻を承諾させる為に、新郎方が親族知人等で集団強姦する事を
指す。一部地域の旧習だと後日正樹さんに教わった。

 その略奪花嫁の対象がわたしだったとは。
 わたしは花嫁修行途上で全然未熟なのに。

「あたしも相馬党の先達として、しっかり上下関係を教え込まなきゃね。そう言う訳で2
人ともやりたい放題好き放題だよ。どう?」

 わたしに遺恨を抱く剣士達はこの誘いに。

「好意には悪いが俺は断る」「俺は乗らん」

 2人は示し合わせてはいなかったらしく。

 互いに即答してからお前もかとの感じで。
 互いを見つめてから苦笑を浮べ向き直り。

 上席である顕胤さんから、口を開く事に。

「俺は正常な男女交合が人の基本だと信じている。同性愛の性向を持つ娘は俺の射程外だ。
愛してもいない女を、鬼でもない娘を犯す気にはなれぬ。復讐戦なら奮って力戦するが」

「俺は去年その娘に敗れた末に、見逃された。帰りがけにぶち殺されて当然な処を。倒せ
という命令なら格上相手でも、卑怯な手を使っても勝ちを狙うが、辱める気にはなれね
ぇ」

 2人は昨年のわたしの鬼認定を錯誤と認め。
 汚名挽回の為の復讐戦ならば望む処だけど。
 青龍さんの嫁取りの為の辱めには乗らぬと。

「ふん、男は妙な処で義理堅いね。まぁいい。邪魔しなけりゃ問題はない。羽藤柚明は無
抵抗に犯されますって望んでいるんだ。強者じゃなくても、そこらの兵でも女でも充分
に」

 この胸を又強く揉み、その感触に哄笑し。
 肌身に流れ込むその思いは、嗜虐と愛欲。

「逃げられないんじゃなくスキなんだろう?
 お前の最初はあたしが頂きだよーホラぁ」

 逆らえないわたしの股間に指を突きつけ。
 今から破ると触れるのに瞳を閉じて堪え。

「いっただきいぃぃ!」その声が轟いた瞬間。
「いい加減にせんか!」凜とした女声が遮り。

 わたしを掴み捉える硬い爪の感触が消え。
 肌身に繋っていた悪意の流入が途絶えて。

 この肩に触れる2つの掌の感触は優しく。
 味方とは言えぬけど好ましいこの想いは。

「相馬の者として謝っておく。この様な婦女子への辱めは、鬼切部の目指す処ではない」

 一糸纏わぬ状態のわたしの肩を、張り付く由香さんや作務衣の男女数人を弾き飛ばした
朱雀さんが、軽く抱き留め支えてくれていた。


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


「済まなかったな。我が同胞が酷い事を…」

 朱雀さんは、由香さんや作務衣の男女の混乱に見向きもせず。わたしの素肌を暫く労る
様に衆目から隠す様に抱いてくれて。その後散らばったわたしの衣服を拾い集めてくれて。

「ありがとう、ございます。助けて貰うのはこれで二度目……凛々しく清く正しい人…」

 漸く発した声音に間近の美しい年上の人は。
 軽く首を左右に振って賞賛には値しないと。

「鬼切部は人に仇為す悪鬼を討つのが使命。
 苛み虐げ辱めるのは、誰の使命でもない」

 これはマキの指示でもなく、朱雀さんの暴発で。だから青龍さん達が止める暇もなくて。
わたしも、期待も予期も関知も出来なかった。

「鬼ではないお前に再戦を挑むのに、人質を取る様な卑劣を為し、今も辱めて戦意を挫こ
うとして。これでは我らの方が悪鬼に近い」

 朱雀さんは今回作戦の枢要から外されて。
 マキに随伴しても状況は殆ど見えてなく。

 目前で為された女の子への辱めに憤激し。
 今から打ち倒す筈の怨敵を助け庇う事に。

「早く衣を身に纏え。この寒空で、若い娘が素肌を晒す様は見るに堪えぬ」「はい……」

 何というか、こうして見下ろされる感覚は。
 守られ諭されているみたいで、清々しくて。

「す……ミユ、どういう事なのよアンタ。黄麟様も青龍様も認めた身体検査を、あたしの
楽しみを勝手に邪魔して、唯で済むと…!」

 職名で呼ぶべき処を、通名に言い換えて非難する由香さんに。朱雀さんは冷たい声音で。

「身体検査は終った。ならば私が立ち合う」

 由香さん達はわたしの隠し武器所持を確かめると下着も剥いだ。わたしはもう隠す処が
ない。それで充分との朱雀さんに『女には未だ隠す処がある』と由香さんは言い募るけど。

「羽藤柚明は処女だ。お前の言う処は一度も開いた事がない。それはお前が今確かめた筈。
開いた事のない処に、何を入れる事も隠す事も出来はせぬ。後はさっさと立ち合うのみ」

 余計な楽しみで時を浪費したくない、どけ。
 朱雀さんの一喝に、由香さんは竦み上がり。

「青龍様、黄麟様、こんな事って」「……」
「検分が終ったというなら良かろう。許す」

 由香さんの哀訴に青龍さんは不満気味に無言だけど、黄麟さんは朱雀さんの主張を認め。
先程迄憤激していたマキの気配は当惑気味だ。

 但し、と黄麟さんは重々しく言葉を続け。

「必ず勝て。由香が為していたのは必勝の策。それを中途で止めさせた以上、敗れた時の
弁明はない。必要なのは結果だ」
「承知です」

 靴下と靴は取り戻せ、服も纏えた。泥や埃で多少汚れているけど、それは己も同じ事で。
初春の風は冷たくて、下着を纏わぬ肌身はスースーするけど、女の子の初めても守られた。
先行きは見えず、この後は尚も戦いだけど…。

 今は自身に為せる限りを届かせる他にない。
 間近で凛々しい女性剣士に再度向き合うと。

「衣を纏えたか。では打ち倒すから覚悟しろ。言って置くが、私はお前に恩を売った積り
等ない。余計な配慮は無用。全力で来い。私もお前の状況等配慮せず全力で挑む」
「はい」

 この立ち合いは回避できない。戦いたくない美しい人だけど、一度ならず守り助けてく
れた恩人だけど。彼女も引けない事情を抱え。わたしもここで倒れる訳には行かず。勝敗
に関らず人質を解き放つ約束の相手は、朱雀さんやマキではない。敗れる迄戦ってその履
行を望むのは最低限だ。勝って履行を見届ける。

 それにこの立ち合いは殺し合いではない。
 真剣を持っても殺意の有無は視れば分る。

 本気の攻防は間違えば大ケガも招くけど。
 生命に障らなければ癒しの力で治す事も。

 左手を前に突き出した構えは、相手との間合を測ると言うより、届かせたい己の覚悟と
願いの具現化で。朱雀さんへ届かせる以上に和泉さんや聡美先輩、白花ちゃん桂ちゃんへ。
怖がらせ痛い思いさせ、醜態を晒してその心を傷めた。己の無事を伝える以上に、己が動
き続ける事で解放の希望を抱き続けて欲しい。わたしはたいせつな人を全て無事に取り戻
す。

 黄麟さんはマキを縛る布石にこの流れを利用したのかも。朱雀さんが勝てばよし。わた
しが勝てば朱雀さんの立場が悪化し、彼女を慕うマキに無理を求め易くなる。マキは幼い
けど明晰な意思を持つ。下座の彼が尚も指揮権を持ち続けるには、マキを抑えねばならぬ。

「俺達の出番はなさそうだな」「その様だ」

 宗正さんに顕胤さんが脱力した声音を返す。
 復讐戦の主役はマキが親任する朱雀さんだ。

「ゆめいさん、女相手でも手加減しちゃダメだよっ。あなた……女には甘すぎるから!」

 丘の上から響いてきたのは和泉さんの声だ。

 生命の危険に怯え竦んで当然の状況なのに。
 彼女は全て承知でわたしや幼子を励ましに。

 それに導き出される様に幼子や聡美先輩の。

「柚明……お願い。早く助けて!」
「ゆめいおねえちゃあぁん」
「ゆーねぇ、ゆーねぇ」

 長く拘束されて、疲労も溜まっているのに。
 わたしと関った所為で巻き込んだ禍なのに。

 防ぐ事も守る事も出来ず、怖い目に遭わせ。
 酷い様を晒したわたしを、尚信じ頼って…。

「すぐ解放されるから……もう少し待って」

 わたしも声に応えて大きく腕を振って見せ。

 今は目の前の必須な事に確かに向き合って。
 一刻も早くたいせつな人の笑みを取り返す。

 その為には目の前の凛々しい人を倒さねば。
 わたしを助けてくれた清く優しい人だけど。

 この人に勝たねばこの先の展望は開けない。
 恩人を打ち倒す戦いに臨むわたしは鬼かも。

 藪の奥から届く幼い声も真剣な想いを宿し。

「みゆみゆ……そなたは強い。絶対勝つ!」

 拾数メートルの間合を置いて向き合って。
 朱雀さんの年齢は真弓さんより少し下で。

 均整取れた華麗な長身に黒髪長く艶やか。
 その気配は殺意こそないけど闘志に満ち。

 由香さん達は周囲で成り行きを見守って。
 日没が近いのか寒空の曇天は既に薄暗く。

「貴女とは正直戦いにくい。今迄の関りも今日の関りも、明らかに相馬の側が無理を求め、
無法を為している。貴女には降って湧いた禍でしょう。その事にも申し訳なく思うけど…。

