第8話 従妹のために(後)


 お金の為。今後脅し取る多額のお金の為に。
 たいせつな2人を弄ぶ、彼らの快楽の為に。

「そんな……だって斉藤先輩も伊東先輩も」
「はした金は目的じゃない。それは事実よ」

 背中に届く宍戸さんの声にわたしは頷き、

「決定的な瞬間を収めて可南子ちゃんも脅し貪る積りなの。宍戸さんの片思いを脅しても、
大した額のお金は取れない。その程度の行いを脅しても、宍戸さんが嫌に思って開き直れ
ば、拾四人の欲求を満たすお金は取れない」

 合意でも強奪でも宍戸さんに、可南子ちゃんへの想いを遂げさせ、証拠を掴む。脅され
たら従う他に術のない状況に陥れる。あなたの恋を助けるのは彼らの欲望の為よ。2人を
脅し貪る思惑の為よ。決定的な証拠を撮れば彼らは豹変する。最初からその積りだったの。
宍戸さんあなたも、嵌められている。彼らに。

「家のお金を盗ませたりカードを持ち出させたり、2人に身体でお金作らせる事迄考え」

 目を覚まして。彼女達が宍戸さんに関ったのは、好奇心でもなければ好意の故でもない。
彼女達はあなたを、女の子を好いたあなたを、大事になんか想ってない。異常者だと蔑み
見下し、悪意を抱いて利用し操り、罪を為させ。

「だから彼らはあなたに、正面から可南子ちゃんに向き合う様には、一度も言わなかった。
それは普通の想いでないから諦めなさいとも。善意の欠片もなかったから。追い込み哀し
ませ縋り付かせる方向にしか助言しなかった」

 声も瞳も前方に向けるけど想いは背後にも。

「理解なんかしてない。受容なんかしてない。彼らはあなた達の想いを心底毛嫌いし、歪
んだ形で繋るのが似合いだと、見下している」

 好意を抱かないのは、人の趣向だからやむを得ない。確かに2人の想いは普通とは違う。
でも、気に入らないと人の想いも行いも歪め、不幸に陥る様に促すのは、見過ごせなかっ
た。それがわたしのたいせつな人に害となるなら。可南子ちゃんと宍戸さんの後の禍にな
るなら。

「これ以上2人に害を為さないで、お願い」

 退く積り等ないと視えていたけど。諭して納得する様子ではないのは分ったけど。でも、

「ね、彼女もレズ?」「みたいね、匂うわ」

「勿体ない、こんなに可愛いのに」「心こもってないぞ。楽しみなんだろ、踏み躙るの」

 好奇の視線と問はわたしに聞えよがしに。

「ヤッて良い? こいつも、ヤッて良い?」
「そーだな。どうせ口封じの予定だったし」

 構わないだろう? 坂本君の問に小島君が了承を返しつつ、右に確認の視線を向けると、

「最初からヤル気満々なんでしょう? まあ、間違った趣向を正すには、正しい男女交際
を身体に教え込むのも、一つの方法だしねぇ」

 杉原さんが玉城さんを窺って承認を返す。

「何を、……何を、言っているの先輩達?」

 彼らが語る真意を想像できたから、冗談だよという否定を求めての可南子ちゃんの問に、

「中途半端な賢しさが仇になっちゃったわね。『レズれい』の行動の裏迄見抜いて、私達
が潜む事情迄察するとは、予想外だったけど」

 伊東雛乃さんがショートの黒髪を揺らせて、

「そこ迄見通していて、飛び込んだ自分が危いと気付かないなんて、とんだお粗末。事件
を解決して終らせるには用意周到じゃないと、名探偵も泣き叫ぶ被害者にされておしま
い」

 大柄な志賀貴弘君が、元々は整ったスポーツマンの容貌を、わざわざ卑しい嗤いに歪め、

「ここ迄喝破された以上、この侭返す訳に行かないさ。見抜かれなくても結局レズ2人の
絡み合いを撮って脅し、拾数人で身体に服従を教えて、男も女も楽しむ予定だったけど」

「あなた達が宍戸さんに、誰もいない日を選んで事を為させたのは、その為だったの…」

 助けを呼べない様に、助けが入らない様に。
 宍戸さんを使って2人を害する舞台設定を。
 後で宍戸さんが声を詰まらせる様が分った。

「学校なら俺達幾らたむろしていても、言い訳利くもんな」「残り少ない学校生活の思い
出に浸っていました」「体育館や更衣室に後輩を驚かせる贈り物を置きに来ていました」

 仮に誰かがいたとしても、見張りを立てて先回りして応対すれば注意は逸らせる。2人
の喉を塞ぐ迄もない。校舎の隅や女子更衣室に閉じこめれば、叫びも響かない。届かない。

 囮で誘う位の事をせねば、彼らの害意は晒せない。宍戸さんと可南子ちゃんが実感しな
い。2人が悪意の中にいるのだと知って貰わねば、間近な先輩達が禍だと分って貰わねば。

 2人が互いに抱いていた想いも分ったから。
 それを明かされる事への怖れも視えたから。

 家族や先生に知られる怯えを彼らにつけ込まれ、口封じされる様が瞼の裏に浮んだから。

 わたしがこの身を挟める他に術はなかった。
 彼らの意図を、宍戸さんの前で確かに晒す。

 彼らの善意は偽りだと、宍戸さんの行いを歪めた経過とその真相を可南子ちゃんに示し、
その悪意を宍戸さんにも分って貰う。禍を導く水路を断ち切る。宍戸さんの目を覚まさせ、
彼らと切り離し、2人を2人とも確かに守る。2人の絆を強く繋げ玉城さん達の繋りを絶
つ。わたしは2人が抱いたたいせつな想いも守る。

 玉城さんはわたしの背後で2人が竦む様に、

「所詮異常な性向を持つ、穢らわしい女達よ。どんな酷い事しても心は痛まない。羞恥の
様を証拠に撮れば、告発する気力も失せるわ」

 ゆめいさん、だったっけ。あなたも一緒に。

「私達が用意した劇場で最後迄楽しむと良い。『レズれい』と『レズかな』を苛む輪の中
で、あなたも仲良く一緒に泣き叫ばせてあげるわ。あなた可愛くて意志も強そうだから、
楽しみ。簡単に折れない心程、折れた後が美味しいの。あなたの願いも想いも目的も失わ
せてあげる。目の前であなたのたいせつな人を踏み躙って、女の子の大事な物を何もかも
奪ってあげる」

「……それだけは、させません」

 左手を前に突き出した構えは、相手との間合を測ると言うより、届かせたい己の覚悟と
願いの具現化で、相手への威嚇以上に、動きを見せて彼らの注意を引き寄せる意図を宿す。

 2人はわたしが来なければ、小島君達男女拾四人に乱暴され、深い心の傷を負っていた。
裸や下着や乱暴の様を写真に撮られ、脅されて揺すられて、お金を盗んだり、万引きさせ
られた末に捕まって、人生を狂わされていた。彼らも間違えた成功に増長しその後を誤っ
て。

 彼らの甘言に一度乗せられた宍戸さんにその拒絶は難しく。宍戸さんを大切に想う可南
子ちゃんはその蟻地獄に一緒に落ち込んで…。

 それを防ぐ為の今宵だった。関知や感応はたいせつな人を助ける為に。この悲劇を防ぐ
力を今のわたしは持っている。哀しい別れと過ちの末に手にしたこの力は、その為にこそ。

 決意が、運命を切り開く事がある。
 決意が、及ばない筈の何かに届く事も。
 見通す事の叶わない深い闇の向うにも。
 敢て突き進まねばならない状況はある。

 わたしは何も得られなくても良い。
 唯これ以上、何も失わせない為に。

 呪われたこの手で尚たいせつな人を少しでも守れるのなら。目の前に助けるべき人が居
る限り、この身が動き続ける限り、わたしは。

「可南子ちゃんの涙は、一滴たりと流させません。勿論宍戸さんも傷つけさせはしない」

 桂ちゃん、白花ちゃん。あなた達の好んでくれた『きれいなおねえちゃん』では戻れな
いかも知れないけど、全身全霊を尽くすから。

 夕闇の中、雨は尽きる事もなく降り続く。


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


「可南子ちゃんと宍戸さんは、早く逃げて」

 2人の行動を促そうと、敢て短く厳しい声を発するけど、2人は事の変転に心がついて
行けてない。宍戸さんを巡る様々な背景に初めて向き合った可南子ちゃんも、自身が嵌め
られていたと今初めて告げられた宍戸さんも。話を理解し心に浸透させるには、時間が掛
る。

「玄関は使えないし、それにあたし外靴が」

 生徒玄関は彼らの真ん中だった。正面突破でもしない限り通れない。修練のない2人を
庇って、拾数人の中を突き抜けるのは無理だ。彼らの正面撃退は技量だけなら可能だけど
…。

「後ろに逃げて。非常口や窓から上履きで駆けだして。今は緊急時。雨に濡れても、彼ら
に乱暴されるよりはまし。2人とも証拠を撮られてはいない。対応の術はない訳じゃない。
今は間近な禍から逃れる事を最優先にして」

 今迄の不幸な経過も、今2人が抱く想いも、今後の見通しも、今の禍を切り抜けて考え
る。

「羽藤さん……」「でも、ゆめいさんは?」

 想いを整理し切れない宍戸さんより、可南子ちゃんの身を震わせる心配にわたしは応え、

「わたしは彼らを暫く足止めするわ。彼らを巧く振り切れたらあなた達の後を追うから」

「だってゆめいさん。相手は男の子大勢…」
「宍戸さん。可南子ちゃんを守ってあげて」

 あなたとわたしのたいせつな人を今度こそ。
 わたしは対峙する故に、視線を逸らせない。

「この人数相手に、どうにかなると思っているのかね……男が8人もいれば、今更敵方に
女1人増えた処で」「少なすぎる獲物がみんなに行き渡って丁度良いよ。早く貪ろうぜ」

 ミディアムの黒髪の斉藤さんが微かに不審を見せるけど、坂本君はもう待ちきれないと、
右手でわたしの左肩を掴もうと一歩前に出て。掴んでしまえば、腕力と体重の差で彼一人
でもわたしを抑えて、残る2人も捉えられると。

 その目が意外な展開に瞬いた時には既に、

「えはっ……、なんだ?」「させないわ!」

 右手首を掴んで捻り、力の入らない体勢にして、突き返す。彼は背後の仲間に倒れ込み。

「わたしのたいせつな人に酷い事はさせない。痛い目に遭いたくなければここから退い
て」

 廊下の幅は広くない。回り道には時が掛る。わたしがここで防ぎ遮れば、わたしが彼ら
を食い止めれば、可南子ちゃん達は逃げ切れる。

「ふざけたマネをっ」「思い知らせてやる」

 男子2人が前へ出て来て腕を伸ばす。わたしも一歩前に出て、右から来た子の右拳を右
掌で握って動きを抑え、体勢を崩しつつ左に捻って、その身体をもう1人の男子にぶつけ。

「ゆめいさん、強い……」「羽藤、さん?」

「いでっ」「くそぅ」「何やっているの!」

 杉原さんが意外な展開に苛立ちを見せる。

 相手は運動部所属でも、武道の修練もなく喧嘩慣れもしてない。腕力や体重や打たれ強
さでは男の子の方が上でも。今のわたしなら、この人数でも刃物を持ち出されぬ限り、大
怪我させない位に手加減して正面撃退も出来た。

 真弓さんには生命を奪えたり生涯半身不随に出来る技も習ったけど、今春高校生になる
男の子にそこ迄手を下す積りはない。わたしの行いは懲罰でも反撃でもなく、背に庇った
たいせつな人を守る為の最小限の実力行使だ。

 だから坂本君も志賀君も、床に転がしたり腕を捻りはするけど、痛手は捻挫や打ち身で
しかなく。己に血の力を通わせて疲労を拭う迄もない。この位の動きでは呼吸も乱れない。

「何だこいつ」「手強いぞ」「いでででっ」

「彼女、合気道か何か、使えるのかしらね」

 動きが綺麗。一層虐げて楽しみたくなる。
 他人事の様な玉城さんに小島君は渋面で、

「聞いてないぞそんなの」「初対面だもの」
「もう手加減しねぇ」「よし、数で押すぞ」

 相手は一人だ。掴んでねじ伏せれば終る。
 男の子達が気を取り直す、少しの合間に。

「わたしが足止めしている内に早く逃げて」

 視線は向けられない。背後で、わたしや彼らの動きに目を奪われて動かない宍戸さんや、
わたしを気遣って尚動けない可南子ちゃんに、ここから離れてと重ねて頼む。力量だけな
ら、彼ら全員を撃退し2人を守る事も可能だけど。

 この後視える像はやはり変えられないのか。
 わたしの受ける苦難は躱しようがないのか。

 わたしの選択の後に視えた像は、羽様の大人にも全て伝えなかった。伝えたら可南子ち
ゃん達の助けにでも来る事は許されなかった。己自身を失わせるかも知れないこの夜の末
を。

「手こずるなら、私が手を貸しましょうか」

 木刀を持って加勢しようとする杉原さんを制し、玉城さんは左の小島君の頷きを待って、

「宍戸さん、あなたの想いの侭に選びなさい。
 元々の予定通り想い人の頬に最後の手段を。

 その侭彼女に守らせてあなたは満足かしら。
 この侭だとあなたの想い人の心は彼女の物。
 それで良いの? あなたそれに納得なの?

