第2回 柚明前章・第一章「深く想う故の過ち」について
1.今回もまずはごあいさつから
桂「みなさんこんにちは、羽藤桂ですっ」
柚明「皆さんこんにちは、羽藤柚明です」
桂「わたしとお姉ちゃんの『柚明の章講座』2回目です。コーナーを立ち上げて一年以上、
手を付けられる事なく寝かされていた企画ですが、遂に続きを手がける事になりました」
柚明「皆さんと向き合う機会が再び巡ってきて、桂ちゃんもわたしもとても嬉しいです」
サクヤ「あんたらはいつでも呑気だよねぇ」
桂「だってここは楽屋裏で、どんな波乱も危険も禍もない『お約束』になっているから」
柚明「桂ちゃんが何の不安もなく、長閑に微笑む様を見られるのは、わたしの幸せです」
サクヤ「笑子さんの血筋だよ、あんた達は」
桂「ところで、どうしてサクヤさんがちゃぶ台の前の真ん中なの? わたしがサクヤさん
の右隣で、お姉ちゃんがサクヤさんの左で」
柚明「サクヤさんは今回のゲストだから。わたしと桂ちゃんが左右から、サクヤさんにお
話しを振って、答を貰うという設定なのよ」
サクヤ「あんた達をくっつけていたら、話しが次々に脇道に逸れて脱線しまくって、しか
も中々戻ってこないからだろ。あたしは桂と柚明を左右に『両手に華』の配置でご満悦さ。
アカイイト的には、桂を真ん中にしてあたしと柚明が助さん角さんって並びが基本かも
知れないけど。久遠長文は天の邪鬼だから」
桂「あはは、そうかもね。柚明の章を見ても妙な処にこだわりを持って描いているし…」
柚明「それだけ思い入れが強いって言う事よ。桂ちゃんが主人公である、アカイイトへ
の」
桂「確かにそうだとは思うけど……んん?」
サクヤ「既に話しが脇道に逸れているじゃないかい。本当にあんた達は、誰かが本線に引
き戻さないと延々と2人脱線に填り込んで」
桂+柚明「「そ、そうでした……」」
桂「そっ、そうゆう訳で、桂と柚明の『柚明の章講座・第2回』のゲストは浅間サクヤさ
んです。みんなで拍手で迎えましょーぉ!」
柚明「はい……そして今回扱うお話しは、柚明前章・第一章『深く想う故の過ち』です」
桂+柚明「「よろしくお願いします」」
桂「サクヤさん、いきなり何か言いたそうな顔をしているね。それも、文句の1つも言っ
ておかなきゃたまらない、みたいな感じで」
サクヤ「あんた達が呑気すぎるんだよ。前回の『柚明の章講座』を見ても、本当に長閑で。
桂も柚明も、アカイイトの全ルートの中身に加えて、柚明の章の全部も知ったんだろう。
ご神木の封じの内実も、柚明の艱難辛苦もさ。作者に文句の1つも言いたいとは思わない
のかい。アカイイト原作者の麓川は出られないにしても、柚明の章の作者は居るんだし
ね」
桂「一度は問い詰めてやりたいって感じだね、サクヤさん。確かに柚明の章は、アカイイ
ト本編に較べても、内容や描写が苛烈だったり凄惨だったり、問題が多い気はするけれ
ど」
柚明「彼がこの物語に込める想いは本物ですから。この今を導く為に不可欠と、考えた末
の選択なら。わたしはたいせつな人を守り抜けた結末に繋る為なら、どんな展開も受容出
来ます。それより気に掛るのは、わたしの為に桂ちゃんやサクヤさんが心傷めてしまう事。
ごめんなさい。わたしがもっと早くから強く賢ければ、危うい途を渡らずに済んで。桂
ちゃんやサクヤさんを心配させる必要もなく、作者もお話しを紡げたのでしょうけど…
…」
サクヤ「あ、あんたが謝る必要はないんだよ。あんたは確かにお人好しすぎで甘すぎて、
望んで無茶な選択や苦難を背負う処はあるけど。それは今ここで責める様な中身じゃない
から。
こほん……桂、早く先を促しておくれよ」
桂「何気にサクヤさんの頬が赤い様な気が…。
ところで、今回のゲストがサクヤさんだった理由って、昔のお姉ちゃんの傍にいた人だ
からってことで良いの? 柚明前章は拾年前以前の話しで、わたし達殆ど幼いし。その頃
の登場人物でここに出られる人は少ないし」
サクヤ「久遠長文は柚明前章の4つの話しを解説する『柚明の章講座』のゲストに、柚明
以外のアカイイトのヒロイン4人を当てる気らしい。拾年前以前の人物に限定してない様
だね。そうすると出られる人物がいないから。
唯、あたしが招かれたのは、桂の言う通り、柚明や桂と拾年前より前に接していた人物
を、最初に当てたと言う事の様だけど……桂?」
桂「じゃあこの後に、葛ちゃんやノゾミちゃんや、烏月さんも来てくれるの? ここに」
サクヤ「まぁそうなるけど……何だい。恋する乙女の様に、急に瞳をキラキラ輝かせて」
柚明「葛ちゃんやノゾミちゃんや烏月さんも、桂ちゃんを好いてくれて、桂ちゃんも好い
た人達ですから。わたしも楽しみです。でも今はサクヤさんがゲストですから。サクヤさ
んとのお話しを愉しみましょうね、桂ちゃん」
サクヤ「微妙に引っ掛る気がするけど、まあ良いよ。とっとと本題に入っておくれよ…」
柚明「はい、では本題に入りますね。その前にサクヤさん、いつも桂ちゃんに加えてわた
し迄も気遣ってくれて有り難う。嬉しいわ」
サクヤ「ん、まあ、桂とあんたを気遣うのは、あんたの両親のみならず、笑子さんや真弓
や正樹の願いでもあったし。お礼を言われる程の事じゃあ……桂、何か急に黙り込ん
で?」
桂「何か2人すごく仲良さそう。両手を握り合って胸の前に持ち上げて、見つめ合っちゃ
って。見ていると何か無性に悔しい気が…」
サクヤ「ここでは桂も、あたし達の拾年前以前の関係を全部、知って居るんだったっけ」
柚明「大丈夫よ、桂ちゃん。サクヤさんがどれ程わたしを好いてくれても、わたしがどれ
程サクヤさんを慕っても。サクヤさんの一番は桂ちゃんで、わたしの一番も白花ちゃんと
桂ちゃんなの。羨んで貰えるのも嬉しいけど、ごめんなさい。誤解を招く動きは慎むわ
ね」
桂「あっ、う、うん……。その、あの……」
サクヤ「あんたも母親を喪って間もないから。寂しさを感じるのは仕方ないさ。どれど
れ」
桂「あっ、それ。本編で何度もされた……。
う〜う〜、ひどい。髪の毛ぐしゃぐしゃ」
柚明「わたしも幼い頃は今の桂ちゃんの様に、くしゃっと頭を撫でて貰ったの。懐かしい
わ。力を込めすぎな処が想いの強さを示すのよね。
脱線はこの位にして、そろそろ柚明の章講座へと入りましょうか。今回は柚明の章の最
初のお話し、全ての原点となるお話しです」
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2.お話しに入るその前に
桂「まずタイトルからだね。『柚明前章』は『柚明本章』と対比させ『拾年前の事件』に
至る迄の前日譚を示すと分るけど。『深く想う故の過ち』ってタイトルも意味深だよね」
柚明「幼いわたしが、お母さんを深く想う故に為した行いが、無思慮の故に、無知の故に、
禍を呼び込んでしまう。想いだけでは届かない事がある。力や賢さを備えない行いは、害
を招き禍となる事もある。幼いわたしがそれを思い知らされる。そう言うお話しだから」
桂「ううっ、お姉ちゃん、かわいそう……」
柚明「有り難う桂ちゃん。わたしやわたしのたいせつな人の為に、哀しんでくれて。でも、
わたしは大丈夫。取り戻せない過去は受け容れて、今たいせつな人を見つめ、未来を向い
て生きて行く。そうしてたいせつな桂ちゃん白花ちゃんとも逢えて、守り抜く事も出来た。
哀しい過去も含めてわたしは幸せだったわ。
わたしは恵まれていた方だと思っているの。
サクヤさんと絆を繋げた事も含めて、ね」
サクヤ「あんたのそう言う強さには、叶わないよ本当に。千年生きても届かない心境はあ
るんだね。逆に言えば、そう言うあんたや桂に逢えたのも、永く生きてきたお陰と思えば、
観月の長寿もまんざらではないと思えるよ」
桂「お姉ちゃんのその心境を現すのが、柚明前章・第二章『哀しみの欠片、踏みしめて』
ですと。ちょっと先走っちゃったけど、その心の強さが、第一章の悲嘆を経て乗り越える
ことで表現されて行きますと、作者メモが」
サクヤ「過酷な展開だけどね。正気を失う一歩手前の絶望や悲嘆が。乗り越えられたにし
ても、乗り越える強さを培う結果に繋ったとしても。果たして当人の幸せなのかって話し
はあると思うけど。当人が幸せというなら」
柚明「独りで乗り越えた訳ではないですから。笑子おばあさんや叔父さんや、サクヤさん
や叔母さんの助けのお陰です。そう言う人達に心支えられてきた事が、羽藤柚明の最大の
幸せだと思っています。白花ちゃんと桂ちゃん、守りたく思える幼子に巡り逢えた事もそ
う…。
わたしは桂ちゃんと白花ちゃんを守る事で、守ろうと心を決めて強さ賢さを学び取る中
で、同時に己自身が心救われてきた。だから有り難うは、わたしから桂ちゃんに向けてな
の」
桂「わ、わたしお姉ちゃんの為に何も出来てないけど。守られっ放しで助けられっ放しで、
足引っ張って迷惑掛けてばっかりだったけど。でも、心からそう言って貰えるなら、わた
しの何かがお姉ちゃんの役に立てていたのなら、とても嬉しい。これからは、わたし自身
がお姉ちゃんに役立てる様に、頑張る積りですっ。取りあえず、迷惑や面倒を掛けない処
から」
柚明「幾らでも迷惑掛けてくれて構わないの。わたしは桂ちゃんに役立てる事が望みで願
いだから。頑張る桂ちゃんの姿も可愛いからわたしは好ましいけど、余り無理しないで
ね」
サクヤ「他人の為に無茶しまくっていたあんたがそれを言える立場かね。まぁ桂も無鉄砲
で無思慮で、突拍子もない事をし始めるから。鍛えてなくても真弓の素養が眠っているか
ら、瞬間的な無茶には体が対応出来てしまうしね。柚明が心配する気持も分らないではな
いけど。
……っと、いつの間にか話しが又脇道に」
柚明「あら、そうですね。いつの間にやら」
桂「お話を本筋に戻しますっ。お話しに分け入って行く前にもう一つ、柚明前章の始まり
時点での、お姉ちゃんの年齢についてです」
サクヤ「柚明が両親を喪い経観塚に移り住む歳を小学3年生にした件かい? ファンブッ
クや小説版『絆の記憶』で明記された6歳を採用せず、設定上のぎりぎり迄持ってきた」
柚明「アカイイト本編の柚明ルートでは、わたしが羽様のお屋敷に移り住んだのは『桂ち
ゃんが生れるよりもずっと前』とのみ記されていたわね。それは一応、満たすのだけど」
サクヤ「作者がチャットで語っていたね。承知で敢て踏み越えた、明言された設定を使わ
ず独自設定に差し替えた、唯一の箇所だって。
アカイイト本編の文言とだけ見比べれば矛盾はないけど。『絆の記憶』やファンブック
の記述は、公式であっても本編記述程には重視しないと言う、久遠長文の判断が視えるね。
真弓が鬼切り役を辞めた事情も、ファンブックの『正樹との結婚に伴う明良への譲渡』
は採用せず、『あたしとの和解に伴い鬼切部を抜けた』本編烏月ルートの記述を採用して。
拾年前以降の真弓が『鬼切りはしてなかった』って絆の記憶でのあたしの証言を採らず、
『裏で鬼切りをして生活費を稼いでいた』って本編の用語辞典の記述を採用し。その辺は
全て完全な一致は無理で、より整合性の整う記述になればいいと、割り切って居る様だね。
柚明の両親を喪った年齢については、資料中の記載に矛盾はないから『承知で敢て踏み
越えた』と明言する事になったらしいけど」
桂「1つの理由には、執筆し始めた時点ではファンブックも『絆の記憶』も持ってなくて、
設定を知らなかったこともある様だけど…」
柚明「公式設定を知った後でも変えなかったのは、走り出してしまったという以上に、考
えがあったみたい。ちょっと長くなるけど」
作者メモ「(公式設定の通りの)6歳の子供では、先々の人生に向けての決意を抱けない。
柚明の章の始めには出来ないと思ったので…。
桂が6歳の時『10年前の事件』に遭って、心が耐えきれずに記憶を鎖しています。幼
子では心を砕かれる怖れがある。せめて拾歳前後でないと主人公には難しいと、考えたの
で。
大長編ドラえもんで、主人公をやるのび太達は小学4年生。銀河英雄伝説で、主人公ラ
インハルトが姉を奪った銀河帝国の打倒を決意するのは拾才。その辺りが、意思や決意を
抱ける主人公の年齢の下限なのではと……」
サクヤ「なるほどね。アカイイト本編の設定や記述と不整合が生じない程度に、柚明が両
親を喪う年齢を引き上げた訳だ。小学3年生なら、誕生日を迎えれば9歳、柚明の誕生日
は霜月だから8歳。まあ拾歳に近い処だね…。
柚明の章では、この夏にあたしが長期取材に出て若杉の過去を探り、妨害に真弓が遣わ
されてきて、あたしと真剣の争いを経た末に和解して、正樹と結婚することになっていて。
翌春に桂と白花を身籠もり、秋9月に出産すると。柚明はその時点で小学4年生、か」
桂「わたしと拾歳違いなのは満たされますと。
その上で、絆の記憶の『経観塚へ里帰りの際にお姉ちゃんが、早く行くと我が侭言った
末にサクヤさんと2人先行して。後から追う形になったお姉ちゃんのお父さんお母さんが、
鬼に襲われて生命を落とす』展開は採用せず。
『交通事故で意識失ったお姉ちゃんのお母さんの手に、守りの青珠を密かに預けて。贄の
血の匂いを消せなくなったお姉ちゃんが鬼に襲われ、お父さんお母さんがお姉ちゃんを庇