 私も今更退く事は出来ない。敗者は次に勝つ迄敗者の侭が相馬の流儀だ。戦わねば何も
取り戻せず守れもしない。私にも何を捨ててもどこ迄堕ちても、守りたい物がある。最早
互いの関係は我らの手にはどうにも出来ない。行き着く処迄行き着く他に、術がない
っ!」

 美憂さんは、マキを間近で守る朱雀の地位を保つ為に、勝たねばならない。相馬党の五
柱神が、女の子に二度も敗れる等許されない。

 マキも強く慕う朱雀さんを傍に保持したく。
 マキを強く慕う朱雀さんと共に過ごしたく。

 マキには彼女が鎖された日々の唯一の窓だ。
 肉親が隔て厭うマキの唯一肌身許した者だ。

 前回朱雀さんが、経観塚に遣わされたのは。相馬の女性では強いけど、年若く実績少な
い彼女に鬼を討たせ箔を付けたいマキの意向で。娘の鬼なら必ず退治できようと。長く傍
に置きたいなら、その地位に相応しい実績が要る。

 宗正さん顕胤さんは、失敗時の保険だった。それを知る故に、2人は下座でも中々彼女
の配下に収まらず。自分の方が強いとの意識もあって。実の処3人の強さはほぼ同等だけ
ど。

 敗北は、彼女の立場を危うくした。救いは、敗北が3人共々だった事か。朱雀さんだけ
敗れた訳ではない。なら復仇は相馬党の総力で。相馬の復仇を名目に、マキは朱雀さんの
汚名挽回を、黄麟さんは弟の嫁取りを図り。故にわたしを倒せば良い黄麟さん達と、朱雀
さんにわたしを討たせたいマキの意図にはズレがあり。更に朱雀さんはこの遠征自体に反
対で。

 わたしが強敵である以上に戦う理由がない。
 相馬は羽藤柚明の悪鬼認定を誤りと認めた。

 悪鬼でない者を討つ意味はない。鬼切部を脅かす技が野にあっても討伐は必然ではない。
己の汚名挽回は別の悪鬼討伐で為せば良いと。でもマキがそれを待てず早い汚名挽回を望
み。

 鬼の禍はいつ生じるか分らぬから、汚名挽回もいつになるか分らない。それ迄鎖された
相馬の屋敷で、マキは愛しい女性剣士への侮蔑や陰口を聞かされる。『力』を持つマキは、
誰も口に出さずとも表情や気配から悟れてしまう。朱雀さんを誇りに想い強く慕うマキは、
肉親より愛しいみゆみゆへの中傷に耐えられない。それに別の悪鬼を討ち倒しても、女子
高生相手の黒星は消えぬ。消すには再戦して勝つ他にない。同じ相手に再戦して勝つ他に。

 黄麟さん達に思惑ありと承知で、マキは相馬の大動員・わたしへの他流試合強要に乗り。
黄麟さん達は相馬党の重役を、面子を擽る言説で煽って出征を認めさせ。朱雀さんは愛し
いマキの、自身を思う故の暴挙を止めきれず。最早彼女に止められる規模の話しでもなく
て。マキの願いに応えて力戦する他に選択はなく。

「鬼切部相馬党・五柱神末席・朱雀、参る」
「ぬっ、朱雀め」「対策は考えて来たか…」

 青龍さんや黄麟さんの声にざわめきが続く。

 朱雀さんは、居合いの構えでわたしに対し。
 わたしも迂闊に、彼女に近づけなくなった。

 抜いてない構えてない刀は射程を読み難い。

「貴女対策は考えてきた。戦いたくない相手だけど、勝つのが難しい相手だけど……個人
の感情も勝算の有無も抜きに、剣士には戦わねばならない時がある。心は常に常在戦場」

 攻めに出て来なければ攻撃の後の隙もない。

 技量が上の敵に手数を増せば隙を突かれる。
 ならむしろ今迄見せてない一撃必殺に賭け。

 朱雀さんは全力で、勝利を掴みに来ていた。

 迂闊に近づけないけどいつ迄もこの侭では。
 愛しい人の解放が先に伸びて負荷が増す…。

 技量の多少の優劣は、疲れや気合や得物で覆せる。特に達人の攻防は一瞬だ。わたしの
護身の技は、自身やたいせつな人を守る事に力点があり、進んで敵を破る技ではないけど。

「羽藤柚明は対応策を探る感じか」
「不用意に飛び込めば自滅する事は、見れば分るが」

 わたしは彼女の刀の伸びを推察し、その外周を掠めて左へ円運動を。勿論朱雀さんが向
きを変える方が早い。でもわたしは彼女が向きを変えるのに、更に左へ回り込む様に円運
動を続け。彼女は更に見て応じて向きを変え。

 しっかり合わせてきている。円周を動くわたしより中心の朱雀さんの方が動きは小さく。

 わたしが円運動を早めると、彼女も応じて。
 わたしが動きを更に早めると、彼女も応じ。

「回り込めると、思っているの?」「……」

 鞘から推察するに由香さんの刀に近い長さ。
 腕の伸びや踏み込みも考えれば射程は長い。
 その長さを直径に、円周率を掛けた距離を。

 わたしが幾ら早く動いても、中心の彼女は。
 一動作で向きを直せ、見て動いて間に合う。
 幾ら先制しても、わたしの方が後手を踏む。

「私の抜刀を誘っている? させないわよ」

 朱雀さんは、構えの侭でわたしに向き直り。この侭ではわたしは間合に入れず。間合に
入れば彼女の勝ちだ。彼女はわたしが人質を早く取り返したい心理を察し、わたしの焦り
を仕掛けを待つ。技量が上の相手を前に、有利な体勢を自ら崩す必要はない。戦いの王道
か。

 わたしは左への円運動に緩急を混ぜ、危険を承知で半歩近づき、抜刀を誘う動きを続け。
彼女の美貌に険が増したけど、動きは変らず。早い動きの後に遅く動くと、わたしが右へ
回り込む様に映り。勝負時を錯覚させ。左への動きを見せ続ければ、誰もが当然そう考え
る。

「動き続けて主導権を握る積り? だが…」

 朱雀さんはわたしとの根比べに応じ。緩急を付けた回り込みにも、よく見て小刻みに正
面を向け直し。続けていれば、不規則なりに息が合って来る。それはわたしも想定の内だ。

 拾分以上動き続けただろうか。双方共に軽く息が上がってくるけど、未だ大丈夫。わた
しには無駄な動きが多いけど、これは布石だ。朱雀さんは根比べで勝てる様な相手ではな
い。

 わたしは唐突に、左への回り込みを止め。
 緩い動きではなく一瞬でも完全に止まり。

 右だな。朱雀さんは右に動きかけた足を。
 わたしの右への回り込みを読んで左へと。

 でもわたしは停止しただけで右へ動かず。
 彼女の初めて見る速さで左から急接近を。

『成功。予測が外れ彼女の対応が遅れた…』

「ぬうぅぅぅぅぅ!」「はあぁぁぁぁっ!」

 緩い動きではなく初めての停止を見た朱雀さんは、それを右への動きと錯覚し。待ち構
えた勝負時とほんの少し先走り。見極めぬ内に向き直ろうと。それを外したわたしは左へ、
初めて見せる神速の回り込みと接近を。彼女は急遽右へと向き直り、抜刀するけど僅かに
遅く。それでも拳は届かない。この速さでわたしの腕の長さでは、彼女の抜刀に間に合わ
ない。だからわたしは彼女が右手で掴んだ左腰の刀の柄を、右の蹴りで止めて抜刀させず。

 居合いは抜いた瞬間切っている技だ。この読み違いを誘って踏み込まなくば、己の最高
速でもこの間合は届かなかった。相手を馴れさせ、勝負時を感じさせ待たせ期待させねば。

 その侭彼女の刀を鞘毎渾身で蹴り飛ばし。
 崩した体勢の懐に踏み込んで腹に掌打を。

『マキ、姉様。ごめんなさい、私、敗れ…』

「くそ、役立たず」「所詮朱雀はこの程度」

 崩れ落ちる凛々しい人を身に受け止めて。
 気を失い行く女性剣士の心に語りかけて。

「あなたにもあなたの事情があると分るけど。わたしにもわたしの事情があるの。取り返
さねばならない、たいせつな人が。痛い想いをさせてごめんなさい。何度も危うい処を助
けてくれたのに……でも、わたしは凛々しく清く強いあなたを好き。わたしの恩人という
以上にあなたの在り方が清々しくて好ましい……諸々の事情を乗り越えた後で、改めて心
を繋ぐ事が叶うなら。許して貰えるのなら…」