 今なら私が皆を説き伏せ2人の仲を認める。
 彼女を退け想い人だけ残す事が出来るかも。

 そう、それで良い。ゆめいさん、だったかしら。分るでしょう? 従わないと、あなた
のたいせつな従妹の頬にざっくり刃物傷よ」

 背後を確かめる必要もない。可南子ちゃんと身を寄せ合っていた宍戸さんが、懐からカ
ッターを取り出し可南子ちゃんの頬に当てた瞬間、わたしは抗う動きを全て止め。両肘と
両肩を掴まれ、身柄を彼らに拘束されていた。


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


 この末は視えていた。昨日夕刻、仁美さんの電話を受けたその時に。可南子ちゃんの危
難を捨て置けないと町へ赴く意を決した時に。

 どう努めても宍戸さんとの絆は繋げない。

 わたしは彼女の本当を悟れたけど。
 わたしの本当を分って貰うのには。

 時間が足りなすぎた。関りが少なすぎた。

 今回の結末が後味苦い物になると。
 全てを守り通す事は、叶わないと。

 承知で選んだ結末はこの身で受け止める。

 刃が例え脅しでも、わたしを止めるには充分だ。刃を扱い馴れない宍戸さんは、緊張で
震えている。何かあれば誤って切ってしまう。彼女と心を繋げなかった時点でわたしの負
け。その頬に刃を当てられた時点でわたしの負け。

 贄の癒しを及ぼせば、頬を切り裂かれても痕迄消せるけど。血の繋る従妹だから仁美さ
んに及ぼした時と同じ効果は期待出来たけど。治せるから傷つけさせても良いとはならな
い。顔は女の子の生命だし、傷は体にだけ刻まれる物でもない。痛みやショックは、心に
残る。

 それに人前で、目に見えた傷をこの手が癒して見せるのは拙い。羽様で育つ愛しい双子
の静謐を守る為に。和泉さんと真沙美さんには知られたけど、贄の血は極力秘すべき物だ。

「抵抗はやめます。わたしの身は皆さんに委ねます……。その代り、可南子ちゃんと宍戸
さんは傷つけないで。無事に帰してあげて」

 早速左右から男子2人に両の肘を掴まれた。
 背に両掌を合わせた一撃が振り下ろされる。

 跪けと言う事か。蹴られる侭に両膝をつく。
 肩も掴まれ抑えられ、男の子達に囲まれた。

「手間かけさせやがって」「お返しだっ!」

 両の腕を1人ずつ男の子に後ろ手に強く捻られた。抗う術を封じられた体勢で、起き上
がってきた坂本君達の拳が腹に、胸に、頬に。

 耐えられるけど。今のわたしは素人の男の子の拳や蹴りなら、贄の血の賦活なしに相当
耐えられるけど。問題は身の拘束を外す術を使えない事で。この先に展望が見えない事で。

「ゆめいさんっ。どうして、れいこ先輩?」

 左頬に刃を突きつけられた可南子ちゃんが、想い人の想定外の動きに必死で問を紡ぐけ
ど。

「それでこそ私が理解してあげた宍戸さん」

 玉城さんの笑みに宍戸さんは苦い表情で、

「どうせ逃げられない。羽藤さんが多少強くても、男の子8人は退けられない。私達が逃
げ切れても、残った彼女はああなっていた」

 この侭逃げても男の子の脅威は今後も残る。
 カナちゃんも私も今ここで話をつけないと。

「男子が手こずってくれたから話し合いの余地が出来た。先輩達は彼女に熱くなっていた。
彼女が本気になった男子に負けた後では、話し合いにならない。今羽藤さんを差し出せば、
カナちゃんに害は及ばない。勘弁して貰える。玉城先輩が話し合いの機会をくれたの。羽
藤さんには悪いけど、カナちゃんの為なのよ」

 宍戸さんはわたしより玉城さんを選んだ。

「でもれいこ先輩。これじゃゆめいさんが」

「彼女だってカナちゃんの為の生贄なら受け入れてくれるわ。大切な人なんでしょう?」

 私からも隔て守りたい程大切なのだから。
 私の最高の告白を最低の告白に差し替え。
 私の行いを全て晒し妨げた程なのだから。

「あなたにだけはカナちゃんは渡さない!」

 あなたは男に辱められて逃げ帰れば良い。
 背後から届いてくる声音は憤りも秘めて。
 それに呼応して玉城さんの柔らかな声は、

「あなたの邪魔者は私達が片付けてあげる」

 あなたはあなたの想いを遂げると良いわ。
 今迄私達が支え続けた宍戸伶子の想いを。

「そんなっ。先輩待って、ゆめいさんを…」

「そういう事なの。どう、守ろうとした人に裏切られた気分は? 悔しい? 哀しい?」

 斉藤さんが心に刺さる様に、ぴたぴた軽く頬を叩く。その間も男の子は両の腕をねじ上
げて、背に腹に拳を入れて、スカートに手を。

「可南子ちゃん、落ち着いて。わたしは大丈夫だから。喋って動くと頬が切れ……いっ」

「人の心配している場合かよ」「全部剥いで、お前も何一つ隠せない本当を晒してやる
ぜ」

 スカートの下に伸びた手に一瞬声が固まるけど、可南子ちゃんの心を乱す訳に行かない。
下着を掴まれる感触に抵抗できない悔しさも、気色悪さも飲み込んで、声音を冷静に整え
て、

「自身の心配は最後で良いの。可南子ちゃん、先輩達を刺激しない様に、大人しく従っ
て」

 贄の癒しで己を治せる以上に、修練で痛みへの耐性がある以上に。わたしが危難を蒙る
事で少しでも彼女の悲痛が先送り出来るなら。時が稼げるなら。犠牲はまずわたしから。
わたしは尚耐えられる。差し出せる物がなくなる迄、わたしの身も心もたいせつな人の為
に。

 窮地にある時程、己を見失ってはいけない。
 その場その場の感情に流されてはいけない。
 為すべき事と周囲の状況を確かに見定める。
 暴れても叫んでも無駄だ。今は耐え忍ぶ時。

 へえぇ。少し目を丸くしたのは杉原さんで、

「あっさり降参しちゃうのね。状況を飲み込めずもう少し暴れてくれるかと思ったのに」

 手に持つ木刀は脅し用だったけど、彼女は剣道も習っていた様で、わたしを叩き潰す為
に振るって楽しめたのにと、やや残念そうで。

「わたしが皆さんの求めを満たします。可南子ちゃんと宍戸さんは無事に帰してあげて」

「うるせえ」「今更何を言って」「ばぁか」

 男の子達は捉えたわたしの言葉など聞く耳持たぬと、わたしの肉を揉んで抓って楽しむ。

 ふふーん。玉城さんは興味深そうな瞳で、

「あなた、未だ宍戸さん迄助ける積りで居るんだ。あなたの危機を招いた彼女迄。でも」

「ちょっ、先輩、これ?」「きゃっ、なに」

 小島君達が、宍戸さんと可南子ちゃんの身柄を抑えていた。宍戸さんの刃は外れたけど、
2人の頬には彼らのナイフが。彼らはわたしの反撃を抑える人質を確かに手中に収めたく。

 状況の変転が分らずに宍戸さんは呆然と、

「どうして、先輩。私は先輩の望む選択を」

「私は何も知らないわ。約束通りあなたの邪魔者を始末している最中よ。あなた達を取り
抑えたのは、偶々近くにいた男の子達数人」

 それを止める積りもないと。玉城さんは2人を無事に帰す約束等してないと、冷やかに。

「私はあなた達の仲を認めると言っただけ。
 後は何をするともしないとも縛られない」

 写真に撮らないとも、撮った絵を公開しないとも、口止め料を求めないとも約してない。

 宍戸さんの表情が驚愕に凍って固まった。

「女同士で好きに貪り合えば良い。汚らしく想いを交わし合えば良い。それは止めない」

 私もあなた達を好き放題にやらせて頂く。
 言葉も思考も失った宍戸さんを前にして、

「レズ交尾の現場は抑えられなかったけど」
「第2案だ。俺達で犯して、その後を撮る」

 それで女には充分な恥で脅し。志賀君は、

「犯った側が知られぬ様に、俺達の顔は映らない様に外して撮れよ」「分っているって」

「男子が散々犯った後で、気力もなくした女を2人裸に剥いて重ねれば、偽装できるわ」

「そりゃヤラセだろう」「男も識らない娘に性交を強いる癖に、そんな事を気にする?」

 どうせ彼女達の真意はみんな聞いた通り。
 そう言えばそうか。小島君は苦笑しつつ。
 間近に跪いて動けないわたしを見据えて、

「じゃ俺達も、ヤル事ヤラせて頂きますか」

 爽やかな男子の瞳が突如間近に。

「んんっ……、んっ、んっ……!」

 いきなり唇を重ねられた。予告もなく摘み食いの様に顎を持ち上げられて奪われた。四
本の腕に拘束されたわたしに、回避の術はなくて。男の子と唇を重ねるのは二度目だっけ。

 詩織さんの吐瀉物を吸い出す為に、仁美さんの頬の治癒の為に、唇を寄せた事はあった。
サクヤさんや真弓さんに懐かれて、素肌に唇が触れた事はあった。部活の先輩後輩や同級
生とは、何度か唇を合わせた。桂ちゃんと白花ちゃんには、日々奪って貰えて幸せだった。
塩原先輩に無理に奪われたのが2年近く前…。

 善意や好意を寄せられる事が、素肌を優しく撫でられる嬉しさを招くのと反対で、悪意
や害意を及ぼされると、全身を舐め回される不快を呼ぶ。特に身に触られると感応使いの
わたしには効果も激甚で。欲情や憎悪が強かったり、人数が多いと己の心が押し流される。

 好ましい相手でもない上に、間近に守らねばならない人の危機がある。ここで我を失う
訳には行かない。悪意な形で唇を奪われても、素肌を掴み抓られても、心迄折られる訳に
は。

 だから唇は開かない。舌で唇を叩いて開けと迫られても閉ざし続けて拒む。彼が男の子
だからではなく、好きな人ではないから嫌う。

 でも、そんなわたしの抵抗を彼らは砕き、

「くっ……あはっ!」「漸く開いてくれた」

 腹部に突き刺さる拳の所為で、叫びで唇が開いてしまう。それを待っていた小島君は直
ちに舌を突き入れて、縦横無尽に掻き回して。

「待って先輩。お願い……あたしの、あたしのゆめいさんを、穢してしまわないでっ!」

 わたしが、蹂躙されていく。

 意思は通じず唇は吸い付いて外れず、生暖かい体温と共に唾液が喉へ無理に流し込まれ。
わたしに彼の想いが無理矢理入り込み、陵辱する。可南子ちゃんの叫びが心に響いたけど。
それに応えられない己が申し訳なかったけど。

 存分にわたしの中身を貫いて暴れた末に、

「これで終りだと思うなよ」「次は俺だぜ」

 唇を離した小島君がそう言った瞬間、横から志賀君が顔を寄せて、この唇に唇を重ねて。

 引き締まった男の子の瞳が近い。

「んんっ……、んっ、んっ……!」

 彼らの行為は今始ったばかりだ。
 彼らの欲求は今わたしに向けて。

 それを拒む術はなく、拒んではいけなく。
 可南子ちゃん達に、視線が向かない様に。
 今暫くはわたしが危難を受け止めないと。

 わたしはまだ大丈夫。戦えて耐えられる。
 見通せない闇の向う迄己自身を保たせて。
 2人を守る気力を残し、好機を諦めない。

 己が助かる好機ではなくて、大切な人を助け出す好機を。身も心も傷つけられた後でも、
わたしは決して意志を失う事を己に許さない。

「顔立ちは可愛いから、堪らねぇなこりゃ」
「早くどけよ。次は俺だ」「その次は俺な」

 志賀君の唇は離れるけど、間をおかず別の男の子が唇を合わせてくる。舌を入れたくな
くて口を閉ざしても、腹に蹴りを入れられてこじ開けられる。欲情や悪意が唾液と一緒に
喉に流しこまれ、身と心を内側から浸食して。

 わたしが人に癒しを及ぼす様に、わたしが悪意に塗り替えられる気が。感応の力の逆効
果で、わたしが男の子達の欲情に混ぜ込まれ。害意にわたしが呑み込まれ。己が失われ行
く。

「おら、次だよっ」「もう一度やりたいな」
「胸も大きくはないけど、柔らかかった…」

 4人目の舌が口の中を暴れ回るその脇で。

「実はあなた、レズじゃなくて、男狂い?」
「嬉しそうね。違うなら、違うと応えてよ」

 唇が塞がって斉藤さんの問に答が出ない。
 答を返せぬと分って彼女達は嗤い合って。

「唯単に、男を識らなかっただけなんだよ」

「良くある話しね。識った途端のめり込む」

「あーあ、毅然と格好良い台詞口にしてくれるから、まだ頑張ってくれると思ったのに」

「『レスれい』も『レズかな』も見ているよ。しっかり見られて、本当を晒して示そう
ね」

 叫び続けて可南子ちゃんは涙も涸れ、宍戸さんも胸が詰まって声がない。たいせつな2
人の前で無様を晒すのは心底哀しかったけど。2人を哀しませる己が本当に悔しかったけ
ど。

「俺達みんな、彼女の彼氏になっちゃった」

「もうレズ疑惑は出ないよな。おめでとう」

「俺達良い事をした? 感謝されて良い?」

「彼女は、その感謝を体で返したいそうだ」

「本当? まだヤって良いの? 良いの?」

「……はぁっ、はぁっ。けほっ、けほっ…」

 続けて口を塞がれたので流石に息が辛い。

 8人の唇が一周した処で、杉原さんがわたしの髪を掴んで上に向け、瞳と頬を近づけて。

「助けて欲しい? それとももう一週、男の唇を回されたい? 既に胸とか揉んでいた奴
もいたし、2週目になれば何を為されるか」

 お願いがあるなら、口にする位は許すわ。
 その促しに、わたしが今望む答は唯一つ。

「可南子ちゃんと宍戸さんを無事に帰して」

「……もう一周して、胸も尻も揉まれた末に制服も剥がされると良い。2周目は処女には
手を出さない様に言っておくけど、2周目の後の答が同じなら、3周目は好き放題だよ」