って生命を落とす』展開に差し替えたんだね。
この辺の意図って、どうなのかな? 両方お父さんお母さんを喪う哀しい展開だけど」
サクヤ「1つには、贄の血の匂いを消す術を柚明の母親が、持っていたかどうかだろうね。
絆の記憶で行けば、青珠を持たなかっただけで柚明の母親が鬼に襲われ、父も巻き添えで
生命を落とす。柚明の母親は今の桂と同じく、贄の血の匂いを隠す術がなかったって事さ
ね。
そんな状態を分っていて、柚明の我が侭を聞き入れて。己や夫の生命まで危険に晒す様
な愚かな女だとは、あたしも想いたくないね。
幼い柚明に持たせなきゃいけない青珠しか守りがない状態で、柚明の母親は経観塚を離
れた町で、一体どう暮らしていたのか。6歳なら小学校に行く年だろう? 青珠を持って
学校に行った後、柚明の母親は一体どうやって己を守る積りだったのかね。その位の事を
柚明の母親も父親も、笑子さんや正樹もあたしも、見過ごし放置していたとは考え難いよ。
それはむしろ羽藤家全員の『うっかり』に映る様だね、久遠長文には。千年贄の血筋を
続けてきて、そんなうっかりがある筈がない。それも大事な人の生命に関るうっかりなん
て。
絆の記憶での柚明の父母についての記述は、桂や読者に『贄の血筋の者は鬼に襲われ
る』という事を伝えたいだけ、に視えた様だねえ。
それなら、もっと詳細に作り込もうと…」
柚明「わたしの我が侭で、わたしの両親が生命を喪う。それは哀しい展開だけど。久遠長
文はもっとわたしに辛い展開を課さなければ、今のわたしに繋げる事は困難と判断した様
ね。言ってみれば、もっと救いのない展開を、と。
我が侭や聞き分けの悪さの所為ではなくて。善意の故に母を想う故に為した行いが悲惨
を招く。深く想う故に過ちとなる。だから過ちを防ぐには、愛しい人を守り抜くには、強
く賢くなければならない。二度と喪わない為に。
まごう事なき善意が悲劇の基本に。その悲嘆の淵から、桂ちゃんと白花ちゃんという守
りたい人を見いだして。罪悪感の断崖をはい上がって行く事で。わたしはアカイイト本編
のユメイに、柚明本章の柚明に繋がって行く。
その為には一度、救いのない程に打ちのめされる必要がある。己の悪の故ではなく、善
意の故に招く禍。それが必須に思えたのね」
桂「ううっ、お姉ちゃん、かわいそう……」
柚明「前回の『柚明の章講座』でも引用した作者メモだけど、もう一度読み上げるわね」
作者メモ「ユメイが従姉であるにしても、桂にとって姉の様な家族の様な存在であるにし
ても、あの尋常ではない献身は、わたしの中で消化しきれませんでした。
葛ルートで完全にオハシラ様になる事を笑顔で受け容れて消えてゆくユメイ等は、わた
しが今迄見た事も描いた事もない存在でした。
何か彼女にそれを促す背景があるはずだと、なければならないと。それが本作執筆の動
機です。それを納得行くまで描ききる為に、膨大な文字数を費やしてしまいました」
サクヤ「柚明の白花と桂への尋常じゃない献身を描くには、『我が侭で家族を失う』位の
悲嘆では足りない。『善意で献身で、でも無知と無力の故に家族を失い、絶望に沈む』位
の背景が必須だと。原罪って言葉が近いかね。ここに今生きている事自体が罪に思える位
の、強烈な罪悪感。それを埋め合わせる為に、柚明は必死で人に尽くそう守ろうと願い望
む」
柚明「わたしはむしろ桂ちゃんと白花ちゃんに深く依存しているのかも知れない。己を尽
くし捧げるたいせつな人がいなければ、わたしはここ迄歩み来る事は、叶わなかったかも。
ゼロからの出発ではなく、マイナスからのはい上がりを、久遠長文は想定していた様ね。
深く想う故の過ちが根源にあればこそ、柚明の章の柚明にも、アカイイト本編のどのルー
トの柚明にも、納得が行く様になると……」
桂「やっぱりかわいそうだよ。絆の記憶の設定でもかわいそうだけど、哀しすぎるよぉ」
柚明「わたしは元々『勇ましく戦う女の子』ではありませんでした。贄の血を持つだけで、
笑子おばあさんと条件は同じ。鬼切部の血筋に生れた烏月さんや、観月の民の宿命を持つ
サクヤさんとは違う。久遠長文も、わたしを本来は守られる側の女の子だと語っています。
それが桂ちゃんを守る側になり、戦う力と意志を抱くには、それなりの背景や理由を必
要とする。我が侭の故に禍を招いたなら、我が侭を抑える良い子になれば良いだけで、無
理して戦い守る術を憶える必要は薄い。無知と無力で目の前で両親を喪う悲嘆を経てこそ、
誰かを戦い守る事を欲し願う柚明になると」
桂「それでもお姉ちゃんの心が痛むのは同じだよぉ。ううん、もっと酷いかも知れない」
柚明「有り難う、桂ちゃん……わたしの為に、わたしのお父さんとお母さんの為に、哀し
んでくれて……その美しい涙はとても嬉しいわ。わたしは大丈夫だから、桂ちゃんと白花
ちゃんを心に抱く限り大丈夫になれたから。わたしの本当の有り難うは、悲嘆に沈んだわ
たしの心に、光を注いでくれた事へのお礼なの」
サクヤ「脱線なんだけど。あたしと桂の間に挟まって、桂を胸元に抱き留める姿には、羨
みを感じるけど。美しい以上に心がこもっていて、文句の付けようがないよ。両方たいせ
つなあたしとしては。見守る他に術がないさ。
心ゆく迄肌身添わせたら、本筋に戻るよ」
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3.いよいよお話しに入ります
桂「はい。気を取り直して続きを行きます」
柚明「定位置に戻って、講座の再開です…」
サクヤ「やっとこさ拾年前の、本筋開始と」
桂「最初は主人公の一人称が『わたし』で誰のことか、しばらく分らないよね。血が濃い
とか、それらしい話題から始っているけど…。
最初の場面はお友達との小学校下校途中だけど、お友達の杏子ちゃんも『ゆーちゃん』
って呼ぶから、柚明お姉ちゃんだって事は、サクヤさんに名前を呼ばれる迄ぼかされて」
柚明「柚明の章はその殆どがわたし視点で描かれているから、語り手視点・主人公視点は
わたしになるの。アカイイト本編が何も言わずに、基本桂ちゃんの視点で進むのと同じよ。
唯、そう言う文体・構成を、最初は読者さんも周知されてないから。冒頭だけ暫く『わ
たしって誰なのかな』って、好奇心を引っ張れる。一度限りの、久遠長文の遊び心ね…」
桂「なるほど。わたしが主人公しているアカイイト本編も、主人公視点で透徹して、わた
しに見えない事や分らない事は示されないものね。読者さんも主人公の知らない事情は作
中で知る事が出来ない。神の視点を使わない。ここは柚明の章の作者さんのこだわりだ
ね」
柚明「読者の方々は気付いていると思うけど、わたしの旧姓・父方の姓には、作中で触れ
ていません。それと釣り合いを取る感じで杏子ちゃんの姓も示していません。幼い子供同
士なら不都合もないでしょうと。柚明前章・第三章などに杏子ちゃんが登場しても姓は示
されず。第2章以降に登場する父方の親戚・仁美さんや可南子ちゃんの姓も示されませ
ん」
サクヤ「この辺は徹底しているね。作者メモでは『公式が後付けしてくる可能性を考えて、
敢て明記を避けました』と。桂の父の名もアカイイト本編中で明示されず、ガイドブック
や絆の記憶で『正樹』と後付けされてきたし。それ迄の間は『直樹』と言う説も流れてい
たけど……。それに気を遣ったと言うより、ここまで来るとアカイイト本編への気遣いか
ね。公式設定・本編設定に接触しそうな箇所でのオリジナル設定追加は、極力避けたいと
いう。
そう言えば、柚明の母の名だけは柚明前章・番外編で明示したんだっけ? 例外的に」
柚明「柚明前章・番外編・第13話『断絶を繋ぎ直して』の後半で、一箇所だけ明記され
ました。大多数の箇所で○○○(3文字)と表記されているけど。お話し全体がわたしの
お母さんや笑子おばあさんの世代の話題が錯綜するから、全く明かさない訳に行かないで
しょうと。公式が後付けしてくる可能性は尚考慮しつつ、だから一箇所だけの明記に留め。
でも、嬉しかったわ。表記しない事も作者の考えあってだけど、表記されて桂ちゃんや
サクヤさんや読者皆さんに分って貰えた事は、とても嬉しい。わたしのたいせつな人だか
ら。
あ、お話しが脇に逸れてしまいましたね」
サクヤ「柚明の父方実家も『町外れに屋敷がある』と描かれ、資産家と設定されているね。
柚明の父親は実家から独立して勤め人だけど。この後で両親を喪った柚明を引き取ると申
し出た時も、部屋に余りがありそうな感じでさ。
作者メモでは、首都圏の郊外で中規模の建設業を営んでおり、祖父の久夫は創業者社長、
長男の浩一が副社長だと。この設定はまだ使われてない様だけど。第2章以降に登場する
柚明の従姉妹の仁美と可南子の父親だね…」
桂「おお、無駄に細かくリアルな設定。でも、その現実感を背景にして、言葉遣いとか態
度とか考えて人物描写しているって事なんだね。社長さんや資産家の自信満々そうな感じ
とか。長男として、父親としての常識・責任感とか。余り凝りすぎない位で、現実感漂う
感じに」
柚明「ええ。わたしのお父さんは男ばかり5人兄弟の4番目で、浩一伯父さんは長男なの。
久夫おじいさんと恵美おばあさん、その長男の浩一伯父さんと奥さんの佳美伯母さん。仁
美ちゃんと可南子ちゃんで6人家族。わたしのアパートと同じ町に住んでいて、学校は違
うけど頻繁に交流があった事になっているの。
お父さんの他の兄弟3人は同じ町におらず、結構離れた町に住んでいて、疎遠ではない
けど慶弔以外の交流は少ないって設定みたい」
桂「第一章だけ、恵美おばあさんも久夫おじいさんも、笑子おばあさんも、お姉ちゃんの
呼び方が『おばあちゃん』『おじいちゃん』だね。お姉ちゃんが幼いから、なのかな?」
サクヤ「目の付け所は悪くないけど……もう少し別に気付く処があるだろ。柚明の章を通
して読んでみれば、アカイイト本編と表記の違いがさ。『オハシラサマ』が『オハシラ
様』だったり、『笑子さん』が『笑子おばあさん』だったり、『サクヤさん』が『サクヤ
おばさん』だったり。書き手にも扱いがぞんざいな者もいるけど、人物の呼び方は呼ぶ者
から呼ばれる者への心の距離感を示すのさ」
柚明「久遠長文は、わたしがアカイイト本編のユメイルートの拾年前・オハシラ様を継ぐ
際の過去回想で、笑子おばあさんを『笑子さん』と呼んだのを。わたしと桂ちゃんの血縁
関係の明示・ネタバラシを、少し遅らせる為に敢て一度だけ『不自然な呼び方』を使った
と思ったみたい。おばあさんは尊属で目上なのに、お友達の様に呼ぶのは、久遠長文には
不自然だった様で。でも、麓川さんは姉妹作のアオイシロでも、主人公・小山内梢子さん
から、その祖母を同じ様な呼び方させていて。それが彼の通常感覚なのかも知れないわね
…。
でも久遠長文には、不自然さが拭えなくて。ネタバレ全開で始る柚明の章では、今更隠
す事でもないから、笑子おばあさんで通そうと。第一章だけ、わたしが決意を抱く前で幼
少だから『おばあちゃん』『おじいちゃん』と」
桂「オハシラ様の呼び方は、お姉ちゃん視点では羽藤の言い伝えに馴染んでいて。より敬
意が強いから、様を漢字にしましたと、作者メモが来ています。裏には少しでも文字数を
縮めて、内容を詰め込む余裕を取りたいという事情もあった様で……って、そんな1文字
や2文字縮めて隙間作らないと、詰め込めない作りしていたんだ。ある意味すごいね…」
柚明「サクヤおばさんがサクヤさんに変る経緯は、柚明前章・第四章・『たいせつなひと
…』の冒頭で明示されるので、割愛します」
サクヤ「ああ、そこは恥ずかしいから。そうしといてくれよ……って、あたしが第一章で
ゲスト出演したって事は、あたしの出番はもう終りで。烏月か葛かノゾミが第四章を担当
する訳で、そこで詳述されるって事かい?」
桂「そうゆうことになるね。サクヤさんは3人のうち、誰に解説してもらうのが良い?」
サクヤ「げっ……生意気な鬼切り小娘にあの場面を語られたくはないけど、そうじゃなけ
れば後はあの小悪魔か小鬼って、そりゃ…」
柚明「第四章を担当した方が良かったですか? 第一章はわたしがサクヤさんに幼い告白
するシーンもありますから、余人にさせたくないって要望だと、伺っていましたけど」
サクヤ「うっ……確かにそうではあるけど…。
まあ、そう言う事さね。柚明が幼子から女の子になって行く課程では、あたしが深く関
ってしまっているから。分担させられる以上、全部は担当出来ないしね。仕方ないよ…
…」
桂「柚明お姉ちゃんの幼友達・杏子ちゃんについても、作者メモが来ています」
作者メモ「柚明前章第一章で、町に住んでいた頃の柚明のお友達・杏子ちゃんや、羽様に
移り住んでからの友達・金田和泉は、実は陽子ちゃんをモデルにしています。
幼い頃の柚明もそう活発な子ではないので、引っ張ってくれたり踏み込んでくれる、陽
子ちゃんの様な元気な友達がいたらいいなと」
桂「へぇ、モデルは陽子ちゃんなんだ……。確かに、陽子ちゃんは元気なお友達だけど…
…わたしを『あさっての方向に引っ張っていく』って読者さんからの印象もあった様な」