 気絶した彼女を、地に横たえさせたその時。
 藪の向うのマキの気配が、爆発的に増大し。

「何故討ち取られぬ。何故打ち破られぬ。何故妾のみゆみゆを負けさせる……何故じゃ」

 マキは朱雀さんを破ったわたしに激怒して。
 藪の向う側が金色に輝いて凄まじい気配が。
 もうそれ以外の動向を窺うどころではなく。

「兄上……あれが出るぞ」「分っているっ」

「許さぬ……何人でも、例えマキと夜這う事許した柚明でも、みゆみゆを傷つけるなら」

 管狐や犬神等とは、格の違う力が立ち上り。
 マキは憤怒の侭に自らが宿す物を解き放つ。

「みゆみゆの仇……みゆみゆの受けた傷みを汝に必ず受けさせる。出でよ、あるーら!」

 マキがいる金色の輝きが立ち上る藪の上に。
 翼長2メートル近い巨大な金の猛禽が顕れ。

 わたしを目がけて鋭い嘴で急降下して来た。


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


 ガルーダは、インド神話や仏教説話で迦楼羅(かるら)又は金翅鳥(こんじちょう)と
呼ばれ。人々が怖れる蛇や竜を食する事から、それらを退治する神鳥として崇拝され。イ
ンドネシア国営ガルーダ航空の名前の所以でも。

 伝承では、人の胴と鷲の頭部や嘴・翼や足を持つ、翼は赤く全身は金に輝く巨大な鳥で。
マキの発音は正確ではないけど、神鳥はむしろその名で自らを認識している様で。幼子が
鬼切り役に就く事情が分った。これ程の神霊を宿し使いこなすなら、今の世に蠢く鬼等怖
くない。大抵の鬼切部の強者も霞んで見える。

 マキが俗世との交わりを断たれる理由も分った。異能の血筋を濃く宿す為に、愛や情に
関らず血統を操作され整えられた末の子でも、常に身を清く保たねばこれ程の物は保てな
い。

 朱雀さんがマキを常に愛しむ心情も悟れた。さっき彼女を倒した瞬間、その心の壁が崩
れ。何故彼女がマキをたいせつに想うか漏れ聞え。マキは朱雀さんの姪で。マキの母は朱
雀さんの姉・先々代鬼切り役補欠『身代り』だった。

 これ程巨大な存在は依り憑くだけで、常時膨大な『力』を要する。呼び出すだけで暫く
不調が残る程の反動を伴い、不足すれば生命も吸い上げる。幼子は病気や疲労に弱く体調
を崩し易い。いつ何のきっかけで限界を超え、依巫が息絶えるか分らず。相馬の数百年の
歴史でも、成人を迎えた鬼切り役は僅少らしく。

 故に相馬党は神鳥を憑かせる依巫の代りを、常に複数用意して。マキもハックで語って
いた身代りだ。相馬は巨大な力を保持する為に、『力』を持つ幼子を電池の様に用意し取
替え。朱雀さん姉妹もかつて、先々代鬼切り役の身代りだった。朱雀さんは元々術者だっ
たのだ。

『あの女は神獣使いの候補だったからな…』

 昨年相馬党に捕まった時に、宗正さんはそう語っていた。神獣はマキが宿すアルーラだ。
でも彼は上司である朱雀さんへの軽侮と共に、アルーラやマキへの敬意も欠き、相馬では
失言だった。術者への相馬の剣士の評価は低く。朱雀さんは女性の上に年若くマキも幼い
から。

『剣技はともかく、人外の怪異には使える』

 朱雀さんの術への顕胤さんの評価は、概ね適正だった。彼女が身代り出身で本来術者だ
と知る彼の、剣技への評価は低かったけど…。

 身代りは万一に備え神鳥を憑かせる状態を整え保つ為に、各自分家でマキに似た鎖され
た生活を送り。神鳥を馴れさせ自らも馴らす為に、偶に相馬本家に集い鬼切り役の傍で共
に過ごす。鬼切り役に不慮の事故でもあれば、参集して神鳥が選んだ者に憑かせ急場を凌
ぐ。

 美憂さんも姉美鳥さんも十数年前身代りで。

 先々代鬼切り役が感冒と心労の故に倒れて。
 神鳥を誰か身代りに移さざるを得なくなり。

 幼い鬼切り役の生命を多く喰らった神鳥が。
 美憂さんを次の依巫に選びかけたその瞬間。

 美鳥さんが妹を突き飛ばしてその座を奪い。

『憑くなら私に憑きなさい……金翅鳥っ!』

 力や名誉や権力を欲してではなく妹を案じ。
 鬼切り役の過酷な定めから妹を守りたくて。

 美憂さんは当時その意味を良く分ってなく。
 神鳥はそれでも良いと思ったのか姉に憑き。

 大人達は神鳥が落ち着いたので事後承諾を。
 でもその本当の報いは半年経たぬ内に顕れ。

 結局先々代鬼切り役は助からず、暫くの空隙が生じ。先代鬼切り役が選ばれ神鳥が離れ
た5ヶ月後、美鳥さんは生命力と気力の殆どを吸い尽くされて。通常、神鳥を宿すに最も
相応しい者が依巫に、二番手以下が身代りになる。鬼切り役よりも身代りの方が素養が高
い筈はなくて。中でも年長で俗に染まり始めた彼女は、神鳥を宿す資質が薄まりつつあり。
でも年長で物事が分るから、姉は幼い妹の身代りになった。生命を酷使する苦難を承知で。

『私は姉様に助けられて、何も助けられず』

 美鳥さんの容態は好転せず。体も心も内から灼かれた状態で。暫くでも神鳥を憑かせた
事が評価され、大人達は血筋を残せと親族の男性と結婚させたけど。美鳥さんは長女の産
後に衰弱死して。生れた幼子は次の鬼切り役候補として大人が引き取り。美憂さんは己の
為に衰弱した姉を喪い、娘に逢う事も叶わず。

 年を経て身代りの資質が薄れた美憂さんは、術者としてではなく剣士として、次の鬼切
り役になるマキに添うと心を定め。術者は出陣する鬼切り役に必ず添えるとは限らぬ。戦
時も鬼切り役に必ず添える者は別にいた。幼い鬼切り役を看る為の女性枠・五柱神の朱雀
だ。

 実力では五柱神や奥州拾七万騎の上位にも、及べないけど。女性枠の朱雀なら相馬の女
性剣士を勝ち抜けばなれる。大人になっても並の術者以上の『力』を持つ彼女は、『力』
の制御や体調管理・心の持ちよう迄広くマキを補佐し。必死に鍛えた剣技で、マキが出陣
してもアルーラの発動不要に、多くの鬼を屠り。父を好めぬマキの唯一の肉親として心通
わせ。

 朱雀として以上に、マキに心から愛され。
 姉の娘として以上に、マキを心から愛し。

 現状マキは神鳥を宿し、鬼切り役として生きる他に途がない。他に何を望み願っても十
歳の子供に為せる事はない。それは朱雀さんも同様で。彼女も現状相馬の鬼切り役を支え
る他に、マキを生かしマキと生きる術がない。それでも彼女は非常の覚悟を決意を胸に宿
し。野崎美憂に姉の悲劇を再度受容する気はない。マキに寄り添うのも不測の事態に備え
る為だ。相馬で鬼切り役に不測の事態があれば、身代りを招集し神鳥を誰に依り憑かせる
かだけど。

『姉様に助けられた生命はマキに捧ぐわ…』

 彼女の一番たいせつな物は、神鳥ではない。巧く行っている間は時機を窺い様子見だけ
ど。神鳥がマキの生命を吸い尽くす時は、マキが病気等で神鳥の負荷に耐え得なくなった
時は。

 彼女は姪の生命脅かす神鳥を切り倒す積り。
 何もかも抛り捨てマキと共に逃亡する気で。

 その為に常に傍にいねばと。鬼切りの使命も相馬の誇りも朱雀の職責も、彼女には絶対
でも何でもない。野崎美憂が一番たいせつなのは『みゆみゆ』と呼んでくれるマキだけだ。