 その瞳に宿る害意や敵意が本物なだけに。

「2周目の後も同じ問なら、答も同じです」

 返した答に杉原さんも周囲も微かに怯む。

 今宵の末は確かに視えない。視えないと言う事は叶う可能性もあると言う事だ。無駄に
思えても挑む事を止めない限り可能性は残る。無理な結果が出る迄、わたしは絶対諦めな
い。

 微妙に盛り下がった空気を盛り返そうと、

「結局この2人も服剥いでヤッちゃうけどさ、その前にこの2人の前で、守ろうとした2
人の目の前で、彼女の服から先に剥いで、恥ずかしい様を晒し放題にするってのはど
う?」

 坂本君の声は、わたしの息も一瞬止めた。

「裂いて引き千切って楽しもう、みんなで」

「止めて先輩。ゆめいさんをもうこれ以上」

 その叫びに耳を貸す者はなく、何本もの男の子の腕が伸びて抑え。これが脳裏に見えた
関知の像か。無数の腕に身をまさぐられ、掴まれて。首筋を肩を、胸を腹を足を抑えられ、
幾人もの悪意な腕が、この身を蹂躙してゆく。わたしは僅かな抗いも許されず、為せなく
て。

 制服の各所を掴む、男の子の腕に力が入った瞬間。破り取られると覚悟に身を固めた時、

「待って裕也。無理矢理破り取るのは少し」

 玉城さんの声に小島君が視線で男子の動きを止める。何を言い出すかという視線を前に、

「ゆめいさん、あなたにも選ばせてあげる」

 あの二人を差し出して裸晒すのを免れるか。
 この侭彼らに制服引き裂かれ剥がされるか。
 破られる前に自分で何もかも脱ぎ捨てるか。

「あなた田舎から遙々ここ迄来たんだったわね。ここで制服をズタズタに引き裂かれたら、
帰りも大変でしょう。私達はともかく、田舎に帰り着く迄周囲の全ての視線が痛いわよ」

 破られる前に全て脱ぐなら見守ってあげる。
 他人の為に、そこ迄尽くす必要はなくてよ。
 よく頑張ったけど、あなたも限界でしょう。
 あなたを危害に陥れた者を守って何になる。
 見捨てて己を守りに出ても誰も非難しない。

 或いはここで服破られみんなに素肌晒す?
 玉城さんは本当に愛らしく鳥が歌う如く、

「あなたを裏切った者に迄ハダカ晒す気?」

「わたしの望みは可南子ちゃんと宍戸さんの幸せと守り。……2人を差し出す選択はあり
ません。たいせつな2人をしっかり守ってあげられず、無様を晒すのはわたしの力不足」

 玉城さんのその後の真の意図も掴めている。
 避けられないなら、わたしはむしろそれを。

「自分で、脱ぎます。代りに可南子ちゃんと宍戸さんを無事に帰すと、全員で約束して」

 彼らの言葉や約束は信に値しない。でも今のわたしに、取っ掛りを作る以上は望めない。
それで彼らの心に僅かでも引っ掛りが残れば。この身が負う痛みや羞恥や損失は受け容れ
る。それで尚、守り抜ける物があるのなら。時間稼ぎでも一時凌ぎでも、為せる術がある
限り。

「あなた今更取引なんて望める立場だと…」

 斉藤さんがわたしの髪を掴んで苛む脇で、

「良いわ。約束してあげる。全員で確かに」

 玉城さんは膝をついた侭のわたしを眺め、

「早く脱いで貰いましょうか。一糸まとわぬあなたの本当を、余す処なく見せて頂くわ」

 雨も夜も、わたしの心に染み渡ってゆく。


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


「ほぉう」「うぁ!」「やった」「きゃは」

 せめて整えたいと望むのは、小さな拘りだろうか。彼女達の前で全てを脱いだわたしは、
下着も制服も折り畳んで己の右に置いてから、正座して左手で股間を、右手で胸を覆い隠
し。

「約束の通り、全て脱ぎました。お願い…」

 可南子ちゃんと宍戸さんを無事に帰して。

 周囲は暫く息を呑んで動きもなく。唯瞳を丸く見開いて、食い入る様に凝視して。彼ら
も本当にわたしが自ら全て脱ぐとは思ってなかったのかも知れない。視線は見つめて苛む
と言うより、驚きに見開かれた感じで注がれ。

「綺麗だぜ」「極上だよ」「惚れそうだ…」

「男って奴は本当に、欲情の塊なんだから」

 あの位のスタイルで何よ。胸も大きい訳じゃないのに。脱げば良いの? はい写真写真。

「何枚でも恥ずかしい様撮って。タダの情報は撮れる時に取り放題に撮って置く物よっ」

 伊東さんが憎々しげに口を挟んで、漸く場の空気が動き出した。玉城さんが正面間近で
フラッシュを受けるわたしの裸身を見下ろし、

「あなた以外と淫乱なのね。他校生の、男の子もいる拾数人の前で、守ろうと庇ったたい
せつな2人の目の前で、自ら全部脱ぐなんて。私には信じられない。恥じらいを知る乙女
の端くれとしては、もう口に上らせる事さえ」

「可南子ちゃんと宍戸さんを、早く帰して」

 重ねてのわたしの求めに彼女は微笑んで、

「2人にはもう少し、留まって貰うわ。私達、2人にも大事な用があるのだもの。約束に
刻限の定めはなかったわよね、ゆめいさん?」

 玉城さんは、わたしの痛手を感じている。

「そんな、ちょ、先輩」「待って、もう…」

 解放を期待していた宍戸さんも、可南子ちゃんも、男の子に刃を当てられて尚動けない。
結局解き放つ積りがない事は分っていたけど。

 抗った瞬間2人の頬に刃は食い込む。身も心も切り刻む。贄の血の癒しは心も包み込め
るけど、人前でその効果を見せては拙い。それはたいせつな白花ちゃんと桂ちゃんの為に。
今暫くは何があっても堪えて好機を窺い続け。

「さぁて、ご注目。ここにあります布きれ」

 女の子2人が手に持って広げて示すのは、

「誰かが脱ぎ捨てた下着やどこかの制服ぅ」
「要らなくて捨てたのなら、処分しなきゃ」

 前に現れたのはハサミを持った斉藤さん。
 自ら脱いでも拒んで剥ぎ取られるも同じ。
 制服も下着も残さず切り裂く積りだった。
 妨げる間もなく衆目の中、細切れにされ。
 帰り途が閉ざされた錯覚に気力が抜ける。

「脱いだ服切り裂かないとは言ってないわ」

 杉原さんが視線を向けて様子を窺うのに、

「可南子ちゃんと宍戸さんを無事に帰す約束は為されている。出来るだけ早く実行して」

 急ぎたいのは、今迄は可南子ちゃんと宍戸さんを早く助けたかった故だけど、今は違う。
自身が折れてしまう前に、崩れてしまう前に。2人を守れる気力が続く間に助けないとも
う。

「あなたの恥ずかしく情けない様をこれ以上2人に見られたくない? 想い人と恋敵に見
られるのは怖くてイヤ? 気持は分るけど」

 じゃあ例えば、こういうのはどうかしら?
 女の子2人に両腕を掴まれ後ろに捻られる。
 今の状況では、最早それはそれに留まらず。

「涼しそうね。何一つ隠す布がないのって」

 わたしの全てを彼らは2人の正面に晒す。

 可南子ちゃんは何度かお風呂も一緒した故、この裸も初見ではないけど。同級の女子に
較べてやや見劣りする両乳房も、宍戸さんの正面に。せめて股間は隠そうと足を閉ざすけ
ど、左右から更に2人女の子の腕が引っ張り広げ、

「きちんと股開いてたいせつな人にお見せ」

 女子の腕でも、この体勢では抗しきれない。2人の頬に刃を当てられわたしは抗えもせ
ず。向けられる写真のフラッシュも防ぐ術がなく。この胸を、女の子の柔く細い指が、抓
ったり摘んだり揉みほぐしたりと、好き放題に弄び。

「大切な2人の前で、別の女の手で性欲を煽られる気持はどう? 恋した女の子と、恋敵
の女の目の前で、あなたは別の女に胸を揉まれて悦び悶える。どう、楽しいでしょう?」

 玉城さんは、時に苦痛よりも快楽が、人の決意や覚悟を崩す一打になると、分っている。

「男は自分が楽しむばかりで、中々相手を楽しませない。殴る、蹴る、犯す。まあ、それ
も悪くはないけど。あなたも元々女好きなら、こうして女の手に嬲られるのは拷問じゃな
く役得でしょう? 想い人と恋敵の女の目の前って言う事情さえなければ、極楽かもね
ぇ」

 あなたの本当も全部見せておあげなさい。

「敵意を抱く女の腕に悦ばされ、彼女の前で己の想いも裏切り、獣欲に身を落すと良い」

「ふやぅ……、いや、きっ、気持悪い……」

 唯でも嗜虐に満ちた多くの手は拙いのに。
 さっきの男子より触れる肌の箇所も広く。
 胸も腹も首筋も肩も太腿も揉みまくられ。
 悪意にも身体だけは刺激に応えて蠢いて。

 筋肉の奥で虫が這い回る錯覚に身が震える。
 情けない。為される自体が恥ずかしい上に。
 意志や理性が崩され行くのを止められない。

「気持良いの間違いでしょう? 続けて…」

『レズれい』と『レズかな』の前で、彼女が欲情して心蕩かされる様を、見せつけるのよ。

「どんなに強い想いも叩き折れると示すの」

「……ひっ、や……だめっ、少し待って…」

 痛みや苦しみで締まっていた身体がふやけ。ダメなのに、抜ける気力を戻せない。それ
が周囲にも見えて分る。宍戸さんや可南子ちゃんに迄、声音や仕草の違いが伝わる。その
上、

「せっかちだねえ、男ってのは。この女は」

 もう逃げられやしないのに。斉藤さんがぼやくその前で、坂本君はわたしの喘ぎ声に胸
を踊らせ、再度正面から唇に吸い付いてきて。

 しっかり拒む事が出来ない。心が各所で崩れ掛っていて、己の意志を秘めて受けきる事
が叶わない。流され掛っている。ダメなのに。己を失わされてはいけないと肝に銘じたの
に。

「良いよ、もう。男も女もない。視線が虚ろになってきている。一気にやってしまいな」

「ひゃはっ」「任せとけ」「やっちゃえぇ」

 どれ程の時が経過しただろう。何枚の写真を撮られ、どれ程の時間女の子に両の乳房を
弄ばれて、何度男の子と唇を重ねただろう…。

「欲情で汚く濡れた大事な処が全部丸見え」

 良かったわ。あなたの本当を見せられて。
 杉原さんの嘲りにわたしは答を返せなく。

 体が逃げ出そうと、ぴくぴく震えていた。
 泣き喚いて暴れないと、心が壊れそうで。

 この末も視えていた。必然だった。防げなかった。唯一己を守る術は関らない事だった。
2人の悲劇を看過すれば。或いは中途半端に今日の惨劇だけ避けて2人の絆に分け入らず、
根の根を翌週に持ち越してその炸裂を待つか。わたしが助かれば、2人は確実に助からな
い。ここ迄踏み込まないと2人は救えず、ここ迄踏み込んだ己が無事で終えられる像はな
くて。

 わたしは未だ2人を救える力を持っている。人質で封じられても機を窺えば何とか出来
る。己の気力を、闘志を、意志を手放さない限り。痛みも恥も、受けて受けきれば望みは
繋げる。この闇も突き抜けられる。でも、でも限界は。

「ゆめいさん! しっかり、しっかりして」
「……わたしは、未だだいじょうぶよ……」

 例えこの身も心も壊され穢された後でも。
 気遣い問うてくれる優しい声に応えねば。

 この状態で向き直るのは辛いけど。視線を返せないと可南子ちゃんが尚辛い。諦めに抜
け掛る気力を必死に注ぎ直し、心を立て直し、

「可南子ちゃんと宍戸さんは無事に帰すから。わたしの全てを賭けても、あなた達2人だ
けは助ける積りだから。少しだけ、我慢して」

 返ってきた声は覚悟を秘めた涙混じりの、

「あたしはもう良いからゆめいさん反撃して。
 ゆめいさん強いのに、男の子何人いても退けられる程強いのに。あたしの為に動けずに、
酷い目に遭わされるなんて。あたしがイヤ」

 あたしの綺麗なゆめいさんを、大好きなお姉ちゃんを、黙って壊されてしまわないでっ。

「もう良いの。あたしは諦める。ほっぺたに傷ついてもお化粧で隠すから。この侭でもみ
んなやられちゃう。ゆめいさんが反撃して」

 先輩達をみんなやっつけて。じゃないと。
 服剥がされて、唇奪われて、体嬲られて。
 この侭じゃゆめいさん、本当に酷い目に。

「そりゃもう遅いぜ」「ここ迄やられちゃ」
「こいつきっと足腰も立たないし……なあ」

「女は多少鍛えても華奢だから、男と違ってダメージが残る。もうまともには動けない」

 杉原さんが、可南子ちゃんの望みを絶つ。
 わたしの修練はその域を超えているけど。
 贄の血の賦活なしに未だ充分動けるけど。
 今それを示して警戒を呼ぶ訳にも行かず。

「お嫁さんに行く前に傷がついたら大変よ」

 あなたは自身で思っているより可愛いの。
 女の子の宍戸さんが惚れ込む位可愛いの。
 その柔らかな頬に傷を残す事は出来ない。
 例え己が穢されてもあなたの無傷は保つ。