柚明「そう言う面も含めて、陽子ちゃんは桂ちゃんの良いお友達よ。そして杏子ちゃんも
和泉さんも、羽藤柚明のたいせつな人……」
サクヤ「久遠長文はオリキャラの作り込みに、力を注いでいるみたいだね。幅広く、自然
に、それでいて意外な一面のあるキャラも居て」
桂「お話し毎にどんな新キャラが出てくるか楽しみだよね。前にヒロインだったキャラも、
その後の動静が随所に出るし。脇役だと想っていた人が今回ヒロインですか、みたいな事
もあって、前の登場場面を読み返したりと」
柚明「みんなわたしのたいせつな人……幼くて今以上に未熟で無知だったわたしを支え包
んでくれた、わたしの恩人よ。杏子ちゃんとも第一章のお別れ以降、逢えてないのだけど。
いつか逢えたら嬉しいわね……もう一度」
− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −
4.冒頭からアカイイトに繋る要素を
サクヤ「久遠長文は、アカイイト本編に出るアイテムや人名を、最初から多用しているね。
この辺は本編との繋りを考えてだろうけど」
桂「作者メモが来ています」
作者メモ「アカイイト本編を知る人でも、柚明幼少時(拾年前よりも更に前)への感情移
入が難しいと想ったので。できるだけ本編で出る要素、繋りのある要素をちりばめました。
悪戯好きな『サクヤおばさん』を早めに出して、写真の仕事、ルポライターの仕事、長
期取材(鬼切部による観月の里虐殺の解明=真弓とサクヤ・正樹の出逢いに繋り、白花と
桂の出生にも繋る)と、伏線を仕込みました。
他にも、禍を退けてくれる青珠のお守りや、少女連続傷害犯(鬼)の話題や血の話し
(かく世い伝)、経観塚の笑子の話し等。アカイイト本編を知る人にも、第一章冒頭は知
っている登場人物がサクヤしかいない状態であり。興味を引っ張り続けられるか不安だっ
たので。
青珠は、この時点では柚明の持ち物としています。贄の血の匂いを隠せない幼い柚明の
為に、笑子から柚明の母が貰って、柚明に持たせたと言う設定で。第一章の終盤に柚明が
羽様に移り住む事になって、青珠は笑子の手元に戻り、その後で白花と桂が生れます…」
桂「お姉ちゃんの血の濃さも、幼い頃から心配されていた様だね。経観塚の外に住んでい
たからかな? 大事に育てられていた感じ」
サクヤ「柚明の母親も、正樹程じゃないけど贄の血が薄かったから。柚明の様に濃い血の
子が生れたのは想定外でね。夫に添って経観塚の外に嫁に出た立場としては、今更羽様に
出戻りする訳に行かず、柚明だけ羽様に預ける訳にも行かず、難しい判断だっただろうさ。
血の濃さの事情は多分、第一章の幼い柚明が幼友達から聞き出した『かく世い伝』だよ。
贄の血が歴代でも最も薄かった正樹の反動は、あんたと白花にもっと大きく来た様だけ
ど」
桂「柚明前章・第一章でお姉ちゃんのお母さんが『私が母さん(笑子おばあちゃん)の3
分の2位、正樹が私の半分位。正樹に到っては殆ど普通の人と変らない』と言っていたね。
作者メモによると、贄の血の濃さはわたしと白花お兄ちゃんと、竹林の姫(元々のオハ
シラ様)がほぼ同じ。わたしを10とすると、柚明お姉ちゃんと役行者が7、笑子おばあ
さんは3、お姉ちゃんのお母さんが2で、わたしのお父さんが1って感じ。アカイイト本
編で明示されたのは、わたしのお父さんがわたしの10分の1で笑子おばあさんの3分の
1、だからわたし達はおばあさんの3倍くらい…。
それはほぼ満たす感じだね。作者さんの補充設定では、贄の血が匂って鬼を呼ぶ怖れが
ある濃さの下限は、お姉ちゃんのお母さんくらいで。それ以下であるお父さんは青珠も結
界も修練も不要に、鬼に狙われる心配・悟られる心配はありません。ただし、幾ら修練し
ても贄の血の力を使える様にはならないです。
お姉ちゃんのお母さんは、修練の結果血の匂いは消せたけど。それ以外の殆どの力は使
えなくて。守りの青珠に力を注ぐのも、年に数回、経観塚に行って、笑子おばあさんにや
って貰う必要がありましたと。その辺の背景や事情は、サクヤさんが分って居るんだっけ。
うん拾年前から羽藤の家族だった訳だし…」
柚明「作者メモが来ているわ」
作者メモ「公式では特段否定も肯定もされていませんが、サクヤは柚明の父母とも家族ぐ
るみでつきあっていた事にしました。笑子の世代から正樹の幼少時から、羽藤家と近しく
接してきたなら、この方が自然だと想うので。
だから柚明幼少時は、来訪したサクヤと一緒にお風呂に入るのは、柚明には日常であり。
後年になると赤面する事になるのでしょう」
サクヤ「そりゃ、あたしは笑子さんに救われて以降六拾年余、羽藤と昵懇だからね。あん
たや柚明のおむつ姿だけじゃない、柚明の母親のおむつ姿だって。あんた達の幼いすっぽ
んぽんだって、余さずばっちり見てきたよ」
柚明「幼い時だけでもなかった様ですけど」
桂「ゆっ、柚明お姉ちゃ……!」
サクヤ「そ、それは言っちゃあ……」
柚明「みんな羽藤の家族ですから。一緒にお風呂に入っても、素肌を見つめ合う事があっ
ても、特に不思議でもないと思いますけど」
桂+サクヤ「「そ、そうだけどね……」」
柚明「サクヤさんはわたしの幼い頃から本当に見事なスタイルだったわ。わたしは子供で
全然色香なかったけど、そう言うサクヤさんの素肌を思い浮べると、少し恥ずかしいわね。
叔母さん……桂ちゃんのお母さんとも、お風呂を一緒したけど。美しい素肌だったわ」
桂「わ、わたしもっ、お姉ちゃんと、町のアパートに帰ってから、何度かお風呂一緒して
いるし……素肌重ね合わせた事もっ、もっ」
柚明「桂ちゃんもとても綺麗よ。拾年前より前の桂ちゃんとも、日々お風呂を一緒してい
たけど。この上なく可愛かったけど。大きくなった桂ちゃんも、本当に綺麗で可愛いわ」
桂「拾年前より前のお姉ちゃんも。思い出せたけど、高校生や中学生の、お風呂一緒して
くれたお姉ちゃん、綺麗ですべすべして…」
サクヤ「何に羨んで居るんだか。自分で言い出しながら恥ずかしがるんじゃないよ、桂」
桂「ううっ、だ、だって……拾年前より前のお話ししているサクヤさんとお姉ちゃんって、
仲良すぎて羨ましいんだもん。わたしも居たのに、思い出せたのに、何か観客みたいで」
柚明「疎外感を抱かせちゃったのね。ごめんなさい。のけ者にした積りはなかったんだけ
ど……つい思い出話しに耽ってしまって…」
桂「お、お姉ちゃん。その、わざわざ抱き留めてくれる迄しなくても。その、頬に頬合わ
せてくれるのも、本当に嬉しいんだけど…」
サクヤ「あんたは昔から、本当に白花と桂には甘いねぇ。一々桂がすねる度に、立って歩
み寄って肌身に抱き留めなくたってさ。いい加減桂も幼子じゃないんだから……ってほら。
もう本筋を随分逸れているよ。2人ともさ」
柚明「はい……サクヤさん。今戻ります…」
サクヤ「別に抱き留め終る度に、あたしの左に戻らなくても良いのに。そう言う処でもあ
んたは義理堅いというか生真面目というか」
柚明「義理堅さと生真面目さでは、わたしなどサクヤさんには到底及ばないと思いますけ
ど……桂ちゃん。本題を進めましょうか…」
− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −
5.お話しが動き始めます
桂「は、はい。えっと、とても暖かく柔らかく気持よかったです。じゃなく、本題に戻り
ます。作者メモです」
作者メモ「平穏な日常に、サクヤの来訪や血の話題・少女連続傷害犯の情報で、多少波風
が立ち始めた第1日が終り。柚明と言うより、読者が基本情報と伏線を仕入れた感じで
す」
桂「お姉ちゃんとサクヤさんの日常の親密さもしっかり伝えた感じだね。幾つかの言葉は
もうその侭告白なんじゃないかって思える位。
『うん。サクヤさんが元気で綺麗な侭帰ってきてくれたらいい。わたしにとって、一番綺
麗なのは、サクヤさんだから……』とか。
『ごめんね、杏子ちゃんは2番目です』とか。
『写真もそうだけど、わたしはサクヤおばさんが好きなの。わたしは、サクヤおばさんの
撮った写真だから好きなの』とか」
柚明「幼子は怖い物知らずね。でも柚明の章におけるわたしの愛情表現は、お友達や家族
との親愛の表現でもストレートすぎて、読者の方々を赤面させるって感想があったみたい。
はしたない女の子、と受け取られてなければ良いのだけど。振り返ると気恥ずかしいわ」
サクヤ「恋人じゃない友達にも、一番にも二番にも出来ない者達にも。身を削る程想いを
注ぎ込むから、誤解を招いたりして。それでも誰にでも誠心誠意向き合い続けるあんたは、
本当に年齢も性別も超えて好かれていたよ」
作者メモ「二日目に話しが急展開を見せます。夜更けに帰ったサクヤの居ない朝は、日常
の如く始りますが。柚明はこの日の朝を最後に、幼い日々との訣別を強いられる事になり
ます。
同じ学校の子供が、少女連続傷害犯に襲われたと報され、徐々に身近に禍の影が近づき
ます。長閑な日常の象徴である杏子ちゃんが、近くに居ても会話がないのも作者の意図で
す。杏子ちゃんの存在感が、読み進む内に薄れる事を、鬼の禍・非日常への接近と対比さ
せて。
帰宅後、母の不在に不安が兆す処で、机の上にある書き置きが、一度安心を与えるけど。
『市立病院に行って来ます、遅くなるかも知れないから、おやつを食べて待っていてね』
安心出来たその次に、もうひと波来ます」
桂「お姉ちゃんのお母さんが、交通事故にあったって。お姉ちゃんのお父さんからの電話
だね。でも、お姉ちゃん受話器取るの早い」
サクヤ「この辺は、アカイイトの後日譚のCDドラマ『京洛降魔』で柚明がやった桂の携
帯ワン取りから、着想を得た様だね。携帯電話のワン取りは、柚明の愛の為せる技だけど。
根っこにきちんと根拠や土台がありますと」
柚明「更にこの『何となく気付く、悟れる』感覚が、贄の血の力の副次効果である関知や
感応の力に、結びついて行くの。この時点でその辺まで、久遠長文は考えていたみたい」
作者メモ「柚明の章のオリキャラには、当初想定してなかったけど、後付で名前や設定を
加えた者もいます。第一章で柚明の母を診て、柚明やその父に応対したこの若い男性医師
も、当初は名前もなかったのですが。柚明前章・番外編・第2話『癒しの力の限り』で、
田中さんという名前を付けられ、柚明に向き合う温厚で包容力のある好人物と作られまし
た」
サクヤ「確かに、ね。第一章では医師という立場以上の言動もないし、話しの展開にも深
く踏み込んでこなかったから、あたしも印象薄かったけど。柚明が仁美の深傷を治しに行
った3年後には、良い存在感出していたよ」
柚明「久遠長文はこういう後付にも自然さを求める様ね。それで居て味わい深い人物像を。
他にも第一章に名前だけ登場した、石崎絵里香さんも、後日譚で登場させる考えの様で。
柚明前章・第一章で、お母さんが交通事故に遭う日の朝。学校で先生から伝えられた、鬼
の被害者になった女の子よ。血を吸われて重傷で、精神的ショックも大きかった様だけど、
生命に別状はなかったってお話しだったけど。
それと性別年齢も示されなかった、お母さんを撥ねた車の運転手も。久遠長文も中年男
性だけしか考えてなかった様だけど。後日譚で登場させる積りみたい。過去から未来に繋
る因縁で絆で。そう言う目に視えない繋りが、アカイイトには似合うのかも知れないわ
ね」
桂「ある意味凄いね。柚明前章の4つの話を書きながら、その4倍近い分量になる柚明前
章・番外編の構想を、練っていたのが実感出来たよ。どこからどうお話しが派生するのか
分らない。それが人の世の絡みなのかも…」
サクヤ「少し先の話になるけど、柚明前章・番外編・第3話で神原美咋の名前だけ出して
おいて、暫く登場させる機会を逃し。実際に登場させたのは第11話に至ってとか。用意
周到なんだか行き当たりばったりなんだか」
桂「柚明前章・番外編・第2話で不二夏美さんの話題を出しておいて、それが伏線として
効果を現すのも第12話だものね。作者さんは他に、前日譚の伏線が後日譚に響いてくる
展開も想定している様だし。慌てて過去作を読み返す、なんて事はまだまだ出てきそうだ
ね。その辺りも作者さんの思惑なのかな?」
柚明「一粒で何度でも美味しい。そういう風に巧く作り込めるかどうかは、腕次第だけど。
成否の判定は読者さんにお任せしましょう」
桂「そしてお父さんと一緒に病院に行った柚明お姉ちゃんは、お医者さんの言葉からお母
さんが、妹をお腹に宿している事を知ります。お姉ちゃんのお父さんの語りと回想で、そ
の3年前にお姉ちゃんのお母さんが一度流産していたことも、お腹に宿した弟が遂に生れ
なかった経緯も、読者さんは知らされます…」
サクヤ「柚明が桂や白花を、弟や妹を愛する背景を描いて。これがなくても柚明は優しい
子だから、きっと白花と桂を愛しただろうけど。柚明の贖罪意識の源にもなる描写だね」
柚明「電話をもっと速やかに掛けていれば弟は助かったかも知れない。その想いも描いて。
素早く電話を取れる、電話が掛ってくるのが分る様になる、背景として用意されていると。