 その強い情愛をマキは常に肌身に感じて。

 情愛どころか外の風も情報も届かぬ館で。
 鎖された日々で唯一柔らかで暖かな存在。

 何を置いても何を捨ててもマキを大切と。
 使命より誇りより生命よりマキを愛すと。

 それでマキがみゆみゆを愛さぬ筈がなく。

「喰い破れ! みゆみゆを……傷つける者は何人であれ絶対許さぬ。報いを叩き付けよ」

 ピイイィィィィ! 甲高い咆哮が鳴り響き。
 次の瞬間凄まじい速さで巨鳥は右肩を掠め。

 あの大きさで空に浮いて、あり得ない速さ。
 セーラー服の上着が千切れ、贄の血が迸る。

 直撃は躱したけど、本当にギリギリだった。
 当たっていれば、心臓を嘴に貫かれていた。

「いけ、アルーラ。贄の血をぶちまけよ!」

 でもそれで終りではない。一度避けただけ。
 避ける側は一度も当てられてはダメだけど。

 当てる側は一撃当たれば勝負を決められる。
 力量の差は明瞭で、避け続ける事も難しく。

 黄麟さん達も見守る他にないという姿勢で。
 周囲の作務衣の男女も立ち尽くして動かず。

『掠めた右肩から一瞬だけど、気力や生命力を吸い上げられた。攻撃して敵の力や生命を
引き剥がし、自身の力に変える……こちらの攻撃は格の違い・力量の大きさで弾き防ぎ』

 掠めた感触でも羽毛が鎧の硬さで肌を裂き。
『力』込めた掌打も神鳥の『力』に防がれる。

 正面から当たって勝てないのは勿論側面や。
 背後に回ってもどこにも有効打を望めない。

 神鳥は雄々しく優雅に飛翔して地を睥睨し。
 でも左右前後上下の動きは瞬間移動に近く。

 膨大な神威は数十メートル離れてもびりびり分る。射すくめられ平伏を強いられる感じ。
僅かでも気を抜けば自然と立ち尽くし、一撃を正面で受けに行きそうになる。痺れる体を
心を無理に動かし、何とか回避を続けるけど。

『この侭では保たない……けど打開策も…』

 避けても避けても神鳥は、空にいながらわたし以上の素早さで、執拗に向きを変えて嘴
で迫り。躱せても光の羽の余波が打ち付けて、肌身を裂き。更に気力を生命力を吸い上げ
て、体を魂を蝕んで。元々相馬の強者との連戦で、消耗はしていたけど。この対峙は息を
つけぬ侭全力疾走を強いられる様な物で、足が縺れ。速さで劣る。力で劣る。脚力で打撃
力で劣る。

『力』も打撃も羽毛の上で弾かれ届かない。
 その内側にでも入れない限り防備は完全。

 守りが完全な故に全力の攻撃は徹底的で。
 打つ手がない。己に神鳥打倒の術がない。

「でも、ここで、敗れて終る訳にはっ…!」

 次の瞬間に来る敗北を拾秒伸ばす。拾秒後の敗北を5秒伸ばす。先が視えても諦めない。
今できる事を為す。己が打ち倒される像は視えても。結果が確定する迄わたしは絶対に…。

 その末にわたしは視えた未来を確定する。
 この展開を黄麟さんは予期していたのか。
 桂ちゃんの両手の甲に刃で軽く傷を付け。

 丘を降りていた彼らは、幼子を戦場に解き放ち。桂ちゃんは当然わたしを求め歩み来て。
その流す贄の血のわたしより濃く甘い香りに、神鳥は向きを変え。迫る巨大な輝きの危険
を幼子は分らない。魅入られた様に立ち竦んで。6歳の幼子に、回避も防御も出来る筈が
ない。

「アルーラ、どこへ?」「桂ちゃん……!」
「ゆめいおねえちゃ」「ピイイィィィッ!」

 贄の血を流せとのマキの命は、わたしの血に限定されてない。マキは白花ちゃん桂ちゃ
んが贄の血を宿すと知らない。だから神鳥は。

『間に合わせる……何としても、絶対に!』

 桂ちゃんに迫る神鳥の前に立ち塞がって。

 渾身の力を込めて交差した両腕の防御を。
 神鳥は一瞬で粉砕し弾いてこの身を貫き。

 心臓に一撃受けたわたしは吹き飛ばされ。
 後方へ数メートル浮いた末に地面に倒れ。

 愛しい人の悲鳴が遠くで鳴り響いていた。


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


「うあっ……ぅ……」「ピイイィィィィ!」

 仰向けに倒れたわたしを踏みつける大きな爪は。ハックを出た直後マキに囚われた時の。
動けない。相手を打ち倒す為に込める『力』を纏った侭密着されては、踏み潰されつつ灼
かれる様な物だ。鬼が贄の力に灼かれる様に。

 防御の為に贄の血の力を紡ごうとするけど。神鳥の直撃を受けた痛手が身にも心にも残
り。満足に力を紡げない上に、痛手を受けた肌身が力を巧く伝えられない。そして神鳥は
両足のかぎ爪で、わたしを組み敷いてのし掛り…。

「柚明っ!」「ゆめいさん!」「ゆーねぇ」

 切迫した声が何故か妙に間延びして聞えた。

 胸に嘴が振り下ろされる。鋭い嘴は巨鳥の故の高さから、土にめり込む程の勢いで迫り。
回避の術はなく両胸の肉を交互に嘴が啄んで。贄の血が迸り、力が剥がされ吸い取られ行
く。贄の血の流出も神鳥に力を与え己の力を弱め。

 贄の民は鍛えても、鬼との戦いを極力避けるべき。不二夏美の時もそうだったけど。鬼
の攻撃を受けて流した贄の血が、自身の力を弱め鬼に力を与えるから。神鳥も人外だった。
己の血が濃い程流出は敵の・神鳥の力を増す。

「いいぞ。柚明を引き裂き、食いちぎれ!」

 乳房を抉られる痛みも甚大で、気を失う程だけど。一撃で終らず一秒刻みで次々と来る
ので、激痛の故に逆に失神を許されず。抗う術も防御の術もなく。悲鳴を出す暇さえなく。

 両の肺を破られた。息が出来ない。出血がどんどん増え、かぎ爪に抑えられた腕は折れ
かけ。膨大な神の力に、わたしの気力が生命力が灼かれ剥がされ吸い取られ。すぐ治癒に
全力を挙げれば生命は繋げる。でもそれを出来る状況ではなく。血肉と共に意志も削られ。

 そういえば、桂ちゃんは無事かな? わたしを捉え密着した以上、神鳥に襲われてはい
ない筈だけど。起き上がる事が出来ず、気配を探ろうにも間近に巨大な物がいて探り難く。

 さっき迄酷かった体中の痛みが薄くなり。
 息が出来ない苦痛が苦痛でなくなり始め

 不吉な感触だ。痛み苦しみは生きる証で。
 それらが遠ざかるのはわたしが現世から。

「よし、殺しはするな。一旦引けアルーラ」

 神鳥が離れた。マキの元に戻ったらしい。
 それで相馬の剣士の再起の様が感じ取れ。

 和泉さんの涙声は未だ丘の上からだけど。
 聡美先輩や白花ちゃんの声も未だ丘の上。

『桂ちゃんは……桂ちゃんを、守らないと』

 身を起こせない。両の腕も全く動かせない。
 首を曲げられない。意志を確かに保てない。

『最も近くで感じるのは……朱雀さん…?』

「今だ、みゆみゆ。柚明は瀕死の深傷じゃ。
 止めはみゆみゆが刺せ。それで勝ちじゃ」

 ミマキ、様……。朱雀さんも未だ起き上がるに早すぎる。歩み寄って来る足はふらつき、
表情には余裕がなく。気力で無理に保たせている。それでもわたしが横たわる間近迄来て。
わたしに回避の術はない。身動きも叶わない。必死に握り締めた刃は、でも振り下ろされ
ず。

「もう充分です。戦いは終りました。羽藤柚明はミマキ様に敗れました。私の止め等不要。
勝敗が決した今、一刻も早い治癒を……我々は鬼でもない者を殺めに来た訳ではない筈」

 マキもわたしを殺せとは命じてない。形式でもわたしに一撃加えさせ、勝者の資格を朱
雀さんに与えたく。わたしの治癒はその後で行えば良いと。でも朱雀さんは自身の汚名挽
回等どうでも良い、わたしの状態が危ういと。

 殺し合いではない再戦ならと、承知して出陣した彼女は。元々立ち合いも乗り気でなく。
由香さんの所作を止める為に割り込んだ結果、立ち合ったけど。彼女は勝敗の如何に関ら
ず、立ち合いの後で直に謝ってくれる積りでいた。

 わたしの勝利と言うより朱雀さんの敗戦に。
 マキが憤激して、この展開になったけど…。

 今迄の試合も、こうなる怖れは孕んでいた。
 相馬の術者はわたしの命を繋ぎ止める為に。

「黄麟様も青龍様も、羽藤柚明を殺めるお積りはない筈かと。私は負けで結構、どの様な
罰も制裁も受けます。ですが、彼女は死にかけています。早く治さねば生命を繋げない」

 朱雀さんは倒れたこの身に屈み込み、治癒の力を及ぼそうと。彼女も癒しの力を扱える。
日没前でも肌身を繋げば、わたしの自己回復力の高さを知る彼女は、それに加勢すれば生
命は繋げると。それでも早くせねば危ういと。