 もう少し待っていて。わたしと玉城さん達のお話がついたら、あなた達は無事に帰れる。
もう少しの辛抱だから。もう少しだけ待って。

 わたしがそう言い終えた時だった。突如、

「可南子……あなたにも選ばせてあげるわ」

 笑みを含んだ軽やかな声が挟まってきた。


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


「あなた、『レズれい』にこの場でキスして写真に撮られなさい。そうしたら、この欲情
に蕩かされた女は、あなたに返してあげる」

 どう? 玉城さんの唐突な問に可南子ちゃんは目が丸く。意味を分るのに少しの時間が。

「あなた『レズれい』を好きなのでしょう? その想いを遂げる事で彼女も助けられるな
ら、万々歳ではなくて? 代りにあなた達の決定的な瞬間は撮らせて頂くけど。今のあな
たに躊躇う暇はない気がするわね、私には」

「玉城先輩、私は……」「ああ、宍戸さん」

 あなたの想いも助けると言ったわね、私。
 それもこれで成就できそう。私、賢いわ。

「彼女を生贄に己だけ助かるのは、後味悪いでしょう? あなた達も少しは苦味を負うべ
きよね? あなたも『レズかな』とのキスを彼女の前で見せつけられて、都合良いし…」

「ダメっ! それは絶対……させないわっ」

 玉城さんの言葉を、わたしが遮っていた。

「可南子ちゃんも宍戸さんも乗ってはダメ」

 彼女はあなた達の為なんか考えていない。

 あなた達がより不幸になる様に、より苦味や痛みが多くなる様に、弄んで楽しんでいる
だけ。彼らの行いを受けるのはわたしで充分。

「でも。でもそれじゃ、ゆめいさんが…!」

「心配してくれて有り難う。そして気遣わせてしまってごめんなさい。わたしが弱くて頼
りないから、可南子ちゃんの涙を防げず…」

 気力を振り絞る。ここで使い切る訳に行かないけど、ここで確かに対応しないとこの先
に繋げられない。繋げた先に展望は視えないけど、希望の光は見えないけど、だからこそ。

 わたしが先んじて闇に飛び込まなければ。
 わたしが2人を引っ張って、突き抜ける。
 たいせつな2人を守り、その想いも守り。

「2人が唇を合わせたいならそれは止めない。2人が真に互いを想い合うならわたしもそ
れを望み祝う。2人の絆を支えたい。可南子ちゃんの真の求めがわたしの願い。たいせつ
な人の日々の幸せと守りがわたしの生きる理由。普通ではなくても、正当ではなくても、
抱いて消せない想いもある事は、わたしが分る」

 でも互いを想い合うのと別の事情で、別の思惑で、取引条件に唇を合わせるのは止めて。
2人が素肌合わせたいのなら、2人以外に誰もいない時と場で、2人の想いだけで為して。

「不純物を混ぜないで。わたしを想ってくれる気持は嬉しいけどわたしは大丈夫だから」

 わたしは、伯母さんから頼まれているの。

『可南子のこと、お願いして良いかしら?』
『任せておいて下さい』

 わたしを深く信じて委ねてくれた。わたしは可南子ちゃんの守りを託され、預けられた。
それは期限の定めがない限り長久に。伯母さんはそこ迄考えてなくても、わたしが承けた。

「わたしはあなた達を2人とも諦めない…」

 乳房を揉む感触に流されず、言葉を繋ぎ、

「二年前お姉さんに言った事をあなたにも」

 わたしは、どんなあなたでもたいせつ。
 わたしは、いつ迄もあなたがたいせつ。
 わたしは、あなたを癒し支え助けたい。

「わたしに、守らせて。身を尽くさせて」

 わたしは2人の想いを支えに来たの。宍戸さんと可南子ちゃんの絆を、守る為に来たの。

 声を失った侭、2対の双眸が見開かれた。

「わたしの我が侭を通させて。たいせつな人を禍から救いたく願うのはわたしの望みなの。
たいせつな人の笑みが、わたしの幸せだから。元気に日々を過ごしてくれる事が喜びだか
ら。己が幾ら傷つけられても穢されても、可南子ちゃんと宍戸さんが無事ならわたしは幸
せ」

 もう少しだけ待っていて。後もう少しだけ。
 気力で2人の気持を圧倒し、動きを止める。
 それを見定めて玉城さんはやや不快そうに、

「『レズれい』も『レズかな』も動かないの。良いわ、あなた達がそれを選び取るならそ
れも一興。なら今度はゆめいさん、あなたよ」

 穢されても傷つけられてもと言ったわね。

「あなたの覚悟を、見せて貰いましょうか。
 選ばせてあげる。2人を守る為なら、どんな事でも本当に受け止められるのかどうか」

 玉城さんは正面からわたしの開かされた股間を見つめて苛んで、優位を再確認してから、

「『レズれい』の頬を切り裂かれるか、あなたの左乳房を切り落されるか。『レズかな』
の頬を切り裂かれるか、あなたの右乳房を切り落されるか。どっちもイヤ、どっちも受け
る、片方で許して……選択はあなたの物よ」

「先輩、ちょっと!」「た、玉城せんぱ…」

「喋るとざっくり行くよ、あなた達。さあ答を聞かせて。あなたの女を、差し出せる?」

 差し出して取り戻せない事に耐えられる?

「2人を無事に帰す事は、約束済みの筈よ」

 一応抗弁はするけど、結論は視えている。

「無事に帰れるわよ。あなたがおっぱい切り落される方を選べば。分る? 2人の頬を切
るかどうかはあなたの判断一つ。私達の所為じゃない。2人の傷も痛みもあなたの所為」

 柔らかな笑みが、可愛らしくも嗜虐的で。

「全てあなたに掛っている。楽しいでしょ」

 彼女はわたしの答を知っているのだろうか。
 微かに震える身体を抑えつつ紡ぐ己の声は、

「2人の頬に当てた刃を外し、今すぐ無事に帰してあげて。お願い。わたしの両乳房を切
り落す代りに、2人への危害は全て止めて」

 瞬間、周りの雑音が粛然と静まり返った。

「わたしの女を捧げます。だからわたしのたいせつな人には、今後とも危害加えないで」

「ゆめいさん、だめっ」「羽藤、さん……」

「あなた、良い覚悟ね……分っているの?」

 冷静な声の裏に微かな怯みを感じた気が。

「左乳房はあなたをこの状況に追い込んだ『レズれい』の分よ。それだけ拒む選択もある
のに全部承け、あなた一人失って良いの? 女を失ったあなたから可南子は怯えて逃げ去
るかも知れない。あなたそれで良いの?」

 取り戻せない損失を1人だけで負う積り?

「あなたを踏み台にして無事を得る2人をあなたは了承できるの? 受け入れられる?」

 わたしは自身の心への語りかけも兼ねて、

「宍戸さんはわたしのたいせつな人。今尚それは変らない。一度心を繋いだ人は、羽藤柚
明にはいつ迄もたいせつな人なの。離れても隔てられても、別にもっと大切な人が出来て
絆を結んでも、わたしが忘れられたとしても。わたしが抱く想いは薄れない。消えはしな
い。特に宍戸さんはわたしの従妹を、可南子ちゃんを大切に想ってくれて、大切に想われ
た」

 わたしは玉城さんより宍戸さんに向けて、

「わたしは、どんなあなたでもたいせつ。
 わたしは、いつ迄もあなたがたいせつ。
 わたしは、あなたを癒し支え助けたい」

 わたしを踏み台にして微笑み保ってくれるなら、わたしの幸い。わたしを使って可南子
ちゃん迄幸せにしてくれるなら、もっと幸い。

 唯あなたにはお願い。一つだけ望めるなら。
 あなたは精一杯可南子ちゃんを支え助けて。

「羽藤、さん……あなた? 本気、で……」

 宍戸さんは喉が詰まって声が出ない様だ。
 周囲に蟠る空気を切る様に玉城さんは尚、

「その可南子はここ迄守ったあなたではなく、『レズれい』を選ぶかも知れないのに。こ
の侭見過ごして悔いはないの? 許せるの?」

 異性でも同性でも愛は独占物よ。己の物にならない相手の幸せをあなた本当に望むの?

 玉城さんの問にわたしはこっくり頷いて、

「たいせつな人の、真の想いが叶うなら…」

 わたしが望むのは可南子ちゃんの幸せ。
 可南子ちゃんとわたしの幸せではない。
 彼女が真に望む人と微笑み合える様に。

「それが確かに守られるならわたしは幸せ。
 だから必ず2人を無事に帰すと約束して」

 わたしの戦いは未だ終ってない。終れない。
 声を発さず、一歩退いた玉城さんに代って、

「本当に最後迄嫌々しなければのお話だよ」

 杉原さんが鋭いナイフを2本両の手に持ち、背後から何も纏ってないわたしの両の乳房
にピタと当て。その侭力を込めれば削ぎ落せる。

 贄の血の力で喪失を復せる確信はなかった。人の身体には治し易い処と治し難い処があ
る。切り傷や刺し傷は深くても治しが可能な一方、指や足や腕は先端を切り落すと、現代
医学でも復元は至難の業で。耳朶や乳房や鼻を削がれると、今のわたしでも修復は難しい。
一目で見える箇所ではないのが、不幸中の幸いだけど、長く欠損を覚悟せねばならないの
かも。

「本当に良いんだね? あんた、この若さで女を失って? 例え男子に犯されて処女を失
ったって、女である事に違いはないけど…」

 これを失えばあんた、『レズかな』どころかこの先全ての愛も恋も失いかねないのにさ。
可愛くて嬲り甲斐のある良いおっぱいなのに。もう男にも女にも愛されないかも知れない
よ。

 わたしの動揺や躊躇を誘う声には応えず、

「可南子ちゃんと宍戸さんの、刃を外して」

「最後の最後迄強気だね。最高に生意気っ」

 先に切り落してやる。失って泣き喚きな。

 両の手が握る刃はわたしの胸に食い込んで、贄の血を流出させつつ肉を切る。流石に身
が強ばる。痛みより喪失への怯えが、やはり女の子である以上拭えず。親指と人差し指で
作れる丸位の肉を削ぎ落そうと、両乳房の上から下へ、刃が素肌の弾力を裂いて粛々と進
み。

「さあ、もう少しで切り落せるよ」「……」
「怯えに声も出ないかい。どうさ」「っ…」
「可南子も怯える深い傷を残しな」「ぃっ」

 絶対受けて崩れない。この後で泣き喚きでもしたなら、杉原さん達の思惑通りな以上に、
可南子ちゃんや宍戸さんに与える罪悪感が甚大になる。2人の為に犠牲を負ったと感じさ
せる。冷静に微笑んで損失を受け入れないと。尚折れない心を示し彼らに約束の実行を迫
る。

 真ん中位迄肉を切り裂いて進んだ刃を止める声が、男の子の制止が入ったのはその時で。

「切り落す前に、俺達にもしゃぶらせろよ」

「女をなくする前に、女を実感させてやるのも情けだと想うんだ。俺達って優しいよな」

 その求めはわたしの救いに繋らない。それは逆に、可南子ちゃんと宍戸さんを無事に帰
す約束をうやむやにする。杉原さんは、むしろその方がわたしの心を砕けると考えたのか、

「性欲の塊が。まあいいわ。好きにしなよ」

 あなたの約束は未実行よ。逆らえば即座に2人の頬に刃が食い込む。私達は暫く小休止。
その間に男子があなたに何をするかは別の話。終ったらしっかりおっぱい切り落してあげ
る。

「最後の女でも楽しむと良いわ。存分にね」

 微かに本当に女の子の胸をそぎ落す事への躊躇を感じた。それは玉城さんや、申し出を
した志賀君や坂本君に迄。彼らの強気や盛り上がりは、気圧されてないとの弁明にも似て。

「嫌々して泣き叫んで暴れても良いんだぜ」
「普通の弱い女の子の素を晒して壊れろよ」

 わたしが先に泣き叫んで彼らに降参すれば、乳房を切り落す必要はなくなる。その為に
わたしを苛み追い込もうと、彼らは奮い立って。

 贄の血は、鬼には甘く匂い強大な力を与えると聞いたけど、人には何の効用もない筈だ。
なのに乳房に吸い付いて、流れる贄の血迄吸い上げる男の子は皆、なぜか生き生き躍動し。
肌を合わせる程に力強く。わたしは彼らに何の想いも返す積りはないのに、身体は勝手に。

 抗う選択肢がない以上、わたしは黙して彼らの所作を受け入れる。心は既に穴ぼこだけ
ど、今は唯彼らの欲求が満ちて終る時を待ち。

「うはっ、気持いいぜ」「暖かくて滑らか」

「飼いたいな」「連れ帰って私物にしたい」

 この心が崩れ掛っている事が、彼らの警戒に弛みを生じさせたのか。わたしの乳房は二
つだけ。唇を奪っても8人の相手は叶わない。吸い付く何人かの外で待つ事に焦れた坂本
君達は、可南子ちゃんと宍戸さんに視線を向け。

「もう人質も要らないだろう」「ヤろうぜ」

「ちょっとあなた達」「な、何を、待って」

 2人の頬から刃が外されて、代りに腕が。

「みんな私達には手を出さないって約束を」

 私とカナちゃんは無事に帰すって約束を。
 服を掴まれ乱されて抗弁する宍戸さんに、

「知った事かよ。最初からあの邪魔な女を嬲り従わせる為の方便に決まっているだろう」

「大体可南子はともかく、お前が裏切った女の守りの約束に、お前が何か言えるのか?」

「少し厄介なあの女を苛んで楽しむ為の今迄だったんだ。あの女のお陰でお前らは今迄無
事だったんだ。あの女が崩れた今、俺達がお前らレズ女に、何を遠慮する必要がある?」

「まあ、約束なんて、破る為にある物だし」

 伊東さんの気の抜けた声が耳に届いた時。
 わたしも残った気力を注いで反撃に出た。


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


 2人の頬から刃が外れたのは幸運ではない。男の子達は可南子ちゃんと宍戸さんを踏み
躙る為に、手を上げて頬を叩き唇を寄せる為に、彼らの肉も切れる刃が邪魔になった。わ
たしの動きを止める唯一最大の脅しだと承知して。

