時は応仁、場所は京の都でございます。
室町幕府の八代将軍に、足利義政様がお就きになられた、その少し後の事でございます。
世にも奇妙な名裁きが、出されましたとさ。
それもこの当時、流行りの様に数多く出された「徳政令」に関する揉め事が原因です。
ニセ岡奉行、期待に応え再登場でございます。
徳政令とは、元々徳のあるありがたい布令という意味ですが、ありていに言えば借金の
棒引き令のことでございます。
家計のやりくりに困ったお侍様が、田畑や馬、武士の命とも云うべき鎧や刀を質に入れ、
土倉(どそう)等の金貸し屋から、お金を借りたことがございました。
返す当てがあった訳ではありません。借りる程苦しいのに、金を返す当て等ありません。
お金を工面できなかったお侍様の、先祖伝来の田畑や家宝の鎧刀が人手に渡ってしまう。
お侍様が生活の糧を得る畑を失い、いざ鎌倉と云う時に乗る馬もなく、手に持つ槍も刀
も、身を守る鎧もなくしては大変でしょう。
窮状を見かね、お上が借金の棒引きを命じたのです。借金返済しなくても、担保の田畑
や鎧兜を返しなさい、返済無用と云う訳です。
お侍は大喜び、金貸し屋は渋面。
でも、世の中そう簡単な物ではありません。お侍様が喜べたのは、最初の数日だけでし
た。
次の徳政令を怖れた土倉などの金貸し屋が、お侍にはお金を貸し渋る様になったからで
す。
お侍達は依然として家計のやりくりに苦労しており、お金を借りたくてたまらないのに。
お侍達は貸し渋る金貸し屋に、
「徳政令が出ても返済するから」とか、
「借りる金に比べ膨大な担保を持ち込むよ」
とか云って借りようとします。その利益に釣られて、金を貸す土倉も出てきました。
徳政令が出るにしても、出る前に借金を回収するか、担保を売ってお金に換えてしまえ
ばよいのです。貸す側も馬鹿ではありません。
お侍の懐は更に苦しくなり、再度の徳政令を望む。借金棒引きの夢よもう一度、です。
金貸し屋と不良債権主の、お上を巻き込んだ果てしないサバイバルマッチが始りました。
いつ徳政令が出るのか、出ないのか。
それが下々の懐にまで響く、そんなある秋の出来事でございました。
その旅館の主は、近々徳政令が出る話を聞きつけました。まだ市中にはこの情報は出回
ってません。偉い人達が密かに話し合いを繰り返し、ようやく決まったが公表はしてない。
そんな極秘情報のリークを、入手した様です。
「さて、どうしよう」
旅館の主ですから、資産家です。金貸しの様な事もしています。早く貸したお金を回収
するか担保を売り払う必要は分かっています。
しかしその位なら、当り前のこんこんちき。損失は防げますが、利益は生みません。こ
の情報を使い儲けたい。欲深な主は考えました。
情報だってタダではありません。ばらまく所にしっかり銭をばらまいてのこの結果です。
有効に活用したい。徳政令を、金儲けに。
「むふぅ。……むぅ……。そうだ!」
主は何を思いついたのでしょう?
旅館の主は、旅館に泊まっている宿泊客から、金品を借りまくったのでございます。
「少しの、ほんの数日間だけだから」
「利息分のお礼も、付けるから」
行商人の商売道具、壺や刀、衣類など。小判や銅銭も大歓迎です。借りた時には必ず借
用書を書き、返す迄の間は宿代も無料で滞在して良いと云うおまけまで付けました。
断った者もおりました。でも、高額なお礼に釣られ、暫くならと貸す者も出始めました。
部屋を借りた客人達は、まさか旅館の主が逃げ出すこともあるまいと、思ったより簡単
に話に乗ってきます。
主の部屋には借金借財の証文が積み重なり、宿の借り主は皆、主への債権者です。そし
て。
徳政令のおふれが、出たのでございます。旅館の主は債権者を集め、お触れ書きを示し、
「徳政令が出ましたので、皆様にお借りした金品は返済無用となりました。あしからず」
これが主の企みだったのです。徳政令は借り主を救うおふれです。なら、自分も借り主
になってやろうではないかと。悪徳ですね。当然、貸し主達が黙っている筈がありません。
「それはないだろう」
「信用していたのに」
客人達は口々に文句を言いました。
頼み込む者、倫理を説く者、腕力で脅す者。様々ですが宿の主人はガンとして応じませ
ん。
「私はお触れ書きに従っているだけです。皆様もお上のおふれは守った方がよいですよ」
この当時、お触れ書きに大きな権威がありました。守らなければ、罪人です、大変です。
例え刀を持っていても、お上に逆らう事はできません。奉行所には刀を持った、何百何
千のお侍がいるのです。捕まって、牢屋です。
しかしこのままでは債権者達も堪らない。何とかならないかと、届け出た所お奉行が…。
「北町奉行、ニセ岡越後守オタ助だ」
お白州で、普段見かけぬお奉行に驚く旅館の主ですが、彼の背後にはお上が出した徳政
令があります。何を怖れる事がありましょう。
お奉行様でも、おふれを曲げる事はできません。お奉行様も、そこまで偉くないのです。
ニセ岡奉行もその事を分ってか、旅館の主が自主的に金品を返すよう、和解を勧めます。
利子はないでしょうが元本は戻ります。でも、
「わたくしめは、おふれのままに事を進めるだけでございます。それ以上でも以下でもご
ざいません。その様な申し出に乗れません」
主も強気です。おふれをみれば確かに借金借財は棒引きなのです。それを分って企んだ
主が、善意に和解に応じる訳もないでしょう。
主は貸し主達の訴えや非難、奉行やお役人達の勧告を蹴飛ばして、薄笑いを浮かべつつ、
「皆さんどうもご愁傷様でございました。
徳政令さえ出されなければ、私も沢山のお礼を弾まなければならなかったのですけど」
『これではどうしようもない』
脇に控えている同心達がそう思った時です。
「えええい、分かった。もう止めい!」
お奉行・ニセ岡越後守様はここで、世にも奇妙な名裁き(?)を下しました。
「主、おぬしの借りた金品は徳政令により、返さなくても良い。利子もなくてよろしい」
主は満面の笑みを湛えて、貸し主達は渋面でその判決を聞いていました。主の全面勝訴
です。
しかし。ニセ岡奉行の判決には続きがありました。それを聞いていた訴え人と旅館の主
の顔色が、見る間に逆転していきます。
「その代り、借りた物を返済無用である以上、訴え人達が今借りている宿も返却不要、全
て借り主の物になる。主は即刻退去する様に」
「エエーッ!」
主は驚愕しました。幾ら沢山財産を借りて踏み倒しても、旅館の建物と土地と、それに
伴う色々な備品の全てを失うなら、儲けになる筈がありません。それこそ主の全財産です。
「この徳政令さえ出されなければ、こんな目に遭うこともなかったのにな」
呆然とする貸し主と借り主。まさかこんな結末になるとは夢にも思わなかったでしょう。
この後も徳政令は乱発されましたが、お上の善意から出たおふれに便乗して、あこぎに
稼ぐ者は余りいなかった模様です。
その陰に、果してニセ岡裁きがあったのかなかったのか。さてさてどうでしょうかねぇ。