「待っていろ。今治してやる。少し我慢を」

 緊迫の中にも愛しみが感じられる。彼女は。
 わたしを殺めかけた過去を心底悔いていた。

『取り返せるとは思わないけど。少しでも』

 わたしの生きようとする意志に働きかけて。
 わたしの贄の癒しに連動し快復を促そうと。

 でも、次の瞬間流入する治癒の力は断たれ。
 朱雀さんは蹴り飛ばされ、引き剥がされて。

「邪魔だよ。二度も負けた負け犬の分際で」

 由香さんだった。朱雀さんはわたしとの立ち合いの痛手で、周囲に気を配る余裕がなく。
由香さんを睨むけど、起き上がる余力がなく。由香さんはさっきのお返しだよと嘲り笑っ
て。

「みゆみゆに何をする! 下がれ愚か者が」
「あたしは敵に用があるだけです鬼切り役」

 マキも相馬の者を神鳥で弾くのは躊躇い。
 殺してしまいかねないので使い難い様だ。

「この小娘が簡単に死ぬ物かい。こっちは術者も連れてきている。いつでも生命位は楽に
繋げる。それよりもう少し痛めつけて、あたしに逆らった身の程を教え込まないとねぇ」

 神鳥に抉られたセーラー服を、由香さんは。
 破り取って、損傷した両の胸を人目に晒し。
 その足がこの顔を踏みつけて、泥まみれに。

「今度こそお前を蹂躙し尽くしてやる。綺麗な面も蹴って殴ってグズグズにして、治しよ
うがなくしてやる。生命には障らない様に」

 わたしはもう指先もまともに動かせられぬ。
 抗う事も守る事も為す余力がないけどでも。

「お姉ちゃんを、イジメないで!」その声は。
 彼女を止めようと太い足に縋り付く幼子は。

『桂ちゃん……! 無事、だったのね……』

 幼子は全力で由香さんの動きを止めようと。
 でも叶う筈もなく振り飛ばされて転がって。

 人質の扱いが変っていた。彼らにはもうわたしを逃がさぬ為の人質等不要で。わたしが
余力を残していればこそ、抑止に使えるけど。わたしを倒し終えた今彼らは口封じを考え
る。

「邪魔だよ、穢らわしい鬼娘の親族が。んん、イイ事思いついた。鬼娘が最も大切で守り
たかった幼子を、その目の前で泣き叫ばせるとか。生意気な心を折るのに最高じゃな
い?」

「桂ちゃんには、手を、出さない、約束…」

 わたしは全力を尽くした。神鳥には敗れたけど約定は叶えた。でも黄麟さんも青龍さん
も由香さんを止めず。相馬に嫁に入るわたしの心を早く折った方が従順になると。でも!

 振り飛ばした幼子を掴まえに行こうとする。
 由香さんの足首を必死に掴んで止めるけど。

「未だ逆らう余裕があるんだ? 鬼娘が!」

 今の握力では彼女を止めるには到底足りず。
 振り飛ばされ逆に左掌を右足で踏み砕かれ。

「その顔。無力感で痛みで裏切られて悔しくて悔しくて、でもどうにも出来ない。それが
イイ。でも未だ足りない。涙が足りないそれと叫び。イイ叫びと涙は女も欲情させるの」

 朱雀さんは身を起こせず。マキも止めよと命じるけど聞かず。黄麟さん青龍さんはその
所作を止める気がなく。わたしは止められず。和泉さんや聡美先輩の悲鳴も、白花ちゃん
の声音も届くけど。応えられない己が呪わしい。

 彼女は踏み砕いた後もこの掌を、更に二度三度踏みつけ。どうする事も出来ない。その
所作も嘲り笑いも、今の己に止める術はなく。痛いより苦しいより、桂ちゃんを守れない
…。

「やりたい放題好き放題、やりたい放題好き放題……ひゃははは。ざまぁ見ろ……ぶっ」

 由香さんの哄笑は何故か突如止められた。


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


「鬼切部の癖に……悪鬼以下の鬼畜共が!」

 由香さんを襲った第一撃は倒すと言うより。
 わたしから引き剥がす為なので威力は弱め。

 でも大柄な由香さんが大きく吹き飛ばされ。
 相馬の強者を動揺が走り抜ける様を感じた。

「何だお前達、あたし達を一体誰だと…!」

 言いつつ長い長い刀で切り掛る由香さんを。
 第二の女性が今度は刀で峰打ちで気絶させ。

 彼我の状況をその視界に収めた真弓さんは。
 瞬間頬をピクと震わせ美しく冷たい笑みで。

「女子高生1人に鬼切部が、この人数で寄ってたかった以上、問答無用で文句ないわね」

 真弓さんとサクヤさんが並んで敵に相対し。
 その背後でわたしは正樹さんに寄り添われ。

 助けが間に合えた。わたしの生命ではなく。
 わたしのたいせつな人達の、無事な解放に。

 この来援迄持ち堪えるのがわたしの役割だ。
 サクヤさんがいれば3人はわたしを辿れる。

 わたしは神鳥に敢てきつく身を締めさせて。
 濃い贄の血を歩みつつ落して、ここ迄来た。

『抗議があるなら諸々の手段で申し立てよ』
『今ここで、連絡が付くならの話しだがな』

 彼らはわたしが来援を呼ぶ事を拒んでない。

 携帯電話は持ってないしここは圏外だけど。
 他の方法で羽藤の大人を呼び抗議する事も。

 抗議がどんな形を取るのかにも縛りはなく。

「柚明ちゃん。酷い傷だ。どうして」正樹さんの震える手にわたしは声を絞り出して応え。
彼には手遅れに見えた様だ。実際近代医学では多分この深傷は治せず、手遅れなのだけど。

「わたしは大丈夫。見かけは酷いけど、生命は繋げます……ごめんなさい。わたしが見通
せなかった為に、たいせつな人を人質にされ、取り返せず。白花ちゃんも、桂ちゃんも
…」

 正樹さんは女の子の胸の損傷に、掛ける言葉を惑い、唯軽く抱き留めてくれる。服を汚
すのに。彼は気にせず汚れ傷ついたこの身を傷まぬ位に、心通わせる為に守り抱き。声を
返してくれたのは、銀の髪長く豊かな美人で。

「もう良いよ、柚明。あんたはそこ迄しなくてもいいって処を、遙かに超えて頑張った」

 真弓さんは桂ちゃんを抱き留め戻って来て、わたしに寄り添う正樹さんに委ね。相馬党
は状況の激変に、動くのを躊躇いそれを見届け。

「ごめんなさいね、来るのが遅れて。でも」

 本当に大丈夫よね? 羽藤の大人達もこの容態が気懸りの様だけど。意思を込めて頷く
と分ってくれて。正樹さんがバットを構えて、わたしと桂ちゃんを背に庇い。サクヤさん
が上着を掛けてくれて、見苦しくはなくなった。

「ここからはあたし達の戦いだ……見てな」
「あなたは桂を抱き留め守って待っていて」

 選手交代。これも相馬党は禁じていない。

「あなた方が望むだけ立ち合ってあげるわ」
「思う存分立ち合ってやるから、覚悟をし」

 女性2人の凄まじい闘志が突風を錯覚させ。
 幼子を抱き支える正樹さんも仰け反らせる。

「元鬼切部千羽党が鬼切り役・羽藤真弓…」
「山神の眷属で最後の観月、浅間サクヤ…」

「「羽藤の遺恨を、今ここで叩き返す!」」

 黄麟さんも青龍さんも明良さんに及ばない。
 この2人は明良さんさえ凌ぐ真のもののふ。

「邪魔者共が……始末しろ」「皆殺しだ!」

 黄麟さんも青龍さんも、全てが完遂しかけた瞬間の蹉跌に逆上し。彼らは弁明の余地の
ない状況を前に、力づくを選択し。でもそれは最悪の選択だった。この場合何より敵手が。

「相馬金剛流双戦斧!」「このなまくら!」

 サクヤさんは恒胤さんの斧を躱して素手で掴み。押し返すと力士の様な巨漢が退き尻餅
ついて。作務衣の男女の飛び苦内に助けられ、立て直し再度斧を振るうけど、真弓さんの
刀に2つとも跳ね飛ばされ。峰打ちで倒されて。

 もう互いにルールのない野試合、乱戦だ。

 相馬の強者は次々2人に斬り掛り、作務衣の男女は側面や背後から飛び苦内で援護する。
でも2人はそれを悉く避け、或いは叩き落し。掴んで投げ返し別の者に当て。その間に強
者を次々倒し。棒術も鎖鎌も三節棍も通じない。わたしに躱せた技がこの2人に効く筈が
ない。

 朝宗さん義季さん義守さんも、相手になれない。政長さん晴宗さんも義道さんも。元嗣
さん晴直さんに加え、奥州拾七万騎首席・阿倍貞時さん、玄武さんが丘を駆け下り参戦し。