 わたしが既に心砕かれつつある事を知って。
 わたしが反撃する気力も体力もないと見て。

 後はやり放題に為せると思って、約定も反故にした皮肉か。危機は最大の好機になった。

「はあっ!」「な、に」「そんな」「バっ」

 正座を崩した姿勢で、女の子2人に両腕を捻られ、男の子3人に左右と前から唇と乳房
を吸われていたわたしに、周囲の警戒は薄く。不意を突く形になった。抵抗せず好き放題
にさせていた身体に、即刻気合と力を通わせて。

 一息で腕の拘束を外す。女の子達は汗に滑ってこの両腕を捉えきれぬ。空いた両の掌で
両乳房に吸い付いていた男子2人の喉を打つ。力を入れすぎると生命を危うくするので加
減は忘れない。怒りや哀しみに己を見失わない様に。わたしの戦いは懲罰でも反撃でもな
く、たいせつな人を守る為の最小限の実力行使だ。

 唇を繋げていた正面の小島君が、右手で左乳房を掴んで来る。むにっと揉んで羞恥を思
い起こさせ、その感触に身が固まる事を望み。

 女の子の動きを止めるにそれは有効だけど。
 今は恥じらいで竦んでいられる時ではない。
 稲妻の平手打ちを左頬に返して走り抜ける。
 今のは結構痛かったかも。力を込めたから。
 右手で胸を揉まれたら左頬を打て、だっけ。

 拾メートルを一気に駆け抜け、2人に覆い被さる男の子を背後から襲う。目の前の獲物
に夢中な彼らは反応が遅い。布きれ一枚纏わぬ姿でも、今は恥じらう余裕もなく。一人を
蹴って宍戸さんから引き剥がし、もう一人を掌打で打ち据えて可南子ちゃんの上からどけ。
わたしを掴もうとするもう一人の左腕を捻り。

「いででぇっ」「くそぉっ」「ななあぁぁ」

「可南子ちゃん、宍戸さん。身を起こして」

 立たせ走らせる暇はない。傍に未だ男の子が居るし、杉原さんが木刀を取り直している。
心を乱された2人を立ち直らせる時間はない。半身を起こさせ、座り直させるのが精一杯
だ。

 語りかけて心を安んじる暇もない。素肌を合わせて温もりを伝える数秒が致命傷になる。
拒めず逃げられない今の2人を、敵味方入り乱れたこの状況ではどうやっても守りきれぬ。

 思案は一瞬だった。それ以上考えては拙い。

「これしかない……」

 右腕に可南子ちゃんを、左腕に宍戸さんを。

 その胴に巻き付けて、息を止め、一気に廊下を駆け抜ける。2人と彼らの間に距離を作
りわたしが隔てる。そうせねばわたしが誰かを退ける内に別の腕が伸びてくる。防げない。

 男の子も呆然として見守っていた。女の子の腕力で片腕に1人ずつ抱いて走るのは想定
外なのか。実際わたしもかなり無理が掛って、二拾メートル走った末に支えきれず倒れ込
み。

 優しく置きたかったけど。膝から崩れて2人を投げ出す形になった。無理に無理を重ね
た数秒の末に、やっと幾らかの距離は作れた。衝撃で2人が我を取り戻せたのは、幸運か
も。

「は、羽藤さん、私」「……ゆめい、さん」

 制服も乱され、心も乱され、体に男の子の強引な感触が残って拭えてない事は分るけど。
今はそれを抱き留めて包む時間も与えられぬ。背後に迫り寄ってくる気配に向き合わない
と、わたしが前に出て2人から彼らを隔てないと。

「宍戸さん。可南子ちゃんを守ってあげて」

 あなたとわたしのたいせつな人をその手で。
 それだけを言うと、立ち上がって振り返る。
 それだけの間合いしかなかった。正面には、

「未だやれる気力、残っていたんだ。それでこそ、木刀を持ってきた甲斐もあるって…」

 ねぇ! 杉原さんは言いかけの状態から木刀を高く振り上げて、一気に踏み込みわたし
の額に振り下ろす。素人の動きではなかった。その侭当たれば額が割れて、血飛沫が飛ぶ
…。

 でも真弓さんとの修練を経たわたしに、その動きは緩慢で。木刀の軌跡が見えて悟れる。

 前進し風を感じる程間近で躱し、左手でその木刀を握る手を叩いて取り落させ、同時に
右の掌打を彼女の腹部に当て。一瞬で決しなければ、男の子達もいるのでわたしが危うい。

 彼女が痛手を堪えつつも、尚反撃を試みて、両手で両肩を掴んで来たのは意外だったけ
ど。既にその動きは鈍い。足払いを掛けて体勢を崩し左の掌でその身を軽く突いて後ろに
倒す。

 仰向けに倒れ込む杉原さんを追ってわたしも覆い被さる。止めを刺す体勢に見えたかも。
勢いを加えた右掌が、床に額を叩き付ければ、頭も潰せた。頭から倒れる体勢は危うかっ
た。

「ひっ、たす……!」「……」

 声が意思を表しきるより早く全ては決した。
 杉原さんが見開いた目の前で右掌は止まり。
 彼女の後頭部にわたしの左手が回っていて。
 間近で強気なベリーショートの髪が揺れる。

「あ、あなた。手加減した上に私を庇い…」

 茶色い双眸がわたしの黒目を映して瞬く。
 制服越しに柔らかな感触と暖かみが分る。

「綺麗な女の子に、痛みを与えたくないの」

 答を貰う時間の余裕はなく、起き上がって可南子ちゃんと宍戸さんを背後に庇い、男の
子達に対峙する。2人から引き剥がす事を優先したので、彼らには手加減以上に痛手を与
えられてない。血と汗とヨダレに汚れ一糸まとわぬ今の姿は、向き合う自体が羞恥だけど。

「わたしは、可南子ちゃんと宍戸さんを守る為にここに来た。それが最後迄、最優先よ」

 想いの順番を意識する。一番たいせつな想いを軸にして時に抑え、切り捨て、踏み躙る。
全ての想いに応えられない時もある。悔い残しても選び取らねばならない時も。わたしは
最後迄、たいせつな人を守りたい想いの侭に。

 この姿で尚正面から向き合い左腕を伸ばして身構えるわたしに、彼らは唖然としたのか、
警戒したのか、動きを止めて。その時だった。

「宍戸さん。あなたにもう一度選択の時よ」

 局面を変える柔らかに愛らしい声が届く。

「あなたは元々可南子の頬に刃を当ててでも、想いを遂げる積りで居たのでしょう? そ
の服を裂いて破って逃がさぬ積りで居たのでしょう? そうでなければ何の為の刃な
の?」

 玉城さんはわたしの背後に声を届かせて、

「可南子の頬に刃を当てて、ゆめいの動きを止めなさい。そうすればあなたと可南子は無
事に帰してあげる。全員で確かに約束する」

 その侭彼女に守らせてあなたは満足かしら。
 この侭だとあなたの想い人の心は他人の物。
 守ってくれたゆめいの腕に奪われ失うだけ。

 私、あなたの恋敵のその女が心底憎らしく目障りなの。彼女さえ挽き潰せるなら、他は
もうどうでも良い。その最後迄生意気に屈しない心を、是が非でも折って叩き潰したいの。

「利害は一致する筈よ。あなたには出来ない彼女の悲鳴を響かせてあげる。想い人と恋敵
のあなたの目の前で、守ると言った者の前で。心へし折って理性も意志も失わせ、泣き叫
ばせる。あなたにも勝利を感じさせてあげる」

 背後を確かめる必要もない。可南子ちゃんと身を寄せ合っていた宍戸さんが、懐からカ
ッターを取り出し可南子ちゃんの頬に再度当てた瞬間、わたしは再度抗う動きを全て止め。

 闇空から降り注ぐ雨に、尚果ては見えない。


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


 どうやってもこの末は変らないのだろうか。
 わたしの努力ではこれが限界なのだろうか。

「宍戸さん、お願い。わたしに、あなた達を守らせて。あなたと、あなたのたいせつな可
南子ちゃんを守る助けを、わたしに許して」

 届かない事を知ってわたしは願う。
 断られると視えて尚わたしは望む。

「わたしの為じゃなく、あなた達2人の為に力を尽くす事を、わたしに許して。お願い」

 答は言葉では返らずに、行いで返される。
 宍戸さんは可南子ちゃんの頬に刃を当て。
 可南子ちゃんを止めた侭、己も動かずに。
 彼女は再度わたしより玉城さんを選んだ。

 男の子が再度間近に迫る。やや警戒しつつ、腕を肘を掴んできて。わたしに為す術はな
い。彼女と心を繋げなかった時点でわたしの負け。その頬に刃を当てられた時点でわたし
の負け。

 頬を平手で何度か叩かれた。肩を抑えられ、腹に拳を打ち込まれた。足を蹴られ、突き
転ばされ、仰向けに身を転がされ。無防備な身体に男の子がみんなでのし掛ってくる。今
度こそはと両腕両足に体重を乗せて抑えられた。

「れいこ先輩、止めて下さい。……もう!」

 可南子ちゃんの叫びに宍戸さんの迷いを気配で感じた。揺れ掛る様子は人目に分る様で、
玉城さんは良く透る声を強く確かに響かせて、

「今更良い子になれると思っている訳ではないでしょう? 一度ゆめいを裏切って、差し
出し見捨て可南子の頬に刃を当てたあなたが、今更心を繋ぎ直せる筈がない。可南子を怯
えさせたあなたが、今後も可南子とまともに結ばれる訳もない。選択は既に終っている
の」

 この上でゆめいに守られて、可南子のついでに助かっても、あなたは絶対報復を受ける。
ここ迄穢させて、にこにこ終れる筈がないわ。彼女の力量は見た通り。あなた1人じゃあ
…。

 可南子の心も掴めはしない。守り通せたゆめいの前であなたは翳み、加害者として恨ま
れるか、精々愚かな迷いを懐いた被害者かよ。一生あなたは日陰者。それが変えられぬな
ら、

「彼女も日陰者に落してしまえば良い。可南子も日陰者にして、一緒に不幸を分ち合えば。
そこで漸くあなたの望む絆が叶うかもね…」

 あなた達異常者にはそれがお似合い。互いに不幸を招き合って、愚かに苛み合えば良い。

「ゆめいさん、もう良いから反撃してっ!」

 ダメでも無理でも、この侭やられてしまわないで。あたしやれいこ先輩の為に、これ以
上傷負わないで。穢されないで。綺麗なのに、女の子のあたしが見て憧れる程凛々しいの
に。あたしの為に心を折られてしまわないでっ…。

「メスに生まれてきた事を後悔させてやる」

「感謝させてやるの間違いだろう、オイ?」

「ふあっ、はうっ、はほ、けほ、けほっ…」

 可南子ちゃんはわたしからの返事を諦め、

「れいこ先輩、この刃物を外して。ゆめいさんは先輩を憎んでない。報復とか考えてない。
さっきも無理を承知であたし達2人を助けてくれた。先輩が嫌いなら、ゆめいさんはあた
しだけ抱えて、もう外に逃げている。先輩も大事だから、2人とも助けようと必死で…」

 お願い。目を覚まして。ゆめいさんに反撃の自由をあげるだけで良いの。例え勝てなく
ても、せめてあたし達が足を引っ張るのは嫌。ゆめいさんにばかり受け止めさせちゃダメ
っ。

「もう、今更なのよ。……見て。男の子8人に集られて、反撃出来る状態でもないわ…」

 それに例えこの後羽藤さんが奇跡的に彼らを退けても。彼女は所詮、帰ってしまう人よ。
来週始る三学期に、カナちゃんが通うこの学校に彼女は居ない。他校生なの。今宵を凌い
でも、ここで彼らを退けてもその場限りなの。私とあなたではあの男女多数に抗う術はな
い。

「これが、カナちゃんと私の最善なの……」

 宍戸さんの慚愧を込めた答が耳に届く中、

「しっかりお股開いて俺達に見せるんだよ」

「おらお返しだ。お返しだ。お返しお返し」

 殴られ蹴られ、唇を重ねられ乳房を吸われ。何本もの男の子の腕が伸びて身を抑え。こ
れが脳裏に見えた関知の像だった。無数の腕に身をまさぐられ、掴まれて。首筋を肩を腕
を、胸を腹を足を抑えられ、幾人もの悪意な腕が、この身を蹂躙してゆく。わたしは僅か
な抗いも許されず、為せなくて。わたしの無抵抗は、人質の為以上に気力が尽きた為かも
知れない。

 サクヤさんがこの夜に関らないと言う事は。
 わたしが蒙る禍に視えなかったと言う事は。
 わたしがその助けを受けられない事を示す。

 禍が明瞭に視えたのは、サクヤさんの助けが消えた時点でわたしの禍が確定したからで。

「抵抗せずに受けたら和姦って言うんだぜ」

「好んで受け入れたら、事件でもないよな」

「中学生妊娠だ。誰の子種か分らないけど」

 抵抗に備えて、締め付けが一層強くなる。

 腕にも足にも男の子の全体重が乗る位に。

 痛みに顔を顰めるけど、振り解く事は出来ない。宍戸さんが可南子ちゃんの頬に刃を当
てている今、わたしは粛々と全てを受け入れる他に術がない。例え己に何が降り掛ろうと。

 遙か遠くに視た絶望とはこの夜の末なのか。わたしが心から厭う、たいせつな人の悲嘆
と傷みはこの先にあるのだろうか。まだ遠い先の事の様な気がしたけど。今宵の闇は尚果
てる兆も見えなくて。突き破られて喪失するわたしの守りとは、今からの……。それでも
尚。わたしはこの途を、避けて通れはしなかった。