明示されていなくても、読んで悟れる様に」
桂「お父さんとお母さんの哀しみと優しさと、心の強さが際だっているよ。こういう処の
作者さんの描写は、痛々しいけど美しいね…」
サクヤ「何気ない所作や言葉に、過去や未来を絡め重ねて語る。柚明の優しさや心の強さ
が、両親から受け継ぎ学んだ物なのだと、示す為の演出かねえ。そして柚明の母親はお腹
の妹共々無事で、麻酔で昏々と眠ってますと。
この辺は、久遠長文の話し運びが意地悪い位に巧いね。1つ心配させて、1つ安心させ。
でもその安心の背後で、もっと大きな懸念が徐々に迫ってくる。それも偶然の重なりを余
り好まずに、むしろ人の意図や必然でそうなる様に導くと。あの夜鬼が柚明や柚明の母の
近くに現れたのは、決して唯の偶然じゃない。柚明の母の交通事故は不幸な偶然だけど
…」
柚明「ええ。鬼の活動範囲の中で、お母さんは傷を負って贄の血を撒き、手術でも血を流
した。血の匂いはお母さんの操る力でごまかせるけど、外に流れ出た血は乾く迄匂います。
鬼が病院周辺に現れたのは必然でした。それでも尚わたしが青珠を握っていたなら、血の
匂いを悟られずに済んだかも知れないけど」
サクヤ「柚明の父は、いい男だったよ。正樹の次位にいい男だった。優しいだけじゃなく、
困難にあった時や、愛しい人が傷ついた時に、最善の対処は何なのかを分っていた。幼い
柚明にもそれを示して伝えられる賢い男だった。柚明の父の台詞を幾つか作者メモで示す
よ」
作者メモ「次の時に、頑張ってもらおう。
おなかの中の子が戻ってくる事はないけど、おなかの中の子も柚明と同じでこの世にた
だ一人きりの、かけがえのない宝物で、もう一度生むなんて事は出来ないけど。お母さん
が元気なら、まだ弟や妹を生む事はできるんだ。
誰かを誰かの代りになんて出来ないけれど、今のおなかの子の代りはいないけれど、生
きている限り努力する事は出来るんだ」
「母さんと、弟の為に、泣いてあげると良い。自分の為じゃなく、自分が痛かったり悔し
かったり哀しかったりするからではなくて、自分以外の誰かの痛みや哀しみの為に、泣い
てあげられる人に、柚明にはなって貰いたい」
「本当に哀しいのは誰か、本当に切ないのは誰か、それを察して、何とかできる事は何と
かして、どうにも出来ない事は共に悲しんであげられる。そう言う人に、そう言う人に」
桂「優しくて強い人だね。お姉ちゃんの優しさ強さは、そのお父さんお母さんから受け継
いだんだって分るよね。そしてその優しさ強さは、きっとおじいさんおばあさんから…」
柚明「久遠長文は柚明の章を描く際に、縦軸の繋りをとても重視して居るみたい。言葉や
仕草や考え方・人間関係は、今この瞬間に始った物ではなく、昔からの引き続きで。幼い
頃の経験や父母の口癖・考え方から来るって。だから柚明の章の展開で、偶然が占める割
合は少なく、必然や意図した選択が多くなるの。
その場の思いつきの様に見えても、実はその人の幼少時や生い立ち・先達から受け継い
だ考えや想いがそうさせたのなら。その時に偶々なんて事は、余り多くはないでしょうと。
わたしが桂ちゃんを白花ちゃんを守る為にオハシラ様を引き受けたのも。一度限りの奇
跡等ではなく、何度その時その場に巡り来ても必ずわたしはそうしていた、必然だったと。
その必然を描く為の積み上げが柚明の章…」
サクヤ「ここから既に始っているって訳だね。柚明の章は正に、それを描くお話しだか
ら」
作者メモ「幼い柚明と父のやり取りです。
『お父さん、お父さんはどうして泣いているの。お父さんは誰の為に涙を流してるの?』
『お前の為だよ、柚明。生れる事が出来なかった弟と、生む事が出来なかった母さんと、
弟を心待ちにしていたお前の哀しみに。父さんは何もして上げられなかった事が残念で』
そして幼い柚明は、涙する母に取り縋り、
『お母さん、泣かないで。泣かないで』
『わたしは良い子にするから。わがまま言って困らせないから。言いつけをちゃんと聞く
良い子になるから。だから、泣かないで!』
わたしがお母さんを泣かせた訳ではない事は分っている。わたしが何かをする事でお母
さんの哀しみを拭い去れはしない事も分っていた。でもわたしは何かをしたかった。しな
ければならなかった。わたしはお母さんに泣いて欲しくなかった。笑っていて欲しかった。
何か、何か、何か」
桂「その優しさが哀しい結末に繋るなんて」
− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −
6.鬼が招かれます
サクヤ「……作者メモが来ているよ。柚明の父の台詞で。でもこれは、桂も多少聞き覚え
があるんじゃないのかい?」
作者メモ「『泣かせてあげなさい』
『母さんは、生れる事の出来なかった子供の為に、泣いているんだ。柚明の弟の為に、泣
いているんだ。弟に会えなかったお前の為にも。お前が母さんや弟を思って流した涙と同
じなんだ。流さないといけない涙なんだ』
『しっかりと悲しんで、しっかりと心に刻んで、思い切り泣いて、そして明日に向き合い
微笑むんだ。いつでも誰かの為に泣く事のできる、美しい心を持った侭で』」
桂「それっ、柚明本章・第3章の終り付近で、ミカゲちゃんを本当に滅ぼし終えた後で。
敵だけど、妹で千年の相棒を喪って、わたし達を前に哀しむ事も憚っていたノゾミちゃん
に。柚明お姉ちゃんが掛けた言葉にそっくり…」
作者メモ「ミカゲの為に泣いてあげなさい」
「ミカゲの為に泣いてあげられるのはあなただけ。千年共に過したあなただけが、ミカゲ
を想い涙を流せる。あなたしか想い出せない、失われたあなたのたいせつな人の為の涙
を」
「あなたの為には、わたし達が泣いてあげられるから。桂ちゃんもわたしも、あなたの哀
しみの為に涙を流せるから。あなたは間違いなく、わたし達のたいせつな人だから」
「しっかり悲しんで、しっかりと心に刻んで、思い切り泣いて、そして明日に向き合い微
笑むの。いつでもたいせつな誰かの為に清い涙を流す事のできる、美しい心を持った侭
で」
桂「繋っている……繋っているよっ。これだけ長いお話しで、作中の時間も拾数年を隔て
ているのに、柚明お姉ちゃんは覚えた言葉を想いを受け継いで、しっかり活かしている…。
同じ言葉の連なりを場面を変えて、何度も使ったりしているのも、知っていたけど。こ
ういう感触を呼び招く為の作戦だったんだ」
柚明「わたし独りの力で守れた訳でも勝ち残れた訳でもないって言葉に、実感が宿るでし
ょう? わたしは特別強くもないし賢くもないけど、強く賢く優しい先達に多くを学んで、
たいせつな人の助けの一端を担う事が出来た。
でも、優しい家族やお友達に囲まれて元々おっとりと育ったわたしが、戦い守る術を学
ぼうと心を決めるには。どうしても一度は地獄の底を見なければならない。それこそ心を
壊される程の、救いのない程の絶望が要る…。
作者メモが来ているわ。『わたしはお母さんの手を握り締め、そこでわたしに出来るだ
けの事をした……きっと青珠なら、お母さんとおなかの赤ちゃんを一緒に守ってくれる』
意識のないお母さんに、人知れず青珠を握らせたの。前の夜に、サクヤさんと両親の会
話に聞き耳立てていたわたしは、青珠の守りをそれ迄よりも強く信じ頼む様になっていて。
だからお母さんとお腹の妹を守って欲しくて。己の守りの喪失を失念し運命の夜を迎え
る」
桂「せめてその時にお母さんに意識があれば、その手に握らせる時にお父さんに気付かれ
ていれば。その後の運命は、変っていたかも」
サクヤ「作者メモだよ。アカイイト本編なら、ここで選択肢が出る処かもってさ。@柚明
が母の手に青珠を握らせる、A握らせない、と。でも選択肢を示したって、結局柚明は心
優しい子だ。母親の為に青珠を握らせてしまう動きは、変えられなかったとあたしは想う
ね」
桂「ううっ、お姉ちゃんは悪くないのに…」
サクヤ「父か母が気付けば柚明の人生は違っていたけど……そうならなかったのが結論さ。
柚明は丁度その前夜に青珠の効能を、あたし達の話しを耳にしていた。だから母の為に積
極的に青珠を提供したのだろうけど、父も母もあたしも聞かれていたなんて知りもしない。
この時の柚明の発想を予め察して、防ごうと迄は考えつけないよ。それこそ柚明の持つ
関知や感応の力でもない限り。これは柚明の天命、或いは柚明の両親の天命なのかね…」
柚明「病院裏口から人気のない駐車場を歩き始めたお父さんは、わたしがお母さんに青珠
を握らせたと分って、引き返そうとするけど、時既に遅く。鬼はすぐそこ迄迫って来てい
て。
お父さんは、必死に戦い守ってくれたけど。鬼切部でもなく、武道家でも剣士でもない
常の人に、出来る事は限られていて。幼子のわたしは、それを見ている事しかできなくて
…。
お父さんとお母さんの仇の鬼は、鬼の中では決して強い方でもなかったけど。それでも
生身の武器も持たない人には強大すぎたの」
作者メモ「柚明の父の台詞です。遺言に近い感じになりますが。
『お前(柚明)に生きて微笑んで貰う事が父さんの幸せなんだ。それを守る為なら、大切
なお前の笑みを守る為なら、父さんは何でもできる、何でもやれる。鬼の一匹や二匹、怖
くはない。腕の一本や二本、痛くもない!』
『母さんとお前の幸せがあれば、父さんはそれで良い。それだけが残れば、それだけ…』
『この生命ある限りお前はここで止める』」
柚明「……っ!」桂「柚明お姉ちゃん……」
サクヤ「やはり辛いんだね? 仕方ないさ」
柚明「……大丈夫です。少し、思い返してしまって。でも、サクヤさんに手を握って貰え
たし、桂ちゃんにも気遣って貰えたから…」
サクヤ「過去作を読み返せば、誰よりも辛い想いを経てきたのは、主人公たる柚明だから。
泣く事さえ己自身に許さず、気丈に大人を目指して生き続けてきた事は、分っているから。
でも、あたしは嬉しかった。あんたがその甚大な哀しみから立ち上がって、面を上げて、
人生を歩み出してくれた事が。白花と桂には、それだけで幾ら感謝してもしきれないさ
ね」
桂「作者メモが、来ているけど……」
柚明「大丈夫、わたしもしっかり見つめて向き合うわ。お父さんの最後を、読み上げて」
桂「はい……では、読み上げます。
『漸く俺も、役に立てる、時が、来たか…』
『誰かの為に、役に立てる人生を、柚明も』
『だから今は逃げるんだ。逃げて、逃げて生き延びて、幸せに。柚明、ゆめい、ゆ…』」
サクヤ「あんたの父親は、あんたの母親やあんたに役に立てない事を終生悔しがっていた。
何の血も特殊能力もない。強く愛し心支え合っても、その本当の孤独や苦悩を感じる事は
出来ても。共有する事は出来ない。助け合う事は叶わない。せめて真弓の様に、種類は違
っていても、特別な定めを持っていたなら」
桂「第一章の前半で『何の役にも立てない』って自嘲気味に語っていたね。充分すぎる程
心添わせていたけど、それでも足りない及ばないって。お姉ちゃんのお母さんを、心から
愛していればこそ。お母さんと間近に接して、深く理解すればこそ。超えられない壁があ
る。それを分って。どんなに努力しても及べない物があると分って。それでも心添わせ続
けて。本当に優しく賢く繊細な人だったんだね…」
サクヤ「生命がけで、死を賭して娘を救って、漸く『役に立てた』って。生真面目にも程
があるよ。柚明が、その生真面目や義理堅さをその侭引き継いじまったじゃあないかい
…」
柚明「そんなお父さんだから、お母さんが惚れて惚れられて、結ばれたのね……哀しい終
りだったけど、長く幸せを謳歌出来なかったけど、わたしの所為で終らせてしまったけど。
お父さんとお母さんの結婚は、正解だったと、わたしは思いたい。2人は幸せだったと
…」
作者メモ「目の前で鬼に父を殺められ、柚明は生命の危機に晒されます。その柚明を守り
救う為に、柚明の母が病床から起き出して現れ。柚明はこの夜、二親を同時に喪います」
サクヤ「柚明……」桂「お姉ちゃん……」
柚明「大丈夫です、読み進めましょう。これはわたしのお父さんとお母さんが、わたしを
深く愛してくれた証で、その最後の想いなの。全て確かにしっかり見つめて受け止めない
と。
お父さんに続いて、お母さんを喪う瞬間を。これこそ深く想う故の過ち。わたしの無知
と無力が招いた、羽藤柚明の今に続く業の始り。
桂ちゃんが過去に向き合う様に、わたしも過去に向き合わねばならないの。一緒に向き
合ってくれる人が居てくれる事は、この上ないわたしの幸せよ。桂ちゃん、サクヤさん」
− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −
7.母を喪います
作者メモ「お母さんは重い怪我人だ。今日車に轢かれたばかりで、大量に血を失って疲れ
切っている。腕力でお父さんに劣るのは勿論、今も本当は麻酔で頭も足元もふらふらの筈
だ。闘える状態でないし、元々お母さんは鬼との闘いを想定して血の力を修練した訳では
ない。
血の匂いを抑えるのは鬼から身を隠す為だ。鬼を倒したり退けたりする力の使い方と違
う筈だ。その上お母さんの血は薄い方で、その故に力も強くないと、サクヤさんも言っ
て」