「相馬金剛……ぶば」「悪路赤頭、おぉ!」
「へげぶ」「ききり」「あるら」「はとぉ」

 技名も流派も言わせない。真弓さんもサクヤさんも、作務衣の女性の顔に打撃を入れる。

「本当はあたしは独りでも、相馬の館に押し入ってこうしてやりたかったんだ。柚明が」

「柚明ちゃんが和解を望んだから、憤懣を押し殺し和解に応じたのに。底なしの愚か者」

「人質を……我々には未だ人質がある…!」

 青龍さんがそう叫んだ瞬間、更に別の声が。
 和泉さんのいる丘から男の子の声が響いて。

「人質は解放した。好きなだけやってOK」

 最近学校で聞き慣れたその声は若杉史さん。
 催涙スプレーで作務衣の男女を混乱させて。

「若杉君……なの?」和泉さんの驚きの声に。

「救出に来る白馬の王子様が、ユメイちゃんじゃなくて、ちょっと残念だったかな…?」

 皮肉っぽい笑みを保ち和泉さんの縄を解き。
 崩れ掛る女の子を抱き支え下界に手を振り。

「経観塚における鬼切部の動きは、ぼく達が責任を負わされている。折角苦労して講和し
たのに、勝手されちゃ困るんだ。鬼切部全体の動きと誤解されて、羽藤真弓や浅間サクヤ
に、一緒に敵視されては若杉が大迷惑でね」

「今回の件に若杉は関与していない。その無実を行動で証す為に、我々経観塚における若
杉の出先は、羽藤の側面支援の実施を上から了解された。我らに手を出せば相馬党が若杉
に敵対したと見なされる。注意することね」

 鴨川香耶さんも、白花ちゃんと聡美先輩の囚われた丘の上で。史さんの父役の人と共々、
作務衣の男女を退けて2人を無事に取り戻し。

 彼らは真弓さん達と連動し。サクヤさん達が正面で敵の注意を惹く間に、彼らが人質を
取り返す。若杉が相馬と結託しているのでなくば、羽藤側に付き行動で証せと正樹さんが
談判し。常の事ながら若杉上部は渋ったけど、正樹さんは『10分で了解しなければ若杉も
相馬側と見なし全面戦争に入る』と脅迫を込め。

 己の為にみんなは全面戦争の危険も承諾し。禍を見通す事も出来ず幼子も守り通せなか
ったわたしの為に。躊躇いもなく全てを抛つと。申し訳なさと嬉しさで涙が溢れて止まら
ない。

 鬼気迫る声音に押され、若杉は史さんや香耶さんの羽藤との連携に消極的な許可を下し。
でも桂ちゃんも白花ちゃんも、未だ泣き出さないのは。未だ終ってないと感じているから。
相手は力づくで手段を選ばずの集団だ。唯退けて終りではない。再発させない保証が要る。

「ミマキ様……どうかお助けを」「神鳥を」

 技量では黄麟さんも青龍さんも、真弓さんサクヤさんに遙かに及ばない。幾ら周囲で作
務衣の男女が苦内を投げても、時間稼ぎにもならない。他の強者も牽制位にしか使えない。

「いけ、アルーラ。相馬の敵を退けよ…!」

 マキも乗り気ではないけど、問答無用の展開に。暴走した配下でも見捨てる事は出来ず。

 神鳥と真弓さんの刃は正面から激突して。
 凄まじい力の衝突が強い風を巻き起こす。

「「真弓が(神鳥が)打ち勝てない…?」」

 真弓さんが振り下ろした刃と神鳥の嘴が。
 激しくぶつかり合って双方弾き弾かれて。

 双方相手を打ち倒せてなく状況は互角か。

 唯真弓さんの周囲には他に敵が複数いて。
 瞬間でも対応を強いられると隙を狙われ。

「焼鳥になりなっ!」「ぴいいぃぃぃぃ!」

 その神鳥の嘴に、サクヤさんの拳が炸裂し。この衝突も互角で、相手を弾き合って後退
し。サクヤさんにも敵が複数いる。その隙に迫る神鳥を、真弓さんが刃で迎え撃ち再度激
突し。

 神鳥は羽毛に纏う膨大な力に守られている。
 倒すのにはそれを貫き通すか無効化せねば。

『神鳥の力量は2人に近しい。他の強者多数に動きを制約されながら戦うのは、難しい』

「小娘と男を狙えっ」「奴らは役立たずだ」

 彼らは真弓さん達を足止めし、正樹さんや桂ちゃんを狙い。サクヤさん真弓さんが攻守
を分けて防ぐけど。桂ちゃんの足では戦場を離脱できない。背を向けて逃げる事も危うい。
正樹さんがバットで威嚇するけど効果は薄く。

 わたしは周囲の気流に乗せて絹糸を巡らせ。
『力』を通わせ飛来する苦内を絡め取り防ぎ。

「剣士でなければ今のわたしでも防げる。サクヤさん叔母さんは後ろを気にせず戦って」

「柚明ちゃん?」正樹さんは起き上がろうとするわたしに、心配そうな視線を向けて驚き。

 治癒は急速に進んでいた。桂ちゃんが傍にいてくれる事で、肌身繋げるだけで、喪った
血量より大きな『力』を紡げ。正樹さんが持参した青珠のお陰で、その効果は更に高まり。

「鬼切りを使えば」「それはダメだよ真弓」

 鬼切りなら神鳥も倒せるけど、一撃必殺で余力を残せない。相馬の強者が未だ多数いる
状況で、真弓さんが戦闘不能になるのは拙い。真弓さんは何とかすると言うけど危うすぎ
る。

 その僅かな惑いを相馬は突いて。何かをしてはダメとの指示は、瞬時でも体を思考を止
めてしまう。黄麟さん青龍さん達の一斉攻撃は弾き返すけど。強者を何人か打ち倒すけど。

 神鳥はその間にこちらへ飛来して。黄麟さん達は神鳥の援護を見込んで勝負に出たけど。
神鳥は彼らの意図を外れ。故に真弓さんもサクヤさんもその動きを読めず、追随もできず。

 神鳥は常にない苦戦に消耗し、マキの力だけで足りず、力の源になる濃い贄の血を欲し。
さっきわたしから吸い上げた贄の血を思い返し、桂ちゃんのもっと甘く香る血を思い返し。

「アルーラ、どうした?」「ぴいいぃぃぃ」

 神鳥は、敵との交戦指示を一時棚上げして。
 指示にない力の補給を求め、こちらへ迫り。
 贄の血を流せとの命令は、終了されてない。

 桂ちゃんとわたしを守ろうと、バットを構える正樹さんを。わたしは追い抜き前に出て。
真弓さんもサクヤさんも瞳を見開くその前で。

 神鳥は、正樹さんに防ぎ得る相手ではない。

 考えている暇はなかった。今のわたしなら。
 もう奪わせない、喪わせない。守り抜く…。

『血は力、想いも力。だから今の神鳥なら』

 渾身の力を込めた両の掌打を、神鳥の嘴に重ねて。先程は桂ちゃんを庇い斜めに飛び込
んだから態勢も悪かった。今回は正面迎撃だ。それで上回れる様な生易しい物ではないけ
ど。

「はああぁぁぁっ!」「ぴいいぃぃぃぃ!」
「柚明ちゃん!」「柚明」「ゆめいさん!」

 膨大な力の激突に、体が魂が悲鳴を上げる。
 逃げたく竦みたくなる、体を心を叱咤して。

 神鳥の突進を嘴を、この両掌が止めていた。

 弾き返すには至らない。真弓さんサクヤさんと違い、わたしにそこ迄の力はない。でも、
両手に注ぎ込んだ力は、劣勢でも未だ崩れず。神鳥の嘴を、心臓間近で挟んで、確かに抑
え。

 じりじり神鳥の嘴はこの心臓に迫り来る。
 次の瞬間に破られそうな程均衡は危うく。
 神鳥もそれを分るから、押し通す構えで。

 正樹さんは背後で神威に打たれ、バットを持った侭動けず。呼吸できない硬直はわたし
もさっき感じた。失神しないだけで充分凄い。でもわたしは二度目という以上に負けられ
ぬ。愛しい正樹さん桂ちゃんを喪う訳には絶対に。

「ど、どうしたアルーラ? 何があった?」

 神鳥の異変をまず察したのはやはりマキだ。

 神鳥は先程わたしの渾身の守りを一蹴した。力量差は明らかでわたしに勝ち目は殆どな
い。しかも神鳥はわたしが身に纏う力を引き剥がして喰らい、濃い贄の血も得た。力は更
に上がっている。真弓さんサクヤさんが苦戦したのもその為だ。逆にわたしは血を呑まれ
力を剥がされ。わたしの受け止める態勢は些細な問題で、再びの対決は神鳥に更に有利な
筈で。