 わたしは誰かの為に役に立つと心に誓った。誰かの力になると、誰かを守れる様になる
と、誰かに尽くせる人になると。例え己が非力でも幾らこの身が傷ついても。想いは挫け
ない。

『あなたが戦い続ける限り全ては終らない』

 真弓さんから教わった言葉を心に諳んじ。

 諦めない限り、挑み続ける限り、当事者の片方である己が手放さない限り、望みへの途
は残っている。諦めた瞬間全ては終る。手放した瞬間望みは途絶える。失う事を許せない
なら、歯を食いしばってでも挑み続けないと。

 そうして挑み続けた末に、わたしの末は。
 男の子多数に、腕も足も胴も抑えられて。
 抗えない以上に、抗う事を自身に許せず。

『可南子ちゃんと宍戸さんに、ごめんなさい。わたしの所為で悔いや哀しみを。桂ちゃん
や白花ちゃん、サクヤさんにも、ごめんなさい。折角この素肌も唇も好んでくれたのに。
非力を省みず無謀しました。たいせつに想われる資格を手放したかも。己の喪失は諦める
けど、わたしを想ってくれる人の哀しみが残念…』

 未知の傷みに覚悟を定めたその時だった。
 果てのない闇に尽きる瞬間が突如視えた。


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


「ゆめいさん! 勝てなくても良いからっ」

 彼らの思い通りにやられた侭終らないで。
 あたしも玉城先輩の思う侭では終らない。
 覚悟を定めた声を響かせ可南子ちゃんは、

「……はむっ……!」「か、カナちゃん?」

 頬を切る危険を承知で首を曲げ、刃を唇に咥え込んで。首を左右に振って握りを外させ、
数メートル先の床に吐き捨てる。完全に不意を突いたから、偶々巧く行ったから良いけど。
間違えたらざっくり頬を切られていた。宍戸さんにその気がなくても事は薄氷の上だった。

「あたしは大丈夫だから、ゆめいさんも逆らって闘って。黙って穢されてしまわないで」

 その強く清らかな想いには、何が何でも応えないと。己の傷や痛みは別として、ここで
応えないと愛しい人の涙と勇気が無駄になる。

 彼らが可南子ちゃんの叫びに注意を引かれ、己の前に向き直る僅かな隙に。両の腕を強
引に抜き、両乳房に吸い付く男の子を掌打で退け、その他数本の腕を外して体勢を立て直
し。

 わたしは彼らを打ち倒す戦いを為す。気絶させるか、痛みに暫く蹲る程の痛手を与える。
最早わたしも含め三人とも疲弊して、走って逃げるのは無理だ。正面撃退の他に術はない。

 殴ってくる拳を踏み込んで躱し、カウンターで掌打を当てる。掴み掛る腕を、逆に手首
掴んで捻って転がす。タックルして掴まえに来る頭に、組んだ両掌を叩き落して気絶させ。

 小島君と志賀君を打ち倒すと、最後に残った坂本君が生徒玄関に逃げ走った。杉原さん
も木刀はなく、少し前から廊下の壁に背をつけて座り込んでおり、後は女の子が5人だけ。

「うそっ……そんな」「まさかこの人数を」

 伊東さんと斉藤さんが言葉を失うその傍に、わたしは静かに歩み寄る。報復の為ではな
い。わたしの戦いは常にたいせつな人を守る為だ。害する力や意思を持たない者は、敵で
はない。多少の忸怩たる想いは、ない訳ではないけど。

「小島君、杉原さん、志賀君、ちょっと…」

 5人いても女の子だ。戦う人を前にすれば、助けを呼ぶ他に術もない。歩み寄る裸身の
わたしを前に玉城さんは声音も肌も怯えに震え、

「……ごめんなさいっ。許してゆめいさん」

 正面から縋り付かれた。跪いてわたしの剥き出しの素肌に、汗や血やヨダレに汚れた身
に取り縋り。へその辺りに右頬を当て、両腕を腰の後ろに回し。他の子も驚いて声がない。

「悪気はなかったの。あなたが余りに可愛いから、可南子が余りに可愛かったから、つい
意地悪したくなったの。本気じゃなかった」

 素肌に怯えが伝わってくる。許して欲しいとの願いが流れ込んでくる。声音も表情も真
摯だったけど、わたしは感応でもその本心を知れる。人の恨みを買う事をしたと悔いて…。

「酷い目に遭わせてごめんなさい。あなたの強さを、試したくなって。限界を見たくて」

 やり過ぎてしまった事は分る。でもお願い、許してと。見上げる目線で黒い双眸を潤ま
せ。

 わたしは怯えを与えない様に声柔らかく、

「わたしの願いはたいせつな人の幸せと守り。可南子ちゃんと宍戸さんを害さない人は敵
じゃない。わたしにされた事はわたしが許せる。反撃も報復も望まない。たいせつな人に
危害を加えないで。それさえ叶えてくれるなら」

 両手を軽く、彼女の肩に触れさせて宥め、

「わたしは人を憎むより、愛したいの……」

「わたし達も」「許してっ」「お願い…!」

 唯、為さねばならぬ事はある。たいせつな人の今後の安全を保つ為に、取るべき措置が。

 そう語る前に。左右に2人ずつ、女の子が身を寄せてきて。男の子8人を退けた相手に、
彼女達も怯えを隠せず、わたしの許しを欲し。玉城さんに倣って、この裸身に肌を合わせ
て。

 わたしより一つ年上の筈だけど、みんな可愛らしい女の子だ。たいせつな人を守れれば、
争う事情は何もない。そう安堵できた瞬間に、

「じゃあ、私に愛されて貰おうかしらねえ」

 突如の悪意な声にわたしは驚き固まって。
 怯えや願いを、素肌に確かに感じたのに。
 裏返った様に声が行いが肌の感触が変り。

 玉城さんの瞳にも肌にも憎悪が宿っていて。
 感応は関知と違い、今現在の人の心を視る。
 たった今迄、震えて許しを求めていた心が。
 嘘でしたという様に。前触れも脈絡もなく。

「めでたい女だねぇ。涙を流せば騙される」

「単純バカ」「扱い易いわ」「捕まえたよ」

 他の女子も全員心が反転していて。そんな。

 彼女達は心が竦んでいた。怯えに震えていた。許しを求め縋り付いた想いは本物だった。
騙していたとかではなく、本当にそう思っていた。本心からの怯えを逆用された。許して
欲しい心細さが本物だけに、それのみだと思わされた。心の表層を一つ二つの本心で塗り
つぶして、相反する別の本心を深層に隠して。

 感応使いが感応で失策を。女の子でも、体重を掛けて5人に縋り付かれると、簡単には
外せない。両腕を塞がれ、身動きを封じられ、

「ひゃぅっ……、た、玉城さん、そこ…!」
「裸に剥いたのは、成功だったみたいだね」

 玉城さんは正面から、身動きできないわたしの股間に左手を伸ばし、大事な処に触れて。

「男子が破りたがっていたあんたの女だね」

 ぐっと力を込めて触れられると動けない。

「突けば即破れる。初めて、イッちゃう?」
「あーあ、折角男の子全部やっつけたのに」
「女の子に女を破られるってのは悲惨よね」
「でもまあ、彼女は女が好きらしいからぁ」
「さっき男に吸い付かれ悦んでいたのに?」

 心を反転できる。そういえば、朝の痴漢も心の浮動が激しかった。本心でも、直前迄と
全然違う心境になっていた。中身をそっくり取り替えられた。同じ様な事を玉城さん達も。

「何、が……望み?」「あなたの悶える姿」

 破られては拙いから、迂闊に動けないでしょう。暫くこうして私の手に嬲られて、性欲
を弄ばれて『レズれい』や『レズかな』の前で悦び悶えていると良い。男子が目覚めて起
き上がる迄。あなた男子に結局止め刺さず骨も折らず気絶させただけだよね。甘いんだよ。

 男子が目覚めたらもう一度貪らせてやる。
 もう一度やられてあなた、抜け出せそう?

「男に渡す前に処女突き破っても良いけど」

 あなたの選択じゃない。これは私の選択。
 中指は確かにその場所に触れて止まって。

「あなたに一生拭える事のない、深い傷を」

 身動きが取れなくなった、その時だった。

「うおうらああああぁ!」

 背後から、雄叫びを上げた坂本君が、木刀を振り回して襲い掛ってきて。わたしを怖れ
憎む余り、頭に血が上って、味方も敵も眼中になく。わたしの背中に向けて木刀を振るい。

「かぁは!」「ひいぃっ」「きゃああぁっ」

 左右に張り付いていた斉藤さん達が悲鳴を上げて飛び退いた。離れなければ間違いなく、
彼女達も巻き添えになっていた。最初に右脇腹に強烈な一撃が、次に左脇腹に一撃が来て。
三撃目は、背中の真ん中あたりを強烈に突き。

 玉城さんも一緒に倒れ込む。彼女は真ん中だったので、左右のどっちにも逃げられずわ
たしに縋り付いた侭。廊下の壁を背もたれに。わたしは声を失う彼女に覆い被さって、坂
本君の木刀の振り下ろしを背中に頭に肩に受け。

「ぶっころしてやるうぅぅ!」「ひいぃっ」

 玉城さんが思わず目を閉じるのは、彼女からは振り下ろされる木刀が正面に見えるから。
わたしからは背中だ。動きは感じ取れるけど。痛みに心を乱され事を見通すのに少し掛っ
た。

 動いているのは彼1人だ。さっき逃げ走ったけど、機を見て逆襲を考えた様で。わたし
の技量を知る故に、杉原さんが落した木刀で、遠慮も加減もなく初撃で全て決しようとし
て。

 素人でも男の子の腕力に木刀の重さが加われば、痛みは甚大だ。真弓さんやサクヤさん
に何度も敗れ、痛い目を見たからわたしは気を失わず意思を紡げる。対応策を考えられる。

「ゆめいさんっ……」「……羽藤さん…!」

 たいせつな人達は未だ安全とは言い難い。

 しっかり事を収拾せねば、今迄の苦労が泡と消える。必要な一撃を待って暫く耐え続け。
何度か振り下ろしを頭に受けて気を失いかけたけど。相手の息遣いと動きの間隔を探って。

 横に薙ぐ一撃が来た時、わたしはそれを右脇で受け、右腕の内に挟み込んで動きを止め。
右に振り向く動きで木刀を絡め取る。振り返る円運動に加速をつけて、一気に彼の正面至
近へと迫り、木刀を失った彼の応対に先んじ、

「はあぁぁっ!」「ぶはぅぉっ!」

 腹に左掌打を当てて気絶させる。これで8人全員が廊下に伸びた。涼む様に座り込んで
動かない杉原さんを含め、脅威になる者は居ない。斉藤さん達も腰を抜かして座り込んで。

 そうそう。わたしは真後ろに屈み込み。

「木刀は当たらない様に防いでいたけど」

 呆然としている玉城さんの右頬に手を。
 彼女はそれで間近のわたしに気が付き。

「痣も擦り傷もなくて良かった」「っ!」

 真意を問う目線を向けてくるのに応え、

「あなたは可愛い女の子だから」「……」

 何を言うのかと向ける瞳に語りかける。

「たいせつな人の危害になるならやむを得ないけど。たいせつな人を脅かすなら全力で防
ぐけど。そうでなければ、叶う限り女の子は守りたい。女の子は一般に華奢で細身で傷つ
ける事が勿体ない。悲嘆や涙や苦悩の様は見たくない。特に玉城さんは綺麗な人だから」

 怯えさせない様に笑みを作る。玉城愛実の憎悪も敵意も害意も本物だったけど、同時に
その怯えも心細さも本物だ。敵対する事情は既になきに等しかった。今女子だけでわたし
の前で、宍戸さんや可南子ちゃんは害せない。

 そんなわたしに、玉城さんは瞬時唖然と。
 そして次の瞬間、猛烈な憤りに包まれて、

「あなた、甘すぎるって言ったでしょう!」

 左手を伸ばされて、再び急所を抑えられ。

「年下の癖に上から目線で。私を守って恩に着せる積り? 優位をひけらかしたいの?」

 怪我がないか確かめに屈んで手を伸ばして、それでもう一度処女膜を抑えられ、身動き
封じられ。お馬鹿も良い処。余計な情をかけて、今更私達をお友達にでもして下さるお積
り?