サクヤ「麻酔で意識がなかったのに、柚明と父の危難を察して、起きてそこ迄やってこれ
た事で、一種奇跡に近い話しさ。虫の報せか、贄の血の関知や感応か。戦いに使える力な
どないと、殆どダメだと分って駆けつけて…」
柚明「お母さんは最初から、わたしを生命で救う積りだったのね。夜間窓口の受付の人に、
連続少女傷害犯が病院前で娘を襲っていると告げ、警察呼んで貰って。その辺も力では勝
てない、時間稼ぎしかできないと視えたから。
ここは幼いわたしの無思慮・無知と、お母さんの思慮・智恵を対比させて。事実、その
お陰で辛うじて、わたしは生命救われた……救われたのは、わたし独りだったけど……」
作者メモ「柚明の母の台詞です。こちらも遺言に近いですが。
『あなたを逃がしてからよ、柚明』
『お父さんが生命かけて守り抜いたあなたの生命を、私がここで護れなくてどうするの』
『あなたが生きてくれないと、お父さんの想いも生命も、浮ばれないのよ。あなたは、生
きてくれないとダメなの……私の為にも』」
桂「普通の人が鬼に立ち向かうって、ここ迄凄惨なんだ……烏月さんやサクヤさんの戦い
では、鬼の強さや残虐さが防がれているから実感薄いけど。お姉ちゃんが鬼と戦う術を習
う時の気持って、すごい勇気だったんだね」
柚明「羽藤の者は、贄の血の力を扱えれば血の匂いを隠せるけど。戦える程に力を操れる
者は歴代でも少ないの。元々千羽の様な戦いに通じた家ではないから。笑子おばあさん位
の血の濃さがあれば、千羽や若杉なら術者にもなれるけど。羽藤にはそもそも『力』を戦
いに使う発想がなくて。精々心や体を癒す位。
わたしも叔母さんやサクヤさんに戦い守る術を学んでなければ、唯贄の血の濃いだけの
『守られる側の女の子』だったでしょうね」
サクヤ「無理に無理して、柚明の母は巧く鬼の目を灼く事に成功した。時間稼ぎにはなる。
柚明に青珠も渡して匂いもごまかし。でも」
柚明「わたしの息遣いや心臓の鼓動を知って、お母さんは自らが鬼に近づく事で、聴覚か
らわたしを隠そうと試みたの。勿論それは死に歩み出す事よ。でも他に方法はなかったの
ね。時間稼ぎにも生命を注がねばならないのだと。そして鬼はお母さんの接近を悟ってし
まう」
サクヤ「桂、あんたも柚明の母に間接的に命救われているんだよ。唯柚明を守ったってだ
けじゃない。その守り方で。柚明の母が柚明をあの方法で守らなければ、柚明もあんたを
守り通す事は、叶わなかったかも知れない」
桂「柚明本章・第四章の最後の戦いで、白花お兄ちゃんに宿った主の分霊を、還した時の。
わたしを守りつつ白花お兄ちゃんを取り返し。
本当に、繋っているんだね。柚明の章は」
柚明「お母さんは鬼の手を防がなかった。自身を守ろうとはしなかった。鬼の手を突き刺
させて、両手は鬼の顔を挟み込み。己を差し出す事で相手を逃がさず掴まえて、必殺の一
撃を注ぐ。技の名前なんてないけど、これがわたしがお母さんから教わった最後の手段」
サクヤ「作者メモだよ。柚明の母の遺言だね。
『父さんと母さんの子供として、生きて頂戴。あなたの幸せが父さんと母さんの願いだか
ら、あなたが笑ってくれる事が私達の願いだから。あなたには、これからが、あるのだか
ら』」
作者メモ「幼い柚明の心の叫びです。
『止めて。もう止めて! わたしは良いから。
わたしは、無理に生き延びなくて良いから。
これ以上お母さん苦しむ姿を見たくない』
そう願っても、願っても届かなくて……。
『そうしたら、鬼はお母さんの血を呑むのか。そうしたら鬼は一層力を増して、顔も頭も
すぐ治るのか。そうしたら鬼はわたしの生命も奪うのか。お母さんとお父さんの必至の抵
抗がなかった様に、何も残さず食い尽くすのか。
追いつめられて、わたしは激した。お母さんの右隣で鬼に間近に対し、漸くわたしは鬼
への怒りを形に出来た。憎しみが喉から迸る。目を瞑っていられない。瞑ってやり過ごし
たくない。我知らずわたしは叫び動いていた』
『あっちへ行って!』と……」
桂「お姉ちゃんは無意識に青珠に力を注いで、鬼に投げていました。その輝きが鬼の顔に
痛みを与え僅かに怯ませ。警官隊の到着を間に合わせ、お姉ちゃんの生命を繋いだので
す」
サクヤ「不幸中の幸いだね。父や母の生命がけの時間稼ぎと、母の用意周到が後一歩の処
へ導き。最後は潜在的な血の力が己を救い」
桂「鬼の強さが本当に人外だね。警官隊が次々に発砲して銃弾を当てても、衝撃にびくん
びくん震えても、膝を突かず倒れず。『力』を注いだ一撃じゃないと、物理的攻撃じゃ鬼
は本当に倒しにくいんだ。この時は数が数だけに、流石の鬼も逃げ去る事になったけど」
サクヤ「鬼切部でもなければ、倒すのが至難だって実感出来るだろう。後日譚6話の様に、
剣道を習った程度で鬼から身を守れたり、誰かを守れると己を過信しては、大変な事にな
っていたよ。あんたは元々柚明本章でもさかき旅館の夜に、ノゾミに突っ込んでいったり、
アカイイト本編の烏月ルートでも白花を庇って烏月の刃を受けたりと、無鉄砲の塊だから。
まぁ、それは羽藤の血筋かも知れないけど」
柚明「柚明本章・第4章でわたしと白花ちゃんを庇って、烏月さんの刃を受けたサクヤさ
んの、台詞でもないと思いますけど……でも、生命がけで庇ってくれた気持は、嬉しかっ
た。
わたしがその生命を繋いで役に立てた事も。胸が張り裂けそうな程に心配したけど、怒
りと哀しみに我を失いそうだったけど。今はこうして元気にお話しできるようになって
…」
サクヤ「柚明がこうして左肩に頬を寄せたり、肌身添わす事を好む様になったのは。手が
届かずに父母を喪った所為かもね。直に触れていれば無事を確かめられる、即座に庇え
る」
桂「作者メモが来ています。鬼の捨て台詞が。『必ズ、ソノ血ヲ絶ヤシテヤル。呑ミ干シ
テ、一滴残サズ呑ミ干シテヤル。良ク憶エテ置ケ、俺ハソノ甘イ血ヲ、決シテ諦メナイ』
と…」
柚明「鬼は警官隊の追跡を振り切って、行方不明になって。どこに潜むか分らない脅威を
前に、サクヤさんはわたしを経観塚に連れて匿う事を考える。この鬼は第一章ではもう登
場せず、柚明前章・第二章に再び現れるの」
サクヤ「作者メモを読み上げるよ。
『でも、病院の灯りの下に導かれても、わたしの夜は終らない。いや、わたしは夜が終り
新しい朝が始る事こそ怖れていた。失った物が帰らずに、新しく始めなければならない朝
こそ、わたしには今最大の悪夢だったから』
この辺の心中は察するに余りあるね。時が進む事、進む時に連れて進み出す事が、父や
母の喪失を認める事・受け容れる事になる」
桂「分る気がするよ。暗闇の繭に籠もったり、拾年前の記憶を自らで一度鎖したわたしに
は。受け容れられなくて、自分の時計を止めていたんだね。お姉ちゃんもわたしと同じ様
な哀しみを辿って、そして乗り越えていたんだ」
柚明「桂ちゃんも、それを乗り越えてきたの。サクヤさんも、烏月さんも葛ちゃんもノゾ
ミちゃんも、それぞれに辛い過去を乗り越えてきた、賢く強く優しい人。心を繋げば互い
に確かに支え合える。わたしもみんなに助けられてきた。特に桂ちゃんには心救われた
わ」
桂「わたしでも役に立てる? わたしでもお姉ちゃんを支える役に、立つ事が出来る?」
柚明「ええ。桂ちゃんはわたしだけじゃなく、サクヤさんや、烏月さんやノゾミちゃんや
葛ちゃんや、もっと多くの人達の心の支えよ」
サクヤ「しっかり両手を握り合って胸の前に持ち上げて、気が済んだら……次に進むよ」
− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −
8.サクヤとの再会と運命の選択です
桂「激しい動きのある場面は、お姉ちゃんがお父さんとお母さんを喪うこの場面だけだね。
この後には、戦闘シーンはない模様です…」
サクヤ「第一章は柚明が幼すぎて戦いに参加できないから。鬼も第一章の内はもう出て来
ないし。元々柚明の章は戦闘シーンの回数が少ないんだよ。アカイイトのSSなのにね」
柚明「鬼は必ず敵という訳でもありませんし。登場すれば即、戦いが始る訳ではありませ
ん。中には常の人よりも、美しく愛らしく優しい鬼も居ます。桂ちゃんもそうは思わな
い?」
桂「ノゾミちゃん……って言うより、サクヤさんのことだね。柚明の章の作者さんはアカ
イイトのSSなのに、中々鬼を出さない上に、鬼と言っても必ず敵と限らないって言うか
ら。余計戦闘シーンが少ない傾向があるようです。
伝奇小説やマンガの様に、ぽこぽこ神様や鬼が出てきて戦っていたら、世の中大混乱し
ちゃうから。この位が現実的な線なのかも……ってサクヤさん、何気にほっぺ赤いよ?」
サクヤ「っ、先に進むよ。幼い柚明は鬼の脅威は免れたけど、両親の死も確認出来ない侭、
病院で安静を強いられるんだ。早く進めて幼子を羽様に連れて行ってやろうじゃないか」
柚明「はい。お父さんお母さんを喪った幼いわたしは、病室にいました。大きな怪我はな
かったけど、心に痛手を受けていて。お巡りさんや看護師さんとお話しするけど。鬼とい
う物を知らず見た事のない人達に、幼いわたしの話しは通じず伝わらず。お話しを聞いて
くれる人は誰もいない。孤独に心が冷えて固まって、心鎖しかけたわたしを訪れてくれた
のが、サクヤさんと恵美おばあさんでした」
サクヤ「病院も警察も、犯罪被害者である柚明の安全の為に、部外者に病室を報せないと。
あたしは柚明の血縁じゃない。フリーのルポライターで信用もないから通して貰えなくて。
丹念に匂いを辿り、経験を生かして病室を特定し、久夫さんと恵美さんに出動を願って」
桂「作者メモです。アカイイト本編ならここで選択肢が出る処でしょうと。@サクヤに縋
り付くA恵美に縋り付く。お姉ちゃんの人生を決定づける、選択肢だったでしょうと…」
サクヤ「作中の描写も、そんな感じだったね。柚明が恵美さんじゃなくあたしを選んで縋
り付いたのは、やはり運命だったのかね。あたしと言うより、あたしに繋がる笑子さん、
経観塚、羽様、ご神木、オハシラ様に、柚明はこの時既に導かれていたのかも知れない
ね」
柚明「この時のわたしは、心の内の全てをはき出せる人を求めていたの。怖かった想いや
哀しかった想い。情けないけど、声と涙にしてはき出したくて、受け止めて欲しくて……。
鬼の話しは、恵美おばあさんも久夫おじいさんも、お母さんから聞いて信じてくれてい
たけど。でも本当に鬼を知っているのはサクヤさんや笑子おばあさん達、羽様の人だから。
この選択が、わたしに羽様を選ばせて、桂ちゃん白花ちゃんとの出逢いを導いてくれた。
その意味でもサクヤさんに有り難う、なの」
桂「でもその為にお姉ちゃんは、オハシラ様を継ぐ選択に、繋がる途を歩き始めて……」
柚明「桂ちゃん、決してそれは不幸ではないのよ。桂ちゃんと白花ちゃんを守る為に己を
尽くせた事は、わたしの幸せ。少し辛い事や哀しい事があっても、己の身を削っても砕か
れても、たいせつな人の幸せを守る礎になれるなら。白花ちゃんや桂ちゃんの危難の時に
居合わせる事が叶わず、守る事も叶わず終るより遙かに良いわ。願いを届かせられたから。
幼いわたしの選択は……正解だったわ…」
サクヤ「あんたでなきゃ、その納得や満足はとても出て来ないよ。あんたは不正解でさえ、
傷みや苦しみでさえ、幸せとして正解に感じて受容出来る。その強さには誰も及ばない」
桂「お姉ちゃんは、町外れのお父さんの実家、久夫おじいさんの家に行きます。久夫おじ
いさん、恵美おばあさん。浩一伯父さんや佳美伯母さん。仁美さんに可南子ちゃんもいる
筈だけど、この場には登場してこないですと」
サクヤ「久夫さんも恵美さんも、浩一さんも佳美さんも、いい人達だったよ。柚明の傷心
を分って、それをしっかり受け止め。望んで柚明を引き取って育てて良いと言ってくれた。
この辺は作者メモの登場かね」
作者メモ「柚明が遠方の経観塚に引き取られるに当たって、わたしは父方の親族を悪者に
したくありませんでした。柚明の母が選んだ柚明の父の育った環境が、悪意な人であって
欲しくないというか、悪い人である筈がない。
柚明は父方の親族に忌避され、放り出されるのではない。父方の親族も愛情深く柚明を
引き取る意志はあったけど。柚明の血の事情から、経観塚に引き取られる事が最善であり。
そう納得し理解して、柚明を深く想う故に手放す事を承諾する。そう言う展開にしたいと。
この辺は、この後の柚明の友人関係などの書き方にも繋っていきますが。柚明が家族や
友に迎え大事に想う人が、愚か者や悪意な者であって欲しくない。柚明はそう言う人物を
家族や友に持つ様な、愚か者ではない筈だと。そして柚明を好いて関ってくれる人、柚明
の値を分って絆を望む人も又、愚者ではないと。
類は友を呼ぶという言葉があります。主人公の周囲が、常に主人公を理解せず阻害し忌
避し虐げる人達で。現実逃避の如く魔法使いや神様などのごく少数にのみ値を認められる。
でもそれは多分に、お互い様という側面があり。立場が逆転した後は己を虐待した者達
を虐げ返す展開が良くあって。そう言う思考発想を学んでくれば、似た物になってしまう。
そんな構図は柚明に好ましくなく思えたので。