 一撃で決まる筈だった。なのにわたしは。

 神鳥の嘴を抑える両掌から煙を上げつつ。
 心臓に嘴が届くか届かないか迄迫られて。

 でもギリギリの辺りで受け止めて崩れず。

「アルーラ、どうした? なぜ……まさか」

「血は力、想いも力。だから今その内側には、贄の血と共にわたしの心が入り込んでい
る」

 不二夏美がわたしの贄の血を拒んだ理由は。

 わたしの血には力と共にわたしの心が宿り。
 呑んだ者の意志や力に迄影響を与えるから。

 唯喰われ糧にされ栄養に変わる訳ではない。

 恐怖で固まった心や確かに紡がない想いは。
 呑んだ者の心に流され従わされる事もある。

 でも修練を重ね体の隅々迄想いを通わせた。
 わたしの宿す血は呑まれても中で尚生きて。

『触れればわたしの想いに共鳴して動く…』

 その膨大な力の壁は突破できなかったけど。
 神鳥が血を呑んでくれた事で侵入が叶って。

「そんな。アルーラが贄の血に汚染され…」

 呑まれた贄に、呑んだ側が左右される事は。
 汚染なのかも。わたしは俗物に過ぎないし。

 でもわたしにも絶対守り抜きたい者がある。
 何を犠牲にしても守り通したい愛しい人が。

「はああぁぁぁっ!」「ぴいいぃぃぃぃ!」

 互いの力量だけを見れば、何度相対しても。
 勝てる可能性等ない。敵う筈のない相手だ。

 でもまさか己の血の濃さが、呑まれる事で。
 こんな逆転劇を招くとは自身も読み切れず。

 掴み続ける限り神鳥内部の力を掻き乱せる。
 神鳥はわたしを凌ぐ力を発揮できずに喘ぎ。

 今やわたしが灼かれ死に瀕している以上に。
 わたしが掴まえ神鳥を内外から灼いている。

「アルーラ! アルーラ……しっかりせよ」

 マキが藪の向うから、戦場に歩み出てくる。
 式神使いが前線に出て来ては、失格だけど。

 痛み苦しむたいせつな分身を、捨て置けず。
 既に戦場は殆どの剣士が倒され終えていた。

「ぴぴいいぃぃぃ!」「……っ、あぅっ…」

 最後に神鳥をマキに向けて放り投げたのは。
 もうこれ以上戦う気はないとの意味を込め。

 実際わたしの方も、神鳥に肌身を灼かれて。
 これ以上戦い続ける事が、無理だったけど。

「柚明……大丈夫かい?」「柚明ちゃんっ」

 黄麟さんと青龍さんを倒し終えた真弓さんとサクヤさんが、寄り添ってくれて。中途か
らわたしは視線で2人を抑え、神鳥は倒せるから他の敵を倒してと、お願いし。でもそれ
はわたしには、かなりの無理でもあったから。2人は粘る敵を速攻で打ち倒して来てくれ
て。

 残っているのはマキと作務衣の男女が少し。
 金色の光を纏いつつ失神した神鳥が1羽で。

「力を……殆ど使い果たしちゃいました…」

 立っている剣士はいない。相馬党は壊滅だ。
 尚煙を上げて熱を発する両の掌に耐えつつ。

「無茶しすぎよ、あなた」真弓さんが未だ煙を発しているこの身を、気にせず抱き留めて。

「わたし達が来る迄散々酷い状況を耐え凌ぎ、今もわたし達が容易に倒せぬ迦楼羅鳥を
…」

「初見では勝ち目がなかったけど、わたしの血をかなり呑んでくれたので、逆に勝ち目が
生じました。相馬の強者相手には、わたしはサクヤさんや叔母さん程役に立てないから」

 わたしだから神鳥を撃退できた。神鳥がいなければ、真弓さん達は相馬党を殲滅できる。
わたしは奥州拾七万騎の首席次席や五柱神を、この短時間に打ち倒す事は出来ない。きっ
と足を引っ張っていた。この分担は最善だった。

 真弓さんが離れた瞬間サクヤさんがこの身を奪い。背骨が折れるかと言う程抱き締めて。

「あんたはたいせつな人の為には、もう良いって処を遙かに超えて頑張るって、分ってい
たけど……これ以上心配させないでおくれ」

 2人ともわたしの血や泥で身を汚すのに。
 構わず気にせず強く肌身合わせてくれて。

 白花ちゃんや和泉さん達は、史さん達と。
 戦場を大きく迂回して歩み来ている様で。

 真弓さんもサクヤさんも誰1人殺めてない。2人はわたしの願いを分ってくれて。2人
なら加減できる技量の相手だったし。わたしではこうはできない……ほっと力が抜けた瞬
間、贄の血の繋りが、わたしに再々起動を促した。


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


「ミマキ様……いけません。これ以上、戦う事は……金翅鳥も限界です。貴女もっ…!」

 漸くマキの傍に歩み辿り着けた朱雀さんが。
 意地になって闘志を纏うマキを諫めるけど。

「構わぬ。負けて終る訳には行かぬ……鬼切り役が、アルーラが敗れて逃げ帰る訳には」

 マキは朱雀さんの敗者の汚名挽回にこの遠征に乗った。それが叶わず、配下が全員敗れ、
鬼切り役迄が神鳥共々負けて逃げ帰るのでは、面目が立たぬと。否、面目などどうでも良
い。そんな物は、黄麟さんや相馬の重役の拘りだ。

 マキの本当の危惧は、マキの本当の怖れは。

「鬼切り役は絶対負ける訳に行かぬのじゃ」
「ですがアルーラはもう戦える状態では…」

 神鳥も流石に金の輝きが、弱っているけど。

「戦える! アルーラは勝つ迄決して諦めぬ。絶対応えてくれる。アルーラは忠実で強く
賢く美しい妾の僕じゃ。妾が力を注ぎ支える」

 ぴいぃぃ。神鳥の咆哮も心なしか弱々しく。
 でもマキは、自らの手首を切って血を与え。

「妾の想いをもっと多く注いで、アルーラの中の柚明の心を圧倒すれば良い。妾の気力活
力を全て注いで、もう一度羽ばたかせれば」

「それでは……ミマキ様が保ちませんっ…」

 神鳥は輝きを復し始めているけど。羽ばたきに力が戻り始めているけど。でも、マキは。

「いけません、マキ。貴女を喪いたくない。
 私は、神鳥より勝利より使命より貴女が。
 貴女が大事なの、マキ。貴女だけがっ!」

 遂に真意を明かした彼女にマキも微笑み。
 それは生死の覚悟を定めた者が浮べ得る。

「妾はそなたと一緒の日々が大事なのじゃ。
 その為には妾迄敗れ逃げ帰る事は出来ぬ」

 マキが勝敗に拘るのは。たいせつな人と相馬の中で共に過ごし生きて行く為に、相馬の
大人達に価値を認めて貰わねばならないから。強さ以外評価しない相馬党で、みゆみゆや
アルーラの居所を、己の居所を保つには。捨てられない為には。勝って値を示さねばなら
ず。

『女の子が戦いに強いと知られても、特に嬉しくはないし』
『珍しいモノの見方だのぅ……妾の周囲は皆、戦う強さがなければ無価値と言うぞ。故に
強くない女は男に劣ると……みゆみゆ位か。強さのみが人の値ではないと、囁いたが。そ
の他は下女も大人衆の女共も』

 マキは朱雀さんと共に生きていきたいから。
 アルーラと共に生きていきたいから戦って。

 時に自ら手を汚してもその居所を保ち続け。

 鬼切部の戦いは強ければ気楽な訳ではない。
 妄執が絡む鬼の戦いは後味悪い事が殆どで。

 それでもマキが使命を果たし続け来たのは。

『戦いに勝たずとも……強くなくとも人には生きる値がある?』
『少なくとも、わたしはそう思っているし、わたしの周りの人達も』

 そんな世界はマキを鎖した外側の話しで。
 わたしは不用意に生暖かい外界を見せて。

 マキに絶望を与えたのかも知れぬ。でも。
 否その故に、わたしはマキに最後迄関る。

「もう少しだけ」「柚明ちゃん?」「柚明」

 尚戦意を喪わぬ幼子と神鳥に真弓さん達も。
 気付いて必要なら迎撃する構えだったけど。

「あんたはもう戦わなくて良いんだ、柚明」

 サクヤさんは、両肩を抑えてくれるけど。

「たいせつに想ってくれて有り難うサクヤさん。でも大丈夫。もうこれは戦いじゃない」

 2人とも神鳥もマキも余力がないと分って。同時に、振り絞ればもう一撃位は可能な事
も。だから心配してくれる2人に、戦い以外の解決策に辿り着けそうですと、わたしは微
笑み。

「全部の人間が、誠を注げば誠を返してくれるとは限らないのよ、柚明ちゃん」「はい」

 過酷な鬼切りを経てきた真弓さんが、わたしに抱く危惧も理解できる。わたしにも最後
迄心通わせられなかった人はいた。全ての人と絆を結ぶのは無理なのかも知れない。でも。