「食い破る。その綺麗な善人面を引き剥がし、泣き喚かせる。恩を仇で返して、後悔させ
てあげる。一生拭えない傷を心にも体にも刻み、二度と人に善意を抱けない様に塗り替え
る」

 あなたは男になんか破らせない。正常に処女を失わせなんかしない。あなたの様な者は、
女の指にでも破られて悶え苦しめばいいのよ。

「大切な2人の前で鮮血まき散らせば良い」
「それが玉城さんの……真の望みですか?」

 他に声を挟む者も居ない中で、わたしは、

「愛する事より……憎む事が願いですか?」

 この選択に悔いはない。可南子ちゃんの危難が己にも及ぶと承知でここに来た。宍戸さ
んと絆を結べなくても、彼女も含めて守り抜くと心を定めた。損失と羞恥の末に漸く男の
子を退けた。玉城さんや杉原さんを時に庇い。

 たいせつな人の守りに必須ならやむを得ないけど、他に術がない時は諦めるけど。己が
受けて受け止められるなら。敵味方なく女の子が傷つくのも傷つけられるのも見たくない。
抱き留めて癒したかった。己が損を被っても。

「たいせつな人は守り通せた。今可南子ちゃんと宍戸さんを害せる人はいない。ここで初
めてを失わされても、それはわたしの喪失」

 望んだ人に捧げられればと想っていたけど。
 愛してくれる人に捧げたく望んでいたけど。
 中指を当てられ撫でられる感触に震えつつ。

「この身はあなたが欲する侭に、委ねます」

 お嫁さんに行けなくなるかも知れないけど。
 この結末は確かにわたしの選択の故だから。
 玉城さんを庇ったのも手を差し伸べたのも。

「憎悪にも愛にも、わたしは左右されない」

 穢されても、奪われても、悦ばされても。
 わたしはたいせつな人を確かに助け支え。
 その上で間近な人の危害は力の限り防ぐ。

「その末に己に痛みや悪意が返ってきても」

 綺麗な人は守りたい。及ぶ危難を防ぎたい。
 あなたの想いもこの身と心で受け止めて尚。
 たいせつな人を守る意思は絶対に崩さない。

「例え体は破れてもわたしの心は破れない」

 玉城さんの左頬に、わたしは左の頬を寄せ。
 驚きか憤りか、息を呑む感触が肌身に分る。
 サクヤさん、真弓さん、お父さんお母さん。

「少し怖くて、震えているけど……どうぞ」

 心ゆくまで、羽藤柚明を、ご賞味下さい。
 続けて間近な左の耳に静かに囁きかける。

「どちらにせよ今日の事は2人の両親や先生、警察に明かします。可南子ちゃんと宍戸さ
んを怯えさせた証拠は、この身に刻まれました。あなた達の写真に残りました。拾四人の
証言より写真や実物の方が証拠能力は高い。2人の酷い様は撮られてないから申告もし易
い」

 警察や両親や先生に、何度も事情を説明するにも、2人の傷は浅くて済む。あなた達の
酷い行いは、わたしが何度でも証言し見せられる。それで今後も2人に禍が及ばないなら。
己の羞恥や傷みを覚悟出来れば事は解決する。

 間近の綺麗な双眸が、驚愕に見開かれた。

「あなた、もしかして最初からその積りで」

 今日の私達の行いを丸ごと嵌める積りで?
 あなたこそ私達を全て晒し今後の憂い迄。
 摘み取る積りで、根絶やしにする考えで。
 宍戸さんも私達も泳がせて犯行を誘った?

「わたしが来たのは今日だけの為じゃない」

 周囲の女の子達のざわめきも全て消えた。

「宍戸さんと心を繋げ、彼女とあなた達を引き離したかった。あなた達が危ういと分って
欲しかった。可南子ちゃんが頼る宍戸さんが、あなたに踊らされた侭では禍は絶対防げな
い。最低限そこを絶てば、可南子ちゃんも宍戸さんも、両親や先生や部員を頼って相談で
きる。
 あなたがわたしを破るも破らないも、真実その侭伝えます。選択はあなたの元にある」

 あなたがわたしの女を破っても破らなくても、男の子が再度起きてわたしを犯しても両
乳房切り落しても、それは所詮わたしのこと。

「好き嫌いはあるけど、たいせつな人の幸せと守りに較べれば、最優先の事じゃないの」

 あなたへの愛も憎悪もそれを左右はしない。どちらでも可南子ちゃんと宍戸さんは無事
に帰らせ、今夜の内に両親に、明日にも警察と学校に通報する。全ては明かされる。だか
ら。

「その事も分って貰って、選択はあなたに」

 わたしの思惑も真意も現状も全て伝えて。
 わたしの本当を全て晒す。そうして漸く。
 あなたの本当を返して貰える。答を頂戴。
 玉城さんはわたしの語りかけに心底憤り、

「あなた、年下の癖に本当に生意気っ…!」

 言葉遣いも姿勢も態度も、上から目線で。
 防いで庇って守って許して、受け止めて。
 常に何かしてあげる側、させてあげる側。
 裸に剥かれた癖に、未だ男識らない癖に。

「姉か母の様に敵の心迄包み込もうとして」

 外したその左手で心臓をどんと突かれた。
 悪意というよりそれは彼女の混乱を示す。
 汚れた裸身の侭で尻餅をついたわたしを。
 立ち上がった玉城さんは強く睨みつけて。

「大っ嫌い。あっちへ行って。もう二度と寄って来ないで。関れば関る程苛々させられる。
可愛い顔して大人しげに小生意気を言うから、心へし折って身体弄んで捨ててやろうと思
ったのに。何なのよっ。あなた何様の積り!」

 何度裏切られても『レズれい』を見捨てず、あなたを貪った男子を打ち倒すにも手加減
し、女の子は徹底して庇い守り、恩を仇で返しても受け容れ。その上で最後に全て公表す
るから覚悟してと。私達の作為迄、全部込みで訪れたと。ふざけている。最高にふざけて
いる。

 唯甘いのではなく、甘さが突き抜けている。全部分った上で来て、受けて受けきって尚
恨みも憎しみも抱かず綺麗な瞳で見つめてくる。悪意の欠片もない事が触れて分って伝わ
って。

「あなたといると異常が移る。女の子が恋し惚れる相手は、男の子と決まっているのっ」

 その強さも優しさも綺麗さも、所詮男の為の物。私達が望んではいけない物っ。絶対に、
絶対に私はあなたになんか、心を開かない…。

「行くわよっ。もうここには用はないわ!」

 瞳を潤ませて1人生徒玄関へ去っていき。

「愛実さん?」「ちょっと」「待ってよぉ」

 女の子4人も彼女を追いかけ去っていく。
 振り返った処で、杉原さんと目が合った。

 怪我は負わせなかった筈だけど、わたしの掌打に倒れてから、彼女は惚けた様に木刀を
手放し廊下の隅に座り込んで、動かなかった。筋肉質で背が高く、正規に武道の鍛練も経
た彼女は、一つ年上という以上にわたしより精悍で凛々しく、見た限り強そうで眼光も鋭
く。

 でも今は、その刺す様だった視線が緩く。

「私を破っておいて、何だい。その小娘の身体は。筋肉も身長も肩幅もない。極めつけに
可愛い娘が持つべき胸迄も余り大きくない」

 隠す布もない中、まじまじと正視されて。
 条件反射で頬を染め胸と股間を隠すけど。

「ああ、その小娘っぽい仕草。こんな娘に敗れたかと思うと自分が情けなくなる。でも」

 運でも作為でもなく実力で負けた。負けた上に庇い助けられた。この私が女に守られた。

「覚えておきな。いつかこの借りは返すよ」

 苦い表情を隠さず、すれ違い去って行き。
 聞える雨音が微かに弱くなった気がした。


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


 床に転がるカメラ2つは、男の子達の物だ。わたしの羞恥を多数収めたそれに、廊下に
伸びた彼らの様を追加してフィルムを抜き取り。サクヤさんに扱いを教わっておいて良か
った。

 男の子達は未だ目覚めない。わたしも最後は暫く起き上がれない様に力を込めた。彼ら
の目覚めは気配で分る。なのでわたしはまず、

「可南子ちゃん、宍戸さん、大丈夫……?」

 もう怖い事はないよ。いっぱい心配させて、胸も喉も詰まらせる無様も晒しちゃったけ
ど。

 語りかけ、歩み寄るわたしに返る反応は、

「ひぃっ。いぃぃっ。助けてっ!」
「れいこ先輩?」「宍戸さん……」

 宍戸さんは眼に堪えきれない怯えを宿し。
 可南子ちゃんの両腕を振り払って下がる。

 壁に背をつけて尚わたしから離れようと。
 ガタガタと震えが止まず心も恐慌状態で。

「許して……助けて、見逃してっ」

 彼女には憎悪に燃えたわたしが視える様で。
 報復や乱暴の為に腕を伸ばして視える様で。
 微笑んでも語りかけても耳に目に入らない。

「れいこ先輩、ゆめいさんは……」

 抱き留めて素肌に安心を与えたかったけど。
 頬を合わせて温もりで心鎮めたかったけど。

 今のわたし程、それに不相応な者も居ない。
 何も纏わぬ上に両乳房の傷は深く生々しく。

「許して。カナちゃんの為だったのよっ!」

 血にまみれ、汗やヨダレやその他に汚れて。
 歯形や痣は身体の各所を青黒く不吉に染め。
 女の子を怯えさせるに最適な姿格好だった。

「あなたが男子を全員退けられる程強いと知らなかったから。木刀持った杉原さんを素手
で倒せると知らなかったから。今後の事迄も全部考えて助けに来たと知らなかったから」

 信じなくてごめんなさい。裏切ってごめんなさい。酷い目に遭わせてごめんなさい…!

「お願いだから痛いことしないで。悪意はなかったの。唯玉城先輩の囁きが、囁きが…」

 わたしの傷ついた裸身が、彼女の罪悪感を逆撫でして、怯えを招き。でも傍には身を覆
う布さえなくて。更に言えば、わたしが目の前にいる事自体が、彼女に恐慌を招いていた。

「宍戸さん、わたしは何も怒ってないわ…」
「いいぃぃぃ。寄らないで、お願い許して」

 もうしません。カナちゃんにも近づかない。
 あなたの目の届く範囲にもう現れないから。
 寄って来ないで近づかないで、触らないで。

「お願い、誰か。誰か助けてえぇぇっ…!」

 見えても見えず、聞いても聞かず。宍戸さんは涙を流して怯え震え、心を乱し泣き叫ぶ。

「……宍戸さん……声は、届かないのね…」

 この末も視えていた。昨日夕刻、仁美さんの電話を受けたその時に。可南子ちゃんの危
難を捨て置けないと町へ赴く意を決した時に。己の限りを尽くして突き抜けたその向う側
に。例え羽藤柚明の全てを注いで成功した暁にも。

 どう努めても宍戸さんとの絆は繋げない。
 時間が足りなすぎた。関りが少なすぎた。

 今回の結末が後味苦い物になると。
 全てを守り通す事は、叶わないと。

 承知で選んだ結末はこの身で受け止める。
 わたしが守れる物は決して手に入らぬ物。

「ゆめいさん……ここは、あたしに任せて」

 覚悟を定めた瞳の可南子ちゃんが、わたしの前に、宍戸さんを背に庇う感じで正対して。

「今日はありがとう。……宍戸先輩はあたしが家迄送るから、ゆめいさんは別に帰って」

 確かな視線でわたしの裸身を間近に見つめ。
 怯えも嫌悪もなく両手を合わせ感謝の瞳を。
 無垢な可南子ちゃんと汚れた己は好対照か。

「あたしもれいこ先輩も、身を尽くして守ってくれて、大変な思いさせて心にも体にも傷
負わせ、その上で今後の憂い迄拭ってくれて。本当に幾ら感謝しても足りない位に嬉し
い」

 己を庇って前に出た人影に彼女も気づき、

「カナ……ちゃん?」「可南子ちゃん……」

「今もゆめいさんが、れいこ先輩に仕返しとか考えてない事は、あたしが分る。大変な目
に遭ったれいこ先輩を力づけ安心させようと、手を伸ばし声かけてくれたと、あたしは分
る。……でも、先輩はまだ心が乱れているから」

 ゆめいさんは悪くない。悪くないどころか、本当にあたし、何度も何度も、助けて貰っ
て。

「優しく賢く愛しく綺麗な、強い人。あたしのたいせつな人。どんな姿になっても、穢さ
れて傷つけられても、大好きなお姉ちゃん」

 両手に両手を握り胸の前に持ち上げられた。
 触れる事も厭わず、想いを通わせてくれる。

「でも……ゆめいさんは、1人でも、強い」

 可南子ちゃんは、俯き加減で言葉を紡ぐ。

「人の助けや支えがなくても、1人で男の子多数退けて、危険も痛手も受けて耐えて飲み
込んで切り抜けられる。あたしの助けや支えなんて不要と言うより、足手まといな位に」

 れいこ先輩は、あたしが支えてあげないと。
 分ったの。あたしも強い方じゃないけど…。
 れいこ先輩は、あたしが守ってあげないと。

「今迄は、あたしが甘えていた。支えられて、頼って縋って、心も預けていた。でも、れ
いこ先輩もそんなに強い方じゃないって分ったから。あたしの同類だったって分ったか
ら」

 今後はあたしがれいこ先輩を支える。あたしも支える側になる。年下だし非力だから未
だ支え合う感じになると思うけど。それでも。あたしも助け支え守りたい人が、漸く出来
た。お姉ちゃんやゆめいさんに守られてばかりじゃなく、この手で支えて助けて守りたい
人が。

「あたしが、れいこ先輩の心を静めて、家迄送って家の人に事情をお話しする。ゆめいさ
んは別に……あたしの家に帰って一泊して」

 ゆめいさんが間近にいると、れいこ先輩の心が乱れる。ゆめいさんが先輩を憎んでも恨
んでもいない事は、落ち着いたら順々に先輩にお話しする。納得して貰うから。今だけは。

「ごめんなさい。れいこ先輩の前を外して」

 深々と頭を下げられた。謝る必要などないのに。わたしはいつでも可南子ちゃんの願い
なら、この身の全てで叶えて応えるのに。あなたの願いはわたしの願いよ。可南子ちゃん。

 深く下げた左肩に軽く触れて、承認の想いを伝え。顔を上げた年下の愛しい子、従妹に、

「一つは可南子ちゃん、一つは宍戸さんに」

 彼らがあなた達に乱暴しようとした証よ。

 写真のフィルムを渡す。これを現像して2人とも家族に見せ、警察と先生に申告してと。

「ゆめいさんの分は?」「わたしは良いわ」

 2個しかなかったと言う事情もあるけど。
 経観塚に持ち帰っても遠くて使いづらい。

 何度も現像して見せる必要が出てくるから。
 確かに証拠として持っているべき人の元に。

「でも、この中身はあたし達よりむしろゆめいさんへの乱暴が多く」「わたしは大丈夫」

 可南子ちゃんが身の安全を保つ為に使って。
 全て確かに証拠として、大人に見せるのよ。
 わたしへの気遣いとかで隠したりしないで。
 その証拠写真があなたと宍戸さんを守るの。
 警察も学校もそれがないと真偽を判じ難い。