柚明は多くの人に、その誠実で親身な人柄を受容され愛されて行く。愛されたからこそ、
愛する喜びを知る。そして桂と白花以外の人達を愛する事を好み、人に自身を尽くす中で、
強さ賢さ優しさに磨きを掛けて、白花と桂を守れる資質を備えて行く、と。
白花と桂のみ愛する人物像は、アカイイト本編のユメイにも、そぐわないと思えたので。
それに周囲との軋轢は、周囲が悪人である場合にのみ生じる訳ではない。周囲の人達が
善意だからこそ、分って貰えない、通じない苦味が一層増すという事もあると思います」
桂「この後のお姉ちゃんの周囲の人を見ても、そうだよねぇ。いい人なのに分って貰えな
い、全てを明かせない。その苦味や酸味が……」
柚明「そうね。でも、それは所詮わたしの印象に過ぎないから。真実を伝えられない事で
本当に申し訳ないのは、伝えられなかった相手に対してであって。被害者の顔を出来る立
場ではないと思っているのよ、わたしは…」
サクヤ「父親の教えだろうね。言ってただろ。
『自分の為じゃなく、自分が痛かったり悔しかったり哀しかったりするからではなく、自
分以外の誰かの痛みや哀しみの為に、泣いてあげられる人に、柚明にはなって貰いたい』
『本当に哀しいのは誰か、本当に切ないのは誰か、それを察して、何とかできる事は何と
かして、どうにも出来ない事は共に悲しんであげられる。そう言う人に、そう言う人に』
柚明にはその発想が根を下ろしているんだ。
大した努力もせず、世の中が理解してくれないとほざいて、人を恨んで暴走する奴が主
人公を張る話しも、あたしは知っているけど。
そう言う世の中全体を、己の独善の暴走する侭に『救済』し作り替えようとする奴が主
人公を張る話しも、あたしは知っているけど。
あたしは柚明の章の柚明が好きだね。本当に主人公を張って、最後に幸せになって欲し
いと思えるよ。桂がアカイイトの主人公であって、あたしの一番な事は、承知の上でね」
− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −
9.出立を前に
桂「作者メモです。柚明の章の柚明お姉ちゃんが、生命を注ぎ身を削っても人を庇い守り
たく願う様になる。その根にある罪悪感と言うべき想いを、お姉ちゃんが抱き始めます」
作者メモ「わたしを守ろうとして、助けようとして。わたしの為にお母さんも、まだ見ぬ
妹迄も。わたしは罪深い子だ。わたしは生命を幾つも食い潰し、1人だけ生き延びている。
わたしに生きていく値打ちがあるのだろうか。お母さんお父さんと妹の生命も犠牲にし
て」
柚明「この想いはこの後もずっと、今に至る迄引きずり続けるわたしの想いです。その想
いを抱くからこそ、わたしは唯己の為に生きる事を自身に許せず。人の力になる事を望み
願う様になると、久遠長文は考えていたの」
サクヤ「そこであたしが言葉を挟んだんだね。
『柚明の父さんも母さんも、柚明に生きて貰う事が望みだったんだ。生きて、幸せになる
事が、一番の恩返しで供養なんだよ』ってね。
『精一杯幸せに生きて、応えてあげるんだ』
『あんたにできる事は今はそれしかない』」
柚明「わたしはサクヤさんに、みんなに励まされ力づけられて、漸く生きようと思います。
『わたしも、誰かの、役に立てる人に……』
『誰かに尽くせる人に。誰かを愛せる人に』
『わたしもなろう。いつか必ず。お父さんやお母さんの様に、身を投げ出しても尽くしき
れる人に、いつか必ずわたしもなろう』と」
桂「お姉ちゃん……」
作者メモ「幼い柚明の想いです。
『それがわたしの生き方を決定づけたのかも知れない。お母さんとお父さんの、無条件の、
無限大の愛を受けて、その眩しさに、わたしもその様にありたいと、いや、そうでなけれ
ば収支が合わないと、強く強く胸に刻みつけ。貰うだけではわたしの生きて行く理由がな
い。
わたしは生きていきます。
わたしは幸せになります。
わたしは誰かの為に尽くせる人になります。
決別の涙。感謝の涙。決意の涙。そして、ちょっとだけわたし自身の為の涙。寂しさは
拭えないけど、この手にはお父さんとお母さんのぬくもりは残っている。この心にはお父
さんとお母さんの魂が残っている。それを宿し続ける限り、わたしも生きていく値がある。
そう信じる事で、わたしは漸く朝を迎える事を自分に認めた。お父さんお母さんを失っ
た夜に続いて来たる、2人のいない朝を』」
サクヤ「ここからはあたしと柚明の2人きり、ラブラブ新婚旅行さね。桂にどれ程うらや
ましがられるか、今から心配な位だよ」
柚明「そうですね。今でも昨日の様に思い起こせます。物を知らない子供の求めに、サク
ヤさんは真剣に真正面から応えてくれて…」
桂「作者メモです。幼い柚明はサクヤに連れられて、翌日経観塚に出立します。何泊かす
る為ではなく、移り住む為に。家は残っているけど、父も母も喪った柚明に、町の家に留
まる選択はなく。幼い日々への訣別ですと…。
家族のいない家に、荷物を取りに戻った時の寂しさが切ないね。つい数日前まで幸せに
暮らしていた家だったのに。わたしは過去を忘れた侭で、羽様のお屋敷より町のアパート
暮らしの方が長くなってから、お母さんとの2人暮らしが日常になってから、訪れたけど。
お姉ちゃんには、つい数日前までの人生の全部が詰まっていて、記憶が生々しいものね」
サクヤ「そこここで、父や母と交わした会話や仕草が幻視の様に思い返される。美しく麗
しいけど、寂しく哀しく切ない光景だね…」
柚明「サクヤさんには感謝しています。幼いわたしはこの時、何をして良いか、どこに進
むべきか、全然考えられなかったから。わたしは羽様に移り住んだ後は、二度とこの家に
戻れなかった。だからこの時訪れてなければ、わたしはお父さんお母さんの想い出に浸る
事も出来なかったわ。……だから、有り難う」
作者メモ「幼い柚明の言葉と感触です。
『うん。サクヤおばさんを、信じる』
そう言うわたしの頭にサクヤさんのしなやかな左腕が降りてくる。くしゃっと髪の毛を
掻き回す様に強く撫でられるのが気持良い」
桂「お母さんを亡くした直後、わたしがサクヤさんを頼った感じに似ているね。わたしも
何をどうして良いか分らなくて、お葬式やその他の諸々も、サクヤさんに任せっきりで」
サクヤ「あんたは高校2年生だっただろうに。まあ、幾つになっても父母を喪う心の痛み
や喪失感に、違いはないかね。特にあんたは母親べったりだったし、父もいなかった上に
親族も居ない、天涯孤独の状態だったから…」
柚明「ごめんなさいね。桂ちゃんの一番寂しく辛い時に、いいえ、拾年ずっと傍に添って
あげられなくて。お父さんや白花ちゃんを喪って、記憶も鎖さなければならなかった桂ち
ゃんに、わたし、何もしてあげられなくて」
桂「ち、違うよ。お姉ちゃんは、わたしが綻ばせたご神木の封じを継いで、動けなかった
のに。悪いのはわたしなのに。お姉ちゃんがわたしに寄り添えない事を謝るなんて。それ
はわたしが謝らなければダメなことなのに」
柚明「……これからは、時と事情の許す限り、今迄の欠乏を埋め合わせるわ。この拾年間
に応えられなかった、叶えてあげる事の出来なかった求めに。この身の全てを、捧げて
も」
サクヤ「はぁ。あたしと幼い柚明の甘々な過去回想で、桂を羨ましがらせて愉しみたかっ
たのに。実際はあたしが桂と今の柚明の甘々な抱擁に、溜息つかされる羽目になるとは」
柚明「済みません。ご期待に添いきれず…」
サクヤ「そう言う処に、合いの手を入れて謝らなくても良いんだよ。あんたは本当に…」
桂「……サクヤさん? 柚明お姉ちゃん?」
サクヤ「ああ、もう良いから話しを進めるよ。ここは幼い柚明にとって大事な場面なん
だ」
作者メモ「置きっぱなしの母のメモを見て。
『市立病院に行って来ます、遅くなるかも知れないから、おやつを食べて待っていてね』
この文章を書いた時、お母さんはおなかの中の妹と一緒に元気だった。お父さんもお仕
事中で、こうなるとは夢にも思ってなかった。そしてわたしも、毎日が何事もなく来ては
去っていく事を、疑ってもいなかった。
この時に戻れたなら。この時に帰れたなら。
その気はないのに、涙が零れそうになる。
自分の為に泣いちゃダメだ。わたしの為に多くの生命が犠牲になったのに、それで生き
残れたわたしが、犠牲になった人達の為じゃなくて、己の寂しさで涙を流すなんて。そん
な我が侭許されない。誰よりもわたしに』」
桂「お姉ちゃんの心の強さが表れ始めている。この後お姉ちゃんは長く、自分の為に、自
分の哀しみの為に、涙を流すことが殆どなく」
サクヤ「想いを堪える事を実践し始めたのさ。想いを弾け出させ、叩き付けて生きるので
はなく、胸に秘めてじっと耐え凌ぐ。この朝にもう今の柚明の在り方が、始っていたん
だ」
柚明「わたしの為に、はもう使い果たされた。そう感じたの。お父さんとお母さんと、お
母さんの中の妹の生命まで、わたしが生き延びる為に費やされた。わたしの為にこれ以上
使わせてはいけない、喪いたくない。だから」
サクヤ「本当あんたは生真面目に義理堅い」
柚明「わたしに、みんなに守られる値はない。みんなの生命を犠牲にしたわたしに値はな
い。ずっとそう思っていました。今もそう。わたしが己に値を見いだせたのは、己が誰か
に役立てた瞬間。白花ちゃんと桂ちゃんに巡り会えて、愛し守りたく思えた時に。わたし
の値は守りたく願ったたいせつな人の微笑みの値、幸せの値よ。だから桂ちゃんには、わ
たしの生命に値を与えてくれて、有り難うなの…」
− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −
10.告白と訣別
桂「は、はい。えっと、とても暖かく柔らかく気持よかったです。じゃなく、本題に戻り
ます。お姉ちゃんも、サクヤさんの左隣の定位置に戻っちゃったので……作者メモです」
作者メモ「柚明本章に繋るアイテムが出ます。
『鏡台の引き出しにある、白いちょうちょの髪飾り。青珠のお守りに描かれた文様に似た、
それを少し丸く可愛くした感じの、淡く輝く髪飾り。お父さんがお母さんにプロポーズの
時に贈ったと言う、幻想的な色合いの逸品』
一度立ち寄った事で、柚明はこの品を回収出来ました。青珠は桂に渡るので、柚明固有
のアイテムはこれだけという事になります」
サクヤ「それだけじゃない。柚明はこれを欲しいと母親に頼んで、一度お預けされている。
『でももう少し大きくなってから。
この髪飾りを付けて、綺麗になった柚明を是非見せてあげたい、見て貰いたい誰かが現
れる時迄、もう少し待っていなさい』とね」
柚明「『杏子ちゃんじゃダメなの? わたし、この髪飾りを付けてお友達に見て貰えたら
嬉しい』そう言って、お母さんに駄々をこねた憶えがあったわね、確か。……桂ちゃ
ん?」
桂「その位で駄々をこねたって、言うんだ」
サクヤ「あんたとは駄々のレベルが違うよ」
柚明「その時に、お母さんに言われたの。
『母さんにとっての父さんの様な人の事よ』
大切なだけじゃなく特別な人。
特別なだけじゃなく一番の人。
この世に唯1人と、思える人。
そう言う人が出来る迄、見つけられる迄。
『それ迄はここにしまっておきましょう』」
作者メモ「でも、もうここには来られない。お母さんがわたしにこれを渡す事は出来ない。
今持ち出さないと永久に手に入らない。お母さんとお父さんの想い出でもある髪飾りを…。
わたしは一つの決意を持って、目の前の鏡に視線を移す。鏡像には、髪飾りを付けたわ
たしとそれを覗き込むサクヤさんの姿がある。映っているのはそれだけだ。それで充分
だ」
柚明「サクヤおばさんっ!」
サクヤ「どうしたんだい?」
柚明「『わたし、この髪飾りを、貰います』
そう言ったんでしたね。思い返すと恥ずかしくも懐かしい。目の前にいるサクヤさんと、
目の届くどこにもいないお母さんに向けて…。
『この髪飾りを付けて、綺麗になったわたしを是非、見せてあげたいの、見て貰いたいの。
サクヤおばさんに、わたしの一番大切な、特別な、サクヤおばさんに!』と大胆に告げて。
【母さんにとっての父さんの様な人の事…】
大切なだけじゃなく特別な人。
特別なだけじゃなく一番の人。
この世に唯1人と、思える人。
『わたしにはそれは、サクヤおばさんです』
告白したの。サクヤさんが一番の人って」
サクヤ「告白されちまった訳さ。あたしは」
桂「わあぁ……2人ともほっぺた少し赤い」
柚明「己の告白を見つめ直すのは、どうしても気恥ずかしいわ。本気であればある程に」
サクヤ「白花とあんたが生れる迄、柚明の一番はあたしだったから。その想いに応えられ
なかった事が、柚明に申し訳なかったけど」
桂「うぅっお姉ちゃんかわいそう。っていうか、サクヤさん酷い。……サクヤさんとお姉
ちゃんが結ばれたら、わたしが困る気がするけど。でもお姉ちゃんが哀しむ答を返すのは、
何か許し難い気がしてきて堪らないよ。特に小さいお姉ちゃんは可愛さも尋常じゃないし、
その想いも強く純粋で。応えて愛しちゃっても鬼畜っぽいけど、応えないのも酷い様な」