 だから誠を通じ得る人迄、諦めたくはなく。
 助けたい、支えたい、守りたい、愛したい。
 届かせられる限り、己の体と心の続く限り。

「マキとは……相馬の鬼切り役とは、少しの経緯があって。神鳥も彼女ももう戦えないし、
戦わせてはいけない。終らせないと……そしてわたしなら、マキもみゆみゆもアルーラも、
終らせられる。これ以上傷つけ合う事なく」

 2人を伴うと相手を刺激するので、わたし1人で。と言っても2人は臨戦状態で。距離
を置いてもすぐ駆けつける構えでいて。長引くとみんなを心配させるし、わたしも気力体
力が尽きかけて。ここは速やかに終らせねば。

「私は敗者でもいい、汚名なんて怖くない。
 だからもう、これ以上の無理は止めて!」

 朱雀さんは背後から抱きついて諫めるけど。
 彼女の『力』ではマキの覚悟は抑えられず。

「妾がダメじゃ……みゆみゆが、アルーラが、妾が敗れる事は。妾もみゆみゆもアルーラ
も、断じて役立たずではない。それを証さねば」

 作務衣の男女は、最早妨げる動きも為さず。
 マキはわたしの接近を気付いていて妨げず。

 朱雀さんはマキに必死でわたしに気付けず。
 神鳥はマキの指示を待って、敢て動かず…。

 その目の前に、手を伸ばせば届く程間近に。
 わたしは跪き、視線の高さを同じに合わせ。

「不覚、貴女いつの間に!」慌てて身構える朱雀さんを制止して、マキは苦い笑みを浮べ。

 神鳥は完治に程遠い。一度羽ばたき一撃を与えるのが精一杯で。神鳥への力の再充填が
終ったと言うより、これ以上注ぐ力がマキにない。それでもマキは凄絶な闘志を尚失わず。
その気になれば本当にもう一度位戦えそうで。幼くても相馬御間城は相馬党鬼切り役だっ
た。

「柚明、止めを刺しに来たか」「終らせに」

 わたしが頷いてない事に、気付けない程。
 マキは肉体も精神も疲弊し消耗しており。

「妾が望む立ち合いに応じてくれるのだな」

 勝利の機会を与えられる事が、今のマキには最重要で。それしか要らないと言って良く。
勝つ、勝つ、勝つ。唯勝利だけが彼女のたいせつに思う物達と、生きて行く為に必須だと。
その後に何も残らなくても良いと迄思い詰め。

 朱雀さんは己を投げ出す構えで、警戒して。
 神鳥も疲弊した自身を必死に立て直そうと。
 マキは立ち合いへの応諾を、待ち焦がれ…。

「どうしても、勝たなければならないの?」
「今更言葉にせずとも、汝は分っていよう」

 マキは心を開け放っている。どうしても戦わねば、戦って勝たねばと。それをわたしに
呑み込ませる為なら、内心を読み取らせると。そこ迄して戦わねばならぬ、勝たねばなら
ぬ。たいせつな物と共に時を過ごすその為だけに。その必死が懸命が渾身がわたしを突き
動かす。

「妾は勝たねばならぬ。せめて一矢報いねば。格上の元・当代最強や最後の観月に敗れる
ならともかく、世間でも相馬の大人衆にも全く名の通ってない女子高生に、負けっ放しで
は。

 許されぬ。絶対許されぬ。何が何でもっ。
 妾の挑戦を受けてたもれ……お願いじゃ」

 マキもわたしも神鳥も、限界を超えている。
 それをマキも神鳥も承知して、尚も戦うと。

 それを必死で妨げようとするのは朱雀さん。

「もう止めて。羽藤柚明、貴女の勝ちで良い。ミマキ様を……マキをこれ以上傷つけない
で。もう無理させないで。アルーラをこれ以上戦わせては、勝敗に関らずマキが保たない
…」

 必要なら何度でも土下座するし生命も捧ぐ。
 相馬の私の為した非道も理不尽も全て承知。

 その上で私は何よりもマキがたいせつなの。
 私のたいせつなマキが傷む様を見るのは嫌。

 ぴいぃぃ。神鳥の咆哮は悲しささえ宿して。

『3者の願いは相反している様で同じもの』

 わたしは正面間近のマキにかぶりを振って。
 その侭抱き留めて柔らかな唇に唇を重ねて。

 幼子の渾身の抵抗は、己の渾身で抑えこみ。
 多少の贄の血と共に残る力を癒しに変えて。

「んんっ……な、何をする……い、癒し?」

 わたしも力が尽きているからここ迄せねば。
 自身を治そうとする力を、横流しできない。

 朱雀さんもマキも、驚きに瞳を見開く前で。
 わたしは最後の力を注ぎ終えて、脱力して。

「貴女、一体何を考え?」
「どういう事じゃ。今から妾と立ち合うのに、その妾に癒しを注いで、自身を殆ど空にし
てしまって何を…」

 怜悧に賢い幼子が動揺し惑う姿を見るのは、愛らしく好ましい。自然と微笑みが溢れ出
て。

「決着は付きました、わたしの負けです……羽藤柚明は全ての力を使い果たしたその末に、
相馬の鬼切り役・相馬御間城に敗れました」

 座り込むわたしをマキは引っ張り上げて。

「愚かな……妾に情けを、恵みをかけるか」
「双方の取り決めに従った正当な決着です」

 これはわたしの護身の技と相馬の鬼切りの業の、殺し合いではない他流試合。相手に負
けを認めさせるか、戦闘不能にした者を勝者とする。それで良ければ立ち合いを受けます
と言った処、相馬の皆さんは掛って来たので。

「これ以上の立ち合いは不要です。わたしは力を使い切ったので、暫くは応じられないし。
相馬の鬼切り役は勝者としてご帰還下さい」

 そこでわたしは一度息をついて深呼吸を。

 自身の癒しに使う力を、流出させたので。
 ちょっと息が続かず体が重くだるいけど。

 もう少し、あと少しだけ持ち堪えさせて。

「わたしの言葉を、憶えている?」「……」

『わたしはあなたを傷つける事を厭う以上に。あなたがわたしを傷める事で、その心が荒
む事を厭う。無垢に優しく綺麗な心が血に染まる事を厭う……だからわたしは決してあな
たに討たれないし、あなたを討つ事もない…』

 わたしはあなたと戦う以外の方法で、己の目的・たいせつな双子を取り戻す願いを望み
を叶える。そして叶うなら、あなたの願いも望みも満たす事に協力したい。助け支えたい。

 無辜の民や幼子を人質に取る相馬の大人を、簡単には許せないけど。マキも朱雀さんも
神鳥もその様な策動とは無縁で。その身が課された宿命に必死に向き合ってきた。それに
相馬の大人も全てが一心同体だった訳ではない。

 人は皆過去の上に今がある。どうにも出来ない事はある。問題はこれからどうしたいか。
確定した過去を、未来にどの様に活かせるか。わたしは傷つけ合うより微笑み合いたいか
ら。

 幼子が瞳を見開き脱力して行くその前で。
 わたしは姿勢を保てずにマキへ寄り掛り。
 その暖かな肌は血塗れのわたしを拒まず。

「わたしも含め人は過ちを犯すもの。他者を傷つけ哀しませる事は、悪意がなくても故意
でなくても誰にも生じ得るの。償う術の分らない程重い過ちや罪も、世にはあるけど…」

 為した事は取り返せないけど、わたし達にも相馬党にもこの先がある。無辜の人を守る
為に悪鬼を討つ志を、彼らが今後も抱くなら。わたし達は人の世の秩序を覆そうとも敵対
しようとも思ってない。分り合えない事はない。

 わたしの願いはたいせつな人の幸せと守り。反撃も報復も望まない。守り通せたから、
喪失を防ぎ止めたから、相手に大きな過ちを犯させなかったから。わたしは相手の幸せも
願える。強ければ敵を退けた後で守る事も叶う。

 違う形で会えていれば、親しくなれたかも知れない人と。決裂して終るのは残念だ。為
した事にはけじめが要るけど。後はわたしと彼らの自由意志の関りだ。彼らはもう、わた
しのたいせつな人を脅かさない。わたしが関る事で、彼らに過ちを犯させなければ良い…。

「過ちから始る成果も関係も世にはある。過ちに由来するからと、全てを切り捨てるのは
勿体ない。啀み合う仲で終るのは寂しすぎる。

 わたしはあなた達の強さ優しさを今知った。大切なものを守り支えたく想う心を。その
過ちや欠点と同様に……それらはわたしも持っている。それを嫌っては人と関り合えな
い」

決意が、運命を切り開く事がある。
 決意が、及ばない筈の何かに届く事も。

「相馬御間城も野崎美憂もアルーラも、羽藤柚明のたいせつな人。心から守り助け支えた
く想い願う、愛しく賢く美しい鬼切りの強者。不束者ですが、どうか宜しくお願いしま
す」


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