「わたしの、お願い。宍戸さんも、守って」
「……うん。ありがとう、そしてごめんね」

 可南子ちゃんはわたしより宍戸さんを選ぶ。

 この像も視えていた。優しい可南子ちゃんは人を守り切れたわたしより、怯え乱れる宍
戸さんを気に掛ける。誰かの支えがなくば己を保てない迄心を痛めた彼女を捨て置けない。
わたしは可南子ちゃんに弱さを見せはしない。

 それが自身の性向に反する以上に、宍戸さんと可南子ちゃんを闘って守りきらねば今が
なかった。この選択は己の物だ。2人を守り切れれば可南子ちゃんの心は宍戸さんに向く。
わたしはそれを承知で己を尽くし2人を守り。今のこの結末を、受け容れ微笑み、見送っ
て。

「職員室前の公衆電話でタクシーを呼ぶから、宍戸さんを乗せて送って行って。宍戸さん
のご両親は今日のお話を聞いてきっと驚くから、ご両親が落ち着いてお話を聞ける迄、宍
戸さんが落ち着いてお話を出来る迄、諄々とね」

 宍戸さんも、そのご両親も、労る感じで。

 両肩を軽く抑えて語りかけると、可南子ちゃんはうんうん頷く。可南子ちゃんは今宵人
を守る事に目覚めた。初めて守る側を志した。初心者には先達が心がけや手順を教える物
だ。それがわたしの可愛い従妹であるなら、短い時間の許す限り分り易く丁寧に実感を込
めて。

 わたしは常にたいせつな人の幸せの為に。
 己の為ではなく、たいせつな従妹の為に。

「宍戸さんとの深い仲迄は明かさなくて良い。それは落ち着いてから考えて。そして帰り
は可南子ちゃんも必ずタクシーで。可南子ちゃんの帰りが遅い事は、わたしから伝える
わ」

「うん、ありがとう。ゆめいさん」

 後ろめたさを押し流す位、ほんの少しも不快など抱いてないと、溢れる程に想いを注ぐ。
可南子ちゃんはわたしの背に腕を回し、柔らかな頬を胸に沈め。わたし、汚れているのに。
剥き出しの胸も腹も、血やヨダレで酷いのに。

「ずっとこうして、受け止めてくれていたんだね。あたしの不安や怯えを受け止めて…」

 本当は怖れや怯えを一緒に感じていたのに。
 それを見せず、強く自身を抑えてきたんだ。
 守りたい人の心を、乱してしまわない様に。
 ゆめいさんも、お姉ちゃんも、ずっと今迄。

「受け止めるってこんなに大変だったんだ」

 わたしも想いに応えて背に軽く腕を回す。
 暫く胸の内に沈めていた頬が動き出すと。
 小さな手がわたしの両の乳房に軽く触れ。

「そぎ落されなくて本当に良かった。あたしのたいせつな人の胸。お姉ちゃんのよりは小
さいけど、何度もあたしを受け止めてくれた、柔らかく優しいあたしの宝物。大好きだ
よ」

 唇で左乳房を確かめる様に軽く咥えられた。
 舌で先端に軽く触れ、数秒の間繋げた侭で。
 わたしは従妹の確かな親愛を拒みはしない。
 彼女はその受容に目を細めてから唇を離す。

「じゃあまたあとでね、ゆめいさん」
「ええ、また後でね、可南子ちゃん」

 今宵の結末はやはり、こうなった。


− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −


「……うん、わたしの事情で、行けなくなっちゃったの。杏子ちゃん、本当にごめんね」

 近く迄は来たんだけど。後五キロも歩けば、参拾分余りで辿り着けるんだけどね。でも
…。

「良いよ、ゆーちゃん。人には色々事情がある物だから。ゆーちゃんが心底あたしに逢い
たかったって事も、それがどうしても出来ない事情がある事も、その声で分ったから…」

 あたしは気長なの。ゆーちゃんの気持を繋ぐ為に、一年以上毎週電話し続けたり、スト
ーカー並に粘り強いの。今宵逢えなくてもあたしの想いは変らないよ。ゆーちゃんだって
そうでしょう? あたし達、相思相愛だもの。

 元気に返してくれる心遣いが心に染みる。

「絶対逢おうねって、心待ちにさせたのに」

「延びれば延びただけ逢えた時が嬉しいよ」

「……うん、そうだね。わたしも楽しみ…」

 わたしの声音は、少し湿っぽかったかも。

 それを杏子ちゃんは分って敢て指摘しない。
 気遣わせたくないとのこの想い迄見通して。
 本当に、強くて優しい、たいせつな人……。

「あたしに気遣いは無用だから。その、のっぴきならない用事っての、確かに済ませて」

 春休みかゴールデンウィークに逢える様に。

「それ迄は、電話で愛を交わし合おうねっ」
「有り難う。……大好きだよ、杏子ちゃん」

 心残りを振り切って受話器を置く。まず2人を送る為のタクシーを呼んでから、伯母さ
んに可南子ちゃんの帰りが遅いと、事情は少しぼかして伝え、わたしの泊りもお願いして。

 着替えは持って来てある。ロッカー迄取りに行くにも裸は拙いので、可南子ちゃんの未
だ形を残していた体操着を借りる。その前に杏子ちゃんに、結局逢いに行けない旨を伝え。
警察や可南子ちゃんの学校に事情を話す為に、数泊はするけど。逢いに行ける状況ではな
い。

「羽様の真弓叔母さんにも、電話しないと」

 大丈夫じゃない事は見抜かれるけど、無事を装える程度には己を保てていると伝えたい。

 収拾すべき事は多い。可南子ちゃんは守る側を志したばかりだ。諸々にはわたしが道筋
をつけないと。無人の職員室前の廊下の闇で、わたしは纏う衣もなく公衆電話前に1人佇
む。

 車の音は、可南子ちゃん達を乗せたタクシーか。気配で2人の離脱を悟る。男の子は未
だ目覚めた様子がない。少しやり過ぎたかも。傷痕の残る痛手は、与えなかった筈だけど
…。

「……、だれ……?」

 微かな物音と気配に、わたしは思わず身を竦ませた。対応は可能だけど。男の子が全員
目覚めても、己1人なら切り抜けられるけど。己の裸身を思い返して、反射的に羞恥を抱
き。

 戸惑いは一瞬だった。現れたその人影は、

「……柚明っ、あんた。その、姿っ……!」

 ここにいる筈がない、現れる筈がない人の。
 驚きを抑えても尚漏れ出てしまうその声に。

「さっ、サクヤおばさん。……どうして?」

 嬉しかったけど。全身が震え出す程に嬉しかったけど。今正にその温もりと肌触りをわ
たしは欲していたけど。その美しい人の視線から逃れようと、その腕と声から逃れようと、
身を翻し反対向きに駆けだして、廊下の端で。

 細く長い腕に背後から、血と汗に汚れた何も纏わぬこの身をがっしり、抱き留められた。

 左耳へ暖かに流れ込むのは叱声ではなく、

「昨夜羽様に電話掛けたんだ。宿を決めたら連絡入れるって、言っていただろう? そう
したら正樹が、柚明は急遽予定変更して夜行列車で行ったと。何があったのか訊いたら」

 禍の正体は、あんたが護身の技で倒さなきゃ退けられない悪意の集団だと。真弓に言わ
れなくても様子を見に来る気でいたさ。しかも笑子さんが今朝視た像では、柚明あんた…。

 背後から囁きかける声が急に弱々しく細る。
 この今も羽様の大人はみんなは承知済だと。

 裸に剥かれ血や汗やヨダレに汚れた醜態を。
 恥ずかしく悶えて喘いだ、今宵のわたしを。

 抵抗の気力が抜ける。最早この有様は確かに見られた。サクヤさんの長い腕に捕まった。
逃れられない。せめて何か一枚纏っておけば。

「ごめんなさい、サクヤおばさん。わたし」

 崩れそうな表情を見られたくなくて俯く。
 背後から抱かれた以上に正視を返せない。

「穢されちゃった。……もう、サクヤおばさんの綺麗な腕に抱き留めて貰う資格がない」

 どんな事情があっても、どんな背景や理由があっても、この身がされた事に違いはない。
下半身の大事な処のみは守れたけど後はもう。

「制服も下着も切り裂かれ、何人もの男の子に唇奪われて、胸弄ばれて、身体嬲られて」

 刃で裂かれて、血に塗れて。汗とヨダレに汚されて。身体を揉まれて、欲情を煽られて。
汗は男の子達のだけじゃない。可南子ちゃんや宍戸さんや、他の男女拾数人の前でわたし。

 サクヤさんの声が詰まる様を肌で感じた。

「わたしに、触らないで。サクヤおばさん迄穢れてしまう。この身の汚れが移っちゃう」

 サクヤさんの美しさに染みをつけてしまう。
 サクヤさんの気高さをわたしが貶める事に。

 手遅れだった。為してしまった事に取り返しは効かない。何人もの男の子に、繰り返し
繰り返し吸い付かれた。蹴られ殴られ、痛みも怯えも刻み込まれ。男の子の欲望や女の子
の悪意に内側まで身も心も浸された。わたしの癒しが人に浸透する様に、男女拾数人の憎
悪や敵意が、ヨダレや汗と一緒に混ぜ込まれ。

「わたし、傷物です。もうサクヤおばさんに想って貰える資格もない程、身も心もっ…」

 もう真っ白には戻れない。忘れる事も閉じこもる事も己に許せないわたしだけど。でも、
でもその故に、今日の事は心に重くのし掛る。何も識らない子供ではいられない。わたし
は。

「あんたは、いつ迄も、あたしの柚明だよ」

 左耳間近で息づく甘い囁きにも心が凍る。
 抱き留めてくれる素肌の親愛は分るけど。

 わたしがサクヤさん迄も穢れに混ぜ込む。
 清く愛しく美しい人を。たいせつな人を。
 それは出来ないと拒むのに。心閉じても。

 しなやかな腕はわたしの拒絶を押し開き。
 反転させて両肩を抑え、全部を正視して、

「あたしは、あんたに何度も言った筈だよ」

 逸らそうとした瞳を目力で引っ張られた。
 がっしり掴まれ、逃れようのない状況で、

「傷物になったって、あんた程可愛い娘はそうそういないさ。貰ってくれる男がいなけり
ゃあ、あたしが貰ってやるから安心しな…」

 あたしの想いは、何一つ変っちゃいない。
 白銀の髪の人はわたしの瞳を打ち抜いて、

「あたしは、どんな柚明でもたいせつ。
 あたしは、いつ迄も柚明がたいせつ。
 あたしは、柚明を支え助け受け止めるよ」

 だからあたしに、守らせておくれ、柚明。

「……、……、……サクヤおばさんっ…!」

 堪えに堪えていた涙が、溜めに溜めていた筈の哀しみが、一瞬で全部愛しさの故の涙に。
溢れ出そうで、視界が揺れて、止められず…。

「人を庇って傷を負うのも。心配させたくないとそれを隠して、涙や叫びを飲み込むのも。
傷を負った自身を哀しむんじゃなく、その傷に傷み哀しむ周囲の誰かを想い案じるのも」

 全部あたしの柚明じゃないか。何一つ変っちゃいない。あたしの愛しい柚明じゃないか。

「もしも柚明が唇を穢されたというなら…」

 正面から柔らかな唇が、わたしのそれに。
 軽く触れ、でもしっかり繋って静止して。

 初めてだった。サクヤさんとの口づけは。
 心の準備の間合も、頬を染める暇もなく。
 想いの津波に悲哀も傷心も押し流されて。

 柔らかで暖かな、強い情愛の虜にされた。
 見開いた目が瞬きを失った侭の十数秒後、

「……全部あたしが、拭い取って清めるよ」

 愛しい瞳が、唇が頬が、わたしの間近で、

「傷みも哀しみも分けておくれ。悔いも穢れも分けておくれ。1人で背負わず壊れる前に、
あたしにも分けておくれ。闇に沈むあんたを前に、己1人清く正しく生きる気はないよ」

 あたしは柚明がたいせつなんだ。例え何がどうなろうとも、一番に想う事叶わなくても。
羽藤柚明は浅間サクヤには、換えの利かない唯1人なんだ。想いたいんだ、愛したいんだ。

 わたしが抱く想いより遙かに強い情愛で、

「頬も首筋も乳房もどこもあたしが清める」

 桂や白花や、真弓や正樹、友達や従姉妹の幸せに頬を緩めるあんたを、あたしが愛でて
楽しみたい。分ち合いたいのは幸せだけじゃない。傷みも哀しみも悔いも穢れも何もかも。

「だからあたしを拒まないでおくれ、柚明」

 大きな胸の谷間に、顔を押しつけられた。

 無条件の、無尽蔵の、無制限の温かな心が。
 穢れた身と心を尚愛おしみ、抱いてくれる。
 こんなわたしをどこ迄も肌に許し受け容れ。

 哀しみではなく、愛しさの涙が止まらない。
 安心できた故の慟哭をもう、止められない。

 可南子ちゃんの前でも杏子ちゃんの前でも、桂ちゃんや白花ちゃんの前でも見せられな
い、見せてはいけない嗚咽が漏れる。汚してしまうと分りつつ、両腕はサクヤさんの背に
回り、身も心も艶やかな肌に縋り付いて離れられず。

 例え永久に手に入らなくても。いずれ隔てられ、触れる腕も届かせる声も失う定めでも。
この愛おしさを心の核に刻む限り、傷つけられても穢されても、羽藤柚明は頑張り抜ける。

「愛させておくれ、あたしのたいせつな人」

 夜の闇は全てを優しく包み隠してくれた。


「従妹のために(前)」へ戻る

「柚明前章・番外編」へ戻る

「アカイイト・柚明の章」へ戻る

トップに戻る