柚明「サクヤさんを責めないで。わたしが勝手に好いてしまったのだから。サクヤさんに
罪はないわ。悪いとすればそれはわたしよ」
桂「ううっ、お姉ちゃんが恨んでも嫌っても居ないから、どうにか許せるけど……サクヤ
さん本当に罪作りだよ。柚明前章・番外編の記述では、お姉ちゃんのお母さんと迄いい仲
だったって……元々笑子おばあちゃんとも」
サクヤ「そんな事言ったって。アカイイト本編のあたしルートでは、あんたもあたしに心
を寄せてくれているじゃないかい。あたしには元々羽藤の血筋は、正樹も含めて恩人でた
いせつな人なんだ。親身に接していれば、じきに情が移ってしまうんだ……悪かったよっ。
拾年前から今に至る迄、あたしの一番の想い人は桂なんだ。拾年前まで千年の間、姫様
だった様に。それは変えられなかったんだ」
桂「う〜、う〜う〜う〜。わたしを一番に想ってくれるのは嬉しいけど、前のオハシラ様
に千年純粋に強く想いを抱き続けたのは美しいけど。そうである以上仕方ないのかも知れ
ないけど。矛盾すると分っていて、納得しがたいよ。お姉ちゃんの想いが実らないのが悔
しいよぉ。何とかして届かせてあげたいよ」
サクヤ「あたしだってその想いは山々だよっ。柚明は本当に誰にも好かれる優しく賢く可
愛い娘である上に、あたしを好いてくれたんだ。想いを返せるものなら返してあげたかっ
たさ。でもどうしても、それは出来ない相談だったんだ。これだけは許しておくれよ桂、
柚明」
桂「あの場面に割り込んで、幼いお姉ちゃんを抱き締めてあげたいよ。気を落とさないで、
わたしがいるからって、慰めてあげたい……それと、あの時のサクヤさんに少し文句も」
柚明「わたしの為に憤ってくれるのは嬉しいけど、余り怒らないで、桂ちゃん。わたしは、
そんなサクヤさんの優しく義理堅い処も含めて好いたのだから。わたしはサクヤさんの一
番になれない位で、恨んだり怒ったりしない。
千年想いを抱き続けるサクヤさんを、わたしは一層深く愛して行ける。そんな想いこそ
サクヤさんには迷惑だったかも知れないけど。サクヤさんは悪くないの。お願い、分っ
て」
サクヤ「あたしの答はこの通りだよ。
『ごめんよ。あたしには絶対代えの利かない、掛け替えのない人がいてね、あんたを一番
にしてあげる事は出来ないんだ。柚明があたしを一番と言ってくれるのは嬉しいけど、そ
れにあたしは、同じ想いで応える事が出来ない。
柚明を特別に大切だと思うあたしの気持ちは本物だよ。それでも、一番だって想いに一
番の想いで応えてあげられないってのは、我ながら薄情だと思う。ごめん、柚明』とね」
作者メモ「サクヤは千年の間、生きる事も死ぬ事も出来ないご神木に宿ったオハシラ様を、
竹林の姫を想い続けていて。生命と心の恩人である笑子さえ、2番目にしかできませんで
した。それ程に強く深く純粋な想いを抱くサクヤだからこそ、柚明の純粋な想いに応えら
れない。応えられない事が心苦しいのですが、そこは曲げられず。幼子相手でもサクヤは
全身全霊で向き合って誠心誠意の答を返します。
浅間サクヤに叶う限りの、渾身の答を…」
サクヤ「でも、柚明がそれでも良いって言ってくれるなら、それで尚あたしをそう思い続
けてくれるなら、あたしもあたしにできる限りの気持を返すよ。一番と言えないけど、こ
の世で2番目にたいせつな人と同着の、2番目として。そう、応えたんだったね、確か」
柚明「はい。幼子相手なのに、ごまかしもない真剣な答でした。わたしを深く想ってくれ
た上で。それよりたいせつな人、大事に想う人を諦められないと、その心痛が分る程に…。
だからわたしも更に、精一杯を絞り出して。
『わたしはわたしが好きだから言っただけ。同じ気持を返して欲しいなんて、思わない』
知らず知らず報いを求め。受容の答を欲していた。そんな我欲を断ち切って。サクヤさ
んをたいせつに想う気持は曲げない侭、サクヤさんの想いを尊びたい。そう望み願って」
桂「お姉ちゃんの『報いや返しを望まない』無償の想いは、この時に始るんだ。……柚明
の章の最初のお話しに、正にふさわしいね」
柚明「唯人を愛するだけじゃなく、愛した人を哀しませたくない。それが本当の愛なのだ
と、幼いわたしはこの時に気付かされ、教えられたの。……わたしを成長させてくれたの
は、身近の愛しいたいせつな人達でした…」
− − − − − − − − − − − − − − − − − − − −
11.一線は越えていません
桂「作者さんはお姉ちゃんのお父さんが亡くなる頃から、分量が当初見込みをはみ出す事
を悟り始めたみたいだね。でも、結局プロットを削ったりせず、その侭書き進めたみたい。
柚明前章は400字詰め原稿用紙で150枚の想定だったのに、第一章から50枚もオ
ーバーしたらしいけど、じゃあ第二章以降も全部200枚に合わせてしまいましょうと」
サクヤ「概ねのプロットは決めていたからね。第一章から超えるって事は、第二章以降の
プロットも想定に収めるのは至難と察したらしい。久遠長文は分量を揃えるのが好みだか
ら。
実際、第二章以降も執筆し始めてみると200枚に収めるのが難しい程に濃密な中身だ
ったらしい。特に第四章は収まらないかもと、中途で一度ならず諦めたとか」
柚明「書き進む内にも描写内容が増えていく人ですから。長すぎて読みにくいという指摘
を受ける程で。起承転結をしっかり付けるに、この分量は彼には必要最低限だった様で
す」
桂「もう一点、『一線は越えていません』って作者メモが来ているよ。これは読者さんか
ら頂いた批評へのお返事の転用だけど。柚明の章でお姉ちゃんが、サクヤさんや烏月さん、
ノゾミちゃんや葛ちゃんと、後日譚で陽子ちゃんやお凜さんとも心通じ合わせた事に…」
作者メモ「……ユメイのキャラクターが、作者様の望む物語の流れにとって、都合の良い
物に改変されている様に感じられ……」
「ユメイと他主要キャラとの関係が微妙に違う物になっていたり、他ヒロインと絆を繋ぐ
描写(フラグ立て)がやたらあったりと、かなり原作と乖離した展開になっていますね」
サクヤ「柚明があたしと昵懇だったり、柚明本章で烏月やノゾミや葛と心を通わせた事が、
アカイイト本編からの逸脱に見えたらしいね。で、作者の言い分としては、むしろその様
に話しを導いたと。それは本編逸脱という程大きな違いじゃない。充分あり得る範囲だ
と」
作者メモ「柚明の章は、アカイイト本編のユメイルートを基本に、各ルートからエピソー
ドを出来るだけ引き寄せ、桂や柚明と他のヒロイン達の絆も深く結ばせる展開にしました。
目指したのは柚明もノゾミも桂と同居して、烏月や葛やサクヤとも心通じ合っているC
Dドラマ『京洛降魔』です。ユメイルートのエンドと明確に違うのは、ノゾミが桂の傍に
いて心通わせている事でしょう。後は明言がないだけで『あっても不思議ない』範疇で
す」
「原作や『京洛降魔』で、明言して否定される展開や設定は、使用していません。烏月や
葛やノゾミが、幾らユメイと心通じ合えても、彼女達の一番は桂であり、ユメイも彼女達
の一番を望まない。これは前日譚のサクヤから言える事で、サクヤには竹林の姫が一番で
あり笑子が二番で、柚明は同着2番でしかなく。
どこ迄愛し合えても絆を結んでも、どのキャラも『その一線』は越えていません。柚明
本章でもサクヤの一番は桂であり、ユメイは二番です。そしてユメイにとっても白花と桂
が2人同着1番で不動ですと」
サクヤ「柚明を中心に描いて、柚明があたし達全員と仲良くなる事が、一部の読者には違
和感らしいね。桂を中心にして見たがる様で。桂だけの柚明であって欲しいって感じか
な」
桂「柚明の章の柚明お姉ちゃんは、アカイイト本編から充分導き出せる中身だと想うけど。
柚明の章はお姉ちゃん視点で、その心の内や過去も緻密に描いているから、その心の強さ
や辛さ・悲しさ喜びが、より立体的に描かれている気がする。わたしは、好ましいけど」
柚明「全ての読者さんに完全な満足を与えるには、久遠長文は力量不足なのね。これが彼
とわたしの到達点です。後は読んでどの様な印象を抱くかは、読者さんの判断ですから」
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12.真実を知って、決意を抱きます
桂「サクヤさんに連れられて、お姉ちゃんは経観塚のお屋敷に着きます。2人の出発を新
婚旅行行きに見立てたり夜逃げに見立てたり。哀しみが根にある筈なのに、今のお互いの
無事を笑い合える関係は、ちょっと羨ましい位。
ここで漸く笑子おばあちゃんと、結婚する前のわたしのお父さんが登場します。アカイ
イト本編では過去回想にしか登場しない2人だけど、漸くここ迄辿り着いたねって感じ」
サクヤ「大きな悲嘆は、語る事で緩和出来る。幼い柚明も心に受けた痛手を、聞いてくれ
る人に涙しつつ語る事で、少しずつ癒され又は自ら癒して行ったんだ。心の傷はメスを入
れたり薬を塗って、治す訳にも行かないから」
柚明「そうですね。一緒に泣き笑いしてくれる人が居てくれる事は、心の支えになります。
そして夜更け。疲れて眠り込んだわたしに聞かれない様に、大人達はあの夜の真相を推
察し始めます。わたしの真の過ち、わたしの原罪。わたし自身が気付いてないそれを…」
作者メモ「笑子とサクヤと正樹の会話です。
『柚明が青珠の守りの範囲から外れたのよ』
『柚明は青珠を、母親に握らせたらしい…』
『柚明ちゃんが青珠から離れた為に、近く迄来ていた鬼を、招き寄せる事になったと?』
立ち聞きしていた柚明は真相を悟ります。
【わたしが、青珠から離れた為に、鬼を?】
『鬼は柚明の血に惹かれてきたんだよ……』
『血の匂いに導かれながら、標的を見失って欲求不満な鬼の前に、血の匂いを隠せない柚
明が、青珠の守りの範囲を外れて匂い立つ』
【鬼は、わたしの血に惹かれてきた?】
『柚明が青珠を持っていたら、或いは鬼と遭遇せずに済んだかも知れない。父親も母親も
あの夜に最期を迎える事は避けられたかも』
『何て事だ。母親を思う優しさの故の親切が、己とその周囲に禍を招き寄せてしまうなん
て。
柚明ちゃんが姉さんを大切に思って、役に立ちたいと望んで、回復を願って青珠を握ら
せた。その結果、青珠の守りを外れた数分で、両親を失ってしまうなんて。優しさが、大
切な人を思う心の深さが、禍を招いたなんて』
柚明「幼いわたしは漸く気付いたの。あの鬼は偶然わたしを見つけ襲ってきたのではなく。
青珠を手放したわたしの血の匂いに導かれてやってきたのだと。禍は己が招いたのだと」
桂「……お姉ちゃん……」
作者メモ「わたしが……鬼を呼び寄せたの?
わたしのこの血が、濃い血が鬼を呼び寄せ、お父さんやお母さんを、死に追いやっ
た?」
「青珠を渡さなくても、母さんは病院で眠っていれば生命は助かっていた。おなかの妹も。
わたしが何もしなけばあんな事には。わたしを守る為に、鬼に刺し殺されたお父さんも」
「わたしが余計な事をしなければ、みんな楽しく暮らしていけたのに。お母さんも元気に
退院できたのに。数ヶ月もすれば妹も生れて名前を付けられ、一緒に暮らしていけたのに。
全部わたしの所為だ。わたしの余計な親切心が招いた禍で、たいせつなひとが、みんな。
その元凶はわたしだった。わたしだった」
柚明「幼いわたしが、青珠を手放した所為で……わたしが、家族みんなに禍を招いたの」
作者メモ「みんなのたいせつな人を。わたしが余計な事しなければ、今も元気で楽しくい
られたのに。久夫おじいちゃんも恵美おばあちゃんも他のみんなも悲しまなかったのに」
サクヤ「人の哀しみを悟れる賢く心優しい柚明だからこそ、一層その傷みは大きいのさ」
作者メモ「責めて欲しかった。裁いて欲しかった。罰して欲しかった。守られて愛されて、
多くの生命と引換に生き延びたこのわたしが、実は悲劇の原因だったなんて。そんな不平
等は許されない。許される筈がない。咎人はわたしなのに、何の過失もないお父さんやお
母さんや、生れる日を待ち望んでいた妹迄が…。
わたしが幸せになれる訳ない。なって良い筈がない。死んでいった者が認める筈がない。
そんな天秤の釣り合わない事、許される筈が。
どうしてわたしはまだここに生きている?
どうしてわたしは生き残ってしまったの?
死ぬべき理由のない人達が生命を落として、その原因を作ったわたしが守られ生き延び
る。神様はどこを見ているの? むしろわたしが、最初にわたしが死んでいれば、誰も…
…」
桂「サクヤさんが、お姉ちゃんの頬を叩いて、我に返らせたんだね。そして強く抱き締め
て、肌身に語りかけて……ううっ、涙流れ出る」
サクヤ「あんたが悪い子なら、一体どこの誰が生命を捨てて、あんたを鬼から守る物かい。
あんたの父は柚明が大切だから生命抛っても鬼に立ち向い。あんたの母は柚明が大切だ
から殺されると分って鬼の前に立ち塞がった。
あんたの大好きな父さんや母さんが、必死で守った物は値のない物なのかい。大好きな
父さんや母さんや、おなかの妹の生命と引換に繋いだあんたの生命は悪い物かい。あんた
の人生が悪くて値打がないなら、身を捨ててあんたを助けたその想いはどうなるんだい!
そう、あんたを叱りつけたんだったね…」
柚明「わたしの生命は、わたしだけの物ではなく。簡単に死ぬ事も許されない。自分が守
った者、繋る者、愛して残した者が、消える事を、お父さんもお母さんも多分悲しむから。
そしてわたしの無意味な死は、わたしだけが憶えて忘れないお父さんやお母さん、生れ
なかった妹の存在を消すに等しいのだと悟り。
誰にも憶えられなくなる程辛い事はない。
誰からも忘れ去られる程哀しい事はない。
憶え続ける事は哀しみを引きずる事だけど、それは己の哀しみだ。生命を抛って助けて
くれた人達の真の哀しみは、生きていた存在を忘れ去られる事だ。それに、憶え続ける事
は哀しみだけじゃない。暖かな想い出に繋っている。哀しいからと、捨て去れはしない
…」
サクヤ「柚明の章のテーマの1つだね。柚明はどんなに哀しい事・辛い事があっても忘れ
ない。それを受け止めて心に刻み己に活かす。保ち続ける。最後はオハシラ様となって自
身が全てに忘れ去られる事になっても。決して心折れる事なく、柚明は柚明であり続ける
…。
その始りがここなのさ。幼い柚明の決意が、柚明の章の第一章に来る……王道だろ
う?」
桂「拾年前の夜を、哀しみの余り全て忘れて、拾年思い返せなかったわたしとしては、返
す言葉がないです。その上で拾年経った経観塚の夏でも、お姉ちゃんは生命を削って助け
てくれて。その辛さ切なさを、わたしは知りもせず、自分の寂しさ哀しさに振り回され
て」
柚明「罪悪感なんて要らないの。わたしは桂ちゃんの役に立つ事が願いで望みだったから。
経観塚に桂ちゃんが訪れてくれた事は嬉しかったけど。例え再び来る事がなかったとして
も。わたしは桂ちゃんの幸せの基盤の一端を支えられた事で満たされる。でもその所為で、
傷み哀しむあなたの傍に添って、その心の傷を癒し慰められなかった事は、本当に残念…。
その事をこうして謝れる今は本当に嬉しい。桂ちゃんと白花ちゃんを胸に抱けたわたし
は、未来永劫封じの要を担っても幸せだったけど。その哀しみを拭えなかったこの拾年の
力不足には、心からお詫びしたい。ごめんなさい」
桂「わたし、謝られる値打ないよ。拾年ずっと思い出せなくて、拾年経った夏にも足引っ
張ったり、守らせてばかりで酷い目に遭わせたり。役に立ててなかったのはわたしなのに。
お姉ちゃんに謝られたら、どうして良いか…。
胸元に抱き留めて貰えるのは嬉しいけど」
柚明「この位では到底お詫びにならないけど、これから叶う限り償うから。桂ちゃんの害
にならない範囲で、全ての望みに応えるわ…」
サクヤ「柚明の望みは、桂が幸せに長閑に微笑んで毎日を過ごし行く事さ。罪悪感に心鎖
して暗闇の繭に閉じこもる姿なんて、あたしも見たくないよ。あたしの想いは幼い柚明に
伝わった様だけど、それは果たして桂に伝わったかどうか。暫く観察させて貰うかねぇ」
作者メモ「この辺りはアカイイト本編の六拾年前の回想で、サクヤが笑子に心を救われた
経緯を想起してもらえれば幸いです。サクヤが柚明に伝えたのは、笑子からサクヤに伝え
られた優しさ・愛しさ・強さ・切なさです」
柚明「そして笑子おばあさんが、わたしに日々を生きて行く為の、罪悪感を拭う為の具体
的な所作を示してくれるの。悲嘆の淵にいたわたしは何かに取り組んでいた方が、哀しみ
も拭え、気が紛れると言う配慮だったのね」
作者メモ「笑子の諭しが続きます。
『力の扱いを憶えなさい。私が教えるから』
『あなたに流れる血に眠る力を、自身の手で操れるようになりなさい。それはあなたの物。
あなたでなければ抑えの効かない、あなたの定め。あなたが持って生れた天の配剤なの』
『あなたの母親は、元々贄の血の薄い、力の殆どない子だった。正樹と違って、鬼に嗅ぎ
つけられる程の濃さはあるから、中途半端に血が匂うから、一生ここから出られないと、
あの子も私も諦めていたよ。良い人を見つけて運命に挑む決意を見せる迄のあの子は、気
が弱く、優しさと弱さを合せた様な子だった。
決意が、運命を切り開く事があるんだよ。
決意が及ばない筈の何かに届く事もね』」
サクヤ「笑子さんの言葉も深く重いね。柚明の未来を暗示している様な言葉じゃないか」
柚明「そうね。至らない人の身で、鬼神を封じるオハシラ様を継いで、桂ちゃん達を守る
役に立つ事が出来たのも。決意を胸に抱いて、運命を切り開いて、挑み続けてきたお陰
ね」
サクヤ「それを前向きに捉えられるかい…」
柚明「わたしが継がなければ主が蘇っていた筈ですから。そうなれば叔母さんでも桂ちゃ
ん白花ちゃんを守り通せなかった。絶対の窮地でした。その場に居合わせた事、封じの要
を継げた事、これはわたしの確かな幸運です。
そして経観塚の夏の満月の夜、桂ちゃんが生命を抛つ決意で、血を分けてくれたお陰で。
わたしは今もこの存在を保てている。桂ちゃんの役に立てる力を体を持てている。これは
桂ちゃんの決意が、切り開いてくれた結果よ。本来誰にも届かなかった筈の、わたしの消
失の定めを、揺さぶり打ち消し、想いを届かせ。
有り難う、桂ちゃん……いつ迄も嬉しい」
桂「お、お姉ちゃんがわたしに注いでくれた想いからすれば、一度や二度生命を注いでも、
足りる物じゃないと想います……でもわたしもお姉ちゃんを助け出せたことが、その役に
立てたことが、とても嬉しかった。お姉ちゃんの気持が少しだけ、分った気がしました」
サクヤ「血の繋った従姉妹で、一緒に暮らしてもいた仲だから。気質には通じる処がある
んだろうさ。どんな結末が見えていても、助けたいと想ったら、苦痛も困難も乗り越える。
そう言う点では、似た者同士って感じかね」
作者メモ「笑子の柚明への言葉が続きます。
『貴女の母さんは、修練で得た血の力で柚明を守り切れた。貴女が血に眠る力を操れる様
になれば、貴女も誰かを守れるかも知れない。力が全てじゃないけれど、力がないと護れ
ない時もある事を、柚明は身を以て知ったろう。
……貴女が守られた様に、いつか貴女も誰かを守れる様に力の扱いを憶えなさいな』」
作者メモ「一番大切な、特別な人を、わたしが守れたならどんなに素晴らしいだろう。い
や、守らなければならない時に守れなかったなら、どんなに悔しいだろう。哀しいだろう。
わたしはお父さんもお母さんも守れなかった。守られてばかりで、最後は生命迄投げ出さ
せ。
余りにも不平等な結末。でも、そうして守られたわたしが、誰かを守る事ができるなら、
わたしの【人生の借金】も少しは返せるかな。
『たいせつなひとを守る。もう失わせない』
わたしは誰かを守りたい。守れる様になりたい。与えらるだけの人生から与える人生に。
生命の購いは生命で、守られて継いだ生命は次の生命の護りに使う。それでわたしはわた
しに生きる値を認められる。愛されたなら愛を返したい。守られたなら誰かを守りたい」
桂「悲壮だけど……静かで綺麗な決意だね」
サクヤ「笑子さんの言葉をもう少し続けるよ。
『守られた者が次の世代を、新しい生命を守る事で想いは受け継がれて行くの。私の想い
が娘に、娘の想いが孫に、孫の想いが子々孫々に。縦だけじゃなくてね。友達や夫や、他
のたいせつなひとにも。ねえサクヤさん』」
柚明「そしてわたしは自身に対し決意するの。
『わたし……なります。必ず……なります』
わたしのわたし自身への誓い。保証も担保も不要なわたしの今から未来に向けての約束。
サクヤさんのお陰で、笑子おばあさんや叔父さんのお陰で、お父さんやお母さんのお陰
で、わたしは今に向き合って未来を望む事を。自身の血の宿命に向き合う事を、心に定め
て。
『わたしは生きて、幸せになります。
わたしは誰かの為に尽せる人になります。
わたしは誰かを守り通せる人になります』
この時、今に繋るわたしの人生が始った。
この時、柚明の章が始ったと言えるかも」
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13.第一章を読み終えて・次回予告
桂「本当に第一章には、柚明の章の根が揃っているね。書き手には最後のどんでん返しを
意識して、本当に訴えたい箇所は、最後迄出さないって人もいるけど。クライマックスや
エピローグで『ちょっとだけ』語られるテーマって、取って付けの様で印象も薄い気が…。
冒頭から、中間でも何度も何度も挟めて描いて訴えて、それがどんな困難や苦痛にもめ
げずに続いて、最後に本当に二重三重の意味で響いて届くって言う作りが、重厚なのかも。
最初から最後迄、一本筋が繋った感じもするし。隠し球なく全力勝負な感じが潔いよ」
柚明「最初から最後に繋げるって言う意識は、久遠長文の中にもあるみたい。柚明の章全
部でも、一つ一つの話しの冒頭と終盤を見ても。場面を盛り上げたり引っ張ったり伏線を
張る時に、全体を読み返して一本筋が通って見えるかどうかを、気に掛けている様だから
…」
サクヤ「第一話だってのに、先々の話しに繋がる箇所を何カ所も明示出来て、繋りを確か
められる辺りは、手が込みすぎて居るんだよ。手が込みすぎるから分量が多くなる。長す
ぎて読みにくいって批評も、その辺からなのに。
ま、それを評価してくれる読者も居てくれる様だし。作者には、作品の長さに負けない、
長くても飽きさせず愉しく読ませられる力量を期待したい処だね。それと更なる精進も」
桂「そんなこんなで締めが近くなりました。
語り始めてみるとあっという間だったね」
サクヤ「あんた達のべたべたな仲を見せつけられた割には、早かった気がするね。まぁあ
たしは柚明と桂を両方愛しいから、2人が仲睦まじい様を見るのは、嫌いでないしねぇ」
柚明「済みません。桂ちゃんとくっつきすぎてしまって……。サクヤさんが桂ちゃんを愛
でるのを、妨げてしまっていたでしょうか」
サクヤ「そうさねぇ。桂を柚明に盗られたというか、柚明を桂に盗られたというか。傍に
いると、あたしが2人を一緒に頂いている錯覚もあって、それはそれで良いんだけどね」
桂「お姉ちゃんとの触れ合いを、傍で見られるのはちょっと恥ずかしいよ。でも、考えて
みれば陽子ちゃんやノゾミちゃんや、日常で結構見られている様な……わたし、うかつ?
用意周到が座右の銘の、わたしが不覚?」
サクヤ「誰の事だい、そんな座右の銘を持っている女の子ってのは? 双子の兄を庇って
鬼切りの刃の前に飛び出したり、その兄を鬼と誤解して逃げ走った末に崖落ちしたりする、
あたしの恩人の孫娘じゃないだろうねぇ…」
桂「ううっ、事実だけに言い返せないよぉ」
柚明「桂ちゃん、泣かないで。思ったら動き始めてしまうのは、桂ちゃんの特徴なの。今
からはその素養を制御して、危なげなく人助けや自身の身を守れる術を培いましょうね」
サクヤ「巧く視点を歪ませれば、欠点も美点に出来るんだね。あたしにはとても真似出来
ないよ。まぁ桂が柚明に抱き留められてその肉感と肌触りに満足なら、あたしは良いけど。
さて、そろそろ次回予告じゃないのかい」
柚明「では次回予告です。桂と柚明の『柚明の章講座』第3回は、柚明前章の第二章『哀
しみの欠片、踏みしめて』を取り上げます」
サクヤ「柚明が小学6年生に成長して居るんだね。あたしは登場しないけど、真弓も白花
も桂もいるから。ゲストとの掛け合いも色々幅が出そうだし、見る方として楽しみだよ」
桂「小さいお姉ちゃんも可愛いけど、少し大きくなったお姉ちゃんも綺麗で可愛いよぉ」
柚明「そう言って貰えると嬉しいわ。でも一緒に登場する桂ちゃん白花ちゃんの可愛さに
は敵わないわね。ゲストが誰なのかも気になる処ですけど。久遠長文は公開迄『未だ秘密
っ!』と桂ちゃんの台詞で押し通す様です」
桂「誰が来てくれるのかな? 葛ちゃんかな、ノゾミちゃんかな、それとも烏月さんか
な」
柚明「期待しつつ次の公表を待ちしましょう。第一章の解説で久遠長文も感覚を概ね掴め
たから、次は1年も間隔空かないでしょうし」
サクヤ「どうかねぇ。計画してはいる様だけど、問題はその計画が高い確率で遅れる事で。
去年も柚明の章・後日譚第0.5話の執筆に、2ヶ月と見て、結果1ヶ月半も完成が遅れ
て。なる様にしかならない物かも知れないけど」
桂「巧く行けば、秋口位にって考えみたい」
サクヤ「余り期待しないで待つとしようかね。あたしは、桂と柚明の脳天気な日常を間近
で眺められて満足だったよ。うら若い娘達の語らいは、目にも心にも良い薬だからねぇ
…」
柚明「やや纏まりを欠く展開になりましたが、次回も懲りずに見に来て頂けると幸いで
す」
桂+柚明「今日はどうもありがとうございました。次に逢える日を心待ちにしています」
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14.おまけ
桂「サクヤさん最初のゲストお疲れ様でした。結構緊張しなかった? サクヤさんも取材
する方は慣れていても、撮られる方は慣れてないでしょう。って、うわ。また髪の毛を
…」
サクヤ「お疲れだったね、柚明も桂も。柚明の章はきつい話しも多いから、桂が耐えきれ
るかどうか心配だったんだけど。杞憂に終って良かったよ。柚明も桂を抱き支えてくれて
いたし、これならこの先も大丈夫かねえ…」
柚明「ご心配頂いて有り難う。サクヤさんが第一章のゲストを望んでくれたのは、やはり
わたしと桂ちゃんを案じてくれてだったのですね。お陰でわたしも桂ちゃんも、無事お務
めをこなせました。桂ちゃんの柔らかな髪の毛だけは、少し受難かも知れませんけど…」
桂「う〜う〜、また髪の毛ぐしゃぐしゃに」
柚明「わたしも幼い頃は今の桂ちゃんの様に、くしゃっと頭を撫でて貰ったの。懐かしい
わ。力を込めすぎな処が想いの強さを示すのよね。
ってサクヤさん? その左手は……きゃ」
サクヤ「受難は桂の髪だけとは限らないよ」
桂「うわ、お姉ちゃんの髪もぐしゃぐしゃに。でも何か、お姉ちゃん妙に嬉しそうな感
じ」
サクヤ「柚明もあたしから見れば、まだ百年も生きてない赤ん坊だよ。こうして再びあん
たに直に触れて愛しむなんて、拾年願えもしなかったから。その分を取り返す意味でも」
柚明「……嬉しいです。肩に手を置いて語りかけてくれるのも、頬を手で挟んで見つめて
くれるのも、胸に迎え入れて抱き留めてくれるのも。みんなサクヤさんの真の想いだけど。
髪をこうして強く撫でてくれるのも、子供扱いでもサクヤさんの確かな想い。時にはわ
たしも子供の様に、愛でられるのも愛しい」
桂「これって子供扱いだったんだ……わたしもう高校生なのに。考えてみれば、アカイイ
ト本編のサクヤさんルートでも、サクヤさんは余りわたしに、これをしてなかった様な」
サクヤ「告白した後で想い人を、子供扱いは出来ないだろ。柚明には、柚明前章・第二章
で鬼の手から桂と白花を生命懸けで戦い守って以降、あたしが基本大人扱いしていてね」
桂「それってお姉ちゃん小学6年生で十二歳でしょう。わたし今高校2年生で十七歳だよ。
扱いが不公平だよ。いつ迄も子供扱いぃ!」
サクヤ「柚明には一番の想いを注げないから。人の幸せと寿命を生きる年頃の娘に、年長
すぎる上に人外で、想いの全てを注ぎ込めないあたしが、踏み込みすぎては拙いと憚って
いてね。姫さまや笑子さんへの遠慮もあったし。
時に愛しさが溢れて、過ちに踏み出しかねない場面はあったけど。基本的にいけない事
だって……柚明への想いは、抑えていたんだ。ずっと後悔していた。再び触れる事も語ら
う事も出来なくなってから。ああなるなら、もっと肌身触れ合わせておけば良かったって
さ。だから今、こうして肌身触れ合わせ、髪を乱す程強く愛おしむ事が出来るのは嬉しい
よ」
柚明「わたしも……サクヤさんの想いを肌身に受けられる今が嬉しい。わたしも再びこう
して、サクヤさんを感じ取れる日が来るとは、思ってなかったから。諦めていたから。心
にはいつもサクヤさんを抱いて、想い続けていたから、寂しくはなかったけど、心細くは
なかったけど、繋っていると分っていたけど……この腕で抱き締める事は出来なかったか
ら。
幾らご神木に触れて貰っても、抱き締めて貰っても。この身は硬い幹や節くれ立った枝
や、花や葉でしかなくて。ずっとずっと想いを返せる腕がなくて。こうして掻き回して貰
える髪のある今が、この感触が心から嬉しい。
桂ちゃんの前ですけど、わたしの真の想いです。羽藤柚明の弐番目にたいせつな人…」
サクヤ「この位の事で喜んで貰えるなら、今後はあたしもこの部屋に住み込むんだ。毎日
毎晩でも2人揃って抱き寄せて、あたし流に愛させて貰うとしようかね。こんな風にさ」
桂「わ、2人左右から強引に抱き寄せられて、更に髪の毛掻き回されて。……子供扱いな
のは少し悔しい気もするけど。柚明お姉ちゃんと一緒に、サクヤさんに撫で撫でされるの
も、悪くはないかも……羽様のお屋敷に住んでいた頃みたいで。お母さんお父さんや笑子
おばあちゃんが、近くにいそうな錯覚も感じるし。
お姉ちゃんも心地よさそうだし。今日はこの侭サクヤさんの想いに流されて、髪ぐしゃ
ぐしゃになっても、めでたしめでたしかな」